2015年9月20日 (日)

三島はなぜ割腹したか

1ドルが360円で固定されていたのは、いつごろまでだったのでしょうか。ケネディとかニクソンの時代まではそうだったような気がします。ケネディはさすがに有名ですが、ニクソンとなると今の子供たちは知らないかもしれません。それでもアメリカの大統領ともなれば知名度は高い。上杉鷹山の「なせばなるなさねばならぬ何事もならぬは人のなさぬなりけり」をもじった「なせばなるなさねばならぬ何事もナセルはアラブの大統領」は、だれが作ったのか傑作です。でも、ナセルをみんな覚えているのかなあ。「将棋好きなロシア人で、銀将の使い方が卑怯なことで有名な人は?」というなぞなぞを昔つくったことがあります。答えは「コスイギン」。こんなの無理です。フルシチョフの次の首相ですが、どちらも最近は名前を聞くことがありません。「こすい」も死語か。坂田三吉の「銀が泣いてる」というフレーズも有名です、いや、でした。これも通じぬか。政治家で今後何百年も通じる名前は、ケネディ以外にはチャーチル・スターリン・ヒトラーぐらいかもしれません。日本の首相では伊藤博文は別格として吉田茂・田中角栄・佐藤栄作ぐらいでしょうか。佐藤栄作が「栄チャンと呼ばれたい」と言ったので、横山ノックが国会の質問で「栄チャン」と呼びかけたら、いやな顔をされたという話も有名だったのですが。

教科書に載るレベルの野球選手といえば、やはり長嶋・王でしょうか。今ならイチローという名前も出てきそうですが、それ以外となるとどうでしょう。歌手なら美空ひばりの一人勝ちですかね。小説家となると、現代なら村上春樹でしょうか。大江健三郎はノーベル賞をもらったものの、多くの人にとっては「だれ、それ?」です。ピースの又吉も今の話題にはなっても名前が残るかなあ。世界的な知名度から言っても村上春樹がぶっちぎりですが、ほんとにみんな読んでいるのかどうか。いずれにせよ、漱石には及びませんね。明治以降の小説家を一人あげよ、と言われたら、いつのまにか夏目漱石ということになってしまいました。

その漱石が落語家の柳家小さんを「天才だ」とほめちぎっています。小さんと同じ時を共有できるということはたいへんな幸せだ、とも言っています。でも、こういう感想はだいたいその人が死んでから言われるものなんですね。米朝さんと同じ時代を生きた私たちは幸せでした、みたいに。ひょっとしてAKBなんかでもありうるかもしれません。死なないまでも、ファンが爺さん婆さんになったときに、「あのババアも昔はこうだったんだぜ」なんて言えるとうれしかったりします。私は、高倉健さんも、やくざ映画以降、あまり魅力を感じなくなっていました。中国で人気の『君よ憤怒の河を渉れ』や『幸福の黄色いハンカチ』でも、なにかちがうなあと思っていました。錦之助の『宮本武蔵』で佐々木小次郎を演じた若いときも、にやけぶりが悪くはなかったのですが、やっぱり『昭和残侠伝』あたりにはかないません。私にとって健さんは「花田秀次郎」(シリーズでの役名)です。

マスコミなんかで、死んだらみんな「いい人」にする風潮も笑えますね。これでまた「昭和」のなんとかの一つが消えた、とか決まり切った言い回しが登場します。愛川欽也の訃報を聞いたとき、「はい、消えたー」と不謹慎なことを思ったのは私だけでしょうか。世界のレベルで言えば、マイケル・ジャクソンのときのマスコミは手のひらを返したようで、妙におかしかったですね。それまではボロクソだったのに。それに比べれば「ビートルズ」はたいしたものです。バッハ、ブラームス、ベートーベンの三大Bにビートルズを入れて四大Bだと言われるぐらいですから(言っているのは私だけですが)、これは教科書レベルで、後世に名前が残るでしょう。ポール・マッカートニーだけはまだ生きていますが。あの年でのライブはたいしたものでしたな、見てないけど。レノンは死んでもポールは残る、とだれかが言ってたような…。中島らもが土建屋さんのために作ったといわれる、あの名作コピー「家は焼けても柱は残る」とゴッチャになっているかもしれません。

でも本当のポールは実は若くして死んでしまい、今のポールは替え玉だという都市伝説もあります。そういえばプレスリーも徴兵に行って帰ってきたのは別人だという説もありました。反対に「実は死んでいなかった」というのも魅力的なシチュエーションなのでしょうか、昔からよくあります。空海は高野山でまだ生きており、坊さんたちが毎日食事を運んでいるというのは有名ですが、なんかミイラみたいになった空海がおにぎりを食っているみたいなイメージがしてしまいます。源為朝が死なずに琉球王になったというのはロマンがあります。義経ジンギスカン説なんて、わくわくします。西郷隆盛が西南戦争で死なずにロシアに逃げたというのは新聞にも載ったそうです。十何年かたってロシアの皇太子が日本人の警官に斬りつけられるという大津事件が起こりますが、その背景には西郷が復讐のために帰ってくるといううわさもあったとか。まあ、明治天皇すりかえ説レベルの「トンデモ」説でしょうが。豊臣秀頼が薩摩に落ちのびたというのは知っている人は知っているレベルでしょうね。豊臣びいきの人たちは秀頼を殺してしまうのがしのびなかったのでしょう。家康が実は大坂夏の陣で死んでいたというのはその逆ですが、これも豊臣びいきの人の発想でしょうね。日本とは別に大阪国というのがあって、となると小説ですが。

「じつは死んでいなかった」パターンの小説で、「この人物で設定するか」と思ったのは京極夏彦ですね。『書楼弔堂』という作品は、泉鏡花、月岡芳年、井上円了、巌谷小波、ジョン万次郎、勝海舟などの著名人が登場します。最初はだれかわからないのが、読み進めていくうちに、なるほどあの人か、とわかるようになっていて、そのあたりが山田風太郎の明治ものと同じでなかなかおもしろい。その中で「宜振」という名前の人物が登場します。実は、そういう諱(「いみな」、要するに本名ですな)の人物を知っていたので、ピンときましたが、なかなか大胆です、その人物は明治になる前に打ち首獄門になっているはずです。それを「じつは死んでいなかった」設定で、明治の御代まで生き延びさせているのですね。本来マイナーな人物だったのが、有名になったのはやはり司馬遼太郎の小説でしょうか。人斬り以蔵です。映画では勝新太郎がやりました。ちなみにそのとき薩摩の「人斬り」、田中新兵衛を演じたのが三島由紀夫で、映画の中で切腹するのですが、その「快感」が忘れられずに、ああいう最期を迎えたという説を唱えている人もいます。私ですが。

