2012年4月18日 (水)

ブロッケン現象

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上の写真をご覧ください。

写真中央に人の影(私)があり、まわりにうっすらと虹の輪ができているのが、おわかりでしょうか。

カメラマン(私)がへぼであるために大変わかりにくくて恐縮ですが、実はこれこそあの有名な「ブロッケン現象」です。

ブロッケン現象という言葉は小学生のときから知っていたものの、それがどういうものかよく知らなかったため、このときはこれがブロッケン現象であると気づかず、「おお、おれのまわりに虹が・・・! お、おれ降臨?」などとうろたえてしまった私ですが、得意の早合点でした。

さらに恥を忍んで打ち明ければ、何もかもがあやふやでうろ覚えの私は、この文章を書くにあたって「ブロッケン現象」という言葉が出てこず(ど忘れです、ど忘れ)、「ドッペルゲンガーだったっけ?」などと首をひねっていたのでした。尊崇する師匠であるY田M平先生(ほめほめ)に写真を見せると、「おやブロッケン現象ですね」と言ってくれたので、ああそうだった、危なかった~と、先ほど胸をなでおろしたところであります。

この写真は、後立山連峰(鹿島槍ヶ岳や白馬岳があるところ)を縦走中に撮影したものです。尾根の東側は雲ひとつなく、西側には濛々とガスが立ちこめているという不思議な光景のなかを歩いていて、ふと気づきました。

美的センスがないので、山登りをしてたくさん写真を撮ってきても、あまり人に見せられるようなものは残っていません。この写真の直前に撮影したのは、あまり美しくない、大きなクマの糞です。大きさがわかるようにわざわざ横に携帯電話を置いて撮影したんですが、当然のごとく誰も見たがらないので、お蔵入りです。

山登りをしていると、素人カメラマンのおじさんがたくさんいますね。私の叔父にも素人カメラマンがおり、よく美しい花や風景を撮っているようです。雑誌に投稿して掲載されたりするとうれしいみたいですね。

きっとそういうのも楽しいんだろうなあと思いますが、自分ではそういうことをしたいとはあまり思いません。

荒木経惟さんという写真家がいらっしゃいますよね。サリーちゃんのパパみたいな髪型の人。あの人が使い捨てカメラで撮った写真を見たことがあります。それも、電車の中から、駅でドアが開いたときに撮った写真ばかりなんですが、それを見たときにはほんとうにびっくりしました。当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、どれもこれもめちゃくちゃかっこいいんですよね。そうか、素人カメラマンは美しい被写体をさがしてそれを美しく撮るけれど、プロってそうじゃないんだなと思いました。

何という人か名前は忘れましたが、生花のコンクールで賞をとった人の作品を見たときもほんとうにびっくりしました。腐りかけの花を生けてたんです。そうか、きれいな花をきれいに生けるだけじゃないんだなと思って。

そういうの見たら、「美しい」写真を撮ろうという気力が湧いてこなくなりました。だいたいカメラって高いし。重いし。テントと寝袋と水だけでもたいがい重いのに。

もうひとつ、理由があります。

写真を撮ることに夢中になると、「そこにいる」ことに集中できない気がするというのが理由その2です。山に登って、美しい風景を見たり頂上にたどり着いたりすると、それはもちろんうれしいんですが、僕にとってはそれがいちばんのポイントというわけではありません。僕の最大の幸福は、山のなかにいるぅ~と感じていることです。写真を撮るということは、その場所から自分を引き離して、風景を対象化してしまうようなところがあり、「そこにいる」ことの幸福感がそのぶんだけ薄れてしまうような気がします。

ひとりで山に登るのが好きなのは、ひとりきりの方が「そこにいる」ことの幸福感が強くなるからです。「孤独な幸福」とでもいえばいいでしょうか。

山登りの記憶をたどっているとき、見たはずのない光景が頭にうかぶということがあります。記憶が変質しているとかあやふやだとかいうことではなく、原理的に見ることのできないはずの映像が記憶として残っているのです。「山の中にいる自分」の映像です。これは僕がけっして見なかったはずの光景なんですが、なぜかそういう光景が想起されてしまうんです。

これは山登りに限ったことではありません。記憶をたどるときそういうことが頻繁にあります。みなさんはそういうことはありませんか? よ~く考えたらあるんじゃないかなあ、僕だけじゃないんじゃないかなあと思うんですが、まあ、押しつけがましく「みんなあるはずだ」などと言うのはやめておきましょう。

この「まちがった記憶」はなぜ生じたんでしょう?

