2012年3月10日 (土)

体重③

私の体重とは何のかかわりもないことながら、ギリシャのアンゲロプロス監督が亡くなりました。

野球の監督ではありません。映画監督です。

日本で公開された映画のなかではたぶん『霧の中の風景』がいちばん有名ではないかと思います。姉と弟が父をさがしに出かける話です。私は大学のときに仙台の映画館で観ました。あの頃はまだ東京以外でも良い映画がかかっていて、吹田のぼろい映画館でアンゲロプロス特集を観たりできたんですが、今はひどいことになった、ような気がします。東京はきっと良い映画をやってるんだろうなあなんてひがんだりしていますが、もしかすると、映画に関する日本人全体の文化水準が激しく低下しているのかもしれないぞと考えるときもあります。

なんだ、おまえの好きな映画が上映されてなかったら文化水準が低いことになるのか、と批判されるかもしれませんが、あえて

「そのとおりだ!」

と言いたい! 言いたいけど、やっぱり言わないでおくか! 失礼だし! でも書いてしまった以上、もう遅いか!

注 上記『霧の中の風景』はとても良い映画ですが、小学生にはまったくおすすめしません。

◇◆◇

さて、体重の話です。大学に入っていきなりすごい勢いで痩せたという話を「体重②」で書いたかと思います。かなり不健康な痩せ方だったので強烈なリバウンドが来そうなんですが、それが来なかったのは、大学生活を通じてずっとろくにものを食べなかったためです。

すぐに食費をけちるのは高校生の頃からの悪い癖ですね。母親がたまに弁当をつくれなくて「これで何か買って食べなさい」と500円渡してくれたりするともうウハウハです。当然何も食べずにそのお金で本を買っちゃいます。

高校一年生のときに、ユースホステルや親戚の家に泊まったり夜行列車を利用したりして北海道を2週間ほど旅行したんですが、このときもほんとに食べませんでした。親戚の家ではジンギスカンやら夕張メロンなどというものをたらふく食べさせてくれるので、そこでひたすら食いだめをして、あとはほぼ飲まず食わずで過ごしました。帰阪したときには激ヤセしており、親が仰天、かわいそうなおばさんが「ちがうんだ、オレはたくさん食わせたんだぞ、信じられないほどたらふく食わせたんだ」と弁解していました(おばさんは自分のことを「オレ」と言うのであった)。天国のおばさん、ごめんなさい。

そんなわけで、親元を離れて自由の身になった大学時代はだいたい一日一食で過ごしていました。寮にいた頃はほんとうにむちゃをしていて、2~3日パンの耳しか食べないとか、そういうことも頻繁にありましたが、寮を出て、友人たちと一軒家を借りて暮らし始めると、ときどき自炊をするようになりました。

そのころの私の定番は、『親子スパゲティ』です。べつにたいしたものではなくて、タマネギとにんじんと鶏肉と卵をいためてスパゲティとまぜるだけです。味付けは塩コショウです。

財政状態が悪化すると、鶏肉とタマネギとにんじんがなくなり、卵だけになります。いりたまごをスパゲッティにのせただけというやつですね。卵は近所のスーパーでばら売りをしてくれたので、恥をしのんで、一個だけ買いに行ったりしてました。

さらに財政状態が悪化すると、卵も姿を消し、かつおぶしになります。かつおぶしをふりかけて、マヨネーズを落とし、さらに醤油を回しかけて食べるんです。あたたかいうちはなかなかおいしいんですが、冷えるとまずくてねえ。

その頃は「栄養」なんて何の興味もなく、食事というのはとにかく腹がふくれればよいのだと思っていました。野菜とかバランスとか何の話ですか?って感じでした。今じゃ、タンパク質をおよそ何グラム摂取したかまで考えて食事していますが、人間変われば変わるもんですな。

スパゲティはよく食べました。今でも大好きです。これも大学時代の話、いっぺん、『ボンゴレ』ちゅうのを食べてみたいなあと思って、近所の魚屋にあさりを買いに行ったら、季節はずれだったのか、なかったんです。でもどうしても『ボンゴレ』が食べたかったんで、きっとしじみもあさりと似たようなものだろうと判断して、しじみを買って帰ってですね、しじみボンゴレをつくってみたんです。これがしみじみまずくてねえ。とても食べられませんでした。

