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2019年5月19日 (日)

プレミアとプレミアムは違います

怪談といえば『四谷怪談』。映画では天知茂主演のものが有名です。「忠臣蔵外伝」と銘打った、高岡早紀と佐藤浩市のもドロドロしていましたし、唐沢寿明と小雪の『嗤う伊右衛門』は京極夏彦原作で、蜷川幸雄が撮ったものなので、なかなか難解でした。もとは鶴屋南北の歌舞伎です。お菊さんの『番町皿屋敷』は講談、お露さんの『牡丹灯籠』は三遊亭圓朝です。圓生が忠実にやっていたということは前にも触れましたが、圓生の十八番ネタに『百川』というのがあります。「百川」というのは実在の店の名で、浮世小路にありました。これを圓生も志ん朝も「うきよこうじ」と呼んでいましたが、正しくは「しょうじ」らしい。「うそを教えられちゃったよー」と志らくか誰だったかテレビで叫んでいました。「しょうじ」は音読みで「こうじ」は「こみち」の転訛だと思われるので訓読みです。京都では「こうじ」と読みますね。武者小路は「こうじ」です。

「大路」は「おおじ」としか読まないようです。北大路魯山人の「北大路」は本名のようですが、北大路欣也は芸名ですね。市川右太衛門の息子で、お屋敷が京都の北大路にあったので、「北大路の御大」と呼ばれていたことからつけた芸名です。ちなみにもう一人の東映の大スター片岡千恵蔵は京都の山のほう、嵯峨野に住んでいたので「山の御大」と呼ばれました。「御大」とは「御大将」の略ですね。加山雄三も上原謙の息子ですが、母親の小桜葉子のほうをたどれば岩倉具視に行き着きます。芸名の由来は、「加賀百万石・富士山・英雄・小林一三」から一字ずつとったという話ですが、どうもうそくさい。阪妻こと阪東妻三郎の息子は田村三兄弟です。末っ子は田村亮で、本名ではなく芸名のようですが、ロンブーの田村亮と同姓同名になります。こちらは本名です。ただ同じ芸能界でもジャンルがちがうのでまだ許されます。宮川大輔は同じ吉本にいる大先輩と、字こそちがうものの音はいっしょなので、いろいろトラブルもあったかもしれません。本名を芸名にしていたところ、事務所とのトラブルでその名が使えずに、「のん」と改名した人もいますし、樹木希林は悠木千帆という芸名を名乗っていましたが、テレビの番組で名前を競売にかけ、売れたお金は寄付してしまいました。

子供というのはバカなもので、自分で芸名をつけてサインの練習をするというオロカ者がクラスに一人や二人はいました。そういうときはやはり、「かっこいい」名前をつけるのですね。NHKの『日本人のおなまえっ!』の調査で、かっこいい名前として「伊集院」とか「二階堂」とかいうのがあげられていました。漢字三字の名字はたしかに「かっこいい」ようです。この番組では珍名やレア姓もよくとりあげられて、なかなかおもしろい。「四月一日」や「栗花落」「薬袋」のような「クイズ姓」もあります。順に「わたぬき」「つゆり」「みない」と読みます。「わたぬき」は衣替えからきています。「つゆり」は「梅雨の入り」がつまったものですね。「みない」は、武田信玄が薬の袋を落としたときに、届けてきた村人に、「中を見たか」と聞いたところ「見ない」と答えたという話が伝わっていますが、これも、いかにもうそくさい。

ひらがな入りの名字もあるそうな。「下り」とか「走り」「渡り」「回り道」。漢字でも「高」の真ん中をはしごのように書くものや、「渡辺」の「辺」もいろいろあったりしてややこしい。先祖代々、ウチはこう書くんだ、と言われたら、ああそうですかと答えるしかないのですが、昔は役所に届けるとき手書きで書いたわけで、その人の書きぐせが反映しているかもしれません。記録する戸籍係の人がまちがって書いた字がそのまま戸籍に載ってしまったということもありそうです。今はコンピューター処理ですが、外字をわざわざ作って区別しているのかなあ。

徳富蘇峰と徳冨蘆花は兄弟なのに「富」と「冨」のちがいがあります。大河ドラマ『八重の桜』にも兄弟が登場していましたが、仲が悪くてけんかばかりしていたので字を変えたのかもしれません。本家と分家で字の形を微妙に変えることもあったようです。「浮田」と「宇喜多」のように、よい字に変えるということもあります。秀吉からもらった名字なので変えられないというのもありました。堺に住んでいる人が「音揃」と書いて「おんぞろ」と読む、変わった名字だったのは、先祖が水軍の指揮をしたときに、大きな音を出して船の櫓が揃ったことに秀吉が感激して与えたとか。ただし、徳川の時代になってから、ちゃっかり変えてしまったということです。

秀吉は家来に羽柴の名字を与えましたが、豊臣家が滅んだので、それらの大名も羽柴を名乗らなくなります。家康の松平はさすがに名乗っているようですが。名字をもらうより、お宝として刀や茶器をもらったほうがうれしいというのはわれわれのような俗人でしょうな。ただ、刀ならなんとなく値打ちがわかるような気もしますが、茶器はだれが値打ちを決めるのか。利休がほめればそれだけで値打ちものです。「はてなの茶碗」という落語があります。京都の茶道具商の金兵衛さん、通称茶金が「これ」と指差しただけで、一山いくらの安物の茶碗が何両にもなるという目ききです。この茶金が、清水寺の茶店で茶をのんでいたところ、茶碗を見て首をかしげて出ていきます。その様子を見ていたある男が、無理矢理茶店に頼み込んで、その茶碗を譲りうけ、茶金のもとに持って行きます。茶金は、きずもないのに茶が漏ったので、首をかしげただけと笑うのですが、自分の名前を買ってもらったのだからと、三文の茶碗を三両で買ってやります。そのあと、近衛公にその茶碗を見せると、歌を詠んでつけてくれ、さらに帝がためしてみると、たしかに水が漏るので、箱の蓋に「波天奈」とお書きになり、本当に千両の値がつく、という話です。そのあと、茶金は男を探し出し、さらにいくらかのお金をわたします。しばらくすると、またまた男がやってきて、「もっともうかる話です。今度は、水瓶の漏るのを持ってきました」というオチ。

志ん生が『火焔太鼓』でよく言っていたギャグで「平清盛の使った溲瓶」というのがあります。プレミアム付き、付加価値ということですね。なんの変哲もない岩でも、弁慶が腰掛けた岩というだけで観光名所になります。弁慶は借用証書もたくさん残しているらしい。お店で有名人が坐った席というだけで値打ちが出るのも不思議といえば不思議です。

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