わたしの視覚的記憶力があまり優秀でないことがまず挙げられるのではないかと思います。見たものを、見たままに記憶することがひどく苦手です。言葉を介して記憶したことがらでないと、すぐに忘れてしまいます。山にいて幸福感が満ちあふれているときに、僕は「ああ、山にいるぅ」と言葉で思い、目をとじて、山にいる自分の幸福そうな姿を漠然と思いうかべてしまいます。これがポイントですね。このとき僕の頭の中にひろがっている風景は、目を閉じるまえに見えていた風景ではなく、勝手に再構成された、さっきまで見ていた風景の中に自分がいる風景なんです。たぶん、こっちの記憶が残ってしまうんですね。言葉とセットになっているから。

やはり僕は言葉の人なのだ。残念ながら、詩人や小説家になれるほど堪能なわけではありませんが。

言葉の使い方がおかしかったり、一方の(あるいは双方の)理解度が低かったりするために、誤解が生じて、ものごとが円滑に進まなくなっているような現場に居合わせると、よく思います。

みんな国語という教科を大事にしようよ! 読解力をつけようぜ!

きみたちみんなの読解力と表現力が向上すれば、その問題は即解決するぜ!

ま、もちろん、僕の読解力と表現力が不十分なためにまずいことになっていることもあります。

というわけで、日々、教えつつ学ぶわたしでした。(というように「僕」と「わたし」を混在させているのも、一般的にはあまり推奨されない書き方ですね。)

2012年4月11日 (水)

マクドもあるど

「おまえはかしこいなあ」が皮肉であることがわからずに「ありがとう」と言ったり、「何遍言うたらわかるの」という修辞的疑問を単なる疑問と受け取って「三遍」と答えたりするのは論外ですが、ある表現をどう解釈するかというのは、個人差だけでなく時代や世の中の状況にも関係があるかもしれません。「アイラブユー」をどう訳すか、昔の人は悩んだようです。「死んでもいいわ」はわかりますが、「月がきれいですね」になると、なんじゃそりゃと思います。夏目漱石が訳したらしいのですが、そのころは「ラブ」にぴったりあてはまる日本語がなかったのでしょう。

「ふつう」がプラスの意味で使われるようになった、という指摘がありましたが、ことばというのは時代によって変わるものです。「女子」は女性全般に対しても使えるのでしょうが、「若い」という要素が底にあるように感じます。おばさんたちが集まって「女子会」というのはなんとなく違和感があるのですが、定着してしまいました。「やばい」はマイナスの意味をもつ「業界用語」だったのが、いつのまにかプラスの意味になり、おおっぴらに使えることばに「成長」しました。「まじ」は「真面目」の省略形でしょうが、本来の意味とは違う使い方をします。「かぶる」や「べた」や「まったり」なども、テレビで使われる場合には独特の意味を持っています。こういったことばは変化していく過渡期を知っているので、昔とちがうなあとわかるのですが、そうではないことばもあります。井上ひさしの小説を読んでいたら、「怒鳴る」は江戸中期にできたことばなので、大河ドラマ『伊達政宗』で「そんなに怒鳴るものではない」という台詞があったのはおかしい、と書かれていました。でも、今の私たちにとっては違和感はありません。それでも、『平清盛』で「目が悪うなって、だぶって見えるのじゃ」なんて台詞がもし出てきたら、「おいおい、『ダブル』は『W』やぞ」とツッコミを入れたくなるでしょう。低視聴率にあえいでいるようなので、そういう「今週のツッコミどころ」を毎回入れて当てた視聴者には豪華賞品プレゼントとかいうような視聴率盛り上げ策なんてのはどうでしょう。すでにやっているような気もするほど、「ツッコミどころ」は満載のようですが。それでも、去年の『江』のような脱力系コメディに比べると、東海テレビ制作の昼メロや昔の大映系テレビドラマのような、NHKらしからぬところが面白い。このあと破天荒な展開になっていってほしいなあ。『ちりとてちん』の脚本家らしく、弁慶は落語の『こぶ弁慶』にしたり、「鞍馬から牛若丸が出でまして名も九郎判官」なんて台詞を入れたりしてくれることを切に期待します。

