2013年9月18日 (水)

青葉茂れるはげあたま

王子さまとお姫様があてもない死の旅をしているとするなら、あの歌は「道行き」だったのですね。浄瑠璃や歌舞伎で、男女が死にに行く場面です。「この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えていく、夢の夢こそあはれなれ。あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽と響くなり」というやつです。荻生徂徠が絶賛した文章ですね。徂徠の言うとおり、たしかに「あれ数ふれば」のあたりからは、名文中の名文です。

徂徠は煎り豆を噛んで古人をののしるのが楽しみだと言ったことでも有名です。「豆」に縁があるのですかね、「豆腐」がらみの話があります。其角が「梅の香や隣は荻生惣右衛門」という句を作っていますが、其角の家の隣で徂徠は塾を開いていました。そのころ、あまりの空腹で、金もないのに豆腐を注文して食べてしまいます。豆腐屋は許してくれたのですが、その豆腐屋は赤穂浪士討ち入りの翌日に火事で焼けだされます。徂徠が新しい店を贈ろうとしたところ、義士に切腹をさせた徂徠からの施しはいらないと言われます。徂徠が法の道理と武士の道徳について語ると、豆腐屋も納得して贈り物を受け取るという話で、浪曲・講談・落語で演じられます。たいしておもしろい話ではないのですが、志の輔のがなかなかいい。

話を前回の続きに無理矢理もどすと、リアリズムでなくても、誤解の上に成り立つ美があれば、それでいいのですね。『南総里見八犬伝』では伏姫を取り返すべく、金碗大輔が鉄砲をかついで八房と伏姫のいる富山に向かったものの、八房ともども伏姫もうちぬいてしまいます。時代設定は1450年ぐらいです。1543年の100年前ですね。馬琴は、鉄砲の伝来時期を知らなかったのでしょうか。でも、そういう細かいことを無視して楽しめばよいのですね。

ただし、誤解と言っても、たとえば歌詞の聞き間違いはだめです。「異人さんに連れられて行っちゃった」を「ひいじいさんに連れられて」と勘違いしたら、意味不明の設定になってしまいます。「川は流れてどこどこ行くの」の「どこどこ」は「何処何処」でしょうが、なんとなく擬声語・擬態語の「ドコドコ」のようにも聞こえると思ったとたん、笑ってしまいそうになります。「矢は放たれた」なんてことばも「洟垂れた」に聞こえてしまうんですね。別にダジャレにするつもりはなかったのに「結果的ダジャレ」になってしまう。

「結果的早口ことば」というのもありますね。「老若男女」をつづけて十回言わされたら、何回目で「にゃんにょ」になるでしょう? 一回目からいきなり「りょーなくなんにょ」と言ってる人もいます。「きゃりーぱみゅぱみゅ」なんか、アナウンサー泣かせでしょうね。「手術室」などは「しじつしつ」のようにごまかしても許されるそうですが、プロなら「摘出手術」はまちがわずに言ってもらいたい。「低所得者層」とか「土砂災害」「骨粗鬆症」「貨客船万景峰号」も原稿にあったら、いややなと思うやろなあ。「かきゃくせんマンギョンボンごう」なんて、いやがらせとしか思えません。「マサチューセッツ州」なんてのも言いにくそうです。

「追加予算」を「おいか予算」と読んだり、「生憎の雨」を「ナマニクの雨」と読んだりするのは単なるKYでした。麻生さんは「踏襲」を「ふしゅう」、「未曾有」を「みぞうゆう」と読んで笑いものにされましたが、アナウンサーだって、「訃報」を「とほう」、「西瓜」を「にしづめ」、「浪速」を「ろうそく」と読んだ人がいたそうです。「旧中山道」という横書きの原稿を「1日じゅう山道」と読んだというのは伝説になっていますし、シューベルトの『鱒』を「しゃけ」と読んだ人もいたそうです。徳川綱吉を「とくがわあみきち」と読んだというのは誤読というより単なる無知。「我田引水」を「われたゆみみず」とか「冷奴」を「つめたいやつ」とか…これはウソです。

早口ことばで「坊主が屏風に上手に…」というのがありますが、あれはたまにそのあとが「坊主の屁をこいた」になる人がいます…いませんか。でも、錯覚してしまうことがあるかもしれません。パロディにしてやろうと思っているわけでなく、「言いまつがい」ですね。二つのものがごっちゃになるのは「的を射る」と「当を得る」、「言わぬが花」と「知らぬが仏」など、形がもともと似ているので、ついうっかり言いまちがえてしまう。「言わぬが仏」って、ものを言わないのは仏様になっているからだと思うと、正しいような気もします。

まちがいではありませんが、歌の途中で歌詞がわからんようになってごまかす、というのもよくありますね。たいてい「なんたらかんたらで~」と言ってごまかします。むかし鶴瓶が「飛び散る火玉は走るこだま」とか「垣根の垣根の曲がり角、焚き火だ焚き火だ落ち葉焚き、帰ろうか帰ろうよ」と歌って、上岡竜太郎に「火事になるわ」と突っ込まれてましたが、こんな歌、最近は歌わんようになったのかなあ。鶴瓶は、「夕焼け小焼けで日が暮れて」という歌詞は合っているのですが、メロディが『赤とんぼ』になってるというのもありました。酔っ払うと、勝手に歌詞を変えてしまい、気に入るとなぜかそこだけ繰り返して歌うおっさんもいます。米米CLUBの『浪漫飛行』の「トランク一つだけで浪漫飛行へ In The Sky」の歌詞をしつこく「浪漫飛行でいいんですかい?」と歌うおっさんとか、井上陽水の『夢の中へ』の「はいつくばってはいつくばって一体何を探しているのか」を「タイツ配ってタイツ配って一体何を探しているのか」と歌うおっさんとか。

『替り目』という落語で酔っ払いのおっさんが、わけのわからん歌を歌うところがあります。「一でなぁし、二でなし、三でなし、四でなしかぁ。五でなし、六でなし、七でもありませんよ、八でもなければ九でもないなぁ~い。十が十一、十二、十三、十四、十五、十六……」と歌って、「この歌止まらんなあ、さっぱワヤやねぇ」と枝雀は言うてました。「青葉茂れる桜井の里のわたりの夕まぐれ木の下蔭に駒とめて世の行く末をつくづくと忍ぶ鎧の袖の上に散るは涙かはた露か」は落合直文の作詞ですが、七五調の五の部分をすべて「はげあたま」に替えてぶちこわしにするという話を覚えているのですが、はて、どこで読んだのやら。

2013年8月24日 (土)

月の砂漠はタクラマカン

「義士外伝」というのは、『忠臣蔵』の四十七士以外の物語です。『四谷怪談』は「外伝」の一つと見ることもできます。四十七士それぞれについての話なら「銘々伝」ということになり、講談や浪曲の形で広がっていきました。浪曲つまり「浪花節」は、広沢虎造の「寿司食いねえ」とか「馬鹿は死ななきゃなおらない」などのフレーズが流行語になったこともあって、関東のイメージもありますが、本来はその名のとおり大阪発祥なので、もともとは庶民の義理人情の話が中心です。「浪花節」ということば自体が、義理人情にからんだ「くさい」話の比喩として使われることもあるぐらいです。でも、今ではすっかり廃れてしまいました。ちょっと前までの寄席では浪曲系の漫才も多かったのですがね。宮川左近ショウとかタイヘイトリオとか。

