2013年6月30日 (日)

けけけけ

たしかに「かごめかごめ」の歌詞は妙です。「かごめかごめ籠の中の鳥はいついつ出やる夜明けの晩に鶴と亀と滑った後ろの正面だあれ?」。「籠の中の鳥」とは日光東照宮のことで、家康の墓の近くに「鶴と亀」が描かれたものがあり、そのあたりに徳川埋蔵金があるのです。ポルトガルの宣教師が「家康は、たくわえた金銀の重さで城の床が抜け落ちた」と書いているぐらいなので、家康は相当ためていたのですね。で、南光坊天海と明智光秀は同一人物であることは明らかで、「かごめかごめ」は天海すなわち光秀が作ったのです。そして、服部半蔵が松尾芭蕉を名乗り、全国に「かごめかごめ」の歌を広めていったというのは、いまや知っている人は知っている、知らない人は知らないという、有名な事実ですね。

江戸の町は完璧ではないながらも、陰陽道の四神に相応していることになっています。東の青竜は川を表すので、これは利根川でしょう。南の朱雀は湖ですが、東京湾という海で代用できます。西の白虎は道なので、東海道。北の玄武は山で、これが日光連山になります。それらの中央にあるのが江戸城で、江戸の内外にある神社仏閣は、じつは江戸城の出城という位置づけであり、日光東照宮は江戸防衛上の最大の砦だとか。そう思ってみると、たしかに「かごめかごめ」の歌は陰陽のような対比にみちみちています。「籠の中」と「出る」は内と外の対比だし、「夜明け」と「晩」、「鶴」と「亀」も対比、「滑る」は「出る」との組み合わせで、「失敗」と「成功」の暗示かもしれません。「後ろ」と「正面」も対比です。どう見ても、何かをかくした暗号のような感じがします。だれか、暗号を解いて埋蔵金を見つけ出してください。

ただ、チマチマとした暗号は、小説などでは暗号のための暗号になってしまい、かえってコッケイになることすらありますね。第二次大戦中、世界各国が暗号で連絡を取り合う中、日本では堂々と日本語をそのまま使って電話で連絡をしたという話があります。ただし、鹿児島弁ですが。純粋な鹿児島弁を早口で話したら、普通の日本人でもわかりません。アメリカによる盗聴は当然あったものの、全く意味不明、何語かさえわからないということで、しばらくは解読不能だったとか。実に大胆な暗号です。そのときにしゃべったことばの記録を読んだことがありますが、ちょっと鹿児島弁がわかる人なら、なんてことはない、ふつうの言い回しでしたけどね。海軍は薩摩がつくり、陸軍は長州がつくったので、海軍では鹿児島弁にはあまり抵抗はなかったのかもしれません。陸軍の「なんとかであります」も、もともとは長州弁らしいですな。

だいたい鹿児島弁そのものが、幕府のスパイを防ぐために、あえて人工的に作ったという説があるぐらいです。否定する学者も多いのですが、私の知っている鹿児島県人はみんなうれしそうに、「関ヶ原の合戦で逃げたあと、国境を閉ざすだけではなく、ことばも変えて、領土を守ったんじゃ」と言うてました。宮中では、一般庶民の世界とはちがうせいか、独特なことばが使われます。餅が「おかちん」になったり、数の子が「かずかず」になったり。なにか、ふざけてるみたいですが、御所ことば、女房ことばというのは、こんな感じです。でも、やっぱりスルメが「するする」というのは、なんかむかつく。蛸が「たもじ」になるのは、「文字」をつけるパターンですね。「杓子」の「しゃ」に「文字」をつけて「しゃもじ」、鮨が「すもじ」、「ひだるし」が「ひもじい」、お目にかかるのは「お目もじ」です。ほかにも、「くろもじ」とか「かもじ」とか「ゆもじ」とか、いっぱいあります。「おでん」は「田楽」に「お」がついたもので、「おかか」「おひや」「おかき」なども、もともとは宮中ことばでしょう。そういえば「御御御つけ」という、すごいものもありました。「おもや」に住む人で「おもうさま」、対屋に住む人で「おたあさま」というのは、父母のことであると、うちのおたあさまが言うとりましたな。で、島津の殿様が、このことばを故郷に持ち帰って、自分たちのことばにしたとかいう説もあるようですね。たしかに、鹿児島で豆腐のことを「おかべ」というのは、「白壁」から来ているのでしょうが、御所ことばです。

島津家は、表向きには源頼朝の落胤が始祖であることになっていますが、どうやら偽源氏で、もともと惟宗姓だったようです。近衛家の日向国島津荘の荘官だったのが、頼朝から地頭に任じられて島津と名乗るようになったということで、近衛家とのつながりが強い。摂政・関白になれる家柄は近衛・九条・二条・一条・鷹司の五つで、五摂家と言います。近衛はその筆頭で、肥後細川家の当主の細川護熙さんは近衛文麿の孫にもあたります。幕末には島津一族の娘が近衛家の養女となったうえで、将軍家定に嫁ぎました。篤姫ですな。そういう関係もあったので、鹿児島弁の中に宮中のことばがまじっていてもおかしくはなさそうです。

でも、「けけけけ」は御所ことばではないでしょう。実際には「けーけけけー」みたいな言い方のようですが、「貝を買いにこい」という意味になります。「貝」が「け」、「買い」が「け」、「来い」が「け」になるんですな。「ここに来い」は「こけ、こけけ」で、ニワトリ状態です。博多弁でも「とっとっと」がありますね。「(その席は)とっていますか?」「とっています」が「とっとっとー?」「とっとっとー!」になる。大阪弁の「チャウチャウちゃう?」「ちゃうちゃう、チャウチャウちゃう」「え? チャウチャウちゃう?」「うん、チャウチャウちゃうんちゃう?」とおんなじようなもんですかね。鹿児島といえば桜島で、灰がふってくる。天気予報では桜島上空の風向き予報をしています。洗濯物を干すかどうかの判断材料です。この「灰」が鹿児島弁では「へ」になってしまう。「蝿」も「へ」です。「屁」も当然「へ」。靴は「くっ」、「釘」も「くっ」、「櫛」も「くっ」、「来る」も「くっ」、首も「くっ」、口も「くっ」です。なぜか「頭」は「ビンタ」ですな。明治のころ、鹿児島出身者が軍隊などで引っぱたくときに、「びんた、行くぞ」とでも言ったことばが、行動そのものを表すことばだと思われて全国に広まっていったのでしょう。でも、体罰禁止とともに死語になるのかなあ。

2013年6月23日 (日)

贈るダンス

このところ左膝に痛みがありました。

4月ごろからですが、日によって痛むところが違います。半月板の損傷なら本田や長友みたいだと少し嬉しくなったりしました。やがて少し足をひきずるようになってきました。階段の下りがキツイのです。

今回は医者にかかるようなものではないと感じていました。体に関する初期判断は直感に任せています。思いあたるのは3月の合格祝賀会の講師劇くらいです。例によって老人役でしたが今年は初のひとりダンス付きでした。曲目はAKB48の「Everyday、カチューシャ」。「カチューシャ」という歌詞が最初に出てくるところまでイントロからひとりで踊ります。ひとりセンターです。過去最大の試練でした。踊りの類は高校の運動会以来。体の動きですからカンペも使えません。練習あるのみ。努力。根性。絶対合格!

