2012年5月23日 (水)

リオデジャネイロは東京弁

「めちゃめちゃ」「むちゃくちゃ」の省略形の「めっちゃ」や「むっちゃ」は元の形がわかりますが、「むっさ」となると、瞬間、ン?と思います。ましてや「ごっさ」となると、なにそれ?と思ってしまいます。これは、さすがに定着せずに消えたような……。「ばり」というような「新方言」もありますが、これは何でしょうね。「ばりばり仕事をこなす」のように元気で勢いよく活動する様子ではなく、「非常に」の意味で使っているようです。最初のころは「ばりばりむずかしい」のような言い方をしていたのが、「ばりむずかしい」「ばりむずい」というように、どんどん短くなっていきました。ヤンキー系のことばのような気もするし……。「バリバリ伝説」は全然関係がないのかなあ。

「新方言」の一つの特徴は、省略形が多いことでしょう。「気色悪い」が「きしょい」、「むずかしい」が「むずい」になるように。まだ使う人は少ないようですが、「はずい」というのを聞くことがあります。「はずかしい」の省略形なので、「むずい」と同じで、特に問題はないようですが、「はずい」と言っているのを聞くと、なにか「はずい」ような気がします。「鬼~」や「ブルー入ってる」のように、いかにも若者が作りましたということばは聞いているほうも相当「はずい」し、すぐに消えてしまいましたが、「はずい」の作成法は「オーソドックス」なのに、なんか妙な感じがします。「気色悪い」は六音なので省略したくなりそうですが、何音なら略すのでしょうか。「むずい」はもともと五音です。それなら「ありがたい」は「ありい」、「やかましい」は「やかい」になってもよいのに、そうなっていません。「おびただしい」は六音ですが、「おびい」とは言いません。というより、「おびただしい」ということば自体、日常会話では使わないか。

そもそも省略形は形容詞が多いようです。形容詞は特に感動を強く表すときに語幹のみで使われることがあります。強烈にくさいときは「くさ!」になります。「くっさー」となると岡八郎です(みんな知らんやろなー)。形容動詞も同じで「きれいだ」は「まあ、きれい!」になります。女の人のこういう言い方を聞いた子供たちは、「ビューティフルな状態」のときには「美しい」とも言うし「きれい」とも言うのやな、「美しい」は「美しかった」と言えるから、「きれい」も「きれかった」と言えるやろ、と勝手な類推をしてしまうのですね。「まずい」場合は「まず!」で、はげしくまずい場合には「激まず」という使い方もします。「むずかしい」は本来「むずかし!」ですが、強く感動を表したいのに、ことばとしては長すぎるので「むず!」になるのでしょう。「気色悪い」も叫び声として使いたいことがあるので「気色わる!」が「きしょ!」になったのでしょう。ということは「はずかし!」が「はず!」になってもおかしくないのですが、そうすると「恥ずかしい」と同源の「恥ず」という動詞と区別がつかなくなるので、本能的に避けたのでしょうか。いやいや、まさかそこまで高度なことを考えるとは思えませんな。

単語が時代によって変化するのは当然ですが、発音も変わっていくわけです。大阪では「淀川の水」が「よろがわのみる」になり、「きつねうどん」が「きつねうろん」になり、「し」が「ひ」になまって、布団は敷くものではなく、「ひく」ものでした。でも、そういうなまりはほとんど消えてしまっています。しかしながら、根本的な部分はなかなか変わらないのでしょうか。一音語をのばして発音するという特徴は健在です。「一、二、三、四……」は東京人なら「いち、に、さん、し……」ですが、大阪人は「いち、にい、さん、しい…」です。「木がはえる」は「きいがはえる」、「目が悪い」は「めえがわるい」になります。「手をあらう」が「てえあらう」になるのは「を」を省くという特徴も含んでいます。「胃」も「いい」ですが、これは「イー」の発音になっています。昔の人は「いい」の二つ目を強く発音していたような気がします。東京で授業をしているとき、保護者の方との話の中で「詩の出題が減ってきた」と言ったのですが、一瞬けげんな顔をされました。たしかに「しいのしゅつだいが……」と言ったのでは、東京の人にはわかってもらえません。

どちらにせよ、一音語を長音化するのは関西弁の特徴であり、東京ではないはずなのですが、「二二六事件」の読み方はどうなのでしょう。わが大阪人なら当然のごとく「にいにいろく」ですね。江戸っ子は「ににろく」と発音するはずですが、そんなふうに言っているのを聞いたことがありません。どうして、これだけ関西弁を真似するのか説明できる人がいないかなあ。「問う」の過去形で「問った」と言えずに「問うた」という「ウ音便」(謎の韓流スター、ウオンビン)を借りざるを得ない東京言葉の未熟さゆえでしょうか。ただ、どういうときに未熟さが露呈されるのか、規則性がほしいですね。「買った」と言って「買うた」と言わないくせに,「ありがとうございました」というときにウ音便を使わざるを得ないのはわかります。これが敬語だからですね。上方に比べて、関東は敬語が未発達だったから、関西のものを借りるしかなかったのですが、「問うた」も「二二六事件」も敬語とは関係がありません。もし「二二六事件」にふりがなをつけろという問題が出たら、やはり「ににろくじけん」と書かないと×なのかなあ。

