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2020年5月の9件の記事

2020年5月22日 (金)

場外乱闘④

ついに完結! 

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「初夏の旅なつかしく ④」

山口市をあとにしたのですが、折角なのでどうしても立ち寄りたいところがありました。JR山口駅の隣駅、帰路とは反対側です。今や無人駅ですが、その名も矢原駅。読み方は「やばらえき」ですが、そこは漢字表記なので大丈夫。券売機で入場券を購入。ちゃんと矢原と書いてあります。駅名標の前で記念撮影してミッション完了。


いよいよ最後の目的地、山口県の東の端、岩国市を目指します。広島市が県の西の方にあるので広島観光のついでに訪れる方も多いそうです。

「錦帯橋」
城山を映す川には五連のアーチ
岩国のシンボル たくみの技よ
白鷺舞い降り 釣りする人いて
豊かな川には 人と自然と

岩国といえば錦帯橋です。長崎の眼鏡橋・東京の日本橋とで日本三名橋だそうですが、錦川にかかるその姿はスケールの点でも美しさの点でも群を抜いています。川の向こうの小山の上に岩国城が見えます。芸術的な反りを見せる五連のアーチは匠の技なる工芸品。向こう岸まで往復してから川原に下りると、これまた最高の眺めです。傾きかけた陽にきらめく川面。澄んだ水が豊かで鮎釣りだろうか釣り人がいます。どこかから白鷺が飛んできて舞い降りました。度重なる洪水に苦しんだ江戸時代、流されない橋を願って造られた錦帯橋。今は観光地ですが元々は暮らしと自然の中に生まれた橋なのです。


「希代の剣豪」
錦川にて ツバメを斬りて
長刀の腕を磨きし 小次郎
創作にしても さもありなん
見渡す川原に 栄達夢見て

橋の向こう岸の柳の木のそばに立て札がありました。「巌流ゆかりの柳」と書いてあります。吉川英治は小説「宮本武蔵」のなかで佐々木小次郎を岩国生まれとし、錦帯橋のたもとで柳とつばめ相手に長刀を振って険の技を磨き、つばめ返しの技を編み出したと記しました。錦帯橋の建造は巌流島の決闘より数十年もあとなので、それらは吉川英治の創作です。でも名作の味わいは色あせません。巌流島は関門海峡にあります。前日の朝、下関で武蔵と小次郎の対決をかたどった銅像を見かけました。図らずも旅の始まりと終わりが見事に重なりました。


往路と同じく高速道路をビュンと帰ります。家についてひと風呂浴びたら、あちこちの土産物屋で買った魚の練り物やらご飯物やらで晩ご飯。車で巡る旅のラストは外食よりもこのスタイルが気に入っています。さてさてメインは例のサザエ。刺身と壺焼きでいただきます。お店の大将の言葉通り、夜でもまだ生きていました。刺身は新鮮、壺焼きの醤油は香ばしく。旅先の風情をもう一度味わうのが旅の〆ご飯なのです。


長々とお付き合いありがとうございました。ステイホームを余儀なくされていますが、困ったこと、マイナス面は対応次第でプラスに転じます。たっぷりある時間は読書をする絶好の機会です。大人用の映画に挑戦するのもよいことです。アニメではなく、SFとかではなく、実写の人間ドラマです。昔ながらの名作もよいでしょう。気分転換と、疑似体験による国語力の土台作り。まさに一石二鳥ですよ。

2020年5月16日 (土)

国語科講師からのリレーメッセージ⑮「みんな大好き〇村先生!」

確かに。僕も大好きです。

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 こんにちは。国語科の木村です。
 最近皆さんお家にいることが多いと思いますので、心の底から笑うという機会はなかなかないのではないでしょうか? そんな皆さんに、先生自身が何度聞いても何度思い出しても笑ってしまうお話を紹介したいと思います。ただ、このお話を楽しむにはコツがあります。それは頭の中でイメージしながら読むということです。文学的文章を読むときと同じですね。人物や情景をイメージしながら読んでいきましょう
 さて、突然ですが、皆さんは理科のO村先生をごぞんじですか? 当然知っていますよね? いないと思いますが、もし知らないという人がいたら、希学園のホームページの講師紹介をチェックしてから、この続きを読みましょう。そうすればますますイメージしやすく、面白みも増す・・・と思います。

