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2020年3月29日 (日)

おサルたちの沈黙

「ブ」と「ヴ」や「L」と「R」の区別をしない日本語で(「令和」は「R」なので、巻き舌の発音のはず?)、これを書き分けるのは無理があります。さすがに「本を読む」のときは「wo」に近い発音をするので「本お読む」とは書きませんが。「ぼくが」の「が」も鼻濁音なので、区別するために濁点ではなく半濁点をつける人もいます。ただ、これを意識して使い分けすることはあまりないでしょうし、聞き分けてもいないようです。「ぢ・づ」と「じ・ず」では明らかにちがう音なのに、いつのまにか混同して「zi・zu」の発音に統一されました。時代によってことばは変わっていくものです。「めっちゃ」を大阪弁と思っている人も多いようですが、「むちゃくちゃ」「めちゃくちゃ」の省略形で、古くからのことばではありません。さらに「めっさ」となまっている人もいますが、ごくごく新しいことばです。とはいうものの、生まれたときからそういうことばを聞いていたら昔からあることばのように思いますし、実際すでに「大阪弁」として認知されています。むしろ、テレビなどを通じて一般的になり、関東圏でも抵抗なく使われているようです。

だいたい生まれる前のことはわからないのが当然です。若い人たちは「バックスクリーン三連発」なんて伝説でしか知らないわけです。実は掛布のみがちょっとちがうということは、だれも知らなくて当然です、なんてことを言っても何のことだかわからない人が多いでしょうな、ハッハッハッ。六甲おろしは本来冬型の気圧配置のときに起こるものなので、ふだんは甲子園には吹かないという衝撃の事実があるそうです。これは、いつ生まれたかには関係のない知識ですが…。まあ実際には、季節にかかわりなく山頂から吹き降りる突風を「六甲おろし」と言うようです。この「おろし」は「颪」と書きます。他にも「比叡颪」とか「赤城颪」がありますが、山から下に吹く風で「下ろし」です。国字で「颪」と書くのは、ズバリすぎてなかなか快い。

「歪」もよくできた字ですね。「ゆがむ」「ひずむ」「いびつ」と読みますが、正しくないことを表す字です。二つの漢字を組み合わせて新しい漢字を作っているのですが、ここから妙な現象が起きることがあります。「羽音」を縦書きした場合、バランスが悪いと「翌日」と読めてしまいます。ネットの世界では「神」を「ネ申」、「死」を「タヒ」のようにわざと分解して書いたりします。こうやってパーツに分けると覚えやすい字もあります。「顰蹙」や「薔薇」「鬱」など、全体を見ていると厄介な字ですが、細かく分ければわかりやすくなります。「わかる」とは「分かる」であり、「解る」であり、要は「分解する」ことです。複雑なままではダメなんですね。なぜなのかを知らないままで覚えていることがらが、「実は」と説明されたら、わかったという実感を味わうことがあります。「子丑寅が方角を表し、子が北、午が南、だから子午線と言う」…こういう説明でなるほどと思います。「八岐大蛇を倒すと尻尾から剣が出てきた」と言われたら、なんでまたそんなところからそんなものが、と思いますが、「八岐大蛇とは、いくつもの支流に分かれて氾濫を繰り返し、人々を苦しめてきた川の擬人化であり、その斐伊川から砂鉄がとれ、それで剣を作ったのだ」「なるほど」…。

こうなってくると、推理小説の謎解きの快感に似ています。最後の部分で名探偵が全員を集めて推理を披露する場面ですね。川柳にあるやつです。「名探偵、皆を集めてさてと言い」。この部分が長すぎるとかったるいですね。理想を言えば、たったひとことで「なるほど」と思えるようなものであってほしい。中には読んでいるうちに、面倒くさくなって寝てしまいそうになるものもあります。だいたい、この手の小説で本当に「推理」しながら読む人って、いるのでしょうかね。なんとなく「犯人こいつ」と思いながら読んでいるのでは? テレビドラマなら顔やふんいき、もっと言えば誰が演じているかで決めてしまいます。もっとも最近では裏をかいて「この美人女優が犯人!?」と思うような意外な配役をしたり、さらに裏の裏をかいて、「やっぱりこいつかーい」ということもあります。

倒述ものの推理小説というのがあります。最初に犯人が登場して、その犯人の視点で物語が展開されていくタイプのものです。『刑事コロンボ』や『古畑任三郎』でおなじみのパターンですね。これは、一つのミスでばれることもあるので、種明かしは単純明快なことが多いようです。一般の推理小説とちがって、犯人ではなく作者が読者に仕掛けるトリックなので、読み直す楽しみがあります。「あ、こんなところに」と、読み飛ばしていたり別の意味で解釈したりしていたことに気づきます。これは「わかった」という快感ではなく、「だまされる快感」ですね。わざわざ地雷を踏みに行く心理と通じるものがあります。「やられた」「くやしい」と言いながら、解く快感に匹敵する快感を味わっています。ひょっとしたら、子どもたちがテストでミスをする理由は快感だから?

フロイトは人間の行動の理由を無意識の心理の中に求めましたが、犯人の行動や犯罪の性質や特徴から科学的に人物像をさぐっていく「プロファイル」というのがあります。犯罪捜査ばかりではなく、他の方面でも使われるので、「犯罪者プロファイリング」と言うのが正しいようです。現場に残された状況をもとにして、統計的な犯罪データや心理学を通して犯人像を推理し、人種や性別、年齢、あるいは生活態度などを特定していくのですね。『羊たちの沈黙』あたりからよく聞くようになりましたが、要はパターンにあてはめている感じで、現実の人間はもっと複雑で例外もたくさんあるような気がします。もちろんパターンと言っても相当細かく分類しているのでしょうから、4タイプしかない血液型占いより確かでしょう。干支占いがうさんくさいのは、学年全員が同じような性格のはず、ということになるからです。いくらなんでもそれはないでしょうが、たしかに年によって傾向があるのが不思議といえば不思議です。

「今年の子は…」、講師がよく言うせりふです。ゆとり教育の世代とそうでない世代というような、環境のちがいは大きいでしょうが、そういうものがなくても、なぜか一年ごとに微妙な差があるような気がします。全体に素直でおとなしい年が意外に実績がふるわず、おサルさん状態のときに結果がよかったりするのは、おサルさんタイプのほうが入試には向いているのでしょうかね。

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