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2019年11月の3件の記事

2019年11月24日 (日)

「これは犯罪以上だ、失策だ」

忘れないように、はじめに告知しておきます!

「国語の教え方学び方」というタイトル(確か)で、教育講演会を実施いたします。上本町と四条と西北の3会場だそうです! 西北と四条は定員をオーバーしちゃったようですが、上本町のたかつガーデン(つい「たか〇ガーデン」と言いそうになるのは「たか〇クリニック」のせいですね)はまだ少し残っているようですので、ぜひぜひお越しください。たくさん来てくださるとうれしいです。授業は、保護者の見学があるととても緊張するのですが(毎週土曜日西北で小2最レをやってますし、毎月小1~小3の灘クラブ特訓もやってますが、見学の方が多くていつも結構緊張しています)、正直、はっきり言って、教育講演会はあまり緊張しません。やっぱり子ども相手に授業しつつ、保護者の方にも意識を向けているというのはものすごく神経を使うのです。どちらか一方だけなら、頭の使い方がずいぶん楽です。

告知は終了です。このあとはいつもの与太話ですので、よほど暇な方以外はお読みになると立腹されるかもしれません。悪しからずご了承ください。

教育講演会前に「禊ぎ」といいますか、心身ともに清められようと思い、大台ヶ原に行ってきました。大台ヶ原は有名な観光地ですから、車やバスで上の方まで行けますが、そんなことはしません(ずっと昔にはしました)。大杉谷という峡谷の方から入り、苦労して登りました。そのときの記録です。

*****

6時過ぎ 駅前のコンビニでおにぎりを三つ買い、大阪行きの電車に乗る。炭水化物の塊を三つも買うなんてこんなときでなければできない。登山という良い趣味を持ったセンスの良さに感謝。

6時半過ぎ 環状線に乗る。

7時前 鶴橋駅に到着。JRから近鉄への改札の通り抜け方が謎。他の人のじゃまにならないよう、急ぐ人が通り過ぎたあとで親切そうな駅員さんに訊ねる。前の日に近鉄特急の券を買っておいたから焦らずに行動できたのだと思い、自分の深謀遠慮に感謝。予定より早く着き余裕があったので、駅そばを食べる。いつも思うのだが、月見うどん(あるいはそば)を食べると、生卵が食べにくくて困る。ところが、この駅そば屋には、「かきたまうどん(そば)」なるものがあった。これは良いと思って注文したが、かきたまも特に食べやすくはなかった。卵は栄養価が高いから残らず食べ尽くしたいのだが、生卵だろうがかきたまだろうが結局はひろがってしまい、残らず食べ尽くすためには汁まで飲み干すしかなくなるのだ。

7:11 近鉄特急賢島行きに乗車。窓辺に頬杖をつき、物思いにふける。「どうしたものか・・・」 実は鶴橋駅でトイレに行ったときに、パンツの前後ろを逆に穿いていたことが発覚。ナポレオン麾下で警察大臣を務めたジョゼフ=フーシェの言葉を思い出す。「それは犯罪以上だ、それは失策だ。」 ほんとうは車内でおにぎりをゆっくり味わおうと思っていたのに、かきたまそばを食べたせいで腹が減らないし、パンツの前後ろが反対なのも気になって食べられなかった。まさに千慮の一失だ。が、ついに榊原温泉口の辺りで解決策を見出す。トイレに行って穿き直せば良いのだ。自分の明敏な頭脳に感謝する。しかしさっきかきたまそばを汁まで飲み干したせいで喉が渇く。不覚だった。

8:41 松阪駅着。牛肉食べたい。が、そんな暇はない。

9:16 JR特急南紀一号に乗車。電車を待つあいだのホームがとても寒かった。

9:47 三瀬谷駅到着。どこだここは、どえりゃあ田舎だがね。と思いつつ駅の外に。バス停を発見してひなたぼっこしながら一日に数本の町営バスを待つ。地元民らしいおばあさんが現れる。いわゆる第一村人か(村ではなく町だが)。しばらく談話。自分が通った中学は自分の孫の代が最後、自分たちのときは1学年120人いたのに、とさびしそうに語る。都市と地方の落差を感じる。地方の活力が失われるのはさびしいが、かく言う僕自身都会でなければ生きていけないのは確か。父親は若い頃四国の辺鄙な漁村の漁師だったが、僕は地方で働くためのそうしたスキルを持ち合わせていない。かつて林業に転職できないかと夢想してネットで調べたことがあるが、林業の良いところ=雨が降ったら休めるところ、悪いところ=ちょっと気を抜くと命にかかわるところ、と書いてあるのを読んで諦めた。おばあさんはまた、昨今の高齢者の事故の増加(というより事故の増加の報道の増加?)を受けて免許を返納したとの由。「若い人が心配するから」とさびしそう。こんな田舎で、足腰のよわいお年寄りにとってはほんとうに不便だと思う。