生まれて初めてユーチューブをくり返しくり返し見ました。まさにヘビーローテーションです。まず歌を知りません。なかなか歌詞が頭に入ってきません。老喜劇役者に、どんなアイドルが出ていてもブラウン管に向かって「百恵ちゃーん ♪」と叫ぶネタがありました。思い出し笑いに涙が混じりそうです。体力はさほど衰えていないつもりですがダンスは守備範囲外です。十三のひと気のない小部屋で巻き戻しと再生をくり返すPC……。もの好きかご親切か、反転バージョンの投稿映像を見つけました。大きな出会いでした。

だんだんと仕上がってきたところに細かい発見をしてしまいました。イントロの最後で、膝を交互に軽やかに入れているのです。膝のキレに手ぶりを加えてカッコよく! 卒業生の笑顔を胸に、深夜の十三の小部屋でステップを踏みます。

当日を迎えました。出番が近づきます。曲がかかりました。リズミカルな動きから膝にさしかかります。キュキュッと膝を入れて腰を振ると、前列後方の女子の一群から歓声にも似た悲鳴が上がりました。……我に返ってしまってちょっとアガってしまいます。

このカチューシャは、注射ということばを引き出す壮大な序詞です。昨日病院でしてもらったアレの名前が出てこないという場面に続くダンスでした。

毎年この劇に向けてスタッフ一丸となります。秀逸な台本が用意され、卒業生へのはなむけに全力を注ぐのです。お手製の衣装には、ご才女の協力というか一族郎党の執念が感じられます。演者以外にも大道具小道具班が自然に動き出し、段ボールで書き割りの背景が作られます。合格はお金では買えません。だからこそ入試は平等なのです。かくてプライスレスの舞台が調います。最後の贈りものです。

さて膝です。5月の終わりにふと靴の中敷きを取ってみました。高校の時サッカーで右足の甲を怪我して以来、右がかなり甲高になり、靴によっては左だけに中敷きを入れてもらいます。よく履く2足の中敷きの接着剤がとれて靴の中でゆるんでいました。これを抜き取ったらぴたりと痛みが治まりました。変なチカラがかかった歩き方になっていたようです。

半月板でなかったのは残念です。右足の甲の自己診断は軽めの剥離骨折でした。祝賀会と合格体験記にまつわるほかの話を書くつもりだったのですが、そちらはいずれまた。

 

2013年6月15日 (土)

目くじらを立てる

国語科講師である以上、ことばの区別に関しては厳密であるべきかと思うのですが、

最近の「それは誤用だ」と言う主張が多いことに、すこし引っかかります。

もちろん、明らかな誤用が多くなっていると感じられるのも事実で、気になる人には気になるというのもうなずけます。

×取り付く暇も無い → 取り付く島もない

×狐に包まれる → 狐につままれる

 などは中学入試でも出たことのあるものですが、

×老体に鞭打って → 老骨に鞭打って

×極めつけ  → 極めつき

などになると、言われてみればそうか、と気づくレベルです。

×~いざ知らず → いさ知らず

×~采配をふるう → 采配を振る

なんてのは、「蘊蓄」レベルでしょうか。こういう誤用を集めた本もたくさんあるようです。

最近では、よくテレビで

「間髪を入れず」を「かんぱつ」と読むのはまちがいで、「間、髪を入れず」だ、とか、

「綺羅星のごとく」を「きらぼし」と読むのはまちがいで、「綺羅、星のごとく」だとかの指摘があります。

こういう話題が大嫌い、虫酸が走る、生理的に受けつけない、あーいやだ、という人もいることでしょう。

こういう話題で盛り上がる仲間、というのもいますね。 あ、国語科講師に限定しないでくださいね。

DVDはデジタル・ビデオ・ディスクじゃなくて、デジタル・バーサタイル・ディスクだよね!

なんて言うと、「おー!」と盛り上がるのは、どうも男性が多いようです。

ともあれ、言葉の移り変わりが激しい時代ですから、その中で誤用も生まれるのでしょう。

新語、消えていく言葉もありますね。

ふと思ったのは、「イケメン」「イクメン」「草食系」などの男性を形容することばが生まれるかげで、

「マザコン」ということばが消えているということです。

「マザコン」男性は減っているのでしょうか?

確かに「言い得て妙」という新語が生まれると使いたくなるのが人情で、われもわれもと一気に消費されていきます。

「美男子」と呼ぶにはちとわざとらしいレベルの容貌の方を軽い感覚でほめるには「イケメン」は手ごろです。

かくしてイケメンが増殖する。

「マザコン」も、※1佐野史郎さん扮する「冬彦さん」のお蔭(誤用)で、正しく親孝行な、単に母親思いの男性までが、

マザコン呼ばわりされる悲劇もあったのではないでしょうか。

言葉は世相を映す鏡 であるならば、言葉を正す鑑 でありたい、というようなことが、

辞書を編纂した、ある方の著作に書かれていたと記憶しています。

国語科講師として難しい立場に立たされるのが、宿題プリントに書かれた保護者のコメントに誤字や誤用を見つけてしまったときです。

さりげなく訂正しておくべきか、見て見ぬふりをすべきか、※2生徒への教育的配慮で訂正すべきか、やはり失礼だからやめておこうか、いや、もしかしたら試されているのか!? 