◆O村先生とS天王寺
何年か前になりますが、O村先生と私で、塾生をつれてS天王寺中学校の文化祭に行ったことがあります。皆さん、S天王寺中学校は知っていますね? 横にお寺がある学校ですね。谷九教室から一駅だけ地下鉄に乗って、ちょっと歩けば到着です。校門前でO村先生と私が諸注意を済ませると、塾生はどんどん校内に消えていきます。文化祭見学の時間は決まっていますから、もたもたしていては時間がもったいないですからね。谷九教室にもどる時間が来るまで、O村先生と私は待機しなくてはならないのですが、まあ女子校ですので、校門付近にいるわれわれ二人はなかなか目立つわけです。それを見かねてかどうかわかりませんが、S天王寺中学校の先生がわれわれのために、教室を用意してくれました。ありがたかったですね。ずっとジロジロ見られていましたので。その教室に向かうとちゅう、あるS天王寺中学校の生徒さんがわれわれの前で足を止めました。そして、真剣な顔でこちらを見ています。おや? 希の卒塾生かなと思いましたが、私はその子に見覚えはありませんでした。O村先生にもどうやら心当たりはなさそうです。次の瞬間、その生徒さんは何を思ったか、O村先生を拝みはじめたのです! どうやらその子はO村先生をプロのお坊さんとまちがえたようです。これはしかたがない! そしてさらになぜかO村先生もいい感じで拝み返しました! これは意味がわからない! こんな空気の中では私はもう、二人に向かって手を合わせるしかなかったのでした・・・。

 もっともっと色々なお話があるのですが、書きながら笑いつかれてしまったので、今回はこれくらいにしておきたいと思います。また機会があれば他のお話も紹介しますね。


 ちなみに、O村先生を拝んだ生徒さんは、「実は希の卒塾生です」と後から教えてくれました。私はその子を本当に知りませんでしたが、O村先生は「あ~」とおっしゃっていました。

2020年5月14日 (木)

場外乱闘③

ほんとうに最後まで書き切ることができるのか? 江口寿史級遅筆講師矢原の紀行文第3弾です。

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「初夏の旅なつかしく ③」

朝を迎えました。気がはやるのか旅先ではたいがい早起き。温泉宿の醍醐味、朝湯をいただきます。湯煙に朝日が差して、露天風呂の広い庭にはツツジが緑に映えていました。湯上がりには夏みかんジュースのサービス。海が近いせいかすっきりとした泉質、さっぱりシャキッと。朝食もたっぷりいただいて、さあ出発。今日も盛りだくさんで。

「ゴクリ爽快」
日本の夏ミカンは 萩が発祥
マーマレードにしたのは諭吉
ツツジに染まる朝湯を上がれば
ジュース美味なり綿棒心地よく


いの一番にあの「明倫館」を目指します。市役所のすぐ前にあるのにいささか驚きましたが、なんと明倫館の跡地はそのまま明倫館小学校として今なお利用されているのでした。日曜日なので生徒たちはいませんでしたが、明治か大正を思わせる木造の建物が時代物の門柱の向こうに見えます。

旧市街に向かいました。駐車場のそばの広場にぽつんと立派な銅像。昭和初期の総理大臣、田中義一の名は日本史の受験勉強以来です。山口県は現在の安倍総理まで最多8人もの総理を輩出しました。
さて、幕末の革命児、高杉晋作の生家です。展示物の中にはスミス&ウエッソンのレプリカも。高杉が贈ったこれと同じ銃が、寺田屋で坂本龍馬を救った話は有名です。
当時の区画を残す街並みを歩けば高杉や伊藤博文が学び遊んだ寺もあります。しばらく行くと桂小五郎(木戸孝允)の旧宅があります。こちらは木造家屋に上がらせてもらえます。医者の子として生まれ幼い頃から聡明であった桂はやがて維新の三傑と謳われるまでになります。

お次はわざわざ海側に回って「道の駅 萩しーまーと」へ。道の駅というより魚市場のようです。いいお土産を見つけました。活けのサザエです。小サイズなら10個で1000円ほど。発泡スチロールの入れ物なら車で運んでも今夜まで保つとのこと。これは買いです。
来た道、萩往還を通って西の京、山口市へ。途中の道の駅では忘れずに大きな網に入った夏みかんを2袋買いました。家でしばらくのあいだ100%ジュースが楽しめました。


「花の山口」
文化 花咲く 西の京うるわし
瑠璃光寺には やさしき如来
新緑に包まる 五重の塔かな
ばりそば完食 汁も飲み干して

山口市の中心部にほど近い山すそ、瑠璃光寺に到着。緑風の中に見事な五重塔がそびえます。法隆寺・醍醐寺と並ぶ日本三名塔の一つ、さすがに優美なたたずまい。もちろん国宝です。後ろを取り巻く初夏の緑が輝いてその美を増します。遠目から真下からといくら見ていても飽きません。秋の頃にもう一度訪れたいものです。
優艶なる国宝で目の保養をしたのちは遅めの昼食。山口は瓦そばも有名ですが最近はばりそばの方が人気だそうで、元祖と言われるお店に向かいました。長崎の皿うどんに似ているのですが、皿うどんは細麺・とんこつベース・とろとろ餡ですが、ばりそばは中太麺・鶏がらベース・さらさら餡です。食べているうちに麺がふやけてバリバリ麺からツルツル麺に変わり、これもまた旨し。さらにポン酢で味変します。うーん満足満腹。
さて、帰途をたどりつつ最後の目的地へと車を走らせます。

2020年5月12日 (火)

場外乱闘②

タイムトラベラー矢原の新作です!

