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2021年5月の3件の記事

2021年5月19日 (水)

元は歌手

前回のダイイング・メッセージですが、いろいろな探偵がてんでに推理をするという設定でした。鼻は英語でノーズ、N・O・S・Eと書くので、犯人は「能勢」という人物かと思わせておいて、小切手の「わい・ご・じゅう・まん」がさかさまになっていることから、さかさまに読むと「まん・じゅう・ご・わい」つまり、「まんじゅうこわい」となって犯人は落語家と思わせておいて、「ジ・エンド」は「終わり」ということから、「まんじゅうこわい」の終わり、つまり「オチ」は「今度はこーいお茶が一杯、こわい」ということで、犯人は「加藤茶」と思わせておいて、アンパンマンの歌詞の最後の「愛とゆうきだけが友達だ」から、はるな「愛」と斎藤「佑樹」だけが友達だという人物かと思わせておいて、「きょうはくじょうがきた」は「今日は苦情がきた」と読めるところから、真犯人は小言幸兵衛だった、という、書いていてもしんどくなるネタで、大失敗でした。コント系に理屈は似合いません。

コントと言えば志村けんですが、早いもので、なくなってから一年以上たちました。なくなったときのニュースで、紹介のために「バカ殿」や「へんなおじさん」のキャラクターを例にあげていました。人の死という厳粛な事実にそぐわないので違和感がありますが、そういうキャラクターを演じていたのは事実なのだから仕方がありません。でも、ギャグとして「アイーン」というのがあることを紹介するとき、アナウンサーはどういう口調で読めばよいのか悩んだのではないでしょうか。本来笑いを呼ぶためのものなので、顔まで真似て、あまりリアルにやりすぎると、ニュースの内容とそぐわないものになってしまいます。結局、棒読みのような感じで読むしかなかったようですが、「へんなおじさん、へんなおじさん、そうです、私がへんなおじさんです」をメロディ付きでやるアナウンサーがいてもよかったのになあ。

同じように犯人のせりふをニュースでとりあげる場合、たとえば関西弁であるならアナウンサーはどういうイントネーションで読めばよいのでしょうか。関西ローカルのニュースで関西出身のアナウンサーならなんの抵抗もなく関西アクセントで読みます。ただし、どぎついことばの場合はややおさえ気味に。でも、東京の本局発信なら、あるいは東京出身のアナウンサーなら、あのヘンテコなアクセントで読むのでしょうか。前にも書きましたが、「河内」のアクセントは地元の人と共通語ではちがってきます。関西ローカルのニュースでは「現地音主義」を採用しているようですが…。インターネットの意味の「ネット」の発音は全国共通のようですが、網の意味のネットとはアクセントがちがうようです。「クラブ」も同様に意味によってアクセントが変わってきます。赤とんぼのアクセントが変わったように、時代によって変わっていくのも当然かもしれません。

信長、秀吉、家康などのアクセントは姓とともに読むときには二音目にあるようですが、姓を外すと平板になることがあります。これも時代による変化でしょうが、要は楽をしたいのでしょう。略語というのも、全部言うのはめんどくさい、楽をしたい、ということでしょう。ただ、志村けんはシムケンではなく名字のシムラのままだったのは、そういう時代だったからなのでしょうか。いかりやさんが名字で呼んだからか、子供たちがシムケン式の略し方を知らなかったのか。当時は「志+村」の形のものを「シム」と略すことはあまりなかったこともありそうです。せいぜい「カトちゃんケンちゃん」なのですね。「いかりや長介」も「イカチョー」とは言わない。でも、「ドリフターズ」はなぜか「ドリフ」でした。「全員集合」は「全集」とは言わないし、同じように「笑とも」「ひょ族」とは言わない。第一、「ひょ族」は言いにくい。

ところが最近はドラマのタイトルを強引に縮めることが当然のようになっています。発音のしやすさなどは関係なく、縮めるために縮めるのですね。「ロンバケ」とか「はな男」とか、結構昔からありますが、最近はほとんどがこのパターンです。「逃げ恥」とか「恋つづ」とか。こうなると隠語めいた要素もはいってきて仲間内のことばというニュアンスを帯びてきます。もっと言えば、縮めさせるために、わざと長いタイトルをつけているとしか考えられません。そういう「あざとさ臭」がぷんぷんします。中には、最初から「こんな風に縮めますよ」と、作り手側から発信している場合もあります。こういうのもギョーカイ語と言ってもよいかもしれません。あいかわらず私たちはもギョーカイ語に弱いのですね。

