2021年10月23日 (土)

血液型/丹後半島

しばらく書いていなかったので、前々から書こうと思っていた血液型の話と丹後半島を旅した思い出をまとめて書いちゃえ、と目論んでいるのですが、この二つの話をいったいどう接続すればいいのかさっぱりわかっていない状態です。とりあえず血液型の話から始めてみますが、果たしてスムースに丹後半島の話につなげられるのか、乞うご期待!

さて、免疫学研究者である藤田紘一郎先生は、  ご存じの方も多いと思いますが  血液型O型の人が免疫力最強であるとおっしゃっています。次がB型で、AB型の人が最弱だとか。なるほどと首肯されるのは、私の母がO型で父がAB型、そして私がB型なのですが、まさに藤田先生のおっしゃるとおり、亡くなった父が(元漁師で、宇和島から船で行かなければいけないような辺鄙な漁村の出身であったにもかかわらず)最弱でした。母(89歳、ひとり暮らし、満州=中国東北部と有明海に面した長崎の片田舎で少女時代を過ごした)がもっとも頑健、私(生まれも育ちも大阪)はまずまずといったところです。私は学生時代を東北の仙台で過ごしましたが、風邪を引いた記憶というのはありません(毎日ぼんやりしていたため覚えていないだけかもしれませんが)。雪が積もらないかぎりサンダルもしくは下駄履きで過ごし、ふとんが黴びたために真冬でも夏用の寝袋で寝ていましたが(あまりにも寒いので新聞紙を入れたことがあります)、そして野菜を食べないのでビタミンCも不足しがちだったはずですが、まあなんとかなっていました。若かったですしね(低血糖で起き上がれなかったことは何度かあります)。

私の座右の書である藤田先生の『B型はなぜか、お腹が痛い』によれば、もとが遊牧民の血液型であるB型の人には乳製品が合う、とのことなのですが、確かに私も乳製品は好きです。ナチュラルチーズがもっと安くなったら、エメンタールチーズ(穴のあいたやつです)のでかいのを買って、毎日『トムとジェリー』のジェリーのように食べていたいと思っています。

しかしながら、B型というのは何かと評判が悪い。マイペースだーとか自分勝手やーとか言われます。私に関していえば確かにそのとおりで、一言も言い返せないのがとても残念です。小学生のときは学校一有名な問題児でした。後に当時の父の日記を読み、父がまあまあ悩んでいたことを知って、あちゃーと思いましたが、とにかく協調性がありませんでした。べつにこれといって悪いことをしていたわけではないのですが、ただただ協調性がないんです。通知表には毎度のように「協調性がない」と書かれていました(ちなみに幼稚園の卒園アルバムには「落とし物と忘れ物の名人」と書かれていました)し、当時の自分の記憶をたどるに、人と協調するとはどういうことかわかっていなかった気がします。藤田先生によれば、B型の人間がそのようになってしまうのも、ノロウイルスとかそういう胃腸系の感染症に弱く人との接触を避けがちだったためではないかということで、あまり説得力がない気もしますが、確かに私も一度ノロにやられています。生牡蠣や生肝を食べまくっていたころですね。それ以来、生牡蠣・生肝は食べないようにしています。

そもそも、魚介はどちらかというと火を通したものの方がおいしいような気がするんです。魚も確かに新鮮なお刺身というのは大変においしいものですが、おいしい干物にかなう刺身はなかなかないのではないか思います(亡き父によれば、とれたばかりのイカを船の上でそのままさいて食べるのがいちばん旨いとのことで、たしかに新鮮なイカはおつくりにして食べると大変おいしい)。さざえとかあわびのおつくりなんていうのもありますが、焼いた方がおいしいんじゃないでしょうか。小学2年生のとき、父の田舎で夏休みを過ごしたのですが、風呂の焚き口で焼いたあわびやさざえを食べさせてもらいました。今となってはあわびなんてとても高くておいそれとは食べられませんが、さざえのつぼ焼きはときどき食べます。実においしい。