フラワーショウという女性三人組もいました。そのうちの一人のお兄さんが京山幸枝若という人で、いわゆる浪曲だけでなく河内音頭もやっていて、『河内十人斬り』なんてのが有名です。明治のころに赤阪水分村で起こった「殺人事件」を題材にして、事件直後につくられたものです。それまで古い義士ものや任侠ものが歌われていたのに対して、最近起きた実際の事件を歌ったので「新聞読み」と言います。「新聞」は「しんぶん」ではなく「しんもん」と読みますが、まさにニュースを知らせるものだったのですね。「男持つなら熊太郎弥五郎、十人殺して名を残す」というフレーズは今の時代なら「不謹慎」と言われそうですが、ヒットしたのですね。いまだに歌われているだけでなく、町田康の小説『告白』の題材にもなっています。読売新聞に連載されていましたが、会話のリズムがなかなかのもので、不思議な魅力があります。

河内音頭だけでなく、八木節や江州音頭など、ストーリーを語るものがたくさんあります。平家物語もストーリーのある「歌」です。こういうものの子孫として、日本の歌謡曲が生まれてきたのでしょう。西洋でも吟遊詩人というのがいましたが、メロディをつけて楽器を使いながら「語る」ことによって聴く人の心をゆさぶるのですね。『矢切の渡し』という曲がありましたが、あの歌詞を手がかりにして、いろいろ推理している人がいました。どういう状況で二人が舟に乗って、どこからどこへ行くのか、元の歌詞の断片的な情報から読み取っていくのは、探偵の推理のようで、なかなかおもしろいものでした。

『木綿のハンカチーフ』という歌は松本隆が歌詞を作っています。じつは元ネタがあり、ボブ・ディランの歌で、旅に出た主人公と残してきた恋人とのやりとりになっています。送ってほしいとねだるのは「ハンカチーフ」ではなく、「スペイン製の革ブーツ」ですが。歌詞のなかの「いいえ星のダイヤも海に眠る真珠も、きっとあなたのキスほどきらめくはずないもの」のあたりなんかは、ほぼそのまま使っています。でも、この歌でも、いろいろなことが推理できます。「ぼく」は都会に憧れて、田舎から出て行きますが、恋人の女性は田舎暮らしに満足しています。この対比は、高度経済成長を象徴する二つの価値観の対比だ、と言う人もいますね。そんな大層なものかい、と思うのですが。で、歌が進むにつれて、その価値観のちがいがだんだん大きくなっていき、最後には破局を迎えます。そのときに、「涙拭く木綿のハンカチーフください」というフレーズが出てきて、はじめてタイトルの意味がわかります。では、恋人がいるのはどこでしょうか。「草に寝ころぶあなたが好きだったの。でも木枯らしのビル街、体に気をつけてね」という歌詞があるので、ここから推理すると、「ぼく」は「木枯らしに弱い」はずです。ということは、彼らのふるさとは「温暖な土地」ではないかと見当をつけられそうです。「ぼく」は「東へと向かう列車」に乗りますが、「都会」は東京とはかぎりません。そこで、利用した路線は「山陽本線」ではないか、「紀勢本線」と考えるのは無理があるのではないか…。ばかばかしいけど、こういう推理も結構おもしろいですね。

まあ、こういう歌のディテールについては人それぞれの思い込みがあるのでしょう。自分が酔いしれることができるのなら、まちがった解釈でもよいのかもしれません。「敷島の大和の国に人ふたりありとし思はば何かなげかむ」という歌が万葉集にあります。「この日本にあなたと二人でいるのだから幸せだ、なげくことなど何もない」と解釈して、二人ラブラブのすばらしい恋の歌だと思っても責めるにはおよびません。「恋愛とは美しき誤解である」と言った人がいますが、まさに「美しき誤解」なら許されそうです。本当は「思へば」に対して「思はば」は仮定条件を表すので、「この国にあなたがもう一人いると思えるなら、何をなげくことがあるだろう。あなたはたった一人しかいない」と解釈しなければなりません。しかも「あなた」はこちらを振り向いてもくれないのですね。かけがえのないあなただから、ただなげき続けるしかない、という意味なのです。こういう歌でいう「人」は「あのひと」ということで、「人間」という意味で使うことはあまりないし、だいたい恋愛がうまくいって喜ぶ歌そのものはまず詠まれません。ふつうはなげきの歌なんですね。

はじめから作者がまちがっていて、おかしいという場合もあります。「月の砂漠」の歌詞で「おぼろにけぶる月の夜を」とありますが、沙漠で月が「おぼろにけぶる」ということはありえない。作詞の加藤まさを自身が千葉かどこかの海で着想を得たと言っていたはずなので、作者自身の「誤解」ですね。日本のイメージがつい出てしまったのでしょう。ほかにも変なところがあります。「金の鞍」「銀の鞍」に乗っていたとありますが、金属製の鞍なら、昼間は熱くなってしまって乗れないのでは? お尻が火傷やけど、という、しょうもないダジャレも入れつつ。だいたい、ラクダは物資を運ぶために使うので、ふつう人間は乗らないようですが、「ひろい沙漠をひとすじに、ふたりはどこへゆくのでしょう」。お供がいる様子もなく、たった二人で「とぼとぼと」夜の沙漠を「だまって越えてゆきました」。「金の鞍には銀の甕、銀の鞍には金の甕」も、沙漠をこえるのに必要な水甕を相手に預け、それを「紐で結んで」あるのは、おたがいの命を相手にゆだね、しかも結ばれているというイメージです。とすると、「おそろいの白い上着」が意味するところも見えてきます。「白」をわざわざ着たふたりの行き先は……って、これほんとに童謡ですか?

2013年8月 6日 (火)

わらの男

あまりにも暑い日々が続いていますがいかがお過ごしでしょうか。

今年の梅雨入りはなんだかあやしくて、ざーっと雨が降って梅雨入り宣言が出たものの、その後長らく雨が降らず、あの梅雨入り宣言は何だったのだろう、あれは気象庁の勇み足で、あの時点ではまだ梅雨入りしていなかったのではないか、気象庁の人たちも「やってしもた~」と思っているにちがいないと睨んでいたのでありますが、そんな梅雨も終わってだいぶたちます。

前回の山下先生の記事がアップされるまでブログの更新が滞っていたのは私のせいです。山下先生はだいぶ早くに書いてくれていたんですが、それを私が長い間アップし忘れていました。山下先生、そして数少ない読者の方々、申し訳ありません。心に余裕がない人間はダメですね。いつもあっぷあっぷして生きているのでいろんなことを忘れてしまいます。シャレではありません。