2015年9月14日 (月)

結婚式のスピーチなら俺に任せろ

先日、今年2回目の結婚式に行ってまいりました。もちろん僕の結婚式ではありません。知人の結婚式にお呼ばれしたのです。
結婚式は嫌いではありません。ただし、スピーチとか乾杯の「ご発声」とか、そういうのがなければ、の話です。
ずっと昔、結婚式でスピーチを頼まれて、新郎も国語講師でしたから、国語講師らしいスピーチにしようと、鮎川信夫の詩の一節を題材にして話を組み立てました。「すべてをうばわれても文句を言えない すべてをあたえられても文句を言えない 理不尽な契約」とかなんとかいう部分(例によって例のごとくうろおぼえ)です。この直前には「無償を意味する愛という言葉は 今でも私を動転させる どうしたらいいかわからなくなる」とかなんとかいう部分(うろおぼえ)があるのですが、そこはまあカットして、何とかこれで良い感じの内容に強引に解釈しちゃえってことで、いろいろ屁理屈を編み出しました。
 ところが当日、結婚式に行ってみると、なんと新婦側の主賓が、あの、高名な現代詩人である金時鐘氏! ぐわっと呻いて倒れそうになる私。あの金時鐘の前で、鮎川信夫の詩を引用してスピーチするの? そんなのム~リ~! とは思うものの、今さらスピーチの内容を変更する余裕も能力もない私。
 私にできることはただひとつ、金時鐘氏の存在を忘れてしまうまでべろべろに酔っ払うことだけでした……。完璧に暗記したはずのスピーチ内容をちゃんとしゃべれたかどうかおぼえていません。ただ、「鮎川信夫」という名を口にした一瞬だけ、金時鐘氏がこちらをちらっと見たような……。

スピーチはお断りです。

2015年8月26日 (水)

携帯電話紛失事件

ある日、阪急電車をおりて豊中教室に向かいながらポケットに手を入れたら、携帯電話がありませんでした。電車に乗る前に見た記憶があるので、電車の中に忘れたことはほぼ確実です。

さっそく阪急電鉄に電話しました。

「携帯電話の特徴を教えてください」

「黒いガラケーです。正確にいうと、元々は黒かったガラケーです。現在は塗装がはげてほぼシルバーです」

「ストラップはつけていますか」

「・・・・・・はい」

「どんなストラップですか」

さて、楳図かずお先生をこよなく敬愛している私の携帯ストラップは、『まことちゃん』というマンガでよく描かれた、とても下品な、とある物体をデザインしたものです。『Dr.スランプ』でアラレちゃんがよくつんつんしていたものと同じ物体です。

「はい、あの、ピ、ピンクの」

「ピンクの」

「き、金属の」

「ピンクの金属の」

「薄い・・・・・・そういう感じのものなんですが」

「?」

この話を家人にしたところ、

「なぜはっきり『うん◎』と言わないのか」

と糾弾されました。

でもいずれにせよ携帯電話は見つかりました。よかった。拾ってくれた方、ありがとうございます。

 

 

 

 

2015年7月 2日 (木)

1ドルは360円

五年生の授業のとき、「風呂敷」ということばが出てきましたが、やっぱり知らない生徒がいるのですねぇ。「先生、フロシキってなに?」「フロシキ知らんのか、ロシアの食い物やないか。カレーパンみたいになってて…」そうするとおそるおそる「それピロシキとちゃいますか」と言う者がいます。これが六年生なら、すかさず「そら、ピロシキやがな!」とつっこみがはいるのですが…。五年生、まだまだ鍛え方が足りないなと思いました。

ということで、またまたさりげなく前回のつづき、と言っても前回が相当むかしのことになってしまったのですが、白とか黒とかの話でした。素人も「しろうと」と言い、「玄人(くろうと)」と対比されますね。この二つのことばはどちらが先にできたのでしょうか。何も知らない「素」のままの人を「しろうと」と言ったので、その反対を「くろうと」としたような気がします。犯人のことをクロと言い、無実の人はその反対だからシロ、ということみたいなので、こちらは黒のほうが先かもしれません。と書いていて、妙なことに気づきました。「しろ」と「くろ」って、ことばの形の上からも対比ができます。どちらも「○ろ」という形なんですね。漢字で書くと気づかないのですが、かな書きすると、ひっかかることがたまにあります。「鼻」も「花」も「端」もすべて「はな」と書いたら「はしっこ」という意味の共通点でくくれます。その「はしっこ」のことを古くは「つま」と言いました。着物のはしっこも「褄」ですし、奥さんの意味の「妻」や刺身の「つま」も、そえるものという要素でくくれます。昔の日本の東西の端は、「あずま」つまり関東地方と「さつま」つまり「薩摩」です。「あずま」がもともと「あつま」だったと考えると、どっちも「つま」なんですね、偶然かもしれませんが。

で、話をもどすと「いろ」ってことばも同じような形で、「○ろ」のパターンですね。日本人の感覚の中では、もともと「いろ」と言えば「しろ」と「くろ」しかなかったのかもしれません。明暗や濃淡の感じが大事であって、あざやかさはどうでもよかったのではないか。そのうち「あかるい」のは「あか」で「あわい」のは「あを」となったのでしょう。「青」はグリーンも含みますし、黒馬の名前なのに「あお」と付けたりします。相当いいかげんですね。

こんなことを書いている文章がありました。「白い」「たいへん白い」「もっと白い」のうち、どれが一番白いか、というような内容です。「たいへん」や「もっと」が付くと、レベルを表すことになり、そのレベルには際限がなくなり、よりいっそう白いものの存在が考えられる。それに比べると「白い」は比較の対象外の白さになるから、これが一番だ、という、わかったようでわからん文章でした。白は色の中では彩度がなく、明度のみですが、「最も明るい」も考えたらわけがわからんようになります。明るさに限度があれば、「最も明るい」という規定はできますが…。

