2010年1月 3日 (日)

シネマレビュー(2)

あけましておめでとうございます。

今年も、地球は太陽の周りを回ります。太陽までの平均距離がざっと1.5億㎞なので、直径3億㎞の円周上≒約10億㎞を365日で一周するわけです。時速に換算すると10万㎞以上!

凄く速い乗り物に乗り合わせた乗客同士で、今年も少しでもよい席をと奪い合いがあるわけです。「宇宙船地球号」といううまいことばを考えたのは誰だったでしょうか。そういう視点で考える一年の初めでありたいもんです。

電車や路線バスなどでは、乗っている客同士で連帯感なんてあまり生まれないもんですが、長距離のバスや海外路線の飛行機などに乗って降りると、到着地でうろうろしていて、ばったりあったときに「あ、同じ便に乗ってた人!」なんて不思議な親近感を持つものですし、邦人のあまりいない異国の地で会った日本人には、同胞よ!と言いたくなるような感情を持つものです。

人類が連帯するためには、地球規模の危機や地球外生命体との遭遇なんてイベントが必要なのかもしれません。でも、そんなイベント実際にはあってほしくないので、そこでSF映画やパニック映画の役割があるのかもしれないなと考えています。

「アポロ13」という映画がありました。主演は人によって好みの分かれるトム・ハンクス。

前回のレビューでは、人物の「たい」に注目するという話をしましたが、この映画もストーリー自体はシンプルで、「月へ行きたい」が「地球へ生きて帰り(帰らせ)たい」に大きく転換するところが見所でしょうか。

トム・ハンクス主演の他の映画では「ターミナル」「キャスト・アウェイ」が私の好きな映画です。でも、この映画ではゲイリー・シニーズの渋い演技も見てほしい。この人は、トム・ハンクスといくつかの映画で共演しています。ゲイリー・シニーズは「ミッション・トゥ・マーズ」という映画で月どころか火星に行く宇宙飛行士の役で主演を果たしています。

地球から約38万㎞のところにある月。今年の大晦日から元日にかけて、ほんの少しだけですが「月食」があったことをご存じだったでしょうか。地球の影がわりとくっきり映るくらいの距離なんですね。地球一周が4万㎞ですから、地球を九周半くらいのところなんで、結構いけそうです。40年以上前にアポロ計画のサターンロケットは月へ5回も人を送り込んでいたわけですし。当時のアポロに搭載されていたコンピューターの性能は、現在掃除機や炊飯器などの制御に使われているコンピューターチップ程度で、ニンテンドーDSに入ってるチップの方が何千倍も高速度で大容量だとか。

どうして今の技術がありながら再び月へ行かないのか? その疑問はこの映画を観てもすっきりしません。技術じゃなくて政治・経済の問題なんでしょうか。

アポロ13号は11号の成功を受けて月へ飛び立つ3番目の宇宙船です。

「金メダリストは末永く覚えられるが、銀メダルの選手は記憶に残らない」

アメリカ本国でのアポロ熱はすっかり冷め、注目されなかった13号。そのあたりの描写に、なぜまた月へ人を送らないか、という答えはありそうなんですが、それでも疑問は残ります。

夢にお金がかけられない時代なんだ、という答えなら、少しさびしい気がします。

※前回のブログで映画「ファインディング・ニモ」を2000年の映画だったと書いていましたが、2003年公開の誤りでした。

2010年1月 1日 (金)

