2012年3月25日 (日)

体重④

先日、合格祝賀会があり、今年は無事に講師劇を上演することができました(去年は震災があったので自粛しました)。

講師劇の練習を全体で行うのはたった3回です。本番当日の朝にリハーサルをしますが、それを入れても4回。

しかし、完全主義の私はその程度の稽古でお茶を濁す気にはなれません。相棒の山下高充先生と自主練を数十回しました! 我々の演技をご覧くださいましたでしょうか。山下高充先生はともかく、はっきりいって全講師のなかでいちばん演技が上手いのは僕だと思う! 

来年もがんばるぞ!

それはさておき。

体重の話です。

7年半におよぶ仙台での生活を終えて、原チャリで大阪まで帰ってきた私は、両親に心配されたり罵倒されたりしつつ、とりあえず大阪で就職活動をはじめることになりました。

しかし、そもそも就職活動などというものをしたことがまったくなかった私ですから、何をどうしたらいいものやらさっぱりわからず、やむなく父親に就職活動はどのように行うのかと相談したところ、あっさり「職安に行け」と言われてしまうのでありました。今でいう、ハローワークですね。

そこで、素直な、というか、何も知らない私は茨木市の職安に赴き、よくわからないまま分厚いファイルをぱらぱらめくったりしてみたわけですが、掲載されている職種が「なんだか僕のイメージとちがう~」。

などという紆余曲折はありましたが、あまり覚えていないのでカットします。結局、私は、新聞の求人欄で見つけた寝屋川・枚方・交野方面の会社に就職することになりました。

仙台から大阪まで原チャリで帰ってきたことで、「原チャリさえあればどこにでも行ける」という確信を抱いていた私は、その会社にも原チャリで通うことにしましたが、あるとき「カランカラン」という何かが落ちるような音がして、それをきっかけに前輪が妙にぐらぐら揺れ動くようになってしまいました。さすがに「このままでは危ない」と思って、とりあえず慎重に運転するようにしていたのですが、両親がキレて、「あほ、車を買え」ということになり、中古の軽自動車を買うことになりました。

車を買う! この僕が! なんという堕落でしょう!

仙台時代のあの輝くような極貧生活、黄金時代は遠くなってしまいました。

就職したことによって一定の収入が確保され、私はかつてないほど豊かになってしまったのです(あくまで当社比です)。

腹が減ったら即座に何か買って食べることすら可能になってしまった・・・・・・!

これまでの質素な生活を埋め合わせるかのように食べて食べて食べまくる私でした。

モ、モスバーガーってこんなにおいしかったのか!

た、たこ焼きってこんなにうまかったのか!

と、とりあえずラーメンでも食ってから帰るか!

ああ、しあわせ。

というわけで、気が付けばすごい勢いで体重が増えているのでありました。

その頃、会社に掃除をしてきてくれていたおばさんが、僕のことを「あのドラえもんに似た人」と言っていたらしいです。

                                             もう続かないかも

2012年3月17日 (土)

AYKYT

比喩表現というのは、案外難しいものです。何をたとえているのか読み取るために、二つのものの共通点を見つけなければならないのですが、どこに注目するかが難しい。女の子の目をうさぎにたとえていれば、ふつうはかわいい目のことですが、酔っ払いのおっさんなら充血している目です。つまり、その比喩が使われている場面や文脈から判断しなければいけません。そういう力が国語力でしょう。

よく「行間を読む」と言いますが、これも同じことでしょうね。「行間を読む」と言っても、行の間に経文がびっしり書いてあるわけではありません。省かれたことばや文を前後の状況から判断して補っていく力です。「昨日、おじいちゃんがボケ防止の本を買ってきた。今日も買ってきた。」という二文の組み合わせはほとんどの人が読み取れるでしょう。もちろん、このレベルでもわからないという生徒がいます。「遊びに行こうよ」「風邪ひいてるねん」という会話の意味がわからない子もいます。小学生の息子が部屋に飛び込んでくるなり母親に、「ねえ、お母さん。あの高い花ビン、ぼくが割るんじゃないかっていつもハラハラしてたよね」「ええ。それがどうしたの?」「もうハラハラしなくていいよ」というようなアメリカンジョークはたいしておもしろくありませんが、やはり意味がわからない人もいるのでしょう。