さて、僕は暑いのはまったく気にならないのですが、湿気に耐えられません。中央アジアを旅行したとき、ひどく暑かったんですけれど、もうまるで平気で、むしろ心地よかったのは、空気が乾燥していたからだと思います。空気さえからっとしていればいくら暑くてもだいじょうぶ、というのがそれ以来の僕の信念です。

かりに、暑くてしかも湿気がひどかったとしても、皮膚が何にも接触していなければ問題ない気がします。つまり、素っ裸ですね。素っ裸で、寝そべったり座ったりせず立っている状態です。座ると、椅子の座面にからだがふれますし、寝そべったりすればますますそうなるからダメですが、足の裏が床に接触している程度ならば問題はなさそうです。でも、正直、その状態で1日を過ごすのは難しいですね。当たり前のことですが、まず、外出できません。まだそんな勇気はないですね。僕の亡くなった祖母は、その昔、銭湯から帰ってくるときいつも上半身はだかで、近所の人々に恐れおののかれていましたが、僕自身はまだその境地に達していません。祖母は九州の人で、はやくに夫に先立たれ、子どもを育てるために炭鉱で働いたこともあるという話なので、そういうのが平気だったのかもしれません。中学生のとき国語の授業で「たらちねの」という枕詞を習い、長崎の片田舎にひとりで住んでいる祖母のことを思い出しました。

こんなに暑くて湿気がひどいと、沢に行きたくなります。沢登りしたいです。はじめて沢登りをしたときは、こ、こ、こ、こんなに楽しいことがあったのかと大興奮しました。まさに大人の水遊び。最近では、お酒を飲んではじけることなんてなくなりましたが、沢に入ると秒殺で脳内麻薬物質が分泌されトランスしてしまいます。沢は危ないですけど、天候に気をつけて慎重に行動すればあんなに楽しいことはありません。

はじめて沢登りをしたときだったか二度目だったか、いっしょに行った(というか連れて行ってくれた)Y田M平先生が熱中症(的な何か)にやられちゃって、大変でした。Y田先生、塩分とらずに沢の水をがぶ飲みしてましたから、それがよくなかったんじゃないかなと思います。僕は水分はため込むタイプなのか、飲むときは大量に飲みますが、飲まないときは全然飲まなくても平気で、そのときもほとんど飲みませんでしたが、全然平気でした。いずれにせよ、沢をたいがい登り詰めて、登山道に出、あとは下山するだけというあたりからY田先生のようすがぜえぜえはあはあとあやしくなり、数分歩いては休憩するという状態に陥りました。熱中症(的な何か)は怖いです。あっという間に日が暮れて、真っ暗な樹林帯をヘッドランプの明かりを頼りに下っていきましたが、何度目かの休憩のとき、ふとあたりを見わたすと、斜面一帯が蛍で埋め尽くされていたのであります。こんなに美しいものが見られるなんて何と幸運なんだろう、それにしてもなぜ横にいるのがこいつなのだろう、と思っていると、「こいつ」がうつろな目をして「ほらごらん、来てよかっただろう」と、何十回も聞かされてうんざりしている定番の「ギャグ」を力なくとばすのでありました。まあ、僕も似たようなことはよく言うわけで、僕の場合は、十三教室のエレベーターなんかで事務系の女性職員と2人きりになってしまってなんとなく気まずい感じのときに「やっと二人きりになれたね」などと言ってどん引きされてしまうわけでありますが、まったくオヤジというのはどうしようもないものです。

閑話休題。今までに見た、最も綺麗な蛍でした。使い古された形容ではありますが、まさに幻想的とはこのことかって感じで、しかもなぜか地の底から読経の声が響いてきましてね。あーもう極楽浄土ですかって思いました。実は、登山道の入口(つまり出口)のあたりがお寺で、ちょうどそのとき若いお坊さんたちが集まって修行か何かやってたんですね。比良の沢でした。

去年は沢登りに行けませんでした。今年こそは行きたいものです。ちゃんと地下足袋と草鞋のストックがあるんです。Y田先生は渓流タビ、Y川先生は渓流シューズ、そして私は草鞋なんですが、草鞋が最強ですよ。濡れた岩のうえだけでなく、滝を高巻いて藪漕ぎするときにも滑りにくい。使い捨てですが、年に1回か2回のことですし。溯行終了点の木の枝か何かに草鞋をくくりつけるというのがまたおしゃれです。なんせワラだから、ゴミにならない。

ワラといえば、昔、だれかに見せてもらった「誕生日の花」の本で、僕の誕生日の花が「ワラ」になっていて驚愕したことがあります。ワラって、花じゃないじゃん! ていうか、植物名ですらないよね!? じゃあ俺は誕生日に花束のかわりに藁束もらうのか!? しかも、花(?)言葉が「協調性」とかなんとか書いてあって、小学校のとき通知表にいつも「協調性がない」と書かれていた僕と知ってのことだろうか、何のいやがらせだ、と憤慨しました。

 

 

 

 

 

2013年7月25日 (木)

スピンオフ

「おいこら」は「おーい、そこのあなた」というレベルで人を呼びとめる意味だったのが、鹿児島出身者が警察官になって使ったため、人をおどすような感じで受けとられたのですね。誤解というのはおそろしい。「ナイスショット」はゴルフでよく聞くことばです。特に接待ゴルフでは必要不可欠なことばでしょう。ところが、鹿児島弁で「ナイショット」と言われたら、「なにやってんだ」という意味になってしまいます。「どこを狙うとる、この下手くそ」と言うとるわけですから、鹿児島でゴルフをするときには「ナイスショット」は禁句ですな。

昔、黒板消しのことを「ラーフル」と言う人がいましたが、これも鹿児島弁の一つです。オランダ語の「ぼろ布」という意味だそうで、長崎経由でオランダ語がはいってきたのでしょう。「ゴム」のことを「ギッタ」と言います。「ゴムまり」は「ギッタマイ」です。これも、もとはオランダ語のようです。方言の中に外国語もまじっているのですね。逆もあります。「醤油」のことを「しょい」と言います。この変化は全国的にあるようで、大阪でも使っている人がいます。「しょいのみ」とは「醤油の実」、つまり大豆のことです。幕末のころ、パリ万博に薩摩は幕府とは別に参加しています。そのときに出品した調味料「しょい」がなまってソイになり、ソイソース、ソイビーンという英語になったとか。「ヤクーザ」「カローシ」と並ぶ、日本語がもとになった英語ですな。

一方、東北弁のほうは過疎と震災で消えそうだとも言われます。「じぇじぇじぇ」はブームですが。あれは地元では「じゃ」と言うらしい。それでも残っていることは残っています。一方、石巻では雄牛が「ど」、陸前高田では「梅雨」が「じっぷぐれ」と言っていたそうですが、こういうことばがなくなりつつあると天声人語に書いてありました。むかし、秋田の大曲の老人と話をしたとき、まったく意味不明でその息子が「通訳」してくれましたが、何を言っていたかというと、「津軽弁はわからん」とのこと。有名な「どさ」「ゆさ」ですな。「どこへ行くのですか」「お風呂ですよ」というやつ。短くなるところは鹿児島弁と似ています。「け」だけで、「食べろ」「かゆい」「おくれ」「どうぞ」「粥」になりますし、「毛」も当然「け」ですね。自分の「わ」、あなたの「な」など、古語もしっかり残っています。「えふりこぎ」は「いいふりをこく(する)」意味の「いいふりこき」で、見栄っ張りのことだし、「おべだふり」は「覚えたふり」の訛りで知ったかぶりのことだというのは納得しやすい。「~だんず」「~だびょん」「~ずおん」みたいな文末の音の感じがフランス語に似ているので、トヨタのCMでもやっていましたね。「せばだばやってみら」とか言ってました。英語の「ハブ・ア・ナイス・デー」も津軽では「へばナイスデー」と言うらしい。ほんまかいな。津軽弁もそのまましゃべっても、暗号として使えそうです。

