2011年11月23日 (水)

低体温について

小学生の頃から低体温で、だいたい5度6分~8分が平熱です。

小学生の時分、学校に行くのがイヤというわけではないけれど、病欠というものに憧れて、しばしば体温計で熱を計りましたが、いつも5度台なのでがっかりしました。病気になってベッドに横になり、優しい言葉のひとつもかけてもらって、おかゆを食べさせていただきたいと、いつも思っていましたが、運動神経が鈍いわりには健康で、なかなか病気になれませんでした。

というわけで、実は「はしか」も「おたふく」も「水疱瘡」もやっていません。担当しているクラスの子が休んでいて、「どうもおたふくらしいよ」とか「水疱瘡だって」などと聞くたびに、そういえばあいつこの前やたらと俺に近づいていたな、うつったんじゃなかろうか? うーん、などと戦々恐々としています。

若い頃は低体温だってべつにどうってことありませんでしたが、この歳になって、いろいろとある僕の身体的な問題点の多くは、低体温に由来しているのではあるまいか、という疑念がわきおこってきました。なんだかそういう本もはやりましたよね。

たとえば、山登りをしているときに、僕はほとんど休憩をとりません。山登りの本を読んでいるとちゃんと休憩しないとだめみたいなことが書いてあるんですが、休憩すると体がすぐにがちがちにかたくなり、歩き出すのがしんどくなってしまうので、できるだけ休みたくないんです。ちょっと立ち止まって、呼吸をととのえるだけでいいやって感じです。よく一緒に山に行くY田M平先生なんぞすぐに座り込んでますが、あんなにどっぷり休憩したら僕はだめです。そこでいつもY田先生をおいて先に行くことになります。

この、休憩するとすぐに体ががちがちになるのは、ひょっとしたら低体温のせいじゃないかなあなどと思ってしまうんですね。

それだけではありません。僕は体がものすごくかたいんですが、そもそもこれだけ柔軟性がないのも、低体温と無関係ではないのではなかろうか?

いやいや、待てよ、そういえば足がすごく痺れやすいのも柔軟性の欠如、ひいては低体温が原因ではあるまいか?

情けない話ですが、おそろしく足が痺れやすいために、正座がまともにできません。あぐらをかいてさえも痺れてしまうんです。ていうか、立ってて痺れたことさえあります。

祖父の葬式では2回転びました。焼香するために立ちあがった瞬間どたっ、歩いていく途中にどたっ、カッコ悪かったです。

そこで、今年の私の個人的な目標は、「体温を上げる」でした。でも、どうしたらいいのかよくわからないので、とりあえず筋肉でもつけてみようかと、腕立て伏せをしたり腹筋をしたりしてみましたが、さて、どんなもんでしょう。年末にコンディションをととのえて体温をはかってみたいと思っています。

2011年11月 7日 (月)

太郎の気持ちはわからない

だじゃれではないのですが、同じことばでありながら二通りの解釈ができるものがあります。たとえば、「ないものはない」ということばはしゃべる人の態度や様子で意味が変わってきます。ドン○ホーテのような店がえらそうに「ないものはない」と言えば、「何でもある」の意味になりますが、「どうしてないんですか」と問い詰められたときに「ないものはない」と言えば、「ないのだからしかたがない」の意味になります。どちらの意味なのかは、それまでの文脈やそれを言うときの態度で判断するしかありません。

「雪にかわりがないじゃなし」というフレーズのある有名な歌がありました。「ないではないか」と解釈すれば問題はないのですが、「ないわけではない」と解釈すると「ある」ということになってしまいます。だいたい打ち消しというのはむずかしいですね。「…しようか」と言っても「…しようではないか」と言っても同じだし、「…する?」と「…しない?」とたずねても同じになるというのはなんか変です。打ち消し表現を重ねると、瞬間的にどっちかわからない場合がありますね。「あり得なくない?」とか言われても「あり得る」のか「あり得ない」のか、わかりません。「そうじゃないこともないわけじゃないですか」とか言われたら、「おまえは何を言っとるのだ、バカモーン」と言うしかありません。

世の中には格調高く見せかけて、実は何も言っとらんという、ふざけた表現もあります。政治家や役人の言う「可及的速やかに善処します」は「何もしません」という意味らしい。「くわしい話は聞いていない。それが事実なら大変だ、まことに遺憾に存じます」というのは、「別にどうだっていいじゃないの」という意味だそうです。「オトナ語」の中にもこういうのはよくあります。「今度またいっしょにメシでも」や「うちにも一度いらしてください」というのも、単なる「さよなら」の意味しか表していません。「京の茶漬け」ですな。ことばというのは、実にいいかげんなものであります。

では数字は正確か、と言うとそうでもない。1÷3×3の答えが1と0.9999……の二通り出てくるのは、どこかにごまかしがあるのにちがいありません。100㎏と0.1tは同じはずなのに、体重100㎏と聞いたら、そういう人も多いよなと思うのに、体重0.1tと聞くと、おまえはトラックかと言いたくなります。平均点というのも考えると変です。62.3点が平均点だとすると、その点数が最も普通の点数だということになりそうですが、62.3点という中途半端な点をとった者はだれ一人としていないのですね。統計のうそというのもよく言われますが、たしかにまやかしが多いようです。

統計の解釈のしかたでは、相関関係と因果関係というのも、区別しにくいことがあります。成績のよい子は朝ご飯をちゃんと食べていることが多い、というデータがあったとしても、朝ご飯を食べることがよい成績をとる原因になるわけではない。でも、そういうデータを示しながら、あたかも自明の事実であるかのように因果関係を言われるとうっかり信じてしまいます。まあ、多くの人の「論理」もじつはその程度なのですがね。第一厳密すぎると日常生活がスムーズにいきませんし。「その部屋にはいったら、だれもいなかった」に対して、「おまえがいるじゃないか」とつっこまれることをおそれて、「私をのぞいてだれもいなかった」というのも変です。アバウトでよいのでしょう。「あんたかてあほやろ、うちかてあほや、ほなさいなら」のレベルです。三段論法のように見えて、論理的でもなんでもない。「山下くんはめがねをかけている」「山下くんは人間である」「人間はめがねをかけている」の結論は明らかに変なのですが、なぜ変なのか、すぐには反論できません。こういう「へ理屈」を大群でおっかぶされたら、いつのまにか説得されてしまいそうです。「AならばB」に対して「BならばA」が言えないのはなんとなくわかりますが、「BでないならAでない」が成り立つと言われても、打ち消し表現が重なるので、なんだかわからなくなります。

落語の「壺算」はみんな聞いていてげらげら笑っていますが、瞬間的に理解できているのでしょうか。つぼを2円で買った男が、「倍の大きさのつぼにしてくれ」。店のほうは「それなら4円です」と言う。男が「さっき買ったつぼはいらないので、2円で引き取ってくれ」と言うと店は了承する。そこで男は、「さっき払った2円と、下取り代の2円で合計4円やな」と言って、つぼを持って帰るという話ですが、店には2円のお金しか残っていない。変は変なのですが、ではなぜ変なのと言われると、ややこしくて説明できないような気がします。