「飛脚の近道」という話があります。飛脚がはやく目的地に着くため、「近道、近道」と言いながら、近道を見つけて少しでも時間を短縮しようと走っていたのですが、どうしてもトイレに行きたくなります。時間がもったいないので、しゃがみながら腹ごしらえをしようと握り飯を取り出したところ、つかみそこねてトイレの中にこんころり。「あっ、近道しよった!」こういう行間が読める人は語るに足る我が良き友です。

「暑くないですか」と言われて、それが窓を開けてほしいという要求であることがわからなかったり、「考えておきます」が断られているのだということに気づかなかったりすると、社会人としては失格ですが、お世辞や社交辞令が見ぬけない人もいるようです。「政治家のことば」は「うそ」と同義語だという辛辣な意見もありますが、だまされたと言ってあとで腹を立てるよりもはじめから見ぬければそれにこしたことはありません。とは言うものの、相手の真意を見ぬくのは難しいようです。深読みしすぎると失敗してしまいます。言葉ではありませんが、剣の試合などで勝手に先読みするコントが昔はよくありました。相手がこう来ると考えて、ではそれに対して自分はこうしよう、そうすると相手はこうするはずだから…と考えて結局勝負をする前に「参った」と言ってしまうとか、相手が刀を忘れてきたのに、命をかけた勝負にそんなことをするわけはない、きっと何かおそろしい秘策があるにちがいないと考えてパニックになるとか……。徒然草にも、同じような話があります。田舎の神社の獅子と狛犬が後ろを向いて背中合わせに立っていたので、ある坊さんが感動して、「なんてすばらしいんだ。この立ち方は尋常ではない。深いいわれがあるはずだ」と感涙にむせび、連れの人たちに「あんたらは、これを見て感動しないのか。おろかものめ」と言っていたところ、神主が、「ああ、これね。近所の悪ガキのいたずらですわ。困ったガキです」と言いながら、もとの向きに戻して立ち去った……、という、ありがたいお話です。このあと、いっしょに都に帰る道中のふんいきが想像できて、実に心あたたまる感じがしますな。

俳句や川柳では、ある程度の深読みを要求するのですが、 「田一枚植えて立ち去る柳かな」を「田植えを終えた柳くんが立ち去っていった」と解釈してはだめです。かつて甲陽の入試で出た「受験前神や仏に□をつけ」という川柳の□にはいる漢字一字がわからない子がいるのは当然でしょうが、「様」がはいるのだと知ってからも意味がわからないのはかなしいかぎりです。「宿貸せと刀投げ出す吹雪かな」という蕪村の句は、吹雪に往生した旅の者が、宿を貸してくれと言うか言わないうちに刀を投げ出した、という情景ですが、いくらでも「深読み」できます。刀を投げ出すということはほかに荷物がないわけで、刀しか持っていないことになります。つまり、旅人は何も持たないような侍、吹雪の中をうろうろするからには何かわけありの浪人というイメージでしょう。「宿貸せ」と言っても、宿屋ではなく、山の中の一軒家です。夜になるとともに、雪はいっそう激しく降りつのる。家の者たちは何か起こりそうな不安を感じていたかもしれません。老夫婦ですね。戸はかたく閉ざしていますが、いきなり激しく叩かれる。二人は顔を見合わせながらも、やむをえず戸を開けます。舞い散る雪とともに一人の浪人が転がるようにはいってくる。着物は雪にまみれ、全身ぐっしょりと濡れています。精根尽き果てたように、「今晩泊めてくれ」と言うや返事も待たず、腰の刀を抜き取って、土間の片隅か上がり框へ投げ捨てる。浪人はなぜこんなところにやってきたのか。刀をクローズアップした表現は当然刀のイメージを広げます。誰かを切って追われているのかもしれません。この句自体が小説的であり、浪人の背後にも一つの物語があります。