そういえば小学生のとき、もう少し大きくなってからですが、さざえのつぼ焼きを丹後半島で食べたことがあります! 家族で旅行したときです。あれも獲りたてのやつだったのでまことにおいしかった! 丹後半島は海もきれいでさざえも旨くて言うことないやと小学生ながらに思いました。それで、大学生のとき、友人と語らってテントを担いで丹後半島一周の旅に行きました。どこにテントを張るとかあまり考えず、無計画にてくてくと歩き出したのですが、この日のために新しく買った靴を履いてきたF君が靴擦れですぐにひいひい言い始め、たいして歩かないうちに神社の境内にテントを張ることになりました。次の日は、体調を崩した私がひいひい言うはめになり、このままではらちがあかんということで、夕方近くなるとあっさりバスに乗りました。自由昇降区間なんてものがあることを知らなかったので、乗客のおばあさんが「このへんで」というとバスが停車するのに驚きました。そのおばあさんがいなくなって乗客がわれわれ三人だけになると、運転手さんが「どこまでいくんだ?」と訊いてきました。終点のバス停までいって、どこかにテント張るつもりだとこたえると、「食い物はあるのか?」と訊かれました。終点のバス停までいって、そこで店を見つけて買うというと、「店なんかない」というのです。三人で「まずい」と顔を見合わせていると、運転手さんが「よし」とつぶやくや、なんとバスをUターンさせるではありませんか。そして「スーパーの前で停めてやるからそこで何か買ってこい」というのです。もう、ただただびっくりしました。この優しさならもしかすると運賃もただにしてくれるのでは、と図々しいF君はつぶやくのでしたが、さすがにそんなことはありませんでした。

しかし問題はまだまだ続くのです。テントを張れそうなところがない。地図をみると、丹後半島の先っぽ(経ヶ岬)のあたりにキャンプ場があるのですが、そこまで12キロぐらいあり、当然もうバスなんてありません。図々しいF君(いまは大学の先生)も、常識人だが気難しいK君(やはり大学の先生)もしょんぼりです。すべてはN君(私)が無計画過ぎるからではないかという無言の非難を浴びて、私は言いました。「だいじょうぶ。歩いてたら、そのうち誰かが車に乗せてくれるから」「そううまくいくか!」というような会話を交わしながら歩くこと10分。軽トラのおじいさんが「どこまで行くんだ、荷台にのせてやるぞ」と声をかけてくれました。「ほらみろ」と図々しいN君は得意げにいうのでした。しかし、丹後半島の崖沿いのくねくね道を結構なスピードで走るので、荷台から振り落とされそうで怖かったです。

当時の田舎の人は(今も?)本当に親切でした。初日も、F君がひいひい言う前ですが、スイカ畑のそばを歩いていると農作業にいそしんでいたおじさんが、スイカを食えと言って見ず知らずのわれわれに食べさせてくれました。

・・・・・・

やはりB型というのは……と思われてしまったかもしれません。しかし、N君が「誰かがのせてくれる」といったのは、単に図々しいから都合のいい妄想をしてたというのではなく、田舎の人はとても親切なのだということを体験から知っていたからです。その体験の話はまた後日! 本日も与太話にお付き合いくださってありがとうございました。

2021年9月20日 (月)

満月マーチでござる

住吉はもともと「すみのえ」または「すみえ」と言っていたようで、「住吉」という字をあてたために「すみよし」と読まれるようになったのでしょう。「吉」が「え」であるのは「ひえ」の山の神をまつる神社が「日吉大社」であることからもわかります。「比叡」はなんとなく格好の良い字をあてただけで「日枝」でも「日吉」でも、なんでもよいのですね。ちなみに日枝大明神のお使いがサルなので、まともな幼名などなかったであろう秀吉が「日吉丸」と名乗っていたことになっているのだそうな。

結婚式の披露宴で謡曲の「高砂」をうたう場面がドラマなどでよく出てきます。高砂の相生の松にことよせて、長寿や夫婦愛をテーマにしたものですが、「船に乗って住吉に着く」という内容になっています。住吉神社は明石にもあるので、距離的に見て、大阪ではなくそちらかもしれません。いずれにせよ、住吉の神は海辺に住むことを好んだようで、海人系の神のようです。