「八百屋にキャベツを買いにきて、『五百円』と言われた外国人が一万円札を出してきた。ところが、八百屋は細かいお金がたまたまなかったので、となりの魚屋へその一万円札を持って行って両替してもらい、お客に『九千五百円』のおつりとキャベツをわたした。ところが、しばらくすると、魚屋のおばちゃんが『さっきの一万円、にせ札やないの』と言ってきたので、八百屋は自分のところの金庫から一万円を出して魚屋に返しました。さて、八百屋はいくら損をしたでしょう」という問題にさっと答えられる人が世の中に何人いるのでしょうか。

算数の問題にはこういう「まぬけ」なやつがよく登場します。しないでもよい、よけいなことをするやつですね。「太郎君は学校まで毎分80メートルで歩いて行きますが、今日は歩き出して3分後に毎分160メートルで歩いたために、いつもより5分はやく学校に着きました。さて、……」なんて問題がよくあります。子どものころの国語科の講師は「太郎、おまえはなんでそんなよけいなことをするねん、いつも通り歩けばええやないか。しかも毎分160メートルって倍の速さやないか、常人の速さやないで、それ走ってるがな、朝なにがあってん、おかあちゃんに叱られたんか」などと太郎君の心情にまで立ち入って考えてしまい、結局正解できなかった人たちです。

2011年10月27日 (木)

終電車の風景

ご存じの方はあまりいらっしゃらないと思いますが、『終電車の風景』という詩があります。作者は鈴木志郎康さん、結構有名な作品なんですが、現代詩の読者は少ないので、たぶんみなさんご存じなかろうと思います。

この詩がいつかどこかの中学校(灘中学校とか、灘中学校とか、灘中学校とか)の入試で出題されるんじゃないかとにらんでいるんですがなかなか出題されません。

そういう、「いつか出題されるんじゃないか」という詩のリストがあって、もちろん志別その他の教材にどんどん入れているわけですが、今日はその話ではありません。

なんせこのブログは、「どうでもいいことを書く」、というのが身上ですからね!

今日は、西川が見た「終電車の風景」、その思い出について語ります。

残念ながら、今は阪急の京都線に乗っていることが多いので、あまりおもしろい風景には出会えません(阪急電車は総じて品が良い)。

かなり前ですが、若いお母さんに抱っこされた赤ちゃんが、となりに座っていた革ジャン革ズボン金髪ツンツン鼻ピアスのあんちゃんに激しく興味を示し、いっしょうけんめい手を伸ばしているのを目撃しました。お母さんは疲れているのか、うとうとしていて気づきません。鼻ピアスのあんちゃんもヘッドホンして、「くそったれな世の中には拳を上げてファックオフさ!」みたいなとんがった目つきでいたので、赤ちゃんの動きにはなかなか気づかなかったのですが、赤ちゃんの手がついに彼の鼻ピアスにとどきそうになるにおよんで、鋭く赤ちゃんの方に目を向けました。視線がかち合う鼻ピアスと赤ちゃん! 危うし! ・・・・・・しかし、次の瞬間、鼻ピアスは「にかっ」と笑顔になるのでありました。お母さんが気づいて赤ちゃんを抱っこし直しましたけれど、そのときには、鼻ピアスの顔はとても穏やかな、あえていえば幸福そうな表情になっていたのです。まったく赤ちゃんおそるべしですな。

こんなささやかな風景を覚えているぐらいだから、阪急ではあまりインパクトのある風景に出会ってないんですね。革ジャンといえば、これも相当昔ですが、十三駅のホームで革ジャン革ズボンにチェーンじゃらじゃらの男とゴスロリ女性のカップルを見かけたことがあります。それだけならべつに珍しくもなんともないんですが、どちらも年齢が40~45歳、男性は黒縁のサラリーマンふう眼鏡をして頭髪が薄く、女性は林家パー子さんに似ておいででした。相当なインパクトでした。一緒にいた友だちが早速ケータイで写真を撮ろうとしましたが、一応止めました。

JRはそんなに乗る機会ないんですが、なかなか愉快なことがあります。

大阪駅で、ふらふらした足取りでもつれ合うようにして乗り込んできた二人組のサラリーマン。50代半ばの、いかにもサラリーマンのおじさんって感じの酔っぱらった二人組です。酔っぱらってるんで声がでかい。肩を組んだまま二人がけの座席に倒れ込むように座ると、

「部長、しかし、僕は部長の顔にどろを」

「言うな」

「しかし」

と車内に響き渡る大声で会話が始まりました。酔っているので、同じことのくり返しです。

「部長、僕は部長の顔にどろを」

「それを言うな」

と何度くり返したか。しかし何回目かのときに、新たな展開が。

「部長、僕は部長の顔にどろを」

「言うな、すべて俺の責任だ」

「・・・・・・へ? 部長の責任なんれすか?」

「あ、うん、まあ・・・・・・」

いや、これだけなんですけど、爆笑でした。

JRってよく遅れますよね。これは終電車の風景ではありませんが、運休が出たために、普通電車に乗り込んだ人々の数がいつもの数倍にふくれあがり、ぱんぱんに混んでしまったときのこと。駅にとまるたびに当然のことながらホームにあふれんばかりになっていた人々が無理にでも電車に乗り込もうとします。車掌が放送で「無理なご乗車はおやめください」とくり返し言うのですが、もちろん効き目はありません。体が半分出てしまっているのに「いや乗車してますけど」みたいな顔をしているおじさんや、片足をつっこんでぐいぐい食い込ませ何とか乗り込もうとしているOLなどでいっぱいです。

車掌がしだいにてんぱってきて、大阪弁丸出しになっていきます。

「無理なご乗車はおやめください、無理なご乗車は、あかん、あきませんて、すぐに次の電車が来ますよってに、危ないですって、かばんがはみ出てますやん、もうあきませんって・・・・・・」

このときは、ひどい混雑ぶりに殺伐としていた車内が一気になごみましたねえ。もしかしてそれが狙いだったのかもしれません。車掌もおそるべしですな。

さて、終電といえば京阪電車。京阪電車の終電に乗ることが多かった頃はなかなか衝撃的なことがありました。

とりあえず、酔っぱらってゲーゲー吐いている人はしょっちゅう見ましたね。でも電車の中は勘弁してほしいなあ。ドアのそばで手すりにつかまって苦しそうにしゃがんでるなあと思っていたら、突然「おえええ」という声がするんです。臭いってば。

しかし、そんなのはまあ言ってみれば普通のことです。

京阪電車で個人的にもっとも印象に残っているのは、何か忘れてしまったけれどとにかくすごくいやなことがあって僕が深く疲れ切っていたある夜のこと。

僕は二度と立ちたくない気分でだらしなく座席に腰掛け、宙をにらんでおりました。反対側の座席の、僕の正面のあたりには、いわゆる「労務者」風の身なりをしたおじいさん。

あれは八幡市だったか。とにかく京阪の最終電車なので乗客は少なく、駅のホームもひどく寂しげでした。

電車がホームにすべりこみ、ドアが開く直前、向かいに座っていたおじいさんが立ち上がり、何気なく僕の方に近づいてきました。疲れていたので目だけ動かしてじろっとおじいさんを見ると、おじいさんが手を差し出してきます。僕はさすがにとまどってどうしたらいいかわからずにいました。おじいさんは僕の手をぐっと握ると、励ますように肩をたたいてくれ、そのまま降りていきました。