その手の失敗はいろいろやらかしました。高校生のときに少女漫画にはまってしまってですね、そしたら、少年漫画にはあまり出てこない「シナモンティー」なるものが出てきたりするわけです。「これだ!」と思ってですね、さっそく試してみたんですけどね、その、僕は「シナモン」というのがどういうものかよくわかっていなくてですね、なんとなくそういえば家にそんな感じのものがあったなあという曖昧な記憶でつくろうとしたもんで、シナモンじゃなくてガーリックパウダーを紅茶にぶちこんでしまったんですね。いや、これもまずくてねえ。とても飲めませんでした。

村上春樹の『風の歌を聴け』が僕の高校時代の愛読書だったんですが、鼠という登場人物が、ホットケーキにコーラをかけて食べる、という話が出てくるんです。で、さっそくやってみました。あつあつのホットケーキにコーラをどぼどぼとかけたんですが、すごい勢いでしゅわしゅわ~と泡がたってですね、ホットケーキは冷たくなるわコーラはぬるくなるわで、すごい味でした。まずかったですねえ。

一緒に住んでいた九州出身のYくんは、クリームシチューに焼き海苔入れたりしてましたねえ。カレーに「料理酒だ」とか言ってウォッカをどぼとぼと入れすぎ、真っ赤な顔して食べてましたねえ。愚かな人でした。ま、人のことは言えませんけど。

でもYくんはとても優しいやつでしてね、僕が大学生男子にありがちなとある事情で落ち込んでいたら、焼きおにぎりをつくって部屋に持ってきてくれたりしました。

もうひとりの同居人である I くんだけは淡々とまともなものをつくって食べていました。かれの料理は、つねにタマネギとにんじんを刻むところからはじまります。それを鍋にいれてくつくつ火にかけながら、豚汁をつくるか肉じゃがをつくるかカレーをつくるか考えるって感じですね。毎日飽きずにそれを繰り返していました。なんというか、非常に精神の安定した人物でしたねえ。

以上のような生活のため、仙台で暮らした七年半はそれなりに体重は落ち着いていました。最後の数年は多少おなかがぽっこりしてはいましたが、まだまだ余裕がありました。

ひどいことになったのは、大阪にもどってきてからです。

                                              つづく?

2012年3月 9日 (金)

入試分析会(続々々)

希学園の入試分析会は、本日の四条烏丸教室(男子・女子)、西宮北口(女子)をもって終了いたしました。ご来場くださったみなさま、ほんとうにありがとうございました!

不肖・私にしかわの話は本日も時間オーバー、それも、超過幅が最高を記録するという劣悪な結果となってしまいました。終了時刻が遅くなってしまったこと、お詫び申し上げます。

この悔しさを胸に、また次にみなさまの前でお話しできる機会まで、日々発声練習に励みたいと思います。タイムとは関係ないような気もしますが。

どうも私は、「た行」がだめなんです。何日か続けて練習しているとだいぶ良くなるんですが、少しサボるとすぐに「た・て・と」が「つぁ・つぇ・つぉ」に近い音になってしまいます。しゃべっていて、自分がそうなっていることに気づくと、「これじゃロックンローラーだぜぇ」と非常にストレスを感じてしまいます。

というわけで、日々、「たてちつてとたと、たちつてと・ちつてとた・つてとたち・てとたちつ・とたちつて、この竹垣に竹立てかけたのは竹立てかけたかったから竹立てかけたのです」の精神でがんばりたいと思います。

2012年3月 8日 (木)

入試分析会(続々)

希学園主催の入試分析会が続いています。

今日は豊中教室でした。

不肖わたくし西川、連日といいますか、相変わらずといいますか、持ち時間をオーバーし続けており、会終了後のスタッフミーティングでは非常に気まずい状態です。

本日の豊中教室は多数の方がお越しくださったので、男子は二会場に分けて行いました。すなわち、男子会場の弁士は全員2回ずつ話をしたわけです。

今日という今日は時間厳守だという強い意気込みで、秒単位で時間を計りながら話を差し上げたものの、第1回はあえなく撃沈。

みんなの目つきが何だか白いので、「次は大丈夫です、次はやってみせますから」と言いつつ、第2会場に入り、な、な、なんと、5秒短縮に成功!

・・・・・・。

事務所に戻りづらくて、しばらくトイレでぶつぶつと文句を言ったりしてふてくされた態度をとっていました。逆ギレというやつですね。

明日は男子が四条、女子が四条と西宮北口です。

「よその分析より良かったですよ~」というありがたい声も頂戴しています。ぜひお誘い合わせのうえお越しください。

明日こそは必ず!

2012年3月 6日 (火)

入試分析会(続)

本日、谷町九丁目教室で入試分析会を実施致しました。ご来場くださった皆様、ありがとうございました!

昨年の反省を踏まえ、持ち時間を超過しないように気をつけたつもりでしたが、もう全然無理でした!

