2022年4月28日 (木)

100万回死んだ猫

「シロアリに食べられる」は変だと言いましたが、子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の句などはやはり「食う」でよいのであって、「食べる」ではしっくり来ません。字余りになるかどうかということだけでなく、お上品ぶらずに、かぶりつく感じのある「食う」が似つかわしい。「か・き・く…」という音の流れも心地よいのですが、これは意識したわけではないでしょう。ただし、結果的にこういう効果の出る言葉を選んでくるのが才能です。「いわばしるたるみの上のさわらびのもえいづる春になりにけるかも」のラ行音や「の」の繰り返しとか、「やわらかに柳あおめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに」の「や」や「き」の頭韻など、作者は意識していないでしょう。

ところで、この「柿」の字は「こけら」と読むことがあります。「こけら」というのは、木の削りくずということで、「こけら落とし」は、新築したり改築したりした劇場で、初めて行われる催しのことです。では、果物の「かき」と何の関係があるのか。実は、この二つは別の字なんですね。「かき」の字の右側は「市場」の「市」、つまり「なべぶた」に「巾」と書く字です。音読みが「シ」になるのは「市」の読み方が反映されています。ところが、「こけら」は「なべぶた」と「巾」の間に隙間がなく、たてに棒を貫く形です。ただ、活字になると、まったく区別がつきません。困ったものです。

では、「こけら」のほうの「柿」の音読みは何かというと、「ハイ」なんですね。劉邦は「沛公(はいこう)」と呼ばれました。「肺」も当然「はい」です。ということは、「肺」のつくりは四画で書くのが正しかったのです。ところが、いつのまにか五画に変わっています。当用漢字を決めるときのドサクサで、煩雑さを避けて統一化しようとしたのでしょう。「闘」の字が「たたかいがまえ」から「もんがまえ」になったのと同じように、字義よりも利便性を優先させたと思われます。「肺」という漢字は汎用性が低く、熟語を作りにくいのですが、「胃」や「腸」と並んで、小学校で教える必要があると判断したのですね。

「五臓」の一つであるにもかかわらず、「肺」だけは「肺臓」の形で使うことが少ないようです。五臓とは、肝臓・腎臓・心臓・脾臓・肺臓のことで、漢方ではきちんと五行に対応させて、胃・大腸・小腸・胆・膀胱・三焦の六腑とは陰陽の関係にあるそうです。六腑のうちの「三焦」は、何のことだかわからないそうな。「臓」も「腑」も、「にくづき」に「くら」を表す字から成り立っており、「臓腑」という二字熟語もあります。「モツ鍋」の「モツ」は「臓物」の省略形でしょう。鍋の中身は、「臓」のレバーやハツよりも「腑」である腸のほうがたくさんはいっているようですが…。

「臓物」とよく似た字で「贓物」というのがあり、こっちは「ぞうもつ」ではなく「ぞうぶつ」と読みます。盗みや詐欺によって手に入れた品物のことです。「贓物牙保罪」という耳慣れない表現もあって、「牙保」というのは、売り買いの仲立ちをして利益を得ることで、要は、不法に手に入れた品物を現金化するときに暗躍する闇のブローカーのお仕事ということになります。さすがに、今は「盗品等有償処分あっせん罪」という名称に変わったそうですが、法律用語の中にはこういう古い言葉がたくさん残っていました。明治のころに作られた法律がいまだに生きているのですね。「監獄法」なんて、名前が変わったのはつい最近のことです。いまどき「監獄」という言葉を使う人もほとんどいないでしょう。

法律用語などは時代の変化に合わせて新しい表現に変えていくのが当然でしょうが、古いままのほうが味わい深い場合もあります。聖書などは文語のほうが断然よさそうです。だれの文章だったか、「空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず。然るに汝の天の父は、これを養ひたまふ。」と「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。」を比べて、後者のどこがまずいかを詳しく分析して、ケチョンケチョンに腐していました。たしかに、格調の低さは否めません。

現代語の中にも、なぜか消えずに残っている古い言い回しがあります。「生きているものすべて」ではなく、「生きとし生けるもの」と言ったほうがしっくり来る場合もあります。「さようなら祖国」ではなく、やはり「さらば祖国」が似つかわしい。古い時代には普通の言い回しであり、さほど重みの感じられない言葉だったのかもしれないのに、年月の重みというものが言葉にしみついてくるのでしょうか。年月、時代というのは重いものです。落語の『火焔太鼓』でも、古い太鼓を見て「たいそう時代がついておるな」「もう時代のかたまりみたいなもんで…ここから時代をとったら何にも残らない」というやりとりがあります。志ん生がしゃべると、こんな何でもないやりとりがおもしろい。

人間でも、「亀の甲より年の功」というのがあてはまることがあります。ただし、経験者の言うことが正しいか、というと必ずしもそうとはかぎらない。津波があったときに、前に経験したことのあるお婆さんが「こういうときにはこうするとよい」と言ったので、その言葉にしたがって行動したらうまくいかなかった、という話を何かで読んだことがあります。前回はたまたまうまくいっただけかもしれませんし、覚え間違いをしていたことだってあります。もっとこわいのは、年月がたつうちに、だんだんと記憶がゆがめられ、まちがった形で頭の中にとどまっている場合です。

「足をすくわれる」で覚えたはずなのに、「足下を見られる」とごっちゃになって、「足下をすくわれる」だと思い込むようなレベルの間違いはよくあります。これは別のことばの影響を受けてしまうパターンですが、「どんぐりころころどんぶりこ」が「どんぐりころころどんぐりこ」になるのは、直前のよく似た音にひかれて混同したのでしょうか。ひょっとして、作者があえて韻を踏んで作ろうとしたのか。そうであるなら、元祖ラッパー? 「汽車、汽車、ポッポ、ポッポ、ポッポ、ポッポ、ポッポッポ」と歌ってたやつがいましたが、汽車とハトを混同したのかもしれません。

2022年4月 7日 (木)

許してやったらどうや

「天衣無縫」はほめことばでしたが、「破天荒」という言葉はどうでしょう。豪快で大胆な性格を表す言葉として、他人からそう言われるとちょっとうれしくなるかもしれません。ところが、「天荒」は未開の荒れ地のことで、「天荒を破る」とは、今までだれもできなかったことを初めて行う、という意味になります。近い言葉は「前代未聞」や「未曽有」であり、「破天荒の試み」「破天荒な大事業」という形で使うのが本来でした。やがて、前人未到の境地を切り開く、というニュアンスからそういうことをなしとげた人物を評価する言葉として、「豪快」「大胆」の意味を表すようになっていったのでしょう。

文化庁の「国語に関する世論調査」を見ると、やはり言葉は常に変化しているということがよくわかります。最近、よく見聞きするのが「なんなら」という言葉です。もちろん、昔からある言い回しですが、意味が変わってきているようです。もともとは、相手の気持ちをおしはかって言う言葉で、「なんなら手伝いましょうか」のように、「必要があれば」「お望みならば」の意味で使います。あるいは反対に、相手が希望しないことを仮定する気持ちを表すこともあります。「ビールがなんなら、日本酒もありますよ」のように。要するに、相手が希望を言いにくそうなときに、「忖度」して、その希望に沿うようにしようと提案するときに使う言葉のようです。