もちろん「九マイルは遠すぎる」という断片的なことばからとんでもない事件の存在を推理できるかというと、実際には無理でしょうし、ホームズの推理もこじつけっぽいことが多いので、「ワトソンくん、君は今日赤いパンツをはいてるね」「どうしてわかるんですか」「君は今日ズボンをはいてないのさ」というジョークが生まれて、こじつけ推理を揶揄するのでしょう。それでも、状況からある程度のことを読み取ることは必要なことです。「空気を読む」というのも同じでしょうが、「KY」というまぬけな略語がありました。「Y」が「読める」の意味なら納得ですが、「読めない」のなら、せめて「KYN」と言うべきです。だいたい日本語をアルファベットの略語で表すこと自体まぬけな証拠です。こんなことばを使うやつは「AYKYT」です。もちろん、「頭が良くないので、こんなやつとはつきあいたくない」という意味であることは一目瞭然ですね。

2012年3月10日 (土)

体重③

私の体重とは何のかかわりもないことながら、ギリシャのアンゲロプロス監督が亡くなりました。

野球の監督ではありません。映画監督です。

日本で公開された映画のなかではたぶん『霧の中の風景』がいちばん有名ではないかと思います。姉と弟が父をさがしに出かける話です。私は大学のときに仙台の映画館で観ました。あの頃はまだ東京以外でも良い映画がかかっていて、吹田のぼろい映画館でアンゲロプロス特集を観たりできたんですが、今はひどいことになった、ような気がします。東京はきっと良い映画をやってるんだろうなあなんてひがんだりしていますが、もしかすると、映画に関する日本人全体の文化水準が激しく低下しているのかもしれないぞと考えるときもあります。

なんだ、おまえの好きな映画が上映されてなかったら文化水準が低いことになるのか、と批判されるかもしれませんが、あえて

「そのとおりだ!」

と言いたい! 言いたいけど、やっぱり言わないでおくか! 失礼だし! でも書いてしまった以上、もう遅いか!

注 上記『霧の中の風景』はとても良い映画ですが、小学生にはまったくおすすめしません。

◇◆◇

さて、体重の話です。大学に入っていきなりすごい勢いで痩せたという話を「体重②」で書いたかと思います。かなり不健康な痩せ方だったので強烈なリバウンドが来そうなんですが、それが来なかったのは、大学生活を通じてずっとろくにものを食べなかったためです。

すぐに食費をけちるのは高校生の頃からの悪い癖ですね。母親がたまに弁当をつくれなくて「これで何か買って食べなさい」と500円渡してくれたりするともうウハウハです。当然何も食べずにそのお金で本を買っちゃいます。

高校一年生のときに、ユースホステルや親戚の家に泊まったり夜行列車を利用したりして北海道を2週間ほど旅行したんですが、このときもほんとに食べませんでした。親戚の家ではジンギスカンやら夕張メロンなどというものをたらふく食べさせてくれるので、そこでひたすら食いだめをして、あとはほぼ飲まず食わずで過ごしました。帰阪したときには激ヤセしており、親が仰天、かわいそうなおばさんが「ちがうんだ、オレはたくさん食わせたんだぞ、信じられないほどたらふく食わせたんだ」と弁解していました(おばさんは自分のことを「オレ」と言うのであった)。天国のおばさん、ごめんなさい。

そんなわけで、親元を離れて自由の身になった大学時代はだいたい一日一食で過ごしていました。寮にいた頃はほんとうにむちゃをしていて、2~3日パンの耳しか食べないとか、そういうことも頻繁にありましたが、寮を出て、友人たちと一軒家を借りて暮らし始めると、ときどき自炊をするようになりました。

そのころの私の定番は、『親子スパゲティ』です。べつにたいしたものではなくて、タマネギとにんじんと鶏肉と卵をいためてスパゲティとまぜるだけです。味付けは塩コショウです。

財政状態が悪化すると、鶏肉とタマネギとにんじんがなくなり、卵だけになります。いりたまごをスパゲッティにのせただけというやつですね。卵は近所のスーパーでばら売りをしてくれたので、恥をしのんで、一個だけ買いに行ったりしてました。

