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2014年3月18日 (火)

お天気の話→京都人の話→雪山の話

なんか暖かくなってきましたね。やはり東大寺のお水取りが終わるとぐっと春らしくなります。

なんてことを《ザ・京都人》の前でいうと、ひんやりした空気が流れて、「は? 関係あらしまへんやろ」的な顔をされてしまうわけですが、ぜひとも京都と奈良、同じ古都どうし仲良くしてほしいものです。

ちなみに、ここでわたくしが《ザ・京都人》と呼ぶのは、単に京都に住んでいらっしゃる方のことではなく、いかにも京都人らしい京都人、以下の項目のいずれかにあてはまる人のことです。

1 京都が盆地でいかに寒いかを強調する。「でも京都がいくら寒いって言っても昭和基地ほどじゃないでしょう」と反論すると、「京都は底冷えしますさかいに」とやんわりたしなめてくる。

2 「あの店は井戸水使たはるさかい」と言う。

3 おのぼりさんのことを揶揄して「『しじょうとりまる』言わはるさかい、どこのことやろ思て」と、知っているくせにとぼける。

いかがでしょうか、みなさんのまわりにもいらっしゃるのでは? ザ・京都人。もしかすると、「うちのことどすか」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。失礼しました。

以前にも、奈良県の人に「リニアモーターカーは、奈良は通るだけで止まらないんですよね」と言って怒られたことがあるんですが、我ながら懲りないもんです。と、そういえば、リニアモーターカーはどうなるんですかね。京都ではちょっとしたキャンペーンやってますね、リニアモーターカーを京都に! みたいな。あれ、奈良の人は怒っているんだろうなあ。これについては奈良の人に同情的です。

もし大阪が「府」から「都」になってしまったら、やはり《ザ・京都人》は「きっ」とまなじりを吊り上げて、京都も「府」ではなく「都」に、みたいなキャンペーンをはるんでしょうか。そしたら、「京都府」から「京都都」になるのかしら?

それはともかく、僕としてはそもそもリニアモーターカー計画自体がどうも。南アルプスの下を通すって聞いた瞬間に頭がくらくらしてしまいました。

ああ、南アルプスのことを思いうかべたら山に行きたくなりました。入試が終わったら雪山に行こうと思っていたんですけど、新年度の準備も忙しかったし、なんだかこの冬は妙に寒がりになってしまって、「雪山? 考えただけでガクガクブルブルだよ~」とか言って日和っちゃったんです。後悔しています。

雪山というのは格別です。例によってカメラマンの腕前がへぼで申し訳ありませんが、

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だれもいない山のうえでこんな風景のなかにいると泣いちゃいます。

夏山もそりゃじゅうぶんに美しくて幸せなんですが、やっぱり雪山は、ちょっと、別格です。ヒマラヤとか行ったらもっとすごいんでしょうね。でも、行きません。僕なんかが行ったら死ぬから。

日本の雪山でもちょっと油断したらすぐに死ねます。

雪山に行きだしてすぐの頃、北アルプスの雪山にひとりで行くのはまだちょっと自信ないなあ、でも滋賀の比良山系ぐらいならね、みたいな気分でいた頃ですが、10月下旬にひとりで穂高に行きました。Y田M平trに、「この時期の秋山は一晩で雪山になることがあるから、ピッケルとアイゼンはちゃんと持っていくように」と言われて一応持って行きましたが、まあ、だいじょうぶだろうと何の根拠もなく思ってました。単なる願望ですね。シーズン最後の山登りですから、雪なんか積もっていない、安全で楽しい秋山登山がしたい、できなければいやだ、できるはずだ、みたいな。うん、我ながら人間の小ささがよく出てるなあと思います。

上高地に着くと、山には雪が。もちろん、真っ白というわけではありません。ところどころです。だから、だいじょうぶだと思ったんです。すごく甘い判断です。甘いというか、何もわかっていないですね、平地のイメージなんです。大阪あたりの街中でところどころにしか雪がないというのは日陰以外は雪が解けちゃってるからですよね。なんとなくですが、そんなイメージでとらえてしまってるんですね。標高ざっと1000メートルの上高地から3000メートル級の山を見て、そんなふうに見えるってことは、実際に登ってみたらどうなっているのか、ということがまるでわかっていなかったわけです。