話がそれました。意味が変化するだけでなく、新しいことばもどんどん生まれてきます。「見れる」などのいわゆる「ら抜きことば」はちょっと前までは頭の悪さを示すことばだったのが、今や「見られる」と言う人のほうが古くさく感じられるようになっています。「せこい」「ださい」なども、そんなに古いことばではなさそうです。まだ俗語の感じがしますが、やがては公的な場でも使われることばになるかもしれません。もちろん、すぐに廃れる「流行語」もあります。「ギャル」とか「フィーバー」とか「耳をダンボにする」とか、今どき使われると「どん引き」されそうです。「チョベリバ」のような、実はほとんど使われなかった「流行語」もありました。カタカナことばは「流行語」という感じがします。「××シンドローム」や「××ハラスメント」もだんだん使わなくなりそうです。「義理チョコ」なんてのは、そういう風習がなくなれば消えるでしょうし、「ケータイ」ということばも「携帯」とはまったくちがう意味を持つことばとして使われていますが、今や「スマホ」というものが出てきました。「ケータイ」もやがては使わなくなるのでしょうか。

ことばの命ははかないもので、定着するかと思った「ナウい」は消えました。もともとは「ナウな」という形で使われていました。この「な」は活用しないので連体詞だったのですね。活用させたいという気持ちが働いたのでしょうか、「ナウな」が消えて「ナウい」という形容詞になってからは相当長い間使われたのですが、見事に消えましたね。「ツイッター」で使う「~なう」は早々と消えましたが、こういう軽薄な感じのものは当然はかないものです。「真逆」ということばがあります。「まさか」としか読みようがないこのことばを「まぎゃく」と読んで「正反対」の意味で使う「バカ」がいるなと思っていたら、完全に定着してしまいました。映画の世界で使っていたことばらしく、タレントがテレビで使ったのを真似したところから始まったのでしょう。「目線」も同じ経緯で広まったようです。「やばい」や「鉄板」、「すべる」など、芸人やタレントが使うことばを「カッコイイ(死語?)」と思って若者が真似をし、それが広まっていくのですね。さすがに「真逆」は、年寄りは使わないようなので、今のところ若者ことばという段階ですが、おそらく定着するのではないでしょうか。

定着するかどうかの見極めは辞書編集者にとって大事なことだそうです。次に改訂するときには消えてしまいそうなことばを載せるわけにはいかないでしょう。「ブログ」は入れてもよさそうだが、「ニート」はどうだろう、と考えるのでしょうね。ところが、不思議なことにどう見ても死語としか思えないことばが載っていることもあります。「にこぽん」なんて使っている現場に出くわしたことはありません。「ニコヨン」は消えたみたいですが。死語の見極めも編集者にとって悩むところなのでしょう。辞書には載らないような「方言」はやはり消える運命にあるようです。大阪弁などは「強い」方言ですが、それでも「コテコテ」のことばはなくなっていきます。「わて」とか「おいでやす」なんて、だれも言わないでしょう。「どないでっか」「さっぱりわやや」「ちゃいまんねん」とか言う幼稚園児はいやです。それでも、聞けば意味はわかりますが、「いちびる」なんてひょっとして聞いたことがない人もいるのでは? ましてや「あかめつる」なんて、落語や田辺聖子の文章以外で出くわしたことはありません。「鶏肉」を「かしわ」と言うこともなくなりつつあります。でも、「きしょい」や「むずい」「めっちゃ」「むっちゃ」というような「新」大阪弁も生まれてきています。そう言えば「マクド」も新大阪弁でんな。

2012年4月 8日 (日)

体重⑤

もともと極端から極端に走る人間なので、「ダイエットするぞ」となると、やることが強烈です。

大阪に戻ってきてから食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べる生活を続けていたらあっという間に体重が十数キロ増え、ドラえもんのようになってしまいました。

これは遺憾!ということになり、とりあえず「走ってみるか」と、ある夜、タッタッタッと走ってみたら何だかとても気持ちがよい。「こ、これは・・・・・・オレはほんとうは走るために生まれてきた男だったのではないか」などとかんちがいし、やたらめったらそこらじゅうを走り回ったら、次の日、膝が痛くて歩けなくなってしまいました。

「走るために生まれてきたというのは早合点であった」と思い直した私は、「そういえば大学時代に痩せたときは、1日1食であった」と考えました。食べる量が少なければ痩せる、それはもちろんまちがいではないのですが、リバウンドなどという概念のないのが当時の私の不幸でした。

よし、痩せるぞ、と決めた私は、それから一日一食、しかも、食べるのは駅の立ち食いうどんだけ(しかもかけうどん)という極端な日々を送り始めました。おそろしくまちがったダイエットですが、とにかく続けることができさえすれば体重が落ちるのは確かです。最初の一ヵ月で8キロ近く体重が落ちました。