暗号と似たもので、よく推理小説に出てくるのが「ダイイングメッセージ」です。「今日のお料理はカレーです」っていうやつですか。そら、ダイニングメッセージやがなー! 祝賀会の劇でも「ダイイングメッセージ」ということばが出てきたときに、「ソーセージもって死ぬこととちゃうでー」という不謹慎な台詞を書いています。O方先生に強制されて書いたのですがね。ミステリーで、死んだ人物が死ぬ間際に残したメッセージのことで、たいがい犯人を示しているのですが、なぜかズバリと言わないで、まわりくどい暗号になっています。犯人に知られないようにするため、という苦しい説明がついているのですが、死ぬ間際にそんなまわりくどいことを考えるだけの気力があるのでしょうか。「被害者のポケットには碁石が88個はいっていた。白が52、黒が36。これはピアノの鍵盤の数だ。つまり犯人はピアニストのあなただ!」……まわりくどいだけでなく、碁石を数えながらポケットに入れてる間に死んじゃいます。死ぬ前に入れてたとしたら用意周到すぎるし、ポケットふくらみすぎで犯人に見破られます。横浜スタジアムの方向を指さして倒れている被害者、探偵は犯人を浜陽子という女性だと断定します。なぜなら、被害者の指さす方向に書かれていた文字は「YOKOHAMA」……。

『相棒』のスピンオフ「X DAY」は悪くはなかったのですが、予想通り地味めの展開でした。犯人さがしというより、権力をもった相手に真相をにぎりつぶされるという、よくあるパターンで、右京さんもわざわざ出るまでもないという感じでした。スピンオフだから当然といえば当然ですが。「スピンオフ」ということばも、最近よく聞くようになりました。テレビのドラマや映画、漫画などの「派生作品」という意味のようです。単なる続編ではなく、脇役キャラクターを主人公にしたりするようなやつですね。『バットマン』から生まれた『キャットウーマン』(古いか!)とか、ドラクエのシリーズから生まれた『トルネコの大冒険』(これも古いか!)。キングボンビーの『桃太郎電鉄』は『桃太郎伝説』のスピンオフと言っていいのか? 志村けんのバカ殿は『全員集合』か『ドリフ大爆笑』のコントから一つの番組になったのだから、これもスピンオフでしょう。一つのキャラクターが別の作品で主人公になるというだけなら、手塚治虫の「スター・システム」もあてはまりそうですが、スピンオフはその背景となるものが共通しているのに対して、スター・システムはキャラクターが俳優みたいなもので、全く別の作品に出てくるという違いがあるようです。スピンオフというのは、昔なら「外伝」と言っていたものですかね。白土三平の『カムイ伝』は、『ガロ』という雑誌に連載されてたのですが、『少年サンデー』でやってたのは『カムイ外伝』でしたね。「外伝」ということばを覚えたのはこの作品だったのかもしれません。『ガロ』は、手塚治虫の『COM』とともに、大人向けのマンガ雑誌で、全共闘時代の大学生がお気に入りだったものなので、本伝が大人向け、外伝は子ども向けだったのかもしれません。テレビのアニメも「外伝」のほうだったと思います。松山ケンイチと小雪の映画も「外伝」だったかな。見ていないので記憶はあいまい。評判もイマイチだったような。同じ忍者でも、大物俳優加藤清史郎先生主演『忍たま乱太郎』は「外伝」ではありません。

2013年6月30日 (日)

けけけけ

たしかに「かごめかごめ」の歌詞は妙です。「かごめかごめ籠の中の鳥はいついつ出やる夜明けの晩に鶴と亀と滑った後ろの正面だあれ?」。「籠の中の鳥」とは日光東照宮のことで、家康の墓の近くに「鶴と亀」が描かれたものがあり、そのあたりに徳川埋蔵金があるのです。ポルトガルの宣教師が「家康は、たくわえた金銀の重さで城の床が抜け落ちた」と書いているぐらいなので、家康は相当ためていたのですね。で、南光坊天海と明智光秀は同一人物であることは明らかで、「かごめかごめ」は天海すなわち光秀が作ったのです。そして、服部半蔵が松尾芭蕉を名乗り、全国に「かごめかごめ」の歌を広めていったというのは、いまや知っている人は知っている、知らない人は知らないという、有名な事実ですね。

江戸の町は完璧ではないながらも、陰陽道の四神に相応していることになっています。東の青竜は川を表すので、これは利根川でしょう。南の朱雀は湖ですが、東京湾という海で代用できます。西の白虎は道なので、東海道。北の玄武は山で、これが日光連山になります。それらの中央にあるのが江戸城で、江戸の内外にある神社仏閣は、じつは江戸城の出城という位置づけであり、日光東照宮は江戸防衛上の最大の砦だとか。そう思ってみると、たしかに「かごめかごめ」の歌は陰陽のような対比にみちみちています。「籠の中」と「出る」は内と外の対比だし、「夜明け」と「晩」、「鶴」と「亀」も対比、「滑る」は「出る」との組み合わせで、「失敗」と「成功」の暗示かもしれません。「後ろ」と「正面」も対比です。どう見ても、何かをかくした暗号のような感じがします。だれか、暗号を解いて埋蔵金を見つけ出してください。

ただ、チマチマとした暗号は、小説などでは暗号のための暗号になってしまい、かえってコッケイになることすらありますね。第二次大戦中、世界各国が暗号で連絡を取り合う中、日本では堂々と日本語をそのまま使って電話で連絡をしたという話があります。ただし、鹿児島弁ですが。純粋な鹿児島弁を早口で話したら、普通の日本人でもわかりません。アメリカによる盗聴は当然あったものの、全く意味不明、何語かさえわからないということで、しばらくは解読不能だったとか。実に大胆な暗号です。そのときにしゃべったことばの記録を読んだことがありますが、ちょっと鹿児島弁がわかる人なら、なんてことはない、ふつうの言い回しでしたけどね。海軍は薩摩がつくり、陸軍は長州がつくったので、海軍では鹿児島弁にはあまり抵抗はなかったのかもしれません。陸軍の「なんとかであります」も、もともとは長州弁らしいですな。

