2012年3月 5日 (月)

入試分析会

明日3/6火曜日から、希学園の『入試分析会』が実施されます!

初日は、谷九教室での開催となります。

二日目は西宮北口のプレラホール、三日目は豊中教室、四日目が四条烏丸教室です。

今年も男子会場の国語の弁士は不肖わたくし西川が務めますが、ええ、もう、はっきりと断言してしまいます、ハードルが上がってもかまいません、言ってしまいます、

よその分析には負けません。

わかりやすく、深く、これからの勉強につながる「具体的な」分析、「さすが希学園」と感じていただけるお話を差し上げますので、塾生保護者の方も、そうでない方も、お誘い合わせのうえ、ぜひともこぞってお越しください。

ううう、緊張してきた。

ちょっと高飛車だったかもしれません。

あたたかい目で聞いてやってください。

「目で聞く」は変ですね。

あたたかい耳で聞いてやってください。

ますます変ですね。

うう。

2012年2月24日 (金)

体重②

 さて、高校2年の冬に65キロをマークした私の体重はその後も着実に増え続け、高校を卒業する頃には、71キロに到達していました。

 保健体育の最後の授業でデスラー総統(そっくりの体育教師)がにやにやしながら、「西川よ、おまえは高校を卒業して体育の授業がなくなったら半年でさらに10キロふとるだろう」と不吉な予言をしました。私がふとると予言したのはデスラー総統で二人目です。中学生のときの卓球部の顧問だったヨニエル(という元卓球世界王者そっくりの先生)も、私の脇腹の肉をつまみ、「ここに肉がついているやつはいずれふとる」と予言してくれました。まあこのヨニエルの予言は見事に当たったわけです。

 それにしても、生徒というのは、先生にろくなあだ名をつけません。先生にあだ名をつけるのは『坊っちゃん』の時代からの伝統で、つけられる当人はいやな気持ちもするかもしれませんが、あとで思い返してみても名作があるものです。むかし、頭髪の状態がフランシスコ・ザビエルに似ているというので「ジャビ」というあだ名をつけられた先生がいました。また、額の髪の生え際のかたちから「M」と呼ばれている先生もいました。大学のとき、某講座の先生は、ストッキングをかぶった銀行強盗みたいな顔をしているということで、「ストッキングマン」というものすごいあだ名を冠せられていました。

 僕は昔からあまりあだ名で呼ばれません。きっと親しみにくい人柄なんでしょう。名前からして「にしやん」とか呼ばれても不思議ではないはずですが、まったくそんなことはありませんでした。心斎橋のデパ地下でコロッケをあげるバイトをしていたときに、店の人たちになぜか「サムソン」と呼ばれていたのぐらいですかね。なぜ「サムソン」なのかはわかりませんでした。旧約聖書の知識なんかまったくない人たちだったんですけどね。でも確かにその頃の私はサムソンほどではありませんが、若干長髪でした。これは散髪代をけちっていたためです。今みたいな激安の理容店はほとんどありませんでしたから、1回髪を切ってもらうと経済的な負担がとても大きくて、髪の毛なんか伸ばしっぱなしにしていました。また、間のいいことにその頃長髪が流行ってたんです。テレビ見ていても男の歌手が髪を伸ばして背中で編んだりしていました。それを見て「これだ!」と思った僕も、伸ばした髪を後ろでまとめていましたが、髪ゴムの存在など知らず台所用の輪ゴムでとめていたために、いざはずすときになかなかとれなくて、いつも髪の毛を引きちぎりながらゴムをはずしていました。痛かったっす。

 それはともかく、「半年で10キロふとる」という不吉な予言を背に、私は19××年3月、高校を卒業し、仙台へと旅立ったのでありますが、前にも書いたように、仙台で暮らし始めて早々に自転車購入資金だった三万円が消えてしまい、毎日片道一時間かけて歩いて通学するはめになったうえ、混雑している生協の食堂に行くのがいやで毎日昼飯抜きの生活をしていたら、一ヵ月で8キロもやせてしまいました。

 しかし、私は賢くなかったので、毎日2時間歩いていることが体重激減の理由だとは気づかず、 「なるほど、食わなければ人間やせるもんだね」なんて言って、ますます食事を減らしたりしていました。食わなければやせるしお金も節約できるし言うことないよ、と思ってました。

 やがて、寮を出た先輩から自転車を譲り受け、歩いて学校に行くことはなくなりました。

 さあ、そろそろ強烈なリバウンドが始まるぞ。と、みなさんはお思いかもしれません。

 しかし、リバウンドはやってきませんでした。それどころか、さらに体重は減り続け、最も減ったときで57.5キロまで落ちました。そして、その後もかなり長い間、多少の増減はあったものの、おおむねスマートな状態を維持できたのです。なぜか? それはもちろん、何年もの間つねに極貧生活にあえぎ、ひたすら食べるものを切り詰めていたからです。

 ま、低血糖で動けなくなったりもしましたけどね。

(体重③へつづくかも)

 

2012年2月18日 (土)

体重①

冬は太りやすい! と私は思う!