でも、やがてそんな食生活にはがまんができなくなります。で、また、ふとるわけです。

2度のリバウンドを経て、体重がついに77キロまできたとき、「いつまでもこんなことでは遺憾!」ということで、ダイエットのやり方を見直すことにしました。大学時代にはたくさん歩いていたことが大きかったのでは?とついに気づいたのです。もともと歩くことは嫌いではありません。しかし、私は時間惜しみをする人間なので、ジムに行ってウォーキングしたりするのはイヤなんです。そこで、毎日、茨木から枚方までママチャリで通う生活をはじめたところ、みるみるうちに体重が減っていきます。一日一食はやめましたが、とにかくカロリーの低そうなものを食べるという方針は継続していて、その頃は毎日ひたすらそばを食べていました。四条烏丸の『有喜屋』さんとかよく行ったなあ。

このときは、さすがに一ヵ月で8キロというわけにはいきませんでしたが、すぐに6キロぐらいは痩せ、その後も一ヵ月に1キロ、2キロと順調に体重が落ち、懇談した保護者の方に「先生、癌ですか」などと訊かれました。で、自転車通勤がすっかり気に入って、その後も長く継続し、結構いい感じでスマートな状態を維持することができました。

しかし、ついに、自転車通勤できなくなる日がやってきたのです。

転職です。

希学園の本部はご存じのように十三にあります。茨木から十三までママチャリで通うと、1時間ぐらいです。これはかなり辛い。自転車に乗る日々とおさらばすると、またしても体重はずるずるっと増え続け、だんだん現在のY田M平先生のような体型になってしまいました。

やはり、本に書いてあることは正しいです。適度な運動と、適度なカロリー制限。痩せるためにはこれしかありません。たくさん歩く、そして食べ過ぎない。それだけですね。それだけ心がけていれば、一年ぐらいでちゃんとした体重になるものです。

Y田先生にもぜひ気をつけてほしいものですが、彼は今、かつての私のような誤ったダイエットに走ろうとしています。それではダメだよ、と言っているのですが、これまでさんざんバカにしてきたせいか、私のアドバイスには耳を貸してくれません。実に遺憾です。やはり、誰しもいつも苦言ばかり呈している人間の言うことには耳を貸したくないものなんですね。これは、子どもを指導するときにも言えることなのでしょう。お小言ばかり言っていると、子どもはやがて聞いてくれなくなります。ご家庭でもぜひ「ほめ育て」を!

Y田くんのこともほめ育てしようっと。

2012年4月 1日 (日)

授業前の会話

小6の教室に入るとなんとなくそわそわした空気。「タイガース」とか「金本」とかいう声が聞こえてくる。

そうか、プロ野球が開幕するので気持ちが少しふわふわしているな。

がつんと言ってやらねば。

ぼく「おい、きみらは受験生なんやぞ、わかってんのか」

塾生「・・・・・・」

ぼく「プロ野球が開幕したぐらいで浮かれるな! 野球なんか見なくていい! どうせヤクルトが優勝するんだ!」

塾生「え?」

◇◇◇

ご家庭でも、受験生がお家で勉強されているときには、ナイターのボリュームは控えめでお願いします。

2012年3月25日 (日)

体重④

先日、合格祝賀会があり、今年は無事に講師劇を上演することができました(去年は震災があったので自粛しました)。

講師劇の練習を全体で行うのはたった3回です。本番当日の朝にリハーサルをしますが、それを入れても4回。

しかし、完全主義の私はその程度の稽古でお茶を濁す気にはなれません。相棒の山下高充先生と自主練を数十回しました! 我々の演技をご覧くださいましたでしょうか。山下高充先生はともかく、はっきりいって全講師のなかでいちばん演技が上手いのは僕だと思う! 

来年もがんばるぞ!

