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2019年10月の2件の記事

2019年10月20日 (日)

愛される台風

年号も今やいらないという人も多いようです。一つの「くくり」として便利だし、時代のイメージがつくりやすいのですがね。すべて西暦で行くのもなあ。キリスト教に合わせる必然性もないのだから、皇紀で行くのもおもしろそうですが、今更変えるのも変ですし…。神武天皇即位の年が元年ということになっていて、紀元前660年です。仏教伝来の年を「イッチニー、イッチニーとやってきた」と覚えたうちの父親は、今なら552年説で教えられていたわけです。

語呂合わせで「鳴くよウグイス平安京」とか「イチゴパンツ」とか言うのですが、たとえば天正十年と1582年は完全に同じなのでしょうか。当時の日本の暦は太陰暦で、太陽暦とは一ヶ月のズレがあったはずで、安易に当時の年号を西暦にあてはめると、ズレが生じるのではないのでしょうか。明治になって太陽暦に切り替えるときにも、一ヶ月のズレをエイヤッとごまかしました。実は貧乏な明治政府が一ヶ月分の給料をごまかすために太陽暦を積極的に採用したという説もあります。一ヶ月が消えてしまうわけですから混乱はなかったのでしょうか。借金の利息の計算などで、人をだますようなけしからんやつもいたかもしれません。

そのあたりのてんやわんやを題材にした『質屋暦』という志の輔の落語がありました。明治5年12月2日の次の日が 明治6年1月1日になるということが、一ヶ月前に突然発表されます。質屋に借金を返す期限が急に早まってしまい、日数が短くなったのだから返済額を減らすか、返済期間を延ばしてほしいと申し入れるのですが、質屋は聞き入れないというお話。やや理屈っぽいこういう内容の話が東京では受け入れられるんですね。それに比べて上方落語には知的なものが少ないようです。むしろ下品なのも多い。「橋の上からびち○○たれりゃ川のどじょうは玉子とじ」なんて、その極致ですが、こういうのはだれが作ったんでしょうね。狂歌なら宿屋飯盛とか、四方赤良またの名を太田蜀山人という作者名が残っていますが、「世の中に蚊ほどうるさきものはなしぶんぶといふて夜もねられず」などはやはりうまいものです。

狂歌を書いた立て札を辻や河原などに立てる「落首」となると、匿名なので当然作者はわかりません。手取川の戦いのときの「上杉に逢うては織田も名取川はねる謙信逃ぐるとぶ長」とか、四国征伐のときの「秀吉が四石の米を買いかねて今日も五斗買い明日も五斗買い」はややマイナー? 「泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず」は教科書にも載っているレベルです。こういう伝統はマスコミやネットの世界にも引き継がれているようですが、短いことばであることが多いようです。「モリカケ」なんてのはうまくはありませんが、言いやすいことは確かで、定着してしまいました。

「もりそば」は「盛り蕎麦」ですが、正確には「ざる盛り蕎麦」だとか。ということは「ざるそば」「もりそば」は同じものかと思いきや、海苔がかかっているのがざるそばで、海苔がないのがもりそばだと断言する人もいます。いやいや、もともとせいろに入れた「そば切り」をつけ汁で食べていたのが、せっかちな江戸っ子がつゆをそばに直接かけて「ぶっかけそば」として食べるようになったため、区別してそれまでのものを「もりそば」と呼んだのだが、ある店が竹ざるに盛ったそばを出したのが人気になって「ざるそば」が生まれた、と言う人もいます。「かけそば」は「ぶっかけそば」を略したもので、そばの代わりにうどんを使うと「かけうどん」になります。関西では「素うどん」と言いますね。「酢うどん」だと思っている東京人もいるそうですが、何もはいっていないうどんということです。ただ、ネギはさすがにはいっています。これは具材ではなく、薬味という扱いなのでしょうね。「木の葉丼」という、得体のしれないものもありますが、これは何がはいっているのでしょう。「丼」は「どんぶり」と読むのか「どん」と読むのかという問題もあります。「天ぷら丼」のときは「どんぶり」でしょう。これがつまって「天丼」となったら「どん」、「玉子丼」がつまると「ぎょくどん」になりますが、さすがに中身がしょぼくて人気がない。「親子丼」は略しようがありません。これは「どんぶり」と読むのか「どん」と読むのか。カツ丼は「どん」だけですね。どんだけー。