10:20 バス到着。田舎のバスだから乗客はわずかだと思っていたら、ほぼ満員。「わたしは60代やからいちばん若いわ」など謎の会話。予定ではこのバスの中で眠って睡眠不足を解消し快適な山登りをする予定だったがまったく眠れず。荷物を軽くするため無理しておにぎりを三つとも食べ、気持ちが悪くなる。

11:30 大杉(というところ)に到着。さあ、いよいよ登山、というわけにはいかぬ。登山口までここから約2時間かかる。もちろんそんなことは先刻承知である。だからあえて登山靴(イタリアのフィットウェルというメーカーの超おしゃれなやつ)をザックに入れ、ふつうのスニーカーを履いてきたのだ。そう、登山地図のコースタイムどおりだと山小屋に着くのが日没の1時間以上あとになってしまうので、「登山口まで走る」という目からうろこのアイデアを考えてきたのだ。

12:50 登山口。思ったより時間を食ってしまった。フィットウェルのお洒落な登山靴に履き替えて猛然と出発する。

14:00頃 まさに名渓・名瀑の連続。巨大な真っ白の岩とエメラルド・グリーンの水のコントラストが美しい。もしかしたら黒部より美しいかもしれない。

14:30頃 左膝が痛くなる。舗装された道を、底のちびた、へたったスニーカーで1時間以上走ったせいだ。荷物が軽いのでどうってことないだろうと高を括ってストックを持って来なかったことも悔やまれる。いろいろ歩き方を工夫してみるが変化なし。

15:00頃 痛み増す。登りは右足から、下りは左足からを徹底する。とにかくできるだけ膝を曲げないようにするしかない。ほとんど誰とも会わないので「痛いよ痛いよ~」と声に出して弱音を吐きながら歩く。だんだん歌っぽくなってくる。「痛い痛いよ足痛い♪、とっても痛いよ左膝♪♪」 人がいないとどんな恥ずかしいことでもできる。

16:00 桃の木山の家という山小屋に到着。もしかして泊まりは俺ひとりなのではという予想はまったく外れ、二十人近く宿泊者がいた。この山小屋は檜風呂があると聞いて楽しみにしてきたのだが、おじさんたちがうじゃうじゃいて風呂を楽しみにしているのに嫌気がさして(僕も十分おじさんなのだが)、風呂に入るのはやめる。ふつう山小屋には風呂なんてものはなく、山に入ったら基本的に下山するまでは着の身着のままなんだからまったく平気さ、とひとりごちながら、ビールを飲む。

17:30 夕食。トンカツと海老フライ。美味しい。

19:30 就寝。何十人も雑魚寝できる大部屋。山小屋ではいつもオヤジのいびきに苦しめられるので耳栓持参。自分の先見の明に感謝。

??:?? あまりの寒さに目覚める。ガタガタする。寸法の小さい掛け布団をすきまなく体に巻き付けるようにしてかぶり寒さをしのぐ。

5:30 目覚める。でも起床したくない。みんな起きて、準備をしたり朝ご飯を食べに行ったりしている。でも起床したくない。しばらく布団の中で逡巡したが、他の人々と同じ時刻に出発するのがいやなので、やむなく起床。

6:15 日出ガ岳向けて出発。ますます名渓・名瀑の連続。しかしすぐに左膝が痛くなる。

7:05 コースタイム25分のところに50分かかったことが発覚。これはかなりまずい。3時半までに大台ヶ原バス停に着かないと、今日中に大台ヶ原を脱出することができない。しかしできればもっと早く着いて、カレーライスを食べてビールを飲みたい。

8:00頃 後ろからオヤジが追ってくる。抜かれたくないが膝が痛くてスピードが上がらない。焦っていたら、とんでもない崩壊地のあたりで、直後にまで迫っていたオヤジが歩みを止める。おそらく日出ガ岳に登頂するつもりはなく、峡谷だけ楽しんで下山すると見た。さらばオヤジ。俺はひとり行くぜ。