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「初夏の旅なつかしく ②」

こんにちは。国語科の矢原です。長い時を経て、ようやく第二章に入ります。さて、下関をあとにして今度は山口県の中央部、美祢(ミネ)市に向かいました。
駐車場に車を駐めたのはちょうどお昼ごろ。食堂や土産物店が並んでいますが朝食の海の幸でお腹がいっぱい、昼食は後回しです。
小径の脇の小川が澄んでいました。カエデの青葉を過ぎたところに橋が架かっていて、その向こうにぽっかりと大きな入り口が現れました。日本一有名な鍾乳洞、秋芳洞です。「しゅうほうどう」ではなく「あきよしどう」と読みます。洞窟はヒンヤリするとかで用意よろしく薄手のシャツを羽織っています。

「彫刻の谷間」
カルストの 丘の麓に現れし
岩の裂け目を たどりてゆけば
地下水が生み出す 作品の数々
秋芳の洞穴 アーティストの業

洞穴が延々と続いています。中は意外なほどに広く、いま改めて調べたところ広さ200m、高さ80mに達するところもあるそう。十数年ぶり二度目の探検です。
神秘の造形に改めて驚きつつ地下深くへ進むと不思議なことに山や湖のようなところがあります。奥の方にエレベーターがあって地上に出られます。のどかな丘の上は冷えた体に陽射しが心地よく、青い空と草の香りがある別世界。再入場できるので自然の彫刻が並ぶ洞穴を逆にたどって戻りました。


小腹が空いたので軽くお昼を摂って次なる目的地へ。食後のソフトクリームは夏みかん味、さっぱりします。
途中、萩往還という道を通りました。関ヶ原の戦いののち長門の萩に国替えさせられた戦国の雄、毛利家の殿様が参勤交代に使うのに切り開いた道だそうです。吉田松陰がその最期に江戸に送られたのもこの道です。道の駅にも夏みかんが大きな網に入れられてキロ単位で売られていました。味見してみて帰りに買うことに決めました。
着いたところは萩の松下村塾、この夜の宿も萩です。

「松の教え」
萩ゆきて松陰先生に会いきたり
至誠の教え 天下を変えし
玄瑞 小五郎 晋作を育て
竜馬 吉之助を疾らせたるか

親戚の叔父かたの庭先を借りて、わずか八畳ほど。まさに小屋と呼ぶべき建物に驚きました。天下に聞こえた塾はこんなにも粗末な造りだったのです。至誠を貫き、志を大切にした松陰先生の人柄が偲ばれました。萩ではただに「先生」というと、それは松陰先生のことだそうです。日本の新時代の土台を作った偉人。土地のかたの尊敬には並々ならぬものがあります。
近くの土産物屋の張り紙で夏みかんについて知りました。この辺りは日本の夏みかん発祥の地で、幕末から明治にかけて財政を救うために栽培が奨励され萩の名産となったそうです。ちょうど五月が実の最盛期で香りが広がっていました。時季に訪れた皇太子時代の昭和天皇は「町に香水がまいてあるのか」とおっしゃったそうです。

松下村塾のすぐ奥、吉田松陰を祀った松陰神社を参拝してから辺りを散策。伊藤博文の旧宅を見つけました。近くに吉田松陰の生誕地もあります。この辺りは萩の町外れ。身分の低かった二人の家があったのも頷けます。周囲のお宅の庭先にも夏みかんの実が揺れていました。
日が暮れてきたので予約していたホテルにチェックイン。温泉に浸かり、これまた魚介メインの晩ご飯をいただきました。
歴史の舞台、自然の絶景を巡った一日を終えました。旅の寝床では今ここにいる不思議を感じます。本州のほぼ西端で眠りにつきました。

2020年5月10日 (日)

国語科講師からのリレーメッセージ⑭「手紙」

第14弾は山添tr! ナウいヤングです。

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拝啓

 

 行く春を惜しむ間もなく汗ばむ陽気となりましたが、皆様いかがお過ごしですか。

 

 ブログの記事だというのになぜこのような手紙めいた書き出しにしたのかというと、それはこのたびの外出自粛中に鑑賞した、とあるアニメーション作品に触発されたためなのです。