冬は寒くて基礎代謝に必要な熱量が増大するからダイエットに良いなどというたわごとを聞いたことがありますが、私の経験では秋から冬にかけては明らかに肥えやすい!

 これはおそらく「冬ごもり」だと思います。「食欲の秋」などという怖ろしい言葉がありますが、確かに秋になるとむやみに腹が減ります。寒さが厳しく食料の少ない冬に備えて体が脂肪の備蓄を増やそうとしているからなんです、きっと。そしてこの傾向が、寒いあいだずっと続くんだと思います。だからふとってしまう。

 塾講師ならではの問題というのもあります。1月の受験シーズンは生活が不規則になりやすく、睡眠不足が続くため、食欲のリミッターがあっさり壊れてしまうんです。子どもたちの第1志望校・第2志望校の受験前日に電話かけをしますが(「おやすみコール」と呼んでいます)、実はあの電話をしているあいだもずっとおやつをつまみ食いしたりしているわけです(しゃべりながら食べているわけでありませんが)。
 そんなわけで入試が終わる頃にはめっきり体重が増えていたりします。

 思えば、私がはじめて太りはじめたのも冬でした。高校2年のときでした。忘れもしない期末テスト直後の休み、一週間で4キロ太ってしまったんです。たしか61キロ→65キロだったかな。そのときは事態の深刻さに気づかず、人間ふとればふとるもんだなアハハと笑っていたんですが、高校3年になって恐ろしいことに体育の授業で柔道をやることになっちゃったんです。デスラー総統に似た体育の先生が、「重量級・中量級・軽量級の三階級に分けて、階級別に総当たり戦をやる」などと意味不明のことを言い出しちゃって。たしか66キロ以上が重量級で、野球部とか剣道部とか陸上部とかの猛獣のような輩がうようよいるんです。そのころしばらく体重を量っていなかったんですが、明らかに昨年の冬よりもふとってましたから、このままではまちがいなく重量級行きなんだけど、私は身体訓練をまったくしない怠惰な演劇部員ゆえ、そんなことになったら身がもたないよと。少しでも体重を軽くするため、柔道着をぬいで体重計にのろうとしたら、デスラー総統に「西川、ずるをするな」と言われ、泣く泣く柔道着を手にはかりにのりました。すでに66キロなんて余裕で突破してましたね。

 いや~投げとばされた投げとばされた。野球部のY君ていうのが強かったですねえ。組んだ瞬間ふわっとからだがういて、きれいにひっくり返されたんですが、一瞬何が起こったかわかりませんでした。ぼんやりしていたら、デスラー総統が上から僕をのぞきこみ、にやりと笑って「いっぽん」。強引な投げじゃないところが、Y君の運動神経の良さを物語っていました。一方陸上部のなんとかってやつはやたらと足払いをかけてくるんですが、あまりうまくない。うまくないので、単に蹴られているのと同じでひたすら痛い。アントニオ猪木の「アリ・キック」と同じです。

 アリ・キックはご存じでしょうか。アントニオ猪木が「異種格闘技戦」と称してプロレスラー以外の格闘家とたたかった一連のシリーズがあるんですが、モハメド・アリという伝説的に強かったボクサーとたたかったときに、アリのパンチをくらわないようにひたすらねそべってアリの足を蹴りまくったんです。それが「アリ・キック」です。

 アリ・キックといえば、中学生のときにY本くんというアントニオ猪木ファンがいました。不良というほどではないですが、どちらかというと、スポーツマンでも勉強家でもなく、若干グレた感じの少年でした。根は悪いやつじゃなかったですけどね。ただ、この人が、突然アントニオ猪木になりきってしまうという悪い病気をもっていてですね、まさに猪木の霊が憑依したかのように、不意にビンタをかまして挑発してくるのです(猪木が対戦相手のプロレスラーを挑発するのによくビンタしてました)。しかしですね、挑発されても困るんですよ。僕はべつにY本くんとたたかいたくないわけです。ていうか、今の今まで平和におしゃべりしていたはずなんです。けれども、いったん猪木の霊がのりうつったY本くんには言葉は通じず、僕が挑発にのらないとみるや、今度はアリ・キックです。ほんと迷惑でした。

 1度だけキレて、やり返しました。ビンタを。それでY本くんはすっかり燃える闘魂と化し、さらなるアントニオ猪木の必殺技「卍固め」を僕に決めようとしてくるんですが、あの技はですね、はっきり言ってしまうと、敵が協力してくれないと決められない技なんですよ~。Y本くんは完全にキレてしまって「西川、腰を落として左手を出せ」「いやだよ~」「文句言うなボケ」などという白熱しない戦いが繰り広げられました。