「丼」と「麺」が共通してつくのは「叉焼」ですが、「丼」と「そば」「うどん」が共通してつくのは「天ぷら」と「山かけ」でしょうか。「飯」と「麺」なら「天津」です。「天津丼」と言うこともあるようです。芙蓉蟹つまり「かに玉」をのせているので、「かに玉丼」と呼ぶ店もあります。では、「天津」というのはどこから来ているのでしょう。天津飯というのは、日本独特のものらしく、中国にはないそうで、どうも由来はよくわからない。「天津甘栗」というのもありますが、これも日本での呼び方で中国ではちがう名前だとか。「天津」経由で日本にはいってきたのでしょうね。これはむくのは簡単ですが、つめが汚れるという難点があります。「むかない甘栗」ということで、前もってむいてくれているものもありますが、「むかないみかん」で「むかん」というのもあります。外の皮をむいた冷凍みかんです。かんづめのみかんの内皮は塩酸でとかしているのだそうな。

「缶」を英語で言うと「can」です。どちらが先なのでしょうか。「台風」と「タイフーン」の関係もどうなっているのでしょう。東南アジアのものなので英語ではもともと言わなかったのかもしれません。英米では「ハリケーン」ですかね。「サイクロン」はインドあたりでしょうか。台風は昔は数字だけでなく、特別大きいものには「伊勢湾台風」「室戸台風」とか名づけていましたが、これだと同じような名前が何度も出てきて、結局数字を使って「第二室戸」のようになってしまいます。ABC順に名前をつけたものでは「ジェーン台風」が有名ですが、災害をもたらすものの名前を女性名に限定するのはいかがなものかという「クレーム」が出て、今は少しシステムが変わったようですが、あまり知られていません。日本語も採用されていて、「Usagi」とか「Koinu」とかあるらしいのですが、ベトナム語やカンボジアなど、なじみのないことばであることにも抵抗があって、結局みんな関心を持たないのでしょう。無味乾燥な数字よりも「愛称」のほうがよいのかもしれませんが、台風を愛称で呼ぶのもなんだかなあ。

2019年10月 6日 (日)

なめとこ山の熊   と告知

ごぶさたしてますー。長いあいださぼってた西川ですー。山下trが書いてくれるからいいやと怠けてました。最後に書いたのは、もうおぼえてないぐらい昔です。今さらですが、少しだけ書いてもよろしいでせうか。

このあいだ小2灘クラブ特訓で宮澤賢治の『なめとこ山の熊』を読みました。宮澤賢治は、同じ小2灘クラブ特訓でふた月前にも『やまなし』をやったし、小2最レでも『月夜のけだもの』と『よだかの星』をやったばかりですが、どれもこれもすごくいい。

『なめとこ山の熊』の中に、「狐けん」というのが出てきます。この「けん」は「じゃんけん」の「けん」で、狐は猟師にやられ、猟師は町の商人にやられ(買いたたかれ)、町の商人は(そう書かれていたわけではないけれどたぶん)狐に化かされるという関係を表しているらしい。『なめとこ山』の主人公である猟師の小十郎は熊捕りの名人だけれど、町の旦那には毛皮や熊の胆をひどく買いたたかれる、町の旦那は山の中になんか行かないから熊に襲われないけど、まあ狐けんと同じだ、というふうに出てきます。

この構造は『よだかの星』に似ています。よだかはたかにいじめられてつらい思いをするんだけれど、その自分もまた虫を食べて生きていることに思いあたり、こういうまあ言ってみれば弱肉強食の世界に絶望して、最後は星になってしまいます。『なめとこ山』の小十郎もそっくりです。撃とうとした熊に、何がほしくて俺を殺すのかと訊かれて、毛皮と胆がいるんだけど、あらためてそうやってお前に訊かれると、もう熊を撃つのなんかやめて、それで食っていけなくなって死んでもいいような気がすると答えます。(わずかなサジェスチョンで『なめとこ山』が『よだかの星』に似ていることに気づいた子がいました、ブラボー!)

