国語科講師からのリレーメッセージ⑨「字がていねいだと得か」
第九弾は栗原trで~す。
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栗原です。茨本先生からの「あたりまえ」というバトンを握って、ひさしぶりに記事を書いてみました。
「あたりまえ」の反対は「ありがたい」なんていうのはもう「ありきたり」なので、今回は、こういう「あたりまえ」を検証してみます。「あたりまえ」だとだれも理由を説明してくれないし、深く考えようとせずに「あたりまえ」だから従わなければいけない、という風潮もありますから。
字がていねいだと得か
自慢ではありませんが、と書くと嫌みが増すので、いっそのこと正直に自慢しておきますが、私は字がきれいだとよく言われます。自慢です。いや、自慢しなくてもかなりの方がほめてくださるので、わざわざ自慢する必要もありません。自慢しなくてもほめられる! これはある意味「究極の自慢」と言えるのではないでしょうか。
そもそも自慢というのは自分から自分の良さをアピールする「広告宣伝」ですから、「広告費用」が要ります。この場合の「費用」というのはお金のことではなく、友人との会話の中で自慢するチャンスをさがしてしゃべったり、SNSなどに人がうらやむような幸せな写真をアップしたりする「手間」「労力」だと思ってください。
人間、他人の自慢はなかなか受け入れられません。素直に受け止めて「おめでとう!」「うらやましい!」とはなかなか言えないし思えないものです。ですから、自慢は往々にして、失敗します。効果ゼロどころか、逆効果ということもしばしばあります。
しかし、美しく字を書けば、何も言わなくても「広告宣伝」が自然なかたちでできます。字が美しく書けるというのは、それだけで「この人はちゃんとしているな」と思わせる説得力があります。少なくとも、だれからも、だらしない人とは思われないでしょう。
字がきれいだと得か。その問いには、上の理由で「得です」と答えておきます。国語の先生を長年やっている私の実感です。これはほかの職業の人なら、より「得」を感じることになるはずです。
国語の先生だから字がきれいで当然だという考えもあります。ということは、「意外性」はないわけです。これが、算数の先生だったらどうでしょう。もっと職業をちがうものにして、字を書くこととあまり縁のない職業だったらどうでしょう。字を書く機会が少ないわけですから、「宣伝」する回数が少ないわけですが、一回の宣伝効果を考えると、意外性が高く、効果は抜群でしょう。
別に得なんかしたくない、それより字の練習をする労力がもったいない、という人もいるでしょう。また、字なんて読めればいい、という考えも、根強くあると思います。そういう人への反論・説得として次のようなことを挙げておきます。
味が同じならば、より美しく見える料理や盛りつけのほうが値打ちが高くなります。付加価値です。車だって、乗れればいい、速く走ればかっこわるくてもいいと思う人は少ないでしょう。服ならどうですか? 暖かければ、体をかくすことができれば、それでいい、と思う人はさらに少ないでしょう。
サン=テグジュペリ「星の王子さま」の第4章に出てくるトルコの天文学者の話を紹介しましょう。王子さまの星である小惑星B612を発見したこの天文学者は、学会でB612の発見について発表しました。しかし、そのときトルコ風の民族衣装を着ていたために、ほかの学者たちから信用されなかった。その後、もう一度ヨーロッパ風の、立派な背広を着て発表をしたら、ようやく認められたという話。この話よく考えたらトルコに失礼ですよね。「世界三大料理」と言えば中国料理・フランス料理・トルコ料理というくらいで、世界屈指の古さを誇るトルコ文化なのに!