だいたい鹿児島弁そのものが、幕府のスパイを防ぐために、あえて人工的に作ったという説があるぐらいです。否定する学者も多いのですが、私の知っている鹿児島県人はみんなうれしそうに、「関ヶ原の合戦で逃げたあと、国境を閉ざすだけではなく、ことばも変えて、領土を守ったんじゃ」と言うてました。宮中では、一般庶民の世界とはちがうせいか、独特なことばが使われます。餅が「おかちん」になったり、数の子が「かずかず」になったり。なにか、ふざけてるみたいですが、御所ことば、女房ことばというのは、こんな感じです。でも、やっぱりスルメが「するする」というのは、なんかむかつく。蛸が「たもじ」になるのは、「文字」をつけるパターンですね。「杓子」の「しゃ」に「文字」をつけて「しゃもじ」、鮨が「すもじ」、「ひだるし」が「ひもじい」、お目にかかるのは「お目もじ」です。ほかにも、「くろもじ」とか「かもじ」とか「ゆもじ」とか、いっぱいあります。「おでん」は「田楽」に「お」がついたもので、「おかか」「おひや」「おかき」なども、もともとは宮中ことばでしょう。そういえば「御御御つけ」という、すごいものもありました。「おもや」に住む人で「おもうさま」、対屋に住む人で「おたあさま」というのは、父母のことであると、うちのおたあさまが言うとりましたな。で、島津の殿様が、このことばを故郷に持ち帰って、自分たちのことばにしたとかいう説もあるようですね。たしかに、鹿児島で豆腐のことを「おかべ」というのは、「白壁」から来ているのでしょうが、御所ことばです。

島津家は、表向きには源頼朝の落胤が始祖であることになっていますが、どうやら偽源氏で、もともと惟宗姓だったようです。近衛家の日向国島津荘の荘官だったのが、頼朝から地頭に任じられて島津と名乗るようになったということで、近衛家とのつながりが強い。摂政・関白になれる家柄は近衛・九条・二条・一条・鷹司の五つで、五摂家と言います。近衛はその筆頭で、肥後細川家の当主の細川護熙さんは近衛文麿の孫にもあたります。幕末には島津一族の娘が近衛家の養女となったうえで、将軍家定に嫁ぎました。篤姫ですな。そういう関係もあったので、鹿児島弁の中に宮中のことばがまじっていてもおかしくはなさそうです。

でも、「けけけけ」は御所ことばではないでしょう。実際には「けーけけけー」みたいな言い方のようですが、「貝を買いにこい」という意味になります。「貝」が「け」、「買い」が「け」、「来い」が「け」になるんですな。「ここに来い」は「こけ、こけけ」で、ニワトリ状態です。博多弁でも「とっとっと」がありますね。「(その席は)とっていますか?」「とっています」が「とっとっとー?」「とっとっとー!」になる。大阪弁の「チャウチャウちゃう?」「ちゃうちゃう、チャウチャウちゃう」「え? チャウチャウちゃう?」「うん、チャウチャウちゃうんちゃう?」とおんなじようなもんですかね。鹿児島といえば桜島で、灰がふってくる。天気予報では桜島上空の風向き予報をしています。洗濯物を干すかどうかの判断材料です。この「灰」が鹿児島弁では「へ」になってしまう。「蝿」も「へ」です。「屁」も当然「へ」。靴は「くっ」、「釘」も「くっ」、「櫛」も「くっ」、「来る」も「くっ」、首も「くっ」、口も「くっ」です。なぜか「頭」は「ビンタ」ですな。明治のころ、鹿児島出身者が軍隊などで引っぱたくときに、「びんた、行くぞ」とでも言ったことばが、行動そのものを表すことばだと思われて全国に広まっていったのでしょう。でも、体罰禁止とともに死語になるのかなあ。

2013年6月23日 (日)

贈るダンス

このところ左膝に痛みがありました。

4月ごろからですが、日によって痛むところが違います。半月板の損傷なら本田や長友みたいだと少し嬉しくなったりしました。やがて少し足をひきずるようになってきました。階段の下りがキツイのです。

今回は医者にかかるようなものではないと感じていました。体に関する初期判断は直感に任せています。思いあたるのは3月の合格祝賀会の講師劇くらいです。例によって老人役でしたが今年は初のひとりダンス付きでした。曲目はAKB48の「Everyday、カチューシャ」。「カチューシャ」という歌詞が最初に出てくるところまでイントロからひとりで踊ります。ひとりセンターです。過去最大の試練でした。踊りの類は高校の運動会以来。体の動きですからカンペも使えません。練習あるのみ。努力。根性。絶対合格!

生まれて初めてユーチューブをくり返しくり返し見ました。まさにヘビーローテーションです。まず歌を知りません。なかなか歌詞が頭に入ってきません。老喜劇役者に、どんなアイドルが出ていてもブラウン管に向かって「百恵ちゃーん ♪」と叫ぶネタがありました。思い出し笑いに涙が混じりそうです。体力はさほど衰えていないつもりですがダンスは守備範囲外です。十三のひと気のない小部屋で巻き戻しと再生をくり返すPC……。もの好きかご親切か、反転バージョンの投稿映像を見つけました。大きな出会いでした。

だんだんと仕上がってきたところに細かい発見をしてしまいました。イントロの最後で、膝を交互に軽やかに入れているのです。膝のキレに手ぶりを加えてカッコよく! 卒業生の笑顔を胸に、深夜の十三の小部屋でステップを踏みます。

当日を迎えました。出番が近づきます。曲がかかりました。リズミカルな動きから膝にさしかかります。キュキュッと膝を入れて腰を振ると、前列後方の女子の一群から歓声にも似た悲鳴が上がりました。……我に返ってしまってちょっとアガってしまいます。

このカチューシャは、注射ということばを引き出す壮大な序詞です。昨日病院でしてもらったアレの名前が出てこないという場面に続くダンスでした。

毎年この劇に向けてスタッフ一丸となります。秀逸な台本が用意され、卒業生へのはなむけに全力を注ぐのです。お手製の衣装には、ご才女の協力というか一族郎党の執念が感じられます。演者以外にも大道具小道具班が自然に動き出し、段ボールで書き割りの背景が作られます。合格はお金では買えません。だからこそ入試は平等なのです。かくてプライスレスの舞台が調います。最後の贈りものです。

さて膝です。5月の終わりにふと靴の中敷きを取ってみました。高校の時サッカーで右足の甲を怪我して以来、右がかなり甲高になり、靴によっては左だけに中敷きを入れてもらいます。よく履く2足の中敷きの接着剤がとれて靴の中でゆるんでいました。これを抜き取ったらぴたりと痛みが治まりました。変なチカラがかかった歩き方になっていたようです。

半月板でなかったのは残念です。右足の甲の自己診断は軽めの剥離骨折でした。祝賀会と合格体験記にまつわるほかの話を書くつもりだったのですが、そちらはいずれまた。

 

2013年6月15日 (土)

目くじらを立てる

国語科講師である以上、ことばの区別に関しては厳密であるべきかと思うのですが、

最近の「それは誤用だ」と言う主張が多いことに、すこし引っかかります。

もちろん、明らかな誤用が多くなっていると感じられるのも事実で、気になる人には気になるというのもうなずけます。

×取り付く暇も無い → 取り付く島もない

×狐に包まれる → 狐につままれる

 などは中学入試でも出たことのあるものですが、

×老体に鞭打って → 老骨に鞭打って

×極めつけ  → 極めつき

などになると、言われてみればそうか、と気づくレベルです。

×~いざ知らず → いさ知らず

×~采配をふるう → 采配を振る

なんてのは、「蘊蓄」レベルでしょうか。こういう誤用を集めた本もたくさんあるようです。

最近では、よくテレビで

「間髪を入れず」を「かんぱつ」と読むのはまちがいで、「間、髪を入れず」だ、とか、

「綺羅星のごとく」を「きらぼし」と読むのはまちがいで、「綺羅、星のごとく」だとかの指摘があります。

こういう話題が大嫌い、虫酸が走る、生理的に受けつけない、あーいやだ、という人もいることでしょう。

こういう話題で盛り上がる仲間、というのもいますね。 あ、国語科講師に限定しないでくださいね。

DVDはデジタル・ビデオ・ディスクじゃなくて、デジタル・バーサタイル・ディスクだよね!