 さて、そんなある日、そんなY本君が、恋をしてしまいました。タリラリ~(『ある愛の詩』より)。

 相手は同じクラスのN田さんという、小柄で色白のかわいい女の子です。しかし、中学生の初恋ですし、アントニオ猪木がのりうつっていないときのY本君はシャイなナイスガイですから、打ち明けることもできません。切々とした恋心を聞かされた悪魔のような私は、(今こそビンタとアリ・キックと卍固めの恨みを晴らすとき!)と思ったわけでもありませんが、「Yっさん、ここはひとつ思いきって打ち明けるべきだぜ、愛とは決して後悔しないことだしさ、だいじょうぶ、Yっさんならいけるって」と何の根拠もないことをぺらぺらと吹いてそそのかし、Y本君もすっかりその気に。

 その後Y本君はN田さんをどこかに呼び出して愛の告白をしたらしいですが、残念ながら不調に終わりました。Y本君はその悲しい顛末を、親身になって相談に乗ってくれたと信じている悪魔のような私に涙ながらに語ってくれましたが、私の顔がだんだんにやけてくるのを見て、またしてもアントニオ猪木に変身してしまうのでありました。

「体重②」につづく。

2012年2月11日 (土)

ふつう の考察

お久しぶりの栗原でございます。

「ふつう」という言葉の意味が変わってきているようです。

 「ふつうにかっこいいよね」

 「これ、ふつうにうまくね?」

などと使うようですが、(若者言葉として)これで正しいのか自信はござりませぬ。

当然、「普通」なのだから、

「標準的な格好良さですね」

「標準的でとりたてておいしいとはいえないのではないでしょうか?」

という意味で使っていると判断したくなるのですが、どっこい違うようなのです。

「かなり格好がよい」「かなりおいしくておどろいた」と彼等は使っているのです。

なぜ「ふつうに」が、「かなり」「けっこう」のような強意の表現として使われるに至ったのか。

国語講師としては興味のあるところです。

 若者は「まじめ」 をカッコワルイと感じる。(むろん逆の人も多いですが)

 なので、わざと「自分を悪くみせる」ことが多い。

 いきおい、若者の基本行動指針は「反体制・反主流」となりがち。

 とはいえ、反発ばかりするのも幼稚だとはうすうす気づいていたりする。

 そこで、時には「普通に」ふるまってみることもある!

 例 今日は「普通に」おふくろに「ありがとう」って言ってみる。

 例 最近「普通に」バイト先で明るくあいさつしてみる。

そう。若者にとっては「普通」こそが特別で、エスペシャリイにすることなのだ!

 私のあくまで個人的経験に基づく観測では、

  「フツーに」と言っている若者は

  「正直に告白すると」

  「思い切って言うと」

  「本心から言うと」

  「かざらずに言うと」

  「ストレートに言ってみると」

 のようなニュアンスで使用しているにちがいない!

 と思うのですがいかがでしょう。

 若者たちは

 「普通の子である」「普通に大学行ってサラリーマンになる」

 ということを少し低くみつつ、でも内心は憧れてもいる。

 とここまで書いてみて、実は若者だけが「普通に」対して普通でない感情を持っているわけではないような気がします。

 日本人は横並びが大好きというのは、受験国語の文章でよく出てくる主題です。

 テレサ・テンの名曲「時の流れに身を任せ」にも「普通の暮らし」ということばが出てきて、

 平凡で普通の生活への憧憬は日本人ならずとも持っているはずです。

 そういう微妙な心理が「フツーにおいしいよね」という表現に込められていたとしたら、

 若者言葉も捨てたものじゃありませんね。ふつーにすげえ。

 

2012年2月 4日 (土)

エジソンの父は発明の父の父

毎年恒例で、入試があったことも関係ないかのように前回のつづきです。わらじは「一足」「二足」と数えるのですね。つまり、はきものの場合の助数詞は「足」ということになります。では、手袋はどうなるんでしょう。「一手」「二手」とは言わない。昔から言わん、いまだに言わん、これ一つの不思議、なんの不思議なことがあるかい、橋無い川は渡れん、渡るに渡れんことはない、船で渡るか泳いで渡るか、それではことが大胆な、ほたら一体どうせぇっちゅうねん、というのは「池田の猪買い」という落語です。ここで橋のことを言ったのは脱線ではなく伏線なのですが……。まあ手袋の場合も「一足」ということがあるようですが、なにか変なので無難なところでは「一組」とか「一対」なのでしょう。

だいたい助数詞というのは難しいようです。ひらたいものは「一枚」「二枚」ですが、新聞となると、「部」や「紙」という助数詞も登場し、日本語を習いたての外国人は使い分けに悩むところでしょう。細長いものは「本」ですが、へびは「一本」「二本」とは言いません。細長くないくせに電話や映画でも「一本」ということがあります。むかしの手紙は細長いと見ることもできそうなので、手紙なら「本」はなんとなく納得です。電話も、その関連から来ているのかもしれません。お金で「一本」というのは何でしょう。「報酬はいくらだ」「まず一本というところだな」なんてドラマでもよく見るシーンですが、これはいくらでしょうか。むかし九十六文の穴を通してまとめると百文として使えたというところから来ているのなら「百」ということかもしれません。ということは百万か。いまの時代なら一けた上がって一千万円でしょうか。ひょっとして「一本」は指一本のことかもしれない。そうすると、一万円? 「一本」とは言うけど「二本」とか「三本」とか言っている場面は見たことがないので、助数詞ではないのかも?