浦島太郎

入試の時期ですが、なんら関係なく。
前回、浦島太郎について、ちょっと書いたので、そのついでということで。
「土産の玉手箱で老人になる話」なのですが、乙姫様の土産なのに、なぜそんな悲惨な結果になるのか、不思議に思ったことはありませんか。
乙姫様は悪意を持っていたのでしょうか。玉手箱の煙の正体はいったい何だったのでしょうか。
白い煙が出た、ということは要するに玉手箱には形のあるものは何もはいっていなかったということでしょう。では、何がはいっていたのか。
浦島太郎は、竜宮城で過ごした時間はそんなにたいしたことがないと思っていたのに、故郷にかえってきたときには、とんでもなく時間がたっていました。ということは、何百年という時間を失ったわけで、結局乙姫様は「失われた時間」をかえしてくれたのですね。
しかし、何百年という時間をもらっても、ふつうの人間なら死んでしまう。事実、浦島太郎は見る見るうちに老人になってしまった。そのままなら人間の寿命を通り越して死んでしまうでしょう。
だからこそ、乙姫様は浦島太郎を鶴の姿に変えてくれたのです。「鶴は千年、亀は万年」ですからね。
もう一つ、論理的に考えて疑問に思うのは「こぶとりじいさん」です。「小太り」ではなく、「瘤とり」です。文法的には、こぶを鬼にとられたのだから「瘤取られじいさん」と言うべきだという人もいますが、鬼をつかってこぶをとらせたのだから、まちがっちゃいません。大阪城を建てたのは大工さんではなく豊臣秀吉です。それより「はなさかじいさん」のほうが変です。
話がそれました。問題にしたかったのは、翌日となりのじいさんが行ったときに、なぜ鬼たちは昨日のじいさんだと思ってしまったかというです。
となりのじいさんはこぶをとってもらうために行ったのですから、当然こぶがついているはずですね。ところが、昨日のじいさんはこぶをとられているのですから、まちがえるわけがないではありませんか。別人であることは見ただけですぐわかるのに、鬼たちはなぜ昨日のじいさんとまちがえたのか。
ここから導き出される論理的帰結は、昨日のじいさんは両頬にこぶがあったのではないか、ということです。右と左にこぶがあったのを、たとえば右だけとられてしまった。つまり、左のこぶは残ったままです。そして、となりのじいさんは左にこぶがあった。だから、鬼たちはまちがえたのだ。どうだね、ワトソンくん。

2009年12月27日 (日)

食事どきの会話

入試対策第Ⅱ期に突入しています。

①N生は朝9時半から国語の語句テストと理科の実力テストを受け、その後各教科の講義・自習を経て、夜9時半に帰ります。

12時間拘束です。

しかも、教室の黒板には

『①N生に休み時間はない!』

などと書かれていたりします。

おまけに、食事休憩中も講師が教室にはりついて目を光らせています。

にもかかわらず、子どもたちは結構楽しそうに元気よく勉強してたりして。

心の中では「えらいなあ、おまえたち、うんうん。」と思っているんですが、食事休憩の監督に入ると、つい、

「おい、いつまで飯食ってんねん、さっさと勉強せんかい」

などと言ってしまう私でした。

ある日の食事中の会話。教卓に座っている私に、塾生がご飯を食べながら、

「先生、今いくつ?」

「九百歳や」(めんどくさい)

「この前十八歳って言うてたやん」

「九百十八歳や」(ますますめんどくさい)

「長生きやな」

(ついのってしまう)「鎌倉幕府が成立したころのこともよう覚えてるで。頼朝と先生は、頼ちゃん和ちゃんと呼び合う仲やったんや。『頼ちゃん、あれじゃ、義経がかわいそうだよ』『兄弟のことに口をださんといてくれ』みたいな。武蔵とも戦ったで」

「どっちが勝ったん?」

「引き分けや」

「坂本龍馬は知ってる?」

「臭いやつでな。あまり近寄らんようにしてた」

「永倉新八は?」

「いやあいつはなかなか強かったな。でも、齋藤一のほうが強かったな」

「沖田総司は?」

「あんな咳ばかりしてるやつたいしたことあるかい」

「近藤勇は?」

「あいつは拳骨が口に入るというだけの男や」

「高野長英は?」

「あいつはけっこう悲惨でね。俺も逃亡手伝ってやったりしたがね」

「勝海舟は?」

「さっさと食うて勉強せえ!annoy

2009年12月25日 (金)

①Nの家庭学習用教材②~シルクロード篇~

①N国語教材の表紙を飾った写真について、その2です。

「語句砂漠」という見るからに苦しそうな教材を猛暑の8月に配付しました。

大量の三字熟語と四字熟語、およびさまざまな語句問題が延々とつづく、まさに「タクラマカン砂漠・死の隊商」といった感じの教材でしたが、その表紙に使った写真がこちらです。