ところが、最近では「彼はいつも10分は遅刻する。なんなら、1時間ぐらい遅れて来ることもある」とか、「うまくできなくてもかまわない。なんなら、まったくできなくてもよいぐらいだ」のように、前の状況よりそらに上の段階である時に使うことがあるようです。「さらに言うなら」という感じでしょうか。伝統的な使い方から見れば、「誤り」なのですが、言葉は生き物で、みんなが使えば正しくなります。古い使い方を知っている人には違和感がありますが、だいじょうぶ、そういう人たちが死に絶えればなんの問題もありません。

「課金」という言葉も、主語はどちらかということで、たまに話題になります。つまり、「課税」は税金をとることだから「課金」も金をとる側の行動になるはずだ、したがって「ゲームに課金する」と言って金を払うのはおかしい、という指摘です。たしかに「課」の意味から言うと、そうなりますが、相手側の行動について使われた言葉が自分の行動についても使われるようになった、と考えれば目くじら立てるほどのこともないのかもしれません。

意味が揺れている、と言うより、どっちの意味で使っているのかなと思う言葉があります。たとえば「置き忘れる」。これは、「置くのを忘れる」ともとれるし、「置いたまま忘れる」ともとれます。これなんかは文脈で意味を決定するしかありません。一方、これは変だなと思う言葉もあります。たとえば「いさぎよい」の反対で「いさぎわるい」と使ってよいかどうか。「いさぎが悪い」と考えるなら、「いさぎいい」という表現があってもよさそうなので、実際に使う人もいるでしょう。某大都市の市長が使っていたのを見た記憶があります。ただ、その場合、「いさぎ」とは何か、という問題が残ります。「いさぎ」という魚がいるのですが、まさかそれではないでしょう。これは「いさぎ+よい」ではなく、「いさ+きよい」だという説があります。ただ、その場合「きよい」は納得できるのですが、「いさ」とは何ぞやという、新たな疑問が生まれます。

結局、「いさぎよい」の反対語は何か。ぴったりあてはまることばはなさそうですが、強いて言えば「往生際が悪い」とか「未練がましい」になるでしょうか。まあ、「潔くない」というのが無難かもしれません。同じ「ない」で終わっても、「とんでもない」の「ない」は打ち消しではありません。むしろ、「はなはだしい」「たいそう~だ」という意味だそうです。そう考えれば「とんだ事件」「とんでもない事件」がほぼ同意になるのもうなずけますし、「とんでもありません」が誤用だと言われても納得できます。「せわしい」と「せわしない」の関係も同様ですし、「はしたない」も「はした」を強調しています。「あどけない」や「せつない」の「ない」もあてはまりそうです。

「とんでもありません」の誤用は、あまりにもよく聞くので、「許してやったらどうや」という気になるのですが、最近たまに聞く「目配り」と「目配せ」の混同はまだ許しにくいようです。前者は「注意をゆきとどかせること」であり、後者は「視線の動きやまばたきで合図すること」なので、「各方面に目配せして、事を進めていく」というのは変ですね。気づきにくい誤りというのもあります。某A新聞で「不要不急でない手術なんてない」という言い方について訂正していました。このミスは「不・ない・ない」の形になる三重否定なので、一瞬どっちなのかわからなくなります。「ない」「ない」を重ねるとわかりにくくなるのは「あるある」ですなあ。

同じく某A新聞夕刊の映画評で「フツーの人を演じたら右に出る者がいない松坂桃李」という表現がありました。まちがっているわけではないのですが、「フツーの人」の演じ方が傑出している、というのは、そこはかとないユーモアが漂います。「シロアリに食べられる」という表現にも出くわしたのですが、これもなんか変? まず「食べる」は「食う」に比べると、丁寧かつ上品なイメージがあります。語源的にも「食べる」は「神様から頂く」という意味なので、シロアリごときには使いたくない気がします。また、「完食」したわけでもなく、かじった程度でえらそうに「食べる」と言うなよ、という理不尽な文句もつけたくなります。実際には大きな被害になるのでしょうが。

テレビの料理紹介番組で、女性タレントが「おいしそう」と言うのは気にならないのですが、「食べたーい」と言われると、何か不愉快な感じがします。「おいしそう」は主観ではあっても、やや客観的要素があるのに対して、「食べたーい」はその人の欲望がむき出しになっているような印象を与えるからでしょうか。ところが、関西の吉本系の男性芸人が、がさつに「食いたーい」と言うのは「許してやったらどうや」になるのはなぜ? うーん、これは身勝手のそしりを受けても仕方がない…。

2022年3月 8日 (火)

仲良きことは美しき哉

コックニーの特徴として「ei→ai」の変化がよくあげられます。「今日」という意味の「トゥデイ」が「トゥダイ」と発音されるので、「私は今日病院に行く」が「私は死ぬために病院に行く」になる、というやつです。江戸っ子は反対に「ai→ei」になるので、「鯛」が「てぇー」と発音されます。「長いな」は「なげーな」になるのも規則通りですが、最近のはやりの「ちがうよ」が「ちげーよ」になるのは、その規則にはあてはまりません。ただ、「ちがう」という言葉はたしかに厄介です。動詞を過去形にするためには「た」をつければよいのですが、「ちがった」と言わずに「ちがうかった」と言う人がいます。「ちがくない」も変な表現です。「ちがう」は動詞でありながら、状態を表すので、形容詞的に使いたくなるのでしょうか。

では、「腹がくちくなる」の「くちく」とはいったい何でしょうか。ちょっと見た感じでは「いたくなる」「きたなくなる」と同じようなので、形容詞のようにも思えます。そうであるなら「いたい」「きたない」と同様に「くちい」とならなければならない。ところが「くちい」という形容詞は聞いたことがありません。古い時代には使ったのかも知れませんが、現代ではまず使わないでしょう。そうすると、ちょっと苦しいのですが、「くちくなる」で一単語と見るという手もありそうです。たとえば「好意を無にする」という表現を厳密に文節分けすると、「無に」と「する」で分けなければなりません。しかし、「運転する」「ドライブする」などは一文節と見ることになっているので、それに準じて「無にする」も一文節一単語と見てもよさそうです。「する」と「なる」の違いはありますが、「くちくなる」も同様に考えられるかもしれません。「する」と「なる」の関係をもう少し突っ込んで考えてみると、「なる」は自動詞で、これに対応する他動詞が「なす」です。この「なす」と「する」がほぼ同意なので、「くちくなる一文節説」も成り立ちそうなのですが…。

他動詞と自動詞の関係も変なことが起こります。「集める」が他動詞で、「集まる」が自動詞、というレベルなら何の問題もありませんが、自動詞「すわる」を他動詞にすると「すえる」となります。「座」または「坐」が「据」になって、漢字まで変わってしまいます。ただし、「すわる」は「据わる」と書くことがあります。「腹を据える」と「腹が据わる」が同意としてセットになるのですね。語源的に同じではあるのですが、「座る」は膝を折り曲げて何かの上に腰をおろすことであり、「据わる」はぐらつかないで安定している場合に使います。

