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2015年9月20日 (日)

三島はなぜ割腹したか

1ドルが360円で固定されていたのは、いつごろまでだったのでしょうか。ケネディとかニクソンの時代まではそうだったような気がします。ケネディはさすがに有名ですが、ニクソンとなると今の子供たちは知らないかもしれません。それでもアメリカの大統領ともなれば知名度は高い。上杉鷹山の「なせばなるなさねばならぬ何事もならぬは人のなさぬなりけり」をもじった「なせばなるなさねばならぬ何事もナセルはアラブの大統領」は、だれが作ったのか傑作です。でも、ナセルをみんな覚えているのかなあ。「将棋好きなロシア人で、銀将の使い方が卑怯なことで有名な人は?」というなぞなぞを昔つくったことがあります。答えは「コスイギン」。こんなの無理です。フルシチョフの次の首相ですが、どちらも最近は名前を聞くことがありません。「こすい」も死語か。坂田三吉の「銀が泣いてる」というフレーズも有名です、いや、でした。これも通じぬか。政治家で今後何百年も通じる名前は、ケネディ以外にはチャーチル・スターリン・ヒトラーぐらいかもしれません。日本の首相では伊藤博文は別格として吉田茂・田中角栄・佐藤栄作ぐらいでしょうか。佐藤栄作が「栄チャンと呼ばれたい」と言ったので、横山ノックが国会の質問で「栄チャン」と呼びかけたら、いやな顔をされたという話も有名だったのですが。

教科書に載るレベルの野球選手といえば、やはり長嶋・王でしょうか。今ならイチローという名前も出てきそうですが、それ以外となるとどうでしょう。歌手なら美空ひばりの一人勝ちですかね。小説家となると、現代なら村上春樹でしょうか。大江健三郎はノーベル賞をもらったものの、多くの人にとっては「だれ、それ?」です。ピースの又吉も今の話題にはなっても名前が残るかなあ。世界的な知名度から言っても村上春樹がぶっちぎりですが、ほんとにみんな読んでいるのかどうか。いずれにせよ、漱石には及びませんね。明治以降の小説家を一人あげよ、と言われたら、いつのまにか夏目漱石ということになってしまいました。

その漱石が落語家の柳家小さんを「天才だ」とほめちぎっています。小さんと同じ時を共有できるということはたいへんな幸せだ、とも言っています。でも、こういう感想はだいたいその人が死んでから言われるものなんですね。米朝さんと同じ時代を生きた私たちは幸せでした、みたいに。ひょっとしてAKBなんかでもありうるかもしれません。死なないまでも、ファンが爺さん婆さんになったときに、「あのババアも昔はこうだったんだぜ」なんて言えるとうれしかったりします。私は、高倉健さんも、やくざ映画以降、あまり魅力を感じなくなっていました。中国で人気の『君よ憤怒の河を渉れ』や『幸福の黄色いハンカチ』でも、なにかちがうなあと思っていました。錦之助の『宮本武蔵』で佐々木小次郎を演じた若いときも、にやけぶりが悪くはなかったのですが、やっぱり『昭和残侠伝』あたりにはかないません。私にとって健さんは「花田秀次郎」(シリーズでの役名)です。

マスコミなんかで、死んだらみんな「いい人」にする風潮も笑えますね。これでまた「昭和」のなんとかの一つが消えた、とか決まり切った言い回しが登場します。愛川欽也の訃報を聞いたとき、「はい、消えたー」と不謹慎なことを思ったのは私だけでしょうか。世界のレベルで言えば、マイケル・ジャクソンのときのマスコミは手のひらを返したようで、妙におかしかったですね。それまではボロクソだったのに。それに比べれば「ビートルズ」はたいしたものです。バッハ、ブラームス、ベートーベンの三大Bにビートルズを入れて四大Bだと言われるぐらいですから(言っているのは私だけですが)、これは教科書レベルで、後世に名前が残るでしょう。ポール・マッカートニーだけはまだ生きていますが。あの年でのライブはたいしたものでしたな、見てないけど。レノンは死んでもポールは残る、とだれかが言ってたような…。中島らもが土建屋さんのために作ったといわれる、あの名作コピー「家は焼けても柱は残る」とゴッチャになっているかもしれません。

でも本当のポールは実は若くして死んでしまい、今のポールは替え玉だという都市伝説もあります。そういえばプレスリーも徴兵に行って帰ってきたのは別人だという説もありました。反対に「実は死んでいなかった」というのも魅力的なシチュエーションなのでしょうか、昔からよくあります。空海は高野山でまだ生きており、坊さんたちが毎日食事を運んでいるというのは有名ですが、なんかミイラみたいになった空海がおにぎりを食っているみたいなイメージがしてしまいます。源為朝が死なずに琉球王になったというのはロマンがあります。義経ジンギスカン説なんて、わくわくします。西郷隆盛が西南戦争で死なずにロシアに逃げたというのは新聞にも載ったそうです。十何年かたってロシアの皇太子が日本人の警官に斬りつけられるという大津事件が起こりますが、その背景には西郷が復讐のために帰ってくるといううわさもあったとか。まあ、明治天皇すりかえ説レベルの「トンデモ」説でしょうが。豊臣秀頼が薩摩に落ちのびたというのは知っている人は知っているレベルでしょうね。豊臣びいきの人たちは秀頼を殺してしまうのがしのびなかったのでしょう。家康が実は大坂夏の陣で死んでいたというのはその逆ですが、これも豊臣びいきの人の発想でしょうね。日本とは別に大阪国というのがあって、となると小説ですが。

「じつは死んでいなかった」パターンの小説で、「この人物で設定するか」と思ったのは京極夏彦ですね。『書楼弔堂』という作品は、泉鏡花、月岡芳年、井上円了、巌谷小波、ジョン万次郎、勝海舟などの著名人が登場します。最初はだれかわからないのが、読み進めていくうちに、なるほどあの人か、とわかるようになっていて、そのあたりが山田風太郎の明治ものと同じでなかなかおもしろい。その中で「宜振」という名前の人物が登場します。実は、そういう諱(「いみな」、要するに本名ですな)の人物を知っていたので、ピンときましたが、なかなか大胆です、その人物は明治になる前に打ち首獄門になっているはずです。それを「じつは死んでいなかった」設定で、明治の御代まで生き延びさせているのですね。本来マイナーな人物だったのが、有名になったのはやはり司馬遼太郎の小説でしょうか。人斬り以蔵です。映画では勝新太郎がやりました。ちなみにそのとき薩摩の「人斬り」、田中新兵衛を演じたのが三島由紀夫で、映画の中で切腹するのですが、その「快感」が忘れられずに、ああいう最期を迎えたという説を唱えている人もいます。私ですが。

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