など、考え込んでしまってそれまで快調に書いていた(講師からのコメント)が停滞してしまいます。ここは斎戒沐浴して精神統一せねばというくらいの厳粛な気持ちでえいっと訂正することもあるのですが、

「国語の先生に見られると思うと、怖くて保護者コメントを書けません。」

という保護者コメントに「!」となってしまったこともあります。

塾生のみなさんの記述問題の採点・添削の際にも、悩むことしばしばです。

あまりに細かく添削をすると、「けちをつけられた」感にさせて、かえって意欲を失わせる結果になりはしまいか。

「やはり記述で点数は取れない」と思わせてしまうのではなかろうか。

そんな思いになることがあります。

 ※1昔、先生って佐野史郎に似てるよね、と女子生徒に言われて結構ショックだった。

 ※2 学校教育法かなんかでは、小学生は「児童」なので誤用かもしれませんので一応。

2013年6月 8日 (土)

土岐はいま天が下知る五月かな

永六輔が書いていましたが、ある礼儀作法の師匠がやってきたときに、貴族たちが茶漬けを出して、となりの部屋からこっそり見てた、という話があります。えらそうに礼儀だの作法だのと言ってても、だれも見ていなければ茶漬けをガサガサとかきこむだろう、それを見て笑ってやろう、という貴族の陰険さです。案の定、師匠はガサガサとかきこんで食べていったので、やっばりねと言いながら出てきて、ふと箸を見たら先の方が数ミリ濡れていただけだった、という話。永六輔は、その師匠もすごいけど、箸の濡れ方に気づいた貴族もすごいと書いてました。でも、そういうことに気づくことができるからこその貴族なのかもしれません。

頓阿は、古今伝授というものを藤原定家の血筋から受け継いでいます。古今和歌集の解釈の秘伝ということらしいのですが、細川幽斎も受け継いでいます。関ケ原の合戦で、自分の城を石田三成の軍勢に囲まれて絶体絶命のピンチに陥ったとき、そのことを知った天皇が勅使を出して囲みをとかせたということがあります。幽斎が死んでしまうと古今伝授を伝える者がいなくなるということだったのですね。うまい具合に、幽斎は生き延びるのですが、だいたいが世渡り上手の人です。室町幕府に仕えて、義昭を将軍にかつぎあげたあと、いつのまにか信長の家来になっており、信長が死んだときには秀吉と仲良くなって、関ヶ原の頃には、家康の味方をして、結局肥後熊本五十四万石の基を築いた人です。細川護熙さんの先祖ですな。

秀吉が詠んだ「奥山に紅葉踏み分け鳴く蛍」という句を記録せよと言われた連歌師の里村紹巴が「蛍は鳴きません」と言って、言うことを聞かない。だいたい、「紅葉」と「蛍」では季節も合わないし、鹿なら紅葉を踏み分けられるけど、蛍が踏み分けるというのもおかしいんですね。要するに無茶苦茶ですが、秀吉はそれでも書けと言う。そこへ幽斎がやってきて、「いや、蛍も場合によっては鳴くことがありますよ。こんな歌があります。『武蔵野の篠をつかねて降る雨に蛍よりほか鳴く虫もなし』」。秀吉は「そら見よ」とうれしそうに言うので、紹巴はやむなく記録して、後日、「あれは何という歌集に載っている歌ですか」と幽斎に問うと、「あれはわぬしの首をつぎたるなり」、つまり、とっさに幽斎が作ったのですね。あれ以上秀吉に逆らうと、おまえの首はとんでいたぞ、ということです。出典は何だったのでしょうか、たしか白陵の高校入試に原文が出ていて、授業でやったことがあります。その文章には出ていなかったのですが、幽斎が下の句をつけて、「奥山にもみじ踏み分け鳴く蛍しかとは見えぬ杣のともし火」とした、という話もありますし、幽斎ではなく、曽呂利新左衛門のエピソードとしているものもあるようです。

話を古今伝授にもどすと、これがまた、わけがわからない。「古今集に出ている歌」として、普通はばらばらにしか歌を見ませんが、たとえば「春」という部立てでは、春に関する歌をランダムに並べているのではありません。「雪の中に咲く花」というテーマの歌がやたら続くなあと思っていると、徐々に季節が移り変わっていくことに気づきます。いつのまにか雪が消えて、花が満開になり、さらに進んでくと、いつのまにか花が散っていく、というように微妙な季節の移り変わりに沿って歌が並べられています。絵巻物のように、イメージが変化していく様子を味わって読むべきものですね。ということは、こういう歌集はそれぞれの歌を個別に味わうのではなく、編集者のアレンジのすばらしさを味わうものなのです。つまり、古今集には編集者の意図が強く反映されており、古今伝授もそれにかかわるものではないでしょうか。「物名」の部立てにある「三木三鳥三草」というのが、昔から意味不明とされていて、古今伝授でも、その部分を「秘伝」としているとか。三つの木や三つの鳥にかこつけて、何かを伝えようとしているのではないか、紀貫之らがなんらかの暗号をこの部分に秘めているのではないかと考える人もいるようです。藤原定家の子孫である冷泉家には何か伝わっていないのかなあ。表に出ると日本の歴史がひっくり返るような重大な秘密だったりして。もしそうなら、勅使を出してまで古今伝授を守ろうとした天皇も、当然そのことを知っていた可能性があります。もともと、ことばには魂がこもるという言霊信仰がありましたが、とりわけ和歌というのはそのことばをとぎすましたものですから、そういう「秘密」が隠れていても不自然ではありません。

いろは歌でさえ暗号になっているという、有名な話がありますね。同じ音を繰り返さず、意味の通じる内容にしているというだけでもすごいのに、七五調四句を七音ずつに区切り直すと、「いろはにほへと/ちりぬるをわか/よたれそつねな/らむうゐのおく/やまけふこえて/あさきゆめみし/ゑひもせす」になります。各句の最後が「折句」になっているという人がいるんですね。拾っていくと、「とかなくてしす」つまり「とが(罪)なくて死す」ということばが浮かび上がります。では、無実の罪を着せられて死んだのはだれか。梅原猛説では柿本人麻呂ですが、もっと「トンデモ」なことを言う人もいます。もう一度「いろは歌」を見てみると、最初の音が「い」、七音にならない最後の「ゑひもせす」は「ゑ」で始まり、「す」で終わっています。この三つの字を並べると「いゑす」になります。罪なくして死んだ、いちばんの大物といえば「イエス・キリスト」に決まってるじゃ、あーりませんか。この強引な結びつけにはしびれますね。天海=明智光秀を前提とした徳川埋蔵金の話にも、同じパターンがあります。明智家発祥の土地である土岐市と、北陸の明智神社、日光東照宮、徳川幕府の本拠地東京、徳川家ゆかりの静岡、幕府財政の基になった金山のある佐渡の六つの場所を結ぶと、ダビデの紋章になる、という「アホちゃう?」というやつです。その形になるように、六つの場所を強引に選んでいるのに、六角形のかごの目になった、と喜ぶ「説得力のなさ」が馬鹿馬鹿しくてすばらしいです。しかも、それが綺麗な六角形ならともかく、相当いびつなので、もうちょっと考えて選べよー、と思います。でも、なんとか「かごの目」を出さなければならないんですね。これは「かごめかごめ」の歌が徳川埋蔵金のありかを示している暗号になっている、という説ですから。

2013年5月21日 (火)