なんて言うと、「おー!」と盛り上がるのは、どうも男性が多いようです。

ともあれ、言葉の移り変わりが激しい時代ですから、その中で誤用も生まれるのでしょう。

新語、消えていく言葉もありますね。

ふと思ったのは、「イケメン」「イクメン」「草食系」などの男性を形容することばが生まれるかげで、

「マザコン」ということばが消えているということです。

「マザコン」男性は減っているのでしょうか?

確かに「言い得て妙」という新語が生まれると使いたくなるのが人情で、われもわれもと一気に消費されていきます。

「美男子」と呼ぶにはちとわざとらしいレベルの容貌の方を軽い感覚でほめるには「イケメン」は手ごろです。

かくしてイケメンが増殖する。

「マザコン」も、※1佐野史郎さん扮する「冬彦さん」のお蔭(誤用)で、正しく親孝行な、単に母親思いの男性までが、

マザコン呼ばわりされる悲劇もあったのではないでしょうか。

言葉は世相を映す鏡 であるならば、言葉を正す鑑 でありたい、というようなことが、

辞書を編纂した、ある方の著作に書かれていたと記憶しています。

国語科講師として難しい立場に立たされるのが、宿題プリントに書かれた保護者のコメントに誤字や誤用を見つけてしまったときです。

さりげなく訂正しておくべきか、見て見ぬふりをすべきか、※2生徒への教育的配慮で訂正すべきか、やはり失礼だからやめておこうか、いや、もしかしたら試されているのか!? 

など、考え込んでしまってそれまで快調に書いていた(講師からのコメント)が停滞してしまいます。ここは斎戒沐浴して精神統一せねばというくらいの厳粛な気持ちでえいっと訂正することもあるのですが、

「国語の先生に見られると思うと、怖くて保護者コメントを書けません。」

という保護者コメントに「!」となってしまったこともあります。

塾生のみなさんの記述問題の採点・添削の際にも、悩むことしばしばです。

あまりに細かく添削をすると、「けちをつけられた」感にさせて、かえって意欲を失わせる結果になりはしまいか。

「やはり記述で点数は取れない」と思わせてしまうのではなかろうか。

そんな思いになることがあります。

 ※1昔、先生って佐野史郎に似てるよね、と女子生徒に言われて結構ショックだった。

 ※2 学校教育法かなんかでは、小学生は「児童」なので誤用かもしれませんので一応。

2013年6月 8日 (土)

土岐はいま天が下知る五月かな

永六輔が書いていましたが、ある礼儀作法の師匠がやってきたときに、貴族たちが茶漬けを出して、となりの部屋からこっそり見てた、という話があります。えらそうに礼儀だの作法だのと言ってても、だれも見ていなければ茶漬けをガサガサとかきこむだろう、それを見て笑ってやろう、という貴族の陰険さです。案の定、師匠はガサガサとかきこんで食べていったので、やっばりねと言いながら出てきて、ふと箸を見たら先の方が数ミリ濡れていただけだった、という話。永六輔は、その師匠もすごいけど、箸の濡れ方に気づいた貴族もすごいと書いてました。でも、そういうことに気づくことができるからこその貴族なのかもしれません。

頓阿は、古今伝授というものを藤原定家の血筋から受け継いでいます。古今和歌集の解釈の秘伝ということらしいのですが、細川幽斎も受け継いでいます。関ケ原の合戦で、自分の城を石田三成の軍勢に囲まれて絶体絶命のピンチに陥ったとき、そのことを知った天皇が勅使を出して囲みをとかせたということがあります。幽斎が死んでしまうと古今伝授を伝える者がいなくなるということだったのですね。うまい具合に、幽斎は生き延びるのですが、だいたいが世渡り上手の人です。室町幕府に仕えて、義昭を将軍にかつぎあげたあと、いつのまにか信長の家来になっており、信長が死んだときには秀吉と仲良くなって、関ヶ原の頃には、家康の味方をして、結局肥後熊本五十四万石の基を築いた人です。細川護熙さんの先祖ですな。

秀吉が詠んだ「奥山に紅葉踏み分け鳴く蛍」という句を記録せよと言われた連歌師の里村紹巴が「蛍は鳴きません」と言って、言うことを聞かない。だいたい、「紅葉」と「蛍」では季節も合わないし、鹿なら紅葉を踏み分けられるけど、蛍が踏み分けるというのもおかしいんですね。要するに無茶苦茶ですが、秀吉はそれでも書けと言う。そこへ幽斎がやってきて、「いや、蛍も場合によっては鳴くことがありますよ。こんな歌があります。『武蔵野の篠をつかねて降る雨に蛍よりほか鳴く虫もなし』」。秀吉は「そら見よ」とうれしそうに言うので、紹巴はやむなく記録して、後日、「あれは何という歌集に載っている歌ですか」と幽斎に問うと、「あれはわぬしの首をつぎたるなり」、つまり、とっさに幽斎が作ったのですね。あれ以上秀吉に逆らうと、おまえの首はとんでいたぞ、ということです。出典は何だったのでしょうか、たしか白陵の高校入試に原文が出ていて、授業でやったことがあります。その文章には出ていなかったのですが、幽斎が下の句をつけて、「奥山にもみじ踏み分け鳴く蛍しかとは見えぬ杣のともし火」とした、という話もありますし、幽斎ではなく、曽呂利新左衛門のエピソードとしているものもあるようです。

