« バブル時代 | メイン | 冬眠します »

2019年12月15日 (日)

このアンケラソ!

三国志演義の登場人物には架空のものも結構いるようですが、実在の人物とまぎれてしまって、てっきり実在したと思い込んでしまうこともあるようです。関羽の子とされる関索や関羽の子分の周倉なんて有名ですが実在の人物ではないらしい。光源氏はもちろん架空の人物ですが、モデルはいたようです。「源光」というのは単に名前が似ているだけで、この人の可能性はゼロ。有力なのは源融です。嵯峨天皇の子ですが、皇位継承権は与えられませんでした。その点でも光源氏と共通していますし、さらに融は美男子という評判も高かったようです。もう一人、醍醐天皇の子、源高明も有力視されています。母親が「更衣」という身分で、やはり皇位継承権がないという点では光源氏と同じです。ある人相見に、これほどの貴相は見たことがないと言われたとか。ただ、その男は高明の背中を見て、将来左遷されるだろうと言ったそうな。『今昔物語』に、高明が自宅にいたとき、柱の節穴から子供の手が出てきて、しきりに差し招くという怪異が起きたという話があります。なかなか怪異は止まず、矢で穴をふさぐとようやくおさまったのですが、まもなく起きた安和の変で高明は失脚します。地方へ左遷されたという点でも光源氏と重なります。

安倍晴明のライバルの蘆屋道満も芝居の敵役として脚色されて、おそらく実在の人物とは相当ちがうイメージのものになっているのでしょう。小説のイメージや史観の影響で、大物のイメージも相当変わります。足利尊氏や水戸光圀など、その典型です。NHKの『歴史秘話ヒストリア』で信長は超まじめだったというのをやっていました。資料をていねいに読むと、信長は足利義昭に忠義を尽くしたのですが、まじめすぎて融通がきかないために、義昭と対立することになったとか。坂本龍馬だって、みんなが知っている竜馬は司馬遼太郎によってつくられたもので、実際に会ったらいやなやつだったかもしれません。逆に土方は写真を見ても陰険な感じが全くなく、むしろプラスイメージを与えられます。イケメンは得ですよね。沖田総司は醜男だったらしいのに、人々のイメージでは完全に草刈正雄です。剣の腕前も実際はどうだったのでしょうね。居合いの達人は現代でもいて、テレビでやっていました。頭の上にのせたきゅうりを横に切る、なんて、ウィリアムテルかと突っ込みたくなります。時速160キロのボールを真っ二つに切っていました。動体視力がすごいのでしょうね。

宮本武蔵と塚原卜伝はどちらが強かったのか、いろいろな考え方がありそうですが、年齢なども考えて同一条件で戦わないと、なかなか一概には言えません。トラとライオンはどちらが強いか、というのも同じ条件で一対一なら体の大きいトラに歩がありそうです。マングースとハブでは「99対1」の勝率でマングースの圧勝。とはいうものの負けるやつもいるということです。個体差ですかね。へぼいマングースもいるのでしょう。外来生物と日本の在来種ではどうも日本固有のもののほうが弱いようです。外国のものに比べると、どうやら日本の生き物全部がひよわな感じですな。「和をもって貴しとなす」という聖徳太子の思想が動物にもおよんでいて、闘争することをきらうのでしょうか。

聖徳太子は教科書で厩戸皇子という名に統一するとかしないとかもめていましたが、「定説」というのは意外に変わりやすいものです。鎌倉時代は1192年で「いいくにつくろう鎌倉幕府」と覚えたのに、いつのまにやら1185年になっています。健康に関する話も昔と今ではかなり変わっています。運動中に水を飲んではいけなかったのに、今は飲まなくてはいけないと言われます。ウサギ跳びやスクワットもダメと言われるようになりました。コレステロールはダメ、と言っていたのが、悪玉だけでなく善玉もある、とか。何が体によいのか、でさえそうなのですから、時代による価値観の変化はやむをえないのでしょう。明治のころなら、立身出世が多くの人の夢であり、「末は博士か大臣か」という発想もありました。「博士」や「大臣」がえらい人の代名詞だったのですね。この「大臣」ということばも、いかにも古くさい。次官の上なのだから、すべて「長官」に変えてもよいでしょう。「総理」はそのまま残すにしても、「大臣」はつけなくてもよいかもしれません。「大蔵省」も「財務省」になって、由緒ある名前が消えました。これらのことばはなにしろ律令以来ですから。

昔の日本では、だいたいの役所は四つの地位に分けられたようです。四等官が「さかん」で、その上が「じょう」、その上が「すけ」で、トップが「かみ」です。あてる漢字はさまざまで、同じ「かみ」でも「督」であったり「守」であったりします。名字で「目」と書いて「さっか」とよむ人がいます。これは「さかん」にあてられた字だからです。「左官」と書くと「補佐官」という意味になるので、ひょっとするとそこから来ているのかもしれません。木工寮の「さかん」は「属」と書きますが、壁塗りなどもしたはずですから、その仕事はまさに「左官」ということになります。「尉」を「じょう」と読みますが、これは音訓のどちらでしょう。「丞」の字をあてることもあるところから見ると、音読みのようですが…。他の「かみ」「すけ」が和語なのに、「さかん」は意味不明、「じょう」は音読みっぽいのが不思議です。ただ「丞」には助けるという意味があるので、「すけ」「じょう」「さかん」はすべて、「かみ」を助ける役職ということかもしれません。

「左衛門尉」と言えば、有名なのが遠山金四郎景元ですね。本当に名奉行だったわけではなく、「妖怪」こと鳥居耀蔵との対比でつくりあげられたイメージのようです。「検非違使尉」というのもありました。別名「判官」で源義経の役職です。九郎判官義経で、落語『青菜』の中にも出てきます。さるお屋敷の旦那が仕事をしている植木屋に酒をふるまい、青菜を食べさせようと、奥さんに声をかけると、「鞍馬から牛若丸がいでまして、名も九郎判官」と言われます。旦那は「義経」と答えるのですが、「菜は食べてなくなったので、『菜も食ろう』」「よしにしておけ」という隠しことばでした。感心した植木屋は長屋に帰って女房に話しているところに、友達の大工が風呂にさそいに来ます。旦那のまねをしようと、植木屋は酒をすすめ、「ときに植木屋さん、あなたは菜をおあがりか?」「植木屋はおまえや」「菜をおあがりか?」「嫌いや」それでも何とか説得して食べさせることになり、手を叩いて女房を呼ぶと、押入れから汗だくの女房が出てきます。「鞍馬から牛若丸がいでまして、名も九郎判官義経」全部言われてしまうんですね。困った植木屋は、うなった末に「うーん、弁慶」というオチ。義経と言えないから、代わりに「弁慶」と言ったのでしょうが、「立ち往生」というニュアンスもありますし、大阪ではひとにおごってもらうことも「弁慶」と言ったので、それもあるかも。

このブログについて

  • 希学園国語科講師によるブログです。
  • このブログの主な投稿者
    無題ドキュメント
    【名前】 西川 和人(国語科主管)
    【趣味】 なし

    【名前】 矢原 宏昭
    【趣味】 検討中

    【名前】 山下 正明
    【趣味】 読書

    【名前】 栗原 宣弘
    【趣味】 将棋

リンク