それはさておき。

体重の話です。

7年半におよぶ仙台での生活を終えて、原チャリで大阪まで帰ってきた私は、両親に心配されたり罵倒されたりしつつ、とりあえず大阪で就職活動をはじめることになりました。

しかし、そもそも就職活動などというものをしたことがまったくなかった私ですから、何をどうしたらいいものやらさっぱりわからず、やむなく父親に就職活動はどのように行うのかと相談したところ、あっさり「職安に行け」と言われてしまうのでありました。今でいう、ハローワークですね。

そこで、素直な、というか、何も知らない私は茨木市の職安に赴き、よくわからないまま分厚いファイルをぱらぱらめくったりしてみたわけですが、掲載されている職種が「なんだか僕のイメージとちがう~」。

などという紆余曲折はありましたが、あまり覚えていないのでカットします。結局、私は、新聞の求人欄で見つけた寝屋川・枚方・交野方面の会社に就職することになりました。

仙台から大阪まで原チャリで帰ってきたことで、「原チャリさえあればどこにでも行ける」という確信を抱いていた私は、その会社にも原チャリで通うことにしましたが、あるとき「カランカラン」という何かが落ちるような音がして、それをきっかけに前輪が妙にぐらぐら揺れ動くようになってしまいました。さすがに「このままでは危ない」と思って、とりあえず慎重に運転するようにしていたのですが、両親がキレて、「あほ、車を買え」ということになり、中古の軽自動車を買うことになりました。

車を買う! この僕が! なんという堕落でしょう!

仙台時代のあの輝くような極貧生活、黄金時代は遠くなってしまいました。

就職したことによって一定の収入が確保され、私はかつてないほど豊かになってしまったのです(あくまで当社比です)。

腹が減ったら即座に何か買って食べることすら可能になってしまった・・・・・・!

これまでの質素な生活を埋め合わせるかのように食べて食べて食べまくる私でした。

モ、モスバーガーってこんなにおいしかったのか!

た、たこ焼きってこんなにうまかったのか!

と、とりあえずラーメンでも食ってから帰るか!

ああ、しあわせ。

というわけで、気が付けばすごい勢いで体重が増えているのでありました。

その頃、会社に掃除をしてきてくれていたおばさんが、僕のことを「あのドラえもんに似た人」と言っていたらしいです。

                                             もう続かないかも

2012年3月17日 (土)

AYKYT

比喩表現というのは、案外難しいものです。何をたとえているのか読み取るために、二つのものの共通点を見つけなければならないのですが、どこに注目するかが難しい。女の子の目をうさぎにたとえていれば、ふつうはかわいい目のことですが、酔っ払いのおっさんなら充血している目です。つまり、その比喩が使われている場面や文脈から判断しなければいけません。そういう力が国語力でしょう。

よく「行間を読む」と言いますが、これも同じことでしょうね。「行間を読む」と言っても、行の間に経文がびっしり書いてあるわけではありません。省かれたことばや文を前後の状況から判断して補っていく力です。「昨日、おじいちゃんがボケ防止の本を買ってきた。今日も買ってきた。」という二文の組み合わせはほとんどの人が読み取れるでしょう。もちろん、このレベルでもわからないという生徒がいます。「遊びに行こうよ」「風邪ひいてるねん」という会話の意味がわからない子もいます。小学生の息子が部屋に飛び込んでくるなり母親に、「ねえ、お母さん。あの高い花ビン、ぼくが割るんじゃないかっていつもハラハラしてたよね」「ええ。それがどうしたの?」「もうハラハラしなくていいよ」というようなアメリカンジョークはたいしておもしろくありませんが、やはり意味がわからない人もいるのでしょう。

「飛脚の近道」という話があります。飛脚がはやく目的地に着くため、「近道、近道」と言いながら、近道を見つけて少しでも時間を短縮しようと走っていたのですが、どうしてもトイレに行きたくなります。時間がもったいないので、しゃがみながら腹ごしらえをしようと握り飯を取り出したところ、つかみそこねてトイレの中にこんころり。「あっ、近道しよった!」こういう行間が読める人は語るに足る我が良き友です。

「暑くないですか」と言われて、それが窓を開けてほしいという要求であることがわからなかったり、「考えておきます」が断られているのだということに気づかなかったりすると、社会人としては失格ですが、お世辞や社交辞令が見ぬけない人もいるようです。「政治家のことば」は「うそ」と同義語だという辛辣な意見もありますが、だまされたと言ってあとで腹を立てるよりもはじめから見ぬければそれにこしたことはありません。とは言うものの、相手の真意を見ぬくのは難しいようです。深読みしすぎると失敗してしまいます。言葉ではありませんが、剣の試合などで勝手に先読みするコントが昔はよくありました。相手がこう来ると考えて、ではそれに対して自分はこうしよう、そうすると相手はこうするはずだから…と考えて結局勝負をする前に「参った」と言ってしまうとか、相手が刀を忘れてきたのに、命をかけた勝負にそんなことをするわけはない、きっと何かおそろしい秘策があるにちがいないと考えてパニックになるとか……。徒然草にも、同じような話があります。田舎の神社の獅子と狛犬が後ろを向いて背中合わせに立っていたので、ある坊さんが感動して、「なんてすばらしいんだ。この立ち方は尋常ではない。深いいわれがあるはずだ」と感涙にむせび、連れの人たちに「あんたらは、これを見て感動しないのか。おろかものめ」と言っていたところ、神主が、「ああ、これね。近所の悪ガキのいたずらですわ。困ったガキです」と言いながら、もとの向きに戻して立ち去った……、という、ありがたいお話です。このあと、いっしょに都に帰る道中のふんいきが想像できて、実に心あたたまる感じがしますな。