名前を聞いてもピンと来ない色があります。スカーレットとかバーミリオンとかの洋風の名前にも、なじみが薄いのでわかりにくいものがありますが、和風のものにもよくわからない色があります。「はなだ色」とか「生成り色」とか言われても、ピンときません。「葡萄色」と書いて「えびいろ」と読むことを「今でしょ」の先生が言ってましたが、これだって、どんな色かわかりにくい。「御納戸色」なんてまったく意味不明です。江戸川乱歩がコナンドイルをもじって探偵小説の作家名として使っていましたが。「浅葱色」は田舎侍をさすことがありました。「浅黄色」ではなく、薄い葱の葉の色ということなので、緑がかった藍色でしょう。江戸へやってきた田舎侍が、羽織の裏地に浅葱色の木綿を使うことが多く、江戸っ子に馬鹿にされたようです。

ところで、時代小説でそういう色を描写する際に「グリーン」とか「ピンク」ということばを使ったらどうでしょうか。「緑」と表現しようが、「グリーン」と表現しようが、同じ色のはずですが、時代小説・歴史小説でそういうことばが出てくると、なにか違和感があります。基本的には現代語で書かれた小説なのですから、理屈の上からはおかしくないはずです。もちろん会話で織田信長が「ぼくってさ、プライドが高いもんね」みたいな口調でしゃべったら、台無しです。かといって、当時の尾張のことばそのままでは読んでもらえないでしょう。会話以外の文、いわゆる地の文でも、「ニュアンス」なんてことばを使われると、いささか抵抗があります。作者が外来語起源であることに気づかずに、うっかりと「ダブる」と使った場合はどうでしょう? 読者も気づかなければ「スルー」してしまうかもしれません。でも、歴史小説はやっぱりそれらしい雰囲気で、格調高く書いてほしいですね。「信長は死んだのでR」なんてのは論外です。

だからといって、「古くさいことば」を使うと、若い読者を獲得できないでしょうし、書き手のほうもどんどん若くなっていきます。明治のころに書かれた、明治時代のことばを使ったものと今のものとでは、かなり雰囲気が変わっているかもしれません。歴史考証にしても、江戸時代生まれの人が生きていた頃には、日常生活のちょっとしたことでも正確だったでしょう。最近、時代小説が復活しつつあって、「捕物帖」的な作品も増えてきていますが、どこまで正確なのでしょうか。少なくとも、現代語の会話は勘弁してよ、と思います。昔の岡本綺堂とか野村胡堂とかは、ペンネームからしてものものしい。半七さんや銭形平次の口調は、いかにもそれらしいし、吉川英治や山岡荘八もさすがに、雰囲気があります。でも逆に、『のぼうの城』を明治時代の人間が読んだらどうでしょうか。ふざけているのかと怒ったかもしれません。とはいうものの、時代による変遷はやむをえません。読者も変化します。ただ、昔は常識だったことに関する知識がなくなっていくのは、どうしようもないとはいうものの、作る側にしてみたら厄介かもしれません。落語でも、「時そば」を演じるときに、昔は十二支で時刻を表し、寺のつく鐘の音で時刻を知らせていたんですよ、九つは十二時のことですよ、と説明しなければなりません。このあたりはオチに結びつくことなので、説明するのもやむをえないかもしれませんが、話の途中で「いくら」「二円」「大金やなあ」なんて部分が出てくると笑ってしまう人がいます。笑うところでもなんでもないのに、なぜなんだろうと思ってたら、どうやら「二円」という金額が値打ちのあるものだと知らないからなんですね。「車のハンドルはいくら?」「180円」「なんでや」「半ドルやから」という小話は今では通用しなくなりました。

2015年6月 2日 (火)

クールなビズにしてくれ

早いもので、クールビズ解禁になってから一カ月です。私もさっさとネクタイをはずして勤務しています。昔からネクタイが嫌いで嫌いで。太っていたからか煙草を吸っていたからか、シャツのいちばん上のボタンを留めると、おえおえとえずくんです。だから昔はネクタイをするたびに涙目になっていました。今はそんなことはありませんが、ネクタイは嫌いなので、クールビズ期間になると解放感でいっぱいです。

ところで、標記の歌をご存じの方ってどのぐらいいらっしゃるんでしょう。いやいや、元々の題はもちろん「スローなブギにしてくれ」でしたけれど。すっかり歳をとっちゃって、職場のいろいろな人と歌の話などしても、全然通じません。昔、この歌をうたっていたミュージシャンと同姓同名の子が希学園にいて、その子を見かけるたびに心のなかで「ウォンチュー、お~れの、肩を~、抱きしめてくれ~」と歌っていましたが、今年すご~く難しい大学の難しい学部に進学されたみたいでめでたいかぎりです。ブギといえば、笠置シヅ子ですよね。うわあ、ますます古いなあ。山下正明先生とかじゃないと話が通じなさそう。劇団時代に笠置シヅ子が好きだっていう人がいて、よく聴かされました。「買い物ブギ」とか有名ですよね。でも僕がいちばん噴いたのは、「黒田ブギ」です。もちろんあの「酒は飲め飲め飲むならば」の「黒田節」からきています。小学生のころ民謡が好きで、「黒田節」とか「こきりこ節」とか「木曽節」とかよく歌っていました。前に、「うちのにょうぼにゃヒゲがある」という歌をよくうたっていたという話を書いた気がしますが、何かとおかしな小学生だったんでしょう。

何かきっかけがあると、すぐに歌を口ずさみます。もうほとんど無意識に近いです。 昔の『大岡越前』の主役をやっていた俳優さんと同姓同名(漢字はちがいますが)の子を見ると、心のなかで「うーうーううー」と『大岡越前』のテーマが流れます。山登りに行くときに、Y田M平と車に乗っているときも、桂川をわたれば(『青葉城恋歌』のメロディーで)「かつらがわ~流れる岸で~思い出は~帰らず~」、京都に入れば(『そして神戸』のメロディーで)「きょうーと-、泣いてどうなるのか~」といった調子です。

山登りといえば、希学園の創立記念日に、ひさしぶりに軽く山登りに行ってまいりました。湖西の比良山系です。比良山系はアクセスがいいし、きれいな沢もあって、ちょっと思い立ってテントをかついで行くには悪くない山だと思います。

テントを張ったのは、八雲ヶ原高層湿原というところです。湿原です湿原! もう、尾瀬なんてメじゃないくらい小さい!(10分もあれば1周できてしまう) 人がいない!(他にテント1張でした) ラムサール条約なんて問題外!(登録されるはずがない)

