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2021年4月の3件の記事

2021年4月24日 (土)

スマホ

耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、ついにスマホに切り替えました。

10円でした。レジで「消費税がついて11円になります」と言われました。「ポイントお使いになりますか」と訊かれて、「はい」と答えました。

ちょっと後悔しています。腹立ち紛れにスマホの悪口を書きたいと思います。

1 重い

 重いです。山登りの際の負担が増えました。少しでも身を軽くするためにTシャツの袖を切り落とす人さえいるのが登山の世界なのに! もちろん私はそこまでしませんが。何ならビールと、温泉に入ったあとの着替えまで持って登りますが。

2 でかい

 でかいです。かさばります。ポケットがはちきれそうです。かさばっているというより、のさばっていると言いたいくらいのぶしつけな存在感です。

3 電力を消費する

 激しく電力を消費します。しょっちゅう充電しなければなりません。だから、山登りのときはモバイルバッテリーとやらを携行する必要があります。ますます重い!

4 なんかいろいろついてる

 なんかいろいろついてます。下手にさわると「許可しろ」とか「ダウンロードしろ」とか面倒です。あの手この手で私から小銭をせびりとろうとしている、という強迫観念に襲われています。

5 べつに便利じゃない

 たいして便利じゃないと思います。みなさん便利だ便利だっておっしゃるんですけど、ほんとうですか? ないならないでも済むようなアプリを使わされて、便利な気分になっているだけじゃないですか? だいたい電車の中とか風呂の中とかそういうところでインターネットそんなに見たいですか? 僕は電車の中や風呂の中では本を読むので、そんなところでネット見たりしません。ていうか、下手にネットなんか見始めちゃったら、どうでもいい記事がなんだか気になってついつい見ちゃって本読む時間がなくなっちゃうじゃないですか。

 そんなにいやなら何でスマホにしたの? だれも頼んでないけど? とおっしゃるかもしれません。まことに痛いところです。返す言葉もありません。

 だって、スマホがないと不便なように少しずつ社会が変わってきたんです。今のところはまださほどでもありませんが、これからますますその傾向は加速していくでしょう。やむをえない判断でした。

 しかし、ここで私は声を高らかにして申し上げたいのですが、「スマホがあると便利」と「スマホがないと不便」は少し違うんじゃないでしょうか。社会全体がどんどん、「スマホがないと不便」なように作り替えられていきます。だから、べつに便利だとは思わないけど、ないと不便なのでスマホにしたということなのです。そうやって私のポケットから小銭が巻き上げられていくのです。

 しかし、ほんとうのところは他に理由がありまして。実は、登山用のGPSがほしいなあと何年ものあいだ悶々としていたのです。そんなあるとき「スマホでそういうアプリあるけど」という耳寄りな情報が。折しも、携帯の会社からしつこく「もうおまえのつこてるガラケーの修理せえへんからな」とか「もうすぐおまえのつこてるガラケーはつかえなくなるからな」とか脅しの手紙がくるし、谷六にある私の推しのパン屋さん『バネーナ』でもスマホがないせいでポイントためられないし、デジカメが壊れたため山に行ってもまともな写真撮れないし、といった事情もあったため、ついつい発作的にYバシカメラに行ってしまったのです。

 実際に登山でGPSアプリを使ってみて良い感じだったら切り替えた甲斐もあるというものですが、果たしてどうなることやら。

2021年4月17日 (土)

ベランダにスズメが来ます

ご無沙汰しております。西川です。正明先生に任せっぱなしにしてさぼっていました。

※ 山下先生のことを正明先生と呼ぶのは、国語科にもう1人山下という講師がいるからです。この人は最近座骨神経痛に見舞われてよれよれになっています。あまりにも辛そうで哀れなので、何人かの講師から、ペインクリニックに行ったらどうだとか、いやそれよりも終末期ケアで有名な淀川キリスト教病院はどうだとか、今病院に行っても「それどころじゃないんだ帰れ」と言われるんじゃないかとか、心のこもったアドバイスをもらっているようです。