なんだか衝撃でした。ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』を思い出しましたね。ご存じでしょうか。傷ついたり悩んだりしている人間に、(人間からは姿は見えないけれど)そっと寄り添い、ほんの少し元気を分けてあげる、そういうことをしている天使がいっぱいいる・・・・・・という設定の映画です。まあ、僕は気楽な人間なのでそんなに深く悩んでいたわけじゃありませんが、変に心に残るできごとでした。

ちなみに『ベルリン・天使の詩』ですが、どんなふうに話が進むかというと、そんな天使の中のひとりが人間の娘に恋をして、人間になってしまうんです。主役は、名優ブルーノ・ガンツ。しかも、似たような境遇を持つ「元・天使」の役で、あのコロンボ警部で有名なピーター・フォークが「俳優ピーター・フォーク」として出ていました。つまり、「あの有名な俳優のピーター・フォークは、実は元・天使なのだ」というひねった設定だったんですが、おもしろかったですねえ。主人公の元・天使が、『コロンボ警部』を撮影中のピーター・フォークに会って、アドバイスを受ける場面なんてどきどきしました。

それにしても、ブルーノ・ガンツ! もうびっくりしますねえ。映画に出るたびに、完全に別人です。ロバート・デ・ニーロは体型から声からまるっきり変えてしまうので有名ですが、ブルーノ・ガンツはべつにそんなことをするわけではないのに、完全な別人になってしまうんです。あの人はまさに名優中の名優だと思います。

僕もそれほど見たことがあるわけではありませんが、

『アメリカの友人』

『白い町で』

『ベルリン・天使の詩』

『永遠と一日』

『ヒトラー最後の14日間』

ほんとにびっくりしますよ。雰囲気ががらっと変わるんです。『アメリカの友人』なんて、ブルーノ・ガンツが出ていると聞いて見たのに、どれがブルーノ・ガンツかわからなかった・・・・・・!

僕の目は確かに節穴ですが、それにしても変わり過ぎやろ、と思います。

2011年10月20日 (木)

最後まであざとく

だじゃれは「駄」なのだから、おもしろくないものと相場が決まっているのですが、それでもたまにクスッとしてしまうことがあります。「一点の差ですって? なに言ってんのさ」は、書かれているのを見ても気がつきません。聞いた瞬間もすぐにはわからないのですが、気がつくとなんかおかしいですね。「ふとんがふっとんだ」「コーディネートはこうでねえと」と、どこがちがうのでしょうか。音が似ているだけで全く別のものを結びつけるところがポイントになるので、当然意外性がなければなりません。かといって、ナチュラルでないと、あざとさが前面に出てきてしまうのでしょう。「あなたはキリストですか」「イエース」、「百円玉食うてみい」「ヒャー、食えん」はやはりナチュラルです。

「あざといですよ」ということを強調すれば逆にまたおもしろくなってくるのも不思議です。「エッグは『なにご』や」「英語やろ」「たまごや」「……」「ストロベリーはなにごや」「いちご?」「英語や」「……」「コーヒーはなにごや」「英語? ひょっとしてアラビア語?」「コーヒーはしょくごや」。ここまで重ねれば笑えますが、これはだじゃれそのものではなく、「繰り返しによる笑い」「裏をかくことによる笑い」の可能性があります。いずれにせよ、音のぶつかりあいが、だじゃれであり、私たちは意味の病にかかっているために、ときとして、だじゃれによって、新鮮な発見をすることがあるのかもしれません。まさに「かっぱかっぱらった」の詩ですね。

「汚職事件」が「お食事券」に聞こえるのに気づくと、なぜか感心してしまいます。だじゃれのつもりでなくても、そう聞こえるようなことがあるのですね。「北海道といえば、おなじみ大泉…」と書かれていれば、「ああ大泉洋ね」と思うのですが、ラジオなどで耳で聞いているだけだと「ああ、アンビシャスね」と思ってしまうのは「ナチュラル」ですよね。「『おーい、お茶』って、反対は『少ないお茶』か」と思ってしまうのも同様です。「教皇選挙」の「コンクラーヴェ」は、ほとんどすべての人が「根くらべ」を連想したはずです。

糸井重里がやっている「言いまつがい」も、そんな風に言い間違える「フロイト的」理由があるのでしょうが、けっこう笑えます。「スパゲティカルボナーラ」を「スパゲティボラギノール」と言ってしまうのは、「カルボナーラ」はなんだかよくわからないことばなので、言うことに自信がないのでしょう。無意識のうちに、音が似ていて、しかも知っていることば(しかし意味はやはりよくわからない)「ボラギノール」と言ってしまうのだろうと推測するのですが、如何。「赤ワインには、ボラギノールがはいってて、体にええらしいで」というのは、知ったかぶりをしたいのですが、如何せん知識が伴わない。ポリフェノールとボラギノールは音としてもかなり似ているので、この「言いまつがい」は納得できます。「うちの孫、アメリカにホームレスしてまんねん」というお婆さんは、「ホームステイ」より「ホームレス」のほうが身近なことばなのでしょう。遊んでいる子供たちにお母ちゃんが「おまえたちはいいね、毎日がエブリデイで」と言うのは、なにの「言いまつがい」なのでしょうか。でも、言いたいことはなんとなくわかるのが不思議です。

二つの連続する単語や文節で、音が交換されることもありますね。「てっこんキンクリート」や「あつはなついなあ」と言ってしまうやつです。「おかあちゃん、風呂はいるからパツとシャンツ用意しといて」「はいこれ、パツとシャンツ」二人とも気がついていないことがあります。国会の答弁で「補正予算」が「よせいほさん」となってても、だれも気づきません。「クロネコヤマト」を「ヤマネコトマト」と言ってしまうのは、後半の「ヤマ」を前に持ってきたために消えてしまった分を、なんとか帳尻を合わせようという心理が働いて、後半にも実際に存在することばを続けてしまうのでしょうかね。

書き間違いというか、パソコンの変換ミスもよくあります。「汚職事件」が「お食事券」に勝手に変換されてしまっても、夢中になってキーをたたいていると気づきません。さすがに最近はパソコンもかしこくなって、「茹で卵」が「茹でた孫」になったり、「フランス料理」が「腐乱す料理」になったり、「取引先」が「鳥引き裂き」になったりするような、むちゃくちゃな変換はしなくなっているようですが。消去したり書き足したりしながら編集していくために、意外に脱字も多いようです。「学園長杯争奪テスト大会」だからよいのであって、「学園長争奪テスト大会」ではだめでしょ。そんなもの争奪したくありません。ところが不思議なことに申込用紙にそういう風に書いてあっても気づかない人が多いことも事実です。逆に脱字どころか、余分な字があっても気づきません。申込用紙の下の方に点線があって、そこに「キリトリマセン」と書かれていると思わず切り取ってしまいます。一行の最後の方に「そんなことはありま」とあれば、次の行に「ん。」と書いてあっても「そんなことはありません」と読んでしまっています。つまり、書いてあるものが見えず、書いていないものか見えるのですね。