どんなにしょぼくても湿原は湿原、むれむれの登山靴と靴下をぬいでビーサンにはきかえ、さっそくビールです。でも虫除けをもっていくのを忘れてたのが運の尽きで、アリやらハエやらいろいろ寄ってくるのを手や足で払いのけながらビールを飲んでいたわけですが、突然、ひときわ大きく、重くて低い羽音が急接近してくるのです。もう、その音を聞いた瞬間、これはやばい、と直感的に思いました。姿を確認する余裕もなく、とりあえず走って逃げ、離れたところから振り返ってみると、オオスズメバチなのであります。いや、もう、キイロスズメバチなんかとはモノがちがいます。すごい恐怖感でした。やつも、自分が最強であることを知っている感じでした。

しかし、私を病院送りにしたのは、このオオスズメバチではありません。

ブヨです。

ブヨにくわれるとあんなにひどいことになるとは知りませんでした。帰ってきてから、すごく大きな水ぶくれができてしまって、びっくりしました。写真をとってアップしようかと思ったぐらい、不気味な水ぶくれでしてね。昨日、皮膚科に行ってつぶしてもらいました。

テントを張った翌日。武奈ヶ岳から蛇谷ガ峰をめざしててくてく歩いていると、やはりテント装備の暑苦しい感じのおっちゃんに話しかけられました。しかし、僕も暑苦しい感じなので文句を言う筋合いではありません。

「蛇谷の方に行かれますか」

「へーい」

「この先で道がわかんなくなっちゃったんで、後ろつかせてもらってもいいですか」

「(え、こんな暑苦しい感じのおっちゃんが後ろからついてくるのか?と思いつつ)へーい」

「蛇谷は何回目ですか?」

「はじめてでーす」

「僕は3回目なんですが、なぜか道がよくわかんなくて」

で、あとはもくもくとおっさん2人で歩いておりました。しばらく行くと、登山道が直角に折れているところがあり、(あれ、もしかしてここでまっすぐ行っちゃったんじゃないかな、うしろのおっちゃん)と思っていると、案の定、

「ああ、こっちか。わかりました。ありがとうございます。」

と言っておっちゃんはすたすたと僕を追い越していきました。

とちゅうでちらりと先を行くおっちゃんの姿が見えましたが、その地点までたどり着いてみると、明らかにおっちゃんはまたしてもちがう方向に進んだようでした。道は右に続いていたのに、さっき見えたおっちゃんは左に進んでいたので。ありゃーと思ったけれど、僕もしんどかったし、おっちゃんは暑苦しい感じの人だったので、もうほっときました。だいぶたってから、おっちゃんがうしろから近づいてくるのが見えて、ほっとしました。

温泉に入ってシャトルバスに乗ったら、おっちゃんも乗っており、運転手に、道に迷った話をしていましたが、GPSが安物だからだと、よくわからない言いわけをしているのでありました。

ちがう、ちゃんと地図やテープを見ないからだ!

と、つっこみたかったけど、黙ってました。あのおっちゃんはいつか遭難するかもしれません。

2015年4月30日 (木)

松本留五郎の本職

「ファイナンシャルプランナー」とか言われても、何をする人かわかりません。なんとかアドバイザーとか、なんとかコーディネーターとか、最近はいろいろあります。「ディッシュウォッシャー」と言うと、ちょっとオシャレですが、直訳すれば「皿洗い」です。女性専用だった「スチュワーデス」が使えなくなったために、「フライトアテンダント」とか「キャビンクルー」とかに変わりました。「キャビンアテンダント」というのは和製英語らしいですが。こういうのは社会情勢の変化によるもので、やむを得ません。「スッチー」と言えなくなったことを残念がるのはおじさんだけです。

いまだに外来語にすると、なにか高級な感じになるのが不思議ですね。「便所」というと下品ですが、「トイレ」と言うと、ゴージャスな感じがして一生こもっていたくなります。そんなことはないか。「ご職業は」と聞いて、堂々と「ニートです」と答えられたら、外資系の会社に勤めてるんだなと思わず納得してしまいます。逆に今では通用しなくなった職業名もあります。「モク拾い」なんてのが昔はありました。小椋佳が『モク拾いは海へ』という曲を作っていますが、戦後間もないころ、「モク拾い」を仕事にしていた人がいました。これはさすがに実物を見たという記憶がありません。「モク」というのはタバコのことで、要するに街なかでタバコの吸い殻を拾い、それを材料にして新たなタバコを作って売るわけですね。それ専用の道具もありました。先に針のついた棒でタバコの吸い殻を突き刺して背中の籠に入れるのですが、なんか書いてるうちに見たことがあるような気もしてきたから不思議です。おそらく映画かテレビのドラマの記憶でしょうが。

こんな算数の問題もありました。「タバコの吸い殻5個で新しいタバコ1本を作れる人がいます。25個の吸い殻を拾ってきたこの人は何本のタバコが作れるでしょうか」のような。5本と答えたらダメなんですね。その5本を吸って、また新たに1本作れる、とかいうインチキみたいな問題です。妙な商売では「ガタロ」というのがありました。落語の『代書屋』に出てきます。松本留五郎さんの生業ですね。「ガタロ」は「河太郎」の訛りで河童のことも意味しますが、ここでは下半身全部を包むような長靴をはいて川にはいり、川底に落ちている釘などの金属製品などを拾って売る、というすごい商売です。松本留五郎さんが履歴書を書いてもらうために、代書屋で自分の職業を言うのですが、代書屋さんもどう書いてよいのか、困ってしまいます。「ガタロ商を営む」とか「川の中に勤める」とか、留五郎さんが案を出すあたりが大笑いです。この「川の中に勤めている人」は確かに見た記憶が…、たった一回だけですが。

だいたい「代書屋」自体が今はありません。「司法書士」「行政書士」にあたる仕事をする人で、手紙の代筆などもしていたようです。日本は識字率が高いのですが、明治のころは、無筆の人もいたようです。まあ巻紙の手紙は今や誰も書かなくなりましたが、うちの父親はよく書いてましたね。左手にトイレットペーパーのような巻紙を持って、右手の筆でサラサラと書いていくのが、まるで大河ドラマみたいで、今思えばかっこよかった。いざとなったら「代書屋」をやる、と言っていました。字は戦前、中国東北部にいたときに、土地の人に習ったらしいです。父親が14、5才の頃、故郷に送ったはがきが残っていましたが、まだ字を習う前だったようで、下手な字で「大連で電車に乗ったとき金を拾って、その金をねこばばして饅頭を食った」みたいなことを得々として書いていました。子供たちにさんざん揶揄されて恥ずかしかったのか、いつのまにかこっそり破って捨ててしまったようです。残っていれば、今となってはその頃の満州事情を知るうえで多少の歴史的価値があったかもしれません。下手な字だったのが難点ですが。