さらに財政状態が悪化すると、卵も姿を消し、かつおぶしになります。かつおぶしをふりかけて、マヨネーズを落とし、さらに醤油を回しかけて食べるんです。あたたかいうちはなかなかおいしいんですが、冷えるとまずくてねえ。

その頃は「栄養」なんて何の興味もなく、食事というのはとにかく腹がふくれればよいのだと思っていました。野菜とかバランスとか何の話ですか?って感じでした。今じゃ、タンパク質をおよそ何グラム摂取したかまで考えて食事していますが、人間変われば変わるもんですな。

スパゲティはよく食べました。今でも大好きです。これも大学時代の話、いっぺん、『ボンゴレ』ちゅうのを食べてみたいなあと思って、近所の魚屋にあさりを買いに行ったら、季節はずれだったのか、なかったんです。でもどうしても『ボンゴレ』が食べたかったんで、きっとしじみもあさりと似たようなものだろうと判断して、しじみを買って帰ってですね、しじみボンゴレをつくってみたんです。これがしみじみまずくてねえ。とても食べられませんでした。

その手の失敗はいろいろやらかしました。高校生のときに少女漫画にはまってしまってですね、そしたら、少年漫画にはあまり出てこない「シナモンティー」なるものが出てきたりするわけです。「これだ!」と思ってですね、さっそく試してみたんですけどね、その、僕は「シナモン」というのがどういうものかよくわかっていなくてですね、なんとなくそういえば家にそんな感じのものがあったなあという曖昧な記憶でつくろうとしたもんで、シナモンじゃなくてガーリックパウダーを紅茶にぶちこんでしまったんですね。いや、これもまずくてねえ。とても飲めませんでした。

村上春樹の『風の歌を聴け』が僕の高校時代の愛読書だったんですが、鼠という登場人物が、ホットケーキにコーラをかけて食べる、という話が出てくるんです。で、さっそくやってみました。あつあつのホットケーキにコーラをどぼどぼとかけたんですが、すごい勢いでしゅわしゅわ~と泡がたってですね、ホットケーキは冷たくなるわコーラはぬるくなるわで、すごい味でした。まずかったですねえ。

一緒に住んでいた九州出身のYくんは、クリームシチューに焼き海苔入れたりしてましたねえ。カレーに「料理酒だ」とか言ってウォッカをどぼとぼと入れすぎ、真っ赤な顔して食べてましたねえ。愚かな人でした。ま、人のことは言えませんけど。

でもYくんはとても優しいやつでしてね、僕が大学生男子にありがちなとある事情で落ち込んでいたら、焼きおにぎりをつくって部屋に持ってきてくれたりしました。

もうひとりの同居人である I くんだけは淡々とまともなものをつくって食べていました。かれの料理は、つねにタマネギとにんじんを刻むところからはじまります。それを鍋にいれてくつくつ火にかけながら、豚汁をつくるか肉じゃがをつくるかカレーをつくるか考えるって感じですね。毎日飽きずにそれを繰り返していました。なんというか、非常に精神の安定した人物でしたねえ。

以上のような生活のため、仙台で暮らした七年半はそれなりに体重は落ち着いていました。最後の数年は多少おなかがぽっこりしてはいましたが、まだまだ余裕がありました。

ひどいことになったのは、大阪にもどってきてからです。

                                              つづく?

2012年3月 9日 (金)

入試分析会(続々々)

希学園の入試分析会は、本日の四条烏丸教室(男子・女子)、西宮北口(女子)をもって終了いたしました。ご来場くださったみなさま、ほんとうにありがとうございました!