一寸法師もじつは住吉の神と関係があります。室町時代の御伽草子に描かれた一寸法師は絵本に出てくるのとはまた違ったイメージです。結構悪がしこいのですね。寝ているお姫さまの口のまわりに米粒をつけて、米を盗まれたと大さわぎします。姫の父親である宰相殿はけしからん娘だと言って、一寸法師に姫を殺すよう命じてしまいます。姫を連れて都から難波に下る途中、風に流され、鬼ヶ島に着くのですね。つまり、この鬼ヶ島は淀川にあったことになります。この一寸法師、四十をすぎても子ができないことを悲しんだ爺さん婆さんが住吉の神に祈って授かったことになっています。四十一で初産という高齢出産だったわけですが、このころは四十過ぎれば年寄りの扱いです。

海人系の神であるらしい住吉大明神は子授けのパワーも持っているわけですが、神様によってどんな御利益を授けてくれるか、得手不得手というか専門性があるようです。柿本人麻呂も神様になっており、神社はいくつかありますが、明石にある柿本神社が有名です。昔は人丸神社とも言いました。「麻呂」「麿」は「丸」と同じものなのですね。人麻呂は歌聖と仰がれているので、歌道の神であることは言うまでもありません。ところが、「ひとまる」を「人生まる」と無理矢理解釈して安産の神としたり、「火止まる」と解して火事を防ぐ神にもなったりしています。

火事を防ぐ、つまり火伏の神としては愛宕信仰が全国的です。京都の愛宕神社が発祥でしょうが、全国区になっていたのは、直江兼続の兜の前立にある「愛」の字でもわかります。上杉謙信が毘沙門天を信仰していたので「毘」の一字を染め抜いた旗印を採用していたことにならったのでしょう。愛染明王も軍神なのでこちらの可能性もありますが、伊達政宗の家臣の片倉重長は、「愛宕大権現」と明記した前立をしています。ちなみに片倉重長の後妻は、じつは真田幸村の娘だったとか。

秋葉大権現も火伏の神として有名です。明治の初め、東京で大火があり、延焼防止のために火除地をつくったのが「秋葉原」と呼ばれるようになったわけです。だから、正しくは「あきばはら」ですが、いつか訛って「あきはばら」になったんだ、と言う人もおり、「もともと『あきは』と読むのが正しいので、『はら』と結び付いたときに『ばら』になったんだ、と言う人もいます。どっちにしても、結局はオタクの聖地として有名になってしまっています。

秋葉神社は全国にありますが、遠江国にもあるのが本店で、あとは支店だそうな。その神社へ通じる秋葉街道の宿場町として賑わったのが遠州森町、秋葉神社の境内で産声をあげたと言われているのが森の石松ですが、いまどきは「それ、だれ?」かもしれません。広沢虎造の浪曲で、「清水港は鬼より怖い、大政小政の声がする」と歌われたように、清水の次郎長の子分には強い人が多かったが、別格に強かった、とされているのが森の石松です。ただ、実在したのかどうか疑わしいらしい。一説によると「豚松」という人がいて、これと混同されているのではないかとも言われています。ただ、映画やドラマでは圧倒的な人気があり、この人の名前をもらったのがガッツ石松ですね。

浪曲のフレーズで「バカは死ななきゃなおらない」と言われたのが森の石松で、それを借りて「ボクシングばか」のつもりで付けたリングネームだったのでしょうか。入場するときも三度笠と合羽姿で、はじめはイロモノ扱いだったのが、なんと世界王者にまで登り詰めました。両手を上げて喜ぶポーズを「ガッツポーズ」と言うのも、この人が元になったという話もありますが、デマかもしれません。『チコちゃんに叱られる!』で「ガッツポーズってなに?」と質問されたときに答えられず、「ボーっとしてんじゃねえ」と叱られていました。

ガッツ石松と言えば「名言」でも有名です。「ボクシングに出会ってから人生観が360度変わりました」とか、北斗七星の位置を聞かれて「この辺の者じゃないから」と答えたとかいうのは、だれかの作ったギャグで、言ったことにされているだけかもしれません。よく似たパターンのものでは、日本語吹き替えの洋画を見ていて、「最近の外人さんは、みんな日本語上手だねえ」と言った、というのと、時代劇に出演したときの楽屋インタビューで、カツラをかぶりながら、「昔の人はたいへんだったねえ、毎日こんなことやって…」と言った、というのがありますが、これは本当かもしれません。