「座る」場合には、何かの上に「乗る」ことになります。ところが、古くは「のる」という言葉には「言う」という意味がありました。「言う」の意味のときには「宣る」とか「告る」と書くことが多いのですが、特に神や天皇が重大なことがらを宣言することが本来の意味のようです。「祝詞」と書いて「のりと」と読む、あの「のり」ですね。また、「詔」と書いて「みことのり」と読みます。天皇の命令、またはその命令を伝える公文書です。「み・こと・のり」つまり「御言宣」ですね。そういうところから「のる」は、みだりに言うべきではないことを表明する場合に使われ、言霊信仰や「呪い」とに結び付きます。「のろい」という言葉も源は同じでしょう。「乗る」も全く別の言葉ではなく、神霊が「のりうつる」ことから生まれたのではないでしょうか。そうすると「名乗る」で「乗」の字を使うことも納得できます。名前も本来はむやみやたらに口にするものではなかったのですね。ちなみに「名を名乗る」が重複表現であることは漢字を見ればわかります。では、「名乗りをあげる」はどうでしょう。「名前を言うことを言う」という意味になって、重複していると言えなくもなさそうですが…。

「みことのり」の「みこと」が「御言」であると書きましたが、「御言を発するお方」の意から生まれたのではないかと思われるのが、神や人の呼び名の下につけた敬称である「…のみこと」です。漢字で書くと、「尊」になったり「命」になったりします。日本書紀では「イザナギ・イザナミ」や「スサノオ・ツクヨミ」、天孫「ニニギ」などは「尊」で、「命」よりワンランク上で使っているような気もしますが、古事記ではそういう区別はないようです。「ヤマトタケル」は古事記では「倭健命」、日本書紀では「日本武尊」と表記されます。

「健」の字が「たける」と読めるのは、五・一五事件の犬養毅の息子「犬飼健」や俳優の「佐藤健」でわかります。この字は「たけし」とも読めますが、「猛」「剛」「豪」なども同様で、動詞なら「たける」、形容詞なら「たけし」ということで、結局は強い様子、荒ぶる様子を表します。名字では、同じ「たけだ」でも「武田」と「竹田」があります。語源的には後者が元になって、前者はよい字を当てたような気がしますが、武士の名としてはやはり「武田」のほうがなんとなくしっくり来ます。その反対に、いかにも貴族らしい名字というものもあり、「一条」とか「近衛」というと貴族の代表のような感じです。「~小路」というのも、いかにも貴族です。「武者小路」なんて、武士と貴族の合体のようですが、やはり貴族らしい名字です。

武者小路実篤という人も華族のお坊ちゃまで、「人道主義」による文学を唱えて、白樺派の中心人物になっています。「天衣無縫」の文体で知られていますが、要するにその文章はプロの作家らしくないということです。「天衣無縫」とは、天人の着物には縫い目がないということで、そこから、わざとらしくなく自然に作られた文章や詩歌を評する言葉として使われるようになりました。人柄について使われることもあり、その場合には、純真で無邪気な様子を表し、「天真爛漫」とほぼ同意になるようです。いずれにしても、ほめことばとして使われるのですが、武者小路の場合には、ほめようのない文章なので、こう評するしかないのでしょう。ただし、けっして馬鹿にしているのではなく、ある種の敬意が含まれているようです。ふつうなら、ちょっと気取ってしゃれた表現にしたいところを、何も考えていないかのように、思ったまま書いてしまうのは、すごいと言えばすごい。ふつうの人には真似できません。

2022年1月22日 (土)

イライザの「べらんめえ」

関西では、悪戯盛りの男の子や、大人でもならず者のことを「ごんた」と言いますが、これは芝居の『義経千本桜』に登場する「いがみの権太」から来ているようです。もともと無法者だったのが改心し、自分の妻子を平維盛の妻子の身代わりにして自分も死ぬという、芝居の中ではなかなかの重要人物です。「いがみ」というのは「いがみ合う」ではなく、「ゆがみ」ではないかなと思います。つまり、性格的にちょっとゆがんでいるということでしょう。この「権太」から、手に負えないような腕白者そのものや、その言動などを「ごんた」と言うようになったらしい。とくに、子供の場合は「ごんた坊主」と言いますが、「ごんたくれ」という言い回しもあります。この「くれ」は何でしょうか。「土くれ」ではなく「何くれ」「だれくれ」の「くれ」かもしれません。「そのような人」みたいな意味で、「荒くれ」とか「端くれ」なども同じ使い方でしょう。「飲んだくれ」の「くれ」も関係がありそうです。「飲んだくれる」という言い方もありますが、これから生まれた名詞ではなく、逆に名詞に「る」をつけて動詞化したのではないでしょうか。ただし、音の変化を考えると「切れ」が「くれ」に転じた可能性も否定できないでしょうし、「やから」「うから」の「から」の転かもしれませんが…。

では、「あほんだら」の「だら」は何でしょうね。「太郎」のような気がしますが、「だらすけ」という形で「愚か者」の意味で使うこともあるので、それと合体したのかもくれません。「だらすけ」はおそらく「だらだら」「でれでれ」などの擬態語が元になっているのでしょう。「阿呆陀羅経」という、いかにも語源のようなものがありますが、これは幕末ごろに発生した時事風刺の俗謡のことで、むしろ「あほだら」と「陀羅尼経」をかけた言葉だと思われます。夢野久作の『ドグラマグラ』の中にも登場します。「あんぽんたん」も、「あほんだら」が転じたものでしょう。

「ぬけさく」の「さく」は、「たごさく」の「さく」でしょうか。「田吾作」は農民または田舎の人をいやしめて呼ぶ言葉で、商品名や店名であえて使うこともありますが、差別的な意味合いがこめられることが多いようです。「ぬけさく」も「間抜け」を人名めいた形にしたもので、当然悪口になります。「ぼけなす」の「なす」はどうでしょう。こちらは野菜ではないかと思われます。「ぼけた茄子」つまり色つやのあせたナスということから、 ぼんやりした人という意味で使われたのでしょうか。「どてかぼちゃ」という言葉もあるので、「なす」は「茄子」の可能性が高いでしょう。

「すっとこどっこい」となると意味不明です。江戸落語でよく聞く言葉で、音の感じからそれほど相手を傷つけないようなニュアンスがありますが、悪口は悪口です。「すっとこ」は「裸」、「どっこい」は「どこへ」の意味だという説があって、「裸みたいな恰好でどこに行く?」ということらしいのですが、もっと単純に祭りなどで使う囃子詞(はやしことば)と考えたほうがよいかもしれません。「ヤーレンソーラン」のように、はじめは何らかの意味があったのかもしれませんが、調子をあわせるためのかけ声になったものです。「どっこい」は相撲の「どすこい」とも関係がありそうですし、「どっこいしょ」ともつながります。「すっとこ」は単にそれに音を合わせただけで、とくに意味はないのかもしれません。前にちょっと触れた「あんけらそー」みたいな感じでしょうか。

意味不明のほうが、悪口というか罵倒語にはふさわしいような気がします。「てやんでぇ、べらぼうめ」の「べらぼう」も何のことだかわからない。日本語には罵倒語が少ないとよく言われます。旧約聖書でさえ、罵りや呪う言葉で溢れており、それに比べると日本人は平和を愛するおだやかな民だから…と言われますが、単語としては少ないとしても、江戸時代など、ことば遊び的な感じでやり返すことは多かったような気もします。「おまえのかーちゃん、でべそ」なんて、兄弟げんかで言うと訳がわからないことになるようなものまで含めて。もちろん、平和憲法下、昨今では口喧嘩のボキャブラリーは減ってきているのでしょうが…。