クマその他と暮らす

田植えの季節ですね。近所の田んぼにも水が張られたり早苗が植えられたりしています。

水田の美に目覚めたのは高校生のときです。風のない鏡のような水田に青空が映っているのを見て、その美しさにはじめて気がついたときのことを覚えています。学校の行き帰りにこんなきれいなものがあったのかという驚きがありました。それまでは田んぼがきれいだなんて思ったことはありませんでした。

小学生のときには、田んぼとはカメをさがす場所でした。あぜ道を歩きながらよくクサガメの姿をさがしていました。カメが好きだったんです。見つけたカメを水槽で飼っていたんですが、夏休みに宇和島の祖父母の家に遊びに行き、帰ってきたらいなくなっていました。両親に「カメは?」と聞くと、「ある日いなくなっていた」と。そんなバカな。と思いましたが、なんとなくうやむやにされてしまいました。

その後もたびたびカメさがしにいそしんでいましたが、あるとき、足をすべらせて尻餅をついた拍子に、太ももの裏の付け根を何かで切ってしまい、血をだらだら流しながら家に帰ると、カメ探しを苦々しく思っていたにちがいない母親が激怒、破傷風になるにちがいないと予言するのです。破傷風って何?と聞くと、それがいかに怖ろしい病気かということを縷々語り、不安のあまり「病院に行かねば」と取り乱す僕に、冷ややかな口調で「行かんでええ」などと言うのです。あのときは生きた心地もしませんでした。

しかしそれで懲りるかという懲りないのであって、さらに近所の勝尾寺川の河原からタニシを拾ってきて水槽で飼ったりしていました。そしたら、ある日、水槽の中に大量の小さなタニシが大発生して驚愕するのであった。

とにかくいろんなものを拾ってきて飼おうとしましたが、カエルの卵をバケツに入れて持ち帰ったときは、母親が絶叫し、しぶしぶ戻しに行きました。

そういえば、傷ついたハトを持ち帰ったこともありましたね。ま、助かりませんでした。

大学生のときはハムスターを飼っていました。

しかし、いちばん飼いたかったのはクマです。もちろん無理なのはわかっているんで、空想を楽しんでるだけなんですが・・・・・・飼いたいというより、一緒に暮らしたいって感じですかね。

大学のとき友だちと一軒家を借りて暮らしてたので、クマとルームシェアしたら楽しいだろうなあと夢想していました。

軽トラ借りて、荷台にクマを乗せてピクニックに行ったり。

縁側でひなたぼっこするのもよさそうです。まずクマが大の字になってねそべり、そのおなかを枕にして寝るんです。た、たまらないですよね。

トラヨコや稲荷小路(どちらも仙台の飲み屋街です)をふたり(?)ではしごするとか。

僕もクマもべろべろに酔っ払って、肩を組んでよろめき歩いてね。ゴミ箱蹴飛ばして「てやんでえ」とか「ガオーッ」とか叫んで。迷惑なんだけど、みんなクマが怖いから何も言わないんですね。で、じきに僕が酔いつぶれてしまいます。クマは僕をおんぶしてタクシーに乗せてもらおうとするんですけど、運転手に「酔っ払いとクマは乗せられないよ」とか言われて、仕方なく僕をおんぶしたまま歩いて帰る、みたいな。垂涎ものです。

クマじゃなくてこびとくんと暮らす夢想もしました。こびとくんですから、当然7人います。

僕が酔いつぶれて眠っているうちに、床下か天井裏からそろそろと現れて、僕の飲み残した酒を勝手に飲んじゃうんです。勝手に宴会するわけです。でも飲み過ぎてみんな泥酔しちゃうんですね、それでそのまま寝込んでしまう。僕が目をさますと、そのへんに散らばって倒れているこびとたちの姿が。ひとりだけ起きていて、玄関の僕の靴のなかにげーげー吐いています。それをきゅっとつかまえると、「はなしちくり~、おえ~っ」なんて言ってまた僕の手に吐くみたいな。うーん。ちょっと汚いけど、なんだかかわいくないですか?

こびとくん妄想は今でも続いています。先週宿題プリントのコメント書いてないから授業までに書かなきゃな~と思いながら教室に行くと、コメント書きがすべて終了しているときがあります。そういうとき、

きっとこびとくんだ、こびとくんがこっそり書いてくれたにちがいない。

などと悦に入るわけですね。逆に、自分ではやったと思っていたのにコメント書きが終了していないときもあります。そういうときも、

きっとこびとくんだ、あいつらが夜中にこっそり消したにちがいない。

なんて言ってます。ちなみにこの「いいことも悪いこともする」こびとくんが住んでいるのは、西北の南館です。

メルヘンですな。

2013年5月 8日 (水)

「注射」を隠し題にしたAKBの歌は何?

「怒られて口アングリー」みたいに英単語を日本語にこじつけたり、年号を語呂合わせでこじつけたりして覚えることがよくありますが、これにもうまい下手があるようです。「勉強したか? うん、勉強すたでー」とか「本がブックブックしずんだ」なんて論外です。「なんときれいな平城京」はよいとしても、「奈良の納豆」はだめでしょ。シェークスピアの生年没年を「人殺し(1564)の年に生まれていろいろ(1616)書いた」と覚えるのは乙。ルートの覚え方、「ひとよひとよにひとみごろ、ひとなみにおごれや、富士山麓おうむなく」もまあまあうまい。原子記号の覚え方として古典的な「水兵リーベ僕の船」はイマイチです。いくつかのバリエーションがあるようですが、どれも意味の上でかなり無理があるので、覚えるのに抵抗があります。これだけの個数を無理矢理並べるのだから、やむを得ないところもありますが。それに比べると、語呂合わせではありませんが、「いろは歌」はすごいですね。同じ字を二度使わずに、すべての文字を使え、という制約の中で、きちんと意味の通じる内容にしているところがすばらしい。これだけのものを作れるのは凡人では無理だというので、弘法大師が作ったということになっているのもむべなるかなです。ただ、こういうことば遊びをすると、なぜか、無常観のような、かなしい内容のものになることが多いのが不思議です。

「物名(もののな)」ということば遊びがあります。私のカラオケ・レパートリーとして『宗右衛門町ブルース』と並んで『自動車ショー歌』というのがあることは有名ですが、歌詞の中に車の名前が織り込まれています。「あの娘をペットにしたくってニッサンするのはパッカード」という感じで。これも格調高く言えば「物名」です。隠し題とも言って、歌の中にあることばを隠し込むんですね。古今和歌集では一つのジャンルとして、たくさん集められています。「秋近う野はなりにけり白露の置ける草葉も色変はりゆく」という歌には「桔梗の花」ということばが隠れています。ただし、「ききょう」ではなく「きちかうのはな」と読みます。「来べきほど時すぎぬれや待ちわびて鳴くなる声の人をとよむる」も、「ほととぎす」が隠れています。歌の意味も、ほととぎすの鳴き声が人々に愛されたということをふまえると、鳥の名をあてるヒントになっています。来るべきほどの時がすぎてしまったのだろうか、人々はその声が聞きたくて待っていたのだが、あきらめたころに鳴いた声のすばらしさで人がどよめいた、ということになります。