しゃべっている途中で「こりゃだめだ」と悟ってはいましたが、終わってみると思っていたより2分多い、7分オーバーです。「え~そんなに~、おっかしいなあ」と思って首をひねりながら退室したところ、会終了後、ご覧くださっていた保護者の方から「なぜ首をひねっていたんですか」と鋭い指摘をいただきました。お恥ずかしい話です。

さて、明日は西宮北口プレラホール午前10時からになります。こちらは男子のみの分析会です。持ち時間厳守します。ぜひ皆様、お誘い合わせの上お越しください。

会終了後には受付のあたりで所在なげにうろうろしておりますので、国語に関するご質問等ございましたら、何なりとおっしゃってください。塾生保護者の方も、一般の方も大歓迎です。

『体重』の話はまた今度ということで。

2012年3月 5日 (月)

入試分析会

明日3/6火曜日から、希学園の『入試分析会』が実施されます!

初日は、谷九教室での開催となります。

二日目は西宮北口のプレラホール、三日目は豊中教室、四日目が四条烏丸教室です。

今年も男子会場の国語の弁士は不肖わたくし西川が務めますが、ええ、もう、はっきりと断言してしまいます、ハードルが上がってもかまいません、言ってしまいます、

よその分析には負けません。

わかりやすく、深く、これからの勉強につながる「具体的な」分析、「さすが希学園」と感じていただけるお話を差し上げますので、塾生保護者の方も、そうでない方も、お誘い合わせのうえ、ぜひともこぞってお越しください。

ううう、緊張してきた。

ちょっと高飛車だったかもしれません。

あたたかい目で聞いてやってください。

「目で聞く」は変ですね。

あたたかい耳で聞いてやってください。

ますます変ですね。

うう。

2012年2月24日 (金)

体重②

 さて、高校2年の冬に65キロをマークした私の体重はその後も着実に増え続け、高校を卒業する頃には、71キロに到達していました。

 保健体育の最後の授業でデスラー総統(そっくりの体育教師)がにやにやしながら、「西川よ、おまえは高校を卒業して体育の授業がなくなったら半年でさらに10キロふとるだろう」と不吉な予言をしました。私がふとると予言したのはデスラー総統で二人目です。中学生のときの卓球部の顧問だったヨニエル(という元卓球世界王者そっくりの先生)も、私の脇腹の肉をつまみ、「ここに肉がついているやつはいずれふとる」と予言してくれました。まあこのヨニエルの予言は見事に当たったわけです。

 それにしても、生徒というのは、先生にろくなあだ名をつけません。先生にあだ名をつけるのは『坊っちゃん』の時代からの伝統で、つけられる当人はいやな気持ちもするかもしれませんが、あとで思い返してみても名作があるものです。むかし、頭髪の状態がフランシスコ・ザビエルに似ているというので「ジャビ」というあだ名をつけられた先生がいました。また、額の髪の生え際のかたちから「M」と呼ばれている先生もいました。大学のとき、某講座の先生は、ストッキングをかぶった銀行強盗みたいな顔をしているということで、「ストッキングマン」というものすごいあだ名を冠せられていました。

 僕は昔からあまりあだ名で呼ばれません。きっと親しみにくい人柄なんでしょう。名前からして「にしやん」とか呼ばれても不思議ではないはずですが、まったくそんなことはありませんでした。心斎橋のデパ地下でコロッケをあげるバイトをしていたときに、店の人たちになぜか「サムソン」と呼ばれていたのぐらいですかね。なぜ「サムソン」なのかはわかりませんでした。旧約聖書の知識なんかまったくない人たちだったんですけどね。でも確かにその頃の私はサムソンほどではありませんが、若干長髪でした。これは散髪代をけちっていたためです。今みたいな激安の理容店はほとんどありませんでしたから、1回髪を切ってもらうと経済的な負担がとても大きくて、髪の毛なんか伸ばしっぱなしにしていました。また、間のいいことにその頃長髪が流行ってたんです。テレビ見ていても男の歌手が髪を伸ばして背中で編んだりしていました。それを見て「これだ!」と思った僕も、伸ばした髪を後ろでまとめていましたが、髪ゴムの存在など知らず台所用の輪ゴムでとめていたために、いざはずすときになかなかとれなくて、いつも髪の毛を引きちぎりながらゴムをはずしていました。痛かったっす。