実際のところ、『よだかの星』のよだかとたかと虫の関係はじゃんけん的関係ではありません。じゃんけん構造になるためには、たかが虫にやられるという部分が必要なはずですが、それは出てきません。それでかどうかはわかりませんが、『なめとこ山』でも、じゃんけんらしくなるために必要な、町の商人が狐に化かされる或いはクマに襲われるという部分は省かれています。そのため、『よだかの星』との類似がより明らかになっています。

宮澤賢治には、こういう厭世的な、ペシミスティックなところがありますね。小6ベーシックのテキストで妹のトシさんの死を題材にした「無声慟哭」という詩を取り上げているんですが、これもかなり悲痛です。やはり何かのテキストに取り上げた「眼にて云う」という詩は、血を吐き続けて口も利けない状態で仰向けに横たわっている「魂魄なかば体をはなれた」語り手が、手当てをしてくれている医者に、あなたのほうから見たら(血まみれの)惨憺たる景色だろうけれどわたしから見えるのは美しい青空なんだ、という意味のことを「眼にて云う」わけですが、これはほとんど、あの世への憧憬のように読めますよね。

一方で、宮澤賢治の物語は会話がすごくおもしろい。『なめとこ山』の母グマと子グマの会話ものほほんとしていて良いし(そういえば何年か前に我が家に棲息していた高校一年生の女子と八ヶ岳でそっくりの会話をしました、「あれ、あの白いの雪やんな」「え? ちゃうで、この季節あんなところに雪あれへん」「うそ、雪やん、白いもん」「雪ちゃうって」「ほな何やねん?」「ただの白い土やろ、なんか『なめとこ山の熊』みたいやな」「何それ?」みたいな)、『やまなし』に出でくるカニの親子の会話もしみじみおかしい。兄弟の子ガニが話をしていると、こらこら早く寝ないと明日イサドへ連れて行かんぞとかなんとか言いながら父ガニが登場しますが、この父親、そんなふうに子どもをたしなめたわりには、やまなしがトボンと落ちてくると、ああいいにおいだな、何日かするとこれがうまい酒になるんだ、ついていこう、なんて言いながらやまなしをふらふら追いかけていくんです。『セロ弾きのゴーシュ』では、ゴーシュが必死でチェロの練習をしていると猫がやってきて、はい、これおみや(おみやげ)です、なんて言ってトマトを差し出すんですが、ゴーシュは、あ、それ、うちの庭のトマトじゃないか、しかも青いやつもいで来やがってとカンカンになります。こうなると、ほとんどコントですよね。きわめつけは『月夜のけだもの』です。ちょっと紹介しづらいので割愛しますが、獅子と狐と狸の会話は、かつて流行った不条理4コマ(吉田戦車とかの)みたいなおもしろさです。

『なめとこ山』は、熊が輪になって、亡くなった小十郎を見送る静かな場面で終わるのですが、アイヌの儀式にこんなのなかったっけと思って調べてみたら、やはりありました。イオマンテです。これは、人間が殺した熊の魂を神さまのもとに送り返す儀式なんですが、宮澤賢治は熊と人間を入れかえたんですね。とても印象的なシーンですよ。

ところで!

クマといえば登山ですよね。ずっと前にこちらのブログに書いたとおり、北海道で山登りしていてヒグマと接近遭遇したっていうぐらい、とにかくクマと縁があります。

さて!