脳というのは、いいかげんでもあり、すごいとも言えます。ないものをあると見なしたり、あるものを見ないふりができたり、場合によっては自分自身で信じ込んでしまうというのは、機械にはできないことです。それを利用したトリックアートなどもよく見ます。ということは、脳はだまされやすいということでもあるわけで、こんなふうに、人間というものは「思い込み」で勝手に決めつけていることが多いのです。ですから読解の文章や設問を読むときも思い込みは禁物ですね……と、強引に「国語」に結びつける落ちは、どういうものでしょうか。「あざとさ」が過ぎますね。しかし、この文章の最後の段落を読みかけた瞬間、こういう結びになりそうだと予感した人はいなかったでしょうか。そういう人も「思い込み」をしていたのかも……。

2011年10月 9日 (日)

栄光の文化ゼミナール~光年のかなた⑦~

どうもこのところ更新が滞りがちですね。僕の書くペースが落ちているのが最大の原因です。
楽しみにしてくださっている方は、べつにいらっしゃらないかもしれませんが、なんとなく、誰にともなく申し訳ない気分です。

さて、最近僕はこのブログの記事を主として電車の中で書いています。実はそのために「ポメラ」を買ったんです。これは今年僕が購入した品物のうちで最大のヒットでした。ご存じですか、ポメラ。完全にワープロ機能だけに特化した、なんていうんですか、電子メモ帳とでもいうんでしょうか、そういうやつです。

開くとちゃんとした五十音のキーボードがスライドして出てくるんですが、コンパクトなので、立ったままでも片手で支えて片手で打ち込むことができます。なんといっても起動が速い。電源を入れたら即使用可能になります。阪急京都線で、サイゼリヤで、十三のあやしい中華料理屋『隆福』で、小さなキーボードに向かってちまちまカタカタと文章を打つ私です。

思えば、僕のワープロ歴は結構長く、大学2年のときに衝動的に買ったのが初めてでした。ディスプレイの幅が1行分のみでたった12文字しか表示されないというおそろしく使いづらいものでしたが、まわりにワープロ持っているやつなんてほとんどいませんでしたから、なんだか得意気に意味もなく日記を書いたりしていました。しかし、毎日これといって何もしていなかったので書くことがなくて困りました。せいぜい「今日も腹が減った」とか「腹が減ったのでデパ地下の試食コーナーを徘徊した」とかその程度しか特筆すべきことがない青春だったのだった・・・・・・。

ちょうどその頃サークルに入りました。「文化ゼミナール」というあやしげな名前の、まあ簡単にいうと読書をするサークルですね。本来であればいろいろな分科会があって、それぞれに興味深い書物を取り上げて・・・・・・という形態になるんでしょうが、人手不足のため、分科会はただ一つ経済学分科会だけ、それも時代遅れの『資本論』第1巻を1年かけて読むという、えもいわれず地味な活動をしていました。結局3年間参加したと思いますが、その間、メンバーは4名~6名、ひどいときにはたった2人でぶつぶつ議論しながら読んでいました。

読書会ってどんなふうにするかといいますと、担当者がレジメをきってくるんです。たとえば、来週は第三章の第一節だということになると、それを段落分けして、内容を簡潔にまとめたものを作ってくるんですね。で、それをもとに担当者が進行役を務め、一段落ずつじんわりと読んでいくわけです。

このレジメをきるのに、件のワープロが活躍しました。ワープロで打ってあると、内容がダメでもなんだか少しましに見えるんですよね。「これだ!」って感じでした。

それにしても『資本論』! あれは国語の勉強になりました。Yさんという経済学部の院生が中心になって、とにかく精確に内容を理解することに主眼を置いてやっていたので、派手な議論が飛び交うわけでもなく、若者らしい青臭い思想や世界観を開陳し合うでもなく、「読点の位置からみて、この主語はここにかかっていくんだから、こう読むのが正しいはずだ」「訳が悪いかもしれんから原典にあたってみよう」(もちろん原典にあたるのはYさん)などといいながら、ひたすらねちねち読んでいました。正直言って、あの3年間がなかったから、僕は国語の講師になっていなかったかもしれない、いやなっていたかもしれないけれど、だいぶちがう感じの講師になっていたんじゃないかなと思います。

1年目はちんぷんかんなので、先輩の説明をふむふむ聞いていることが多かったわけですが、2年目になって後輩が入ってくると、たまには僕が教えるなんて場面も出てきます。あやふやなことをいうとすぐに首をひねられてしまうので、冷や汗かきつつしどろもどろになりながらやっていました。あれが勉強になりました。とにかくできるだけすっきりと、筋道立てて説明をする訓練になったと思います。

読書会は週に1回、6時から9時過ぎまででした。9時になるとサークル室の照明が強制的に消されてしまうのですが、ろうそくに火をともして暗い中でいつまでも話をしていることもありました。

コーヒーを飲むようになったのも文ゼミにいたときです。Yさんがコーヒー好きだったので、一息入れようというときにはお湯を沸かしてコーヒーを飲んでいました。そのうち、よりおいしいコーヒーが飲みたいということで、ベートーベンという豆屋さんでその日飲む分の豆を買ってきて、淹れるときに必要な分だけガリガリとひいて飲むようになりました。

文ゼミに入ったころは、まだ寮生でした。9時過ぎてサークル室を出るといつのまにか雪が降り積もっているなんてこともあり、寮まで帰るのが大変でした。自転車で三十分ぐらいかかるんですが、寒さのせいで背筋がびんと張って、痛くなるんです。雪だと自転車もつるつる滑りますしね。仙台平野をふきすさぶ風に綿入れをなびかせて帰ったものです。綿入れは基本的に部屋着なので、外では寒いっす。

文ゼミはほんとうにとても勉強になる、いいサークルでした。当時のメンバーを思いうかべると、なんだかみんな頭良かった気がします。僕がいちばんぱっとしませんでした。ぱっとしない割に態度だけはでかくて申し訳なかったなあと思います。

しかしながら、そんないいサークルなのに、なぜか人が集まらない。新歓の時期にはなんとかして人を集めようとみんなで知恵を絞りました。

これは僕が入る前の話ですが、

「女の子を呼ぶにはテニスだ!」

と先輩のひとりが言い出し、「キャピタル・テニスクラブ」というニセのサークル名でビラを配布したこともありました。『資本論』の原題が「ダス・キャピタル」というのです。「テニスをするための基礎体力作りに『資本論』を読んでいます」という打ち出しだったのですが、残念ながら、あまりのインチキぶりに、当たり前ではありますが、だれも来ませんでした。その後懲りずに「キャピタル・サーファークラブ」というサークル名のビラも配布したということですが、もちろんどうにもなりませんでした。