話を古今伝授にもどすと、これがまた、わけがわからない。「古今集に出ている歌」として、普通はばらばらにしか歌を見ませんが、たとえば「春」という部立てでは、春に関する歌をランダムに並べているのではありません。「雪の中に咲く花」というテーマの歌がやたら続くなあと思っていると、徐々に季節が移り変わっていくことに気づきます。いつのまにか雪が消えて、花が満開になり、さらに進んでくと、いつのまにか花が散っていく、というように微妙な季節の移り変わりに沿って歌が並べられています。絵巻物のように、イメージが変化していく様子を味わって読むべきものですね。ということは、こういう歌集はそれぞれの歌を個別に味わうのではなく、編集者のアレンジのすばらしさを味わうものなのです。つまり、古今集には編集者の意図が強く反映されており、古今伝授もそれにかかわるものではないでしょうか。「物名」の部立てにある「三木三鳥三草」というのが、昔から意味不明とされていて、古今伝授でも、その部分を「秘伝」としているとか。三つの木や三つの鳥にかこつけて、何かを伝えようとしているのではないか、紀貫之らがなんらかの暗号をこの部分に秘めているのではないかと考える人もいるようです。藤原定家の子孫である冷泉家には何か伝わっていないのかなあ。表に出ると日本の歴史がひっくり返るような重大な秘密だったりして。もしそうなら、勅使を出してまで古今伝授を守ろうとした天皇も、当然そのことを知っていた可能性があります。もともと、ことばには魂がこもるという言霊信仰がありましたが、とりわけ和歌というのはそのことばをとぎすましたものですから、そういう「秘密」が隠れていても不自然ではありません。

いろは歌でさえ暗号になっているという、有名な話がありますね。同じ音を繰り返さず、意味の通じる内容にしているというだけでもすごいのに、七五調四句を七音ずつに区切り直すと、「いろはにほへと/ちりぬるをわか/よたれそつねな/らむうゐのおく/やまけふこえて/あさきゆめみし/ゑひもせす」になります。各句の最後が「折句」になっているという人がいるんですね。拾っていくと、「とかなくてしす」つまり「とが(罪)なくて死す」ということばが浮かび上がります。では、無実の罪を着せられて死んだのはだれか。梅原猛説では柿本人麻呂ですが、もっと「トンデモ」なことを言う人もいます。もう一度「いろは歌」を見てみると、最初の音が「い」、七音にならない最後の「ゑひもせす」は「ゑ」で始まり、「す」で終わっています。この三つの字を並べると「いゑす」になります。罪なくして死んだ、いちばんの大物といえば「イエス・キリスト」に決まってるじゃ、あーりませんか。この強引な結びつけにはしびれますね。天海=明智光秀を前提とした徳川埋蔵金の話にも、同じパターンがあります。明智家発祥の土地である土岐市と、北陸の明智神社、日光東照宮、徳川幕府の本拠地東京、徳川家ゆかりの静岡、幕府財政の基になった金山のある佐渡の六つの場所を結ぶと、ダビデの紋章になる、という「アホちゃう?」というやつです。その形になるように、六つの場所を強引に選んでいるのに、六角形のかごの目になった、と喜ぶ「説得力のなさ」が馬鹿馬鹿しくてすばらしいです。しかも、それが綺麗な六角形ならともかく、相当いびつなので、もうちょっと考えて選べよー、と思います。でも、なんとか「かごの目」を出さなければならないんですね。これは「かごめかごめ」の歌が徳川埋蔵金のありかを示している暗号になっている、という説ですから。

2013年5月21日 (火)

クマその他と暮らす

田植えの季節ですね。近所の田んぼにも水が張られたり早苗が植えられたりしています。

水田の美に目覚めたのは高校生のときです。風のない鏡のような水田に青空が映っているのを見て、その美しさにはじめて気がついたときのことを覚えています。学校の行き帰りにこんなきれいなものがあったのかという驚きがありました。それまでは田んぼがきれいだなんて思ったことはありませんでした。

小学生のときには、田んぼとはカメをさがす場所でした。あぜ道を歩きながらよくクサガメの姿をさがしていました。カメが好きだったんです。見つけたカメを水槽で飼っていたんですが、夏休みに宇和島の祖父母の家に遊びに行き、帰ってきたらいなくなっていました。両親に「カメは?」と聞くと、「ある日いなくなっていた」と。そんなバカな。と思いましたが、なんとなくうやむやにされてしまいました。

その後もたびたびカメさがしにいそしんでいましたが、あるとき、足をすべらせて尻餅をついた拍子に、太ももの裏の付け根を何かで切ってしまい、血をだらだら流しながら家に帰ると、カメ探しを苦々しく思っていたにちがいない母親が激怒、破傷風になるにちがいないと予言するのです。破傷風って何?と聞くと、それがいかに怖ろしい病気かということを縷々語り、不安のあまり「病院に行かねば」と取り乱す僕に、冷ややかな口調で「行かんでええ」などと言うのです。あのときは生きた心地もしませんでした。

しかしそれで懲りるかという懲りないのであって、さらに近所の勝尾寺川の河原からタニシを拾ってきて水槽で飼ったりしていました。そしたら、ある日、水槽の中に大量の小さなタニシが大発生して驚愕するのであった。

とにかくいろんなものを拾ってきて飼おうとしましたが、カエルの卵をバケツに入れて持ち帰ったときは、母親が絶叫し、しぶしぶ戻しに行きました。

そういえば、傷ついたハトを持ち帰ったこともありましたね。ま、助かりませんでした。

大学生のときはハムスターを飼っていました。

しかし、いちばん飼いたかったのはクマです。もちろん無理なのはわかっているんで、空想を楽しんでるだけなんですが・・・・・・飼いたいというより、一緒に暮らしたいって感じですかね。

大学のとき友だちと一軒家を借りて暮らしてたので、クマとルームシェアしたら楽しいだろうなあと夢想していました。

軽トラ借りて、荷台にクマを乗せてピクニックに行ったり。

縁側でひなたぼっこするのもよさそうです。まずクマが大の字になってねそべり、そのおなかを枕にして寝るんです。た、たまらないですよね。

トラヨコや稲荷小路(どちらも仙台の飲み屋街です)をふたり(?)ではしごするとか。

僕もクマもべろべろに酔っ払って、肩を組んでよろめき歩いてね。ゴミ箱蹴飛ばして「てやんでえ」とか「ガオーッ」とか叫んで。迷惑なんだけど、みんなクマが怖いから何も言わないんですね。で、じきに僕が酔いつぶれてしまいます。クマは僕をおんぶしてタクシーに乗せてもらおうとするんですけど、運転手に「酔っ払いとクマは乗せられないよ」とか言われて、仕方なく僕をおんぶしたまま歩いて帰る、みたいな。垂涎ものです。

クマじゃなくてこびとくんと暮らす夢想もしました。こびとくんですから、当然7人います。

僕が酔いつぶれて眠っているうちに、床下か天井裏からそろそろと現れて、僕の飲み残した酒を勝手に飲んじゃうんです。勝手に宴会するわけです。でも飲み過ぎてみんな泥酔しちゃうんですね、それでそのまま寝込んでしまう。僕が目をさますと、そのへんに散らばって倒れているこびとたちの姿が。ひとりだけ起きていて、玄関の僕の靴のなかにげーげー吐いています。それをきゅっとつかまえると、「はなしちくり~、おえ~っ」なんて言ってまた僕の手に吐くみたいな。うーん。ちょっと汚いけど、なんだかかわいくないですか?