 

 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』

 

 美しいタイトルにまったく名前負けしない、すばらしい作品でした。

 主人公のヴァイオレットは、幼いころから軍隊に所属し、敵と戦うための"道具"として生きてきました。そのため彼女は、感情を持たないまま成長してしまいます。戦争が終わり、彼女に残されたのは、自分を庇護してくれた上官ギルベルト少佐が最後に告げた「愛してる」という言葉だけ。しかし、感情を持たないヴァイオレットには、この言葉の意味が理解できませんでした。そんな中、彼女は「自動手記人形」という仕事に出会います。かんたんに言えば手紙の代筆です。依頼主の気持ちを、依頼主の代わりに言葉に代えて手紙を書く。この仕事を通して、ヴァイオレットは徐々に"愛"を知っていく‥‥‥。

 手紙の代筆で愛を学ぶ。すてきなお話だと思いませんか。電子メールやLINEなどのメッセージアプリが普及した今の世の中、わざわざ手紙を書く人は激減しました。かくいう私も、最後に手紙を書いたのはいつだったか思い出せません。たかだか二十数年しか生きていないのにもう記憶に残っていないとなると、子どものころに何度か書いたくらいで、ほとんど経験がないということなのでしょう。しかし先日、久しぶりに手書きの手紙をいただく機会がありました。普段のメールの何百通分もうれしい気持ちになります。やはりメールより紙の文書のほうが、それもできれば手書きのほうが、気持ちが伝わりやすい。

 それはおそらく、こめられた思いの差なのでしょう。LINEは便利で楽で、気軽に使えてしまいます。だから人は言葉に思いをのせることを忘れてしまう。手紙を書こうとするとなんだか気が重くなります。でもだからこそ、手紙には差出人の思いが強くこめられる。差出人は相手のことを考えながら文字をしたためて、封をする。物理的な封などではとても閉じふさげないその思いは、読まれたとたんに一気にあふれだす。さらにそれは周りの人々にまで響いていく。もちろんヴァイオレットにも。たくさんの人々の思いが彼女に響いて彼女の心を揺り動かしていく様子を、美しい映像と音楽で丁寧に描き出したこの作品に、私も心を震わせられました。

 

 手紙には書き手の強い思いがこめられる。その思いは現実とフィクションの垣根をも飛び越えます。小説の中には、登場人物が書いた手紙を連ねることによってストーリーを進めていくものがあり、これを書簡体小説といいます。書簡とは手紙の別の言い方です。小説でも、手紙の形にすることで手紙の書き手の心理をありありと描き出すことができるのです。

 例えば、ドイツの文豪ゲーテの『若きウェルテルの悩み』。青年ウェルテルが婚約者のいる女性シャルロッテに恋をし、叶わぬ思いに絶望し自ら命を絶ってしまう物語です。主に主人公ウェルテルが書いた手紙によって構成されています。この本は出版当時ヨーロッパでベストセラー となり、この本に影響された若者たちがウェルテルをまねて次々と自殺するという事態にまで発展しました。それほどに、手紙は書き手の思いを読み手に届けるのだ、といえるかもしれません。

 ほかにも有名どころでいえばイギリスの作家メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』があります。あの四角い縦長の顔をした怪物の絵や写真を、だれもが一度は目にしたことがあるはずです。しかしその原作小説を読んだことのある人は案外少ないのではないでしょうか。この本も、冒頭はウォルトンという青年が姉に宛てて書いた手紙から物語がはじまります。読んでみると分かりますが、実はこわいというよりとても悲しいお話です。興味があれば読んでみてください。ちなみによく勘違いされますが、あの有名な怪物は「フランケンシュタイン」ではありません。「フランケンシュタイン」とは怪物をつくった博士の名前です。あの怪物に名前はありません。

 

 このように手紙についてあれこれと考えているうちに、なんだか私も手紙を書きたくなってきたのです。そしてちょうど今回、ありがたくも皆さんにメッセージをお伝えする機会をいただきました。ブログという形ではありますが、私なりに皆さんへの精一杯の思いをこめてしたためます。いつも希学園で元気にがんばる姿を見せてくれて、ほんとうにありがとう。君たちの一生懸命勉強している姿に、私はいつも励まされています。君たちのおかげで、私もがんばろうと思えるのです。自分のしてきた努力に誇りをもってください。私の小学生のころなど、君たちの足元にも及びませんでした。いや、もしかしたら今でも及ばないかも。学びや努力を楽しむことができる君たちは、私にとってはあこがれの存在です。今はカメラ越しにしかお会いすることができませんが、また教室で元気に学ぶ姿が見られることを楽しみにしています。そしていつか皆さんに、今度はちゃんと手書きの手紙を送る機会があればいいなあと心から思います。