この4月、残雪の燧ヶ岳に登ってまいりました。え、燧ヶ岳を知らない? そりゃ知らないでせう。登山に興味がある人以外はあまり知らないと思います。尾瀬にある山なんです。尾瀬はご存知ですよね? いやいやご存知じゃなくても全然いいんですが、「夏が来れば思い出す、はるかな尾瀬」とかなんとか歌われた、あの「尾瀬」です。群馬にあります。ちがったっけ? ま、なんせ尾瀬は、尾瀬沼と尾瀬ヶ原の二段階構成になっておりますが、まだどちらも雪で真っ白けでした。尾瀬沼もほぼ氷結してしていて、さくさくと歩いて渡れますし、尾瀬ヶ原も木道はほぼすべて隠れていて、ただの雪原でした。こちらもどまんなかを縦断させていただきました。

そんな状況なので観光客もまだ全然おらず、したがって山小屋もまだ営業を始めておらず、したがって僕はテントを担いで行くことを余儀なくされました。氷結した尾瀬沼のほとりで一泊して、翌日燧ヶ岳に登ったんですが、これが予想外に大変で。とにかく体が雪に沈むんです。ワカンという、足が雪に沈むのを防ぐための履き物があるんですが、そして私も持っているんですが(Y田M平先生にもらった)、Y田先生が「ワカン? いらん」とかなんとかアドバイスしてくれたので持って行かなかったんです。そしたらもう沈む沈む。テント担いで一足ごとに膝下まで雪に沈むとなかなかしんどい。なんていうか、すっごくイライラします。そして泣けてきます。膝下までならまだいいんですが、股下とか腰上まで沈むと脱出するのも一苦労です。経験したことのない人にはわかりにくいんですが、出せないんですよ、足。でかい登山靴にアイゼンつけてますので、出ない。どんなに引っ張っても出ない。どうするのか。ピッケルで掘り出すんです、足を。そんなことをしょっちゅうやっていたために、とうとう目的地(尾瀬ヶ原のテント場)に着く前に日暮れが近くなってしまいました。で、結局、山の中にテントを張りました。許してください、積雪の上なので自然破壊はしてません。それより、付近にどう考えてもクマのものとしか思えない足跡がたくさんあったのが閉口でした。クマは好きだけど会いたくないです。でも、楽しかったな。だれもいない山の中でテント張って。お湯を沸かしてあったかいお酒飲んで。いちばん幸せな瞬間です。

本も読みました。テントのなかで。本は必ず持って行きます。今回は、鈴木牧之の『北越雪譜』。江戸時代の越後の豊かな商人?豪農?である鈴木牧之が、雪国のことを知らない江戸の人に向けて、雪国暮らしの実情を紹介した本です。古文といっても江戸時代のものなので読みやすいし、風土的にも残雪期の山で読むにはぴったりです。というわけで、最後に、私が驚嘆した話を紹介して終わりにしましょう。

大晦日の晩、鈴木牧之が知り合いの家で歓談していると、突然、往来に面した窓から、だだっと人が飛び込んできます。雪国のこととて、雪かきした雪を往来の真ん中に盛り上げていて、そのうえを歩くようになっているんですが、件の人は、按摩とりの座頭、すなわちいわゆる盲人で、足をすべらせてしまう。で、窓を破って部屋の中に転落してしまうんです。もう、家のおかみさんはカンカンです。こんな日に、しかも今年の吉方(えほう)に向いた窓から落ちてくるなんて。とっとと帰れ、と。すると、この福一という按摩とり、しばらく思案していたかと思うと、

吉方から福一というこめくらが入りてしりもちつくはめでたし

という歌をよむんです。もちろん、こめくら=小盲=米倉、しりもちつく→餅をつく、ですし、そもそも福一という名前もめでたい。この頭の回転の速さ。福一はその後江戸に出て、出世したとのことです。

ではまた~。

いやいや「ではまた~」ではありませんでした。私が久々に記事を書いたのは、福一の話がしたかったからではなく、告知したかったからでした。

11月の終わりから12月のはじめにかけて、国語の教育講演会があります。ひさしぶりです。タイトルは、他に思いつかなければ数年前と同じ『国語の学び方・教え方』になるでしょう。内容はたぶん結構リニューアルします。よろしければお誘い合わせのうえ、おこしください。会場は、西宮北口のプレラホール、上本町の高津なんとか、そして四条烏丸教室です。そのうちHPなどでも告知されるはずです、希学園の関係部署の方に私が嫌われていなければ! 自信なし!

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