それにしても何をもって上手と言い下手と言うか、というのも結構むずかしい問題です。空海って、ほんとうにうまいのでしょうかね。残っている真筆を見ても、一つ一つの字のくせもすごく、全体のバランスが悪いような気もします。いろいろな書体を書き分けられたようだし、個性のある字なのでしょうが…。そのへんにいる書道の先生とはレベルがちがっていて比較にならないということなのですかね。「書道の大家格付けチェック」で、空海の字はA・Bどっち、というのをやれば見破れるのでしょうな、GACKTを待つまでもなく。まあ美の基準なんて、国や民族、文化によってもちがいますし、時代によってもちがってきます。平安時代の美人を今の時代に連れてきても美人というわけではなく、小野小町でも在原業平でも、現代人の目から見たら「ナニコレ珍百景」かもしれません。昭和の美人でさえ、今では通用しない可能性がありますし、今のイケメンが百年後には「なんじゃこりゃ」になっていても不思議ではありません。動物の美醜はどうなんでしょうね。可愛いものもあれば、気味の悪いものもありますが、たとえば蟻の中でも個体差があるのでしょう。犬猫になると、相当あるようで、同じトイプードルでも整った顔立ちのもいれば、「珍百景」もいます。ただし、犬同士ではどうなんでしょう? 人間とは基準がちがっているのかなあ。人間が見てブッサイクな顔が犬の世界ではイケメンであるかもしれません。

いつも思うのですが、モナリザって美人なのでしょうか? 一説によるとダビンチ自身がモデルだと言います。そうであるなら、おっさんの顔ということになってしまいます。「白骨美人」ということばもありますが、これもよく考えてみると意味不明ですね。「白骨」なのに、美人だとわかるはずがありません。それとも、白骨そのものが美形なのでしょうか? 書いているうちに、もう一つ疑問が出てきました。骨って白のはずなのに、「白骨」と言ってわざわざ強調するのはなぜでしょうか? ひょっとして、この「白」はホワイトではないのかなあ? 「白木造り」も白い色をぬっているわけではなく、素のままの木を使った建て方だし、酒を飲んでいない「しらふ」も赤くなってはいないもののホワイトというわけではありません。漢字で書けば「素面」ですから、「白木造り」も本来は「素木造り」のほうが正しいのでしょう。肉のついていない骨なので「素骨」を「白骨」と言ったのか。ただ音読みなのでこれは漢語になります。中国でも、やまとことばと同じ事情なのかなあ。辞書では「白骨」は「風雨にさらされて白くなった骨」と書かれていました。ということは、風雨にさらされる前は「白」ではない? ひょっとして生きているときはピンク? 黒だったらいやだなあ。

2015年3月29日 (日)

昭和は遠くなりにけり

昭和は遠くなりにけり

妙な姓名と言えば、ガリレオ・ガリレイです。これは何なのでしょうか。どうやら名字をそのまま名前にしたようです。フェデリコ・フェリーニという監督もいましたから、ひょっとしたらイタリアではよくあるパターンなのかもしれません。姓名のどっちで呼ぶかと言うと、監督は「フェリーニ」なので姓ですが、学者のほうは「ガリレオ」で名のほうですね。これはなぜなのかなあ。ひょっとして日本人は知らないだけで、じつは皇帝だったりして。

先祖の名をどんどん重ねるという名前のつけ方もあるようです。ピカソはふつうパブロ・ピカソと呼びますが、本名は強烈に長かったはずです。ヤホーで調べてみたら、いくつか説があるようですが、「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シブリアーノ・センティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ」と出ていました。「ルイス・イ・ピカソ」が姓らしく、ルイスが父親、ピカソが母親の姓だということです。どうして母親の姓で呼ばれているのか不思議です。名前には祖父とか叔父さんとか、いろんな人の名前がはいっていて、本人も覚えられなかったとか。外国ではミドルネームとかクリスチャンネームとかあって結構長くなるようです。

厄介なのはロシアで、なんと名字が性別によって変わるらしいですね。つまり、同じ家族でも男女でちがう名字になるということです。もちろん、イワノフとイワノバのように、語尾が変わるぐらいで、徳川が豊臣になるというレベルではありません。でも、「山下」が「山上」になったら困ります。アメリカで多い名字はスミス、ジョンソン、ウィリアムズ、ブラウン、ジョーンズ、ミラーらしいですね。たしかによく聞きます。調べてみたら名字の種類はアメリカでだいたい150万ぐらいだとか。日本は30万ぐらいということで、意外に少ないですね。日本のほうが多いような気がするのですが。ただ、どの漢字を使うか、たとえば「久保田」と「窪田」を区別するのか、ということでカウントの仕方が難しいようです。

希学園の塾生にもカタカナの名前が多くなって…というのを今年の祝賀会の講師劇のネタで使いました。「シュワルツェネッガーくんがトイレにはいったまま、なかなか出出ん出、出ん出ん出ん」というような、どうも申し訳ございませんというレベルのネタでした。カタカナばっかり並んでいると、「どこで切るの?」「名前はどっち?」と思わず悩んでしまいます。「トム・ジョーンズ」みたいな、わかりやすい名前なら楽なのですが。これは日本で言えば「山田太郎」にあたるのでしょうが、「山田太郎のようによくある名前」と言いながら、実際には「山田太郎」という名前の人はほとんどいません。「山田太郎」はありふれた名前ではないのですね。

中国の名字が約2万、韓国で2、300らしいので、日本よりも名字が少ないことになります。そうなると同姓同名も増えるでしょう。でも、劉備とか関羽とか張飛がゴロゴロいるのかと言うと、そうでもなさそうです。こういうのはあえて避けるのでしょうね。日本でも信長、家康、秀吉はめったにありません。龍馬は熱烈なファンのお父ちゃんがつけそうです。光秀となると、つけようとは思わないでしょう。世の中には「悪魔」と命名しようとした人もいますから、一概には言えませんが。

小説の手法で、あえて知られていない名で実在の人物を登場させるというのがありますね。京極夏彦の『書楼弔堂』という小説に畠芋之助と名乗る人物が登場します。だれだかわからないまま読み進めていくうちに、この人物がのちの泉鏡花であることがわかるという仕組みになっていて、じつは鏡花が畠芋之助というペンネームも持っていたことをさりげなく紹介しております。何十年も前に読んだ山田風太郎の小説で、金之助少年となつという幼女の出会いを描いた、明治時代を舞台としたものがありました。後の漱石と樋口一葉ですな。現実にも一葉の父親の上司が漱石の父親であった関係から、漱石の兄と一葉との間に縁談があったそうです。結局は漱石の父親の反対でつぶれたらしいのですが。

