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2014年3月 9日 (日)

オトナ語

歌舞伎のせりふを会話や文章の中に入れるのは最近さすがに見なくなりましたが、外国ではシェークスピアや聖書のフレーズを引用することが今でも多いのでしょうか。昔、ラジオで「心に愛がなければどんなことばも相手に響かない。聖パウロのことばより」とか言っていましたが、「聖パウロ」が何者なのかわからないので、そのことばもいまいち響かない。タモリが外国人宣教師に扮して、片言の日本語で、「みなさーん、そうでジンジャー…おお、まちがいましーた、そうでしょうが」とやってました。こちらのほうは響きました。「知らざあ、言って聞かせやしょう」とか、「こいつぁ春から縁起がいいわい」のような歌舞伎のせりふをなんの断りもなしに会話の中に入れても、あれだなとすぐわかったように、聖書のことばを引用すると、向こうの人はピンとくるのでしょうね。

日本語に訳されたものでは、たまに語注がついていて、なるほどと思うことがあります。「俺のものは俺のもの、おまえのものも俺のもの」という、よく聞くフレーズも、もとはシェークスピアらしいですね。ただし、「俺のものはおまえのもの、おまえのものは俺のもの」だったとか。「人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ」は、日本語のせりふとして使うと、くさすぎます。「生きるべきか死ぬべきか」はあまりにも有名ですが、「To be or not to be,that is the question」をいちばんはじめは「ありますか、ありませんか、それは何ですか」と訳したとか。「ながらうべきか、ただしまた、ながらうべきにあらざるか、ここが思案のしどころぞ」とか「死ぬがましか、生くるがましか、思案するはここぞかし」とか、簡潔なのは「生か死か、それが問題だ」とかありますが、実際に使う機会は当然ながら多くありません。

ある場面では必ず使うフレーズというものがあります。常套句というよりテンプレートの文ですね。合戦の場で武士が言う「やあやあ我こそは」も決まり文句ですね。「遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ」というやつです。敵討ちのときに言うせりふも決まっています。「ここで会うたが百年目、盲亀の浮木優曇華の、花咲く春の心地して、いざ尋常に勝負、勝負」とか言います。百年に一度しか水面に出てこない亀がいたそうで、しかも目が見えない。それなのに、大海に漂う浮木のたった一つの穴にはいろうとしたということから、出会うのが至難の業であることをたとえて「盲亀の浮木」といいます。「優曇華の花」は、三千年に一度開くということで、これもめったにないということのたとえです。「がまの油売り」というのもありました。小学校のときに覚えたと思うのですが、元になったのは何だったのやら。「さあさあ、お立合い。ご用とお急ぎのない方はゆっくりと見ておいで。手前ここに取りいだしたるはガマの油。ガマはガマでもただのガマではない。これより北、筑波山のふもとで、おんばこと云う露草をくろうて育った四六のガマ。四六五六はどこで見分ける。前足の指が四本、後足の指が六本、合わせて四六のガマ。山中深く分け入ってとらえましたるこのガマを、四面鏡ばりの箱に入れたるときは、おのが姿の鏡に映るを見て驚き、タラーリタラーリと脂汗を流す。これをすきとり、三七、二十一日間、トローリトローリと煮つめましたるが、このガマの油」というやつですが、これは長すぎる。

短いフレーズなら、あいさつや政治家の答弁でもよく見られます。「ただいまご紹介にあずかりました山下でございます」という言い回しや「ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」という締めのことば。これらを使えば一応かっこうがつくという点では便利です。ただし、心がこもっているようには受け取られない。何か事件があったときの政治家の「jまことに遺憾に存じます」も心がこもってはいませんが。「それが本当なら大変だ。可及的速やかに善処いたします」が「何もする気がございません」という意味と同じであるように、黙っているわけにもいかないので、取りあえずしゃべるフレーズという位置づけですね。結婚式の「本日はお日柄もよく…」や会のはじめの「ご多忙の最中ご来場有難う御座います」なども取りあえず語として重宝します。ある業界の方の「ただで済むと思うなよ」などは、びびらせる効果がある分、ちょっとちがうようです。

糸井重里の『オトナ語の謎。』という本では、子どものときには絶対に使わなかったのに、大人になったらよく使うことばが載っています。「お世話になっております」「よろしくお願いいたします」「お疲れ様です」など、いつのまに使うようになるのでしょうか。「いただいたお電話で恐縮ですが」「ご足労頂きまして」「その節はどうも」「お噂はかねがね」なんてのは「熟練」したサラリーマンという感じです。こういうことぱがサラッと出てくると、おヌシできるなと思われるようになります。「取り急ぎ」「落としどころ」「ざっくりと」「さくっと」なんてのもオトナ語ですね。「なるはや」「午後イチ」となるとサラリーマン語でしょうか。「一両日中に」というのも子どもは使いません。相手の会社の名前に「さん」を付けるとか「営業のニンゲンに聞いてみます」のような、普通のことばを特殊な用法で使うのもオトナ語です。月のはじめの日のことを「いっぴ」と言うのも、オシャレと言うかダサいと言うか、特殊な世界のことばのような感じがします。「いや」を四連発で「いやいやいやいや」と重ねたあと、「なにをおっしゃいますやら」となるとおっさんですな。オヤジ語としては「ロハで手にはいる」とか「今夜はノミュニケーション」「ガラガラポン」なんてのがあります。「なんにも専務」とか、会議中に寝る人がいたら「山下スイミングスクール営業中」とか、ダジャレ系になると脱力してしまいます。 「さもありなん」「ならでは」「あらずもがな」「聞こえよがし」「やいなや」などはいかにも古くさいことばですが、灘の入試で出ていました。こんなことばを使う幼稚園児はいやです。大人が日常使うことばをどれだけ知っているかが、国語力の有無をはかる上で大きな指標になりますが、可愛げがありませんな。しかし、いつかは覚えなければなりません。そこのところ、ひとつよしなに。






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