いずれにせよ「本」というのは不思議な助数詞です。書物の「本」を「一本」「二本」と数えないのも不思議ですが、上に来る数字によって読み方が「ほん」「ぼん」「ぽん」と変わるのも外国人泣かせでしょう。二・四・五・七・八・九は「ほん」、三は「ぼん」一・六・十は「ぽん」です。促音便の「っ」になると「ぽん」になるのはわかります。「八」も「はっ」となれば「ぽん」です。ところが、「さん」のときは「ぼん」なのに「よん」は「ほん」になるのは変です。「三」はsanではなく古くはsamと発音していたようなので「三位」は「さんみ」になりますが、「よん」は新しい音で、yonなのかもしれません。そのちがいでしょう、たぶん。京都には「橋」があるが大阪には「橋」がないという話があります。ここで伏線が生きてきた。三条大橋や四条大橋は「おおはし」ですが、天満橋、天神橋、心斎橋、戎橋は「はし」ではなく「ばし」だという、しょうもない話です。「八百八橋」というのも「ばし」です。

話を助数詞に戻すと、蝶々を「一頭」「二頭」と言うのはいやですね。魚や鳥以外の動物は「頭」と言うのだという考え方もあるようですが、一般的には小さな動物は「匹」です。一説には、蝶々の愛好家が自分たちのあがめる蝶々は他の凡百の昆虫とはちがうのだから差をつけようとして「頭」と数えることを主張したとか。兎が「一羽」になり、いかやたこが「一杯」となったりするのも面倒です。いっそのこと、名前を助数詞とするのはどうでしょうか。一ゴリラ、二ゴリラとか。でも一アフリカイボイノシシ、二アフリカイボイノシシなんてなるとつらい。リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシっていうのもありましたが、あれは植物でしたか。あまり長いと不便です。寿限無になってしまいます。逆になんでもかんでも「個」にしてしまうのもどうかと思います。「年が一個上」なんて言い方はちょっとなあ。

人は「ひとり」「ふたり」でそれ以上になると「三人」「四人」です。ところが死ぬと「体」になるのはおもしろい、というのは不謹慎でしょうか。死体は「一体」「二体」です。では幽霊はどう数えるのでしょうか。知り合いの専門家(?)は「あんたの家の向いの二階の窓に五体浮かんでる」と言っていましたが、やはり「体」なのでしょうか。神様になると「柱」ですが、唯一絶対神の場合はどうなのでしょう。唯一なのだから助数詞は必要ない? 日本の神はよく「八百万」と言います。つまり、「やおよろずばしら」の神がいることになります。ほぼ大阪府の人口に等しく、東京都の人口の三分の二ぐらいですね。ということは、八百万の神がすべて東京に住んでいる(住んでいるというのも変ですが)とするならば、三人に一人は神様ということになります。歩いている人に「おまえ、神様?」と尋ねたら、三人に一人は「うん、おれ神様。おたくも?」ということになります。

日本の神様がどれぐらい多いか、こういう風に言われると理解しやすい。よくあるのが、「東京ドームにたとえると」というやつです。テレビでよくやっていますね、大きさや広さを感覚的にわかってもらうために。関西人にはいまいちピンと来ないのが残念です。「甲子園にたとえると」と言われたら一発です。この前テレビでやっていたのは、外国に取材に行って、日本人のレポーターが「広さを東京ドームにたとえるとどうなりますか」と聞いたら、現地の人が「東京ドームなんて知らない」と言ってました。ザマミロと思いましたね。「このステーキ、一万円」と言われると、高いなあとは思うけど、どれぐらい高いかは感覚的にはわかりにくい。ナイフで切って、一切れ千円、一かみ五百円、なんて思うとよくわかる。山下清の「兵隊の位で言うと」というのも、どれぐらいのレベルのものなのか、わかりやすくなります。ただし、兵隊の位を知らないとどうしようもありませんが。「東洋のパリ」とか「だれだれ二世」というのも、元のものにたとえてよく似ているか同じくらいのレベルにあるという意味なのでしょう。ただ、実際にはみんなレベルダウンしてしまっているのがかなしい。「発明の父」というようなたとえもよくあります。では、「発明の父の息子」は「発明」なのか、という屁理屈をこねる人もよくあります。

2012年1月24日 (火)