テレビの視聴率も昔は20パーセントを超える番組も多かったのに、最近では10パーセントを超えれば御の字のようです。この「パーセント」ということばを私たちはなんの気なしに使っていますが、たまに「パーミリオン」なんてことばに出くわすと、「パーセント」が「百分率」であることを意識させられます。「セント」が100であることに気づくと、ドルの100分の1が1セントであり、センチメートルがメートルの100分の1であり、センチュリーが100年であることに、あらためて納得させられます。「パー」はゴルフの「パー」と関係がありそうですし、「パリ」という地名も「パーリーズ」で「リーズ」という都市に対抗して名づけられたという説もあります。何で読んだか忘れましたが…。

ラテン語の本家ローマ帝国から見ればガリア、後のフランスなんて田舎でしょうし、ましてやイギリスなどは野蛮人「バルバロイ」の住むところだったのでしょう。「バルバロイ」は「バーバリアン」、「サベージ」となると、原始人ですね。これをグループ名にしていたバンドが昔ありましたね。「ザ・サベージ」と言いますが、そのボーカルが寺尾聰で宇野重吉の息子、これと仲がよかったのがブロードサイド・フォーの黒澤久雄で黒澤明の息子です。寺尾聰が「ルビーの指輪」で大ヒットしたことしか知らない人は、知ったかぶりして一発屋と言っていますが、同時に四曲メガヒットしていますし、活動歴から言えば非常に長い。舘ひろしだってクールズで永ちゃんのとりまきでした。吉川晃司だって下町ロケットの俳優と思われています。岸部一徳がGSのアイドルだったなんて信じられません。

2021年5月10日 (月)

北海道に移住したい

北海道に移住したいと思っています。いや、そういう予定があるわけではなく、移住するなら北海道がいいなあという、それだけの話です。(でもわたしのカンでは、近い将来、日本で快適に暮らせる土地は北海道だけになるはず。)

北海道出身の人ってすごく北海道のこと愛してるよなあと思います。他府県出身の人とは温度感がちがいます。誰しも郷土愛はあるんでしょうけど、北海道の人はおそらくそれが桁違いです。「今は大阪で暮らしてるけど、いつか北海道に帰りたいんだー」なんてことをいう道産子は何人も知っていますが、九州出身とか四国出身の人でそういうこという人少ない気がします(特に四国っすね。四国の人は四国愛が薄いような印象があります。とかいうと「四国に対して何かふくむところでもあるのか」なんて思われそうですが、そんなのあるわけがありません。私の父は愛媛の宇和島出身ですから四国のことはこよなく愛しております。でも、なんだか四国の人には四国アイデンティティのようなものが希薄です。北海道の人は「わたし道産子ですから」とかいいますし、九州出身の人は「おいどんは九州男児ですたい」とかいいますが(すいません、言いませんよね)、四国出身の人はそういうこと何もいいませんね。そもそも「道産子」とか「九州男児」「薩摩おごじょ」にあたるような表現もないんじゃないでしょうか)。

今現在北海道に住んでいる人も北海道のことが大好きですね。僕は大阪に住んでいますがたいして大阪のこと好きじゃないですから(嫌いでもありませんが、特に好きになる理由がありませんよね? あります?)すごいなと思います。だいぶ前のことですが大雪山を縦走したあと、旭川におりてくバスの中で会ったおじさん(おじいさん)も北海道愛が深くて、ちょうど東北の震災があった後でしたが、「福島の人はみんな北海道に来ればいい」とくりかえし熱く語っていました。そして、気温二十八度で「あついなあ、あつい、死んじゃうよ、あついなあ」とうめき続けていました。