歌の意味とは関係なく、あることばをただどこかに隠し込むというだけのものもあります。「荒船の御社(あらふねのみやしろ)」を隠し込んだ「茎も葉もみな緑なる深芹(ふかぜり)は洗ふ根のみや白く見ゆらん」なんてのは傑作と言われとります。もっとことば遊びが徹底すると、国の名を十個入れる、なんてのも出てきます。「漕ぎ出でばいつ会はむ身の跡を遠み浪や真白に沖つ島々」は「 紀伊・出羽・伊豆・阿波・美濃・遠江・山城・隠岐・対馬・志摩」です。国の名と言っても旧国名です。こんな和歌にアルゼンチンとかアゼルバイジャンとかは出てきません。「世は憂きといとひ来し身の秋の友あはれ見交はせ山里の月」は「伯耆・肥後・美濃・安芸・能登・阿波・三河・佐渡・摂津・紀伊」で「摂津」は「津」と省略されています。この歌も、よく意味がわかりませんが、なんかかなしい。「逢ふて憂きは雲にかげろふ有明に風身にしみて帰るさの道」もかなしげです。虫の名が十個隠れています。「虻・蝶・蜘蛛・かげろう・蟻・蚊・蝉・蛙・紙魚(しみ)・蚤」です。蛙は「むしへん」で、虫あつかいですな。動物名なら「さとらねば憂しや憂と世をそむきてん人に如かざる身に生まれきつ」は「虎・子・牛・兎・をそ(かわうそ)・てん・鹿・猿・馬・きつね」で十個です。十二支の動物名だけを使うと、「馬逝ぬ日辻立つ憂しと雷雨峰」という五七五もあります。ちょっと苦しいのですが、「うまいぬひつじたつうしとらいうみね」なので「午・戌・未・辰・丑・寅・亥・卯・巳・子」の十個。なんと余分なことばは一切ありません。しかも、十二支の字の数はもともと二十一音で、五七五の十七音では四文字余ります。そこで、「酉」と「申」を「とりさる」ということで、取り去っているわけです。すごいっちゃ、すごいですなあ。

折句(おりく)というのもありますな。「唐衣きつつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」の各句の頭に「かきつばた」をばらばらにして入れていくというやつです。「をぐら山峰たちならし鳴く鹿の経にけむ秋を知る人ぞなき」には「おみなへし」が隠れています。今でも、たとえば前田という人を紹介して「まだ食べてるんか、ええかげんにせえよ、だめでしょが」とやりますな。谷川俊太郎レベルになるとさすがに、「あくびがでるわ/いやけがさすわ/しにたいくらい/てんでたいくつ/まぬけなあなた/すべってころべ」という、ちょっとおしゃれなのもあります。大河の『平清盛』でもありましたね。後白河が即位したときに、崇徳がおくった歌が、「あさぼらけ長き世をこへにほひたてくもゐに見ゆる敷島の君」で、一見即位を祝っているかのようですが、実は折句で「あなにくし」が隠れているのですね。ふつうは気がつかんはずですが、当時の貴族なら気づくのでしょうね。

「くつかぶり」は、漢字で書けば「沓冠」です。「くつ」と「かんむり」なので、頭だけでなく、各句の最後も拾っていきます。吉田兼好が友人の頓阿に「よもすずし/ねざめのかりほ/たまくらも/まそでの秋に/へだて無きかぜ」という歌をおくったところ、「よるもうし/ねたくわがせこ/はては来ず/なほざりにだに/しばしとひませ」という返事が来たという話があります。兼好の歌の各句の頭を拾うと「よねたまへ」、各句の終わりを最後から拾っていくと「ぜにもほし」、つまり「米たまへ、銭も欲し」となります。要するに、友達にものをねだっとるんです。それに対して、頓阿は「米はなし、銭すこし」という返事をしてきたというわけです。これはなかなかのものですな。テクニックもさることながら、兼好の歌が「暗号」になっていることを見抜いた頓阿もすごい。当時の和歌四天王(これ、いま変換したら「沸かし天皇」になっちまいました)の一人ですから、当然といえば当然かもしれません。MBS『ちちんぷいぷい』でないけど、「昔の人はえらかった」。

2013年4月28日 (日)

奈良交通バスの歌

先日、奈良の大峯をちょびっとだけ縦走してきました。

いわゆる熊野奥駈道の一部です。

近鉄吉野線の下市口から1時間ほどバスに揺られ、天川村で降り、狭い国道を何十分か歩いて「熊渡」というところから入山です。

熊渡・・・・・・。

不吉な名前だ。

僕は、前にも書きましたが、昨年五色ヶ原でツキノワグマに、一昨年大雪山系でヒグマに遭遇しています。

「二度あることは三度ある」つまりまためぐり逢ってしまうかもしれず、「三度目の正直」つまり今度こそ大事になるかもしれないということで、ちゃんとクマよけの鈴を持参してみました。でも、思い返してみれば、ヒグマに遭遇したときも持ってたんですけどね。何の意味もなかったですね。

今回は、クマには出逢いませんでしたが、カモシカを一度見かけました(川をはさんでしばらくガンをとばしあう)。カモシカとかシカって、だいたいやつらが枯れ枝を踏んでポキッと音をたてちゃうんで、気づくんですよね。シカが先にこちらに気づくときもありますが、だまってにげればいいのに、びっくりして「ピッ」などと叫ぶので、ばれてしまいます。ふと見ると、白い尻を見せてにげていくんですが、あのまのぬけた感じがたまらなくかわいいです。

さて。初日のルートは、弥山川コースあるいは双門滝コースと呼ばれている関西屈指のスリリングな好ルートです。いくつもの滝を横目に見ながら、ときには飛び石伝いに、ときには鉄梯子や鉄鎖につかまってひいひい言いながらのぼっていくのが楽しいです。ただテントと寝袋をかついでいたのでとにかく重い。沢の水がいくらでも飲めるんで、飲料水を担がなくてよかった分まだ楽でしたけど。

狼平というところにある避難小屋に着いたのが夕方5時頃でしたか、誰もいなかったのでテントはやめて小屋泊まりにしました。この狼平ちゅうところが、ほんとに綺麗なところなんです。結構清潔な小屋のそばを、おそろしく美しい沢が流れていて。