 それはともかく、「半年で10キロふとる」という不吉な予言を背に、私は19××年3月、高校を卒業し、仙台へと旅立ったのでありますが、前にも書いたように、仙台で暮らし始めて早々に自転車購入資金だった三万円が消えてしまい、毎日片道一時間かけて歩いて通学するはめになったうえ、混雑している生協の食堂に行くのがいやで毎日昼飯抜きの生活をしていたら、一ヵ月で8キロもやせてしまいました。

 しかし、私は賢くなかったので、毎日2時間歩いていることが体重激減の理由だとは気づかず、 「なるほど、食わなければ人間やせるもんだね」なんて言って、ますます食事を減らしたりしていました。食わなければやせるしお金も節約できるし言うことないよ、と思ってました。

 やがて、寮を出た先輩から自転車を譲り受け、歩いて学校に行くことはなくなりました。

 さあ、そろそろ強烈なリバウンドが始まるぞ。と、みなさんはお思いかもしれません。

 しかし、リバウンドはやってきませんでした。それどころか、さらに体重は減り続け、最も減ったときで57.5キロまで落ちました。そして、その後もかなり長い間、多少の増減はあったものの、おおむねスマートな状態を維持できたのです。なぜか? それはもちろん、何年もの間つねに極貧生活にあえぎ、ひたすら食べるものを切り詰めていたからです。

 ま、低血糖で動けなくなったりもしましたけどね。

(体重③へつづくかも)

 

2012年2月18日 (土)

体重①

冬は太りやすい! と私は思う!

冬は寒くて基礎代謝に必要な熱量が増大するからダイエットに良いなどというたわごとを聞いたことがありますが、私の経験では秋から冬にかけては明らかに肥えやすい!

 これはおそらく「冬ごもり」だと思います。「食欲の秋」などという怖ろしい言葉がありますが、確かに秋になるとむやみに腹が減ります。寒さが厳しく食料の少ない冬に備えて体が脂肪の備蓄を増やそうとしているからなんです、きっと。そしてこの傾向が、寒いあいだずっと続くんだと思います。だからふとってしまう。

 塾講師ならではの問題というのもあります。1月の受験シーズンは生活が不規則になりやすく、睡眠不足が続くため、食欲のリミッターがあっさり壊れてしまうんです。子どもたちの第1志望校・第2志望校の受験前日に電話かけをしますが(「おやすみコール」と呼んでいます)、実はあの電話をしているあいだもずっとおやつをつまみ食いしたりしているわけです(しゃべりながら食べているわけでありませんが)。
 そんなわけで入試が終わる頃にはめっきり体重が増えていたりします。

 思えば、私がはじめて太りはじめたのも冬でした。高校2年のときでした。忘れもしない期末テスト直後の休み、一週間で4キロ太ってしまったんです。たしか61キロ→65キロだったかな。そのときは事態の深刻さに気づかず、人間ふとればふとるもんだなアハハと笑っていたんですが、高校3年になって恐ろしいことに体育の授業で柔道をやることになっちゃったんです。デスラー総統に似た体育の先生が、「重量級・中量級・軽量級の三階級に分けて、階級別に総当たり戦をやる」などと意味不明のことを言い出しちゃって。たしか66キロ以上が重量級で、野球部とか剣道部とか陸上部とかの猛獣のような輩がうようよいるんです。そのころしばらく体重を量っていなかったんですが、明らかに昨年の冬よりもふとってましたから、このままではまちがいなく重量級行きなんだけど、私は身体訓練をまったくしない怠惰な演劇部員ゆえ、そんなことになったら身がもたないよと。少しでも体重を軽くするため、柔道着をぬいで体重計にのろうとしたら、デスラー総統に「西川、ずるをするな」と言われ、泣く泣く柔道着を手にはかりにのりました。すでに66キロなんて余裕で突破してましたね。

 いや~投げとばされた投げとばされた。野球部のY君ていうのが強かったですねえ。組んだ瞬間ふわっとからだがういて、きれいにひっくり返されたんですが、一瞬何が起こったかわかりませんでした。ぼんやりしていたら、デスラー総統が上から僕をのぞきこみ、にやりと笑って「いっぽん」。強引な投げじゃないところが、Y君の運動神経の良さを物語っていました。一方陸上部のなんとかってやつはやたらと足払いをかけてくるんですが、あまりうまくない。うまくないので、単に蹴られているのと同じでひたすら痛い。アントニオ猪木の「アリ・キック」と同じです。

 アリ・キックはご存じでしょうか。アントニオ猪木が「異種格闘技戦」と称してプロレスラー以外の格闘家とたたかった一連のシリーズがあるんですが、モハメド・アリという伝説的に強かったボクサーとたたかったときに、アリのパンチをくらわないようにひたすらねそべってアリの足を蹴りまくったんです。それが「アリ・キック」です。

