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2013年3月 8日 (金)

AKO47

清水次郎長という名前が出てきましたが、この人が死んだのは明治の中頃で、晩年はベッドで寝てたとか。徳川慶喜だって、死んだのは大正の初めですから、江戸時代というのは遠い昔ではありません。一時期、次郎長の養子になっていたのが天田愚庵という人で、正岡子規にも影響を与えた歌人です。次郎長一家には二十八人衆という子分がいたそうで、大政・小政・大瀬の半五郎・法印の大五郎・増川仙右衛門・桶屋の鬼吉・追分の三五郎、この辺までは名前が出てきます。というと、広沢虎造(知らんやろな)に怒られます。忘れちゃいませんか、森の石松がいました。その他は、と聞くと虎造みずから、「あとは一山いくらのがりがり亡者だい」と言っています。しかし吉良の仁吉という人がいて、これも二十八人衆の一人です。この仁吉の血をひくという設定の吉良常という男が出てくるのが、尾崎士郎の『人生劇場』ですが、もうその辺の本屋には置いてないのかなあ。高校生のときに、絵も何もかいてない黄色い表紙の新潮文庫で読みました。なになに篇とか名前がついて十冊ぐらいに分かれていましたが、五木寛之の『青春の門』はこのパロディかなと思っていました。同じ早稲田の後輩だし、「やっちゃん」の出てくる青春小説という点では同じでしたね。

四十七士となるとさすがに覚える気もなく、大石内蔵助・大石主税、堀部安兵衛、以下省略。とはいうものの、よく考えたら何人かはパラパラと出てきます。たとえば大高源五。俳諧をやっていて、宝井其角とも交流がありました。其角は芭蕉の弟子としてはトップで、芭蕉がライバルと目していた井原西鶴とも付き合いのあった大物です。討ち入り前夜、両国橋のたもとで出会ったときに、「西国へ仕官することになった」と言う源五に、「年の瀬や水の流れと人の身は」と其角が詠みかけると、「あした待たるるその宝船」と付けて、仇討ち決行の真意を知るという有名な話があります。

四十七の上を行くAKB48は何人いるのでしょう。48人ではなく、はじめは半分ぐらいだったそうですが、今はどれだけ? 「AKO47」という新作落語を月亭八方がやっていました。47対1で討ち入りをするのは卑怯なのでセンターを決める選挙を行うという、ばかばかしい設定で、あまりの安易さに結構笑えます。でも、いまの子は当然、赤穂浪士を知らないんですね。私も歌舞伎の大序、鶴ヶ岡社前の場をはじめて見たときに、なるほどねと思いました。口上人形が出てきて配役を紹介するところから、「とーざいー」「とーざいー」という声が聞こえて、柝の音がはいるにつれて幕がしだいに開いても、ずらりと並んだ役者たちはみんな顔を伏せており、役の名を呼ばれてはじめて少しずつ顔を上げていくのですね。人形に魂がはいった、という設定で人形浄瑠璃の名残です。
『仮名手本忠臣蔵』のネーミングもなかなか凝っていて、四十七士をいろは四十七字にかけて「仮名手本」、当然「手本」というのにも、いろはの書き方を習う手本と武士の手本がかけられています。で、さらに「忠臣大石内蔵助」を縮めて「忠臣蔵」、金持ちの蔵はいくつもあるので、いろはの番号をふっていたことをふまえると、前半の「仮名手本」ともつながります。蔵いっぱいにもなるほど多くの忠臣が出てくるというニュアンスもあるでしょう。強引な説としては、塩谷判官が高師直に斬りかかったとき、後ろから抱き止めたのが加古川本蔵という人、この人こそが本当の忠臣だということを、「本蔵」の間に「忠臣」をはさんで暗示したという説さえあります。

実際に斬りかかったのは浅野内匠頭長矩ですが、芝居では塩冶判官高貞になります。塩冶高貞は実在の人物で、『太平記』には、足利尊氏の執事の高師直が塩冶高貞の奥さんに一目惚れをして、恋文を書こうとしたというエピソードが載っています。レベルの高いラブレターを書きたかったのでしょう、都で最もすぐれた名文家をさがせと命じて、連れて来られたのがなんと吉田兼好。ところが、兼好の書いたものを読みもせず、奥さんは手紙を捨ててしまいます。逆上した高師直の讒言によって塩冶高貞は謀反の疑いをかけられて自害に追い込まれた、ということになっています。芝居では、この話と強引に結びつけて、浅野内匠頭を塩冶高貞にするのですが、「塩冶」は赤穂藩の名産「赤穂の塩」にひっかけていますし、相手側の吉良上野介が高師直になるのは、吉良家が幕府では礼儀作法を教える役目をしており、そういう家を「高家」と呼んでいることとも結びつきます。

実際に起こった事件をそのまま描くと幕政批判と見られかねないので、鎌倉時代などに仮託して描いて、実名を避けたのですね。そのために大石内蔵助も大星由良之助という名前になっています。すぐわかるのですが、一応言い訳にはなります。「織田信長って言うたやろ」と責められたときに、いいえ「小田春永」です。羽柴秀吉か、いいえ真柴久吉です。明智光秀やろ、いいえ武智光秀です。…ばればれです。むかしのインチキ興行で「美空ひばり来る」と看板にあるので見に行ったら「美空いばり」やった、とか「五木ひろし」と思うたら「玉木ひろし」やったとか、「エノケン」と思うたら「エノケソ」やったとかいうのと同じです。榎本健一を略して「エノケン」なのに、「エノケソ」は何の略でしょう。「えのもとけそいち」?

ほかにも加藤清正が佐藤正清になるような、みえみえパターンもありますが、ちょっとわかりにくいのもあります。徳川家康は北条時政になりますし、真田昌幸は佐々木高綱になります。伊達騒動という、仙台藩伊達家で起こったお家騒動があります。悪役とされる原田甲斐を新たな角度から見直したのが山本周五郎の『樅の木は残った』です。読みやすい周五郎作品の中では『ながい坂』と並んで、すらすら読めない作品でした。この原田甲斐が芝居の『伽羅先代萩』では「仁木弾正」となって妖術使いという設定です。仁木氏は高師直が死んだあと、足利家の執事になります。執事はのちの管領につながる役職なので相当の権力を持っています。ところが、大老の酒井雅楽頭は山名宗全、老中の板倉内膳正は細川勝元という名になっています。つまり応仁の乱のころの設定ですが、そのころの仁木氏は見る影もない、しょぼい一族になっているので、仁木弾正というのは架空の人物でしょうね。松永弾正のイメージか、「弾正」という名は悪人っぽいなあ。

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