いまどきべらんめえ口調で喧嘩する人は皆無でしょう。落語ぐらいでしか聞くことはありません。談志はさすがにこういうのはうまかった。志ん朝も、「大工しらべ」などではなかなかのものでしたが、いまや「江戸っ子」の噺家なんて存在しません。地方出身の人も多いし、東京出身でも江戸っ子の啖呵を切れる人なんて、いやしないでしょう。その点、大阪では、巻き舌でドスの利いた言葉をあやつれる人はその辺にも結構いますが…。

よく英語でけんかできれば一人前だと言います。もちろん、英語の「スラング」を知っておく必要もありますし、とっさにそんな言葉が出てくるためには、母語レベルに使いこなしておかなければなりません。ただし、そういうのは教科書では覚えられないのですね。駅前留学でもなかなか難しそうです。英会話スクールでは、英語の「共通語」を教えてくれるのでしょう。ただ、厄介なのは「英語」と言いながら、「アメリカ語」と「イギリス語」ではかなり違うのですね。そこにもってきて「方言」が存在するわけで、ロンドン訛りとかテキサス訛りがあるということになります。そういう訛りのある人に習うと、ちょっとまずいことになるかもしれません。外国人が学ぶ日本語スクールで大阪出身の人が教えると、微妙にアクセントが違うなんてことも起こるのと同じです。

「イギリス」と一口に言っても、イングランドとウェールズでは発音など微妙に違うだろうし、スコットランドやアイルランドとなると、かなり異なるでしょう。よくクイーンズ・イングリッシュとかキングス・イングリッシュと言いますが、これは文字通り上流階級が使う発音で、BBCの放送標準となるものです。つまり、日本で言えばNHKのアナウンサーの言葉ですね。ところが、首都ロンドンの人口の大部分を占める労働者階級は、「コックニー」と呼ばれる言葉を使っていました。『マイ・フェア・レディ』で、ヒギンズ教授が下町生まれの花売り娘イライザをレディに仕立て上げるために発音を矯正したのが、この「コックニー」です。要するに、イライザは「てやんでぇ、べらぼうめ」と言っていたわけですな。

2021年12月12日 (日)

如水は「くわんぴょうえ」

悪霊というものがあって、心霊番組や怪談などではよく登場しますが、あれって、生きているときはふつうの人間ですよね。死んだらなぜ急にパワーアップするのでしょうか。生きているときにできなかったことが、急にできるようになるというのも、なんだかなあ。でも、世界中で悪霊というものがどうやら存在するらしいのです。そういう話が洋の東西を問わずあるのですね。幽霊、妖怪の存在というものが、文化の違いにかかわらず普遍的なのはなぜでしょうね。

もちろん、幽霊でも日本と西洋では細かい違いがあります。ましてや妖怪となると、国や民族によって千差万別です。一時期はやった「アマビエ」というのがありますが、「アマビコ」というのもいたそうな。これはちがうものなのでしょうか。それとも、正しくは「アマビコ」だったのに、その名を字の下手くそなやつが書き写したために、次に書き写した人が、「ヒコ」が「ヒエ」にしか見えなかったので、そのまま書いたのでしょうか。血液型も本当はA型、B型、C型と分類したのに、字があまりにも雑なために、最後のものは「O型」にしか見えず、それが定着した、という話がありますが、それと同じことかもしれません。

「アマビコ」が正しそうなのは「アマ」が「海人」で海の中から現れることから納得できますし、その「男」という意味で「ヒコ」とつけたというのが自然だからです。「ヒエ」では意味が通じません。とにかく男は「ひこ」で、女は「ひめ」なんですな。これは「日子」「日女」だという説があってなるほどなとも思うのですが、「日女」に対応するのは「日男」だから、「ひこ」ではなく「ひお」が正しいのでは、とつまらないことを考えたりもします。日本語として「ヒメ」は残ったのですが、ヒコは消えていますね。男の子の名前の下の字で「彦」が使われるぐらいで、「ひこ」単独で使うことはあまりないでしょう。ただ、「ひこ孫」という言葉があります。孫の子、つまり曾孫のことで、「ひい孫」「ひ孫」とも言います。ところが、孫そのものも「ひこ」ということがあって、わけがわからない。

柳田国男の「名字の話」によると、長男は太郎ですが、そのさらに長男が成人して世間づきあいをするようになると、区別するために「小太郎」「新太郎」と呼ぶことがあります。そのまた長男が世に出れば「孫太郎」、そのまた長男は「彦太郎」と名づけられます。「ひこ孫」の「ひこ」ですね。ちがうパターンとして、源氏の長男は「源太郎」、悪源太義平です。平氏なら「平太」、藤原氏なら「藤太」、田原藤太秀郷ですな。同じく清原氏なら「清」の字が頭につきますが、中原氏は「忠」と、ちょっと変えるようです。橘氏も「吉」に変わりますし、小野氏は「弥」、菅原氏は「勘」になります。もちろん、時代が下ればそのあたりは相当いいかげんになります。歌舞伎の世界で「勘三郎」とか「勘弥」とかいう名前があるのは、その流れでしょう。「勘十郎」などは同音の「寛」の字を使い、「十」の部分は縁起のいい「寿」に変えて「嵐寛寿郎」と名乗った人もいます。「寿」は「じゅ」のはずですが、実際には「かんじゅうろう」と読みます。「女王」は「じょおう」のはずなのに「じょうおう」と読むようなものですな。

昔の名前には「なんとか左衛門」「なんとか右衛門」というのもよくあります。歌舞伎でも「片岡仁左衛門」「中村歌右衛門」という有名な名前があります。これは、朝廷の官職名から来ています。地方の豪族は、実力において文句のつけようのないものになると、今度は名誉が欲しくなります。そこで、京都へ上って官職を求めるのですが、せいぜい「左衛門尉」「右衛門尉」「左兵衛尉」「右兵衛尉」ぐらいしかもらえないのですね。検非違使が設置されるまで宮中の軍事警察として六衛府というのがありました。内裏内郭を守るのが近衛府、中郭が兵衛府、外郭が衛門府で、それぞれ左右に分かれます。長官が督、次官が佐、三等官が尉、四等官が志と呼ばれます。「尉(じょう)」というのは実働部隊であって身分的にはたいしたことはないのですが、それでも地方の武士は、これを貰うためにいかなる労をも辞さなかったのですね。頼朝が鎌倉に幕府を開いてからは、将軍経由で上奏をしなければ任命されなくなりました。そうなってくると、微官の「左衛門尉」でもますます有り難いものになります。本家の長男は単なる「太郎殿」ではなく、「太郎左衛門尉殿」と呼ばれるようになり、やがて「尉」の字がとれて、呼び名になっていくのですね。

そう考えれば「どらえもん」も由緒ある名前ということになります。「左近」「右近」はちょっと格が上がるのでしょうか、呼び名として使われることは比較的少なかったようですが、「兵衛」はわりとよく使われます。やがて「ひょうえ」の発音が「へい」と崩れていると、「兵」「平」の字で表されるようになります。女の人が好きな男を「好き兵衛」と言ったのが「助平」と変化するわけですね。山本権兵衛という海軍出身の総理大臣がいました。本来「ごんベえ」だったはずですが、出世して身分が高くなったのに「ごんべえ」では軽すぎると言われて、「それなら『ごんのひょうえ』とでも呼んでくれ」と答えた、というのはやはり司馬遼太郎で読んだのか。