 アリ・キックといえば、中学生のときにY本くんというアントニオ猪木ファンがいました。不良というほどではないですが、どちらかというと、スポーツマンでも勉強家でもなく、若干グレた感じの少年でした。根は悪いやつじゃなかったですけどね。ただ、この人が、突然アントニオ猪木になりきってしまうという悪い病気をもっていてですね、まさに猪木の霊が憑依したかのように、不意にビンタをかまして挑発してくるのです(猪木が対戦相手のプロレスラーを挑発するのによくビンタしてました)。しかしですね、挑発されても困るんですよ。僕はべつにY本くんとたたかいたくないわけです。ていうか、今の今まで平和におしゃべりしていたはずなんです。けれども、いったん猪木の霊がのりうつったY本くんには言葉は通じず、僕が挑発にのらないとみるや、今度はアリ・キックです。ほんと迷惑でした。

 1度だけキレて、やり返しました。ビンタを。それでY本くんはすっかり燃える闘魂と化し、さらなるアントニオ猪木の必殺技「卍固め」を僕に決めようとしてくるんですが、あの技はですね、はっきり言ってしまうと、敵が協力してくれないと決められない技なんですよ~。Y本くんは完全にキレてしまって「西川、腰を落として左手を出せ」「いやだよ~」「文句言うなボケ」などという白熱しない戦いが繰り広げられました。

 さて、そんなある日、そんなY本君が、恋をしてしまいました。タリラリ~(『ある愛の詩』より)。

 相手は同じクラスのN田さんという、小柄で色白のかわいい女の子です。しかし、中学生の初恋ですし、アントニオ猪木がのりうつっていないときのY本君はシャイなナイスガイですから、打ち明けることもできません。切々とした恋心を聞かされた悪魔のような私は、(今こそビンタとアリ・キックと卍固めの恨みを晴らすとき!)と思ったわけでもありませんが、「Yっさん、ここはひとつ思いきって打ち明けるべきだぜ、愛とは決して後悔しないことだしさ、だいじょうぶ、Yっさんならいけるって」と何の根拠もないことをぺらぺらと吹いてそそのかし、Y本君もすっかりその気に。

 その後Y本君はN田さんをどこかに呼び出して愛の告白をしたらしいですが、残念ながら不調に終わりました。Y本君はその悲しい顛末を、親身になって相談に乗ってくれたと信じている悪魔のような私に涙ながらに語ってくれましたが、私の顔がだんだんにやけてくるのを見て、またしてもアントニオ猪木に変身してしまうのでありました。

「体重②」につづく。

2012年2月11日 (土)

ふつう の考察

お久しぶりの栗原でございます。

「ふつう」という言葉の意味が変わってきているようです。

 「ふつうにかっこいいよね」

 「これ、ふつうにうまくね?」

などと使うようですが、(若者言葉として)これで正しいのか自信はござりませぬ。

当然、「普通」なのだから、

「標準的な格好良さですね」

「標準的でとりたてておいしいとはいえないのではないでしょうか?」

という意味で使っていると判断したくなるのですが、どっこい違うようなのです。

「かなり格好がよい」「かなりおいしくておどろいた」と彼等は使っているのです。

なぜ「ふつうに」が、「かなり」「けっこう」のような強意の表現として使われるに至ったのか。

国語講師としては興味のあるところです。

 若者は「まじめ」 をカッコワルイと感じる。(むろん逆の人も多いですが)

 なので、わざと「自分を悪くみせる」ことが多い。

 いきおい、若者の基本行動指針は「反体制・反主流」となりがち。

 とはいえ、反発ばかりするのも幼稚だとはうすうす気づいていたりする。

 そこで、時には「普通に」ふるまってみることもある!

 例 今日は「普通に」おふくろに「ありがとう」って言ってみる。

 例 最近「普通に」バイト先で明るくあいさつしてみる。

そう。若者にとっては「普通」こそが特別で、エスペシャリイにすることなのだ!

 私のあくまで個人的経験に基づく観測では、

  「フツーに」と言っている若者は

  「正直に告白すると」

  「思い切って言うと」

  「本心から言うと」

  「かざらずに言うと」

  「ストレートに言ってみると」

 のようなニュアンスで使用しているにちがいない!