不肖・私にしかわの話は本日も時間オーバー、それも、超過幅が最高を記録するという劣悪な結果となってしまいました。終了時刻が遅くなってしまったこと、お詫び申し上げます。

この悔しさを胸に、また次にみなさまの前でお話しできる機会まで、日々発声練習に励みたいと思います。タイムとは関係ないような気もしますが。

どうも私は、「た行」がだめなんです。何日か続けて練習しているとだいぶ良くなるんですが、少しサボるとすぐに「た・て・と」が「つぁ・つぇ・つぉ」に近い音になってしまいます。しゃべっていて、自分がそうなっていることに気づくと、「これじゃロックンローラーだぜぇ」と非常にストレスを感じてしまいます。

というわけで、日々、「たてちつてとたと、たちつてと・ちつてとた・つてとたち・てとたちつ・とたちつて、この竹垣に竹立てかけたのは竹立てかけたかったから竹立てかけたのです」の精神でがんばりたいと思います。

2012年3月 8日 (木)

入試分析会(続々)

希学園主催の入試分析会が続いています。

今日は豊中教室でした。

不肖わたくし西川、連日といいますか、相変わらずといいますか、持ち時間をオーバーし続けており、会終了後のスタッフミーティングでは非常に気まずい状態です。

本日の豊中教室は多数の方がお越しくださったので、男子は二会場に分けて行いました。すなわち、男子会場の弁士は全員2回ずつ話をしたわけです。

今日という今日は時間厳守だという強い意気込みで、秒単位で時間を計りながら話を差し上げたものの、第1回はあえなく撃沈。

みんなの目つきが何だか白いので、「次は大丈夫です、次はやってみせますから」と言いつつ、第2会場に入り、な、な、なんと、5秒短縮に成功!

・・・・・・。

事務所に戻りづらくて、しばらくトイレでぶつぶつと文句を言ったりしてふてくされた態度をとっていました。逆ギレというやつですね。

明日は男子が四条、女子が四条と西宮北口です。

「よその分析より良かったですよ~」というありがたい声も頂戴しています。ぜひお誘い合わせのうえお越しください。

明日こそは必ず!

2012年3月 6日 (火)

入試分析会(続)

本日、谷町九丁目教室で入試分析会を実施致しました。ご来場くださった皆様、ありがとうございました!

昨年の反省を踏まえ、持ち時間を超過しないように気をつけたつもりでしたが、もう全然無理でした!

しゃべっている途中で「こりゃだめだ」と悟ってはいましたが、終わってみると思っていたより2分多い、7分オーバーです。「え~そんなに~、おっかしいなあ」と思って首をひねりながら退室したところ、会終了後、ご覧くださっていた保護者の方から「なぜ首をひねっていたんですか」と鋭い指摘をいただきました。お恥ずかしい話です。

さて、明日は西宮北口プレラホール午前10時からになります。こちらは男子のみの分析会です。持ち時間厳守します。ぜひ皆様、お誘い合わせの上お越しください。

会終了後には受付のあたりで所在なげにうろうろしておりますので、国語に関するご質問等ございましたら、何なりとおっしゃってください。塾生保護者の方も、一般の方も大歓迎です。

『体重』の話はまた今度ということで。

2012年3月 5日 (月)

入試分析会

明日3/6火曜日から、希学園の『入試分析会』が実施されます!

初日は、谷九教室での開催となります。

二日目は西宮北口のプレラホール、三日目は豊中教室、四日目が四条烏丸教室です。

今年も男子会場の国語の弁士は不肖わたくし西川が務めますが、ええ、もう、はっきりと断言してしまいます、ハードルが上がってもかまいません、言ってしまいます、

よその分析には負けません。

わかりやすく、深く、これからの勉強につながる「具体的な」分析、「さすが希学園」と感じていただけるお話を差し上げますので、塾生保護者の方も、そうでない方も、お誘い合わせのうえ、ぜひともこぞってお越しください。

ううう、緊張してきた。

ちょっと高飛車だったかもしれません。

あたたかい目で聞いてやってください。

「目で聞く」は変ですね。

あたたかい耳で聞いてやってください。

ますます変ですね。

うう。

2012年2月24日 (金)

