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2019年11月15日 (金)

きんさんぎんさんどうさん

ゲームの「FFX2」というのは「FFX」の次のもので、この場合の「X」はローマ数字の10です。ということは、「イレブン」のはずだったのに、「X」の続編ということで、あえて「テンツー」にしたらしい。こうなると、無味乾燥な数字にも意味がこめられてきます。でも、国王の名前の「○○何世」というのはやはりイメージがわかない。「ルイ14世」と「ルイ16世」はどうちがうのかと問われても、いまいちピンときません。イギリス国王では「リチャード」「エドワード」「ジョージ」は何世もいるのに「ジョン」だけは一代限りですね。困った王様だったので、その名前を継ぎたくなかったのでしょう。後醍醐天皇は、醍醐天皇にあこがれていて、本来死んでからのおくり名を生きているうちに決めていたくらいですが、日本では「後ナントカ」ぐらいで、何世というのはありません。

有名人やすぐれた人にあやかりたいということで親が子供に命名することがあります。坂本竜馬ファンが「竜馬」と名付けることはよくあります。名前負けとかイメージが強すぎるとかのデメリットがありますが、やはり言霊思想でしょうか。ただ「秀吉」「信長」はインパクトが強いだけでなく、やや古くさい感じなので少ないようです。「家康」もほぼゼロかもしれません。「光秀」は字義としてはよいのですが、イメージ的によくないので避けられるのでしょう。昔は「仁」の字を使うと不敬罪と言われたので、この字も避けられました。

名前に使えない漢字というのは常用漢字・人名用漢字以外のものです。県名の漢字も常用漢字にはいっていないものがあったのですが、「潟」などは改訂ではいりました。「大阪」の「阪」も「坂」と同意だし、「埼玉」の「埼」も「崎」と同意ですが、定着しているので、今さら変えられません。「さいたま市」がかな書きなのはどうかなあと思いますが。県名と県庁所在地の市の名前の不一致についても昔よく言われていました。東北地方に多い理由は明治政府のいやがらせだった、という説です。長い時間がたつと、市町村の合併もあって名前が変わることもあります。「都構想」が実現すると、大阪の地名も変わります。都道府県が合併したり分割したりすることはもうないのでしょうか。地方自治法にはその手続きなどが書かれているらしいので、あっても不思議はないのですが。

井上ひさしの『吉里吉里国』では独立という、とんでもない話になっていましたが、都市レベルの大きさでもシンガポールのように独立した国として認められているところもあります。大阪市が都構想どころか「大阪国」になることも理論上ありえるでしょう。そうなると出入国にはパスポートが必要になってきます。志望校別特訓で学園前教室の生徒が谷九に来る、なんてときにはパスポートがなければ入国を拒否されます。大阪国と兵庫県の人が結婚すれば国際結婚です。でもよく考えたら、阪急電車に乗ったら簡単に密入国できてしまうなあ。ちなみに大阪国の国歌は吉本のテーマソングになるはずです。

これに近い発想として万城目学の『プリンセス・トヨトミ』がありました。映画は綾瀬はるかを見せるためのものになっていましたが…。『本能寺ホテル』も万城目学とトラブルがあったらしく、そのせいかトホホな映画になってしまいました。まあ、安易なタイムスリップもので、見飽きた感満載ですが。NHK大河ドラマの『西郷どん』もトホホでした。慶喜が品川あたりで西郷とうろうろするのも、いかがなものか。途中で脱落してしまいました。ドラマなのでフィクションの部分があって当然ですが、「安易さ」が目立つと『お江』と同じになってしまいます。『お江』は初回で脱落しました。歴史ドラマでフィクションの人物が重要な役割を演じるのは悪くないし、ドラマだから許されるということもあるのですが…。

逆に山田風太郎の明治物などは全体としてのフィクションの中に、実在の人物を巧妙に配していて非常におもしろかった。漱石と一葉の幼い頃の邂逅のシーンは、実際にあったとしても何の不思議もありません。もちろん「弁慶が小野小町に出したラブレター」となったら、これは落語です。志ん生の『火焔太鼓』のくすぐりですね。三谷幸喜の『新撰組』では、龍馬と土方が若いときに知り合いだったという設定になっていました。これもまあないことでしょうが、同じ頃に江戸にいてともに剣術の修行をしていたのなら、すれちがいぐらいあってもおかしくはありません。

思いがけない人物が知り合いだったり、親戚だったりすることがわかるのはおもしろいものです。浮世絵の祖として最近評価の高い岩佐又兵衛は荒木村重の息子ですし、同じく絵師の海北友松も近江の浅井家の三将の一人海北綱親の息子です。貞門俳諧の指導者松永貞徳は父親が松永久秀の甥とか子だという説もあります。やはり画家の酒井抱一は、老中や大老にも任じられる酒井雅楽頭家の出身ですし、歌人の木下長嘯子は、秀吉の正室北政所の甥にあたります。この木下一族の中からは「街をゆき子供のそばを通るとき蜜柑の香せり冬がまた来る」や「牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ」で有名な木下利玄も出ています。山中鹿之助の子供と言われる新六が鴻池家の祖であることはどれくらい知られているのかなあ。新六は、もともと伊丹で酒づくりをしていたのですが、新六に叱られた手代が腹いせに灰を投げ込んだことから清酒が生まれたという伝説が残っています。安倍首相が岸信介の孫であるということは、当然佐藤栄作は大叔父さんで、これはだれでも知っているでしょう。麻生太郎も吉田茂の孫として有名ですが、吉田茂の奥さんは牧野伸顕の娘なので麻生さんは大久保利通の玄孫にあたります。

先祖が歴史上の人物だったら、なんとなくうれしくなりますが、歴史上の人物のように見えて実在したかどうかわからない人もいます。弁慶でさえフィクションだと言われます。逆に金太郎は実在の人物です。その子の「金平」は架空の人物です。「きんぴらごぼう」の語源にもなっているのですがね。斎藤道三にふたごの姉がいたという説もあります。「どうさん」の姉だけに「きんさんぎんさん」、なんちゃって…という小咄を昔考えたのですが、もう通じなくなっているのだろうなあ。百歳を過ぎても元気だった双子姉妹はどうなったのでしょうね。まだ生きてて、年上の男の人が好みだなんて言っているのかしら。

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