 皆さんも、だれかに思いをこめた手紙を書いてみてはいかがでしょうか。友達でも、家族でも、普段は会えないおじいちゃんおばあちゃんや親戚でもかまいません。人との接触を避けなければならない今、大事なのは人と人とがコミュニケーションをとることです。言葉で思いを伝え合うことです。手紙は今は会えない人と人を結んでくれます。実際に会うよりもずっと強く結びつけてくれます。手紙を一通書くだけで、国語の授業何時間分も人として成長できると思います。ぜひ一度、相手のことを思って、じっくりと丁寧に言葉を紡いでみてください。

 

 では、また授業でお会いしましょう。

 

                                                 敬具

  令和二年五月五日

                                               山添唯斗

希学園塾生の皆様

 

2020年5月 9日 (土)

国語科講師からのリレーメッセージ⑬「いただきましょう」

ついに第13弾! ゴルゴダの丘を登るのはもちろん、「ね、うし、とら、う、たっちみー」の山下高充trです。そして13といえば十三! ちなみに十三教室前の信号が青になったときの「ピッポー」という音はちょうど13回鳴りま~す。怖い!

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 こんにちは。国語科の山下高充です。今日も一緒に勉強していきましょう。
 前回は阿部先生よりインドア生活を満喫しようというお話がありましたが、みなさん楽しんでらっしゃいますか。私もZoom授業をテレワークで行うなど外出する機会を減らしていますので、ここは徹底的に外出を控えようとカレーを三日分作り置きしました。おいしかったです。とはいえ三日目にはさすがに飽きてしまい、きゅうりとセロリでサラダを作りました。さっぱりしておいしかったです。
 さて、今回カレーに飽きてサラダが食べたくなったのは何も同じ味が続いたためだけではありません。カレーはことこと煮込むので野菜に含まれるビタミンCが壊れてしまい体内で不足します。そうすると不思議なもので体はビタミンCを多く含む食材を食べたくなり、またいつもよりもおいしく感じるんだそうです。それで今回はサラダがほしくなり、おいしくいただけたと。よくできているものです。おなかをすかせた状態で買い物に行くと自然と今足りない栄養をふくむものを買うことが多いとも言われています。生命の神秘ですね。
 じゃあ食べたいものだけ食べればいいじゃんとなりそうですが、そう都合よくはいかないところが自然のおもしろさ。このほかにも例えば生命の維持に欠かせない食材は不足していなくてもおいしいと感じます。代表的なのが塩と油、そしてでんぷんです。でんぷん豊富なじゃがいもを油で揚げて塩をふったポテトフライなんかはおいしくておいしくて仕方ありませんね。何かの記事で見ましたがアメリカではポテトはベジタブルだからボディにグッドなヘルシーメニューということで山盛りのポテトフライを毎日食べる人がそこそこいるそうです。その記事に出ていた人は健康に悪そうな体になられていましたが。
 おいしさを生み出す要素は、5年生のテキストにもありましたが、その他にもいろいろな要因があります。おいしいと思って食べることも大切です。普段の食事をおいしいと思いながら食べることは脳にもいい影響があるそうです。これは実践せねばですね。また、食べるときの気持ちも大切です。落ちついた気持ちで食べるとしっかり味わうことができます。悲しみやあせりを感じているとおいしさも大幅ダウンです。宿題は予定通り仕上げてからごはんを食べましょう。
 自分が作った料理はおいしく感じるという人もいます。もしかしたらこの時期家族のご飯作りを手伝っていますという人もいるかもしれませんね。とはいえ刃物を使うこともあり誰でもができることではありません。ではその他の家事のお手伝いをしてみたらどうでしょうか。お皿を用意したり洗ったり、炊事に協力することでご飯がいつもよりおいしく感じるかもしれません。ご飯作りだけでなく、掃除などもきちんとやるとなかなかの運動になることもあって一石二鳥です。"Hunger is the best sauce."(空腹がいちばんの調味料。)という英語のことわざもあります。勉強もお手伝いもがんばっておいしいご飯をじっくりと味わいましょう。

2020年5月 7日 (木)

国語科講師からのリレーメッセージ⑫「ヒキコモリンの市民」

ときどき乱入する人をものともせず、リレーメッセージ第12弾! 阿部trです~。

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漫才コンビ「ナイツ」のボケである塙さんが、以前あるテレビ番組でこんな話をしていました。「好きな音楽と演じるネタは似てくる」と。たしかにロックが好きなバイきんぐ小峠さんはシャウト系のツッコミですし、オードリーあたりは、噛み合わない不協和音がいつの間にか収束する、いかにもジャズ好きという感じがします。そう思って、これまでの記事の中から希の先生方の好きな音楽というのを眺めていますと、先ほどの「演じるネタ」を「授業」と置き換えても成立しそうです。