点と線、と面

もうどなたも覚えていらっしゃらないにちがいない前回の予告にもかかわらず、ずるずると遅くなってしまいました。

「年末ぐらいには、いっちょ書きためておいた文章をババーンと掲載するか!」などと思っていたのですが、年末は入試対策第Ⅱ期の準備でなんだか落ち着かず、「しかたない、年が明けたら年始の挨拶をかねていっちょババーンと」と考え直したものの、正月はプレ入試の嵐が吹き荒れて慌ただしく・・・・・・というわけでずるずるしているうちにあまりにも入試が近くなり、のほほんとした緊張感のない文章を載せるのは気まずいなあと思って、さらに先延ばしにしてしまいました。

さて、入試はまだ完全には終わっていませんが(首都圏はこれからだし、関西もまだ続いています)、一応、一段落ついた感じにはなっています。

しかし、あれですね、僕が小学生のときに比べるとみんなすごく賢いし頑張り屋ですね。ほんとにえらいです。「何も小学生のうちからそんなに勉強させなくても、小学生はもっと遊ばせなきゃ・・・・・・」なんて言う人も世の中にはいるみたいですが、よく考えたら、十歳ぐらいの子が遊び惚けていたのなんて、昭和三十年代からこっちの話で、江戸時代の武士の子だって、町人の子だって、お百姓の子だって、結構いろいろ頑張っていたんじゃないですかね。「鉄は熱いうちに打て!」ですね!

◇◆◇

さて、それではだいぶ前に書いた文章ですが、どうしようもなくひまでひまでたまらないという人(そんな人はいないかもしれませんが)の暇つぶし用にどうぞ。

◇◆◇

以前にも書きましたが、僕はよく歩きます。のんびり散歩する風情ではなく、すたすたと歩くんですが、「脇目もふらず」ってことでもないんですよね。きょろきょろよそ見しながらすたすた歩くのです。

で、あるとき(だいぶ前の話ですが)、歩きながら、どうしてこんなに歩くんだろうなあと考えてみました。まず、僕が歩くのはどういうところかというと、基本的には駅間です。

たとえば、十三~淡路とか、茨木~正雀とか、烏丸~丹波橋、烏丸~桂、谷九~十三、谷九~北巽、西宮北口~JR芦屋などなど。

運動になるからという理由もあるんですが、いちばんのおもしろさは、点と点がつながって線になる感覚が好きってことだと思うんです。

たとえば、谷九から梅田まで地下鉄に乗るとしますよね。烏丸から桂でも、十三から淡路でも同じことですが、そうすると、電車に乗って、谷九という点から梅田という点まで、ぽんと跳んでしまうという感覚に近くなります。ある「点」から、次の「点」に、なんだか知らないけどぽんと着いてしまったって感じです。地下鉄だと特にそういう印象が強くなります。

でも、谷九からてくてくと歩いて梅田まで行くと、点と点を線で結んだという感覚ができるんですね。そういう空間感覚ができあがっていくのが好きなんです。

大学時代、長い休みに帰省するときはいつも各駅停車でした。仙台を始発でたつと、大阪には23時頃到着します。18時間弱電車に乗っているわけで尻が痛くてちょっとつらいんですが、このときもやっぱり、飛行機や新幹線に比べると、各駅停車の方が「線」が引けるような気がして好きでした。

ただ、このときはむしろ「鈍行でもいつのまにやら着いてしまうものなんだなあ」という不思議感の方が強かったかな。

7年半におよぶ学生&プータロー生活を終えたとき、原チャリで仙台から帰阪したんですが、これも楽しかったですねえ。ものすごく「線」でした。国道6号線で水戸まで走って一泊、翌日は東京に出て友人の家に二泊、で、1号線で一気に関ヶ原まで走り、駅の建物にもたれて一泊、次の日午前中に大阪まで戻りました。日焼けと排気ガスで全身が真っ黒になるし、1号線で長大なトラックに嫌がらせをされて怖かったし、1時間半おきにエンジンをやすませて道ばたで本読んだりして、なかなか大変でしたが、いい思い出です。またああいうことしてみたいな。

山登りも、ピークからピークへとテントをかついで歩く「縦走」というスタイルが好きなんですが、これもきっと同じことなんでしょうね。

点と点がつながって「線」ができてくると、今度は「面」です。

谷九から梅田まで歩くルートも一通りではありません。はじめはわかりやすい大通りを歩きますが、二度三度と通ると飽きてきます。そうすると今度はひたすら路地探訪ですね。路地から路地へとうろついていると、「線」が「面」に近づいていくような気がします。

さて。さらに考えてみました。

これって、この感覚って、文章を読むときの感覚に近いなあと思ったんです。

国語指導に関する話の中で「文脈を理解する」なんていう表現がよく用いられますが、文章を読みながら文脈を意識するというのは、まさに「点」がつながって「線」ができていく感じなんですね。

「伏線」という概念が端的でわかりやすいでしょうか。たとえば推理小説なんかで、登場人物のひとりが何気なくもらした一言が謎解きの鍵になっているみたいなことがありますが、あの「つながった」感じが、「文脈」というものの最も単純明快なかたちだと思います。