イントネーションも少しずつ変わっていくのでしょうね。発音の平坦化はコンピュータ関連の人の発音が平たいところから生まれたのだろうと思っていましたが、「秘密のケンミンショー」などを見ていて、ひょっとして「栃木弁?」と思いました。U字工事やつぶやきシロー、立松和平、ガッツ石松など、文全体としては尻上がりイントネーションのようですが、単語それぞれについてはアクセントがあまりないような感じがします。「彼氏」を「枯れ死」のように発音する感じですね。東京言葉の中に方言がはいりこんできたのかもしれません。逆に地方には東京言葉がはいりこんできます。「~じゃねえよ」とか言う大阪人なんて本来ありえないはずなのに、友達どうしの会話のつっこみに使う人も多いようです。さすがにこういう部分は東京風のイントネーションのままなのですね。そりゃそうです、東京のことばをそのまま真似しているのですから、それは大阪弁じゃねえよ。

2012年5月16日 (水)

読書の話~頭がすっきりする本②

前回、「頭がすっきりする本はないかしら」という話題から、「対話形式で物を考える」という話題を経由し、「対話」について書かれたバフチンの本を読むぞ~と思いついて話が終わりました。

そのとき、グールドの『人間の測りまちがい』を再読していたので、これを読み終わったらバフチンの本を読もうといったんは決めたんですが、結局、せっかちな私は、グールドをうっちゃって、さっそくバフチンの『小説の言葉』にとりかかりました。で、本日の昼過ぎ、阪急電車京都線準急の中で読了しました。

この本は確か10年~15年ぐらい前(ひょっとするともっと前かも)に1度読んだことがあり、そのときからバフチンの言う『対話』という概念は引っかかっていたんです(良い意味で)。で、折にふれて考えようと胸に刻んだまま幾星霜、いつのまにやらほとんど忘れかけていた頃に、あらためて、考えたいテーマとして前景化したといいますか、浮上したわけです。

『国語まにあっくす』なので、少しだけマニアックな話をしますと、バフチンが「対話的」と呼ぶのは、登場人物同士の会話に限られません。たとえば、次のような文も「対話的」ととらえます。

「しかしタイト・バーナクル氏は、いつもボタンをきちんとかけていた、また、そうであるがゆえに重鎮であった。」(ディッケンズ『リトル・ドリット』 訳;伊東一郎)

なぜこれが「対話的」な表現といえるのか、バフチンは次のように説明します。

「そこには実際には二つの言表、二つの言葉遣い・・・・・・意味と価値評価の二つの視野が混ぜ合わされている」

「全く同一の言葉が・・・・・・二つの視野に同時に属し、従って矛盾しあう二つの意味、二つのアクセントを有することさえしばしばある」

上のディッケンズの例にあてはめると、まず、「バーナクル氏は、いつもボタンをきちんとかけていた」という部分には何の問題もありません。ところが、その続き、「そうであるがゆえに重鎮であった」という部分には、ある特殊な(変な、という意味ではありません)物の見方が表れています。この物の見方(ボタンをきちんとかけている人は重鎮である)は、一般世論=一般的で卑俗な通念にのっとった物の見方になっています。作者は、形式的には、この物の見方に同調するような書き方をしていますが、実際のところは、この「そうであるがゆえに重鎮であった」という表現からは「皮肉な」調子が読み取れます。つまり、一般世論とは異なる作者独自の見方が織り込まれているわけです。ここでは、作者の見解は「直線的」には述べられず、他者の言葉の中にまぎれこむように、いわば「屈折」されたかたちでにじみ出ています。ものすごく簡単に言うと、こういうこともふくめて、バフチンは「対話的」と呼んでいるわけです。

おもしろい! ・・・・・・ですよね?

バフチンは小説の文体論としてこの書物を著したわけですが、この「対話的」という概念の射程はもっと広いんじゃないかと僕は思います。論説的な随筆を理解するうえでもこの考え方は援用できるだろうと思うんですね。むしろ、そういったジャンルの文体なども全部ふまえて小説の文体が成立しているという話なので、論説的な文章にこの考え方があてはめられるのは当たり前といえば当たり前なんですが。

さて、この『小説の言葉』の中に、「論争的、弁明的」という言葉がくり返し出てきました。それで、なるほどと思ったんですが、どうも僕は「論争的・弁明的」に書かれた文章を読むと、(頭が冴えるかどうかは別として)、人と話をするときの受け答えが少し変わるような気がします。気のせいかもしれませんが、ちょっとだけ切れ味がよくなるような・・・・・・。どんな本が頭がすっきりするかというのはあまりはっきりしませんが、少なくとも、論争的・弁明的な意図が強く出た文章を読むと、受け答えという点での変化はある気がしますね。

ただ、本の話を離れて、ふだんから対話的に考えるということの効用を考えると、受け答えのときの切れ味だけに関わるわけではないような気がします。

対話的に考えることは、「他者の視線を内在化する」ことにつながると思います。

たとえば、記述ゼミナールの授業で演習をしますよね。子どもたちに記述問題をあたえてテキストに答えを書きこませます。そのときに「自分の答えをよく見直して、誤字脱字がないか確認しなはれ」と指示を出します。子どもたちはへいへいとうなずいて取り組むわけですが、机間巡視していると、実に誤字脱字が多い。見直しをしていないかというとそうでもない。もちろん見直しをさぼっている子もいますが、見直しをしていてなおかつ発見できない子がたくさんいるんですね。おもしろいのは、単に見直しをしたときと、僕に横に立たれて見直しをしたときでは、誤字脱字の発見率が変わってくることです。僕が横にいて答案を見ているとき、その見られているという意識の中で見直しをした子どもの誤字脱字発見率は上がります。

これは「直線的な」見直しではなく、意識において、「屈折した=他者の視線を経由した」見直しになっているからではないかと思います。誤字脱字に限らず、「この答えをあのこうるさい先生が見たらどんないちゃもんをつけよるやろ」と考えることはとても重要だと思います。講師の視野・講師の考え方をどの程度内在化できるか、学ぶことにおいてこれはとても大きいんじゃないでしょうか。