江戸時代の人の髪型をよく「ちょんまげ」と言いますが、これは正しいのでしょうか。ことばどおりの意味だと、少なくなった頭髪で結った老人の「小さなまげ」のことをさしていますが、大きさにかかわらず「ちょんまげ」と言うようになったようです。つまりは、後頭部の髪をまとめて、前方にまげるのが「まげ」で、頭頂部を越えるかどうかは不問にする、ということでしょうな。厳密に言うと髪の部分が「まげ」であり、頭頂部から前頭部の剃りあげている部分はまた別のものになります。これは「さかやき」と呼んで、「月代」と書きます。半月状に剃り上げているということでしょう。まあ、まげと月代があることが「ちょんまげ」の基本条件ということですね。頭髪が完全になくなったら…満月状ということで、「ちょんまげ」ではなくなります。

2021年8月27日 (金)

住吉オリオン説

JR東日本が公募した、芝浦にできる新しい駅の名として、「芝浜」を予想する人が結構いましたが、結局「高輪ゲートウェイ駅」に決まりました。ネット上では「芝浜だけに、夢になっちゃった」という書き込みが多かったとか。円朝がこの話をこしらえるのにどれぐらいの時間がかかったのか。これは三題噺です。お客から三つのお題をもらい、そのお題に入れ込んで即興で作るんですね。即興と言っても、ある程度の時間はもらえるらしい。

円朝が作った『鰍沢』というのも「卵酒」「鉄砲」「毒消しの護符」の三題噺だと言われます。これはやはり圓生がうまかった。オチがだじゃれになっているのも、それまでのハラハラドキドキを受けて「緊張と緩和」になっていて、必ずしも欠点になっていません。圓生の十八番としては『御神酒徳利』というのがあります。これは「天覧落語」にもなりました。

あるお店の大掃除の日、家宝の御神酒徳利をとられないようにと、番頭の善六が水瓶の中に沈めておきます。ところが、そのあと徳利がなくなったと大騒ぎ。善六は家に帰ってから、自分が水瓶に入れておいたことを思い出したが、今さら言えません。女房の入れ知恵で、そろばん占いで徳利のありかを占うと言い出して、見つかったことにします。たまたまその日に泊まっていたのが、鴻池善右衛門の番頭で、善六は大坂まで連れて行かれることになります。鴻池の娘が病気で床についているので、善六に占ってもらいたいと言うのですね。道中の宿屋では、財布がなくなったという騒ぎが持ち上がっており、善六が占いで犯人を見つけることになってしまいます。そんな力はないので、善六が夜逃げの支度をしていると宿の女中が部屋に訪ねてきます。女中は、病気の親に仕送りしたくて、つい手を出してしまったと、財布の隠し場所も白状しました。善六は、宿の庭で祀っているお稲荷さんの祟りだと言って、財布のありかを見事当てます。鴻池の番頭はすっかり善六を信用して、間もなく鴻池の屋敷へ連れていきますが、困ったのは善六で、「苦しい時の神頼み」と水垢離を始めます。すると、宿屋の稲荷が夢枕に立ち、「お前のおかげで『あの稲荷には効力がある』と評判になった。お礼として娘の病気のことを教えてやろう。この屋敷の隅の柱の下に埋もれている観音像を掘り出して崇めたら娘の病気は全快間違いなし」と言います。そのとおりにすると娘の病気がなおりました。善六は莫大な礼金をもらい、江戸に帰って立派な旅籠を建ててそこの主人におさまって、生活はケタ違いによくなります。「ケタ違いになるわけです。そろばん占いでございますから」というオチです。