さて、論説的な文章を読むときに僕がよく子どもたちに注意するのは、はじめの1~3段落ぐらいを慎重に読みなさいということです。

論説的な文章では結論や主張が最後の段落に書かれていることが多いから、後ろの方が重要だという考え方もあり、もちろんそれはそれでまちがいというわけではないのですが、文章を読むうえで最も大事にしないといけないのは、実は冒頭の1~3段落ぐらい(だいたいの目安)です。

だいたいそのぐらい読めば、文章の方向性みたいなものが見えてきます。たとえば、ああ、この文章は読書について書いているな、「読書は素晴らしい」的な内容だな、みたいなことがわかります。僕はそれをその文章の「核心」と呼んでいます。

文章の続きは、この「核心」と関連づけながら読めばいいわけです。ただ、この「関連づけ」の仕方にも練習が必要です。

上述の例でいえば、

1 対比:「読書」と「テレビ」を比べてそのちがいを述べているところ

2 類比:「読書」と「旅」を重ね合わせて、共通点を浮き彫りにしているところ

3 因果関係:「読書」をするとどんな良いことがあるのかが書かれているところ

4 反復:「読書」の良さについて表現を変えてくり返しているところ

5 並列:「読書」の良さについていくつか列挙しているところ

といったあたりが、「核心と関連づけられるところ」ということになり、設問もこれら1~5のいずれかにからむようなものが多く出題されます。こうした「核心と結びつくさまざまな内容」について幅広く把握できている状態が、点から線、そして面へと視野が広がっている状態と言えるんじゃないかと思います。

いわゆる国語の得意な子というのは、今述べたようなことが「なんとなく」できてしまっている子ですが、こういう読み方をみんなができるようにするため、正しいトレーニングをくり返させ、コーチしていくのが我々国語講師の仕事ということになります。

◇◆◇

もうすぐ2011年度が終わって2012年度がはじまります。

新小6・新小5・新小4・新小3のみなさん、がんばりましょね。

2011年12月22日 (木)

入試対策に突入

いよいよ明日から6年生は入試対策に突入です。

毎年のことではありますが、12月~1月はこのブログの更新が滞りますが、ご容赦ください。

そしてこれも例年どおりのことではありますが、

え~楽しみにしてるのにィ!

という声のあがらないところが、このブログの良いところというか残念なところというか、まあ、そんなところです。

と思わせておいて実は! これまでの反省をいかして、事前に若干書きためてあったりして。

ふふふ。というわけで、それをたまに小出しにしていきたいと思っています。

◇◆◇次回以降予告◇◆◇

「本格サスペンス、点と線、そして面」

「N川和T・ダイエットの軌跡~その壮絶な体重増減の歴史をたどる~」

などなど、続々掲載予定!

予定は未定!

2011年12月10日 (土)

さんぞくのわらじ

問いかけの意味が明らかなようでありながら、いくつかの解釈ができてしまうことがあります。「希学園では何人の子どもが勉強しているのですか」と聞かれたら「希学園には何人在籍しているのか」の意味ですが、「そうですね。だいたい5%くらいかな」という「まぬけ」な答えが出てくるかもしれません。問いのどこに重点があるかの解釈のちがいですね。「希学園には何人」に重点があると解釈すれば在籍者数を答えるでしょうが、「何人が勉強」に重点があると解釈すれば、真剣に勉強している人の数になります。

これを応用すると、「ナポレオンは赤いズボンつりをしていた。なぜか」という問いになります。「赤い」ということばがあると、それにミスリードされて、なぜ「赤」なのだろうと考えてしまいますが、答えは「ズボンがずれないようにするため」というもので、「赤」にはたいして意味がないのですね。国語で問題を作るときにも、こういうことが起こります。「ズボンがずれないようにするため」を模範解答にしているのに、「ナポレオンは赤い色が好きだったから」という答えを書く人が出てきて、採点するときに困ることがあります。まあ、ほとんどの場合は文脈からそういう答えは認められないということになるのですが、たまには別解として認めなければならない場合も出てきます。

六年生の女の子が質問として持ってきた問題で、「『チョメチョメ(  )』の(  )に適当なことばを入れて、言い回しを完成させなさい」というものがありました。答えは(  )の中にはいる「ペケペケ」ということばだけになっているのですが、その子は「チョメチョメペケペケ」と答えているのですね。解答欄に書くことばとしてはちがってくるので×なのでしょうか。問いは「言い回しを完成させなさい」なので、その子は完成したことばを書いたのです。これなどは、問い方があまいのであって、×にすることはできませんね。

「なぜ」「どうして」という問いも困ったものです。原因・理由だけでなく目的を答えてもよい場合があるのですね。「君はどうして学校へ行くの」は「行かないと叱られるから」「立派な人間になるため」のどちらもありです。原因・理由にしたって、「義務教育だから」「友だちと遊ぶのが楽しいから」「給食が食べられるから」など、何を基準とするかによって、いろいろ出てきます。中には「歩いて」という答えもあります。この答えを防ぐには「どうして」ではなく「なぜ」と言っておけばよいのですが。それでも「学校が来てくれないから」というすごい答えもあります。