さて、毎朝ベランダにスズメが来ます。朝の5時ぐらいから、おそらく2羽だと思うんですが、ずっとチュンチュン鳴いているので、家人が根負けしてコメを少しばらまいてやると、人の姿を見ていったん逃げ、いつのまにかもどってきてきれいにたいらげています。コメがあるときは黙って食べて黙って去っていくんですが、コメがないとチュンチュン鳴きまくる。ということは、あの「チュンチュン」は催促なんでしょうねえ。だんだん図々しくなってきて、1日に何度も来るようになりました。数時間おきにやってきて「おなかがチュいた」といっているのかどうはわかりませんが、とにかく鳴きまくっています。はじめのうちはフンもせず行儀よかったんですが、最近はフンもいっぱいするようになりました。近所の人から叱られるのではないかと少し心配です。

去年は小さなレモンの木にアゲハが卵をたくさん産み、青虫がいっぱい這い回っていました。あっというまに木が坊主になってしまって、食べもののなくなった青虫たちが集団脱走というか、ベランダを這い回りはじめたので家人があわててレモンの木を買いにいき、そのあいだに僕が青虫を捕捉したのですが、残念ながら新しい木には居着かず、全滅させてしまいました( 。-_-。)。今年こそは、無事羽化してくれるとうれしいのですが。

先日岡本教室に行くと、ツバメが飛び回っていました。もう春も終わりですね。いろいろなことが早く落ち着いて、平穏な毎日が戻ってきますように。座骨神経痛の山下の痛みもおさまりますように。

2021年4月 4日 (日)

梅安は緒形拳

弓の名手といえば那須与一。源氏と平家の「屋島の戦い」で、平家が立てた扇の的を見事射落としたことで有名ですが、それ以外のことについては詳しい記録がなく、ほとんど謎の人物です。さらに、このエピソードのあと、どういうことが起こったかもあまり知られていないのではないでしょうか。那須与一の腕前に感激したのでしょうか、舟の中から、50歳くらいの男が出てきて、扇の立ててあったところで踊りはじめます。伊勢三郎義盛に命ぜられた与一は男を射抜き、男はまっさかさまに落ちたとか。源氏方は、大いに盛り上がりますが、平家方は静まり返った、という、なんだか後味の悪い話です。

中国にも当然、弓の名人がいます。最も有名なのは李広でしょう。前漢の将軍で、三代の帝に仕えた名将です。匈奴と戦うこと、七十回以上と言います。匈奴からは漢の飛将軍と恐れられました。ただ出世にはめぐまれなかったようで、老骨にむち打って出陣しても後方に回され、道案内がいないせいで戦いに遅れて、大将軍に責められ自害してしまいます。この李広が若いとき、母を虎に食われ、必死になって虎を探し求め、弓で射たところ、実はそれは虎に似た石でした。「石に立つ矢」「一念岩をも通す」の語源ですね。三国志の名将、太史慈も弓の名人でした。孫策の配下として山賊の討伐をしていたとき、はるか遠くの砦で、山賊の一人が木を持って、孫策と太史慈を罵倒していました。太史慈は弓を引き絞って放つと、矢は賊の持っていた木に突き刺さり、さらに手の甲まで貫通していたそうですが、こちらの話はいかにもありそうです。

中島敦『名人伝』は、紀昌という男の話です。天下一の弓の名人になろうと志を立て、飛衛という人に弟子入りします。まず、瞬きをするなと教えられた紀昌は機織の台の下にもぐって、目の上すれすれのところで機が織られる様子を見つめつづけました。やがて、火の粉が入っても目をつぶらず、目を見開いたまま熟睡できるようになりました。ついには蜘蛛がまつ毛の間に巣を作ったとか。次に、視ることを学べと言われた紀昌はシラミを髪の毛でつなぎ、じっと睨みつづけます。シラミが馬のように見えるようになったとき、矢を放つと、シラミの心臓を貫きました。ほんまかいな。次は矢の速うちです。第一の矢が的にささると、続く矢が次々と前の矢の尻に命中し、百本の矢が一本に連なりました。しかし、紀昌は、飛衛がいるかぎり、天下第一の名手にはなれないと考えます。ついに飛衛を襲ってしまうのですが、飛衛も矢を放ちます。二人の矢は、お互いの真ん中で命中し合い、地に落ち、決着がつきません。マンガです。

