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2011年10月 9日 (日)

栄光の文化ゼミナール~光年のかなた⑦~

どうもこのところ更新が滞りがちですね。僕の書くペースが落ちているのが最大の原因です。
楽しみにしてくださっている方は、べつにいらっしゃらないかもしれませんが、なんとなく、誰にともなく申し訳ない気分です。

さて、最近僕はこのブログの記事を主として電車の中で書いています。実はそのために「ポメラ」を買ったんです。これは今年僕が購入した品物のうちで最大のヒットでした。ご存じですか、ポメラ。完全にワープロ機能だけに特化した、なんていうんですか、電子メモ帳とでもいうんでしょうか、そういうやつです。

開くとちゃんとした五十音のキーボードがスライドして出てくるんですが、コンパクトなので、立ったままでも片手で支えて片手で打ち込むことができます。なんといっても起動が速い。電源を入れたら即使用可能になります。阪急京都線で、サイゼリヤで、十三のあやしい中華料理屋『隆福』で、小さなキーボードに向かってちまちまカタカタと文章を打つ私です。

思えば、僕のワープロ歴は結構長く、大学2年のときに衝動的に買ったのが初めてでした。ディスプレイの幅が1行分のみでたった12文字しか表示されないというおそろしく使いづらいものでしたが、まわりにワープロ持っているやつなんてほとんどいませんでしたから、なんだか得意気に意味もなく日記を書いたりしていました。しかし、毎日これといって何もしていなかったので書くことがなくて困りました。せいぜい「今日も腹が減った」とか「腹が減ったのでデパ地下の試食コーナーを徘徊した」とかその程度しか特筆すべきことがない青春だったのだった・・・・・・。

ちょうどその頃サークルに入りました。「文化ゼミナール」というあやしげな名前の、まあ簡単にいうと読書をするサークルですね。本来であればいろいろな分科会があって、それぞれに興味深い書物を取り上げて・・・・・・という形態になるんでしょうが、人手不足のため、分科会はただ一つ経済学分科会だけ、それも時代遅れの『資本論』第1巻を1年かけて読むという、えもいわれず地味な活動をしていました。結局3年間参加したと思いますが、その間、メンバーは4名~6名、ひどいときにはたった2人でぶつぶつ議論しながら読んでいました。

読書会ってどんなふうにするかといいますと、担当者がレジメをきってくるんです。たとえば、来週は第三章の第一節だということになると、それを段落分けして、内容を簡潔にまとめたものを作ってくるんですね。で、それをもとに担当者が進行役を務め、一段落ずつじんわりと読んでいくわけです。

このレジメをきるのに、件のワープロが活躍しました。ワープロで打ってあると、内容がダメでもなんだか少しましに見えるんですよね。「これだ!」って感じでした。

それにしても『資本論』! あれは国語の勉強になりました。Yさんという経済学部の院生が中心になって、とにかく精確に内容を理解することに主眼を置いてやっていたので、派手な議論が飛び交うわけでもなく、若者らしい青臭い思想や世界観を開陳し合うでもなく、「読点の位置からみて、この主語はここにかかっていくんだから、こう読むのが正しいはずだ」「訳が悪いかもしれんから原典にあたってみよう」(もちろん原典にあたるのはYさん)などといいながら、ひたすらねちねち読んでいました。正直言って、あの3年間がなかったから、僕は国語の講師になっていなかったかもしれない、いやなっていたかもしれないけれど、だいぶちがう感じの講師になっていたんじゃないかなと思います。

1年目はちんぷんかんなので、先輩の説明をふむふむ聞いていることが多かったわけですが、2年目になって後輩が入ってくると、たまには僕が教えるなんて場面も出てきます。あやふやなことをいうとすぐに首をひねられてしまうので、冷や汗かきつつしどろもどろになりながらやっていました。あれが勉強になりました。とにかくできるだけすっきりと、筋道立てて説明をする訓練になったと思います。

読書会は週に1回、6時から9時過ぎまででした。9時になるとサークル室の照明が強制的に消されてしまうのですが、ろうそくに火をともして暗い中でいつまでも話をしていることもありました。

コーヒーを飲むようになったのも文ゼミにいたときです。Yさんがコーヒー好きだったので、一息入れようというときにはお湯を沸かしてコーヒーを飲んでいました。そのうち、よりおいしいコーヒーが飲みたいということで、ベートーベンという豆屋さんでその日飲む分の豆を買ってきて、淹れるときに必要な分だけガリガリとひいて飲むようになりました。

文ゼミに入ったころは、まだ寮生でした。9時過ぎてサークル室を出るといつのまにか雪が降り積もっているなんてこともあり、寮まで帰るのが大変でした。自転車で三十分ぐらいかかるんですが、寒さのせいで背筋がびんと張って、痛くなるんです。雪だと自転車もつるつる滑りますしね。仙台平野をふきすさぶ風に綿入れをなびかせて帰ったものです。綿入れは基本的に部屋着なので、外では寒いっす。

文ゼミはほんとうにとても勉強になる、いいサークルでした。当時のメンバーを思いうかべると、なんだかみんな頭良かった気がします。僕がいちばんぱっとしませんでした。ぱっとしない割に態度だけはでかくて申し訳なかったなあと思います。

しかしながら、そんないいサークルなのに、なぜか人が集まらない。新歓の時期にはなんとかして人を集めようとみんなで知恵を絞りました。

これは僕が入る前の話ですが、

「女の子を呼ぶにはテニスだ!」

と先輩のひとりが言い出し、「キャピタル・テニスクラブ」というニセのサークル名でビラを配布したこともありました。『資本論』の原題が「ダス・キャピタル」というのです。「テニスをするための基礎体力作りに『資本論』を読んでいます」という打ち出しだったのですが、残念ながら、あまりのインチキぶりに、当たり前ではありますが、だれも来ませんでした。その後懲りずに「キャピタル・サーファークラブ」というサークル名のビラも配布したということですが、もちろんどうにもなりませんでした。

大きな立て看板をつくったこともありました。認知度を高めるのがねらいです。なにかインパクトのあることを書こうということで、「少年老いやすく老人死に易し」という何が言いたいのかまったくわからない言葉を書いてみました(これはYさんがサークル室の黒板に書き付けていた警句です)が、やはりだれも来ませんでした。

僕の青春の日々はそうやって楽しいような空しいような感じで過ぎていくのでありました。

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