「どうして交通事故が起こったのですか」「車が発明されたからです」という、「ごもっとも」という答えを書かれたら、採点者も困ります。「どうして車が発明されたのですか」「人類が文明をつくったからです」「どうして人類は文明をつくったのですか」「人類が猿から進化したからです」「どうして…」とさかのぼるうちに、「宇宙が誕生したから」というところまでさかのぼれるのですね。ということは、国語のどんな問題でも、根本的原因は「宇宙の誕生」ということになります。「どうして、主人公はこんな気持ちになったのですか」「宇宙が誕生したから」…。哲学的ですな。「そうでなければ」でごまかす手もあります。あたりまえすぎて答えにくいような問いの場合には有効です。「どうして人は食べるのですか」「食べなければ死んでしまうから」というパターンです。これも、だんだんめんどくさくなると、ひどい答えも出てきます。「おかあちゃん、なんで夏は暑いの」「うるさいな、この子は。寒かったら冬とまちがえるがな」…大阪のおかあちゃん、おそるべしです。

とにかく二通りに解釈されないようにするというのは、意外に難しいようです。読売テレビのアナウンサーに道浦俊彦という人がいて、この人のことばの感覚はすばらしいなと感心させられることが多いのですが、ブログでこんなことを書いておられました。ある直木賞作家の文章です。「平太が会社を出たのは、ちょうど六時四十五分だ。代々木駅まで歩き、四ツ谷で中央線に乗り換えた平太が新幹線のホームに辿り着いたのは、七時二十分前。」という文を引用して、ここの「七時二十分前」がいつを意味しているか、ということをとりあげているのですが、おわかりでしょうか。私などは、「六時四十分」以外考えられないのですが、最近の若い人はどうなのでしょうか(「近ごろの若い者は…」の口調になってしまったのがかなしい)。これ、実は「七時十八分頃」の意味らしいのですね。というのは、出発した時刻が「六時四十五分」ですから、「六時四十分」ということはありません。つまり、「七時になる二十分前」ではなく、「七時二十分の前」ということで、「七時十八分頃」を表しているのです。道浦さんは「私より少し若いぐらいの年齢の直木賞作家がこの使い方をするのだなと思って、ちょっとビックリしました」と書いておられましたが、たしかにまぎらわしい言い方です。

ちなみに、同じブログに、学園長のことを取り上げた新聞記事について触れている文章があります。記事には、「黒田耕平さん(36)は講師250人を率いる『運営責任者』であり、週4日は算数の授業を受け持つ『看板講師』でもある」として、「有名塾のトップとして経営実務をこなし、看板教師として授業や数多くの講演に立つ。多忙な二足のわらじも『子どもをぐいぐい引っ張るのはパワーがいる。30代の今だから、まだできる』と意に介さない。」と書いてあります。道浦さんが取り上げているのは「二足のわらじ」ということばの使い方です。「運営責任者」と「看板講師」で「二足のわらじ」と表現するのは、私の語感でもなんだかなあという気がします。「塾の運営責任者」で「漫才師」とか、「看板講師」で「占い師(さあー、手相はいかがでしょーか)」というのであればともかく、「プレイングマネージャー」は「二足のわらじ」ではないでしょう。「塾の運営責任者」でありながら、山の中で追いはぎをするのなら「さんぞくのわらじ」ですが。あちゃー、駄洒落で終わってもた。

2011年12月 4日 (日)

月食まにあっくす

ご無沙汰しております。栗原です。

少年時代に天文学を志していたこともあって、いまだに夜昼を問わず空を眺めるのが好きです。

宇宙戦艦ヤマト→銀河鉄道999→スターウォーズ→ガンダムの世代ですので、宇宙には格別のロマンを感じるわけです。

なのになぜか、あの「はやぶさ」では盛り上がれませんでした。なぜでしょう。まったくもって自分が分かりません。

今回の記事の目的はshine「緊急告知!」shineです。

来たる2011年12月10日は、

全国的に皆既月食fullmoonnewmoonfullmoonが観測できるのです!!!!

しかもしかも。

  ① 土曜日! (小学生が夜ふかししても大丈夫)

  ② 食の始まりが21時台で皆既は23時台! (夜中や明け方でないベストな時間帯)

  ③ 雨の少ない冬!(今年6月11日の月食は明け方かつ梅雨だった)