翌日は大雨でした。これは予想していたので、当初の予定どおり小屋に滞留。びっくりするぐらいごろごろ過ごしました。

夜8時に就寝したにもかかわらず、起床が10時。14時間睡眠ですね。朝食をとって音楽を聴きながら本を読み、1時間半ほど昼寝。また音楽を聴きながら本を読み、ときどき鼻をほじり、ビールを飲んで梅酒のお湯割りを飲んで・・・・・・。実に幸せな1日でした。ちなみに、読んでいたのはフィッツジェラルドの『夜はやさし』。20年以上前に買ったものですが、まったく読んでなかったんです。いざ読みはじめたら一気にのめりこんでしまいました。

とはいえ、日が沈むとまわりが真っ暗で怖いので、さっさと就寝します。前日あれだけ眠ったにもかかわらずきっちり8時間眠り、夜明け前の4時に小屋を出発しました。ほぼ快晴です。

まず八経ヶ岳に登頂。ご存じでない方が多いでしょうが、百名山のひとつで、聞いてください、なんと近畿の最高峰ですぞ。1,900メートル以上あります。ちなみに西日本には2,000メートル以上の山はありません。この山頂近くのテント場で一晩過ごしたとき、夜中に三人ぐらいの女の人の笑い声が聞こえてきて怖かったという経験があります。他に誰もいなかったんですけどね。

結局この日は11時間ぐらい歩いたかな。もう少しはやく目的地に着けそうだったんですが、膝が痛くなってしまって途中からうんと遅くなっちゃったんです。休憩時間入れて12時間行動しました。

登山道が完全に崩落してしまっているところが2箇所ほどありました。雨の激しいところなのでやむをえないんでしょうね。でも怖かった~。わずかな踏み跡を頼りに高巻きするわけですが、あのずるずる滑りそうな感じがたまらなくいやです。

この日は、前鬼という場所の宿坊まで下りて泊まったので(宿坊といっても無人ですが)、結局、テント使用せずで、ただむやみに重たいだけでした。前鬼に来たのは4度目です。沢登りに来るんです。もう、びっくりするぐらい綺麗な沢で、日本有数の美しさじゃないでしょうか。日本が世界に誇れるものは川ぐらいしかないんじゃないかと僕はひそかに思っているんですが、前鬼の沢はそのなかでも屈指です。

宿坊なので布団があります。たとえ2晩でも寝袋で過ごした後の布団はほんとうに素敵です。ただ、鼻が。ハウスダストアレルギーが出ちゃって、辛かったです。辛かったけど、10時間寝ました。われながらよく寝た3日間でした。

さて、実は本題はこれからです。

宿坊から前鬼口というバス停まで2時間半歩きます。で、バスに乗り、下北山村から上北山村、川上村を経て、近鉄の大和上市まで約2時間。このバスの旅がたまらないんです~。

もともと奈良交通が好きなんです。運転手がいい人ばかりなんですよ~。昔、やはり山登りに行くとき、乗り継ぎ時間に不安があって、運転手に聞くと、「あ、それはもしかしたら間に合わないかもしれないよ~、ちょっと待ってね~」と言ってわざわざ公衆電話から乗り継ぎのバスに連絡してくれたことがあります(奈良の山間部は電波状況が劣悪なので携帯があまり使えない)。

これは奈良交通ではありませんが、昔(大学生でした)、丹後半島でバスに乗ったときも運転手が親切で、「きみたちどこにテントはるの~」「◎◎です」「◎◎にテントはれるとこあったかなあ」「まあなんとかします」「ふーん、食べるものはあるの?」「いや、◎◎で何か適当に買おうかなと」「◎◎にお店なんかないよ~」「えっほんとですか」「う~ん、よし」と突然ハンドルを切ってUターン、来た道をしばらく戻るとスーパーの前でバスを止め、「ここで買っておいで」。

衝撃でした。他に乗客がいなかったとはいえ、路線バスがUターン・・・・・・! スーパーに連れて行ってくれる!

さすがにそこまでの経験はそれ以降ありませんが、奈良交通の運転手さんにいい人が多いのは事実です。乗るたびにほっこりしちゃいますね~。特に、自由乗降区間! 山間部はお年寄りが多いのを慮って、バス停以外の場所でも乗り降りできるようになっています。バス停も、もう、だれそれ宅前、という停留所名になってたりするんです。ほんとですよ。

素晴らしすぎるぜ、奈良交通。

というわけで、奈良交通バスに捧げる歌をつくってみました。

◇◆◇

奈良交通バスの歌  作詞:西川和人 作曲:未定 ※阿守孝夫氏(シベリアン・ニュースペーパー総帥)希望

あ~奈良交通ぅ、自由乗降区間~

お年寄りには席を譲りましょうって言うけれど~(けれど~)

年寄りしか乗っていない~

あ~奈良交通ぅ、自由乗降区間~

みんな運賃払わない~、年寄りばかりだから~(だから~)

代わりにみんな運転手に挨拶~

あ~奈良交通ぅ、自由乗降区間~

乗り降りにすごく時間がかかる~(かかる~)

よっこらしょ~どっこいしょ~ノンステップにしようぜえ

あ~奈良交通ぅ、自由乗降区間~

みんな好きなところで乗って好きなところで降りる~(降りる~)

自由乗降区間だから~

あ~奈良交通ぅ、自由乗降区間~

バス停がないわけじゃないけれど~(けれど~)

あ~西川宅前~吉田宅前~

あ~奈良交通ぅ、自由乗降区間~

火事の話で盛り上がる婆さんたち~(婆さんたち~)

合いの手入るぞイヤイヤホントだウンウンソウダまるで民謡~

あ~奈良交通ぅ、自由乗降区間~

◇◆◇

奈良交通の方、奈良県山間部在住の方、すみません。

あの、信じてください、ほんとに奈良と奈良交通が好きなんです。

2013年4月15日 (月)

「あるジーサンに線香を」は何のパロディ?