余談ですが、この本は私が買ったときには2800円だったのに、今じゃ平凡社ライブラリーから出版されていて、1200円ぐらいなんです。 まさかこの本が新書で出るなんて。新書になる前に1度読んでいるからよかったですが、高く買った本が、1度も読まないままに文庫化されたりするとショックで倒れそうです。最近、まさかと思うような本が文庫化されているので、年に数回倒れそうになります。

2012年5月 9日 (水)

頭がすっきりする本

その本を読むと、頭が冴え、人と話すときには言葉が、仕事をするときには考えが次々にわいてくる、そんな本がないかしらと物色中です。

実は、それに近い経験がないわけではありません。

もう十年以上前の話ですが、野家啓一先生(東北大学の哲学の教授です)の本をつづけざまに読んでいたとき、「最近、妙に調子がいいなあ」と感じました。本の内容は難しくて半分もわからないんだけど、とにかく読んでいて気持ちがいいし、人と話をしていても(比較的)切れの良い受け答えができる(ような気がする)。

そういえば、『資本論』を読むと頭が冴える、という話は昔よく聞きました。フランスの文化人類学者、レヴィ=ストロースが仕事の前に『資本論』を読んでいたとかいう話もありました。確かに、『資本論』はそういうところがありました。ただし、僕の場合、自主ゼミで3時間ぐらい「あーでもないこーでもない」とやった直後は疲労困憊してしまっていつも頭がぼんやりしていたような。

うん、でも、確かにある種の本に関しては、少なくとも読んでいて気持ちがよく、「頭が冴える」とまでは言わなくとも、「頭がすっきりする」、そういうことはありますね。

僕にとっては、ダーウィンの『種の起源』もそういう本のひとつでした。

最近読んだのでは、進化生物学者グールドの『人間の測りまちがい』とか、廣松渉の『資本論の哲学』もそういうところがありました。

『人間の測りまちがい』と『資本論の哲学』は続けて読んでヒットだったので、すっかり気を良くしてしまい、これからは、こういう本ばかり読むぞ~と決めたわけですが、次に選択したクラウゼヴィッツの『戦争論』はいまいちでした。

『戦争論』は論理的に書かれているし、体系志向だし、絶対いけてるはずだと思ったんですが、少なくとも僕にとってはあまり気持ちよくなくて、途中でやめてしまいました。

何でだろう?

で、ひとつ考えたのは、本の書き方が、対話的かどうかってことがポイントなんじゃないかということです。上述の『資本論の哲学』は実際にはじめと終わりの部分が対話形式で書かれています。『人間の測りまちがい』は形式上は対話形式ではありませんが、ある種の傾向を持つ学説に対する反論として書かれているので、とても対話的なんです。これが、僕にとっては大きいような気がします。

他の人もそうなのかどうか知りませんが、僕はものを考えるときに、対話のかたちで考えることがよくあります。

実際に相手を思いうかべ、相手の言葉―自分の言葉―相手の言葉―自分の言葉―というふうに、相手が言いそうなことを想定しながら考えていきます。思いうかべる相手は、だいたい実在の人物です。わりと親しい(優秀な)友人や、言い負かしてやりたい知人、場合によってはすごく嫌いな人など、その都度適切な相手を(いつのまにか)思いうかべて、頭のなかで会話しています。

これは小学生の頃からの癖ですね。

家のトイレでふんばっているときなんかに、もうひとりの自分と架空の対話をしていた記憶があります。

「くそう、出ねえな、おまえどう思う?」

「どう思うって言われてもねえ」

とかなんとか、たぶん、実際にぶつぶつ声を出してやっていたと思いますね。ひとりっこだったので、話し相手がおらず、そういうふうになったんでしょうね。

これは憶測ですが、そういうふうに対話的にものを考える癖のある人は、国語が得意なんじゃないでしょうか。そういう人は、少なくとも言葉と言葉のやりとりというかたちでものを考えているわけで、概念的思考がある程度発達するような気がします。もちろん、そういう人だけが国語ができるという意味ではありませんが。

この「対話」の問題は、もう少し考える価値がありそうな気がしますね。よし、今読んでる本を読み終わったら、その筋の本を読んでみようっと。確か、バフチン(というソ連の文芸評論家)の本に、その関連のことが詳しく書かれていたはず。売らずにとっておいて良かった。

でも、バフチン読んで頭すっきりしたことあったっけなあ?

2012年5月 2日 (水)

テレビ番組

今回は、受験勉強の敵=テレビ番組について。

帰宅がたいがい零時前後になるため、テレビは、録画しておいて、時間のある昼間に見ます。

毎週見ているのは、『平清盛』ですね。何で視聴率が低いのかよくわかりません。前にも書きましたが、伊東四朗や三上博史の演技が良くていつも感心します。山本耕史も良いですね。悪役ぴったりです。ほんとうにいやな感じでグッドです。

最近見たものでおもしろかったのは、『見狼記』というドキュメンタリーでした。ニホンオオカミの生存を信じてさがしつづけているおじさんを主軸に、オオカミ信仰の取材をからめ、「見えないものを見ようとする人々」を描いていました。こういうのは民放ではやらないし、できないなあと思います。これだったら受信料とられても文句言えないなと思わせる出来映えでした。

あと、BS歴史なんとかみたいなので平清盛をとりあげていた番組がなかなかおもしろかったです。平清盛モノのうんちく番組は今年たくさんやっていますが、出色の出来映えでした。最近平家についての本を出した公認会計士の方と、東大の先生と神戸大の名誉教授を招いて、平清盛の革命性がどういうところにあるのかとか、清盛死去の後になぜあんなに脆く平氏が滅亡してしまったのかを突っ込んで解説してくれたんですが、かゆいところに手が届く番組に仕上がっていました。