1

中国ウイグル自治区のパキスタン国境近くに「タシュクルガン」という街があり、その街の外れにこの城跡があります。ほんとうにタクラマカン砂漠の近くです。

城跡に入るにはお金がいります。ただし、係員がいるときだけ。

僕はこの街に二泊し、その間に三回この城跡を訪れましたが、夕方と朝早い時間には係員がおらず、出入り自由でした。

朝早い時間に行くと、タジク族と思われる老人が山羊をつれて来ていました。そして、くずれた石壁の蔭にしゃがんで用を足していました。大きいほうでした。

城の北は農村地帯で麦畑が広がっています。こんなところです。

2

十歳くらいの男の子と仲良くなり、家でヨーグルトとパンを食べさせてもらいました。

城の東側は美しい湿地帯です。

そこかしこから清水が湧いて細い筋となり、それらが寄り添って小川になり、さらに合流して大きな流れをつくっています。

その河原とも湿地ともつかない場所で、牛や山羊がのんびり草をはみ、子どもたちが遊んでいるのでした。

1

次の写真も「語句砂漠」で使用したものです。

1_2

これはカシュガルの東(?)にあるヤルカンドという街の外れですね。

タシュクルガンにもヤルカンドにもカシュガルからバスで行きます。

タシュクルガンはバスで8時間ほど。ヤルカンドは3時間か4時間だったかな。

ところで、カシュガルのホテルで突然見知らぬ男に名前を呼ばれるという事件がありました。

中国語もウイグル語も、そしてなぜか英語もまったくできない僕は、筆談専門で何とかそれまで乗りきっていたのですが、ホテルのフロントにいたのがウイグル人女性で筆談が今ひとつ通じず、延泊の交渉に苦労していたときのこと。

横にいた漢族の男性が突然、

「西村さん! あなた西村さんではないですか!?」

「え、いや、西・・・」

「わたし、西遊旅行社のガイドをしている○×△です。」

「なんと、そうなんですか。しかしちなみにわたしは西・・・」

「西村さんがこちらに来るという話聞いていました! わたしにまかせて。明日と明後日は泊まらないで、その次の日からまた泊まりますか」

「おお、実にそうです。明後日の次の日から。ただし、わたしは西・・・」

しかし彼は僕の言葉を最後まで聞いてくれず、ウイグル人とひとしきり話をし、

「だいじょうぶです、明後日まで泊まらない、OKです。そして、次の日からまた泊まる」

「どうもありがとうございました。とても助かりました」

僕は満面の笑みで感謝の言葉を述べ、

「えーと、わたし、西川です、西村じゃなくて、へへ」

となぜか照れ笑いしながら打ち明けるのでありました。

「あ、にし・・・かわさん、そうですか」

彼は「西村」と言うときは流暢なのになぜか「西川」は言いにくそうなのであった。しかもなぜか少し不満そうなのであった。

われわれはしばらく歓談し、やがて別れを告げました。

「どうもほんとうにありがとうございました」

「いえいえ、OKです。さようなら、西村さん!」

お約束ですね。

その後この人にはタシュクルガンでも偶然会ったのですが、そのときも大きな声で

「西村さ~ん!」

と呼びかけられたのであった。

2009年12月22日 (火)

シネマレビュー(1)

ブログというもの自体が初めてなんですが。ま、回数を重ねればそれなりになっていくと思います。最初のうちは辛抱してお読みください。

あの「こち亀」も初期はずいぶん絵が今と違いますから。

記念すべき第一回をどういうネタにしようかとかなり困りました。

で、結局、映画の話にしました。でも、西川先生みたいに「通」ではないので、非常にメジャーな映画で。しかも子ども向き。

こういう、書くまでの裏話なんかをだらだら書くエッセイっていかにもだめだめなんですが、書いてみると気持ちがわかるなあ。

さて、今回のシネマレビューは「ファインディング・ニモ」です。たしか2003年の映画なんで、もう7年前ですね!

物語の授業で「主人公」の話をしたときに、「映画『ニモ』の主人公はだれやった?」と尋ねると、必ず「ニモ!」と言ってくれるお子様たちがいていつも誠に誠に感謝しています。そうこなくちゃ話を振った意味がないですものね。振ったらボケる。関西ではもはや礼儀です。

正解は「ニモ父」ですよね。デカい方。名前はマーリン。吹き替えはとんねるずの木梨憲武がやっていました。私もいつか映画の吹き替えをやってみたいです。そう思って今日も教室で朗読の練習をしています。

この映画の主題を言ってしまうと「再生」でしょうか。

(以下若干ネタバレあり←映画レビューページでの用語?)