立川志らくはフランスのシラク大統領から来ているみたいですが、何の関係があるのやら。師匠の談志が名付けたらしいので、特に根拠はないのかもしれません。談春や志の輔とはネーミングの基準がちがうようなのはキャラクターによるちがいでしょうか。「笑点」の座布団運びの山田隆夫らがつくっていたグループ名が「ずうとるび」というトホホ系でしたが、フォーク・クルセダーズも『水虫の唄』をズートルビーという別名義で出していました。パロディ系の名前は三流のイメージが強いので、あえてそういう名前にしたのでしょうが、北山修たちだけに、あざとさ感も十分です。

トホホ系と言えば、新人文学賞のペンネームですね。鳥肌ものの名前がずいぶんたくさんあります。美月小路堕天使之介(るなのこうじあくまのすけ)とか炎立(ほむらたつる)とか緋文字アリスとか夜魔死多麻紗亜鬼とか。最終選考まで残ってもおそらく受賞できないようなタイプの名前です。いつか黒歴史として抹殺したくなるときが来るのかなあ。でも、こんなペンネームをつけてしまうような人にはそんなときは来ないような気もしますが。宝塚の「ありえない名前」も、昔は百人一首が出典だったんですね。春日野八千代とか天津乙女とか霧立のぼるとか(古い!)。相撲の親方の名前とおんなじですな。高砂とか尾上とか田子の浦とか。ものまねタレントはその芸と同じく、名前もものまねというかパロディになっている場合があります。アントキの猪木とかニッチローとか。ニッチローなんて、イチローの真似しかしないので、イチローをもじっただけでなく、「ニッチ」をかけているのでしょうね。隙間産業はニッチ産業、限定的市場はニッチマーケットです。佐藤B作だって、佐藤栄作のパロディですね。大河ドラマに出ているときなんか、キャストのところですごい違和感があります。「会津藩家老田中土佐」が「佐藤B作」と書かれていると、なんだかなあ。「でんでん」って書かれるよりましだけど。

パロディの代表として「替え歌」というのがあります。元の歌詞をいかにうまく生かすかがポイントなのに、最近はメロディだけで元歌とは関係なしというものが多いようです。「噛むとフニャンフニャン」とかいうガムか何かのCMでは、元歌の『狼少年ケン』とはなんの関係もありません。いまどき、だれも知らないような古い歌だけに、なぜ、この歌なんだろう、という違和感をねらったとも思えませんし、不思議です。こういうのは「替え歌」ではないので、なんと呼べばよいのでしょう? パクリ? こっそりやっているわけではないようなので、パクリでもないし、ただ曲を作るがめんどくさかっただけなのでしょうか。もともとインストルメンタルで歌詞がないものに、適当な歌詞をつけるというのはよくありますが、それともちがうので、なにか不快な感じがします。その不快感をあえてねらう、というハイセンスな技なら、たいしたものです。明石家さんまの『からくりナンチャラ』とかいう番組で、「替え歌」をやっていました。今でもやっているのか、番組自体があるのかどうか。今のさんまは劣化した「欽ちゃん」という感じで、痛々しくて見ていられないので、さんまの番組はほとんど知らない。『ひょうきん族』のころはよかったのになあ。まあ、とにかく、その番組の中で替え歌のコーナーがあって、たまたまちらっと見たのですが、元の歌とはまったく関係のない歌詞になってしまっていました。ことば遊びのおもしろさは全くなく、なぜその歌なのか必然性もなんにもありません。つまり、「替え歌」ではないんですね。

その点、嘉門達夫はえらい! まさに替え歌です。「誰も知らない素顔の八代あき」とか「チェーンソーを持たずにジェイソンが出てきた」とか「ツレなぐるマジで」とか、元歌の音や韻を生かしています。嘉門達夫のものでは『あったらこわいセレナーデ』なんてのはイマイチですが、『この中に一人』は、ばかばかしくておもしろい。「この中に一人、武士がおる、おまえやろ」「ちがうでござる」「おまえやー」というやつです。祝賀会の講師劇でもときどき使います。去年も「この中に一人、探偵ナイトスクープの司会やってるやつがおる、おまえやろ」「ちがいます」「ほな、九九の二の段言うてみい」「ににんがし、にさんがろく、にしだとしゆき」「おまえやー」というのをやりました。

タモリがやっていた「ボキャプラ天国」というのもパロディですね。「いぬ、猿が来てキジも家来になった、去年よりずっと家来になった」とか「裏の畑の墓地で泣く」とか「夜の校舎、窓ガラス、磨いてまわった」とか。こういう「ことば遊び」は昔からあるもので、「わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうじ山と人はいふなり」のパロディ「わが庵は都のたつみうまひつじさるとりいぬいねうしとらうじ」のおもしろさは、十二支について説明しておけば、小学生でもわかってくれます。単なる「もじり」ではなく、ワンクッションおいたパロディになっているところがおしゃれです。「長き夜の遠のねぶりのみなめざめ波乗り船の音のよきかな」でも、意味不明の歌ですが、回文になっていると言った途端、子どもたちはおもしろがります。むかし、甲陽の入試で川柳が出ていました。「受験前神や仏に□をつけ」の□に漢字を入れなさい、というやつです。川柳を使って、「およみなさい」とかやってるテレビ番組もありました。「ペケポン川柳」でしたか、あれなんて、じつは国語の勉強に相当役立つのでは? だじゃれになっているものが多いのですが、二つのちがうもので共通する音を見つける、というのは国語のトレーニングになりそうです。まあ、川柳というのは、爆笑はしませんが、「なるほどね、おもろいね」と感心するものか多いようです。「無理させて無理をするなと無理を言い」なんてのは、音がそろってて、うまいなあと思います。「シルバー川柳」というのもありますね。シルバー世代つまり人生の達人たちのことを詠んだ川柳です。「LED使い切るまでない寿命」とか「誕生日ローソク吹いて立ちくらみ」とか「マイケルの真似を発作と間違われ」とかいった自虐ネタがおもしろいのですが、最近やや身につまされるようになってきたところがつらい。ちなみに、私が好きなのは「なあお前はいてるパンツ俺のだが」というやつですが、こういうのが好きな人は長生きできるような気もします。

2013年4月 5日 (金)

西尾維新は回文

どういうところに対して「おもしろがる心」を持てるかが、国語力のちがいにつながります。たとえば金太郎と桃太郎の共通点は何でしょうか。どちらも「×太郎」である、というレベルなら、あっそう、で済んでしまいます。でも、どちらも鬼退治をしているんですよ、と言われたら、ちょっとおもしろくは感じないでしょうか。桃太郎は架空の人物だけど、吉備津彦命がモデルです、と言われても、ああそうですか、です。ところが、吉備津彦命は三人の家来を連れて、いまの岡山のあたり、鬼ノ城というところにいた温羅(うら)という鬼を退治し、その祟りを鎮めるために吉備津神社の釜の下に温羅を封じたということになっています。『雨月物語』の「吉備津の釜」にも、この釜をめぐる神事のことが出てきます。吉備津彦命の三人の家来の中に犬飼健というのがいます。当然、桃太郎が連れて行った犬のモデルですが、五・一五事件で殺された犬養毅首相の祖先です。あの人は、きびだんごをもらって桃太郎についていった犬の子孫だったのですね…。なんて言うと、ちょっとおもしろいなと思いませんか。

金太郎は実在の人物でしたが、息子と言われる坂田金平は江戸時代の浄瑠璃に登場する架空の人物です。怪力の持ち主で、その強さのイメージから、精のつく食べ物であるごぼうと結びついて、「きんぴらごぼう」と呼ぶようになったと言います。金時も金時豆の語源になっているので、親子ともども食べ物の名前と関係があるんですね…。と聞けば、やっぱりちょっとぐらいはおもしろいと思えませんか。こういうものをおもしろがる心があれば国語はのびると思います。