ブラタモリもときどき見ます。街歩きの好きな僕としてはああいうのを関西でもやってほしいなあと思います。

先日、かなり前に録画しておいた「神宮外苑」の話を見ていたら、(番組の出来映えとは無関係ながら)おもしろいシーンがありました。国立競技場の中を職員に案内してもらっているときに、アナウンサーの女性が「ここからサッカー選手が子どもといっしょに登場するんですね」と言うと、職員の女性が「それはここじゃないんです、もう少しあっちですね、すみません」というようなことを言ったんです。この「すみません」がおもしろかったです。何で謝るんでしょ? いや、もちろんそこで謝る感覚というのは僕はわかります。同じ日本人なので。でも、欧米の人とか、アジアでも中国の人にはもしかしたらわかんないんじゃないかしら、と思います。

この「すみません」はわからない人にはわからないような気がします。

僕が考えた説明はこうです。つまり、自分の気づかいが足りないせいで、アナウンサーの女性がうっかり誤ったことを言うはめになってしまった、恥をかかせてしまった、そんな感じじゃないかなあと。サッカーの選手が云々というのはいかにも人が思いつきそうなことなんだから、あらかじめこちらから説明しておけば、このアナウンサーの人はテレビカメラの前でまちがったことを言わずに済んだのに・・・・・・みたいな。

まあ、実際に外国人(外国で生まれ育った人)にわからない感覚なのかどうか、つきあいがあまりないので、よくわかりません。意外と似たようなもんかもしれないなとも思うし、逆に予想外のところで全然ちがっていたりするんだろうなとも思います。

テレビ番組の話にもどると、小6になればテレビを観ている暇は正直あんまりないでしょうが、小5ぐらいまではいろいろ観るのも勉強になるんじゃないでしょうか。文章を読んでその情景がきちんと思いうかべられるかどうかは、頭の中にどれだけ「情景の抽斗」を持っているかどうかにもかかっているんじゃないかなと思います。

2012年4月18日 (水)

ブロッケン現象

449

上の写真をご覧ください。

写真中央に人の影(私)があり、まわりにうっすらと虹の輪ができているのが、おわかりでしょうか。

カメラマン(私)がへぼであるために大変わかりにくくて恐縮ですが、実はこれこそあの有名な「ブロッケン現象」です。

ブロッケン現象という言葉は小学生のときから知っていたものの、それがどういうものかよく知らなかったため、このときはこれがブロッケン現象であると気づかず、「おお、おれのまわりに虹が・・・! お、おれ降臨?」などとうろたえてしまった私ですが、得意の早合点でした。

さらに恥を忍んで打ち明ければ、何もかもがあやふやでうろ覚えの私は、この文章を書くにあたって「ブロッケン現象」という言葉が出てこず(ど忘れです、ど忘れ)、「ドッペルゲンガーだったっけ?」などと首をひねっていたのでした。尊崇する師匠であるY田M平先生(ほめほめ)に写真を見せると、「おやブロッケン現象ですね」と言ってくれたので、ああそうだった、危なかった~と、先ほど胸をなでおろしたところであります。

この写真は、後立山連峰(鹿島槍ヶ岳や白馬岳があるところ)を縦走中に撮影したものです。尾根の東側は雲ひとつなく、西側には濛々とガスが立ちこめているという不思議な光景のなかを歩いていて、ふと気づきました。

美的センスがないので、山登りをしてたくさん写真を撮ってきても、あまり人に見せられるようなものは残っていません。この写真の直前に撮影したのは、あまり美しくない、大きなクマの糞です。大きさがわかるようにわざわざ横に携帯電話を置いて撮影したんですが、当然のごとく誰も見たがらないので、お蔵入りです。

山登りをしていると、素人カメラマンのおじさんがたくさんいますね。私の叔父にも素人カメラマンがおり、よく美しい花や風景を撮っているようです。雑誌に投稿して掲載されたりするとうれしいみたいですね。

きっとそういうのも楽しいんだろうなあと思いますが、自分ではそういうことをしたいとはあまり思いません。

荒木経惟さんという写真家がいらっしゃいますよね。サリーちゃんのパパみたいな髪型の人。あの人が使い捨てカメラで撮った写真を見たことがあります。それも、電車の中から、駅でドアが開いたときに撮った写真ばかりなんですが、それを見たときにはほんとうにびっくりしました。当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、どれもこれもめちゃくちゃかっこいいんですよね。そうか、素人カメラマンは美しい被写体をさがしてそれを美しく撮るけれど、プロってそうじゃないんだなと思いました。

何という人か名前は忘れましたが、生花のコンクールで賞をとった人の作品を見たときもほんとうにびっくりしました。腐りかけの花を生けてたんです。そうか、きれいな花をきれいに生けるだけじゃないんだなと思って。

そういうの見たら、「美しい」写真を撮ろうという気力が湧いてこなくなりました。だいたいカメラって高いし。重いし。テントと寝袋と水だけでもたいがい重いのに。

もうひとつ、理由があります。

写真を撮ることに夢中になると、「そこにいる」ことに集中できない気がするというのが理由その2です。山に登って、美しい風景を見たり頂上にたどり着いたりすると、それはもちろんうれしいんですが、僕にとってはそれがいちばんのポイントというわけではありません。僕の最大の幸福は、山のなかにいるぅ~と感じていることです。写真を撮るということは、その場所から自分を引き離して、風景を対象化してしまうようなところがあり、「そこにいる」ことの幸福感がそのぶんだけ薄れてしまうような気がします。