俳句や川柳では、ある程度の深読みを要求するのですが、 「田一枚植えて立ち去る柳かな」を「田植えを終えた柳くんが立ち去っていった」と解釈してはだめです。かつて甲陽の入試で出た「受験前神や仏に□をつけ」という川柳の□にはいる漢字一字がわからない子がいるのは当然でしょうが、「様」がはいるのだと知ってからも意味がわからないのはかなしいかぎりです。「宿貸せと刀投げ出す吹雪かな」という蕪村の句は、吹雪に往生した旅の者が、宿を貸してくれと言うか言わないうちに刀を投げ出した、という情景ですが、いくらでも「深読み」できます。刀を投げ出すということはほかに荷物がないわけで、刀しか持っていないことになります。つまり、旅人は何も持たないような侍、吹雪の中をうろうろするからには何かわけありの浪人というイメージでしょう。「宿貸せ」と言っても、宿屋ではなく、山の中の一軒家です。夜になるとともに、雪はいっそう激しく降りつのる。家の者たちは何か起こりそうな不安を感じていたかもしれません。老夫婦ですね。戸はかたく閉ざしていますが、いきなり激しく叩かれる。二人は顔を見合わせながらも、やむをえず戸を開けます。舞い散る雪とともに一人の浪人が転がるようにはいってくる。着物は雪にまみれ、全身ぐっしょりと濡れています。精根尽き果てたように、「今晩泊めてくれ」と言うや返事も待たず、腰の刀を抜き取って、土間の片隅か上がり框へ投げ捨てる。浪人はなぜこんなところにやってきたのか。刀をクローズアップした表現は当然刀のイメージを広げます。誰かを切って追われているのかもしれません。この句自体が小説的であり、浪人の背後にも一つの物語があります。

もちろん「九マイルは遠すぎる」という断片的なことばからとんでもない事件の存在を推理できるかというと、実際には無理でしょうし、ホームズの推理もこじつけっぽいことが多いので、「ワトソンくん、君は今日赤いパンツをはいてるね」「どうしてわかるんですか」「君は今日ズボンをはいてないのさ」というジョークが生まれて、こじつけ推理を揶揄するのでしょう。それでも、状況からある程度のことを読み取ることは必要なことです。「空気を読む」というのも同じでしょうが、「KY」というまぬけな略語がありました。「Y」が「読める」の意味なら納得ですが、「読めない」のなら、せめて「KYN」と言うべきです。だいたい日本語をアルファベットの略語で表すこと自体まぬけな証拠です。こんなことばを使うやつは「AYKYT」です。もちろん、「頭が良くないので、こんなやつとはつきあいたくない」という意味であることは一目瞭然ですね。

2012年3月10日 (土)

体重③

私の体重とは何のかかわりもないことながら、ギリシャのアンゲロプロス監督が亡くなりました。

野球の監督ではありません。映画監督です。

日本で公開された映画のなかではたぶん『霧の中の風景』がいちばん有名ではないかと思います。姉と弟が父をさがしに出かける話です。私は大学のときに仙台の映画館で観ました。あの頃はまだ東京以外でも良い映画がかかっていて、吹田のぼろい映画館でアンゲロプロス特集を観たりできたんですが、今はひどいことになった、ような気がします。東京はきっと良い映画をやってるんだろうなあなんてひがんだりしていますが、もしかすると、映画に関する日本人全体の文化水準が激しく低下しているのかもしれないぞと考えるときもあります。

なんだ、おまえの好きな映画が上映されてなかったら文化水準が低いことになるのか、と批判されるかもしれませんが、あえて

「そのとおりだ!」

と言いたい! 言いたいけど、やっぱり言わないでおくか! 失礼だし! でも書いてしまった以上、もう遅いか!