僕は幼いころからパッヘルベルの「カノン」という曲が好きです。おそらく誰でも一度は聞いたことのあるクラシック音楽ではないでしょうか。JPOPの中にもこの「カノン」を応用して作曲されたものが多数あるそうな。しかし、そうすると僕の場合、何系の授業になるんでしょうね。うーむ。まさか荘厳な授業なわけがあるまいし。

そんなわけでカノン大好き少年だった僕は、中学校に入って初めて携帯電話を買ってもらった際に、着信音を迷わずカノンに設定しました。当時はいわゆる「ガラパゴス携帯」の時代であり、メールが着信してもその長めの着信音が鳴ったものでした。

ところが、携帯が鳴ることはあまりありませんでした。なぜなら当時友達とは、パソコンからのメールや通話で十分事足りたからです。パソコンを通じて友達とは遊んでいた、というわけですね。完全にインドア生活を満喫していた僕たちの当時の遊びは、今の状況にぴったりだと思いますので、3つほど紹介したいと思います。

 

①たほいや

国語辞典を用いたゲームです。3人以上推奨です。

1.誰かが参加メンバーの誰も知らなさそうな語句を国語辞典で選びます。

2.その語句をほかのメンバーに提示します。ほかのメンバーは語句の意味を勝手に考えて提示します。その際に他のメンバーをだませるような意味を考えて書きましょう。特に国語辞典特有の言い回しを使うことがコツです。

3.語句を提示した人に全員の回答をお互い見ないようにして集めます。解答が集まったら、正解を交えた解答を他の人に提示します。

4.解答を考えた人々は正解を当てます。解答を当てた人と他の人をだませた人に1ポイントずつ入ります。

5.以降はこれを繰り返します。

 

②ウミガメのスープ(水平思考ゲーム)

僕の「話題」を扱う授業を受けた3.4年生だとこのゲームをみんなですることもあったかなと思います。自作の例題を交えてご紹介しましょう。

問題:女が家事をしていると元気な子供が生まれた。これはどういう状況だろうか。

1.このお題に対して「はい」か「いいえ」で答えられる質問をします。

例:現代日本でありえる?→いいえ

    昔話ですか?→はい

2.質問を繰り返すことで正解の核心に近づいていきます。ちなみにこの例題の想定解は「桃太郎」の最初です。納得いきましたでしょうか。何についての話かが分かると文章の理解がスムーズになりますよね!

問題がなかなか浮かびにくいかと思いますが、「ウミガメのスープ」で検索していただくと結構出てきます。また書店でも問題を集めた書籍が売っていますので、お買い求めくださっても良いのかなと思います。真相が怖いものもあるので、低学年の方々がやる際には保護者様がお題を選んでいただければと思います。

 

③ワードウルフ

あるお題について話しあう中で、周りとは違うお題を与えられた1人を探すゲームです。4人以上推奨です。

1.ある1人がお題を考えます(最近はお題を生成するアプリも出ているようです)。この人を親とします。その時多数派と1人用の2つを考えるわけですが、よく似たお題にするのがコツです。

2.親は親以外の人(子)にお題を配ります。当然、子同士ではお題が分からないようにする必要があります。

 3.子による話し合いです。お題についてまつわる話を話していきますが、当然、1人用のお題を振られた子(ワードウルフ)は他の人と話す内容に矛盾が生じます。それをいかにバレないようにするかが肝です。時間を決めて行いますが、3分ほどで短く区切るのがおすすめです。黙っている人が有利なので、それぞれ何かしらは話すというルールを作るのも楽しいかもしれません。

 4.投票の時間です。ワードウルフだと思う人を投票により多数決で決めます。この時ワードウルフは適当に投票することになります。

 5.投票でワードウルフを当てられなかった場合、ワードウルフの勝ちです。逆にワードウルフを当てた場合、ワードウルフは多数派のお題を当てにかかります。もし、それで充てることが出来ればワードウルフの勝ちです。(ですので多数派は話し合いの際にワードウルフにお題をさとられぬよう、あいまいに話す必要があります。)

 

いかがでしたか?ご家族でやるのもよし、お友達と通話を介してやるのもよしですね。国語の先生はこういう時、読書を勧めてしまいがちですが、あえて今回は国語に関係のあるようなないような、そんな遊びを紹介してみました。家にいても楽しく過ごす方法はいくらでもありますので、工夫しながら乗り越えていきましょう!それでは良きインドアライフを!

