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2020年4月20日 (月)

聖と俗の境

年ごとに差があると言いましたが、昔に比べて確実に言えるのは、漢字力が落ちていることですね。昔の受験生は知らないことばなので書けない、ということはあっても、字そのものの形をまちがえることは少なかった。文を組み立てて文章にしていく力も、昔に比べて劣っているような気がします。一文の中でさえも、「僕が君が優秀であることを知っている」のような書き方を平気でやります。せめて読点を打つか、「は」と「が」を使い分けるか、「ぼく」をあとのほうの述語の直前にもってくるかすればよいのですが、そういった工夫ができないのですね。こういう工夫は、どれだけ文章に接してきたか、という「経験」の量が大きな要素になります。

「起承転結」のパターンにあてはめて文章を構成するのは訓練です。昔はそういう訓練をさせたのですね。典型的なのは漢詩です。頼山陽、安政の大獄で死んだ三樹三郎の父ですが、「大阪本町糸屋の娘 姉は十六妹は十四 諸国大名は弓矢で殺す 糸屋の娘は目で殺す」という漢詩(?)を作って、起承転結を教えたとか。漢文も最近は学校で教えることも少なくなってきたのでしょうか。昔は甲陽学院高校の入試で毎年出ていたので、中三の授業でその対策をしていました。オリジナルのテキストに「史記」などの文章を入れて読ませていました。「史記」は実はかなり読みやすいのですね。「沛公旦日百余騎を従え来りて項王に見(まみ)へんとし、鴻門に至る。…」という「鴻門の会」の冒頭はいまだに覚えています。頼山陽の『日本外史』も読みやすく、おもしろかった。内容も有名なものが多いので教材にはぴったりでした。信玄と謙信の塩を送る話とか。「聞く、氏康・氏真、君をくるしむるに塩を以てすと。不勇不義なり。我公と争へども、争う所は弓箭に在りて、米塩に在らず。」という謙信のセリフがかっこいい。

昔の人は漢文に接する機会も多く、漢詩を作れる人も結構いたのですが、今の政治家はどうでしょう。田中角栄は中国との国交回復のときにトホホな漢詩を作りましたが、作ってみようとしただけ立派なものです。今の政治家で作れる人はいないでしょう。漢字そのものが読めない首相に漢詩が作れると思えませんし…。俳句ぐらいなら作れる人がいるかもしれませんが、辞世の句なんて作ることはないのでしょうね。だいたい辞世は難しい。三島由紀夫でさえ辞世の歌はイマイチだと言う人が多いようです。在原業平の「ついに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」もとりたててすごいというものではありません。秀吉の「露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことは夢のまた夢」は悪くないですね。信長が「人間五十年…」と舞い終わって切腹するシーンがよくありますが、これは辞世ではありませんね。高杉晋作の「おもしろきこともなき世をおもしろく」はなかなかよいのですが、野村望東尼という人が続けて「住みなすものは心なりけり」と詠んだとか。高杉は笑って死んでいったと言いますが、尼さんが付けたせいか、ちょっと理屈っぽく説教くさいものになってしまった、というようなことをやはり司馬遼太郎が書いていました。たしかに下の句がなくて、「おもしろくないこの世をオレはおもしろく生きたぜ」とも解釈できるほうが高杉らしい気もします。

世の中には弔詞がうまい人もいます。平賀源内は弟子を斬り殺して捕らえられ、牢獄で死ぬのですが、杉田玄白の碑銘がなかなかしびれます。「ああ非常の人、非常の事を好み、行ひこれ非常、何ぞ非常に死するや」。たしかにその通り。折口信夫も名手だと言われたそうです。こんなものほめられても、と思いますが…。貴人が死んだときに歌をつくるのは万葉集以来の伝統です。歌人でもある折口がうまいのは当然かもしれません。

折口や柳田国男の民俗学は一時期ブームみたいなこともありましたが、最近はあまり聞きません。民俗学というのは、都市伝説なんかも対象になって、おもしろいものなのですがね。「トイレの花子さん」は、宮田登さんがとりあげていたのを読んだ記憶があります。パワースポットというのも流行しましたが、若い人ほどそういうものにひかれる気持ちがあるのでしょうか。「どこそこの神社がパワースポットだ」と言って、人が殺到するのですが、「神社がパワースポット」というのは、ある意味当たり前であって、パワースポットだからその場所に神社をつくったのでしょう。

貴船なんて、いかにも何かありそうです。もともとは「気生嶺」と書き、大地のエネルギーである「気」が生じる山という意味だったとか。ここは磐長姫命もまつられています。天孫ニニギノミコトに大山祇神が二人の娘をとつがせようとするのですが、姉の磐長姫は醜いので送り返され、妹の木之花咲耶姫だけと結婚します。磐長姫命は、この貴船にこもって、他人の良縁成就にはげむことになったとか。ところが、磐長姫命は「岩のような長命」「永遠」を司る神様だったのに、それを拒んだために、ニニギノミコトはその恩恵を受けることができず、子孫である人間の寿命は花のように短くなってしまった、ということです。どちらか一つを選べと言われて、石を選ばなかったために、長命または不死になれなかった、というような神話は世界各地にあるようです。貴船神社は結婚の神様ということで、水占いでも有名ですが、なんと丑の刻参りでも名高い。丑の刻、憎い相手に見立てた藁人形をご神木に釘で打ち込むというやつですね。神様の御利益がプラスに働くか、呪いのようなマイナスに働くか、というちがいだけで、もとになるのは神の持つパワーということですね。

ブラタモリでやっていましたが、清水寺もタモリの好きな「へり」というか境界にあります。むかしは、人が暮らす都という「俗」の外側に「聖」なる神仏の世界があると考えたようです。ということは、両者の境である「坂」は、神と人、あの世とこの世が交わる地であり、清水寺はそういう場所にあります。今でも清水寺の裏側には大きな墓地があります。参道は、亡くなった人を送る道だったのですね。清水寺の名前の元になったのが「音羽の滝」で、坂上田村麻呂が、その近くに鹿狩りにやってきたとき、そこで修行していた坊さんに殺生を戒められ、田村麻呂が建てたお堂が清水寺になったそうな。近くにある「坂の上」という旅館に泊まったことがありますが、旅館のある場所を示すだけでなく、田村麻呂にちなんだ命名でもあったそうです。司馬遼太郎とは関係なし。

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