話が横道にそれました。「おとなは、本質的ではない、見かけなどをたいせつにして、ほんとうにだいじな、目にみえないことには興味がない」というこの本で書かれていることとは逆なのですが、私はこの部分を読んで「見た目はやはり大切だ」と思ってしまいました。立派な印刷で書かれた文章は、やはり訴求力があります。
もちろん、手書きのチラシなどにも味はあります。でもそれは、世の中が美しく整然と印刷された文書ばかりになっているからこそ、下手な字、素朴な字が目立つのでしょう。いわゆる「逆張り」というやり方です。でも、素朴な字をわざと売りにするのはおかしい。そういうやり方をする人は「みんな今外出をひかえているから、逆にどこも空いているはずだ!ヤッホーどこに行こうか」なんて考える人、みんなと逆のことが好きな人、子どもの時からあまのじゃくが治らない幼稚な人、のように私には思えるのです。
ここまで書くと、「字がきれいなほうがいいのはわかってる。じゃなくて、どうすればきれいな字になるの?」という質問の声が聞こえてきそうです。
「算数が得意になるにはどうすればいいですか」「長生きするにはどうすればいいのですか」「痩せるには……」「お金持ちになるには……」という質問に答えるのが難しいように、「どうすれば字をきれいに書けるようになるか」という質問に答えるのはとても難しいのですが、三つほど挙げておきます。
①まずひらがなを徹底的に練習する。
日本語では、読みやすい比率は、漢字3割ひらがな7割と言われています。実はひらがなのほうが多く出現します。ですから、まず先にひらがなを練習するのがいいわけです。これも、まんべんなく練習するのではなく、いくつかの字にしぼって、徹底的にその字だけをまず完璧に上手な字にするのがよいでしょう。日本語の文章でよく出現するひらがなは「い・か・ん・し」だそうです。「う」も多そうです。「い」については、左右の画をななめにする、右側を短くする、間を広めにとる、という三点を手に覚えさせればいいですし、「か」は、一画めと二画めを左に寄せてスリムに書き、三画めは間をあけて少し長めに書く、という注意を覚えればよいでしょう。「い・か・ん・し・う」のほかには、「で・す・れ・ろ」なども目立つ字なので、お手本を見つつ、練習にはげむことです。
②漢字は、右上のカドをきっちり角ばらせる。
これだけでもかなりきれいに見えます。試しに、口という漢字の右上のかどを丸めて書いてみてください。どんなにていねいに書いてもなんだかしまらない感じになります。門・田・日など、漢字の右上の部分はつなげて曲げることが多いですが、そのときにくるりっと丸めてしまう癖のある人は、「速く書こう」という気持ちがつよすぎて、カドの部分で一旦停止せずにコーナーをショートカットしてしまうわけです。一旦停止してきっちりカドを決めるだけで、きれいに見えるものです。
③「打ち込み」や「しなり」「隙間あけ」などをしない。
これらのテクニックは、よく「これであなたも美文字に!」なんていう安っぽい本に書かれているアドバイスです。「打ち込み」というのは、書き始めの部分をクニっと45度くらいに曲げて書くことで、毛筆などでは自然なのですが、鉛筆やペンなどの文字でやたらに打ち込みをしている文字をみると、下手な字を精一杯きれいに見せようという感じがして余計に下手に見えます。厚化粧の感があります。「しなり」も同じで、横画の真ん中の部分を上に反らせる書き方ですね。これもやりすぎると逆におしゃれではなくなります。素直にまっすぐ直線を書いたほうがいいです。歌の下手なひとのやりすぎビブラートみたいなものです。「隙間あけ」は、本来つなげる部分をあえて少し空けるという高等テクニックです。字のうまい人が、少し基本と反対のことをやるからいいのであって、これは字が上手になってから、遊びの要素としてやるべきです。初心者がやると「鵜のまねをするからす」「ひそみにならう」となってしまいます。
以上の3点を読んでいくと、「おしゃれ」に通じるものがあるとわかってもらえると思います。「おしゃれ」の極意は、見かけだけきれいにしようとするのではなく、相手をここちよくさせようという「おもてなし」の心だという話があります。相手が「読みやすい」というあたりまえの基本が大切ということです。私は服装のほうのおしゃれにはまったくもって自信がないのですが、すくなくとも「清潔感」だけは大事にしようと思っています。あえて人のやらないキテレツな服装を好む人もいますし、それはそれでいいのですが、字は声のことば以上に「あとに残る」ものなので、ていねいに、伝わるように心をこめて書くのがやはり「あたりまえ」のマナーだと思います。人としゃべるときの「声」も同じです。女性が電話に出るときに「一オクターブ高い透き通った声で」話し始めるのを耳にします。そういう、「よそゆきの声」みたいなもので、テストの答案や宿題プリントの字は「よそゆきの文字」「おしゃれな文字」で書いてみてほしいものです!
【この文章で出てきた、辞書で調べてほしいことば】
・検証 ・風潮 ・アピール ・往々にして ・説得力 ・根強く ・付加価値 ・屈指 ・横道
・訴求力 ・整然 ・素朴 ・まんべんなく ・コーナー ・ショートカット ・ビブラート
・鵜のまねをするからす ・ひそみにならう ・キテレツ ・オクターブ