大きな立て看板をつくったこともありました。認知度を高めるのがねらいです。なにかインパクトのあることを書こうということで、「少年老いやすく老人死に易し」という何が言いたいのかまったくわからない言葉を書いてみました(これはYさんがサークル室の黒板に書き付けていた警句です)が、やはりだれも来ませんでした。

僕の青春の日々はそうやって楽しいような空しいような感じで過ぎていくのでありました。

2011年9月28日 (水)

鯛獲るマッチ

デジャブと思えるものが多いと書きながら、これ前にも書いたぞと思うのはデジャブではないだろうか、と書きながら、このフレーズも前に書いたのでは……という、「雑誌の表紙がその雑誌を持っている人で、その人が持っている雑誌の表紙にもその雑誌がうつっていて」状態になってしまうのは頭が弱くなっているからでしょう。

死んだはずの人間が帰ってくる、というパターンも最近多いですね。たぶん私が最初に接したのは『天国から来たチャンピオン』という映画だったと思います。ウォーレン・ビューティー主演のやつですが、今は「ビーティ」だか「ベイティ」だかと書くようになっています。アメリカ大統領だったレーガンも映画俳優時代にはリーガンでした。最初この映画の主演に予定されていたボクサーのモハメド・アリはカシアス・クレイを改名したので、これは発音上の問題ではありません。アリに断られて制作のウォーレン・ビューティーが自ら主演したのですが、これもじつは相当古い作品のリメイクらしい。さらに、『天国から来たチャンピオン』をリメイクした作品もあったはずです。

それだけ魅力ある設定なのでしょう。幽霊大好き作家の浅田次郎なんか、このパターンは好きそうだなと思ったら、すでに「椿山課長」でやっていましたね。宮部みゆきでさえ『蒲生邸事件』でタイムスリップものをやっていますし、江戸時代の妖怪ものは『しゃばけ』以来大はやりで、ひどいものもたくさん出ています。どれもこれも設定が少しちがうだけで、あまり区別がつきません。いずれにせよ、いちばんはじめがあったはずで、最初に思いついたやつがえらかったのですね。とはいうものの、なにが元かは今となっては不明なのでしょう。聖書に出てくるノアの洪水の話でも、メソポタミアのギルガメシュ叙事詩に出ているとか…。

落語に「てれすこ」という話があります。妙な魚がとれたが名前がわからなかったので、奉行所が名前を知っている者にはほうびを与えると立て札を立てたところ、一人の男が「『てれすこ』という魚です」と言ってきた。ところが、その真偽を証明できる者はだれもいないので、ほうびを与えるしかありません。奉行はその魚を干しておいて、しばらくしてからまた同じような立て札を立てると、案の定その男が現れて、「『すてれんきょう』といいます」と言ったので、「同じ魚を干しただけなのに、ちがう名前を言うとは、お上をたばかる不届き者め」と処刑されることになりました。最後の望み、ということで家族を呼んでもらった男は家族に言います。「『てれすこ』を干したものを『すてれんきょう』と言ったばかりにわしは処刑されることになった。おまえたちに言っておく。今後、どんなことがあっても、『いか』の干したのを『するめ』と言うなよ」それを聞いて、奉行は男をおゆるしになりました……という話ですが、この話の原型は鎌倉時代の説話集『沙石集』に出ています。でも、さらにその元になった話があったかもしれません。

古代エジプトの象形文字や楔形文字を解読してみたら「近頃の若い者はなっとらん」と書かれていたという笑い話からもわかるように、しょせん人間の考えることは似たり寄ったりなのでしょう。テーマは安易でも、どう見せるかという切り口で傑作になるのです。死んじゃいましたが、小松左京の作品なんて、発想がそのまま作品のテーマで、「もし…」という設定だけで大長編にしていました。「日本列島が沈没したら」というテーマは、ほかにも考えつく人がいるかもしれませんが、そこからいろいろな方向に話を広げて、まとめあげる腕が必要なのでしょう。筒井康隆なんて、そのパロディで、『日本以外全部沈没』を書いています。これは筒井康隆のような天才レベルでないと思いつかないテーマです。

ただ、設定がいくらおもしろくても、どう結末をつけるかがポイントですね。「で、オチは」と聞かれるようではだめです。とくに、大阪人はどんなことにもその要求をします。気の毒な出来事を涙ながらに聞いていて「かわいそうになー」と言いながら、最後に「ほんで、オチは?」と聞くのが大阪人です。きれいに決まらないと怒られます。話を広げるだけ広げて、まとまりがつかなくなったときの逃げ方として「続きはWebで!」というのがありますが、一回は許されても二回目は許されません。ましてや、「がちょーん」とか「だっふんだ!」の擬声語オチは昭和で終わりました。夢オチは禁じ手ですし。『ドラえもん』が夢オチであったという都市伝説もありますが…。有名なところでは、「邯鄲の夢」がきれいに決まった夢オチですが、古典なので許されるでしょう。これが夢オチのいちばんはじめというわけではないでしょうが。『不思議の国のアリス』も夢オチですが、ファンタジーなのでOKのようです。せっかく話を積み上げ、大風呂敷を広げてきて、さあこの結末をどうつけてくれるんだろうと期待していたのに、じつは夢でした、と言われたら「金返せ-」となるに決まっています。だから安易な夢オチは禁じ手なのでしょうが、中にはわかっていないアホタンもいるようです。立川談志の「鼠穴」という落語に「まさかの夢オチ!」と言って、談志を批判している「落語を知らないバカ」もいました。たしかに、これは典型的な夢オチですが、古典落語です。夢オチが禁じ手だという人がいなかったころの作品なのでしょう。それを批判するのは、古典落語がどういうものかわかっていないのだろうし、語り手の談志を「才能なーい」とたわけたことをぬかすのは、談志の作ったネタだと思っているのでしょう。自分でネタを作る若手の漫才と区別が付いていないアホタンで、ところがこういう若い人たちが「夢オチ即ダメ」と「知ったかぶり」をするのですね。納得して笑えるなら、夢オチもありでしょう。

いずれにせよ、単純な笑いが楽しいようです。ことわざの授業で「海老で鯛を釣る」が出てきたときに、「ほんとは鯛を手に入れるためにはもっと安上がりなえさがあるけど、何かわかるか」「わかりません」「マッチや、マッチ」「えー、なんでですか」「タイトルマッチいうやろ」「……」最近の若いやつら、単純な笑いもわかりません。

2011年9月18日 (日)

ポイントは三つある(2)

今回のタイトル「ポイントは三つある」は、以前に山下先生が使ったものなのですが、

拝借しました。

国語の講師という仕事を長年していると、いろいろな習性が身につくものです。

①本屋に行くと、自分の読みたい本よりも先に、入試に狙われそうな本をつい探してしまう。

②文章を読むときに「ここを空らんにしたら面白い問題が……」と考えてしまう。

③一般化できないか、と知らず知らず考えている。

上の①や②は同業の方々にはうなずいてもらえそうです。③はというと、「ことわざ」などを教えていて、「とかくこの世はこういうものよ」という考え方に帰着させるというか、文章を読むときにも「結局この文章はこういうことを言いたいのだよね」などと「まとめる」くせがついていると言えばわかっていただけるでしょうか。