この落語を圓生は昭和天皇の前で口演しました。つまり、「天覧落語」ですね。「天覧相撲」と言えば、天皇陛下が国技館でご覧になる相撲のことです。「天覧試合」となると、ふつう、昭和天皇が後楽園球場でご覧になった、巨人対阪神の試合をさします。長嶋が村山からサヨナラホームランを奪った、という実に腹立たしい試合ですね。その15年ぐらいあとに圓生が「御前口演」したわけですが、こういう下世話な落語を天皇がどれだけ理解できたのでしょうね。江戸っ子が登場して啖呵を切るような話ではないので、まだマシかもしれませんが…。コテコテの大阪弁の出てくる上方落語などはどうでしょうね。生粋の大阪人でもいまや理解できない言葉が頻出してきますから。

もとの言葉はふつうでも、音が変化してわかりにくくなるものもあります。「別状ない」ならわかっても「べっちょない」とかなると、とたんにわかりにくくなります。こういう音の変化というのは結構頻繁に起こります。たとえば「神戸」という地名でも、「かみへ」から「かんべ」になり、「こうべ」に変化していくわけですね。この「かみへ」というのは、「神の村」という意味です。「三宮」あたりは生田神社の摂社として三番目の宮があったので「神の村」と呼ばれたのでしょう。

生田神社には「一宮」から「八宮」までの摂社があったそうですが、ふつう「一宮」とは、ある地域の中で最も社格の高い神社のことで、ややこしいですが生田神社は「摂津一宮」ではないのですね。「摂津一宮」と呼ばれる神社は二つあって、一つは誰しも納得する「住吉大社」です。もう一つはややマイナーな「坐摩神社」です。大阪市のど真ん中にあり、地名も「渡辺」と言いますから、まさに「ザ・大阪」ですね。頼光四天王のトップ渡辺綱は嵯峨源氏のうちの有力氏族で、大阪を支配下に置いていました。坐摩神社は渡辺の津の守護神ということになります。ただ、この神社は名前がなかなか読めない。地元の人でさえ音読みして「ざまさん」と読んでいますが、正しくは「いかすり神社」と読みます。「坐」の字は「すわる」という意味で、すわることを古くは「いる」と言いました。「いても立ってもいられない」とか「立居振舞」のように「立つ」に対するのが「居る」です。「摩」は「摩擦」で使うように「する」という意味です。「する」が元になって、「こする」「さする」「なする」などのことばが生まれました。「かする」も同様です。ということで「坐摩」は「い・かすり」と読めるのですね。

まあ、たしかに日本の神様の名前は難しい。「天照大神」のレベルでも、知らないと「てんてるだいじん」とか読みたくなります。アマテラスは太陽神のようなので、これとセットになるのは「月読命」です。「天照大神」の弟で月の神なのに、かたや「大神」、かたや「命」で、知名度も低く古事記にもほとんど登場しません。さらに、その弟の須佐之男になると、完全にアンバランスです。風の神のようなのですが、太陽と月と並ぶものとして「風」というのはちょっと妙です。名前の「すさ」は「吹きすさぶ」から来ているので風の神なのだという説以外に、「須佐地方の男」という意味で、出雲国の須佐のあたりに住んでいた族長の神格化だという説もあります。たしかに出雲系の神様のような感じです。命名法としても、アマテラスやツクヨミのような抽象的なものと違って、具体的な地名がはいっているのなら、別系統の神様かもしれません。摂津一宮の住吉大社の神様は、住吉三神と言って、底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命の三柱ですが、このネーミングは実にイージーです。ただ、名前に共通する「筒」は「星」を意味していたことから、オリオン座のベルトに三つ並ぶ星のことだという、スケールの大きな説もありますが、どんなものやら。

2021年8月 8日 (日)

少しスマホを見直しました

4月からスマホユーザーになり、当初は文句ばかり言っていた私ですが、いいところも少しはある、というのがスマホに対する最近の感想です。先日山登りに行ってそう思いました。

1 今歩いているところがどこか、すごくよくわかる!(スマホに切り替えた最大の理由です)

2 美麗な写真を即座にかつ一斉にLI◎Eで希学園山岳部(非公認)の人々に送りつけられる!