2020年5月 5日 (火)

国語科講師からのリレーメッセージ⑪「朝が来るまで」

リレーメッセージ第11弾は、前回乱入してきた大ベテランの矢原trとは対照的な、とっても若々しい(でも私より少しだけ年上の)髙宮trです。題も詩的でいいですね。魂の詩人である私の胸を打つタイトルです。では、どうぞ。

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みなさん、こんにちは。
国語科の髙宮です。
政府から緊急事態宣言が出されて約一ヶ月が経ちました。社会全体で不要不急の外出をひかえるということが言われ、このゴールデンウィークも皆さん家で過ごしていることかと思います。二、三日くらいであれば家でずっと過ごすのも悪くないと思えるかもしれません。しかし、こんなにも長い間外出をひかえなければいけないことになると、外で遊べなかったり、友達に会えなかったりと不満や退屈だという気持ちがたまっているのではないでしょうか。ただでさえ、不安な情勢である上に、思うように自分のやりたいことができないという今の状況は皆さんにとってはもちろんつらいと感じるでしょうし、大人でもそうです。
突然ですが、今のみなさんの心は自由ですか?それとも不自由ですか?
「そりゃ、身体がロクに外出できないんだから心も不自由だろう!」と思うかもしれませんね。
ここでフランクルというお医者さんが書いた『夜と霧』という本のお話をしましょう。
第二次世界大戦のときのドイツでは、当時の政府がある民族を差別し、強制収容所というところに閉じ込める、ということが起こりました。そこではまともな生活の空間どころか、食料や衣服も満足に与えられないというかこくな状況があったようです。そんな環境で命を落とす人が出てくる中で、収容所に閉じ込められた人たちはこの先どうなるのだろうかという不安に心まで支配されてしまいそうになります。
そんな状況の中で同じく収容所に閉じ込められたフランクルはどう行動したと思いますか?
彼は仲間とともにはげまし合い、はなればなれになってしまった妻と心の中で対話し、医者として患者をささえながら、何とかこの状況を生きのびたそうです。
かこくな状況に命を落とす人もいた中で、フランクルをふくむ一部の人々はいきのびることができた。これは何を意味するのでしょうか。
もちろん運が良かったということもできますが、フランクル自身は「未来の目的に目を向ける」ことが大切だったとふり返っています。彼は「生きていることにもうなんにも期待がもてない」という男たちに、子どもや家族、仕事といった一人ひとりにとってかけがえのないものの存在を思い出させ、彼らに生きる意味を自覚させたのでした。
彼が引用した哲学者ニーチェの言葉も紹介しておきましょう。
「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」
まさに、自分を待っているものの存在に対する責任を自覚した人々は、生きることをあきらめるわけにはいかなかったのです。
強制収容所のかこくな環境は彼らをせまい場所に閉じ込め、ときに命をうばいましたが、自分を待っているものの存在を想い、未来の目的を自覚して、つらい日々をなんとか仲間と支え合って乗りこえようとする、そんな心の自由まではうばえなかったのですね。
私たちの置かれている現状は、強制収容所のような状況とはまた少しちがいますが、フランクルの話は現状を乗りこえるためのヒントをくれるのではないでしょうか。
外出する自由が制限され、不安がつづく日々でも、楽しいことを思いうかべたり、ささやかな幸せを見いだしたりする、という心の自由はうばわれません。先生にとっては「友達と美味しいご飯を食べたいなぁ」「旅行にも行きたいなぁ」「大好きなカラオケにも・・・」と思いうかべ、友達と連絡を取り合ったり、好きな音楽を聴いたり(少しだけお風呂場で歌ったり)することです。
つらい環境でもどのようにふるまうかはまさに自分次第なのです。未来の目的をそれぞれが自覚して、毎日を有意義に過ごし、みんなではげまし合って、この危機をなんとか乗りこえたいものですね。
 

2020年5月 3日 (日)

場外乱闘シリーズ①

先日より国語科講師によるリレーメッセージを発表いたしておりますが、この流れを無視し、過去から突如として時を超えて乱入してきた不埒な講師がおりますのでご紹介いたしましょう! ダンディ・矢原です。ゲッツ!

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「初夏の旅なつかしく ① (2017年11月ぶん 再掲)」

ご無沙汰しております。国語科の矢原です。外出もままならない皆さんに初夏の旅行気分を味わっていただこうかと思います。
実はこの①は今から三年前の記事でして、旅に出かけたのはその三年前のことです。②以下を書かないまま今に至っておりました。大いに反省し謹んで続きをお届けいたします。
日頃その時どきの感慨を数行にしたためたりしております。その書き付けを頼りに数年前を思い出しながら初夏の旅の様子を振り返ってみます。写真もあまり撮りませんので文字ばかりですが、それもまた一興かと。


「Driving in May」
ビューン Go Go Expressway!
夜明けの出発 初夏の快適
サービスエリアで朝のコーヒー
目的地まで あと300キロ!