ひとりで山に登るのが好きなのは、ひとりきりの方が「そこにいる」ことの幸福感が強くなるからです。「孤独な幸福」とでもいえばいいでしょうか。

山登りの記憶をたどっているとき、見たはずのない光景が頭にうかぶということがあります。記憶が変質しているとかあやふやだとかいうことではなく、原理的に見ることのできないはずの映像が記憶として残っているのです。「山の中にいる自分」の映像です。これは僕がけっして見なかったはずの光景なんですが、なぜかそういう光景が想起されてしまうんです。

これは山登りに限ったことではありません。記憶をたどるときそういうことが頻繁にあります。みなさんはそういうことはありませんか? よ~く考えたらあるんじゃないかなあ、僕だけじゃないんじゃないかなあと思うんですが、まあ、押しつけがましく「みんなあるはずだ」などと言うのはやめておきましょう。

この「まちがった記憶」はなぜ生じたんでしょう?

わたしの視覚的記憶力があまり優秀でないことがまず挙げられるのではないかと思います。見たものを、見たままに記憶することがひどく苦手です。言葉を介して記憶したことがらでないと、すぐに忘れてしまいます。山にいて幸福感が満ちあふれているときに、僕は「ああ、山にいるぅ」と言葉で思い、目をとじて、山にいる自分の幸福そうな姿を漠然と思いうかべてしまいます。これがポイントですね。このとき僕の頭の中にひろがっている風景は、目を閉じるまえに見えていた風景ではなく、勝手に再構成された、さっきまで見ていた風景の中に自分がいる風景なんです。たぶん、こっちの記憶が残ってしまうんですね。言葉とセットになっているから。

やはり僕は言葉の人なのだ。残念ながら、詩人や小説家になれるほど堪能なわけではありませんが。

言葉の使い方がおかしかったり、一方の(あるいは双方の)理解度が低かったりするために、誤解が生じて、ものごとが円滑に進まなくなっているような現場に居合わせると、よく思います。

みんな国語という教科を大事にしようよ! 読解力をつけようぜ!

きみたちみんなの読解力と表現力が向上すれば、その問題は即解決するぜ!

ま、もちろん、僕の読解力と表現力が不十分なためにまずいことになっていることもあります。

というわけで、日々、教えつつ学ぶわたしでした。(というように「僕」と「わたし」を混在させているのも、一般的にはあまり推奨されない書き方ですね。)

2012年4月11日 (水)

マクドもあるど

「おまえはかしこいなあ」が皮肉であることがわからずに「ありがとう」と言ったり、「何遍言うたらわかるの」という修辞的疑問を単なる疑問と受け取って「三遍」と答えたりするのは論外ですが、ある表現をどう解釈するかというのは、個人差だけでなく時代や世の中の状況にも関係があるかもしれません。「アイラブユー」をどう訳すか、昔の人は悩んだようです。「死んでもいいわ」はわかりますが、「月がきれいですね」になると、なんじゃそりゃと思います。夏目漱石が訳したらしいのですが、そのころは「ラブ」にぴったりあてはまる日本語がなかったのでしょう。

「ふつう」がプラスの意味で使われるようになった、という指摘がありましたが、ことばというのは時代によって変わるものです。「女子」は女性全般に対しても使えるのでしょうが、「若い」という要素が底にあるように感じます。おばさんたちが集まって「女子会」というのはなんとなく違和感があるのですが、定着してしまいました。「やばい」はマイナスの意味をもつ「業界用語」だったのが、いつのまにかプラスの意味になり、おおっぴらに使えることばに「成長」しました。「まじ」は「真面目」の省略形でしょうが、本来の意味とは違う使い方をします。「かぶる」や「べた」や「まったり」なども、テレビで使われる場合には独特の意味を持っています。こういったことばは変化していく過渡期を知っているので、昔とちがうなあとわかるのですが、そうではないことばもあります。井上ひさしの小説を読んでいたら、「怒鳴る」は江戸中期にできたことばなので、大河ドラマ『伊達政宗』で「そんなに怒鳴るものではない」という台詞があったのはおかしい、と書かれていました。でも、今の私たちにとっては違和感はありません。それでも、『平清盛』で「目が悪うなって、だぶって見えるのじゃ」なんて台詞がもし出てきたら、「おいおい、『ダブル』は『W』やぞ」とツッコミを入れたくなるでしょう。低視聴率にあえいでいるようなので、そういう「今週のツッコミどころ」を毎回入れて当てた視聴者には豪華賞品プレゼントとかいうような視聴率盛り上げ策なんてのはどうでしょう。すでにやっているような気もするほど、「ツッコミどころ」は満載のようですが。それでも、去年の『江』のような脱力系コメディに比べると、東海テレビ制作の昼メロや昔の大映系テレビドラマのような、NHKらしからぬところが面白い。このあと破天荒な展開になっていってほしいなあ。『ちりとてちん』の脚本家らしく、弁慶は落語の『こぶ弁慶』にしたり、「鞍馬から牛若丸が出でまして名も九郎判官」なんて台詞を入れたりしてくれることを切に期待します。