「権兵衛」って、なんとなくダサいイメージがあるのはなぜでしょうか。「権」は「権中納言大伴家持」のような使われ方をするときには「定員外」という意味がありますから、「権兵衛」は兵衛府の中でも定員外ということで、一段劣ったような印象を与えたという可能性もありますが、もっと別の理由がありそうな。ひょっとして、「権兵衛が種まきゃカラスがほじくる」ということわざのせいか、「権兵衛さんの赤ちゃんが風邪ひいた」の歌のせいか。前者の権兵衛は民話の主人公の名前ですが、後者のほうは固有名詞というより、ある男の人をなんとなく表す名前のような感じがします。つまり「名無しの権兵衛」ですね。これも考えたら妙で、「名無し」と言いながら「権兵衛」という名があるじゃないか、と言われそうです。いくつか説があるようですが、「名主の権兵衛」のだじゃれというのが説得力のあるものです。要するに、名主やお百姓に多い名前ということですね。百姓の代名詞のように使われているうちに、田舎者のイメージが生まれてきたのかもしれません。

2021年11月22日 (月)

死んだらわかる

ちょんまげで、まげの部分が大きいものを「大いちょう」と言い、これは相撲取りの髪型の名前としても残っています。「大銀杏」が武士の髪型であるのに対して、「小銀杏」は町人のものになります。月代を剃らずに伸ばしていると浪人というイメージですね。まったく剃らずに伸び切ってしまうと、「五十日かずら」とか「百日かずら」とか呼ばれます。「百日」伸ばしたということでしょうが、石川五右衛門のレベルになると、「大」の字が付いて「大百日」と呼ばれているようです。ここまで来ると、盗賊や囚人の髪型ということになります。

慶安の変の首謀者、由比正雪となると、「ストレートのロング」ですな。こういうのは「総髪撫付」と言います。月代を剃らずに髪を伸ばすと「総髪」ということになり、まげを結わずに垂らしたままにするのを「なでつけ」と言います。山伏とか易者、蘭方医のイメージですね。由比正雪は軍学者ということで、映画や芝居ではあの髪型になっているわけです。吉宗の隠し子と名乗って世間を騒がせた天一坊も、山伏だったので総髪撫付です。天草四郎はどうでしょうか。舞台や映画ではストレートのロングですが、なぜ、この髪型なのでしょう。切支丹だから? 大人ではなく少年だから? 正解は…「美輪明宏の前世だから」。

儒学者も、この髪型のイメージですね。林羅山、新井白石、貝原益軒、熊沢蕃山…。実際に残っている肖像画を見ると、必ずしもそうではないのですが、「儒学者」と言われると、総髪撫付のイメージを思い浮かべます。儒教の祖の孔子もそういうヘアスタイルだったのかなあ。孔子の時代にそういう髪型があったのかどうか。そもそも孔子って、紀元前550年ぐらいに生まれているのですね。釈迦は紀元前7世紀、6世紀、5世紀と、いろいろな説がありますが、大ざっぱに言うと、孔子とほぼ同じ時代ということになります。それに比べるとキリストは生まれたとされている年を基準にして西暦が数えられていますから、まだまだ若造ですな。

卑弥呼と曹操がほぼ同じ時代、と言われるとなんだか違和感がありますが、魏志倭人伝の「魏」というのは三国志の魏なのだから当然です。日本の歴史だけ縦軸として見ているとわからないのですが、横軸を世界に広げてみるとおもしろい発見があります。たとえばシェークスピアは1564年に生まれ、1616年に死んでいますが、この年に死んだ日本の有名人と言えば徳川家康です。では、最後の将軍、慶喜はいつまで生きたのでしょうか。なんと1913年です。ということは明治を越えて大正時代になっているのですね。山県有朋も長生きで1922年まで生きました。うちの父親がそのころに生まれていますから、天保生まれの山県と同じ時代の空気を吸ったことになります。昭和の軍人たちの中には山県を知っている人も多かったということですね。大河ドラマの主人公の渋沢栄一も同じく天保生まれですが、1931年まで生きています。昭和6年ですね。

考えてみれば、昭和生まれの人間も、平成・令和と三代にまたがって生きていることになります。こうして見ると、元号というのはなかなかおもしろく、やはり廃止はしてほしくないものですね。令和の次の元号も前もって決めておけば、そのまま元号続行ということになるので、早めに決めておくように新首相に電話を入れておこうかしら。ただ、現行の一世一元の制度から見て、まずい点があります。一人の天皇について一つの元号ということなので、次の元号は今の天皇のご崩御を前提にしていることになるからです。

こういうのはやはり日本人はきらうのですね。基本的に日本人は悪い状態を想定しないというところがあります。都合の悪い情報を無視したり過小評価したりする傾向を正常性バイアスと言いますが、日本人は、今まで何事もなかったのなら、それがそのまま続くはずだ、悪いことを予想するから悪いことが起こるのだ、と思い込むのでしょうか。特に、言葉にするとそれが起こるという思い込みが強いようです。言霊思想ですね。だから、天皇が亡くなることを前提にした議論なんて、とんでもない、ということになります。フローチャート的予想が不得意なのも、そのせいでしょう。災害が起こることを口にすると、縁起でもないと言われます。しかし、こういう状況が起こらないように、こういう対策を立てておこうとか、起こったときには、こういう手当をしようとか、あらかじめ考えておくのは大切なことです。

ただし、言葉の持つ力が失われてしまうのもだめでしょう。言葉の持つ威力も忘れてはなりません。正確に言うと、言葉そのものが力を持っているのではなく、言葉を受け取る側が勝手に力を感じるのですね。だから、言葉をないがしろにすると、詩や物語が人を感動させなくなるかもしれません。逆に言葉の暴力というのもあり、言葉が人を傷つけてしまう場合もあります。言葉一つで、人を喜ばせたり悲しませたり、時には命を奪うこともあります。

では、お経が邪なものを恐れさせるのはなぜでしょうか。われわれはお経が聖なるものであると知っているので、邪なものは嫌がるのだろうと思いますが、その邪なもの自身はなぜお経が聖なるものであるとわかるのでしょうか。仏教徒でなければ、お経に対して、なんの有り難みも感じないでしょう。そもそも邪なものは自身が邪であるという自覚があるのかなあ。また、お経ならなんでもよいのでしょうか。たとえば、般若心経には悪霊退散の威力はなさそうな…。

一万円札なんて一枚の紙にすぎないのに、みんなに使われているうちに「神の力」が宿りますが、それと同じような原理かもしれません。でも、その理屈なら生きている人には通用しても、死んだ人にとっては意味をなさないような気もします。そうであるなら、いくらお経を読んでも引導を渡せるはずもないし、さらに言えば、普通の日本人の場合、漢語やインド語が理解できるわけがないのですから、何を言われているか意味不明でしょう。これは子供のときに、誰しもが抱く疑問なのではないでしょうか。「死んだらわかるようになるねん」と大人は言うのですが…なかなか難しい問題です。

2021年10月23日 (土)

血液型/丹後半島

しばらく書いていなかったので、前々から書こうと思っていた血液型の話と丹後半島を旅した思い出をまとめて書いちゃえ、と目論んでいるのですが、この二つの話をいったいどう接続すればいいのかさっぱりわかっていない状態です。とりあえず血液型の話から始めてみますが、果たしてスムースに丹後半島の話につなげられるのか、乞うご期待!