そうなんです、愛はともかく、道民のおじさんてなんか根性ない感じがするんです。去年も北海道に山登りに行ったんですが、後方羊蹄山というコニーデ式のきれいな山(シマリスだらけ)をおりてきたら、でっかいキャンピングカーで登山口まで来ていたおじさんが「上、どうだった?」とか訊いてきて、「雨風強くて」と答えると、「どうすっかなあ、登ろうかなあ、どうすっかなあ」とぶつぶつ呟いたあげく去っていきました。根性nothing at allです。すみません、もちろん偏見です。

北海道は食べものがおいしいとよく言われますね。実際ほんとおいしいです。大阪よりおいしいとこなかなかないんですけど北海道はおいしい。大阪は素材がおいしいわけじゃないけれど北海道は素材がおいしい。ラーメンはどうでしょうか。これに関しては「いやたしかに北海道はいろいろおいしいけれど、ラーメンは博多に勝てないよね」などというと、北海道出身の国語科講師(神女コース)にむっとされること請け合いです。

しかし、私が北海道に移住したいと思う理由の第1位は、食べものではなく風景です。サロベツ原野なんて、あれ、日本じゃないですね。特急に乗ってぼんやり眺めているとうっとりします。うっとり→うとうとって感じですね。延々と同じ風景が続くので眠ってしまいます。

去年は後方羊蹄山に登り、礼文島を歩き、利尻山に登りました。ぜんぶテント泊でなかなかハードでした。今は、夜行の特急がなくなっていて移動がとても不便です。高校一年のときも北海道を一人で旅行したんですけど、その頃はどこに行くにもJRいや国鉄の特急に乗って夜眠っているあいだに目的地に着いたので便利でした。天北線なんてローカル線があった頃です。去年は感染症の流行で夜行バスも運休していたので、計画が立てづらかったです。羊蹄山に登ったあと電車で稚内まで移動しましたが、深夜の到着だったので、朝の船便までやむなく野宿しました。 野宿! (10m+n)歳にもなって、やることが若いです。

礼文島の風景がまた破格の美しさです。少なくとも夏は(冬は風景はともかく過ごすのがつらそう)。高校生のときもほんとうに美しいところだと思いましたが、再訪して、記憶に違わぬ美しさに感激しました。もう北海道に住むしかない!と思い詰めて帰ってきましたが、冷静になってみると、私は中学受験の国語講師しか出来る仕事がないので、移住は難しそうなのでした。

2021年5月 2日 (日)

かったるい劇

仕掛人のような、いわゆる正義のヒーローとは対極の位置にいる人物を主人公にしたものをピカレスク・ロマンと言います。たとえば勝新太郎という人がやっていたのはまさにそういう感じです。この人の場合、きっかけになったのは『不知火検校』という作品です。もともと宇野信夫が中村勘三郎のために書いた歌舞伎芝居ですが、「検校」というのは盲人の役職の最高位で、のちの「座頭市」シリーズの先駆けと言ってよい作品でした。

アウトローを主人公とした作品では浅田次郎が有名です。「天切り松 闇がたり」のシリーズなどは言うまでもなく、うまい。留置場の中で、六尺四方にしか聞こえないという声音「闇がたり」で物語る「義賊」の話です。江戸っ子の語り口もさることながら、さりげなく登場する有名人たちが華やかで面白い。永井荷風や竹久夢二などは時代背景からもなるほどとうなずけるのですが、清水の小政まで出てきます。単純な勧善懲悪ものよりも、もっと大きな悪を懲らしめる、こういった悪漢小説のほうがわくわくします。

芝居でもこのジャンルは「白波物」とわざわざ名付けて確立されています。鼠小僧もこういう話からヒーローになっていったわけですし、『三人吉三』や『切られお富』、河内山と直侍の『天衣紛上野初花』などが有名ですが、なんといっても『白浪五人男』でしょう。大阪でやったとき、弁天小僧役の勘三郎の体調が良くなく、橋之助が代役になったのは残念でしたが、もう仁左衛門になっていた孝夫が日本駄右衛門をやったのは満足でした。「稲瀬川勢揃いの場」は、番傘を持った五人の男が順に名乗りをあげ、七五調の台詞を連ねて見得を切る、まさに歌舞伎の様式美の代表と言えます。『秘密戦隊ゴレンジャー』はこのパクリだとか。

