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2011年6月16日 (木)

現物がコンコロリ

「前回のつづきでとりとめもなく」というスタイルで書き続けているので、大岡越前のつづきです。子どもをめぐって、二人の女性が母親であると名乗り出て争うという有名な話があります。大岡越前は二人の女性に子供の手の引っ張り合いをさせるのですが、痛さのあまり泣き叫ぶ子どもの声を聞いて手をはなした方を本当の母親だと認定します。

……これも無茶苦茶な話ですよね。腕がちぎれそうになる子供をかわいそうに思って手をはなすのが本当の親だと決めつけてよいのか。本当に自分の子どもであるにもかかわらず、引っ張って自分のものにすることができなければ一生はなれて暮らさなければならない、それぐらいならたとえここで腕がちぎれようと、なんとしてでも自分のものにしなければならない、と思う母親はいないのでしょうか。どちらがよいか悪いか、ということではありません。ひとの心を決めつけられるか、ということです。大岡越前は、本当の愛情があれば、自分のエゴを優先させず、子どもの幸せを考えるはずだと思ったのかもしれません。ただ、ひとの心を一面だけでとらえて、こうであるはずだ、なんて決めつけるのは「おごり」以外のなにものでもないと思うのですが。

本来、日本の文化ではこういう決めつけはきらうようで、大岡越前の名裁判も中国の話を下敷きにして作られたものが多いようです。勝手に決めつけたりしない、世の中は○と×だけでなく△もある、人それぞれの考えがあるのだから相手の心を気づかうことを優先しよう、という日本文化は特異なものなのでしょう。

たとえば、パソコンのような「ろくでもないガラクタ」を売ってしまうのはアメリカならでは、という感じがします。本来なら売ろうとは思わない、というより売ってはいけないものですから、もしパソコンが日本で発明されていたなら、いまだに開発途中でしょうね。日本人なら、こんな欠陥商品に値段をつけて売るような「あこぎ」なことは絶対にしないでしょうな。作業中にフリーズすることがあるような段階で商品として売り出そうとする神経はどうなっているのでしょうか。フリーズなんて、原則的にはあってはならない状態です。自動車の運転中にフリーズするとしたら販売はありえないでしょう。バグりまくるテレビをだれが買いますか。にもかかわらず、パソコンだけが、そんな未完成の状態で売られています。さすがにこれにはクレームをつける人も多いようですが、売り手側としては「ユーザーとともに開発していく」という、ねぼけたことを言って正当化しているそうです。それなら、ユーザーにも利益を還元しろよ、と思います。ほんとかどうかは知りませんが、ビル・ゲイツの邸宅の敷地面積が大阪市ぐらいとかいうのを聞くと、そのうちの淀川区ぐらいはユーザーによこせ、と言いたくなります。USJがあるので此花区でもよしとします。

でも、いつかはパソコンもクレームをつける人がいなくなるときが来るのかもしれません。「毀誉褒貶世の習い」と言いますし。……ちょっとちがいますか。ただ、最近のマスコミの無責任さは目に余るものがありますね。もともとマスコミというものがそういう性質を持っているのでしょうが、持ち上げるときには思い切り持ち上げて、落ち目になった瞬間バッシングの嵐です。ホリエモンとか亀田兄弟とか、ひどかったですね。朝青竜なんて、意図的に悪役をつくりあげ、みんなで攻撃しようという、現代の悪しき風潮の象徴のようでした。開発された当初は夢の化学物質と言われたのに、今は完全に悪役に成り下がったフロンガスと同じです。

かと思うと、マイケルジャクソンは、逆に死んだとたん、ほめちぎっていましたな。生きてるときにほめたれや。マスコミ、てのひらを返しすぎです。政治家に対してもそうですね。最近の総理大臣すべて、なった瞬間マスコミは派手に盛り上げようとしたくせに、ちょっと失敗するとボロクソにこきおろして、それが国民の総意であるかのように言います。本当にそうなんですかねえ。テレビのワイドショーで取り上げている話題でも、「おまえたちだけが盛り上がってるのとちがうの?」とつっこみたくなることが多いような気がします。ひところ「盛り上がった」のりピー騒動なんて、ひどかったですね。どのチャンネルもそれのみでした。そんなに騒ぐほど、その「のりピー」って人は大スターだったのかなあ。その点、サンテレビは偉大でした。どんな大事件があっても野球中継をつづけ、昼間は古い時代劇の再放送、というスタンスをくずしません。ポリシーがあります。素敵やん。

要するに、日本全体の幼児化現象を批判すべきマスコミが最も幼児化してしまっているのですな。視聴者のほうがまだましです。マスコミが年少組なのに対して、一般人は年長さんです。だからテレビ離れが起こるのも必然でしょう。いまでも本当におもしろい番組なら視聴率はかせげます。「JIN-仁-」などはそのよい例でしょう。マンガが原作だし、設定も安易ですが、ツボを心得ています。それにひきかえ、紅白歌合戦の低視聴率などは、当然といえば当然でしょう。いまのようなパーソナル化の時代にターゲットを拡散しすぎているから、だれも見なくなるのだろうな。背の高い人も背の低い人もお客さんとして来るのだから、その中間の大きさのベッドを用意しました、というやり方ですね。

テレビが娯楽の王様だった時代は終わっているということに気づいていないのは、テレビの制作者だけなのかもしれません。ひょっとして気づいているのかな、やたら再放送ばかりしているのは、新しいものをつくる力がなくなってきたのか、お金がなくなってきたのか。元気なのは通販番組のみです。ただ、これもそのうち飽きられてくるかもしれません。あとは、画像が3Dになって、さらに「物質転送装置」が開発されることを期待しましょう。通販番組で立体的にうつしだされた商品をほしいなと思ったら、画面横のボタンを押すと、物質転送装置から現物がコンコロリと出てくるのです。はやくそうなってほしいな。ラーメンなんか、出てきた瞬間、汁がこぼれたりなんかして。

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