さて、免疫学研究者である藤田紘一郎先生は、  ご存じの方も多いと思いますが  血液型O型の人が免疫力最強であるとおっしゃっています。次がB型で、AB型の人が最弱だとか。なるほどと首肯されるのは、私の母がO型で父がAB型、そして私がB型なのですが、まさに藤田先生のおっしゃるとおり、亡くなった父が(元漁師で、宇和島から船で行かなければいけないような辺鄙な漁村の出身であったにもかかわらず)最弱でした。母(89歳、ひとり暮らし、満州=中国東北部と有明海に面した長崎の片田舎で少女時代を過ごした)がもっとも頑健、私(生まれも育ちも大阪)はまずまずといったところです。私は学生時代を東北の仙台で過ごしましたが、風邪を引いた記憶というのはありません(毎日ぼんやりしていたため覚えていないだけかもしれませんが)。雪が積もらないかぎりサンダルもしくは下駄履きで過ごし、ふとんが黴びたために真冬でも夏用の寝袋で寝ていましたが(あまりにも寒いので新聞紙を入れたことがあります)、そして野菜を食べないのでビタミンCも不足しがちだったはずですが、まあなんとかなっていました。若かったですしね(低血糖で起き上がれなかったことは何度かあります)。

私の座右の書である藤田先生の『B型はなぜか、お腹が痛い』によれば、もとが遊牧民の血液型であるB型の人には乳製品が合う、とのことなのですが、確かに私も乳製品は好きです。ナチュラルチーズがもっと安くなったら、エメンタールチーズ(穴のあいたやつです)のでかいのを買って、毎日『トムとジェリー』のジェリーのように食べていたいと思っています。

しかしながら、B型というのは何かと評判が悪い。マイペースだーとか自分勝手やーとか言われます。私に関していえば確かにそのとおりで、一言も言い返せないのがとても残念です。小学生のときは学校一有名な問題児でした。後に当時の父の日記を読み、父がまあまあ悩んでいたことを知って、あちゃーと思いましたが、とにかく協調性がありませんでした。べつにこれといって悪いことをしていたわけではないのですが、ただただ協調性がないんです。通知表には毎度のように「協調性がない」と書かれていました(ちなみに幼稚園の卒園アルバムには「落とし物と忘れ物の名人」と書かれていました)し、当時の自分の記憶をたどるに、人と協調するとはどういうことかわかっていなかった気がします。藤田先生によれば、B型の人間がそのようになってしまうのも、ノロウイルスとかそういう胃腸系の感染症に弱く人との接触を避けがちだったためではないかということで、あまり説得力がない気もしますが、確かに私も一度ノロにやられています。生牡蠣や生肝を食べまくっていたころですね。それ以来、生牡蠣・生肝は食べないようにしています。

そもそも、魚介はどちらかというと火を通したものの方がおいしいような気がするんです。魚も確かに新鮮なお刺身というのは大変においしいものですが、おいしい干物にかなう刺身はなかなかないのではないか思います(亡き父によれば、とれたばかりのイカを船の上でそのままさいて食べるのがいちばん旨いとのことで、たしかに新鮮なイカはおつくりにして食べると大変おいしい)。さざえとかあわびのおつくりなんていうのもありますが、焼いた方がおいしいんじゃないでしょうか。小学2年生のとき、父の田舎で夏休みを過ごしたのですが、風呂の焚き口で焼いたあわびやさざえを食べさせてもらいました。今となってはあわびなんてとても高くておいそれとは食べられませんが、さざえのつぼ焼きはときどき食べます。実においしい。

そういえば小学生のとき、もう少し大きくなってからですが、さざえのつぼ焼きを丹後半島で食べたことがあります! 家族で旅行したときです。あれも獲りたてのやつだったのでまことにおいしかった! 丹後半島は海もきれいでさざえも旨くて言うことないやと小学生ながらに思いました。それで、大学生のとき、友人と語らってテントを担いで丹後半島一周の旅に行きました。どこにテントを張るとかあまり考えず、無計画にてくてくと歩き出したのですが、この日のために新しく買った靴を履いてきたF君が靴擦れですぐにひいひい言い始め、たいして歩かないうちに神社の境内にテントを張ることになりました。次の日は、体調を崩した私がひいひい言うはめになり、このままではらちがあかんということで、夕方近くなるとあっさりバスに乗りました。自由昇降区間なんてものがあることを知らなかったので、乗客のおばあさんが「このへんで」というとバスが停車するのに驚きました。そのおばあさんがいなくなって乗客がわれわれ三人だけになると、運転手さんが「どこまでいくんだ?」と訊いてきました。終点のバス停までいって、どこかにテント張るつもりだとこたえると、「食い物はあるのか?」と訊かれました。終点のバス停までいって、そこで店を見つけて買うというと、「店なんかない」というのです。三人で「まずい」と顔を見合わせていると、運転手さんが「よし」とつぶやくや、なんとバスをUターンさせるではありませんか。そして「スーパーの前で停めてやるからそこで何か買ってこい」というのです。もう、ただただびっくりしました。この優しさならもしかすると運賃もただにしてくれるのでは、と図々しいF君はつぶやくのでしたが、さすがにそんなことはありませんでした。

しかし問題はまだまだ続くのです。テントを張れそうなところがない。地図をみると、丹後半島の先っぽ(経ヶ岬)のあたりにキャンプ場があるのですが、そこまで12キロぐらいあり、当然もうバスなんてありません。図々しいF君(いまは大学の先生)も、常識人だが気難しいK君(やはり大学の先生)もしょんぼりです。すべてはN君(私)が無計画過ぎるからではないかという無言の非難を浴びて、私は言いました。「だいじょうぶ。歩いてたら、そのうち誰かが車に乗せてくれるから」「そううまくいくか!」というような会話を交わしながら歩くこと10分。軽トラのおじいさんが「どこまで行くんだ、荷台にのせてやるぞ」と声をかけてくれました。「ほらみろ」と図々しいN君は得意げにいうのでした。しかし、丹後半島の崖沿いのくねくね道を結構なスピードで走るので、荷台から振り落とされそうで怖かったです。

当時の田舎の人は(今も?)本当に親切でした。初日も、F君がひいひい言う前ですが、スイカ畑のそばを歩いていると農作業にいそしんでいたおじさんが、スイカを食えと言って見ず知らずのわれわれに食べさせてくれました。

・・・・・・

やはりB型というのは……と思われてしまったかもしれません。しかし、N君が「誰かがのせてくれる」といったのは、単に図々しいから都合のいい妄想をしてたというのではなく、田舎の人はとても親切なのだということを体験から知っていたからです。その体験の話はまた後日! 本日も与太話にお付き合いくださってありがとうございました。

2021年9月20日 (月)

満月マーチでござる

住吉はもともと「すみのえ」または「すみえ」と言っていたようで、「住吉」という字をあてたために「すみよし」と読まれるようになったのでしょう。「吉」が「え」であるのは「ひえ」の山の神をまつる神社が「日吉大社」であることからもわかります。「比叡」はなんとなく格好の良い字をあてただけで「日枝」でも「日吉」でも、なんでもよいのですね。ちなみに日枝大明神のお使いがサルなので、まともな幼名などなかったであろう秀吉が「日吉丸」と名乗っていたことになっているのだそうな。

結婚式の披露宴で謡曲の「高砂」をうたう場面がドラマなどでよく出てきます。高砂の相生の松にことよせて、長寿や夫婦愛をテーマにしたものですが、「船に乗って住吉に着く」という内容になっています。住吉神社は明石にもあるので、距離的に見て、大阪ではなくそちらかもしれません。いずれにせよ、住吉の神は海辺に住むことを好んだようで、海人系の神のようです。

