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2023年6月20日 (火)

とらぬツチノコの皮算用

ムカデ退治の話をもう少しくわしく書くと、秀郷が琵琶湖の瀬田の唐橋を通りかかったところ、大蛇が横たわっていたのですね。土地の人がこわがって近づけないのに、秀郷はムシャムシャと大蛇を踏んでいきます。大蛇はあなたのような強い人を待っていたと言います。大蛇は竜宮に住んでいて、琵琶湖がその出入りに使われていたという設定です。自分の一族が三上山の大ムカデに苦しめられているので助けてほしい、と大蛇に言われた秀郷は退治に行きます。なかなか倒せなかったのですが、思いついて矢にツバをつけて放つと見事に命中します。ムカデはツバが嫌いということらしい。

実は、昔からツバには呪力があることになっているのですね。西洋でもツバを吐きかけて竜を倒す話がありますし、キリストも目の見えない人を開眼させるときに目のところにツバをつけています。ツバと言うと汚らしく感じられますが、実は神聖なものなのです。「眉にツバをつける」と狐や狸にだまされません。傷ができたときに、「ツバでもつけとけ」と言うのも、もともとは冗談ではなく、傷を治す霊力があると思われていたのかもしれません。がんばるときに手にツバを吐きかけるのもツバの霊力を頼みにしている可能性もあります。不浄なものにツバを吐きかけるのも同じ理屈でしょうか。聖なるものではないからこそ「唾棄すべき存在」なのかもしれません。

さて、秀郷はお礼に大蛇からいろいろなものをもらいますが、米の尽きない俵ももらったので「俵藤太」になったということになっていたような。竜宮にも招かれて、なぜか釣鐘をもらい、秀郷はこれを三井寺に奉納します。後日談になりますが、武蔵坊弁慶がこれを比叡山にまで引きずって持ち帰ったところ、鐘をつくたびに、三井寺に帰りたくて「いのういのう」と鳴ったという伝説があります。腹を立てた弁慶は怒ってその鐘を谷底に投げ捨てたとか。「弁慶の引きずり鐘」として、いまだに三井寺に残っており、見ることができます。そのときのものと言われる傷跡もついています。

源頼政は平安末期、田原藤太は平安中期で、ともに古い時代なので、妖怪退治をしても不思議はないような気もします。ところが、もう少し時代が下って、桃山時代にも妖怪退治をした武士がいます。その名も岩見重太郎。小早川家の家臣だった父のかたきを討つため諸国を武者修行したことになっています。剣豪の後藤又兵衛、塙団右衛門とも義兄弟の契りを結んだことになっています。その道中、なんと「ヒヒ」を退治するのですね。武士がいけにえをとる神にいきどおり、身代わりとなって退治する、というパターンの伝説は、日本全国に散らばっています。その武士が全国を武者修行しているという設定になることが多いので、岩見重太郎が選ばれたのでしょう。舞台となった場所は石見国とも美濃国とも言われますし、富山県にも山形県にも伝説が残っていますが、大阪という説もあります。

私の家の近くに「住吉神社」というのがあります。足利義満創建ということになっていますから、なかなかの神社です。このあたりはむかしから風水害になやまされてきました。あるとき、神様のお告げがあり、「毎年、決まった日に白羽の矢が立った家の娘を唐櫃に入れて夜中に神社に放置せよ」ということになりました。その七年めに武者修行中の岩見重太郎が通りかかります。「人を救うはずの神様が人身御供を求めるのはおかしい」と言って、自ら唐櫃の中にはいります。翌朝、村人が神社に向かうと、血の跡がとなりの村まで続いており、そこには大きなヒヒが死んでいた、というお話です。ただし、ヒヒではなく大蛇だったという説もあります。今でもその神社では「一夜官女祭」という祭事がもよおされ、氏子の中から七人の女の子が選ばれて行列をします。大阪人である司馬遼太郎の初期の短編にも、この祭りをモチーフにした作品があり、そこそこ有名な祭りです。

ちなみに、岩見重太郎は天橋立で仇討ちを果たしたあと、薄田隼人と名を変えて豊臣家に仕えたことになっています。二人は別人だという説もありますが、なぜか昔からそう言われています。薄田隼人正兼相は大坂冬の陣で城の守備を任されていたのに、遊びに行っている間に落とされ、「橙武者」とあだ名をつけられました。飾りになるだけで何の役にも立たないという意味で、前半の豪傑ぶりはどこへやら。ただ夏の陣では前線で戦って、後藤又兵衛とともに見事討ち死にしています。

江戸時代になっても、妖怪退治の話は結構あります。『稲生物怪録』という本があって、「いのうもののけろく」と読むのでしょうか、稲生平太郎という若い武士が体験した話が元になっています。ただ、いろいろな形の本が伝わっており、はっきりしないことも多いようです。肝試しに行ったことがきっかけになって、一カ月の間に体験したいろいろな怪異が語られるというもので、興味を持った人としては平田篤胤から泉鏡花、折口信夫、最近では荒俣宏、水木しげる、京極夏彦などなど。平太郎の子孫は現存しているらしいので、平太郎自身の実在は間違いないのですが、話があまりにも奇抜すぎます。雲を突くような一つ目の大男だとか、髪の毛で歩き回る首だけの女の妖怪とかが現れるようなストレートな話やら、スリコギとすりばちが跳ね回ったり、部屋中がベタベタして布団が敷けなかったりするような、「ラップ現象」的なものやら、バラエティに富んでいます。最後には妖怪の大魔王が出てきて、平太郎の豪胆さには感動したと言って去って行きます。荒唐無稽もきわまりないもので、いくら江戸時代人でも信じたのかどうか疑問ですねえ。

こういう化け物をやっつける話の最初と言えば、やはり「八岐大蛇」を退治する話でしょうか。西洋でもドラゴンを倒す話というのはよくあります。こういう話は何がもとになっているのでしょうか。ひょっとして巨大な野生の動物を倒した原始人の記憶なのか、はたまた古代生物の生き残りがいて、それを倒したような伝説があったのか。「ネッシー」などはそういうものだったかもしれません。「UFO」に対して「UMA」というのがあります。未確認動物ですね。ネッシー以外にもイエティとかビッグフットとか有名なものがいくつかあります。クラーケンなんかも含まれるのでしょうか。そういえば、ツチノコはどうなったのでしょう。捕獲した人への懸賞金って、まだ続いているのかなあ。二億円出すというところもありました。百万円出すという土地で見つけたら一億九千九百万円の損?

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