山田風太郎の明治物が人気を集めはじめたころ、明治を舞台としたものがもはや歴史物・時代物になったのだなあと感慨深げに書いている人がいました。たしかに明治生まれの人がまだたくさん生きていましたから、そんなに昔のことでもなかったのですね。「きんさんぎんさん」という長生きのふたごの姉妹がいました。じつは「きんさんぎんさん」にはかくれた妹がいて、その名は「どうさん」、という、しょうもないギャグが好きでしたが、とにかくこの二人、100歳をこえて国民的アイドル(?)でした。明治25年生まれなので、この人たちはたとえば伊藤博文と同じ時代の空気を吸ってるのですね。伊藤博文は当然吉田松陰と同じ時代の空気を吸った人です。そういう人と同じ時代の空気を吸っていると思ったら、「明治は遠くなりにけり」ではなかったのですね。でも、明治を「歴史」として認識しはじめた時代でもありました。

平成もそろそろ30年に近づこうとしているわけですから、昭和でさえも、もはや「歴史」なのかもしれません。戦後間もない頃のことを知らない人もどんどん増えてきています。そうすると、その頃当たり前だったこともわからなくなってきます。ごく身近な生活のことだって、ちょっと年月がたてばわからなくなります。たとえば「チャンネルをまわす」という言い方だって、今の人たちにしてみたら変といえば変です。初期のテレビのチャンネルはたしかにガチャガチャ回していたのですね。とれてどこかへ行ってしまったあと、残った芯をペンチではさんで回すということを体験した世代もいなくなりつつあるわけです。電話もダイヤル式だったことを知らない人がいるでしょう。萩の博物館へ行ったとき、「昭和の電化製品」が展示されていました。つい最近まで使っていたのに、と思うようなものが、すでに「歴史」になっているのです。「お宝鑑定団」で昭和のおもちゃがときどき出てきますが、すごい値段がつくこともあるのも当然です。「昭和は遠くなりにけり」ですね。

昭和生まれにとって、いやなのは呼称の変化です。「チョッキ」と呼んでいたものがいつのまにか「ベスト」になり、「バンド」が「ベルト」になり、「ズック」が「スニーカー」になりました。「Gパン」と言う人も少なくなり、「コール天」は完全に死語になりました。でも、そば屋の「出前」は「デリバリー」と言ってほしくないなあ。

2015年3月21日 (土)

またまた名前であそぶ

ペンネームであそぶのは、やはり推理作家が好きなようです。「佐賀潜」とか「嵯峨島昭」とかふざけた名前にしたり、「厚川昌男」のアナグラムで「泡坂妻夫」にしたり、というのも推理作家です。推理作家ではありませんが、色川武大が『麻雀放浪記』を書くときは、阿佐田哲也の名前にしていました。これは当然「朝だ、徹夜」の洒落です。

「二つ名」ということばもありますが、これがまたわかりにくい。本名以外の呼び名のことだと説明している辞書もあります。通称とかあだ名が一般的ですが、コードネームとか源氏名なども含まれそうです。ところが、そのものの特徴や性質をちょっと「文学的」に表した言い回しを「二つ名」と言うこともあります。「尾張の大うつけ」とか「東海一の弓取り」とか「越後の龍」「甲斐の虎」のように。織田信長、今川義元、上杉謙信、武田信玄を表していますが、通称やあだ名とはニュアンスがちがいます。「犬公方」は微妙かな。「…の…」のパターンでは「東洋の魔女」とか「フジヤマのトビウオ」とかいうのもありました。うーん、古すぎ。

でも、こういうのとはまたちがった「二つ名」というのもあります。「鬼平犯科帳」に出てくる盗賊などで、本当の名前の上にくっつける「呼び名」みたいなのがありますよね。夜兎の角右衛門とか狐火の勇五郎とか、風車の弥七とか、これは「水戸黄門」ですが。これ、ちょっとかっこいいですよね。旭将軍義仲とか独眼竜政宗というのも、これに近いようですが、「旭将軍」「独眼竜」のように単独でも使います。やはり、「○○の」という形ですね。「マムシの道三」は入れてもよいかなあ。「アホの坂田」はかっこよくないですね。このあたりになるともはや枕詞になってきます。「清洲の甚五郎」とか「生駒の仙右衛門」とか、これは地名ですかね。侠客の「清水の次郎長」「吉良の仁吉」は明らかに地名ですな。これは名字とはちがうのかなあ?

貴族はほとんどが藤原氏なので、屋敷のある地名で呼んだのですね。今でも親戚同士を区別するときに地名を使うことがあります。「名古屋はまだ来ないか」のように。こういうのが名字になっていったのでしょう。足利荘に住んでいる源氏だから足利の源尊氏、ちぢめて足利尊氏であり、新田荘なら新田義貞になります。たまに県名と同じ名字の人がいますが、県名も小さな土地の名前が代表として名付けられたことが多いので、そういう名字の人がいるのも当然でしょう。もちろん、さすがに北海道という名字の人はいませんし、「北海」でもなさそうです。東北では秋田、福島は名字としてよく見ます。「福島」は「くしま」と読むこともあります。地黄八幡北条綱成はもとは「くしま」と読む「福島」姓でした。青森、岩手という名字はあまり見ません。山形は多くはないけれどいますね。「山県」「山縣」と書くとまたちがうルーツになるのでしょう。宮城も少ないようですが、宮城道雄さんがいます。

関東地方は名字になりにくそうですね。東京は当然でしょう。人工的な名前で由緒ある地名ではありません。東京ぼん太という人がいましたが、芸名です。神奈川もなさそうだし、群馬、埼玉も聞いたことがありません。栃木は小学校の同級生にいました。茨城は少ないでしょう。茨木なら結構います。関東ではやはり千葉がとびぬけて多そうです。中部地方では石川、福井、長野はよく聞きます。富山は「とみやま」と読むことが多いでしょうね。新潟はなさそうです。静岡、山梨もなさそうだし、岐阜も人工的地名なのでいないでしょう。愛知は愛知揆一がいるので、ゼロではありません。 近畿も京都はいません。大阪は大坂ならいるでしょうが、大阪ではどうでしょうか。奈良は意外にいるような気がします。滋賀、和歌山は志賀、若山になるとかなりいますが、どうでしょうか。兵庫、三重はゼロに近そうです。四国は香川が多いけれど、徳島は少なそうです。愛媛、高知となるとやはりゼロに近いでしょう。中国地方は山口が全国ベスト30には入るレベルの多さですが、岡山、広島はぐっと少なくなるし、鳥取、島根は聞いたことがありません。九州は福岡、長崎、宮崎がそこそこ多く、熊本もいるでしょう。佐賀もいなくはなさそうですが、大分、鹿児島はどうかなあ。沖縄はまあいないでしょうね。旧国名で見ていくのもおもしろそうですが、ちょっと飽きたので、また今度。