一寸法師もじつは住吉の神と関係があります。室町時代の御伽草子に描かれた一寸法師は絵本に出てくるのとはまた違ったイメージです。結構悪がしこいのですね。寝ているお姫さまの口のまわりに米粒をつけて、米を盗まれたと大さわぎします。姫の父親である宰相殿はけしからん娘だと言って、一寸法師に姫を殺すよう命じてしまいます。姫を連れて都から難波に下る途中、風に流され、鬼ヶ島に着くのですね。つまり、この鬼ヶ島は淀川にあったことになります。この一寸法師、四十をすぎても子ができないことを悲しんだ爺さん婆さんが住吉の神に祈って授かったことになっています。四十一で初産という高齢出産だったわけですが、このころは四十過ぎれば年寄りの扱いです。

海人系の神であるらしい住吉大明神は子授けのパワーも持っているわけですが、神様によってどんな御利益を授けてくれるか、得手不得手というか専門性があるようです。柿本人麻呂も神様になっており、神社はいくつかありますが、明石にある柿本神社が有名です。昔は人丸神社とも言いました。「麻呂」「麿」は「丸」と同じものなのですね。人麻呂は歌聖と仰がれているので、歌道の神であることは言うまでもありません。ところが、「ひとまる」を「人生まる」と無理矢理解釈して安産の神としたり、「火止まる」と解して火事を防ぐ神にもなったりしています。

火事を防ぐ、つまり火伏の神としては愛宕信仰が全国的です。京都の愛宕神社が発祥でしょうが、全国区になっていたのは、直江兼続の兜の前立にある「愛」の字でもわかります。上杉謙信が毘沙門天を信仰していたので「毘」の一字を染め抜いた旗印を採用していたことにならったのでしょう。愛染明王も軍神なのでこちらの可能性もありますが、伊達政宗の家臣の片倉重長は、「愛宕大権現」と明記した前立をしています。ちなみに片倉重長の後妻は、じつは真田幸村の娘だったとか。

秋葉大権現も火伏の神として有名です。明治の初め、東京で大火があり、延焼防止のために火除地をつくったのが「秋葉原」と呼ばれるようになったわけです。だから、正しくは「あきばはら」ですが、いつか訛って「あきはばら」になったんだ、と言う人もおり、「もともと『あきは』と読むのが正しいので、『はら』と結び付いたときに『ばら』になったんだ、と言う人もいます。どっちにしても、結局はオタクの聖地として有名になってしまっています。

秋葉神社は全国にありますが、遠江国にもあるのが本店で、あとは支店だそうな。その神社へ通じる秋葉街道の宿場町として賑わったのが遠州森町、秋葉神社の境内で産声をあげたと言われているのが森の石松ですが、いまどきは「それ、だれ?」かもしれません。広沢虎造の浪曲で、「清水港は鬼より怖い、大政小政の声がする」と歌われたように、清水の次郎長の子分には強い人が多かったが、別格に強かった、とされているのが森の石松です。ただ、実在したのかどうか疑わしいらしい。一説によると「豚松」という人がいて、これと混同されているのではないかとも言われています。ただ、映画やドラマでは圧倒的な人気があり、この人の名前をもらったのがガッツ石松ですね。

浪曲のフレーズで「バカは死ななきゃなおらない」と言われたのが森の石松で、それを借りて「ボクシングばか」のつもりで付けたリングネームだったのでしょうか。入場するときも三度笠と合羽姿で、はじめはイロモノ扱いだったのが、なんと世界王者にまで登り詰めました。両手を上げて喜ぶポーズを「ガッツポーズ」と言うのも、この人が元になったという話もありますが、デマかもしれません。『チコちゃんに叱られる!』で「ガッツポーズってなに?」と質問されたときに答えられず、「ボーっとしてんじゃねえ」と叱られていました。

ガッツ石松と言えば「名言」でも有名です。「ボクシングに出会ってから人生観が360度変わりました」とか、北斗七星の位置を聞かれて「この辺の者じゃないから」と答えたとかいうのは、だれかの作ったギャグで、言ったことにされているだけかもしれません。よく似たパターンのものでは、日本語吹き替えの洋画を見ていて、「最近の外人さんは、みんな日本語上手だねえ」と言った、というのと、時代劇に出演したときの楽屋インタビューで、カツラをかぶりながら、「昔の人はたいへんだったねえ、毎日こんなことやって…」と言った、というのがありますが、これは本当かもしれません。

江戸時代の人の髪型をよく「ちょんまげ」と言いますが、これは正しいのでしょうか。ことばどおりの意味だと、少なくなった頭髪で結った老人の「小さなまげ」のことをさしていますが、大きさにかかわらず「ちょんまげ」と言うようになったようです。つまりは、後頭部の髪をまとめて、前方にまげるのが「まげ」で、頭頂部を越えるかどうかは不問にする、ということでしょうな。厳密に言うと髪の部分が「まげ」であり、頭頂部から前頭部の剃りあげている部分はまた別のものになります。これは「さかやき」と呼んで、「月代」と書きます。半月状に剃り上げているということでしょう。まあ、まげと月代があることが「ちょんまげ」の基本条件ということですね。頭髪が完全になくなったら…満月状ということで、「ちょんまげ」ではなくなります。

2021年8月27日 (金)

住吉オリオン説

JR東日本が公募した、芝浦にできる新しい駅の名として、「芝浜」を予想する人が結構いましたが、結局「高輪ゲートウェイ駅」に決まりました。ネット上では「芝浜だけに、夢になっちゃった」という書き込みが多かったとか。円朝がこの話をこしらえるのにどれぐらいの時間がかかったのか。これは三題噺です。お客から三つのお題をもらい、そのお題に入れ込んで即興で作るんですね。即興と言っても、ある程度の時間はもらえるらしい。

円朝が作った『鰍沢』というのも「卵酒」「鉄砲」「毒消しの護符」の三題噺だと言われます。これはやはり圓生がうまかった。オチがだじゃれになっているのも、それまでのハラハラドキドキを受けて「緊張と緩和」になっていて、必ずしも欠点になっていません。圓生の十八番としては『御神酒徳利』というのがあります。これは「天覧落語」にもなりました。

あるお店の大掃除の日、家宝の御神酒徳利をとられないようにと、番頭の善六が水瓶の中に沈めておきます。ところが、そのあと徳利がなくなったと大騒ぎ。善六は家に帰ってから、自分が水瓶に入れておいたことを思い出したが、今さら言えません。女房の入れ知恵で、そろばん占いで徳利のありかを占うと言い出して、見つかったことにします。たまたまその日に泊まっていたのが、鴻池善右衛門の番頭で、善六は大坂まで連れて行かれることになります。鴻池の娘が病気で床についているので、善六に占ってもらいたいと言うのですね。道中の宿屋では、財布がなくなったという騒ぎが持ち上がっており、善六が占いで犯人を見つけることになってしまいます。そんな力はないので、善六が夜逃げの支度をしていると宿の女中が部屋に訪ねてきます。女中は、病気の親に仕送りしたくて、つい手を出してしまったと、財布の隠し場所も白状しました。善六は、宿の庭で祀っているお稲荷さんの祟りだと言って、財布のありかを見事当てます。鴻池の番頭はすっかり善六を信用して、間もなく鴻池の屋敷へ連れていきますが、困ったのは善六で、「苦しい時の神頼み」と水垢離を始めます。すると、宿屋の稲荷が夢枕に立ち、「お前のおかげで『あの稲荷には効力がある』と評判になった。お礼として娘の病気のことを教えてやろう。この屋敷の隅の柱の下に埋もれている観音像を掘り出して崇めたら娘の病気は全快間違いなし」と言います。そのとおりにすると娘の病気がなおりました。善六は莫大な礼金をもらい、江戸に帰って立派な旅籠を建ててそこの主人におさまって、生活はケタ違いによくなります。「ケタ違いになるわけです。そろばん占いでございますから」というオチです。