12:00頃 膝の痛み耐えがたくなり、ついに良いアイデアが思いうかぶ。手頃な枯木を見つけて杖に。ずいぶん楽になる。もっと早く思いついていれば。杖をつきながら歩いていると、ずいぶん昔の映画だが、草刈正雄がオリビア=ハッセー(『ロミオとジュリエット』で一躍大スターになり、なぜか布施明と結婚して後にやはり離婚)と共演して話題になった『復活の日』を思い出す。しばらく、布施明について思いを馳っせ-、「シクラメンのかほり」を歌う。「真綿色したシクラメンほど♪」のところで、「真綿で首を絞める」という慣用句に思いを馳せる。歌詞がわからなくなると、旧かなづかいについて思いを馳せる。

14:00 何とか大台ヶ原駐車場に到着。Y田M平隊長にメールし、味の薄いスパイシーチキンカレーを食べビールを飲む。しあわせ。

2019年11月15日 (金)

きんさんぎんさんどうさん

ゲームの「FFX2」というのは「FFX」の次のもので、この場合の「X」はローマ数字の10です。ということは、「イレブン」のはずだったのに、「X」の続編ということで、あえて「テンツー」にしたらしい。こうなると、無味乾燥な数字にも意味がこめられてきます。でも、国王の名前の「○○何世」というのはやはりイメージがわかない。「ルイ14世」と「ルイ16世」はどうちがうのかと問われても、いまいちピンときません。イギリス国王では「リチャード」「エドワード」「ジョージ」は何世もいるのに「ジョン」だけは一代限りですね。困った王様だったので、その名前を継ぎたくなかったのでしょう。後醍醐天皇は、醍醐天皇にあこがれていて、本来死んでからのおくり名を生きているうちに決めていたくらいですが、日本では「後ナントカ」ぐらいで、何世というのはありません。

有名人やすぐれた人にあやかりたいということで親が子供に命名することがあります。坂本竜馬ファンが「竜馬」と名付けることはよくあります。名前負けとかイメージが強すぎるとかのデメリットがありますが、やはり言霊思想でしょうか。ただ「秀吉」「信長」はインパクトが強いだけでなく、やや古くさい感じなので少ないようです。「家康」もほぼゼロかもしれません。「光秀」は字義としてはよいのですが、イメージ的によくないので避けられるのでしょう。昔は「仁」の字を使うと不敬罪と言われたので、この字も避けられました。

名前に使えない漢字というのは常用漢字・人名用漢字以外のものです。県名の漢字も常用漢字にはいっていないものがあったのですが、「潟」などは改訂ではいりました。「大阪」の「阪」も「坂」と同意だし、「埼玉」の「埼」も「崎」と同意ですが、定着しているので、今さら変えられません。「さいたま市」がかな書きなのはどうかなあと思いますが。県名と県庁所在地の市の名前の不一致についても昔よく言われていました。東北地方に多い理由は明治政府のいやがらせだった、という説です。長い時間がたつと、市町村の合併もあって名前が変わることもあります。「都構想」が実現すると、大阪の地名も変わります。都道府県が合併したり分割したりすることはもうないのでしょうか。地方自治法にはその手続きなどが書かれているらしいので、あっても不思議はないのですが。

井上ひさしの『吉里吉里国』では独立という、とんでもない話になっていましたが、都市レベルの大きさでもシンガポールのように独立した国として認められているところもあります。大阪市が都構想どころか「大阪国」になることも理論上ありえるでしょう。そうなると出入国にはパスポートが必要になってきます。志望校別特訓で学園前教室の生徒が谷九に来る、なんてときにはパスポートがなければ入国を拒否されます。大阪国と兵庫県の人が結婚すれば国際結婚です。でもよく考えたら、阪急電車に乗ったら簡単に密入国できてしまうなあ。ちなみに大阪国の国歌は吉本のテーマソングになるはずです。

これに近い発想として万城目学の『プリンセス・トヨトミ』がありました。映画は綾瀬はるかを見せるためのものになっていましたが…。『本能寺ホテル』も万城目学とトラブルがあったらしく、そのせいかトホホな映画になってしまいました。まあ、安易なタイムスリップもので、見飽きた感満載ですが。NHK大河ドラマの『西郷どん』もトホホでした。慶喜が品川あたりで西郷とうろうろするのも、いかがなものか。途中で脱落してしまいました。ドラマなのでフィクションの部分があって当然ですが、「安易さ」が目立つと『お江』と同じになってしまいます。『お江』は初回で脱落しました。歴史ドラマでフィクションの人物が重要な役割を演じるのは悪くないし、ドラマだから許されるということもあるのですが…。