古今東西いろいろな人が残した名言や格言があります。できれば自分もこの世に一つくらいは名言を残して去りたいものよのうなどと思っていますが、そんな大それたことは無理として、

このブログを読んで下さっている方へ。

「ひとつ、ふたつ、いっぱいの法則」

これをいつ思いついたか思い出せず、それも自分のオリジナルではなく誰かの本で読んだのか、それすら曖昧なので汗顔赤面すいまめーんなのですが。

カラスはいくつまで数を認識できるか、ということを研究した文章がありましたが、われわれ人間はもちろん、非常に大きな数を扱うことができると思われています。

とはいうものの、普段われわれは結構きちんと数を認識していないと思うのです。

多くの人が多くの場面で、三つ以上になるともう「いっぱい」くらいの括りに入れてしまう。

例えば、悩みごとも、「仕事の〆切は迫っているし、友人の結婚式のスピーチを来週しなきゃなんないし、足の爪を切り過ぎちゃって痛いし、いま俺いけてない! 悩みだらけの大ピーンチ! 不幸のデパート!」なんてことに。三つも悩みがあれば、充分いっぱいいっぱいになる人が多いのではないでしょうか。私だけでしょうか。

その逆で、「あの新人はあいさつがさわやかだし、いつも早く出勤するし、机の上もよく整理されているなあ、うんうん、感心感心」などと、人の評価も、プラスポイントが三つくらいあれば、結構高評価にしてしまったり。

毎週の授業でたまたま同じ曜日に同じネクタイをしていくことが三週も続くと、

「先生いーっつも同じネクタイやね~」なんて目ざとく見つけて言う生徒がでてきたり。

「この服かわいいわ、あ、あのテレビドラマでヒロインが着てたのに似てるし、やだ、このショップ、今ならポイント二倍なんですって、え?限定品? 買わねばだわ!!」

どうも、われわれは「1、2、……いっぱい」という数認識が多いのではないか。

これを逆用する手もありまして、「他人を説得するとき」など、この理論?が応用できます。

理由や根拠を三つ用意しておくわけです。ゆめゆめ「二つどまり」にならぬこと。

自分を元気づけるときにも好材料を三つ挙げてみる。「俺って実はメタボだけど意外と頭髪はだいじょぶじゃん、それに最近何年間か免許証はゴールドキープだし、今年はヤクルト調子いいよな」なんて。

三つというのが意外にポイントで、四つ五つになると「くどーい、理屈っぽい、そんなに言われるとかえって冷めるわん」となりますので、三つぐらいがほどよい「いっぱい」なのかもしれませぬ。

2011年9月13日 (火)

コロンの卵

外国の小説の中でアルカード(Alucard)と名乗る人物が現れたら、その正体はまちがいなく吸血鬼です。ドラキュラのさかさことばですね。「吸血鬼文学」ということばがあるぐらい、吸血鬼というのは小説のテーマとしては魅力的なようで、多くの人が手がけています。スティーブン・キングの『呪われた町』なんて、そんな古典的なテーマを扱いながらも、古くささを感じさせない、いわゆるモダンホラーでした。まあ、「ホラー」と言っても、べつにこわくはないんですがね。だいたい、ホラーというのは何がこわいのでしょうか。

とくに外国物は、恐怖はほぼゼロですね。『エクソシスト』や『オーメン』なんて、むしろワクワクする楽しさでしょう。『オーメン』が文庫で復刊したときの値段がなんと666円でした。出版社のほうだって、そんなおちゃらけたことをやっているぐらいです。細かいストーリーは忘れましたが、たしかジャッカルが生んだ子とかいう設定ではなかったかなあ。荼枳尼天ですね。『リング』のテレビ化もひどかった。ビデオを見たら死ぬというのが、小説を読んでいない人たちの間で広まって都市伝説にもなったぐらいですが、文章の形ならまだしも映像になったらダメですね。テレビの画面から出てくるところは想像すればこわいだろうなとは思いますが、人間が演じて現実にやってしまえば滑稽ささえ出てきます。

やはり想像力、イメージの力というのはすごいものがあります。イメージで思い出しました。6年で「漢字の征服」というイベントをやっているのですが、ある生徒が質問しました。「合格点は96点? 前と同じですか」「なんや、君だけ98にしてほしいということか」「(あわてて)いえいえ、そういうわけでは」「じゃあ、君だけ特別に合格点を決めよう。君の合格点は、君のとった点数プラス2点、いうのはどうや」「えー、それ、にんじんを前にぶらさげた馬やんか」このやりとりで、この馬のイメージを瞬間的に思い浮かべられる人は国語力が相当あります。Nくん、君のことだよ、ハッハッハッ。

話をもどすと、三遊亭円朝が「天井から血がタラタラッ」と言った瞬間、話を聞いている人たちが一斉に寄席の天井を見上げたとか、畳の席に座っていた客が満杯だったのに、話が進むにつれて、四隅があきだしたとか。あとのほうはもちろん、こわさのあまりみんなが身を寄せ合いはじめたんですね。怪談は見るよりも聞く方が圧倒的にこわいようです。稲川淳二が人気のあるゆえんです。ミロのヴィーナスの美の理由も想像力だそうです。手が発見されていない形だからこそ見る人が想像で補い、そこに美が生まれるのだと。最初から手があれば100点なのかもしれないが、ないことによって120にも150にもなるということだそうです。このへんの考えは吉田兼好も言っています。教科書にもよくとられている部分です。「月はくまなきをのみ見るものかは」というやつです。満月でなくても心の中でえがく美しさがあるし、雨であっても雲の向こうの月を想像する美しさがあるというのです。花も同じで、咲く前、散ったあとにも見どころがあると言っています。

『徒然草』にはデジャブの記事もありますね。「今見ている情景、こんなん、たしかにあったよなー、と思うのは私だけでしょうか」と言っています。でもデジャブが起こるのは、脳の調子が悪いときらしい。脳は、今見ている情景を自動的にカードに記録して、とりあえず脳内のキャビネットや机の引き出しに入れるそうです。それを睡眠中に短期・中期・長期記憶のどれかに分類して必要に応じて取り出したり、「ごみ箱」に入れたりすることになっているようですね。ところが、たまにカードを入れた引き出しを思い切り強く閉めると勢いではね返って、引き出しがもう一度出てくるときがある。そうすると、脳が錯覚を起こして、「あれっ、今見ているこの情景、引き出しから取り出した過去の記憶カードに書いているぞ」ということになってしまいます。これがデジャブだとか。ということは、「おれはデジャブ、よくある」と自慢している人は頭が弱くなっているのを自慢しているということですね。