この落語を圓生は昭和天皇の前で口演しました。つまり、「天覧落語」ですね。「天覧相撲」と言えば、天皇陛下が国技館でご覧になる相撲のことです。「天覧試合」となると、ふつう、昭和天皇が後楽園球場でご覧になった、巨人対阪神の試合をさします。長嶋が村山からサヨナラホームランを奪った、という実に腹立たしい試合ですね。その15年ぐらいあとに圓生が「御前口演」したわけですが、こういう下世話な落語を天皇がどれだけ理解できたのでしょうね。江戸っ子が登場して啖呵を切るような話ではないので、まだマシかもしれませんが…。コテコテの大阪弁の出てくる上方落語などはどうでしょうね。生粋の大阪人でもいまや理解できない言葉が頻出してきますから。

もとの言葉はふつうでも、音が変化してわかりにくくなるものもあります。「別状ない」ならわかっても「べっちょない」とかなると、とたんにわかりにくくなります。こういう音の変化というのは結構頻繁に起こります。たとえば「神戸」という地名でも、「かみへ」から「かんべ」になり、「こうべ」に変化していくわけですね。この「かみへ」というのは、「神の村」という意味です。「三宮」あたりは生田神社の摂社として三番目の宮があったので「神の村」と呼ばれたのでしょう。

生田神社には「一宮」から「八宮」までの摂社があったそうですが、ふつう「一宮」とは、ある地域の中で最も社格の高い神社のことで、ややこしいですが生田神社は「摂津一宮」ではないのですね。「摂津一宮」と呼ばれる神社は二つあって、一つは誰しも納得する「住吉大社」です。もう一つはややマイナーな「坐摩神社」です。大阪市のど真ん中にあり、地名も「渡辺」と言いますから、まさに「ザ・大阪」ですね。頼光四天王のトップ渡辺綱は嵯峨源氏のうちの有力氏族で、大阪を支配下に置いていました。坐摩神社は渡辺の津の守護神ということになります。ただ、この神社は名前がなかなか読めない。地元の人でさえ音読みして「ざまさん」と読んでいますが、正しくは「いかすり神社」と読みます。「坐」の字は「すわる」という意味で、すわることを古くは「いる」と言いました。「いても立ってもいられない」とか「立居振舞」のように「立つ」に対するのが「居る」です。「摩」は「摩擦」で使うように「する」という意味です。「する」が元になって、「こする」「さする」「なする」などのことばが生まれました。「かする」も同様です。ということで「坐摩」は「い・かすり」と読めるのですね。

まあ、たしかに日本の神様の名前は難しい。「天照大神」のレベルでも、知らないと「てんてるだいじん」とか読みたくなります。アマテラスは太陽神のようなので、これとセットになるのは「月読命」です。「天照大神」の弟で月の神なのに、かたや「大神」、かたや「命」で、知名度も低く古事記にもほとんど登場しません。さらに、その弟の須佐之男になると、完全にアンバランスです。風の神のようなのですが、太陽と月と並ぶものとして「風」というのはちょっと妙です。名前の「すさ」は「吹きすさぶ」から来ているので風の神なのだという説以外に、「須佐地方の男」という意味で、出雲国の須佐のあたりに住んでいた族長の神格化だという説もあります。たしかに出雲系の神様のような感じです。命名法としても、アマテラスやツクヨミのような抽象的なものと違って、具体的な地名がはいっているのなら、別系統の神様かもしれません。摂津一宮の住吉大社の神様は、住吉三神と言って、底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命の三柱ですが、このネーミングは実にイージーです。ただ、名前に共通する「筒」は「星」を意味していたことから、オリオン座のベルトに三つ並ぶ星のことだという、スケールの大きな説もありますが、どんなものやら。

2021年8月 8日 (日)

少しスマホを見直しました

4月からスマホユーザーになり、当初は文句ばかり言っていた私ですが、いいところも少しはある、というのがスマホに対する最近の感想です。先日山登りに行ってそう思いました。

1 今歩いているところがどこか、すごくよくわかる!(スマホに切り替えた最大の理由です)

2 美麗な写真を即座にかつ一斉にLI◎Eで希学園山岳部(非公認)の人々に送りつけられる!

このぐらいではありますが、これまでにない山行スタイルが楽しめました。

剱岳やら立山に登るときは私は基本的に富山側から入ります。富山から地鉄(富山地方鉄道)で立山駅まで行き、そこから標高差500メートルをケーブルカーで一気に美女平というところまで引っ張り上げてもらいます。で、さらにバスで1時間ほどぐるぐると室堂平というところまで登ります。途中、弥陀ヶ原という大変気持ちのよい高層湿原があり、室堂平から弥陀ヶ原までは何年か前に歩いたことがあるのですが、一度立山駅から弥陀ヶ原まで通して歩いてみたいなあと思っていたので、スマホの使い勝手を確かめる目的もあって、行ってきました。

今年は梅雨入りが早かったので午前中はつらい山行になりました。さいわい、美女平にたどりついたころには雨もやみ、さあ、ここからは木道歩きが中心で歩きやすいし道に迷うこともないしルンルンだぜと思っていたのですが、とちゅうから趣が変わっていきました。

はじめのうちはこんな感じだったのですが、

20210525_110217

標高が上がるにつれてこんな感じになりました。

20210525_113036

ここで威力を発揮したのが、スマホであります。GPS機能を使って、ダウンロードした登山地図に今自分がさまよっているところを落とし込むことができるのです。おまけに、その地図には、他の登山者たちの足跡がたくさんドットされているので、そのドットの濃いところから逸れないように歩けば、まず道迷いはないというわけです。ついに時代に追いついた! だいぶ人より遅れていますが、感激しました。

しかし、雪解け期だったので、雪に埋もれていた木々の枝が突如として跳ね上がり、顔をひっぱたかれたりして怖かったです。

じつをいうと、その前にもべつの山に登っており、そのときもすでにスマホユーザーだったのですが、その山(西穂高岳といいます、飛騨山脈=北アルプスの山です)は雪の上にしっかりと他の登山者の踏み跡が残っていたため、道迷いの心配がなくGPSの出番もなかったのです。

こんな感じのところを登って(これは下山中に撮影したもので、よくよく見るとちょうどどまんなかに小さくべつの登山者の姿が見えます、こいつは、もといこの方は雪山初心者っぽい同行者を置き去りにしてさっさと下山していくスパルタな人でした)、

20210506_132437

こんな感じの山頂にたどり着きました。

20210506_130243

このあと、山小屋まで降りてきたころにはなぜか猛烈な頭痛に襲われ、息絶え絶えになりながらテントを張り終えるや、爆睡してしまいました。たぶん熱中症的なものだ思います。つい水分補給を忘れて夢中になって登ってしまうので。猛暑の夏、みなさまもお気をつけください。

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