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2020年5月12日 (火)

場外乱闘②

タイムトラベラー矢原の新作です!

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「初夏の旅なつかしく ②」

こんにちは。国語科の矢原です。長い時を経て、ようやく第二章に入ります。さて、下関をあとにして今度は山口県の中央部、美祢(ミネ)市に向かいました。
駐車場に車を駐めたのはちょうどお昼ごろ。食堂や土産物店が並んでいますが朝食の海の幸でお腹がいっぱい、昼食は後回しです。
小径の脇の小川が澄んでいました。カエデの青葉を過ぎたところに橋が架かっていて、その向こうにぽっかりと大きな入り口が現れました。日本一有名な鍾乳洞、秋芳洞です。「しゅうほうどう」ではなく「あきよしどう」と読みます。洞窟はヒンヤリするとかで用意よろしく薄手のシャツを羽織っています。

「彫刻の谷間」
カルストの 丘の麓に現れし
岩の裂け目を たどりてゆけば
地下水が生み出す 作品の数々
秋芳の洞穴 アーティストの業

洞穴が延々と続いています。中は意外なほどに広く、いま改めて調べたところ広さ200m、高さ80mに達するところもあるそう。十数年ぶり二度目の探検です。
神秘の造形に改めて驚きつつ地下深くへ進むと不思議なことに山や湖のようなところがあります。奥の方にエレベーターがあって地上に出られます。のどかな丘の上は冷えた体に陽射しが心地よく、青い空と草の香りがある別世界。再入場できるので自然の彫刻が並ぶ洞穴を逆にたどって戻りました。


小腹が空いたので軽くお昼を摂って次なる目的地へ。食後のソフトクリームは夏みかん味、さっぱりします。
途中、萩往還という道を通りました。関ヶ原の戦いののち長門の萩に国替えさせられた戦国の雄、毛利家の殿様が参勤交代に使うのに切り開いた道だそうです。吉田松陰がその最期に江戸に送られたのもこの道です。道の駅にも夏みかんが大きな網に入れられてキロ単位で売られていました。味見してみて帰りに買うことに決めました。
着いたところは萩の松下村塾、この夜の宿も萩です。

「松の教え」
萩ゆきて松陰先生に会いきたり
至誠の教え 天下を変えし
玄瑞 小五郎 晋作を育て
竜馬 吉之助を疾らせたるか

親戚の叔父かたの庭先を借りて、わずか八畳ほど。まさに小屋と呼ぶべき建物に驚きました。天下に聞こえた塾はこんなにも粗末な造りだったのです。至誠を貫き、志を大切にした松陰先生の人柄が偲ばれました。萩ではただに「先生」というと、それは松陰先生のことだそうです。日本の新時代の土台を作った偉人。土地のかたの尊敬には並々ならぬものがあります。
近くの土産物屋の張り紙で夏みかんについて知りました。この辺りは日本の夏みかん発祥の地で、幕末から明治にかけて財政を救うために栽培が奨励され萩の名産となったそうです。ちょうど五月が実の最盛期で香りが広がっていました。時季に訪れた皇太子時代の昭和天皇は「町に香水がまいてあるのか」とおっしゃったそうです。

松下村塾のすぐ奥、吉田松陰を祀った松陰神社を参拝してから辺りを散策。伊藤博文の旧宅を見つけました。近くに吉田松陰の生誕地もあります。この辺りは萩の町外れ。身分の低かった二人の家があったのも頷けます。周囲のお宅の庭先にも夏みかんの実が揺れていました。
日が暮れてきたので予約していたホテルにチェックイン。温泉に浸かり、これまた魚介メインの晩ご飯をいただきました。
歴史の舞台、自然の絶景を巡った一日を終えました。旅の寝床では今ここにいる不思議を感じます。本州のほぼ西端で眠りにつきました。

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