話がそれました。意味が変化するだけでなく、新しいことばもどんどん生まれてきます。「見れる」などのいわゆる「ら抜きことば」はちょっと前までは頭の悪さを示すことばだったのが、今や「見られる」と言う人のほうが古くさく感じられるようになっています。「せこい」「ださい」なども、そんなに古いことばではなさそうです。まだ俗語の感じがしますが、やがては公的な場でも使われることばになるかもしれません。もちろん、すぐに廃れる「流行語」もあります。「ギャル」とか「フィーバー」とか「耳をダンボにする」とか、今どき使われると「どん引き」されそうです。「チョベリバ」のような、実はほとんど使われなかった「流行語」もありました。カタカナことばは「流行語」という感じがします。「××シンドローム」や「××ハラスメント」もだんだん使わなくなりそうです。「義理チョコ」なんてのは、そういう風習がなくなれば消えるでしょうし、「ケータイ」ということばも「携帯」とはまったくちがう意味を持つことばとして使われていますが、今や「スマホ」というものが出てきました。「ケータイ」もやがては使わなくなるのでしょうか。

ことばの命ははかないもので、定着するかと思った「ナウい」は消えました。もともとは「ナウな」という形で使われていました。この「な」は活用しないので連体詞だったのですね。活用させたいという気持ちが働いたのでしょうか、「ナウな」が消えて「ナウい」という形容詞になってからは相当長い間使われたのですが、見事に消えましたね。「ツイッター」で使う「~なう」は早々と消えましたが、こういう軽薄な感じのものは当然はかないものです。「真逆」ということばがあります。「まさか」としか読みようがないこのことばを「まぎゃく」と読んで「正反対」の意味で使う「バカ」がいるなと思っていたら、完全に定着してしまいました。映画の世界で使っていたことばらしく、タレントがテレビで使ったのを真似したところから始まったのでしょう。「目線」も同じ経緯で広まったようです。「やばい」や「鉄板」、「すべる」など、芸人やタレントが使うことばを「カッコイイ(死語?)」と思って若者が真似をし、それが広まっていくのですね。さすがに「真逆」は、年寄りは使わないようなので、今のところ若者ことばという段階ですが、おそらく定着するのではないでしょうか。

定着するかどうかの見極めは辞書編集者にとって大事なことだそうです。次に改訂するときには消えてしまいそうなことばを載せるわけにはいかないでしょう。「ブログ」は入れてもよさそうだが、「ニート」はどうだろう、と考えるのでしょうね。ところが、不思議なことにどう見ても死語としか思えないことばが載っていることもあります。「にこぽん」なんて使っている現場に出くわしたことはありません。「ニコヨン」は消えたみたいですが。死語の見極めも編集者にとって悩むところなのでしょう。辞書には載らないような「方言」はやはり消える運命にあるようです。大阪弁などは「強い」方言ですが、それでも「コテコテ」のことばはなくなっていきます。「わて」とか「おいでやす」なんて、だれも言わないでしょう。「どないでっか」「さっぱりわやや」「ちゃいまんねん」とか言う幼稚園児はいやです。それでも、聞けば意味はわかりますが、「いちびる」なんてひょっとして聞いたことがない人もいるのでは? ましてや「あかめつる」なんて、落語や田辺聖子の文章以外で出くわしたことはありません。「鶏肉」を「かしわ」と言うこともなくなりつつあります。でも、「きしょい」や「むずい」「めっちゃ」「むっちゃ」というような「新」大阪弁も生まれてきています。そう言えば「マクド」も新大阪弁でんな。

2012年4月 8日 (日)

体重⑤

もともと極端から極端に走る人間なので、「ダイエットするぞ」となると、やることが強烈です。

大阪に戻ってきてから食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べる生活を続けていたらあっという間に体重が十数キロ増え、ドラえもんのようになってしまいました。

これは遺憾!ということになり、とりあえず「走ってみるか」と、ある夜、タッタッタッと走ってみたら何だかとても気持ちがよい。「こ、これは・・・・・・オレはほんとうは走るために生まれてきた男だったのではないか」などとかんちがいし、やたらめったらそこらじゅうを走り回ったら、次の日、膝が痛くて歩けなくなってしまいました。

「走るために生まれてきたというのは早合点であった」と思い直した私は、「そういえば大学時代に痩せたときは、1日1食であった」と考えました。食べる量が少なければ痩せる、それはもちろんまちがいではないのですが、リバウンドなどという概念のないのが当時の私の不幸でした。

よし、痩せるぞ、と決めた私は、それから一日一食、しかも、食べるのは駅の立ち食いうどんだけ(しかもかけうどん)という極端な日々を送り始めました。おそろしくまちがったダイエットですが、とにかく続けることができさえすれば体重が落ちるのは確かです。最初の一ヵ月で8キロ近く体重が落ちました。

でも、やがてそんな食生活にはがまんができなくなります。で、また、ふとるわけです。

2度のリバウンドを経て、体重がついに77キロまできたとき、「いつまでもこんなことでは遺憾!」ということで、ダイエットのやり方を見直すことにしました。大学時代にはたくさん歩いていたことが大きかったのでは?とついに気づいたのです。もともと歩くことは嫌いではありません。しかし、私は時間惜しみをする人間なので、ジムに行ってウォーキングしたりするのはイヤなんです。そこで、毎日、茨木から枚方までママチャリで通う生活をはじめたところ、みるみるうちに体重が減っていきます。一日一食はやめましたが、とにかくカロリーの低そうなものを食べるという方針は継続していて、その頃は毎日ひたすらそばを食べていました。四条烏丸の『有喜屋』さんとかよく行ったなあ。

このときは、さすがに一ヵ月で8キロというわけにはいきませんでしたが、すぐに6キロぐらいは痩せ、その後も一ヵ月に1キロ、2キロと順調に体重が落ち、懇談した保護者の方に「先生、癌ですか」などと訊かれました。で、自転車通勤がすっかり気に入って、その後も長く継続し、結構いい感じでスマートな状態を維持することができました。