 と思うのですがいかがでしょう。

 若者たちは

 「普通の子である」「普通に大学行ってサラリーマンになる」

 ということを少し低くみつつ、でも内心は憧れてもいる。

 とここまで書いてみて、実は若者だけが「普通に」対して普通でない感情を持っているわけではないような気がします。

 日本人は横並びが大好きというのは、受験国語の文章でよく出てくる主題です。

 テレサ・テンの名曲「時の流れに身を任せ」にも「普通の暮らし」ということばが出てきて、

 平凡で普通の生活への憧憬は日本人ならずとも持っているはずです。

 そういう微妙な心理が「フツーにおいしいよね」という表現に込められていたとしたら、

 若者言葉も捨てたものじゃありませんね。ふつーにすげえ。

 

2012年2月 4日 (土)

エジソンの父は発明の父の父

毎年恒例で、入試があったことも関係ないかのように前回のつづきです。わらじは「一足」「二足」と数えるのですね。つまり、はきものの場合の助数詞は「足」ということになります。では、手袋はどうなるんでしょう。「一手」「二手」とは言わない。昔から言わん、いまだに言わん、これ一つの不思議、なんの不思議なことがあるかい、橋無い川は渡れん、渡るに渡れんことはない、船で渡るか泳いで渡るか、それではことが大胆な、ほたら一体どうせぇっちゅうねん、というのは「池田の猪買い」という落語です。ここで橋のことを言ったのは脱線ではなく伏線なのですが……。まあ手袋の場合も「一足」ということがあるようですが、なにか変なので無難なところでは「一組」とか「一対」なのでしょう。

だいたい助数詞というのは難しいようです。ひらたいものは「一枚」「二枚」ですが、新聞となると、「部」や「紙」という助数詞も登場し、日本語を習いたての外国人は使い分けに悩むところでしょう。細長いものは「本」ですが、へびは「一本」「二本」とは言いません。細長くないくせに電話や映画でも「一本」ということがあります。むかしの手紙は細長いと見ることもできそうなので、手紙なら「本」はなんとなく納得です。電話も、その関連から来ているのかもしれません。お金で「一本」というのは何でしょう。「報酬はいくらだ」「まず一本というところだな」なんてドラマでもよく見るシーンですが、これはいくらでしょうか。むかし九十六文の穴を通してまとめると百文として使えたというところから来ているのなら「百」ということかもしれません。ということは百万か。いまの時代なら一けた上がって一千万円でしょうか。ひょっとして「一本」は指一本のことかもしれない。そうすると、一万円? 「一本」とは言うけど「二本」とか「三本」とか言っている場面は見たことがないので、助数詞ではないのかも?

いずれにせよ「本」というのは不思議な助数詞です。書物の「本」を「一本」「二本」と数えないのも不思議ですが、上に来る数字によって読み方が「ほん」「ぼん」「ぽん」と変わるのも外国人泣かせでしょう。二・四・五・七・八・九は「ほん」、三は「ぼん」一・六・十は「ぽん」です。促音便の「っ」になると「ぽん」になるのはわかります。「八」も「はっ」となれば「ぽん」です。ところが、「さん」のときは「ぼん」なのに「よん」は「ほん」になるのは変です。「三」はsanではなく古くはsamと発音していたようなので「三位」は「さんみ」になりますが、「よん」は新しい音で、yonなのかもしれません。そのちがいでしょう、たぶん。京都には「橋」があるが大阪には「橋」がないという話があります。ここで伏線が生きてきた。三条大橋や四条大橋は「おおはし」ですが、天満橋、天神橋、心斎橋、戎橋は「はし」ではなく「ばし」だという、しょうもない話です。「八百八橋」というのも「ばし」です。

話を助数詞に戻すと、蝶々を「一頭」「二頭」と言うのはいやですね。魚や鳥以外の動物は「頭」と言うのだという考え方もあるようですが、一般的には小さな動物は「匹」です。一説には、蝶々の愛好家が自分たちのあがめる蝶々は他の凡百の昆虫とはちがうのだから差をつけようとして「頭」と数えることを主張したとか。兎が「一羽」になり、いかやたこが「一杯」となったりするのも面倒です。いっそのこと、名前を助数詞とするのはどうでしょうか。一ゴリラ、二ゴリラとか。でも一アフリカイボイノシシ、二アフリカイボイノシシなんてなるとつらい。リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシっていうのもありましたが、あれは植物でしたか。あまり長いと不便です。寿限無になってしまいます。逆になんでもかんでも「個」にしてしまうのもどうかと思います。「年が一個上」なんて言い方はちょっとなあ。

