« 2020年7月 | メイン | 2020年10月 »

2020年9月の2件の記事

2020年9月20日 (日)

半面半身

ふぐは海の魚なのになぜ「河豚」なのか。揚子江などの河口にいたからでしょうね。「海豚」は「いるか」にとられてしまったから、という答えは記述問題では×になるでしょう。では、イルカとクジラのちがいは何でしょう。単に大きさだけで、種としては同じものなのでしょうか。クジラとゴリラは全くちがいますが、この二つをミックスした名前が「ゴジラ」です。この映画をアメリカで作ったとき、「GODZILLA」と表記されました。「GOD」つまり「神」が含まれ、怪獣の中の怪獣にふさわしいネーミングであることが再確認されたわけです。エビラやガメラやギララなど、ゴジラにあやかって怪獣の名に「ラ」を入れるのは定番になりました。「モスラ」は蛾の「モス」に「ラ」をくっつけたものだし、「エビラ」や「ガメラ」はそのままです。「ガメラ」なんて、後肢が、中に人間がはいっていることがまるわかりの形になっていました。「キングギドラ」の「ギド」は何だったのでしょうか。

『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』という本もありました。「ラ」と濁音の組み合わせが多いのは確かです。だいたいラ行や濁音で始まることばは和語にはなかったので、これらの音は異形のものを表すのにふさわしいのでしょう。力強さもあって、怪獣にはぴったりです。「ピザーラ」は「ピザ」に「ラ」がついていますが、ゴジラのイメージと重ねているようです。「ン」で終わるのも多いのですが、これは恐竜のイメージでしょうか。「プテラノドン」にならって「ラドン」とつけたのかもしれません。

「ン」で終わると言えば、薬の名前もそうですね。「アリナミン」とか「パンシロン」とか「バファリン」とか。これはもともとの成分が「ン」で終わることが多いからかもしれません。アセトアミノフェンとかグリチルリチンとか。これらはなじみのないことばですが、全体的に「ン」で終わると、なんとなく親しみやすい感じもします。「ポケモン」は言うにおよばず、「くまもん」とか「ひこにゃん」とか。そのせいか、薬の名付けにもだじゃれ系が多いようです。けろりと治るから「ケロリン」、サラリと出るから「サラリン」、じきに治るから「ジキニン」はわかりやすい。「ノーシン」は「脳を鎮める」、「サリドン」は「鈍痛を去る」から来ているそうですが、このへんになったらクイズみたいなものです。前もって飲んでおけば「後が楽」になるからコーラック、とは気づきませんでした。風邪が「スーッと治る」からストナ、って言われなければわからない。

「ン」がつく理由として、もともとの薬の名前が「散」とか「丸」とか「ん」で終わるものが多かったからだという説もあります。「龍角散」とか「正露丸」とか「樋屋奇応丸」とか。「救心」とか「改源」というのもありますが、「丸」「丹」「散」で終わるものはすぐに薬だとわかります。漢方薬の中でも、粉薬になったものが「散」で、それを練って固めたものが「丸」または「丹」ですね。「丸」は「願」とも通じるので、縁起を担ぐ意味合いもありそうです。森鴎外らの意見で日露戦争に赴く兵士に飲ませたというところから「征露丸」と名付けたのが始まりで、戦争が終わってからは「征」はまずかろうということで、「正」に改めたそうな。たしか登録商標をめぐって裁判になり、結局「正露丸」は固有名詞ではなく、普通名詞であるという結果になったと思います。

「ん」の字と言えば、またまた強引に落語に結びつけますが、「ん廻し」という、ばかばかしい話があります。「寄り合い酒」という話の続きで、この「寄り合い酒」は祝賀会の劇のネタとして使ったことがあります。町内の若い者が、肴をめいめい持ち寄って飲むことになりました。ふだん料理をしたことなどないものだから、乾物屋の子供をだましてまきあげた鰹節でダシをとろうとして、二十本もいっぺんにかいてしまって、大釜でグラグラ。「うどん屋をやるんやないで」と、ぼやいていると、だしがらをざるに大盛りにして持ってきます。「これはダシやない。汁がダシや。汁はどうした」と聞くと、もったいないから痔の悪いやつが尻をつけて温めて、その後、残り湯にふんどしをつけてある、しぼって持って来ようか…。