何度も書いているような気もしますが、最近のドラマや映画もデジャブかと思うぐらい同じようなものばかりですな。泣かせるために主人公を白血病にしてしまうのは、大昔の少女マンガでよく使われる手でした。もういいかげん飽きて、さすがにこんな安易な手を使う人がいなくなったころ、「セカチュー」というのが出ました。もうそのころには、これが安易な手であることを知らない人が増えてきていたのですね。入試でよく出題され、手アカがついたような文章があります。安岡章太郎の『宿題』とか、最近ではあさのあつこや重松清の作品とか。どの問題集にものっているので、またか、と思うのですが、さすがに何年かたって改訂されると、そういうものが消えていきます。みんなの見る機会が減ったころ、思い出したようにまた出題されるのですね。「セカチュー」はタイトルからして、「なにそれ」と思いました。『世界の中心で愛を叫んだけもの』という作品名をそのまま使っています。この作品名をパロディとして「エヴァンゲリオン」がパクったものをパクったのでしょうか。ひょっとして、そういう先行作品があることを知らなかった? あえて「デジャブ」をねらったのなら、それはそれで評価できます。

「タイムスリップもの」もそろそろいいかげんにしてほしいなあと思いますが、もはや「時代劇」「推理もの」「タイムスリップもの」というようなジャンルになってしまっているのかもしれません。『仁』にしたって、設定は安易でした。『戦国自衛隊』も安易でしたが、ばかばかしくておもしろかったなあ。自衛隊が戦国時代にタイムスリップして上杉謙信を助けるという発想が、そのころは魅力的でした。半村良はなかなかでしたね。この人が「タイムスリップもの」を始めたわけではないでしょうが、初期のころは新鮮でした。コロンブスの卵ですね。でも、卵は底を割らなくても、そっと立てると立ってしまうとか…。コロンブスはスペイン読みでは「コロン」という発音になるというのもおもしろい。

2011年9月 3日 (土)

台風襲来

暴風警報のため金曜日・土曜日と授業が中止になりました。これを書いている土曜日正午過ぎの時点ではたいした風は吹いていませんが、何が飛んでくるのかわからないのでやはり危険ですね。

山で強い風が吹くと、ほんとうに飛ばされそうです。数年前に、槍ヶ岳の頂上直下で強風にさらされたときは、岩につかまっていないと体がよろめいて滑落してしまいそうでした。「ひ~」と恥ずかしい声を出しながら岩にしがみついていると、頂上方面から、ポケットに手をつっこんで歩いてくるおっさんを発見しました。「穂先はもうちょい風が強かったよ」と言ってすたすた下りて行くおっさんを見送りながらへっぴり腰で岩に抱きついている自分が情けなかったです。

もうひとつ、風が強いとやっかいなのはテントの設営です。たとえば雪山で、山小屋なんかも閉じているときにうっかりテントを飛ばされてしまうと目もあてられません。

これも数年前の話ですが、八方尾根スキー場から唐松岳めざして登っていたときのこと、途中から吹雪になって視界がきかなくなり、平坦な稜線上にテントを張りました。しかし、テントを張るのに最も良さそうなポイントをさがすのがなかなか面倒です。一見平坦でも結構でこぼこしていたり傾いていたりしますし、できることなら多少の遮蔽物があって風をよけられれば理想的です。

このときは、うろうろしていると大きなケルンがあり、周りに木の杭なんかも打たれていたので助かりました。ただの石積みのケルンは危険ですが、きちんとした建造物になっていれば安心です。木の杭にテントを固定することができてラッキーでした。

なんとか設営を終え、缶ビール片手に(寒くて震えていてもビールは飲む)ケルンの正面にまわると、「長男◎◎ここに永眠す」というレリーフが。

げっ、と思いつつ、しかたなく手をあわせ、「◎◎さん、僕を守ってね」とお願いする私でありました。

◆◇◆

山といえば、怪談話がつきものです。

夜中に、だれもいないテント場で女の人たちの笑い声を聞いたことがあります。強い悪意は感じませんでしたが、ちょっといじわるな感じの声でした。あれは、木霊じゃないかなと思うんですが、どうでしょう。立ち枯れた木がたくさん残っている辺りでした。

大幅にタイムが狂って、夜に新雪が積もった奥穂高を歩くはめになったときは、ちりんちりんという鈴の音が聞こえてきました。きれいな音でした。よく考えるとそんな音が聞こえるなんておかしな話ですが、なんせ「遭難したくない~、生きて帰りたい~」と半泣きになって必死のぱっちで歩いていたときだったので、「へえ~、鈴ですか、はいはい」と思っただけでした。

しかしながら、はっきりと「霊」というものを見たことがあるわけではありません。そういう世界を信じているかと問われれば、「う~ん、どっちでもいい」って感じです。以前はよく「金縛り」にあいましたが、それが心霊現象だという実感もありません。ただ、「信じているかのように」話したほうが、楽しいしおもしろいなあとは思うようになりました。あくまでも楽しめる範囲でという限定つきです。「このツボを買わないと不幸になるぞよ」式の話は楽しめないので僕としてはNGです。

2011年8月23日 (火)

光年のかなた⑥

私が2年間暮らした、T北大・学生寮の話を続けます。

あの寮は、とにかくばっちかった!

僕はあの2年間の寮生活のせいでハウスダストアレルギーになったんだと思います。寮内で引っ越しをするたびに寮生たちがカーペットを隣の中学校の金網に干してばしばしと叩くんですが、掃除機を持っている寮生なんていなかったですから(もしかすると若干名いたかもしれませんが僕は見たことがない)、それはもうモウモウとおそろしいほどの埃が舞っていました。恐れおののいた僕は、「叩けば埃が出るとはこのことか」と思い、金輪際カーペットを干したりするのはやめようと心に誓ったのでした。

そのせいというわけではありませんが、そういえば僕は仙台で過ごした7年半のあいだ、一度もふとんを干したことがありません。

友だちがふとんを干しているのを見て、何であんなことするのかなあと思っていました。ふとんを干せばふかふかして気持ちがいいのは知っていましたが、それだけのことだと思っていたんです。つまり、ふとんを干さないでいるとダニがわいたりカビがはえたりするということを知らなかったんです。

で、これは一軒家に移ってからの話ですが、一夏押し入れに放りこんでおいた掛け布団を秋になって引っ張り出してみると、見事にカビが一面にはえていてビックリ仰天するはめになりました。なんでこんなことになっちゃったんだろう、運が悪いなあと思いながら、その冬は寝袋で過ごしました。

でもね、仙台の冬はすごく寒いんです。やがて、夏用の薄い寝袋では寒くて寒くて眠れないようになってきたんですね。イソップに出てくるキリギリスみたいな気持ちでした。

研究室で先輩に相談すると、

「西川くん、そういうときは新聞紙だ、寝袋にさ、新聞紙を入れるとあったかいよ」

「え? うそ?」

「公園で寝ているおじさんたちを見たまえ、みんな段ボールに入って新聞紙にくるまっているだろう? 新聞紙は空気をとおさないからあったかいのさ!」

「なるほど!」

というわけで、さっそく試してみると、ほんとにとても暖かいのです! 幸せな一夜でした。

しかし、朝起きると、インクでパジャマが真っ黒けになっていました。なはは。

いや、これはあくまで学生時代の話です。今はそんな不潔な暮らしはしていないので(山にいるとき以外は)、安心してお子さんを通わせていただいてもだいじょうぶかと・・・・・・。