外国人の名字も地名から来ているのでしょうか。大工のカーペンターなんてのがあります。スミスが鍛冶屋であり、ミラーが粉屋、テイラーが仕立屋というように、職業が名字になっているのが多そうです。ドイツに行くと、シュミット、ミュラー、シュナイダーですね。シェイクスピアなんてのは、「槍を振る」という意味ですから、何なのでしょうね、これは。日本で言えば「剣持さん」ですかね。スチーブン・キングなんてのは「王様」と関係あるのかなあ。トルーマンは先祖が正直だったのか、ワイルドはスギちゃんみたいな先祖なのか。アームストロングは腕っぷしが強かったんでしょうね。ブラウンは何が茶色だったのでしょうか。肌の色か髪の毛か。ヤングというのは、どの時点で名字になったのでしょうか。本人が年取っていたらオールドだったはずです。リンカーンはアメリカの町の名でもありますが、調べてみたら、これは大統領の名にちなんでつけられたとか。ところが、イギリスにもリンカーンという地名があり、「ケルト語起源のLindo(池)にラテン語のcolonia(植民地)がついたもの」と書いてありました。ということはリンカーンは地名からきた名字ですね。

マクドナルドのように「ドナルドの子」というパターンは、マッキントッシュ、マッカーサー、マッケンロー、マッケンジー、マコーミックのような、スコットランド・アイルランド系によくあります。ジャクソンのように、あとに「ソン」がつくものもあります。ジョンソン、ダビッドソン、ウィルソン、アンダーソンも「ジャックの子」パターンですね。アンデルセンの「セン」も同じでしょう。ウィリアムズ、ジョーンズ、デイビスなどの「~ズ(ス)」やオニール、オブライエンの「オ~」も「子供」という意味のようです。父親のファーストネームを名字にすることも結構あったようですね。ナポレオン・ボナパルトの甥がルイ・ナポレオンになっているのはそういう理由でしょうか。ケネディとかチャーチルは姓で呼びますが、ナポレオンは皇帝なので名で呼ぶのでしょう。フランスの王様がルイ何世とか呼ばれるように。そうすると、ナポレオンの血を継いでいるということで、甥は「ナポレオン王朝」の「ルイ」となったのかもしれません。山田ルイ53世はまったく血のつながりはありません。どうしているのかなあ、髭男爵。ルネッサーンス!

2015年3月15日 (日)

淀川河川敷散歩Ⅱ

入試分析会の告知第Ⅱ弾をばしっと決めようと思っていたんですが、いつのまにか終わってしまっていました。そこでタイトルを上記のごとく変更し、何食わぬ顔でどうでもいいことを綴りたいと思います。

冬は(とっくに春ですが)なんといってもお風呂でみかんを食べるのが至福のひとときです。湯船に洗面器をうかべ、そのなかにみかんを2つ3つ入れておき、お湯につかってゆっくり食べます。よい子のみんなはまねをしてはいけませんよ。行儀が悪いですからね。ましてや、お風呂の中で本を読んだりしたらダメですよ。目が悪くなるし、浴槽に本を落としたらすごいショックですからね。しかもその本が五千円以上もした本だったりすると(『関連性理論』という本ですね)ますますショックですからね。それはともかくそれにしても実は先日わたくしの誕生日で、◆十◇歳になったわけですが、子どものころは◆十◇歳のおとながこんなにバカで幼稚だとはまったく思っていませんでした。それがいちばんショックです。

先日も書きましたが、淀川河川敷を散歩するのも至福のひとときです。空が広くて気持ちいいので、はじめのうちは土手を歩いていましたが、もともと水辺が好きなので、だんだん河岸に近寄るようになったんです。先日はかなり痺れる光景を目撃しました。

ばーん。

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写真がボケボケで申し訳ありません、ガラケーなので許してください。でも、この朽ちたボートと大阪のビル群との対比がすごくかっこよくないですか?いや、かっこいいんです。映画のワンシーンみたいです。アングルがもうひとつかもしれませんが。もうちょっと空を大きく撮せばよかったかしら。まあ、こんなもんです、わたしの腕前なんて。

これは水辺ではなく土手ですが、こんなのも撮りました。

ばーん。

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これは「毛馬」の「閘門」です。淀川と旧淀川の分岐点にある水門施設ですね。なんですが、アングルが悪くておかしな感じになってしまいました。ちなみにこの毛馬というのは与謝蕪村の生地だそうですね。「春風のつまかえしてや春曙抄」でしたっけ? まちがえていたらごめんなさい、昔はそんな感じの土手だったんでしょう。今は、黄昏どきに行くと淀川大堰に照明がともり、とても綺麗です。ここもお気に入りの散歩コースですね。以前この付近を散歩していたら、ジャージを着た二人組のおじさんがウォーキングをしていました。背が低くて痩せたほうのおじさんは、もうひとりの恰幅のいいおじさんのうしろからちょこちょことついて歩いていましたが、携帯電話が鳴ると、さっと懐からとりだし、腰をかがめて、前の恰幅のいいおじさんに差し出していました。げ、そういう職業の人かと思って、そっと離れる私なのでありました。

川沿いを歩いていると、いろいろ目撃することがあります。夜、大川沿いを歩いていると、川をすーっと泳いでいる小動物を発見、ねずみにしては大きいが何だろうと思ってちかづくと、ヌートリアでした。ヌーはよく見ます。西宮北口教室南館の裏にある津門川(つとがわ)でも見たことがあります。そう、あの小さな川は津門川というのです。西宮在住の方でも知らない方が多いのではありますまいか。私は、あの津門川に沿って海まで歩いたことがあります。ひまなんですかね? 今津港には大関酒造ゆかりの今津灯台があり、なかなか良い雰囲気でしたよ。

入試分析会は終了しましたが、5月には学園長の教育講演会もあり、わたしもスタッフとして参加していると思います。国語について何かお訊きになりたいことなどございましたら、ご遠慮なくお声をおかけください。

2015年3月 5日 (木)