鯛を持ってきたやつもいます。魚屋の荷から鯛をくわえて走って行く犬を追いかけ、棒で叩いて鯛を放したすきに拾ってきたという、ひどいやつです。料理しているところに犬がきて、座って動かないので、「頭を一発食らわして追っ払え」と言われて頭を食べさせ、「胴体を食らわせ」と言うから胴体をやってしまい、まだ動かないので尻尾まで食らわせて、とうとう全部犬にやってしまいます。大騒ぎしているところへ豆腐屋が焼き上がった田楽を持ってきました。

ここからが「田楽食い」または「ん廻し」という話になります。皆で田楽を食うことになったのですが、田楽は「味噌をつける」ので縁起が悪い、逆に運がつくように「ん」廻しにしよう、「ん」を一つ言うたびに一本取って食べよう、ということになります。「れんこん」「にんじん」「だいこん」と続いていくのですが、なかなか思いつかないやつがいます。野菜を言えばよいと思って、「きゅうりん」「なすびん」「トマトン」「レタスン」「キャベツン」「パセリン」「きくなん」「みぶなん」「たかなん」「こいもん」「さといもん」と、無理矢理「ん」をつけます。最後に「かぼちゃん」と言うのですが、「別の言い方があるやろ」とヒントを出されます。でも、なかなか出てこない。「ふだん言い慣れてるやつあるやろ」と言われて、「ああ」とうなずく。当然、観客は「なんきん」と答えると思いますが、そこをわざと外して、桂雀々は「パンプキン」とやって笑いをとっていました。そのうちに「てんてん天満の天神さん」のように長いものになり、とうとう「先年神泉苑の門前薬店、玄関番人間半面半身、金看板銀看板、金看板根本万金丹、銀看板根元反魂丹、瓢箪看板、灸点」と言って四十三本よこせと言います。聞き直されて、もう一度言ってさらに倍くれと言うところがおもしろい。この「玄関番人間半面半身」は「半分体を断ち切って内臓やなんかを見せた人形」と説明されています。学校の理科室にある人体模型みたいなものでしょうか。あれは個人で持っている人っているのかなあ。骨格標本も理科室によくあります。あれは模型でしょうが、実は本物だったというニュースもありました。ちょっとしたホラーですね。

2020年9月 6日 (日)

死に土産

紛らわしい名前としては、「関西大学」と「関西学院大学」があります。前者は「かんさい」、後者は「かんせい」です。アメフトで日大の監督がまちがって「かんさいがくいん」と読んでしまったのも無理ないでしょう。昔、「東京」を「とうけい」と呼んだのと同じく、ちょっと気どった言い方なのでしょうか。「西」を「サイ」「セイ」と読むのは呉音・漢音というやつです。呉音というのは4世紀ぐらいまでの大和朝廷のころに中国から伝わった読み方、漢音というのは7、8世紀ごろ、遣唐使などが持って帰ってきた読み方です。その後、遣唐使を廃止して中国からの影響がなくなりますが、再び、12、3世紀ごろ平清盛によって貿易が復活し、僧侶も大陸へ渡って新しい仏教、禅宗を持って帰ります。そのときに伝わったのが唐音です。「西瓜」を「すいか」と読みますが、「スイ」が唐音ですね。今の中国では「シー」で、昔の長安、今の西安は「シーアン」です。麻雀界では「シャー」ですな。東南西北は「トン・ナン・シャー・ペー」です。なぜ「シャー」なのか、よくわかりません。「サイ」と「セイ」では、「サイ」のほうが古いので、「西方浄土」など仏教関連では「サイ」と読んだほうが荘重な感じがするのかもしれませんね。

「関西」は、中国では函谷関より西を意味しました。日本では鈴鹿、不破、愛発(あらち)の三関がありますが、いちおう不破の関があった関ヶ原より西でしょう。「関東」という言い方がまず生まれ、都びとは、自分たちは「中心」であって「西」だと考えていなかったはずなので、「関西」という言い方はそんなに古くはないような気もします。越前の愛発の関は早くに廃止され、近江に逢坂の関が置かれます。ちなみに奥羽三関というのもあって、白河・勿来・念珠の三つです。関西大学は五代友厚の作った商科大学がもとになっていますね。五代友厚といえば、ディーン・フジオカが演じて有名になりました。ブームが過ぎると忘れ去られるのが世の習い。