この上なく辛い経験をした主人公は、人間(魚)不信におちいり、安全に無難にコンサバな人生を送ろうとします。妻子を失い、残ったのは息子ニモ。そのニモを徹底的に箱入りで育てていたニモかかわらず(笑 と自分でフォロー)、ニモは人間に連れ去られてしまいます。

マーリンはニモを探す旅にいやおうなしに出かけることになります。

その旅の道連れが記憶力のない魚「ドリー」です(吹き替えが絶妙でした)。このドリーのおかげで、マーリンは数々の困難を乗り越えてついにニモの囚われているシドニーにたどりつく訳ですが、傷ついたマーリンの「不信」のせいでトラブルも多くなります。

最後はドリーやペリカンのナイジェルを「信じる」ことで、ニモに再会することができるわけです。

子ども向きの映画ですが、実によく練られたストーリーだと思います。

この映画に出てくるキャラクターの多くが、何らかの「ハンディキャップ」を持った設定であることも見逃せないポイントです。

ニモは生まれつき右の胸びれが小さい。ドリーは記憶障害。主人公マーリンはPTSD?

アメリカらしい発想が随所にあります。

よく私は物語文の授業で「人物の『たい』に注目せよ」と言います。

「たい」は願望の助動詞と言われます。「~たい。」「~ほしい。」という気持ちは誰にだっていつだってあるものです。主人公や主要人物の願望や目的をとらえれば、ぐっとストーリーがわかりやすくなると思うのです。

面白いと言われるストーリーは、この「たい」が明確かつ強力なものであることが多いです。

「モンテ・クリスト伯」では目的は復讐です。「西遊記」では、三蔵法師のそれが「天竺から経文を持ち帰り、人々を仏の道に導きたい」であるのに対し、孫悟空の願望は「この輪っかを外したい!」で、真逆です。そのズレた目的が、最終的に一致するダイナミズムが面白さになっています。

この映画でも、父親が何としても息子を助け出したいという願いがよく伝わってくるからこそ、ストーリーに入り込みやすいわけです。

とまあまじめなレビューを書いてしまったのですが、この映画の見所は、本当に美しい海中のCGですね。ピクサーのスタッフ全員がスクーバダイビングの資格をとって、実際の海を見に行った、というだけのことはあります(すごい会社ですね)。

「たくまざる自然」ということばがありますが、人工的に自然を作り上げてしまうところに、私は素直に感動してしまいました。アメリカ人ってすげえ。

とはいいつつ、一番好きなキャラは、ベジタリアン志望のサメのブルースです。

2009年12月19日 (土)

読書日記

 国語科の山下です。
 趣味を「読書」としたからには、本について書かなければならないでしょう。
 そこで今月読んだ小説について、さらりと(テストのネタになりそうな本は秘密)。
 しつこく書いてもしようがないので、三十字という制限にしてみます。
 三十字というのは、きついようで手ごろかもしれません。
 たとえば『桃太郎』は「桃から生まれた少年が犬・猿・きじとともに鬼を退治する話」。
 『浦島太郎』なら、「亀を助けた男が竜宮城に行って、土産の玉手箱で老人になる話」。
 この感じで行くと、まず、西田俊也『オオサカンドリーム』(徳間文庫)。
 「ヤッちゃん系の若者が『笑いの学校』へ行って漫才師を目指す話」。
 こう書くと、いかにもおもしろくなさそうですね。
 次は、貫井徳郎『夜想』(文春文庫)。
 「触れた物で人の心が読める少女と出会った不幸な男が救われる話」。
 どんな話だがよくわかりません。
 A・ファウアー『数学的にありえない(上下)』(文春文庫)。
 「天才数学者が確率を基礎に未来を予測する力を得て、悪者と戦う話」。
 うーん、これも意味不明か。
 マイクル・クライトン『NEXT(上下)』(ハヤカワ文庫)。
 「遺伝子を買う企業とヒトの遺伝子を導入したオウムとチンパンジー」。
 三十字では無理……これだけで内容の想像がつく人がいるのだろうか。
 『ジュラシック・パーク』の原作者の最後の小説なんですが……。
 ディーン・クーンツ『オッド・トーマスの受難』(ハヤカワ文庫)。
 「死者の霊が見える青年が、誘拐された友人を霊に導かれて救う話」。
 なんとなくはわかってもらえそうですが、やはりなんだかなあ。
 結論。
 企画倒れでした。