体重②

 さて、高校2年の冬に65キロをマークした私の体重はその後も着実に増え続け、高校を卒業する頃には、71キロに到達していました。

 保健体育の最後の授業でデスラー総統(そっくりの体育教師)がにやにやしながら、「西川よ、おまえは高校を卒業して体育の授業がなくなったら半年でさらに10キロふとるだろう」と不吉な予言をしました。私がふとると予言したのはデスラー総統で二人目です。中学生のときの卓球部の顧問だったヨニエル(という元卓球世界王者そっくりの先生)も、私の脇腹の肉をつまみ、「ここに肉がついているやつはいずれふとる」と予言してくれました。まあこのヨニエルの予言は見事に当たったわけです。

 それにしても、生徒というのは、先生にろくなあだ名をつけません。先生にあだ名をつけるのは『坊っちゃん』の時代からの伝統で、つけられる当人はいやな気持ちもするかもしれませんが、あとで思い返してみても名作があるものです。むかし、頭髪の状態がフランシスコ・ザビエルに似ているというので「ジャビ」というあだ名をつけられた先生がいました。また、額の髪の生え際のかたちから「M」と呼ばれている先生もいました。大学のとき、某講座の先生は、ストッキングをかぶった銀行強盗みたいな顔をしているということで、「ストッキングマン」というものすごいあだ名を冠せられていました。

 僕は昔からあまりあだ名で呼ばれません。きっと親しみにくい人柄なんでしょう。名前からして「にしやん」とか呼ばれても不思議ではないはずですが、まったくそんなことはありませんでした。心斎橋のデパ地下でコロッケをあげるバイトをしていたときに、店の人たちになぜか「サムソン」と呼ばれていたのぐらいですかね。なぜ「サムソン」なのかはわかりませんでした。旧約聖書の知識なんかまったくない人たちだったんですけどね。でも確かにその頃の私はサムソンほどではありませんが、若干長髪でした。これは散髪代をけちっていたためです。今みたいな激安の理容店はほとんどありませんでしたから、1回髪を切ってもらうと経済的な負担がとても大きくて、髪の毛なんか伸ばしっぱなしにしていました。また、間のいいことにその頃長髪が流行ってたんです。テレビ見ていても男の歌手が髪を伸ばして背中で編んだりしていました。それを見て「これだ!」と思った僕も、伸ばした髪を後ろでまとめていましたが、髪ゴムの存在など知らず台所用の輪ゴムでとめていたために、いざはずすときになかなかとれなくて、いつも髪の毛を引きちぎりながらゴムをはずしていました。痛かったっす。

 それはともかく、「半年で10キロふとる」という不吉な予言を背に、私は19××年3月、高校を卒業し、仙台へと旅立ったのでありますが、前にも書いたように、仙台で暮らし始めて早々に自転車購入資金だった三万円が消えてしまい、毎日片道一時間かけて歩いて通学するはめになったうえ、混雑している生協の食堂に行くのがいやで毎日昼飯抜きの生活をしていたら、一ヵ月で8キロもやせてしまいました。

 しかし、私は賢くなかったので、毎日2時間歩いていることが体重激減の理由だとは気づかず、 「なるほど、食わなければ人間やせるもんだね」なんて言って、ますます食事を減らしたりしていました。食わなければやせるしお金も節約できるし言うことないよ、と思ってました。

 やがて、寮を出た先輩から自転車を譲り受け、歩いて学校に行くことはなくなりました。

 さあ、そろそろ強烈なリバウンドが始まるぞ。と、みなさんはお思いかもしれません。

 しかし、リバウンドはやってきませんでした。それどころか、さらに体重は減り続け、最も減ったときで57.5キロまで落ちました。そして、その後もかなり長い間、多少の増減はあったものの、おおむねスマートな状態を維持できたのです。なぜか? それはもちろん、何年もの間つねに極貧生活にあえぎ、ひたすら食べるものを切り詰めていたからです。

 ま、低血糖で動けなくなったりもしましたけどね。

(体重③へつづくかも)

 

2012年2月18日 (土)

体重①

冬は太りやすい! と私は思う!

冬は寒くて基礎代謝に必要な熱量が増大するからダイエットに良いなどというたわごとを聞いたことがありますが、私の経験では秋から冬にかけては明らかに肥えやすい!