逆に山田風太郎の明治物などは全体としてのフィクションの中に、実在の人物を巧妙に配していて非常におもしろかった。漱石と一葉の幼い頃の邂逅のシーンは、実際にあったとしても何の不思議もありません。もちろん「弁慶が小野小町に出したラブレター」となったら、これは落語です。志ん生の『火焔太鼓』のくすぐりですね。三谷幸喜の『新撰組』では、龍馬と土方が若いときに知り合いだったという設定になっていました。これもまあないことでしょうが、同じ頃に江戸にいてともに剣術の修行をしていたのなら、すれちがいぐらいあってもおかしくはありません。

思いがけない人物が知り合いだったり、親戚だったりすることがわかるのはおもしろいものです。浮世絵の祖として最近評価の高い岩佐又兵衛は荒木村重の息子ですし、同じく絵師の海北友松も近江の浅井家の三将の一人海北綱親の息子です。貞門俳諧の指導者松永貞徳は父親が松永久秀の甥とか子だという説もあります。やはり画家の酒井抱一は、老中や大老にも任じられる酒井雅楽頭家の出身ですし、歌人の木下長嘯子は、秀吉の正室北政所の甥にあたります。この木下一族の中からは「街をゆき子供のそばを通るとき蜜柑の香せり冬がまた来る」や「牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ」で有名な木下利玄も出ています。山中鹿之助の子供と言われる新六が鴻池家の祖であることはどれくらい知られているのかなあ。新六は、もともと伊丹で酒づくりをしていたのですが、新六に叱られた手代が腹いせに灰を投げ込んだことから清酒が生まれたという伝説が残っています。安倍首相が岸信介の孫であるということは、当然佐藤栄作は大叔父さんで、これはだれでも知っているでしょう。麻生太郎も吉田茂の孫として有名ですが、吉田茂の奥さんは牧野伸顕の娘なので麻生さんは大久保利通の玄孫にあたります。

先祖が歴史上の人物だったら、なんとなくうれしくなりますが、歴史上の人物のように見えて実在したかどうかわからない人もいます。弁慶でさえフィクションだと言われます。逆に金太郎は実在の人物です。その子の「金平」は架空の人物です。「きんぴらごぼう」の語源にもなっているのですがね。斎藤道三にふたごの姉がいたという説もあります。「どうさん」の姉だけに「きんさんぎんさん」、なんちゃって…という小咄を昔考えたのですが、もう通じなくなっているのだろうなあ。百歳を過ぎても元気だった双子姉妹はどうなったのでしょうね。まだ生きてて、年上の男の人が好みだなんて言っているのかしら。

2019年11月 7日 (木)

もりそばとざるそば   と告知

山下trがざるそばともりそばのちがいは?という話を書いてはりましたが、それで昔のことを思い出しました。

かつて仙台に7年半ほど住んでいたのですが(7年半というのが微妙ですね何があったんでしょー)、そのとき、「仙台市内もりそば食べ歩きツアー」に参加したことがあります。主催したのは、現在、某国立大学の経済学教授で学部長もつとめていらっしゃる(らしい)方で、当時は大学院生でした。「ツアー」とか「主催」とかいうとたいしたことのようですが、まったくたいしたことのない企画で、つまりはただのサークル活動です。

私が通っていた大学iに、文化ゼミナールという高尚なのか低俗なのかわからない名前の自主ゼミといいますか読書サークルみたいなのがあって、そこでマルクスの『資本論』を読んでたんです。『資本論』なんて言っても今じゃ「へーほーふーん」ですが、当時はちょっと「え、左翼? やばいの?」みたいな雰囲気がなきにしもあらずでした。実際のところは、ノンポリ学生の集まりで、なんていったらいいんでしょう、オタクというのではないんですが、地味に、地道に、淡々と、きちんと『資本論』を理解しようとしてがんばっていました。『資本論』は、たぶん知らない人が多いと思いますが、3巻本で、マルクスがきちんと目を通した形で出版されたのは1巻のみ、2巻と3巻はマルクスの草稿にエンゲルスがちゃちゃっと手を入れて出版したものなので(たぶん)、文ゼミでは、1巻だけを読みました。1年かけて1巻だけ読むんです。といっても、国民文庫だと、1巻だけで文庫本3冊です。これを、毎回平均して20~30ページずつですかね、それぞれ予習してきて、担当者がレジメをきってきて、担当者の進行のもと、みんなであーでもないこーでもないと議論するわけです。

結局僕は3年間参加しましたが(つまり、『資本論』の1巻だけ3回読んだことになります)、メンバーは多いときで6人、少ないときで2人でした。

2人のときというのが文ゼミ存続の危機で、現在某大学の法学部准教授をつとめていらっしゃる(らしい)方と、ほそぼそやってました。当時この人は理学部だったはずですが、今じゃ法学部の准教授というのがすごいですね。「頭が良くてしかも変な人」ということではないかと思われます。