で、るんるん気分で前穂高めざして登りはじめました。登山道に雪はありません。さっさと穂高岳山荘に着いてビールを飲みたいので、ぐいぐい登っちゃいます。当時、前穂高に行く途中にある岳沢小屋は再建工事中でした。横を通ったときに、小屋の人になんとなくいぶかしげな、変な顔で見られたような気がしましたが、あまり気に留めませんでした。

重太郎新道は結構きつい急登の連続です。だいぶ登ったあたりで、ところどころ雪が出てきました。そのうち雪を踏まないと歩けなくなり、バランス感覚が悪くてすぐに足を滑らせてしまう僕は、やがてアイゼンを履きました。Y田先生の言うとおり持ってきてよかったなあ、なんて呑気に思ってました。すぐに登山道は完全に雪に埋もれました。

それでも、前穂高と奥穂高の分岐までは比較的良いペースでした。ザックを分岐に放り出して、前穂の頂上をめざして登り始めたときに、ようやく、ちょっとまずいなと思いました。なんか怖いんです。アイゼン履いてピッケルも持っているんですが、まあ、素人同然です。今でもそうですが、当時はもっとそうでした。だから、まともに歩ける気がせず、滑りそうで怖いんです。しばらくがんばって進みましたが、ちょっと血の気が引いてきたので、分岐に戻りました。問題はそこからです。奥穂高に向かう道は「吊尾根」と呼ばれています。前穂と奥穂を結ぶ、まさしく「吊橋のような美しい弧を描く稜線」だからです。

僕の実力を考えればそこで下山するべきでした。なのに、何を考えたのか、僕は吊尾根に突っ込んでしまったんです。なんとなく、しばらくがまんして歩いたら奥穂はすぐだというような錯覚があったみたいです。所要時間についての判断もおかしくなっていました。夏山と同じようなもんだろうという、まったくもって非理性的な判断を、なんとなくしてるんですね。「なんとなく」という言葉がくり返し出てくることがそのときの僕の心理を物語っていると思います。ふわっと行っちゃったんです。

吊尾根は、雪のない季節に歩くと、とても気持ちの良い道です。ほどほどに鎖場もあって岩登りっぽいところもあって楽しめます。でも、そこに40~50センチほど雪が積もっていると、状況は一変します。

まず、ルートを示す目印(たいてい、岩にペンキで丸印や矢印が描かれている)の多くが隠れてしまいます。

そして、まだそのうえをだれも歩いていない新雪が積もっているということは、単に登山道が消えるということだけではなく、平坦な部分がなくなっているということです。本来の山の斜度そのままの雪の斜面を延々トラバースしつづけることになります。雪山素人の僕が。

岩場にくると、むき出しの岩と雪のミックスです。岩にアイゼンを引っかけて進みますが、手で岩をつかもうにも、手でつかみやすい形状になっているところは雪が積もっています。

で、このあとが問題なんですが、僕はこのとき、ものすごく油断していたのか、手袋を忘れてきていました。ほんまにアホなんです~。だから、ずっと素手でピッケルを握り、ときには雪に手を突っ込んで岩をつかんだりしなければなりませんでした。

さらに怖ろしいことに、というか、アホなことに、いざというときのためにつねに持ち歩いているべきツェルト(まあ、簡易テントとでも思っていただけばよいかと)まで僕は忘れてきていました。

このあたり、恥をしのんで告白しているわけですが、ほんとに最低の登山者でした。

途中、ルートがわからなくなり、たぶんこっちだろうと思いながら雪の斜面を登っていくと、登り切ったところが向こう側にすっぱり切れ落ちた断崖になっており、また、横にトラバースすることもできないような斜度の雪面になっているため、怖い思いをして元に引き返すなんてことも何度かありました。当然下りの方が怖いわけです。基本的にトラバースの連続ですから、つねに左側は切れ落ちており、滑落したら、滑落停止訓練なんかほとんどしていない僕は数百メートルは止まらなさそうです。