2009年12月13日 (日)

公開テストの記述採点

本日は公開テストがあり、私も採点に参加してきました。そこで、小5と小6の記述問題について(というかそこで採点した様々な答えについて)の感想など。

まずは小5国語大問[2]。

11  線⑧「石川くんと同じこと」とありますが、どういうことを石川くんは思ったのですか。具体的に説明しなさい。

解答 五時間目の途中に工作室を出ていった小島くんが自分の塾のテキストを盗んだのかもしれないということ。

まあ、「小島くん」が「小鳥くん」になっているとか、「塾」が「熟」になっているなんていうのは想定の範囲内で、具体性に欠けるもの、たとえば「テキストがなくなったのは小島くんが原因だ」「テキストがなくなったことに小島くんが関係している」なんていうのも、よくあるパターンでした。

この場面は、

①もともと仲の良かった石川くんと小島くんが何らかの理由で仲違いをした。

(おそらく小島くんが公立中学に進学するのに対して石川くんが中学受験をすることが溝ができた原因となっている)

②小島くんは石川くんをずっと無視していた

③石川くんの塾のテキストが教室内から紛失した

というところだったのですが、

意外だったのは、

「小島くんと仲直りしておけばテキストをとられなかった」

というタイプの、なんといえばいいんでしょう、功利的な答えが多かったことです。

文章に即して考えず「自分ならこう感じる」的な答えにしてしまっているのも国語的にはよくないことですが、しかしそれにしても、もう少し意地はないのか? テキストさえなくならなければいいのか? と思ってしまう私でした。

つづいて小6国語大問[2]

5 線④「客のいるときは私の分の半分はハラスに奪われた」とありますが、このときの筆者の、二つの思いがまじった心情を「~という気持ち。」につながる形でわかりやすく説明しなさい。

解答 ビフテキを半分もとられるのは残念だが、客から受け取らないのはハラスが自分たちをしたっているからだとわかってうれしい(という気持ち。)

さて、ここからは、受験生諸君に語るように書くことにしましょう。

塾生諸君、心して読みたまえよ。

1 相変わらずミスが多いな! 

「ハラス」が「ハリス」になっているといったほんとうにうっかりぼんやりなミスが多い! 中には「セレス」という、もはやいったいだれのことやらさっぱりわからないのもあったぞ。

そういえば先日灘中学の過去問演習をしたときに「レノア姫」を「レイア姫」と書いていた者が複数名いたが、入試直前のこの時期に頭の中がスターウォーズでいいのか? 猛省を促したい。

2 極端な表現・ぴったりこない表現が多い! 

かわいがっている犬にねだられてビフテキをとられている場面ですぜ。「にくむ」とか「腹立たしい」は明らかに言い過ぎだろう。本文中にはっきりと書かれてはいないが、筆者の様子を思いうかべるならせいぜい「苦笑」といったところだ。当然心情表現も「残念」「困った」くらいにしておくべきではないかね。

ふだんぴったりの言葉をさがしてしゃべろうという努力を怠っているから、いざというときに出てこないのだよ。これは意識していれば一か月でも結構上手くなるものだから、今から意識せよ。

3 訊かれたことにちゃんと答えなければならない! 

「二つの思いがまじった心情」を問われているのだ。「心情」「二つ」答えなければ当然ペケだよ。

ところで、こういう表現は心情を答えたと言えるだろうか?