しかし、ついに、自転車通勤できなくなる日がやってきたのです。

転職です。

希学園の本部はご存じのように十三にあります。茨木から十三までママチャリで通うと、1時間ぐらいです。これはかなり辛い。自転車に乗る日々とおさらばすると、またしても体重はずるずるっと増え続け、だんだん現在のY田M平先生のような体型になってしまいました。

やはり、本に書いてあることは正しいです。適度な運動と、適度なカロリー制限。痩せるためにはこれしかありません。たくさん歩く、そして食べ過ぎない。それだけですね。それだけ心がけていれば、一年ぐらいでちゃんとした体重になるものです。

Y田先生にもぜひ気をつけてほしいものですが、彼は今、かつての私のような誤ったダイエットに走ろうとしています。それではダメだよ、と言っているのですが、これまでさんざんバカにしてきたせいか、私のアドバイスには耳を貸してくれません。実に遺憾です。やはり、誰しもいつも苦言ばかり呈している人間の言うことには耳を貸したくないものなんですね。これは、子どもを指導するときにも言えることなのでしょう。お小言ばかり言っていると、子どもはやがて聞いてくれなくなります。ご家庭でもぜひ「ほめ育て」を!

Y田くんのこともほめ育てしようっと。

2012年4月 1日 (日)

授業前の会話

小6の教室に入るとなんとなくそわそわした空気。「タイガース」とか「金本」とかいう声が聞こえてくる。

そうか、プロ野球が開幕するので気持ちが少しふわふわしているな。

がつんと言ってやらねば。

ぼく「おい、きみらは受験生なんやぞ、わかってんのか」

塾生「・・・・・・」

ぼく「プロ野球が開幕したぐらいで浮かれるな! 野球なんか見なくていい! どうせヤクルトが優勝するんだ!」

塾生「え?」

◇◇◇

ご家庭でも、受験生がお家で勉強されているときには、ナイターのボリュームは控えめでお願いします。

2012年3月25日 (日)

体重④

先日、合格祝賀会があり、今年は無事に講師劇を上演することができました(去年は震災があったので自粛しました)。

講師劇の練習を全体で行うのはたった3回です。本番当日の朝にリハーサルをしますが、それを入れても4回。

しかし、完全主義の私はその程度の稽古でお茶を濁す気にはなれません。相棒の山下高充先生と自主練を数十回しました! 我々の演技をご覧くださいましたでしょうか。山下高充先生はともかく、はっきりいって全講師のなかでいちばん演技が上手いのは僕だと思う! 

来年もがんばるぞ!

それはさておき。

体重の話です。

7年半におよぶ仙台での生活を終えて、原チャリで大阪まで帰ってきた私は、両親に心配されたり罵倒されたりしつつ、とりあえず大阪で就職活動をはじめることになりました。

しかし、そもそも就職活動などというものをしたことがまったくなかった私ですから、何をどうしたらいいものやらさっぱりわからず、やむなく父親に就職活動はどのように行うのかと相談したところ、あっさり「職安に行け」と言われてしまうのでありました。今でいう、ハローワークですね。

そこで、素直な、というか、何も知らない私は茨木市の職安に赴き、よくわからないまま分厚いファイルをぱらぱらめくったりしてみたわけですが、掲載されている職種が「なんだか僕のイメージとちがう~」。

などという紆余曲折はありましたが、あまり覚えていないのでカットします。結局、私は、新聞の求人欄で見つけた寝屋川・枚方・交野方面の会社に就職することになりました。

仙台から大阪まで原チャリで帰ってきたことで、「原チャリさえあればどこにでも行ける」という確信を抱いていた私は、その会社にも原チャリで通うことにしましたが、あるとき「カランカラン」という何かが落ちるような音がして、それをきっかけに前輪が妙にぐらぐら揺れ動くようになってしまいました。さすがに「このままでは危ない」と思って、とりあえず慎重に運転するようにしていたのですが、両親がキレて、「あほ、車を買え」ということになり、中古の軽自動車を買うことになりました。

車を買う! この僕が! なんという堕落でしょう!

仙台時代のあの輝くような極貧生活、黄金時代は遠くなってしまいました。

就職したことによって一定の収入が確保され、私はかつてないほど豊かになってしまったのです(あくまで当社比です)。

腹が減ったら即座に何か買って食べることすら可能になってしまった・・・・・・!

これまでの質素な生活を埋め合わせるかのように食べて食べて食べまくる私でした。

モ、モスバーガーってこんなにおいしかったのか!

た、たこ焼きってこんなにうまかったのか!

と、とりあえずラーメンでも食ってから帰るか!

ああ、しあわせ。

というわけで、気が付けばすごい勢いで体重が増えているのでありました。

その頃、会社に掃除をしてきてくれていたおばさんが、僕のことを「あのドラえもんに似た人」と言っていたらしいです。

                                             もう続かないかも

2012年3月17日 (土)

AYKYT

比喩表現というのは、案外難しいものです。何をたとえているのか読み取るために、二つのものの共通点を見つけなければならないのですが、どこに注目するかが難しい。女の子の目をうさぎにたとえていれば、ふつうはかわいい目のことですが、酔っ払いのおっさんなら充血している目です。つまり、その比喩が使われている場面や文脈から判断しなければいけません。そういう力が国語力でしょう。

