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2019年12月 4日 (水)

バブル時代

最近めっきり音楽を聴かなくなりました。こんなことでは遺憾、「ノーミュージック、ノーライフ」だと思って、久しぶりにウォークマンに(バブル時代に大学生だった私はiPodとかではなく、ウォークマンに思い入れがあるのです)充電し、音楽を聴こうと思ったら、壊れてました。先日、大台ヶ原に登った話を書きましたが、そのときのことです。山小屋で雑魚寝するときにオヤジたちの(わたしもオヤジですが)いびきに苦しめられることがあるので、いびき対策にウォークマンを持っていこうと思ったら壊れてたんです。

バブル時代に大学生だったと書きましたが(こんなこと書くと年齢がばれてしまいますね、全然かまいませんが)、私は当時仙台に在住していたこともあって、バブルというのがぴんときていませんでした。なんせ時給500円のうどん屋で出前持ちやってたぐらいです。いや、いくらなんでも、当時の仙台でも時給500円は安かったんですが、そこでずっと働いていた友だちが、確か舞台照明の手伝いか何かで何ヶ月かニューヨークに行ってるあいだ代わりにやってくれと頼まれたんじゃなかったかしら、あまりはっきり覚えていませんが、そんな感じでした。ちなみに、その友だちがニューヨークから帰ってきたとき、盛大に居酒屋で歓迎会的なことをやったのですが、おみやげがひよこまんじゅうだったことに驚愕した記憶があります。それはともかく、そのうどん屋でわたしは納豆が食べられるようになりました。賄いで納豆うどんが出るんです。で、こちらは常に欠食児童状態なので、いやでも食べる。すると結構うまい、というわけです。そのうどん屋は仙台にはめずらしい手打ちうどんの店で本当においしかったんです。そのおかげもあると思います、納豆が食べられるようになったのは。で、何年前でしたか、恩師の古稀のお祝いがあると聞いて仙台まで行ったときに、懐かしくてそのうどん屋を訪ねたら(店は移転していました)、もう手打ちはしてなくて冷凍うどんつかってるんだ、とおっしゃっていました。移転した先の客層に合わせて、ということらしいのですが、何だか少しさびしいような気がしました。この仙台行は震災前でした、とても良い思い出になっています。うどん屋のご夫婦が、わたしのことは覚えていなかったにもかかわらず、わたしの友だちのことは覚えていてくれたので(わたしよりはるかに長く働いていたので)、ああ〇〇ちゃんの友だちなの、ってうどんと親子丼をごちそうしてくださったのもしみじみしましたし、恩師が僕のことを覚えてくださっていたのにはまことに驚愕しました。「西川くんか、西川くんな、きみはとちゅうから演劇にはまってしまって学校にも来なくなってなあ」と言われたんです。学究肌の先生で学生のことなんかあまり眼中にないんだろうと勝手に思いこんでいたのですが、とんでもなく浅はかな見立てだったんだとわかり、自分はほんとうに人のことがわかっていないと恥じ入ると同時に感激しました。その後震災がありました。かつてわたしの女友だちだった人の実家があったあたり、たぶん津波で壊滅したと思います。わたしがよくぼんやりと焚火をしに行っていた海岸のある、閖上という港町も津波で根こそぎ更地のようになりました。その港町でよく行っていた中華料理屋も。

徒然なるままにそこはかとなく書いているとあやしうこそものぐるほしけれですね。

そうそう、バブルの話をしてたのでした。バブル時代に学生だったという話です。「トリップ・トゥー・ワンダーランド マハラジャ」なんてコマーシャルやってたころですが、わたしには関係のない話でした。いや、一度だけ、当時「ディスコ」と呼んでいましたが、行こうとしたことがあります。文ゼミのメンバーとです!(文ゼミについては「もりそばとかけそば」をご参照ください。) そのときわたしは下駄を履いていました。おまけにどてらを着ていました。そして、男ばっかり5、6人でした。そしたら入店拒否されました。当たり前ですね。というわけでバブルとは縁のない日々でしたが、たしかに、企業からの会社案内みたいなのは毎日毎日山盛り配達されていました。そんなものかと思ってましたが、就職活動するでもなく卒業するでもなく、なめくじのような毎日を送っていたら、ある日バブルがはじけ、それっきり企業からの郵便は一切来なくなりました。そして、それからしばらくして、そろそろ就職しようかなと考えるようになりました。もう最悪です。

待てよ、そもそもバブルの話ではなく、音楽の話でしたね。そうなんです、「ノーミュージック、ノーライフ」です。もうすぐ2019年も終わりますが、今年じぶんはどんな音楽を新しく知ったかなと思うとちょっとお寒くなります。中山ラビの「その気になってるわ」ぐらいですかね。うわあ、古い。中山ラビに反応できるのは、希学園国語科では山下正明先生ぐらいです。実はもう希学園国語科で僕より年上なのは、山下正明先生と矢原先生だけなんですね。見た目は若い(客観的に見てそうだと確信しています)僕ですが、実はオヤジだったのです。Y田M平先生より山下T充先生より年上なのです。矢原先生はわたしより年上ですが、中山ラビのことは知りますまい。わたしは自分よりひとまわり上の世代のものが好きなので、けっこういろいろ知っているのですが。

さて、先月末に始まった国語の教育講演会も残すところあと1回となりました。12日(木)の西宮北口プレラホールです(塾生の方用に翌日も西宮北口教室で実施させていただくことになりました)。上本町のたかつガーデン、四条烏丸教室は何とか無事に終えることができました。ありがとうございました。いつもどきどきしながらアンケートを読ませていただいていますが、あたたかいお言葉が多くてほんとに感激してます。そういえばお芝居をやってたころもアンケートをどきどきしながら読んでたなあと思い出します。

ん? 教育講演会? 申し込んだけど忘れてたわ、という方がいらっしゃいましたら、ぜひ申し込まれたときの熱い気持ちを思い出して、めんどうを厭わずお越しいただければ幸いです。

いつもいつもほんとうにありがとうございます。

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