このぐらいではありますが、これまでにない山行スタイルが楽しめました。

剱岳やら立山に登るときは私は基本的に富山側から入ります。富山から地鉄(富山地方鉄道)で立山駅まで行き、そこから標高差500メートルをケーブルカーで一気に美女平というところまで引っ張り上げてもらいます。で、さらにバスで1時間ほどぐるぐると室堂平というところまで登ります。途中、弥陀ヶ原という大変気持ちのよい高層湿原があり、室堂平から弥陀ヶ原までは何年か前に歩いたことがあるのですが、一度立山駅から弥陀ヶ原まで通して歩いてみたいなあと思っていたので、スマホの使い勝手を確かめる目的もあって、行ってきました。

今年は梅雨入りが早かったので午前中はつらい山行になりました。さいわい、美女平にたどりついたころには雨もやみ、さあ、ここからは木道歩きが中心で歩きやすいし道に迷うこともないしルンルンだぜと思っていたのですが、とちゅうから趣が変わっていきました。

はじめのうちはこんな感じだったのですが、

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標高が上がるにつれてこんな感じになりました。

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ここで威力を発揮したのが、スマホであります。GPS機能を使って、ダウンロードした登山地図に今自分がさまよっているところを落とし込むことができるのです。おまけに、その地図には、他の登山者たちの足跡がたくさんドットされているので、そのドットの濃いところから逸れないように歩けば、まず道迷いはないというわけです。ついに時代に追いついた! だいぶ人より遅れていますが、感激しました。

しかし、雪解け期だったので、雪に埋もれていた木々の枝が突如として跳ね上がり、顔をひっぱたかれたりして怖かったです。

じつをいうと、その前にもべつの山に登っており、そのときもすでにスマホユーザーだったのですが、その山(西穂高岳といいます、飛騨山脈=北アルプスの山です)は雪の上にしっかりと他の登山者の踏み跡が残っていたため、道迷いの心配がなくGPSの出番もなかったのです。

こんな感じのところを登って(これは下山中に撮影したもので、よくよく見るとちょうどどまんなかに小さくべつの登山者の姿が見えます、こいつは、もといこの方は雪山初心者っぽい同行者を置き去りにしてさっさと下山していくスパルタな人でした)、

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こんな感じの山頂にたどり着きました。

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このあと、山小屋まで降りてきたころにはなぜか猛烈な頭痛に襲われ、息絶え絶えになりながらテントを張り終えるや、爆睡してしまいました。たぶん熱中症的なものだ思います。つい水分補給を忘れて夢中になって登ってしまうので。猛暑の夏、みなさまもお気をつけください。

2021年7月 9日 (金)

夢オチ

元は歌手だった人が今は俳優になっていても別段意外ではありませんが、ジャイアント馬場のように、元は野球選手だった人がプロレスラーになったりすると、やや意外性があります。芸能人が政治家になるのはよくありますね。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で過去に飛んでいった主人公がドナルド・レーガンの映画看板を見て、この人がのちに大統領になることをおもわず言ってしまって、そんなばかなことがあるかと笑われるシーンがありましたが、たしかにそうでしょうね。さすがに大統領となると別格のようです。アメリカ大統領になれる条件として、アメリカ国籍があること、二十五歳以上であること以外に何があるか、というクイズがあります。答えは「選挙で選ばれること」という卑怯なものです。日本国籍とアメリカ国籍の両方を持っていても大統領になれるのでしょうか。たとえば菅さんがアメリカ国籍も取得して日本の首相とアメリカの大統領の両方に選ばれたりしたら大笑いですね。現実には、それなりの条件あるはずなので、ありえないでしょう。伊賀と甲賀の忍者の頭領が同一人物で、一人二役をして両方の忍者を競わせた、という話がおもしろくて好きなのですが、ちょっとそんな感じですなあ。

野球選手がトレードされると、去年までの自分のチームを敵として戦わなければなりませんが、どんな気持ちなんでしょうね。授業で「一期一会」の話をしていて、昨日の自分と今日の自分とでは一部の細胞が入れ替わっているから同じ人間ではないと言っているうちに、「テセウスの船」の話を思い出しました。ドラマのタイトルにもなっていましたね。そういう話をするとピンとこない生徒がいたので、阪神に巨人の選手が一人トレードでやってきたら、去年まではボロクソに野次をとばしていた相手でも阪神の選手として応援するか、と聞くと、それはそうやと言います。では、巨人と阪神の選手全員がお互いにトレードされるとどうなるか、つまり阪神の選手全員が去年までの巨人の選手で、巨人の全員が元阪神の選手、ということになった場合、阪神ファンとしてはどちらを応援するか、ということですね。高校野球の場合には、三年前の選手はいなくなるわけです。完全にちがうチームですよね。