よく「行間を読む」と言いますが、これも同じことでしょうね。「行間を読む」と言っても、行の間に経文がびっしり書いてあるわけではありません。省かれたことばや文を前後の状況から判断して補っていく力です。「昨日、おじいちゃんがボケ防止の本を買ってきた。今日も買ってきた。」という二文の組み合わせはほとんどの人が読み取れるでしょう。もちろん、このレベルでもわからないという生徒がいます。「遊びに行こうよ」「風邪ひいてるねん」という会話の意味がわからない子もいます。小学生の息子が部屋に飛び込んでくるなり母親に、「ねえ、お母さん。あの高い花ビン、ぼくが割るんじゃないかっていつもハラハラしてたよね」「ええ。それがどうしたの?」「もうハラハラしなくていいよ」というようなアメリカンジョークはたいしておもしろくありませんが、やはり意味がわからない人もいるのでしょう。

「飛脚の近道」という話があります。飛脚がはやく目的地に着くため、「近道、近道」と言いながら、近道を見つけて少しでも時間を短縮しようと走っていたのですが、どうしてもトイレに行きたくなります。時間がもったいないので、しゃがみながら腹ごしらえをしようと握り飯を取り出したところ、つかみそこねてトイレの中にこんころり。「あっ、近道しよった!」こういう行間が読める人は語るに足る我が良き友です。

「暑くないですか」と言われて、それが窓を開けてほしいという要求であることがわからなかったり、「考えておきます」が断られているのだということに気づかなかったりすると、社会人としては失格ですが、お世辞や社交辞令が見ぬけない人もいるようです。「政治家のことば」は「うそ」と同義語だという辛辣な意見もありますが、だまされたと言ってあとで腹を立てるよりもはじめから見ぬければそれにこしたことはありません。とは言うものの、相手の真意を見ぬくのは難しいようです。深読みしすぎると失敗してしまいます。言葉ではありませんが、剣の試合などで勝手に先読みするコントが昔はよくありました。相手がこう来ると考えて、ではそれに対して自分はこうしよう、そうすると相手はこうするはずだから…と考えて結局勝負をする前に「参った」と言ってしまうとか、相手が刀を忘れてきたのに、命をかけた勝負にそんなことをするわけはない、きっと何かおそろしい秘策があるにちがいないと考えてパニックになるとか……。徒然草にも、同じような話があります。田舎の神社の獅子と狛犬が後ろを向いて背中合わせに立っていたので、ある坊さんが感動して、「なんてすばらしいんだ。この立ち方は尋常ではない。深いいわれがあるはずだ」と感涙にむせび、連れの人たちに「あんたらは、これを見て感動しないのか。おろかものめ」と言っていたところ、神主が、「ああ、これね。近所の悪ガキのいたずらですわ。困ったガキです」と言いながら、もとの向きに戻して立ち去った……、という、ありがたいお話です。このあと、いっしょに都に帰る道中のふんいきが想像できて、実に心あたたまる感じがしますな。

俳句や川柳では、ある程度の深読みを要求するのですが、 「田一枚植えて立ち去る柳かな」を「田植えを終えた柳くんが立ち去っていった」と解釈してはだめです。かつて甲陽の入試で出た「受験前神や仏に□をつけ」という川柳の□にはいる漢字一字がわからない子がいるのは当然でしょうが、「様」がはいるのだと知ってからも意味がわからないのはかなしいかぎりです。「宿貸せと刀投げ出す吹雪かな」という蕪村の句は、吹雪に往生した旅の者が、宿を貸してくれと言うか言わないうちに刀を投げ出した、という情景ですが、いくらでも「深読み」できます。刀を投げ出すということはほかに荷物がないわけで、刀しか持っていないことになります。つまり、旅人は何も持たないような侍、吹雪の中をうろうろするからには何かわけありの浪人というイメージでしょう。「宿貸せ」と言っても、宿屋ではなく、山の中の一軒家です。夜になるとともに、雪はいっそう激しく降りつのる。家の者たちは何か起こりそうな不安を感じていたかもしれません。老夫婦ですね。戸はかたく閉ざしていますが、いきなり激しく叩かれる。二人は顔を見合わせながらも、やむをえず戸を開けます。舞い散る雪とともに一人の浪人が転がるようにはいってくる。着物は雪にまみれ、全身ぐっしょりと濡れています。精根尽き果てたように、「今晩泊めてくれ」と言うや返事も待たず、腰の刀を抜き取って、土間の片隅か上がり框へ投げ捨てる。浪人はなぜこんなところにやってきたのか。刀をクローズアップした表現は当然刀のイメージを広げます。誰かを切って追われているのかもしれません。この句自体が小説的であり、浪人の背後にも一つの物語があります。

もちろん「九マイルは遠すぎる」という断片的なことばからとんでもない事件の存在を推理できるかというと、実際には無理でしょうし、ホームズの推理もこじつけっぽいことが多いので、「ワトソンくん、君は今日赤いパンツをはいてるね」「どうしてわかるんですか」「君は今日ズボンをはいてないのさ」というジョークが生まれて、こじつけ推理を揶揄するのでしょう。それでも、状況からある程度のことを読み取ることは必要なことです。「空気を読む」というのも同じでしょうが、「KY」というまぬけな略語がありました。「Y」が「読める」の意味なら納得ですが、「読めない」のなら、せめて「KYN」と言うべきです。だいたい日本語をアルファベットの略語で表すこと自体まぬけな証拠です。こんなことばを使うやつは「AYKYT」です。もちろん、「頭が良くないので、こんなやつとはつきあいたくない」という意味であることは一目瞭然ですね。

このブログについて

  • 希学園国語科講師によるブログです。
  • このブログの主な投稿者
    無題ドキュメント
    【名前】 西川 和人(国語科主管)
    【趣味】 なし

    【名前】 矢原 宏昭
    【趣味】 検討中

    【名前】 山下 正明
    【趣味】 読書

    【名前】 栗原 宣弘
    【趣味】 将棋

リンク