 これはおそらく「冬ごもり」だと思います。「食欲の秋」などという怖ろしい言葉がありますが、確かに秋になるとむやみに腹が減ります。寒さが厳しく食料の少ない冬に備えて体が脂肪の備蓄を増やそうとしているからなんです、きっと。そしてこの傾向が、寒いあいだずっと続くんだと思います。だからふとってしまう。

 塾講師ならではの問題というのもあります。1月の受験シーズンは生活が不規則になりやすく、睡眠不足が続くため、食欲のリミッターがあっさり壊れてしまうんです。子どもたちの第1志望校・第2志望校の受験前日に電話かけをしますが(「おやすみコール」と呼んでいます)、実はあの電話をしているあいだもずっとおやつをつまみ食いしたりしているわけです(しゃべりながら食べているわけでありませんが)。
 そんなわけで入試が終わる頃にはめっきり体重が増えていたりします。

 思えば、私がはじめて太りはじめたのも冬でした。高校2年のときでした。忘れもしない期末テスト直後の休み、一週間で4キロ太ってしまったんです。たしか61キロ→65キロだったかな。そのときは事態の深刻さに気づかず、人間ふとればふとるもんだなアハハと笑っていたんですが、高校3年になって恐ろしいことに体育の授業で柔道をやることになっちゃったんです。デスラー総統に似た体育の先生が、「重量級・中量級・軽量級の三階級に分けて、階級別に総当たり戦をやる」などと意味不明のことを言い出しちゃって。たしか66キロ以上が重量級で、野球部とか剣道部とか陸上部とかの猛獣のような輩がうようよいるんです。そのころしばらく体重を量っていなかったんですが、明らかに昨年の冬よりもふとってましたから、このままではまちがいなく重量級行きなんだけど、私は身体訓練をまったくしない怠惰な演劇部員ゆえ、そんなことになったら身がもたないよと。少しでも体重を軽くするため、柔道着をぬいで体重計にのろうとしたら、デスラー総統に「西川、ずるをするな」と言われ、泣く泣く柔道着を手にはかりにのりました。すでに66キロなんて余裕で突破してましたね。

 いや~投げとばされた投げとばされた。野球部のY君ていうのが強かったですねえ。組んだ瞬間ふわっとからだがういて、きれいにひっくり返されたんですが、一瞬何が起こったかわかりませんでした。ぼんやりしていたら、デスラー総統が上から僕をのぞきこみ、にやりと笑って「いっぽん」。強引な投げじゃないところが、Y君の運動神経の良さを物語っていました。一方陸上部のなんとかってやつはやたらと足払いをかけてくるんですが、あまりうまくない。うまくないので、単に蹴られているのと同じでひたすら痛い。アントニオ猪木の「アリ・キック」と同じです。

 アリ・キックはご存じでしょうか。アントニオ猪木が「異種格闘技戦」と称してプロレスラー以外の格闘家とたたかった一連のシリーズがあるんですが、モハメド・アリという伝説的に強かったボクサーとたたかったときに、アリのパンチをくらわないようにひたすらねそべってアリの足を蹴りまくったんです。それが「アリ・キック」です。

 アリ・キックといえば、中学生のときにY本くんというアントニオ猪木ファンがいました。不良というほどではないですが、どちらかというと、スポーツマンでも勉強家でもなく、若干グレた感じの少年でした。根は悪いやつじゃなかったですけどね。ただ、この人が、突然アントニオ猪木になりきってしまうという悪い病気をもっていてですね、まさに猪木の霊が憑依したかのように、不意にビンタをかまして挑発してくるのです(猪木が対戦相手のプロレスラーを挑発するのによくビンタしてました)。しかしですね、挑発されても困るんですよ。僕はべつにY本くんとたたかいたくないわけです。ていうか、今の今まで平和におしゃべりしていたはずなんです。けれども、いったん猪木の霊がのりうつったY本くんには言葉は通じず、僕が挑発にのらないとみるや、今度はアリ・キックです。ほんと迷惑でした。