人は「ひとり」「ふたり」でそれ以上になると「三人」「四人」です。ところが死ぬと「体」になるのはおもしろい、というのは不謹慎でしょうか。死体は「一体」「二体」です。では幽霊はどう数えるのでしょうか。知り合いの専門家(?)は「あんたの家の向いの二階の窓に五体浮かんでる」と言っていましたが、やはり「体」なのでしょうか。神様になると「柱」ですが、唯一絶対神の場合はどうなのでしょう。唯一なのだから助数詞は必要ない? 日本の神はよく「八百万」と言います。つまり、「やおよろずばしら」の神がいることになります。ほぼ大阪府の人口に等しく、東京都の人口の三分の二ぐらいですね。ということは、八百万の神がすべて東京に住んでいる(住んでいるというのも変ですが)とするならば、三人に一人は神様ということになります。歩いている人に「おまえ、神様?」と尋ねたら、三人に一人は「うん、おれ神様。おたくも?」ということになります。

日本の神様がどれぐらい多いか、こういう風に言われると理解しやすい。よくあるのが、「東京ドームにたとえると」というやつです。テレビでよくやっていますね、大きさや広さを感覚的にわかってもらうために。関西人にはいまいちピンと来ないのが残念です。「甲子園にたとえると」と言われたら一発です。この前テレビでやっていたのは、外国に取材に行って、日本人のレポーターが「広さを東京ドームにたとえるとどうなりますか」と聞いたら、現地の人が「東京ドームなんて知らない」と言ってました。ザマミロと思いましたね。「このステーキ、一万円」と言われると、高いなあとは思うけど、どれぐらい高いかは感覚的にはわかりにくい。ナイフで切って、一切れ千円、一かみ五百円、なんて思うとよくわかる。山下清の「兵隊の位で言うと」というのも、どれぐらいのレベルのものなのか、わかりやすくなります。ただし、兵隊の位を知らないとどうしようもありませんが。「東洋のパリ」とか「だれだれ二世」というのも、元のものにたとえてよく似ているか同じくらいのレベルにあるという意味なのでしょう。ただ、実際にはみんなレベルダウンしてしまっているのがかなしい。「発明の父」というようなたとえもよくあります。では、「発明の父の息子」は「発明」なのか、という屁理屈をこねる人もよくあります。

2012年1月24日 (火)

点と線、と面

もうどなたも覚えていらっしゃらないにちがいない前回の予告にもかかわらず、ずるずると遅くなってしまいました。

「年末ぐらいには、いっちょ書きためておいた文章をババーンと掲載するか!」などと思っていたのですが、年末は入試対策第Ⅱ期の準備でなんだか落ち着かず、「しかたない、年が明けたら年始の挨拶をかねていっちょババーンと」と考え直したものの、正月はプレ入試の嵐が吹き荒れて慌ただしく・・・・・・というわけでずるずるしているうちにあまりにも入試が近くなり、のほほんとした緊張感のない文章を載せるのは気まずいなあと思って、さらに先延ばしにしてしまいました。

さて、入試はまだ完全には終わっていませんが(首都圏はこれからだし、関西もまだ続いています)、一応、一段落ついた感じにはなっています。

しかし、あれですね、僕が小学生のときに比べるとみんなすごく賢いし頑張り屋ですね。ほんとにえらいです。「何も小学生のうちからそんなに勉強させなくても、小学生はもっと遊ばせなきゃ・・・・・・」なんて言う人も世の中にはいるみたいですが、よく考えたら、十歳ぐらいの子が遊び惚けていたのなんて、昭和三十年代からこっちの話で、江戸時代の武士の子だって、町人の子だって、お百姓の子だって、結構いろいろ頑張っていたんじゃないですかね。「鉄は熱いうちに打て!」ですね!

◇◆◇

さて、それではだいぶ前に書いた文章ですが、どうしようもなくひまでひまでたまらないという人(そんな人はいないかもしれませんが)の暇つぶし用にどうぞ。

◇◆◇

以前にも書きましたが、僕はよく歩きます。のんびり散歩する風情ではなく、すたすたと歩くんですが、「脇目もふらず」ってことでもないんですよね。きょろきょろよそ見しながらすたすた歩くのです。

で、あるとき(だいぶ前の話ですが)、歩きながら、どうしてこんなに歩くんだろうなあと考えてみました。まず、僕が歩くのはどういうところかというと、基本的には駅間です。

たとえば、十三~淡路とか、茨木~正雀とか、烏丸~丹波橋、烏丸~桂、谷九~十三、谷九~北巽、西宮北口~JR芦屋などなど。

運動になるからという理由もあるんですが、いちばんのおもしろさは、点と点がつながって線になる感覚が好きってことだと思うんです。

たとえば、谷九から梅田まで地下鉄に乗るとしますよね。烏丸から桂でも、十三から淡路でも同じことですが、そうすると、電車に乗って、谷九という点から梅田という点まで、ぽんと跳んでしまうという感覚に近くなります。ある「点」から、次の「点」に、なんだか知らないけどぽんと着いてしまったって感じです。地下鉄だと特にそういう印象が強くなります。