うまく休めそうだったので珍しく宿まで取って出かけました。折角の機会を有効に使うため、前日は寝たこともない時間に床に就きまして。まだまだ夜明けとは言いがたいころに出発です。
暗いうちにどんどん進みます。なんと今回は、初日の朝ご飯を旅先で食するという大胆な作戦です。もちろん行き先は決まっていますがどこを訪れるかは大まかにしか決めていません。静かなところでゆっくりするなどという思想も全くもって持ち合わせません。当地を味わい尽くすつもりで盛りだくさんにメニューを詰め込みます。
中国自動車道をしばらく走ったところで珈琲タイム。さらにどんどん走って、海に下れば広島県の宮島という辺りでプチ仮眠。だんだん明るくなったところでさらに西へと進みます。


「命運の海峡」
初夏の関門海峡 光と陰よ
八艘飛びに 義経 踊れば
長州藩には 苦難と栄光
巌流島見ゆ 武蔵 見参!

そうです。旅先は山口県。まずは下関の海端にある唐戸(カラト)市場で絶品の朝ご飯。
本物の魚市場ですがもはや観光地です。まずは、市場で働く方々も利用する2階の食堂で定食をいただきます。新鮮なのを揚げたり煮たりしたのや刺身がどっさり。朝ご飯にお刺身は最高ですが焼き物や煮物も抜群です。鮮度がよいものは火を通しても味が違います。
食べ終わってから1階をぐるっと回ると魚介の卸の店舗でお寿司コーナーが始まります。小分けのパックに入ったのを買って、あちこちに置かれたテーブルとベンチでいただきます。美味しい握り寿司は別腹ですね。

満足したところで目の前の海峡を眺めながら腹ごなしのお散歩タイム。大小多くの船が行き交います。この海峡の通行料が長州藩の財政を支えたそうです。そのすぐ向こう届きそうで届かない距離に九州が見えます。海峡には物語が付きものですが、ここ関門海峡は数々の大がかりなドラマの舞台です。
朝の潮風を受けながら東向きに歩くと旧式の大砲が並んでいます。関門海峡の昔の名は壇ノ浦。幕末の長州藩が列強相手に攘夷の戦を敢行した場所であり、長州征伐の幕府軍を返り討ちにした場所です。古戦場である壇ノ浦砲台跡。車輪付きの木組みの上の西洋式大砲をさわると長州藩の難渋と歓喜が伝わってきます。旧式の大砲を捨て、最新鋭の火器と軍艦を手に入れた長州軍は生まれ変わりました。藩を窮地に陥れた大敗、歴史の転換点となった大勝利は共にこの海峡での出来事です。
砲台の脇には八艘飛びの源義経と、イカリをかついだ平知盛の像が向き合うように置かれています。振り返って唐戸市場の向こう側、関門海峡の西の端には巌流島が浮かんでいます。あの宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った島です。若い頃に初めて九州を訪れた際にここを通って知りました。吉川英治の名作は高校生のころに読んだはずなのですが、巌流島の場所を意識していませんでした。

さあ車に乗りこんで出発。数分も走らずに「るるぶ」で見つけた赤間(アカマ)神宮に立ち寄ります。尼に抱かれて壇ノ浦に入水した安徳天皇を祀ったところです。ついでに訪れる場所はこうやって現地に来てから見つけていきます。
海峡に望む立派な神社はお寺のような風情。人も少ない静かな境内を奥へと進むと平家一門を祀る塚がありました。栄華を極めた一門がこの地で滅んだことがよく分かりました。その傍らには耳なし芳一を祀った芳一堂。こんなものが実際にあるとは思いもよりませんでした。

赤間神宮を出て少し進むと何やら施設がありまた車を停めました。いま調べると関門プラザというところでした。表示を見ていると関門トンネル人道というのがありました。なんとエレベーターで地下に降り、徒歩や自転車で九州に渡れるのです。時間の都合でほんの少し地下を歩いてみただけですが、非常に面白い体験でした。これまたいま調べてみると距離は780メートルで、海底の歩道の途中に県境の線があります。歩行者無料、自転車20円。

さてまだまだ午前中がたっぷり残っていたかと思います。次の目的地に向け出発します。
たかだか一泊旅行の話ですのですぐに終わるかと思って書き始めましたが、思い出すことや懐かしくて調べ直したことを書き始めると結構な量になりました。今日の所はこの辺で。
この調子であちこち見歩くのですが、盛りだくさんとはいえ駆け足で見て回るようなことはしません。食べたり飲んだりのぞき込んだり笑ったり感心したり、旅は楽しんでナンボです。

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②~④は近日公開!

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