映画でも泥棒や詐欺師を主役にしたものがよくあります。『黄金の七人』は、スイスの銀行の金庫にある大量の金の延べ棒を盗み出す話です。「教授」と呼ばれる男の指揮のもと、七人の男女がすばらしい「チームワーク」で見事成功させるのですが、さらにそのあと、その黄金を巡って、騙し合いの連続になっていく、というなかなかスリリングな展開で、『ルパン三世』にも影響を与えているという説も…。ジェフリー・アーチャーの『百万ドルをとり返せ!』にも教授が出てきますね。 詐欺で大金をだまし取られた教授たち四人の男が、それぞれの専門や技術を使ってだまし返して、百万ドルをとり返すという話です。

だましだまされて二転三転するストーリーのものをコンゲームと言います。『ミッション:インポッシブル』などもコンゲームですが、この「コン」は「コンフィデンスマン」つまり詐欺師のことです。そういう意味で忘れてはならないのが、映画『スティング』ですね。若い詐欺師が師匠とともにチンピラから大金を巻き上げるのですが、その金はもともとギャングの親分のものだったので、師匠は殺されてしまいます。若い詐欺師は伝説の詐欺師と出会い、ともに復讐しようとしますが…。細かい部分は忘れましたが、最後のどんでん返しが鮮やかで、だまされる快感を味わえます。演じていたのは若き日のロバート・レッドフォード、伝説の詐欺師はポール・ニューマンでした。

戦後の混乱の時代に、光クラブ事件というのがありました。東大生社長による金融犯罪として有名で、同じ時期を東大で過ごした三島由紀夫も『青の時代』という小説にしています。同じ事件に基づいた高木彬光の『白昼の死角』は経済ミステリーのさきがけとも言えるでしょう。映画では夏木勲が主演でした。主題歌は宇崎竜童の『裏切りの街』で、これもよかった。テレビで渡瀬恒彦主演でやったときも同じ主題歌でした。高木彬光の生み出した名探偵、神津恭介はもはや忘れられているかもしれません。『刺青殺人事件』のトリックは魅力的でした。ただ高木彬光は文章がいまいち。とくに台詞回しが芝居じみていて、今読むとつらいかも。

でも、この人はチャレンジ精神あふれる人で、『破戒裁判』は、ほぼ全部が法廷場面だけというものだし、『成吉思汗の秘密』や『邪馬台国の秘密』は安楽椅子探偵の日本での走りみたいなもので、「墨野隴人」のシリーズとなると完全に安楽椅子探偵です。これは「ホームズのライバルたち」の一人として登場した「隅の老人」のもじりで、この老人は本名も職業もわかりませんが、店の隅の席に座って、チーズケーキを食べながら迷宮入り事件の推理をするという「探偵」です。「墨野隴人」のシリーズの中でも『大東京四谷怪談』は怪談とミステリーの融合をねらったものでした。超自然的なオカルトと論理を重んじるミステリーは、本来相容れないはずですが、そこを強引に結びつけるという力技を見せる作品です。

同様にSFとミステリーも両立しにくいはずです。犯人が四次元空間を利用してしまうのでは、アリバイもなにもあったものではありません。でも、SF的状況のトリックをSF設定の中での論理によって謎解きすることにチャレンジしている作品は意外にたくさんあります。笑いとミステリーも、意外に相性がいいようです。三谷幸喜などはミステリーが大好きなようで、古畑任三郎のシリーズは言うまでもなく、クリスティの作品を日本に移して、野村萬斎主演のドラマも作っています。

同じ笑いでも、コントになるとミステリー仕立ては、理屈の部分をどう処理するかが問題になりそうです。合格祝賀会の劇で、推理ものをしたことがあります。謎はダイイング・メッセージにしました。被害者はうつぶせに倒れており、右手は不自然な形で自分の鼻のあたりに、左手には「きょうはくじょうがきた」と書かれた紙切れがにぎられていましたが、それらしき脅迫状は発見されませんでした。頭のあたりには「¥五十万 The End」と書かれた小切手が反対向きに落ちていました。さらに、アンパンマンの携帯のストラップがちぎれて転がっていた…というムチャクチャな設定ですが、やはりこのあたりは見ている子供たちには、かったるかったかもしれません

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