法学部といえば、逆に、国立大学の法学部を出て、べつの国立大学の哲学科の院に進み、今、某大学の哲学教授をしているやつもいます。こいつは、高校のときの同級生で友だちなんで「やつ」とか「こいつ」とか呼んでいいんですが、これも変なやつです。何が変といって、シャツをインするんです。いや、10年以上会っていないので最近は知りませんが、Tシャツのすそをジーパン(ジーパンでいいんでしょうか、今はやはりデニムのパンツとか言わないといけないんでしょうか)にインするんです。いやまあ本人の勝手ですけど。この人はテニスが好きで、今でも土曜日になるとFくんという僕と共通の知り合いとテニスをしているようです。このFくんも高校のときの同級生で、かつ大学の先生です。何の先生だったかな、数年前に会ったとき家族療法がどうとか言ってたような。よくわかりません。いずれにせよなんだか知り合いに大学の先生が多いですね。そういえば、つい先日30年ぷりくらいに会ってごはん食べた友人も大学の先生です。オランダに留学したあと消息不明になっていましたが、数年前に希学園のHPで私を見かけてメールを送ってきてくれたんです。「オランダでベルギー人と結婚して娘が二人いるがオランダはレイシスト(人種差別主義者)が多くてやってられんのでわしは日本に帰る、仕事ないか」とかなんとかいう話でした。その後めでたく日本の某大学に職を得ることができたということで、天満の中華料理屋で旧交をあたためました。「そういえばお前、夜中に、耳なし芳一みたく顔中お経だらけにして訊ねてきたことがあったよなあ」「酔っぱらってうとうとしているあいだに寮の連中に般若心経を書かれたんじゃ」なんて話で盛り上がりましたが、この人こそ極めつきの変人で、とてもここには書けない逸話が山盛りです。おもしろすぎるので人にしゃべりたくてたまらないのですが、良識ある社会人として、ここに書くことはできません。無念です。どうしても聞きたい方がいらっしゃったらこっそり私に話しかけてください。とはいえ塾生諸君には教えられませんが。で、この人が僕に彼の出版した本をくれました。『道元「正法眼蔵」現成公案略解』というのです。「お前、インド学専攻だろうが」「いやいや実はわしはだいぶ前に出家をしておってな」と言ってました。難しそうなので読んでいません。シャツをインする彼も出版した本を送ってくれるのですが、難しそうなので読んでいません。この人は大陸系の西洋哲学を研究しているんですが、僕はどちらかというと英米系の哲学に興味があるということもありその点ウマが合わないのでした。

いまやほとんど何の話をしようとしていたのか見失いつつあります。「そば」でしたね。

そうそう、文ゼミの先輩であったY氏(上述の経済学部教授、この人も変わってました、文ゼミの部室の黒板に『少年老い易く老人死に易し』という謎の格言を書いていましたが、今や彼自身が老境に入りつつあります)が、そば好きだったんです。群馬出身でしたからね。で、特別企画として、仙台市内のそば屋を転々とはしごしながら、『資本論』の勉強会をやろうと。「もりそばならおごってやるぜ!」と豪儀なところを見せてくれたんですね。ところが、そば屋のメニューに「もりそば」ってあまりないんです。でも、その先輩いわく「もりそばを出さない蕎麦屋などない!」。確かに、メニューに書いてなくても「もりそば」とたのむと、だまって出てきます。そしてざるそばより安い。海苔はかかってないし、ざるのうえにものっていませんが、そんなの全然OKですよね。しかしそのころから「ざるそば」と「もりそば」のちがいって何なのか、疑問に思っていました。ネットで検索するといろいろ出てきますが、統一基準がどうもないみたいで、いまだによくわかりません。単価を上げるためにざるに盛り海苔をふりかけて高級感を演出しただけではないかとひそかに睨んでいるのですが、私の勘はよく外れると評判なのであてにはなりません。

さて、告知です。

11月27日(水) 上本町のたかつガーデン
12月3日(火)  四条烏丸教室
12月12日(木) 西宮のプレラにしのみやのプレラホール

で、国語の教育講演会を開催いたします。私ひとりに1時間半もしゃべらせてくれるそうです。燃えるなあ。このHPのイベント情報のところに載っています。塾生保護者様もそうでない方もぜひぜひお誘い合わせのうえお越しください。がんばってパワーポイント作ります。よろしくお願いいたします。

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