対馬
高校2年生のときの担任が日本史の先生で、「対馬がすごく良い」と熱弁するので、友人と三人で夏休みに対馬に行きました。私の両親は割合あっさりと許可してくれましたが、M君はなかなか親を説得できず苦労していました。
「ソ連領だから絶対ダメだって言うんだ。」「おま、それ、千島とまちがえてるんじゃ」
誤解がとけると許可が下り、我々は喜び勇んでテントを背負って出かけました。しかし、実は私は直前の演劇部の合宿で激しい脱水症状に見舞われ(ノロにやられたときの比ではなく、あんなに吐いたのは後にも先にも経験がありません)、かなりふらふらの状態でした。
ところで、私が何で突然対馬の話をしているかというと、前回の(といってもはるか昔ですね)丹後半島の話で、「田舎の人は親切だ」ということを経験上知っていたということを書きましたが、まさにその認識の原点となる旅だったからなのです。
比田勝港で船を下り、厳原まで歩いたのですが、歩き始めてすぐに赤い車に乗ったあんちゃんに、「どこまで行くんだ、乗せてやろうか」と声をかけられました。
夕方になってテントを張る場所をさがしていたら、暇そうなおじいさんが村の人々が使用しているグラウンドまで案内してくれました。テント設営になれておらず、地面もかたくてペグダウンに苦労していたら、その辺でたむろって酒を飲んでいたらしいヤンキーな人たちが「何をしてるんだ」と近寄ってきて、すごい勢いでペグを地面に打ち込んでくれました。話を聞くと僕たちより一つ年下で、鉄工所で働いているとのことでした。
翌朝、何だか人の気配がするなあと思ってテントから顔をだすと、村の人たちがテントをぐるりと囲んでラジオ体操をしていました。
はずかしかったね、と言いながらまたもやてくてくと厳原に向かって歩いていると、向こうからスーパーカブに乗った人が近づいてきて、「君たち、昨日○×でテント張った人でしょう。おれ、ここに住んでるんだけど」と紙を渡してくれ、「近くに来たら連絡して。泊めてあげるから」と言って、Uターンして去っていきました。昨夜のおじいさんの息子さんだったのです。わざわざそれだけ伝えに、何十分もかけてスーパーカブでやって来てくれたのです。
その日テントを張ったのは神社のそばでしたが、あやしい三人組がテントを設営しているのを見た近所のおばさんが、クリームシチューの入った鍋を持って来てお裾分けしてくれました。
さらに翌日、図々しい我々はスーパーカブのお兄さんの家に泊めてもらいました。晩ご飯は皿うどんでした。おにいさんは病院の食堂で調理師として働いているとかで、とてもおいしゅうございました。風呂にも入れてくれました。朝ご飯はトーストにジャムをぬったものでした。
厳原の郵便局に立ち寄ると、局員さんが奥の部屋でアイスを食べさせてくれました。厳原のスーパーで買い物をすると、レジのおばさんが一本ずつ缶ジュースをくれました。
とにかく目眩がするほど親切なのでした。だれにも、何一つ、恩返しできていません。せめてこれから出会う人には親切にしたいものです。まあ、できる範囲で、多少は。