ところで、この「ディーン」というのは姓か名か。「フジオカ」が姓なら、「ディーン」は名前だと思いますが、ジェームズ・ディーンという人もいました。これは名字です。ジェームズ・ディーンは『エデンの東』という映画でスターとなり、あっという間にこの世を去ったことで、永遠の青春のシンボルのようになっています。だからこそ、永ちゃんの名曲『サブウェイ特急』で「ジェームズ・ディーンは、そう、立ちふさがる白い壁にただ一人…」と歌ったのです。ところがこの歌の二番の歌詞では同じところを、ジェームズつながりで「ジェームズ・ボンドは、そう、髪の毛がはげるまで…」と歌っています。演じたショーン・コネリーの髪の毛が薄くなって話題になっていたことを踏まえたものでしょう。ただコミックソングでもないのに「はげ」ってことばが出てきて、なんだか笑ってしまいました。同じ歌に「畳じゃ死なねえぞ」というフレーズがあるのも、今どきのことばではないよなあと思いました。作詞は矢沢ではなかったのですが…。

それまでの歌詞になかったことばとしては、長渕剛の『とんぼ』の中に「ケツのすわりの悪い」という強烈なフレーズが出てきましたが、この歌なら許されるのですね。和歌の時代から、歌に使うことばは「雅語」でなければならないようなイメージがありました。「つる」ではなく「たづ」であり、「あわ」ではなく「うたかた」とした瞬間に歌の格調がぐっと上がります。「永遠」を「とこしえ」と言えば上品だし、「とこしなえ」と言えばさらに優雅になってグレードアップします。加山雄三の『君といつまでも』の中では「しとね」ということばが出てきて意味不明でした。ひらたく言えば「布団」ですね。この歌では他にも「今夜」「今晩」ではなく「今宵も日がくれて」と歌います。岩谷時子さんの頭の中では、「君といつまでも」の「君」は「君が代」の「君」だったのかも…。

谷村新司の『すばる』でも、文語というか古語を使っていますが、あれは不完全です。特に「なり」の使い方に無理矢理感がただようなり。松田聖子の『風立ちぬ』は堀辰雄をふまえているのでしょうか。一部だけ古語を使ってみました、という感じです。井上順の『お世話になりました』では「何もかも忘られないよ」と歌っていますが、「忘れられない」なら問題ありません。「忘れる」ではなく「忘る」なのでここは古語です。そうすると次の「れ」は「る」の活用したものかなと思ったら、あとに「ない」という東国方言が続く、という意味不明の構成…。と、文句をつけてみましたが、単に口調でそうなったのでしょうね。じつは古語の「忘る」はやっかいなことばで、現代語の「忘れる」につながるのは、下二段活用の「忘る」で、「れ・れ・る・るる・るれ・れよ」と活用します。ところが、四段活用の「忘る」もあるのですね。「ら・り・る・る・れ・れ」となるのですが、どうもかなり古い形のようです。「忘れたり」は自然ですが、「忘りたり」は変です。「忘られず」という形がたまに見られるのはこの古い古いことばが現代人にも「忘られない」のでしょうか。現代語に古語がまぎれこんでもそれと気づかず使っていることもあるでしょうね。桑田佳祐が『希望の轍』の中で使っているのは「忘られぬ」の形なので、まあ許せるか。

吉田拓郎は『イメージの詩』の冒頭で「これこそはと信じれるものがこの世にあるだろうか」と、いわゆる「ら抜きことば」を使っていました。昭和四十年代でしたが、もうみんな平気で使っていたのでしょう。昔の人でもまちがって変な言い方をしていることがあります。「ふぐはくいたし命はおしし」は「惜し」で十分なのですが、七音にしないとリズムがくずれるので「おしし」になってしまったのでしょう。この句を作ったのはどの地方のことでしょうか。なんとなく江戸のような気もしますが、ふぐ文化は北九州あたりの発祥でしょう。大阪人もふぐ好きです。「づぼらや」の看板でも有名でした。下関もふぐの本場で、有名な「春帆楼」も大阪に出店がいくつかあります。道頓堀の春帆楼で食べているときにとなりの部屋でおっさんたちが「死に土産、死に土産」と言いながら食っていましたが、あれはどういう意味だったのかなあ。さすがに春帆楼のふぐはそうそう食べられないから、死ぬ前に一度味わっておこう、ということか。こんなうまいものを食ったら、あたって死んでも本望だ、ということか。ふぐ食は秀吉が禁じて、伊藤博文が解禁したという話があります。春帆楼は日清戦争の講和条約の舞台になったところですから、李鴻章も食べたのかしらん。

このブログについて

  • 希学園国語科講師によるブログです。
  • このブログの主な投稿者
    無題ドキュメント
    【名前】 西川 和人(国語科主管)
    【趣味】 なし

    【名前】 矢原 宏昭
    【趣味】 検討中

    【名前】 山下 正明
    【趣味】 読書

    【名前】 栗原 宣弘
    【趣味】 将棋

リンク