①「なぜ自分のものをとるのだろうかという気持ち」

②「利口な犬だという気持ち」

①も②も文末表現は「気持ち」になっているよね。しかし、これはあまり良い答えではないな。

①は「疑問」をあらわしているから、確かに心情といえなくはない。①を次のようにリライト(書きかえること)すれば、それはよりはっきりする。

①A「なぜ・・・だろうかと不思議に思う気持ち」

しかしだ、この表現自体には、「自分のものばかりとられる」ことに対する気持ち、それをプラスととらえているのかマイナスととらえているのかが書かれてないんだな! もちろんなくてよい場合もある。けれど、今回はそうではなかったね。だいたい「二つの心情・・・」なんて訊かれたら、たいていはプラスの気持ちとマイナスの気持ちでさあ。

②も同じ。「利口なやつだ」というセリフがあったとして、ここにこめられた気持ちはプラスとマイナスの両方ありうるでしょ。そういうことをはっきりさせないと、心情表現としては不十分なのだよ。

以上3点、6年の諸君に申し渡しておきたい。よろしく。

2009年12月12日 (土)

ハチマキについての考察

希学園といえば入試対策、入試対策といえば希学園。12月からいわゆる「入試対策期間」に突入し、6年生対象の授業では必ずハチマキをしめています。

ハチマキで頭をギュッとしめると気持ちが引きしまってなかなかいいのですが、問題は授業後です。

子どもたちの引率をするときにハチマキを外すとこんな 髪型に・・・・・・!

Photo

ま、べつにいいんですけどね。

2009年12月 5日 (土)

①Nの家庭学習用教材

6年生は入試対策第Ⅰ期が始まっています。

①Nコースでも国語の新しい家庭学習用テキストが配付されました。その名も「入試対策第Ⅰ期家庭学習用テキスト」。これまでに配付されたテキストのタイトルに比べるときわめて地味、というか、そのまんまです。

これまでは、「語句砂漠」「語句山脈」といった探検系のネーミングを採用したり、「語句問島(ごくもんとう)の恐怖」「語句空(ごくあく)魔王の長城」といったダジャレ系タイトルに走ったり、まあいろいろ工夫してきたわけですが、年も取ったことですし、さすがに恥ずかしくなってしまいました。

しかし、いざ配ってみると、うーんやはりちょっと物足りない。怪しいタイトルや表紙の謎の写真といった目先のことにだまされ、テキストのぶあつさにも気づかずやいのやいのと騒ぐ子供たちの姿が好きだっただけに……。

入試対策第Ⅱ期はどうしようか、現在検討中です。

さて、今日から何回かに分けて、これまでに家庭学習用テキストの表紙を飾った何枚かの写真を紹介してみたいと思います。

第1回は「入試対策第Ⅰ期①Nコース家庭学習用テキスト」です。

P1030801

氷ノ山(兵庫)に2月に登ったときのもので、向かって左の青いのが私、右のオレンジが算数科の横川先生です。「頂を望む渋いアルピニスト」のつもりでしたが、このわざとらしい感じがたまりません。ちなみにカメラマンは国語科の吉田先生でした。

このあと山頂を目指すはずでしたが、きれいな雪の上でのんびり飲み食いしているうちに時間がなくなってしまい、あっさり撤退して温泉に行った希学園山岳部でした。

2009年12月 1日 (火)

よろしくお願いします

希学園国語科では、ついに、自らの熱い要望にお応えしてブログを開設する運びとなりました。その名も「国語まにあっくす」です。

この書き出しから想像されるように、重要な伝達事項のようなものはここには一切載りません。
進学説明会や教育相談、入試分析会などでお話しするような、真面目な「勉強方法」や「文章の読み方」「記述に強くなる方法」もなし。
基本は雑談です。季節の話や読んだ本の話、映画や音楽、講師の趣味の話もあるかもしれません。
もっと真面目な(勉強に関する)内容がお知りになりたい方は、
1 進学説明会で
2 教育相談で
3 いつでも電話で
お話しいたします。塾外の方はぜひとも入試分析会のようなイベントにお越しください。
また、HPで近日公開予定の「希の国語(仮)」でも詳しい学習方法・希の指導理念などをご覧になれます(そういう予定です)。
ただし、このブログでも、補足的なことや裏技、現場の声(ちょっと気付いたこと)のようなものはこっそり紹介するかもしれません。

更新は不定期に行いますので、ときどきのぞきにきてください。週に一度は必ず更新します(たぶんもっと頻繁に更新できると思いますが、ちょっと控え目に。国語科は控え目な人間が多いので)。

それではよろしくお願いします。

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