注 上記『霧の中の風景』はとても良い映画ですが、小学生にはまったくおすすめしません。

◇◆◇

さて、体重の話です。大学に入っていきなりすごい勢いで痩せたという話を「体重②」で書いたかと思います。かなり不健康な痩せ方だったので強烈なリバウンドが来そうなんですが、それが来なかったのは、大学生活を通じてずっとろくにものを食べなかったためです。

すぐに食費をけちるのは高校生の頃からの悪い癖ですね。母親がたまに弁当をつくれなくて「これで何か買って食べなさい」と500円渡してくれたりするともうウハウハです。当然何も食べずにそのお金で本を買っちゃいます。

高校一年生のときに、ユースホステルや親戚の家に泊まったり夜行列車を利用したりして北海道を2週間ほど旅行したんですが、このときもほんとに食べませんでした。親戚の家ではジンギスカンやら夕張メロンなどというものをたらふく食べさせてくれるので、そこでひたすら食いだめをして、あとはほぼ飲まず食わずで過ごしました。帰阪したときには激ヤセしており、親が仰天、かわいそうなおばさんが「ちがうんだ、オレはたくさん食わせたんだぞ、信じられないほどたらふく食わせたんだ」と弁解していました(おばさんは自分のことを「オレ」と言うのであった)。天国のおばさん、ごめんなさい。

そんなわけで、親元を離れて自由の身になった大学時代はだいたい一日一食で過ごしていました。寮にいた頃はほんとうにむちゃをしていて、2~3日パンの耳しか食べないとか、そういうことも頻繁にありましたが、寮を出て、友人たちと一軒家を借りて暮らし始めると、ときどき自炊をするようになりました。

そのころの私の定番は、『親子スパゲティ』です。べつにたいしたものではなくて、タマネギとにんじんと鶏肉と卵をいためてスパゲティとまぜるだけです。味付けは塩コショウです。

財政状態が悪化すると、鶏肉とタマネギとにんじんがなくなり、卵だけになります。いりたまごをスパゲッティにのせただけというやつですね。卵は近所のスーパーでばら売りをしてくれたので、恥をしのんで、一個だけ買いに行ったりしてました。

さらに財政状態が悪化すると、卵も姿を消し、かつおぶしになります。かつおぶしをふりかけて、マヨネーズを落とし、さらに醤油を回しかけて食べるんです。あたたかいうちはなかなかおいしいんですが、冷えるとまずくてねえ。

その頃は「栄養」なんて何の興味もなく、食事というのはとにかく腹がふくれればよいのだと思っていました。野菜とかバランスとか何の話ですか?って感じでした。今じゃ、タンパク質をおよそ何グラム摂取したかまで考えて食事していますが、人間変われば変わるもんですな。

スパゲティはよく食べました。今でも大好きです。これも大学時代の話、いっぺん、『ボンゴレ』ちゅうのを食べてみたいなあと思って、近所の魚屋にあさりを買いに行ったら、季節はずれだったのか、なかったんです。でもどうしても『ボンゴレ』が食べたかったんで、きっとしじみもあさりと似たようなものだろうと判断して、しじみを買って帰ってですね、しじみボンゴレをつくってみたんです。これがしみじみまずくてねえ。とても食べられませんでした。

その手の失敗はいろいろやらかしました。高校生のときに少女漫画にはまってしまってですね、そしたら、少年漫画にはあまり出てこない「シナモンティー」なるものが出てきたりするわけです。「これだ!」と思ってですね、さっそく試してみたんですけどね、その、僕は「シナモン」というのがどういうものかよくわかっていなくてですね、なんとなくそういえば家にそんな感じのものがあったなあという曖昧な記憶でつくろうとしたもんで、シナモンじゃなくてガーリックパウダーを紅茶にぶちこんでしまったんですね。いや、これもまずくてねえ。とても飲めませんでした。

村上春樹の『風の歌を聴け』が僕の高校時代の愛読書だったんですが、鼠という登場人物が、ホットケーキにコーラをかけて食べる、という話が出てくるんです。で、さっそくやってみました。あつあつのホットケーキにコーラをどぼどぼとかけたんですが、すごい勢いでしゅわしゅわ~と泡がたってですね、ホットケーキは冷たくなるわコーラはぬるくなるわで、すごい味でした。まずかったですねえ。

一緒に住んでいた九州出身のYくんは、クリームシチューに焼き海苔入れたりしてましたねえ。カレーに「料理酒だ」とか言ってウォッカをどぼとぼと入れすぎ、真っ赤な顔して食べてましたねえ。愚かな人でした。ま、人のことは言えませんけど。