こびとくん妄想は今でも続いています。先週宿題プリントのコメント書いてないから授業までに書かなきゃな~と思いながら教室に行くと、コメント書きがすべて終了しているときがあります。そういうとき、

きっとこびとくんだ、こびとくんがこっそり書いてくれたにちがいない。

などと悦に入るわけですね。逆に、自分ではやったと思っていたのにコメント書きが終了していないときもあります。そういうときも、

きっとこびとくんだ、あいつらが夜中にこっそり消したにちがいない。

なんて言ってます。ちなみにこの「いいことも悪いこともする」こびとくんが住んでいるのは、西北の南館です。

メルヘンですな。

2013年5月 8日 (水)

「注射」を隠し題にしたAKBの歌は何?

「怒られて口アングリー」みたいに英単語を日本語にこじつけたり、年号を語呂合わせでこじつけたりして覚えることがよくありますが、これにもうまい下手があるようです。「勉強したか? うん、勉強すたでー」とか「本がブックブックしずんだ」なんて論外です。「なんときれいな平城京」はよいとしても、「奈良の納豆」はだめでしょ。シェークスピアの生年没年を「人殺し(1564)の年に生まれていろいろ(1616)書いた」と覚えるのは乙。ルートの覚え方、「ひとよひとよにひとみごろ、ひとなみにおごれや、富士山麓おうむなく」もまあまあうまい。原子記号の覚え方として古典的な「水兵リーベ僕の船」はイマイチです。いくつかのバリエーションがあるようですが、どれも意味の上でかなり無理があるので、覚えるのに抵抗があります。これだけの個数を無理矢理並べるのだから、やむを得ないところもありますが。それに比べると、語呂合わせではありませんが、「いろは歌」はすごいですね。同じ字を二度使わずに、すべての文字を使え、という制約の中で、きちんと意味の通じる内容にしているところがすばらしい。これだけのものを作れるのは凡人では無理だというので、弘法大師が作ったということになっているのもむべなるかなです。ただ、こういうことば遊びをすると、なぜか、無常観のような、かなしい内容のものになることが多いのが不思議です。

「物名(もののな)」ということば遊びがあります。私のカラオケ・レパートリーとして『宗右衛門町ブルース』と並んで『自動車ショー歌』というのがあることは有名ですが、歌詞の中に車の名前が織り込まれています。「あの娘をペットにしたくってニッサンするのはパッカード」という感じで。これも格調高く言えば「物名」です。隠し題とも言って、歌の中にあることばを隠し込むんですね。古今和歌集では一つのジャンルとして、たくさん集められています。「秋近う野はなりにけり白露の置ける草葉も色変はりゆく」という歌には「桔梗の花」ということばが隠れています。ただし、「ききょう」ではなく「きちかうのはな」と読みます。「来べきほど時すぎぬれや待ちわびて鳴くなる声の人をとよむる」も、「ほととぎす」が隠れています。歌の意味も、ほととぎすの鳴き声が人々に愛されたということをふまえると、鳥の名をあてるヒントになっています。来るべきほどの時がすぎてしまったのだろうか、人々はその声が聞きたくて待っていたのだが、あきらめたころに鳴いた声のすばらしさで人がどよめいた、ということになります。

歌の意味とは関係なく、あることばをただどこかに隠し込むというだけのものもあります。「荒船の御社(あらふねのみやしろ)」を隠し込んだ「茎も葉もみな緑なる深芹(ふかぜり)は洗ふ根のみや白く見ゆらん」なんてのは傑作と言われとります。もっとことば遊びが徹底すると、国の名を十個入れる、なんてのも出てきます。「漕ぎ出でばいつ会はむ身の跡を遠み浪や真白に沖つ島々」は「 紀伊・出羽・伊豆・阿波・美濃・遠江・山城・隠岐・対馬・志摩」です。国の名と言っても旧国名です。こんな和歌にアルゼンチンとかアゼルバイジャンとかは出てきません。「世は憂きといとひ来し身の秋の友あはれ見交はせ山里の月」は「伯耆・肥後・美濃・安芸・能登・阿波・三河・佐渡・摂津・紀伊」で「摂津」は「津」と省略されています。この歌も、よく意味がわかりませんが、なんかかなしい。「逢ふて憂きは雲にかげろふ有明に風身にしみて帰るさの道」もかなしげです。虫の名が十個隠れています。「虻・蝶・蜘蛛・かげろう・蟻・蚊・蝉・蛙・紙魚(しみ)・蚤」です。蛙は「むしへん」で、虫あつかいですな。動物名なら「さとらねば憂しや憂と世をそむきてん人に如かざる身に生まれきつ」は「虎・子・牛・兎・をそ(かわうそ)・てん・鹿・猿・馬・きつね」で十個です。十二支の動物名だけを使うと、「馬逝ぬ日辻立つ憂しと雷雨峰」という五七五もあります。ちょっと苦しいのですが、「うまいぬひつじたつうしとらいうみね」なので「午・戌・未・辰・丑・寅・亥・卯・巳・子」の十個。なんと余分なことばは一切ありません。しかも、十二支の字の数はもともと二十一音で、五七五の十七音では四文字余ります。そこで、「酉」と「申」を「とりさる」ということで、取り去っているわけです。すごいっちゃ、すごいですなあ。

折句(おりく)というのもありますな。「唐衣きつつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」の各句の頭に「かきつばた」をばらばらにして入れていくというやつです。「をぐら山峰たちならし鳴く鹿の経にけむ秋を知る人ぞなき」には「おみなへし」が隠れています。今でも、たとえば前田という人を紹介して「まだ食べてるんか、ええかげんにせえよ、だめでしょが」とやりますな。谷川俊太郎レベルになるとさすがに、「あくびがでるわ/いやけがさすわ/しにたいくらい/てんでたいくつ/まぬけなあなた/すべってころべ」という、ちょっとおしゃれなのもあります。大河の『平清盛』でもありましたね。後白河が即位したときに、崇徳がおくった歌が、「あさぼらけ長き世をこへにほひたてくもゐに見ゆる敷島の君」で、一見即位を祝っているかのようですが、実は折句で「あなにくし」が隠れているのですね。ふつうは気がつかんはずですが、当時の貴族なら気づくのでしょうね。

「くつかぶり」は、漢字で書けば「沓冠」です。「くつ」と「かんむり」なので、頭だけでなく、各句の最後も拾っていきます。吉田兼好が友人の頓阿に「よもすずし/ねざめのかりほ/たまくらも/まそでの秋に/へだて無きかぜ」という歌をおくったところ、「よるもうし/ねたくわがせこ/はては来ず/なほざりにだに/しばしとひませ」という返事が来たという話があります。兼好の歌の各句の頭を拾うと「よねたまへ」、各句の終わりを最後から拾っていくと「ぜにもほし」、つまり「米たまへ、銭も欲し」となります。要するに、友達にものをねだっとるんです。それに対して、頓阿は「米はなし、銭すこし」という返事をしてきたというわけです。これはなかなかのものですな。テクニックもさることながら、兼好の歌が「暗号」になっていることを見抜いた頓阿もすごい。当時の和歌四天王(これ、いま変換したら「沸かし天皇」になっちまいました)の一人ですから、当然といえば当然かもしれません。MBS『ちちんぷいぷい』でないけど、「昔の人はえらかった」。

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