飛衛は、紀昌の気持ちを新たな目標へ向けさせるため、ある老師を尋ねよと告げます。紀昌は、その老人に「不射之射」を教えられます。足元の石がぐらつく絶壁の上に立った老師は、見えない矢を、見えない弓につがえ、ひょうと放ちます。すると、トンビが一直線に落ちてきました。何年かのち、山からおりてきた紀昌の顔は無表情で、以前のような負けず嫌いの精悍な面構えはなくなっていました。天下一の弓の名人となって戻ってきた紀昌は「至射は射ることなし」と言って、弓を手にすることはありませんでした。死ぬ少し前のある日、紀昌が知人の家に行くと、ひとつの器具がありましたが、どうしても名前も用途も思い出せません。家の主人に尋ねると、主人は「古今無双の射術の名人が、弓を忘れ果てたのか」と驚きます。その後しばらく都では、画家は絵筆を隠し、楽人は弦を断ち、工匠は定規を手にすることを恥じたといいます。

弓矢にかかわる日本のエピソードとしては『大鏡』にある話が面白い。藤原道長が若い頃、めずらしく兄道隆の家に遊びに来ます。息子の伊周が弓の練習をしているところで、いっしょにやらないかと勧められた道長が応じたところ、伊周の射抜いた矢の数が道長に二本及びませんでした。道隆も周りの者も「あと二回、延長だ」と言うので、道長はこれにも応じるのですが、内心ムッとしたのでしょう、「道長の家から帝が生まれるものならこの矢当たれ」と言って射ると見事に命中します。そのあと伊周はびびってしまい、大きく的をはずしてしまいます。道隆家と道長家がどうなったか、その後の結果を知っているだけに、作り話だとしてもこのエピソードは興味深いものがあります。

道長には従兄弟にあたる公任は三船の才で知られる有名人です。いろいろな面で優れており、器用だったのでしょう。道長の父兼家が、おまえたち兄弟は公任の足下にも及ばないと嘆いたとき、みんなうなだれたのに、道長は「俺は公任の顔をふんでやる」と言いました。公任は中納言どまりでしたから、まさしく道長は公任の上に立ち、頭をふんだことになります。でも、兄貴たちだって同様に出世しているのですね。ただ道長のようなセリフが吐けなかっただけ。こういう有名人のエピソードはのちに大物になったからなるほどと思うのですが、出世しそこなった奴でも、同じセリフを吐いていたかもしれません。高校時代の同級生が、「芭蕉が見たのは美しい景色だけか。芭蕉だって旅の途中でドブ川を見たにちがいない。」と言いましたが、芥川の警句のようで、なかなか鋭い。彼が大物になっていたらこのことばも後世に残るのになあ。残念です。

父親が大事にしている桜の木を切って正直に謝ったワシントンのエピソードだって、よく考えればだれにでもありそうな、しょうもない話です。ワシントンが初代大統領になったから、このエピソードが有名になっただけでしょう。希学園でも数々の武勇伝を残している者がいますが、のちに有名人になったときにはエピソードとして語られるのかもしれません。こういうエピソードの使い方がうまかったのは司馬遼太郎です。本当かどうかわからない話でも、タイミングよく語られると、なるほどと思ってしまいます。秋山好古(テレビでは阿部寛)の「騎兵とは何か」を説明するときのエピソードを「余談ながら」とやられると、オオッと思います。語り口のうまさでしょうが、こういうのは池波正太郎もやはりうまい。真田太平記や中村半次郎のような歴史小説だけでなく、この人は仕掛人のシリーズや犯科帳などの時代物もうまかった。仕掛人の藤枝梅安が酒のあてにちょっとした料理をつくるのですが、これがまたおいしそうで食べたくなります。

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