でもYくんはとても優しいやつでしてね、僕が大学生男子にありがちなとある事情で落ち込んでいたら、焼きおにぎりをつくって部屋に持ってきてくれたりしました。

もうひとりの同居人である I くんだけは淡々とまともなものをつくって食べていました。かれの料理は、つねにタマネギとにんじんを刻むところからはじまります。それを鍋にいれてくつくつ火にかけながら、豚汁をつくるか肉じゃがをつくるかカレーをつくるか考えるって感じですね。毎日飽きずにそれを繰り返していました。なんというか、非常に精神の安定した人物でしたねえ。

以上のような生活のため、仙台で暮らした七年半はそれなりに体重は落ち着いていました。最後の数年は多少おなかがぽっこりしてはいましたが、まだまだ余裕がありました。

ひどいことになったのは、大阪にもどってきてからです。

                                              つづく?

2012年3月 9日 (金)

入試分析会(続々々)

希学園の入試分析会は、本日の四条烏丸教室(男子・女子)、西宮北口(女子)をもって終了いたしました。ご来場くださったみなさま、ほんとうにありがとうございました!

不肖・私にしかわの話は本日も時間オーバー、それも、超過幅が最高を記録するという劣悪な結果となってしまいました。終了時刻が遅くなってしまったこと、お詫び申し上げます。

この悔しさを胸に、また次にみなさまの前でお話しできる機会まで、日々発声練習に励みたいと思います。タイムとは関係ないような気もしますが。

どうも私は、「た行」がだめなんです。何日か続けて練習しているとだいぶ良くなるんですが、少しサボるとすぐに「た・て・と」が「つぁ・つぇ・つぉ」に近い音になってしまいます。しゃべっていて、自分がそうなっていることに気づくと、「これじゃロックンローラーだぜぇ」と非常にストレスを感じてしまいます。

というわけで、日々、「たてちつてとたと、たちつてと・ちつてとた・つてとたち・てとたちつ・とたちつて、この竹垣に竹立てかけたのは竹立てかけたかったから竹立てかけたのです」の精神でがんばりたいと思います。

2012年3月 8日 (木)

入試分析会(続々)

希学園主催の入試分析会が続いています。

今日は豊中教室でした。

不肖わたくし西川、連日といいますか、相変わらずといいますか、持ち時間をオーバーし続けており、会終了後のスタッフミーティングでは非常に気まずい状態です。

本日の豊中教室は多数の方がお越しくださったので、男子は二会場に分けて行いました。すなわち、男子会場の弁士は全員2回ずつ話をしたわけです。

今日という今日は時間厳守だという強い意気込みで、秒単位で時間を計りながら話を差し上げたものの、第1回はあえなく撃沈。

みんなの目つきが何だか白いので、「次は大丈夫です、次はやってみせますから」と言いつつ、第2会場に入り、な、な、なんと、5秒短縮に成功!

・・・・・・。

事務所に戻りづらくて、しばらくトイレでぶつぶつと文句を言ったりしてふてくされた態度をとっていました。逆ギレというやつですね。

明日は男子が四条、女子が四条と西宮北口です。

「よその分析より良かったですよ~」というありがたい声も頂戴しています。ぜひお誘い合わせのうえお越しください。

明日こそは必ず!

2012年3月 6日 (火)

入試分析会(続)

本日、谷町九丁目教室で入試分析会を実施致しました。ご来場くださった皆様、ありがとうございました!

昨年の反省を踏まえ、持ち時間を超過しないように気をつけたつもりでしたが、もう全然無理でした!

しゃべっている途中で「こりゃだめだ」と悟ってはいましたが、終わってみると思っていたより2分多い、7分オーバーです。「え~そんなに~、おっかしいなあ」と思って首をひねりながら退室したところ、会終了後、ご覧くださっていた保護者の方から「なぜ首をひねっていたんですか」と鋭い指摘をいただきました。お恥ずかしい話です。

さて、明日は西宮北口プレラホール午前10時からになります。こちらは男子のみの分析会です。持ち時間厳守します。ぜひ皆様、お誘い合わせの上お越しください。

会終了後には受付のあたりで所在なげにうろうろしておりますので、国語に関するご質問等ございましたら、何なりとおっしゃってください。塾生保護者の方も、一般の方も大歓迎です。

『体重』の話はまた今度ということで。

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