弾厚作は加山雄三

合格祝賀会の講師劇は毎年ネタを考えるのに苦労します。その年のはやりものなどを持ってくることが多いのですが、ジャンルとしてもできるだけ今までとはちがうものにしたいのですね。学園物、推理物、SF物、ミュージカルからアニメから…。ただ、歴史物・時代物はやりにくい。とりあえず、カツラも全員分用意しなければなりません。特にO村先生の分は不可欠です。もちろん、「おちゃらけ」ですから、別にその時代に忠実でなくてもよいのですがね。

そういえば「江戸しぐさ」を批判する本が出ていましたね。実はこの「江戸しぐさ」、灘中の入試に出ています。有名な「傘かしげ」なら、なんとなくあってもよさそうですが、それでもなんかわざとらしくて、かすかな違和感がありました。灘中で出た文章では「うかつしぐさ」というのがとりあげられていました。筆者の師匠とかいう人が、見世物小屋の口上「六尺の大イタチ」につられてはいってみたら、六尺の長さの大きな板に血がついていた。「六尺の大板血」というオチですね。でも、だまされた自分が「うかつ」だったのだから、うらみごとは言わない、これが「うかつしぐさ」だ、という文章でした。

ただ、どうみても、これは「しぐさ」ではありません。しかも「うかつしぐさ」と名付けてしまったら、その「しぐさ」自体が「うかつ」だということになりますから、ネーミングとしても明らかにまちがっています。灘でも「どのような態度か」という問題を当然出さざるを得ませんが、じつに答えにくい問題でした。「しぐさ」なのだから、動作らしく答えたいのに、動作ではなく「態度」になってしまうのです。そんな妙な日本語を江戸っ子は使っていたのでしょうかね。「江戸しぐさ」という言い方自体、なにか胡散臭い。江戸っ子が自分たちのふるまいをわさわざ「江戸しぐさ」と呼ぶとは考えにくい。よその土地の人が、江戸っ子はちがうなあということで呼ぶのならわかりますが。

そもそも、この「大いたち」の話は、たしかに昔からあるばかばかしい見世物らしいのですが、この筆者が、知らない人に紹介する口調で書いているのが不思議です。この人は落語を聞いたことがないのでしょうか? 落語のネタとして有名すぎて、師匠が自分の体験談として話すのも照れくさいというレベルです。「山から取れたて、近づくと危ない」なんてフレーズさえ落語にはあります。たしかに、板は山から取れたてでしょうし、立てかけた板は倒れたら危険です。大いたち以外にも「ベナー」なんてのを志ん生がやってました。なべを逆さにしているだけです。「源頼朝公のしゃれこうべ」というのもやってましたな。「かの源頼朝公のしゃれこうべでございます」「ちょいと小さいよ」「頼朝公ご幼少のみぎりのしゃれこうべでございます」というやつ。ほんとうに江戸しぐさが江戸にあったのなら、古典落語に出て来ないはずがないのに、まったく聞いたことがありません。おそらく、ことばとしても「しぐさ」としても存在しなかったのでしょうね。第一、この私が知らないことばです。そんなものは存在しない、と神は言った。

灘中もこんな文章を出してしまって、今頃後悔しているかもしれません。まあ、灘はわりと「はやりもの」を出してくるのでやむをえないでしょう。その年のベストセラーを意外によく出してきますし、「その年死んだ人」というのも狙い目です。今年は、まど・みちおや吉野弘が出てもおかしくなかったのですが、灘では出ず、吉野弘が神戸女学院で出てしまいました。希学園では対策をしていたので、予想的中ということになりましたが。ほかに宮尾登美子とか渡辺淳一もなくなったのですが、『鬼龍院花子の生涯』や『失楽園』『愛の流刑地』は出せんやろなあ。坂東眞砂子の『死国』はすごくおもしろかったのですが、これも出しにくい。森本哲郎や深田祐介は出ても不思議はなかったのですがね。深田祐介といえば、『スチュワーデス物語』の原作者ですが、最近はあまり名前を聞かなかったような。ほかに、やしきたかじんとか高倉健とか、これはさすがに出ません。高倉健のエッセイはむかし模試で使ったことはありますが。

赤瀬川原平なんて人もいました。「超芸術トマソン」で有名な人ですね。建築物にくっついている無用の長物というか、意味不明のものを「トマソン」と呼んでおもしろがっていました。電信柱にくっついている意味不明の階段とか。灘にも二階の壁に意味不明のドアがありましたが、あれはどうなっているのかなあ。「超芸術」というのは、その無意味さ、役に立たなさのせいで、芸術よりももっと芸術らしいという意味だそうです。トマソンの語源は、ジャイアンツのトマソン選手ですね。四番でありながら、三振ばっかりの元大リーガーの「無用の長物」ぶりが、もはや一種の芸術だったのです。赤瀬川原平の兄は直木賞作家の赤瀬川隼で、この人も最近なくなりました。隼の長女は『人麻呂の暗号』の著者「藤村由加」の一人です。四人の女性の名前から一文字ずつもってきて組み合わせたものをペンネームにしています。赤瀬川原平も「尾辻克彦」という別の名前を持っており、二つのペンネームを使い分けていました。

ペンネームの使い分けといえば、長谷川海太郎が有名です。この「かいたろう」さん、林不忘、牧逸馬、谷譲次の三つのペンネームを使い分けていました。「丹下左膳」を書くときは林不忘、犯罪小説では牧逸馬、谷譲次は「めりけんじゃっぷ」のシリーズで使っていました。昔、すべてのペンネームの本を持っていましたが、どこかに行ってしまったのが残念。エラリー・クイーンはバーナビー・ロス、コーネル・ウールリッチはウィリアム・アイリッシュ、E・S・ガードナーはA・A・フェアという別名を持っています。

クイーンは藤子不二雄と同じように、二人の人間が合作するときのペンネームで、しかも、クイーンは作中に出てくる探偵の名前でもあります。『Xの悲劇』『Yの悲劇』『Zの悲劇』はクイーンではなく、バーナビー・ロスの名で出しており、探偵もドルリー・レーンということになります。『レーン最後の事件』のあるトリックを効果的にするために、前の三部作が用意されており、そのために新しいペンネームと新しい探偵を作り出すという、凝ったことをやっとるわけです。クイーンとロスが覆面をかぶって公開討論したことがあるそうです。両者が「同一人物」であり、しかも二人合同のペンネームであることを秘密にしていたから成り立つ「二人二役」のトリックですね。わけがわかりません。

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