という、まれにしかみない、またとない好条件なのです。

これに近い条件は2018年1月までありません。6年後なのですね。

ここはぜひにぜひに、皆既月食という天文ショーを親子でみて頂きたいっ。

望遠鏡など要りませぬ。双眼鏡があるとなお楽しいですが。

ついでに正しい望遠鏡の選び方を。

①倍率で選ばない!どちらかといえば口径の大きさで選ぶ。

 200倍以上!などの高倍率をうたっているものはまずダメannoy

 解像度の低い写真を拡大コピーしたと思って下さい。見られたものではありません。

 レンズ・鏡(光学系といいます)が精密で、高品質なものがよろしいです。

②架台が課題!グラグラするものは使えない。

 星や月は動くものなので、安定していて、かつ、調整のしやすい三脚が必須です。

③大がかりなものは逆に使いにくい。倉庫に眠ってしまう……。

 星を見よう!と思ったらすぐに出して使えるのがいいに決まっています。

というわけで、私がお勧めするのは(多くの天文マニアの皆さんと同じになるはずですが)やはり双眼鏡です。レンズの口径が5センチ以上であればベストです。倍率は8~12倍程度。

12倍でも、月はかなり大きく見えます。クレーターなどをくわしく見たいのであれば、40~50倍は必要ですが、そうなると手で持ったままでは揺れてとてもとても見えません。やはり三脚に載せた望遠鏡が必要です。

携帯のカメラでは、月食は撮影できてもとても小さいものになります。

せっかくの数年に一度のショーなので、温かい格好で、空をじっくり見上げて目に焼き付けてみてはいかがでしょうか。

2011年11月28日 (月)

睡眠および夢について

なかなか熟睡できません。

寝る前にみかんを3つぐらいぱくぱくぱくと食べてしまって夜中にトイレに行くはめになるため、というだけでなく、年老いるにしたがって、長時間ぐっすり眠るということができなくなりつつあります。原因をいろいろ考えていますが、ひとつに、寝返りの問題があるような気がします。

ずっと同じ向きで寝ているとからだに負担がかかるため、ふつう眠っているあいだに人は頻繁に寝返りをうつそうですが、どうもこの寝返りが上手にうてないというか、そもそもあまり寝返りをうっていないみたいなんですね。で、からだに負担がかかってこれはどうでも寝返りをうたなければならないという点までやってくると、目がさめてしまいます。要するに、眠ったまま寝返りをうつのが下手ということですね。

これは大学時代にシュラフで寝ていたせいかもしれません。ご存じのとおり寝袋は狭いですからいつも窮屈な姿勢で、ツタンカーメンみたいな感じで眠っていました。そのせいで最小限しか寝返りをうたない癖が身についてしまったんじゃないかなあと。

で、必然的な成り行きとして、夢見があまり良くありません。

人それぞれによく見る悪夢ってありますよね。

中学から大学ぐらいまでは、戦争の夢でした。戦争の恐怖は10代の僕にとって切実な問題でした。中学生のときには、僕の住んでいた団地にソ連が攻めてきて、後ろから機関銃で撃たれるという夢をみました。大学生のときには、特攻隊のメンバーに選ばれて絶望する夢をみました。

その後、劇団に所属してからは、やはり定番の「セリフが出てこない!」夢をよくみました。これは、その世界から足を洗って相当たつ最近でもまだみます。合格祝賀会で劇をやっているからかもしれません。

車の免許をとってからちょくちょくみるのは、運転が思い通りにいかないというタイプの夢ですね。ブレーキを踏んでも踏んでも止まらない。猛スピードで走っているのではなく、ずるずるっずるずるっと車が動いていきます。

塾講師になってからよくみる悪夢は2つあります。

ひとつは、遅刻する夢です。ああ、もう授業が始まる時刻なのに俺はなぜこんなところで山登りをしているのだ、みたいな夢ですね。

もうひとつは、授業中に学級崩壊してしまう夢です。いくら怒鳴っても叫んでも子どもたちが静かにならない夢で、とても疲れます。

夢の時間は現実の時間より遅れていますよね。夢のなかではまだ大学生だったり、場合によっては大学受験をしている高校生だったりします。僕の無意識はまだ僕の現実に全然追いついていないんだなあと思います。

メラニー・クライン(精神分析家です、児童分析で有名です)の本なんかを読んでいると、人間の成長というのは、赤ん坊から幼児、少年、青年・・・・・・というふうにべつのものへと変容していくのではなくて、服を着るように、赤ん坊の自分の外側に幼児の自分を新しく着込み、少年の自分をその上に重ね着し、大人の自分をその上に羽織り・・・・・・というふうになっているんじゃないか、服の下には赤ん坊の自分がそのまま残っているんじゃないかと感じます。三つ子の魂百までと言いますが、「赤ん坊の自分」「幼児の自分」は消失も変質もせず、そのまま自分の核にあり続けるにちがいない、そういう実感があります。

それはともかく、何とかして熟睡したいものです。私の希望としては、毎日9時間眠りたい! かつて実際にそうしていた頃は体の調子が良かった!

そういえば、アメリカの統計で、一日の平均睡眠時間が9時間の人と7時間の人では、7時間の人の方が長生きだった、という結果が新聞に載っていました。かなり前の話です。でも、それって「睡眠時間が7時間だったから、長生きした」とは言えないよなと思います。そもそも健康な人だったから、7時間睡眠で活動しまくってたんじゃないのかなあ。

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