でも、谷九からてくてくと歩いて梅田まで行くと、点と点を線で結んだという感覚ができるんですね。そういう空間感覚ができあがっていくのが好きなんです。

大学時代、長い休みに帰省するときはいつも各駅停車でした。仙台を始発でたつと、大阪には23時頃到着します。18時間弱電車に乗っているわけで尻が痛くてちょっとつらいんですが、このときもやっぱり、飛行機や新幹線に比べると、各駅停車の方が「線」が引けるような気がして好きでした。

ただ、このときはむしろ「鈍行でもいつのまにやら着いてしまうものなんだなあ」という不思議感の方が強かったかな。

7年半におよぶ学生&プータロー生活を終えたとき、原チャリで仙台から帰阪したんですが、これも楽しかったですねえ。ものすごく「線」でした。国道6号線で水戸まで走って一泊、翌日は東京に出て友人の家に二泊、で、1号線で一気に関ヶ原まで走り、駅の建物にもたれて一泊、次の日午前中に大阪まで戻りました。日焼けと排気ガスで全身が真っ黒になるし、1号線で長大なトラックに嫌がらせをされて怖かったし、1時間半おきにエンジンをやすませて道ばたで本読んだりして、なかなか大変でしたが、いい思い出です。またああいうことしてみたいな。

山登りも、ピークからピークへとテントをかついで歩く「縦走」というスタイルが好きなんですが、これもきっと同じことなんでしょうね。

点と点がつながって「線」ができてくると、今度は「面」です。

谷九から梅田まで歩くルートも一通りではありません。はじめはわかりやすい大通りを歩きますが、二度三度と通ると飽きてきます。そうすると今度はひたすら路地探訪ですね。路地から路地へとうろついていると、「線」が「面」に近づいていくような気がします。

さて。さらに考えてみました。

これって、この感覚って、文章を読むときの感覚に近いなあと思ったんです。

国語指導に関する話の中で「文脈を理解する」なんていう表現がよく用いられますが、文章を読みながら文脈を意識するというのは、まさに「点」がつながって「線」ができていく感じなんですね。

「伏線」という概念が端的でわかりやすいでしょうか。たとえば推理小説なんかで、登場人物のひとりが何気なくもらした一言が謎解きの鍵になっているみたいなことがありますが、あの「つながった」感じが、「文脈」というものの最も単純明快なかたちだと思います。

さて、論説的な文章を読むときに僕がよく子どもたちに注意するのは、はじめの1~3段落ぐらいを慎重に読みなさいということです。

論説的な文章では結論や主張が最後の段落に書かれていることが多いから、後ろの方が重要だという考え方もあり、もちろんそれはそれでまちがいというわけではないのですが、文章を読むうえで最も大事にしないといけないのは、実は冒頭の1~3段落ぐらい(だいたいの目安)です。

だいたいそのぐらい読めば、文章の方向性みたいなものが見えてきます。たとえば、ああ、この文章は読書について書いているな、「読書は素晴らしい」的な内容だな、みたいなことがわかります。僕はそれをその文章の「核心」と呼んでいます。

文章の続きは、この「核心」と関連づけながら読めばいいわけです。ただ、この「関連づけ」の仕方にも練習が必要です。

上述の例でいえば、

1 対比:「読書」と「テレビ」を比べてそのちがいを述べているところ

2 類比:「読書」と「旅」を重ね合わせて、共通点を浮き彫りにしているところ

3 因果関係:「読書」をするとどんな良いことがあるのかが書かれているところ

4 反復:「読書」の良さについて表現を変えてくり返しているところ

5 並列:「読書」の良さについていくつか列挙しているところ

といったあたりが、「核心と関連づけられるところ」ということになり、設問もこれら1~5のいずれかにからむようなものが多く出題されます。こうした「核心と結びつくさまざまな内容」について幅広く把握できている状態が、点から線、そして面へと視野が広がっている状態と言えるんじゃないかと思います。

いわゆる国語の得意な子というのは、今述べたようなことが「なんとなく」できてしまっている子ですが、こういう読み方をみんなができるようにするため、正しいトレーニングをくり返させ、コーチしていくのが我々国語講師の仕事ということになります。

◇◆◇

もうすぐ2011年度が終わって2012年度がはじまります。

新小6・新小5・新小4・新小3のみなさん、がんばりましょね。

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