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2020年12月 9日 (水)

意味不明

「ギャグ」ということばも本来の意味とはちがう使い方をしていますね。「面白いフレーズ」ぐらいの意味で使っています。中には「インガスンガスン」のような意味不明のことばもありますが…。吉本の漫才などの芸人は全国区になっている人が多いのに、新喜劇の知名度が低く、東京に進出できないのは、吉本新喜劇の面白さが東京人にはわからないからだ、と言う人もいます。いやいや、実は面白くないことが多いのですよ、新喜劇は。「反復の面白さ」「マンネリゆえの面白さ」で、これはたしかに関西人は好きです。しつこく繰り返すのをよしとするのですね。では、なぜ繰り返すとおもしろいのか? 逆説的ですが、「また出た」というのは「意外」につながるからかもしれません。同じことが二度続くのはないわけではないのですが、三度となるとめずらしい。忘れたころにまた出てくると、意表をつかれて「また出た」と思って笑ってしまう、というのが元々あったのでしょう。そして、それが一つのパターンになると、吉本の場合は「ほら、また出た」となって、熟達した観客は「ここ笑うとこよ」というシグナルを感受するのでしょう。

「意外」というのは笑いにつながります。きどった女性がバナナの皮をふんでスッテンコロリンと転ぶのは「意外」です。「そっくりさん」も意外さなのでしょう。ちがう人なのに共通点が多いことに気づいて笑うのです。これは「だじゃれ」も同じです。ちがうはずのことばなのに、音がよく似ていて結びつきが生まれるという意外さです。笑福亭たまの小咄で「B29」というタイトルのものがあります。「この鉛筆濃いなあ」これだけです。このフレーズそのものはべつに面白いわけではありません。タイトルと組み合わさると面白くなるのですね。意外な組み合わせなのに結びついてしまうから笑いが起こります。

タイトルとセットになってはじめて面白くなるものとして、写真で出された「お題」に対して「ボケ」を投稿するサイトがありました。たとえばミレーの『落ち穂拾い』の絵に、「集団ぎっくり腰」とか「ポップコーン開けるの下手すぎやろ」とかつけるようなものです。的確であるから笑うのですが、同時に「そう来るか」という意外性ですね。意外な切り口というのは、オッと思って楽しくなり、笑いにつながります。突飛さは笑いを生みます。予想もしなかったときの驚きや楽しさが笑いなのだ、と言ってもよいかもしれません。「屁をひって面白くもなしひとりもの」という川柳がありますが、自分のおならは自分で予想できますから面白くもなんともありません。シーンとしているときにだれがプーとやると笑いが起こります。特にテスト中という「緊張感」とまぬけな音の組み合わせはまさに笑いのタイミングになります。

ブラックユーモアと呼ばれるものは、意外さを生み出すものがやや不健康なものなので大笑いになりませんが、ジワッと笑えます。もう三年ぐらい前になりますか、面白いなと思って、いまだに覚えている四コマ漫画があります。朝日新聞の『ののちゃん』です。「幽霊屋敷」から出てきたののちゃんたちが「つまんなかったねー」「ぼろくて床が揺れてた」「カネかえせ。どこが幽霊やねん」と言っているのですが、最後のコマで「幽霊屋敷」と書かれた看板の横の屋敷が、かすかに地面から浮きあがっていることがわかります。つまり「幽霊の出る屋敷」ではなく、屋敷そのものが「幽霊」だったのですね。これはダブルミーニングのおもしろさでもあります。『おさるの日記』のように秀逸なものは少ないのですが、ダブルミーニングのことばはたしかに面白い。「よくきえる消しゴム」なんてね。「帰ってきた兵隊やくざ」も「日本に帰ってきた」と「復活した」の二つの意味になります。

題名だけで心ひかれるものってありますよね。エドガー・アラン・ポオの『ナイト・ウォーク』を直訳しただけの『夜歩く』は秀逸なタイトルです。インパクトがすごい。『緋文字』なんて魅力的なタイトルです。題名だけで勝手に中身を想像していて、実は全然ちがうということもあります。新感覚派の巨匠、横光利一の『日輪』なんて、だれが卑弥呼の話と思うでしょうか。『細雪』も魅力的なタイトルですが、もともとあったことばなのか作者の造語なのか。

古典作品には安易なネーミングのものもあります。「枕草子」は「枕元に置いて読む本」という意味のようですし、「今昔物語」や「徒然草」は冒頭のことばがそのまま題名になっています。作者がつけたものではなく、後の時代の人が「つれづれ」ということばで始まる本、ということで勝手に「つれづれ草」と呼んだのかもしれません。もちろん「行く河の…」で始まっても「方丈記」というのもあります。「方丈」というのは「一丈四方」つまり小さな掘っ立て小屋のことで、元祖プレハブ住宅のようなもので仮住まいをしていて書いたのでつけられたのでしょう。「祇園精舎の…」で始まっても、平家一門の興亡を描いているから「平家物語」という王道タイトルもあります。でも、明治以降だって、漱石の「猫」は冒頭の一文がそのままタイトルになっています。漱石はわりと安易にタイトルをつけていたようで、「先生、次の作品はいつごろできますか」と問われて「そうさなあ、彼岸過ぎまでには…」と言ってそのまま題名にしたものもあります。

映画の題名も、昔は邦題として「哀愁」のようなことばをひねり出して、無味乾燥な原題より、ずっと魅力的にしていました。題名がちがえばヒットしなかった作品もいっぱいありそうです。「俺たちに明日はない」や「明日に向かって撃て」は二人の登場人物の名前を並べただけの原題では見に行く気がしなかったかもしれません。原題は『一番長い日』という意味なのに「史上最大の作戦』にしたのは水野晴郎でした。「華麗なる…」や「怒りの…」などはヒットした作品にあやかってつけるのですが、たいていつまらないものになっています。「ロシアより愛をこめて」や「風と共に去りぬ」は直訳なのにオシャレです。最近では原題を単にカタカナにしているだけで意味不明のものが結構あります。「エイリアン」「マトリックス」「ターミネーター」などもはじめは意味不明でした。中には原題とはちがうカタカナのことばもあるらしい。しかも意味不明。意味不明はだめでしょ。もっとも音楽でも、バッハの「主よ人の望みの喜びよ」のような意味不明のタイトルのものもありますが…。

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