実在するかどうか、と言えば小説の登場人物の名前がひとむかし前と変わってきました。むかしはリアリティを持たせるためだったのか、意外に平凡な名前も多かったようです。井上ひさしの『一週間』という小説には、入江一郎なる人物が登場します。終戦直後、ハバロフスクの捕虜収容所に入れられた主人公が、元軍医・入江一郎の手記をまとめるように命じられ、その際に、表に出したらとんでもないことになるレーニンの手紙を手に入れる、というような話です。で、入江一郎って、どこかで聞いたことのある名前です。実際にはどうか知りませんが、いかにもよくありそうな名前です。長井代助とか野中宗助なんてのも、実在するかどうかはともかく、いかにも平凡な感じの名前です。時任謙作となると、名字にある種のニュアンスがあります。主人公が悩み苦しみから解放されて、時の流れに身を委ねようとする決意を志賀直哉は「時任」という名字にこめたのでしょう。しかし、「時任」という名字そのものは存在します。

ところが、最近の小説、特に推理ものやラノベ系では、架空であることを強調しすぎるような名前がよく登場します。最原最早(さいばらもはや)のように、明らかに違和感ありまくりのものから、病院坂黒猫のように、もはやそれは人の名前ではない、というようなものまで。マンガなら、むしろフィクションであることを意識させるジャンルなので、たとえ竜崎麗華とか白鳥麗子であっても、そんなものだと思っていましたが、小説になると、うーんという感じです。フィクションであることの強調なのか、それとも、実在の人物名にすると、文句を言われるからか。その登場人物は私だと言い出すようなストーカーにつきまとわれたくないということなのか。たしかに、リアルな名前だと、うっかりテスト問題に使えないこともあります。いい役回りならともかく、かたき役とかいじめられ役だったりすると、文句を言われそうです。同姓同名でなく、下の名前が同じだけでも、からかいの対象になったりすることもあるでしょう。

作家の名前自体が「入間人間」とか「日日日」になっていると、あざとすぎていやですね。入間人間の作品そのものは悪くはないのですが。「日日日」は「あきら」らしいですな。「日」を三つ組み合わせれば「晶」だから。って、それは「八十一里喚鶏」を「くくりつつ」と読む万葉仮名よりも、まだパズル度が高いぞ。ペンネームがキラキラネームになっとります。「今鹿」の「なうしか」は言われんとわからん。「龍飛伊」の「ルフィ」は意外に読める? (ちなみに今年の祝賀会のアトラクションは『ワンピース』のパロディでした。あの中の洒落たセンスのギャグはすべて私が考えたものですが、おやじギャグの部分は算数のO方先生の提供です。本人の名誉のためにイニシャルにしますが、「O」は「オー」ではなく「オ」と読みます。)「凸」の「てとり」はテトリスから来たのでしょうか。「黄熊」の「ぷう」とか「金星」の「まぁず」は…。

しかし、むかしの作家も、「くたばってしまえ」をもじったと言われる二葉亭四迷なんかはペンネームというより雅号で、こういうのはおふざけが前提の場合もあるのでしょう。直木三十五にしたって、三十一歳のときに「三十一」と名乗って、毎年増やしていき、三十五でめんどくさくなってやめたということですから、じつはいい加減と言えばいい加減です。小松左京は京大時代に京都の左京区に済んでいたからでしょう。『相棒』の「杉下右京」は「小松左京」のパクリなのかなあ。亀山薫も神戸 尊も甲斐享も「か」で始まって「る」で終わったりしていて、名前には凝っているようなので、ちょっと思いつきですが、書いてみました。筒井康隆は本名のようですが、筒井道隆とは無関係ですね。司馬遼太郎も「司馬遷にはるかにおよばない」からつけたものだし、「阿久悠」は「悪友」ですから、いい加減な名前に分類できるかもしれません。江戸川乱歩は本名が平井太郎ですから、そのままではあの作品は書けません。『お勢登場』とか『押絵と旅する男』なんて、平井太郎では読む気が起こりません。エドガー・アラン・ポオのもじりであることはあまりにも有名ですが、乱歩の作品の中に「御納戸色」という名前の作家が登場します。コナンドイルのもじりですね。外国人の名前を日本風にもじるのはよくあります。谷啓はダニーケイだし、益田喜頓はバスター・キートン、久石譲はクインシー・ジョーンズ、松任谷由実が別の人に曲を提供するときの呉田軽穂はグレタ・ガルボですね。その友達の女優、藤真利子は作家の藤原審爾の娘ですが、微美杏里とも名乗っております。ビビアン・リーですな。「私、エリザベスよ」と言ってたのは山田花子です。

2013年3月29日 (金)

いろいろ

灘コースの国語を担当していますが、実は低学年が好きです。今年は小4の授業を担当させてもらっています。毎週楽しみです。

小4なんて人間の仲間入りをして年数が浅いですから、子どもによっては相当アニマルです。当然のことながら休み時間と授業時間のけじめがなかなかつけられないような子もいます。先日、さあ、新年度が始まってだいぶたったことだし、ここらへんでそろそろひとつびしっと言うてやらねばなるまいと思い、キリッとした顔つきで注意してみました。

「◎◎くん、チャイム鳴ったやろ、もう授業開始やで。わかってるか?」

「はい、わかってマスタード」

「いや、ほんまにわかってるか?」

「わかってマスタード」

「わかってないと思う」

「わかってマスタード!」

なんだか頭がくらくらしてしまいました。

う~ん、小4。

たまらないぜ。

 ◇

◆◇◆

  ◇

先日、希学園21期生の合格祝賀会があり、例によって講師劇を上演しました。

21期生のみなさんが格調高いピアノ演奏を聴いていらっしゃるころ、舞台裏で、舞台衣装に着替え、セリフや動きのチェックをしている我々なのでありました。

では、私が携帯で撮った写真を。まずは主役の学園長。(携帯が古いうえに腕が悪いのでかなり画像が粗いです。)

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つづいて、何の役だか私も知りませんがなぜかにこやかな平野tr。幸せそうな笑顔ですね。平野trはここ2、3年幸せつづきでね。いつまで続くかな~。

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次は帽子が似合う男大澤健trと、いつも浮かれポンチなY田M平trです。

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そして、ラスト。ラストを飾るのは、国語科でもっとも真面目そうに見える矢原trであります。そう、「見える」だけであります。

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僕はこれといった衣装もメイクも必要なくて、いまひとつ盛り上がりませんでした。

来年はぜひ!

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