 1度だけキレて、やり返しました。ビンタを。それでY本くんはすっかり燃える闘魂と化し、さらなるアントニオ猪木の必殺技「卍固め」を僕に決めようとしてくるんですが、あの技はですね、はっきり言ってしまうと、敵が協力してくれないと決められない技なんですよ~。Y本くんは完全にキレてしまって「西川、腰を落として左手を出せ」「いやだよ~」「文句言うなボケ」などという白熱しない戦いが繰り広げられました。

 さて、そんなある日、そんなY本君が、恋をしてしまいました。タリラリ~(『ある愛の詩』より)。

 相手は同じクラスのN田さんという、小柄で色白のかわいい女の子です。しかし、中学生の初恋ですし、アントニオ猪木がのりうつっていないときのY本君はシャイなナイスガイですから、打ち明けることもできません。切々とした恋心を聞かされた悪魔のような私は、(今こそビンタとアリ・キックと卍固めの恨みを晴らすとき!)と思ったわけでもありませんが、「Yっさん、ここはひとつ思いきって打ち明けるべきだぜ、愛とは決して後悔しないことだしさ、だいじょうぶ、Yっさんならいけるって」と何の根拠もないことをぺらぺらと吹いてそそのかし、Y本君もすっかりその気に。

 その後Y本君はN田さんをどこかに呼び出して愛の告白をしたらしいですが、残念ながら不調に終わりました。Y本君はその悲しい顛末を、親身になって相談に乗ってくれたと信じている悪魔のような私に涙ながらに語ってくれましたが、私の顔がだんだんにやけてくるのを見て、またしてもアントニオ猪木に変身してしまうのでありました。

「体重②」につづく。

2012年2月11日 (土)

ふつう の考察

お久しぶりの栗原でございます。

「ふつう」という言葉の意味が変わってきているようです。

 「ふつうにかっこいいよね」

 「これ、ふつうにうまくね?」

などと使うようですが、(若者言葉として)これで正しいのか自信はござりませぬ。

当然、「普通」なのだから、

「標準的な格好良さですね」

「標準的でとりたてておいしいとはいえないのではないでしょうか?」

という意味で使っていると判断したくなるのですが、どっこい違うようなのです。

「かなり格好がよい」「かなりおいしくておどろいた」と彼等は使っているのです。

なぜ「ふつうに」が、「かなり」「けっこう」のような強意の表現として使われるに至ったのか。

国語講師としては興味のあるところです。

 若者は「まじめ」 をカッコワルイと感じる。(むろん逆の人も多いですが)

 なので、わざと「自分を悪くみせる」ことが多い。

 いきおい、若者の基本行動指針は「反体制・反主流」となりがち。

 とはいえ、反発ばかりするのも幼稚だとはうすうす気づいていたりする。

 そこで、時には「普通に」ふるまってみることもある!

 例 今日は「普通に」おふくろに「ありがとう」って言ってみる。

 例 最近「普通に」バイト先で明るくあいさつしてみる。

そう。若者にとっては「普通」こそが特別で、エスペシャリイにすることなのだ!

 私のあくまで個人的経験に基づく観測では、

  「フツーに」と言っている若者は

  「正直に告白すると」

  「思い切って言うと」

  「本心から言うと」

  「かざらずに言うと」

  「ストレートに言ってみると」

 のようなニュアンスで使用しているにちがいない!

 と思うのですがいかがでしょう。

 若者たちは

 「普通の子である」「普通に大学行ってサラリーマンになる」

 ということを少し低くみつつ、でも内心は憧れてもいる。

 とここまで書いてみて、実は若者だけが「普通に」対して普通でない感情を持っているわけではないような気がします。

 日本人は横並びが大好きというのは、受験国語の文章でよく出てくる主題です。

 テレサ・テンの名曲「時の流れに身を任せ」にも「普通の暮らし」ということばが出てきて、

 平凡で普通の生活への憧憬は日本人ならずとも持っているはずです。

 そういう微妙な心理が「フツーにおいしいよね」という表現に込められていたとしたら、

 若者言葉も捨てたものじゃありませんね。ふつーにすげえ。

 

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