「テセウスの船」とか「カルネアデスの船板」ということばは一種の故事成語でしょうが、「シュレディンガーの猫」なんてのもあります。量子力学では、すべての事象は観測された瞬間に確立するのであって、確立する寸前までは異なる複数の事象が重なりあった状態で存在する、ということになっているそうです。そこで、シュレディンガーは、「ランダムの確率で毒ガスの出る装置とともに猫を箱の中に閉じ込めたら、箱を開ける時までは一匹の猫が、生きている状態と死んでいる状態として、同時に存在している」ことになるのか、と指摘したという話です。なんだか、わかったようでよくわかりません。「シュレディンガー」という、わけのわからんカタカナがあるとよけいにわからなくなります。

むやみやたらに難解な表現を用いて、自分の学識をひけらかす態度を「ペダンチック」と言います。日本語で言えば「衒学的」とでも言うしかないことばですが、どちらかと言うと否定的な意味合いで使われることが多いようです。ところが、小栗虫太郎の『黒死館』なんか読んでいると、それが効果的に用いられており、「衒学趣味」とでも言ったほうがよさそうな感じです。なんだかわけのわからん「高尚」めいたことを次から次へと聞かされると、心地よく感じるから不思議です。もちろん、ペダンチックなものにひかれる人でも、うんちくを傾けられるのは好まない、ということはあります。

この差はなんでしょうか。やってることは同じでも、後者は、自分の知識をひけらかすという「上から目線」があるからかもしれません。そういう押しつけがましさがないような「ミニ知識」などはみんな好きなのですね。特に、今まで何か心にひっかかっていたことが解決されたり、バラバラだった知識が一つにまとまったりすると快感があります。算数や数学の問題が解けたときの快感と同じで、モヤモヤしていたものがスッキリするときの感じですね。名探偵によって犯人が指摘されて、めでたしめでたしと終わったりするのも同様です。

ところが、あえてモヤモヤ感を残す物語もあります。『くだんの母』や『オーメン』もそうだし、ドラマの『天国と地獄』の入れ替わりも…。「この終わり方は、続編がきっとあるよなー」と思わせることがよくあります。話を広げていって、どんどん面白い展開になっていくと、これはどうやってオチをつけるつもりだろうと思ってワクワクすることもありますね。予想の斜め上を行く驚天動地の作品もないわけではありませんが、作者自身も困ってしまってどうしようもなくなることがあるかもしれません。最後の手段が「夢オチ」というわけですね。

「夢」だったという設定から始まるのが落語の『芝浜』です。魚屋の勝五郎は、腕はよいけれど酒好きの怠け者。女房に時間をまちがえてたたき起こされ、魚河岸に行き、浜で財布を拾います。ずっしりと中身がつまった財布で、気をよくした勝五郎は、友達を呼んで飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをしたあげく、酔いつぶれて寝てしまいます。翌朝、女房に起こされて、河岸に行けと言われ、昨日の金はどうなったと聞くと、夢でも見たんじゃないかと言われます。財布を拾ったのが夢で、大酒を飲んだのが本当だと言われて、勝五郎は心を入れかえ、酒をやめて商売にはげみます。表通りに店を構えるようになって、大晦日の除夜の鐘が鳴るころに女房が汚い財布を勝五郎の前へ置きました。実は夢ではなかったんですね。夢にしてくれたおかげで、こうして正月を迎えることができると言って勝五郎は女房に感謝します。久しぶりに一杯飲んでもらおうと思って女房が用意した酒をうれしそうに飲みかけた勝五郎が一言、「よそう、また夢になるといけねえ」。