気がついたら、日が暮れようとしていました。

なんとかザックをおろせる場所を見つけて、ヘッドランプを出したんですが、点灯しない。電池は切れていない証拠に、ときどきは点く。でもなぜかしばらくすると消える。ずっと手でスイッチを押していたらなんとか点いていますが、上述したような状態なので、そんなわけにもいきません。

そうこうするうちに、ガス(霧)がすごい勢いでわいてきました。

終わった、と思いました。

これが遭難か。遭難した人たちってたとえばこんなふうにして死んだんだ。ルートが見えなくなってむやみに歩き回ったあげく、注意力が散漫になって滑落したり、疲れ果てて低体温になったり。

とりあえず、Y田M平に電話でもしてみよう。何かアドバイスがもらえるかもしれない。電波が通じればの話だが。

と思って試しに電話するとなんと電波がつながりました。

「はい」

「Y田先生、遭難しちゃった」

「え!?」

ツーツー。

なぜかこの絶妙のタイミングで電波が不通に。そしてそれっきりつながりませんでした。あとで聞きましたが、Y田先生、めっちゃ心配してくれたらしいです。そりゃ心配しますよね。ほんとにすみませんでした。

死にたくなかったらとにかく歩くしかないので、僕としてはめずらしくビールのことなどほとんど考えずに(つまり少しは考えた)、とにかく滑落しないように細心の注意を払って、アイゼンを雪面に蹴り込み、ピッケルをたたき込んでぐいっと引きちゃんと岩にかかっているか確認しながら、一歩一歩カニみたいに横歩きしていきました。頭のなかでは5:5とか4:6とか、気力が萎えかかると3:7とかそんな数字が踊ってました。

何がありがたかったかといって、霧がすぐに晴れたこと、そして、そのあと、雲ひとつない夜空にきれいな半月が出たこと、僕が助かったのはあの月のおかげですね。今でもときどきお月様には手を合わせるようにしています。

吊尾根を突破して、奥穂直下までたどり着いたときに、これで死ぬことはないな、とようやく安心しました。以前、春に、Y田先生と雪の奥穂に登ったことがあったので、慎重であることさえ失わなければだいじょうぶだと確信できました。でも、かなり疲れ果てていたので、なんだかきれいな鈴の音が聞こえてきたり、岩に話しかけたりして、若干ではありますがおかしな状態でした。前の日、自分で車を運転してきたのでほとんど眠っておらず、ほぼ徹夜だったんです。バスの中で、30分ぐらい眠ったかなという程度でした。

穂高岳山荘に着いたときには、夜10時をかなり回っていました。ざっと15時間歩き続けた計算ですね。

次の日、ベテランぽい登山客に「吊尾根通ってきたって? 自殺行為だな」と吐き捨てるように言われました。まあ、僕について言えばそれは当たりかもしれません。でも、ヒマラヤに何度も行ってるY田M平みたいな人であれば、自殺行為ってことはないはずで、単に僕の判断と技術と心がけのすべてがまるでなっていなかったという、それだけのことです。

こうして書いていても冷や汗が出てきますが、今となっては、いい経験をしたなとも思います。

車にひかれかけて「もう少しで死ぬところやった」みたいなことはよくありますが、このままだと死ぬなあと思いながら歩き続けるなんてあまりないですからね。

「絶望」ってどういうものか少し垣間見えたような気さえしました。なんというか、心が黒く塗りつぶされていく感じです。「いや、だいじょうぶ、なんとかなる」と自分に文字どおり言い聞かせ言い聞かせて、黒いのを振り払いながら歩いた、そんな10時間でした。

次の日、電波がつながるところまで下りてY田先生に電話をし、無事を報告しました。くり返しくり返し僕の携帯に電話をくれていたみたいです。感謝。すみませんでした。

さあ、反省もしたことだし、雪山行くぞ~。


















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