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2019年2月26日 (火)

祝と呪は似ている

時代劇では、不動明王の前で火を焚きながら「ノウマク・サンマンダ・バサラダン・センダン…」とやるのもよく見ます。般若心経の「ギャーテイ・ギャーテイ・ハラギャーテイ・ハラソウギャーテイ・ボジソワカ」とか「オンアボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニハンドマ・ジンバラ…」とかいうのもよく聞きます。いずれにせよ、「真言」ですから、素人がむやみやたらに口にすべきものではないのでしょうが…。

呪文には、「急急如律令」というのもあります。これは安倍晴明が使うやつですね。意味としては「急いで法律または指示通りにやれ」から「命令に従わないと罰する」ということになって、悪霊退散の呪文になったのでしょう。だから、キョンシーの額の御札にも書かれているわけですね。歌舞伎の「勧進帳」では弁慶と富樫との問答の中で、「九字の真言」についてやりとりする中で出てきます。「九字の真言」というのも時代劇でよく出てきます。あの「臨兵闘者皆陣列在前」の九字の呪文を唱え、指で九種の印を結ぶというやつです。忍者のお約束ですな。「南無念彼観音力」というのも時代劇では、呪文のように唱えられます。「観音の力をお貸しください」の意味で使っているようですが、本来は「観音の力を心に念じることによって、観音と一体化して、あらゆる苦しみから救われる」という意味らしい。

偽書とされる「先代旧事本紀」という本があって、その中に「十種神宝」というものが登場します。「とくさのかんだから」と読み、霊力を宿した十種類の宝のことだそうな。それらを振り動かしながら、「布瑠の言」という祝詞を唱えると、死者さえ生き返らせると言います。「ひふみよいむなやここのたり、ふるべゆらゆらとふるべ」という短いものなので覚えやすい。頼光四天王筆頭の渡辺綱が橋姫と出会う舞台となった一条戻り橋という橋があります。三善清行の葬儀の列がこの橋を通ったときに、清行の子の浄蔵が棺にすがって祈ると、清行が雷鳴とともに生き返った、という不思議な話があります。一条戻り橋という名はそれが由来になってます。浄蔵というのは相当の力があった僧侶で、菅原道真が怨霊となって藤原時平を祟っているというので調伏のために呼ばれます。ところが、時平の耳から青竜の姿をとって道真が現れたのを見て、調伏を辞退します。ほどなくして時平は死んでしまったそうな。

一条戻り橋には他にも不思議な話があって、安倍晴明は、この橋で殺害された父の保名を蘇生させたと言います。安倍晴明が使っていた式神は十二体あったそうです。式神とは陰陽師が使役する鬼神のことで、要するに陰陽師のパシリですな。「今昔物語」には、晴明の屋敷ではだれもいないはずなのに戸を上げたり下ろしたりすることがあったと書かれています。式神を使って、自動ドア風にしていたということですかね。「大鏡」にも、花山天皇の退位を予知した晴明が牛車の支度をさせて、式神に参内するように命じたということが書かれています。ただ、この式神があまりにも恐ろしい顔で、晴明の妻がおびえていたので、晴明はふだんは十二体の式神を一条戻橋に置いた石櫃の中に閉じこめておいたそうな。

ちなみに死者の蘇生は紀長谷雄もやっています。長谷雄という名前は、父親が長谷寺に男の子を授けてほしいと祈願して生まれたからつけられたと言います。菅原道真の弟子で、「竹取物語」の作者ではないかとも言われており、「古今和歌集」の漢字で書かれた序文を記した紀淑望の父親でもあります。双六もうまかったようです。当時の双六は、今とはちがって、バックギャモンみたいなもので、賭博性の強いゲームでした。この長谷雄が、なんと全財産を賭けて鬼と双六の勝負をしたという話があります。鬼が負けてしまったので、絶世の美女をさしあげると言うのですが、これはさまざまな死体からよいところだけを寄せ集めて鬼が造ったものでした。要するにフランケンシュタインのモンスターですね。百日待たないと完成しないのですが、結局とけて流れてしまいます。

呪文に話をもどすと、「アジャラカモクレン、キューライソ、テケレッツのパー」なんて、わけのわからないものもあります。志ん生の「黄金餅」のお経の中にも同じようなことばが出てきます。お経なのに「君と別れて松原行けば松の露やら涙やら」とかいう文句が出てきて、そのあとにこの呪文を唱えるのですが、「死神」という落語に出てくる呪文が有名です。金がなくて死んでしまおうと思っている男の前に死神が現れて、医者になれとすすめます。「死神の姿を見えるようにさせてやる。病人の枕元に死神が座っていたらだめだが、足元に座っていたら助かるので、呪文を唱えて追い払え」と言われます。「アジャラカ…」は、そのときの呪文ですが、「キューライソ」の部分は演者によっていろいろと勝手に変えてやっているようです。「キューライソ」は「らくだ」という落語の中の「かんかんのう」の文句から来ているのかもしれません。「かんかんのう」は江戸時代に流行した唄で、もとは中国語なので、歌詞が意味不明になっているというものです。「かんかんのう、きうれんす」という歌詞の「きうれんす」の部分をだれかが思いつきで適当にあてはめたのかもしれません。

「死神」の話の続きを紹介しておくと、男は売れっ子の医者となって金持ちになり、医者をやめて優雅に暮らします。ところが、やがて金が底をつき、再び医者の看板をあげますが、診察に行けばいつも死神は枕元におり、助けることができないので金は手に入りません。さる大店のご隠居を治してほしいと頼まれ、行ってみるとやっぱり死神は枕元にいます。お礼の大金をどうしても手に入れようと一計を案じた男は、死神が居眠りしているすきに布団を半回転させ、死神が足元に来るようにして呪文を唱えます。金を手に入れた男はその帰り道、死神につかまって、たくさんのロウソクがともされた洞窟に連れて行かれます。このロウソクは人間の寿命を表しており、今にも消えそうなロウソクが男の寿命だと言われます。金に目がくらんで、自分の寿命をご隠居と取り替えたということですね。ロウソクが消えれば死ぬが、その前に新しいロウソクに火を移しかえれば助かると言われ、男は必死になって火を移しかえようとしますが、手が震えて…。さあ、このあとどうなるか。続きはwebで!

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