◆◇◆

ばっちいといえば、築30有余年の寮は落書きだらけでした。部屋の壁から天井から、廊下にいたるまでとにかくひたすら文字が書きまくられ、なんだか「耳なし芳一」の体のようでした。

そういえばほんとうに顔にお経を書かれていたやつがいたなあ。

僕のいた「有朋寮」ではなく山の上にある「以文寮」に住んでいたHくんというのが、酔っぱらって寝ているあいだに顔に「般若心経」を書かれたのだけれどそのことに気づかないまま山をおりて有朋寮を訪ねてきたことがありました。

「おまえ、顔に何書いてるんだ」

「わしは何も書いとらん」

「書いてるよ。なになに、観自在菩薩・・・・・・」

「なんじゃそりゃ」

「おまえは琵琶法師か」

Hくんは僕の知り合いの中で最もインパクトのある変わり者で、留学したオランダで結婚して日本料理店を営んでいるという噂を聞いたきり消息不明になっていましたが、最近連絡がとれました。希学園のHPをみて塾宛にメールを送ってきてくれたんです。やはりまだオランダに住んでいるとのことでした。いやはや無事でよかった。

頭に「南無八幡大菩薩」と書かれたSくんというのもいました。後に応援団の団長になった男ですが、これが語るも涙聞くも涙のかわいそうな話でしてね。

七大戦?だったかな、とにかく旧帝国大学の7つの大学がいずれかの大学に一堂に会して運動会みたいなことやるんですね。僕はよく知らないんですが。「運動会」というと怒られるかもしれませんが、要するに体育会系の部が集まって競技会みたいなことをするわけですから、運動会ですよね。

で、当然それは応援団の晴れ舞台でもあるわけです。Sくんも団員として参加しなければなりません。

ところが、Sくんはその期間に追試を受けなければ留年してしまうという瀬戸際に追い込まれていたのです。

Sくんとしては、留年はしたくないが、応援団の鉄の掟というものがあり、七大戦に参加しないというのは考えられない。

そこで苦肉の策といいますか、「策」というほどではありませんが、とにかく教授に頼み込みに行こうと。ただ行って「なんとかしてくれ」では誠意が伝わらないので、頭を剃って恐縮の気持ちといいますか陳謝の意を示そうと考えたわけです。

そこで、頼み込みに行く前夜、寮の一室で厳かに剃髪の儀が執り行われたわけですが、酔った先輩寮生(留年して寮に残っていた)が、「頭を剃るぐらいではダメだ」と言い出し、眉毛を片方、剃り落としてしまったのです。

「ああっ! 何するんですか!」

「すまん、しかし、片方の眉がすでになくなった今、もう一方も剃らないとかえっておかしいな」

「あ、ああっ、やめて~!」

両方の眉がなくなったSくんの顔はそれはそれはおそろしかったですねえ。もともといかつい風貌でしたから、凄まじい顔になっていました。鏡を見たSくん、

「こ、これは・・・・・・これでは教授に頼み込みに行けないじゃないですか!?」

「うむ。これでは頼み込みではなく脅迫になってしまうな。ひたすら謙虚な気持ちであるということをあらわすために、頭に恭順の意を示す文言を書き記そう」

「そんなことできません!」

しかし、次から次へと酒を飲まされなんだかんだと言いくるめられたSくん(ちなみにSくんは浪人しているのですでに成人でした)の頭には、いつのまにか「南無八幡大菩薩」の文字が油性マジックで大書されてしまうのであった・・・・・・。

留年確定です。

◇◆◇

さて、寮の落書きの話ですが、僕が寝ていた備え付けの寝台の天井には島崎藤村の「初恋」が書かれていました。古き良き青春ですねえ。

落書きをさらに増殖させている寮生もいました。

第99期山田内閣で一緒だった文学部のMくんは、部屋の壁から天井から机からイスからスタンドにいたるまでひたすら「ゆうゆ」と書きまくっていました。私と同世代の方なら覚えておいでかと思いますが、あのおにゃんこクラブに所属していたアイドルです。いまひとつあか抜けない感じでどこがそんなにいいのかよくわかりませんでしたが、Mくんはゆうゆ一直線なのでした。

あとは麻雀関連の落書きが多かったですねえ。何年何月何日の何時にナントカいう役を完成させたみたいな。僕は麻雀ができないのでよくわかりませんでしたが、「大三元」「小三元」という役の名前は覚えています。というのは、当時寮に「小三元」という名前のネコが棲みついていたからです。

白黒なんですが、鼻の下に昔の泥棒ひげみたいな黒い毛が生えており、なかなかの悪相でした。気まぐれな寮生たちにかわいがられたりいじめられたりしながら、ふてぶてしく寮内を徘徊していました。「ねこ~」と言いながら追いかけてくる変な寮生もいたりしてなかなか大変だったにちがいありません。

その小三元の子どもかどうかわからないんですが、とてもかわいい三毛の子ネコも一時棲息していました。名前はなんかみんな適当につけてそれぞれ好きなように呼んでいたみたいです。僕らはなんて呼んでたかなあ、ねこ丸とかなんとか呼んでいたような記憶があります。

この子ネコがよく僕の部屋に来ていました。眠った僕の枕元に上がり込んで突然にゃあと鳴き、飛び上がるほどびっくりさせてくれたこともあります。

あるときは僕の机の下に潜り込んでカーペットをがりがり引っかいているなあと思っていたら、あっという間にうんちしていたなんてこともありました。

かわいかったですけれど、なんせ僕は自分の食べるものにも事欠くありさまでしたから、にゃあとすり寄られてもあげるものがなくてかわいそうでした。

しかしもともと動物は好きなので、一軒家を借りて住むようになってからの話ですが、衝動的にゴールデンハムスターを飼いはじめてしまいました。薄い茶色のメスが「しまこ」で焦げ茶色のオスが「きょたろう」だったかな、これが油断していたらばらばらっと増えてしまって、最終的に10匹になりました。うっかりケージを開けっ放しにして出かけたときは、10匹のハムスターすべてが逃亡をはかり、僕が帰ってきたら家中のあちこちをハムスターたちがうろうろしていた、なんてこともありました。基本的にのろまなのですぐにつかまるのですが。

生き物を飼っているといろいろ制約や義務感が生じます。たとえ飼い主は低血糖でも、ハムスターのえさを欠かすことはできません。どんなに酔っぱらっていても、眠る前にはにんじんを輪切りにしてケージに放り込み、やつらがシャクシャクと食べる音を聞きながら眠りました。

酔っぱらってにんじんを切っているときに不必要に包丁をふりまわして(殺陣の練習をしてたんです)壁にぶつけ、先が折れてしまったこともありました。この包丁は、一緒に暮らしていたまじめでしっかり者のIくんが買ってきたものでしたが、Iくんはため息をついただけで許してくれました。優しかったです。というか、何を言っても仕方あるまいと思ったのかもしれません。

まったく、われながらしょうがないやつでした。

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