こういうのも「夢オチ」と言うのかなあ。このことばはどういう意味でしょう。財布を拾ったというのは夢ではなかったと知った上で、酒を飲むときに「また夢になるかもしれねえ」と言うのは理屈から見ると変です。でも、よくできた話である事には変わりありません。三遊亭円朝が作ったそうな。

2021年5月19日 (水)

元は歌手

前回のダイイング・メッセージですが、いろいろな探偵がてんでに推理をするという設定でした。鼻は英語でノーズ、N・O・S・Eと書くので、犯人は「能勢」という人物かと思わせておいて、小切手の「わい・ご・じゅう・まん」がさかさまになっていることから、さかさまに読むと「まん・じゅう・ご・わい」つまり、「まんじゅうこわい」となって犯人は落語家と思わせておいて、「ジ・エンド」は「終わり」ということから、「まんじゅうこわい」の終わり、つまり「オチ」は「今度はこーいお茶が一杯、こわい」ということで、犯人は「加藤茶」と思わせておいて、アンパンマンの歌詞の最後の「愛とゆうきだけが友達だ」から、はるな「愛」と斎藤「佑樹」だけが友達だという人物かと思わせておいて、「きょうはくじょうがきた」は「今日は苦情がきた」と読めるところから、真犯人は小言幸兵衛だった、という、書いていてもしんどくなるネタで、大失敗でした。コント系に理屈は似合いません。

コントと言えば志村けんですが、早いもので、なくなってから一年以上たちました。なくなったときのニュースで、紹介のために「バカ殿」や「へんなおじさん」のキャラクターを例にあげていました。人の死という厳粛な事実にそぐわないので違和感がありますが、そういうキャラクターを演じていたのは事実なのだから仕方がありません。でも、ギャグとして「アイーン」というのがあることを紹介するとき、アナウンサーはどういう口調で読めばよいのか悩んだのではないでしょうか。本来笑いを呼ぶためのものなので、顔まで真似て、あまりリアルにやりすぎると、ニュースの内容とそぐわないものになってしまいます。結局、棒読みのような感じで読むしかなかったようですが、「へんなおじさん、へんなおじさん、そうです、私がへんなおじさんです」をメロディ付きでやるアナウンサーがいてもよかったのになあ。

同じように犯人のせりふをニュースでとりあげる場合、たとえば関西弁であるならアナウンサーはどういうイントネーションで読めばよいのでしょうか。関西ローカルのニュースで関西出身のアナウンサーならなんの抵抗もなく関西アクセントで読みます。ただし、どぎついことばの場合はややおさえ気味に。でも、東京の本局発信なら、あるいは東京出身のアナウンサーなら、あのヘンテコなアクセントで読むのでしょうか。前にも書きましたが、「河内」のアクセントは地元の人と共通語ではちがってきます。関西ローカルのニュースでは「現地音主義」を採用しているようですが…。インターネットの意味の「ネット」の発音は全国共通のようですが、網の意味のネットとはアクセントがちがうようです。「クラブ」も同様に意味によってアクセントが変わってきます。赤とんぼのアクセントが変わったように、時代によって変わっていくのも当然かもしれません。

信長、秀吉、家康などのアクセントは姓とともに読むときには二音目にあるようですが、姓を外すと平板になることがあります。これも時代による変化でしょうが、要は楽をしたいのでしょう。略語というのも、全部言うのはめんどくさい、楽をしたい、ということでしょう。ただ、志村けんはシムケンではなく名字のシムラのままだったのは、そういう時代だったからなのでしょうか。いかりやさんが名字で呼んだからか、子供たちがシムケン式の略し方を知らなかったのか。当時は「志+村」の形のものを「シム」と略すことはあまりなかったこともありそうです。せいぜい「カトちゃんケンちゃん」なのですね。「いかりや長介」も「イカチョー」とは言わない。でも、「ドリフターズ」はなぜか「ドリフ」でした。「全員集合」は「全集」とは言わないし、同じように「笑とも」「ひょ族」とは言わない。第一、「ひょ族」は言いにくい。

ところが最近はドラマのタイトルを強引に縮めることが当然のようになっています。発音のしやすさなどは関係なく、縮めるために縮めるのですね。「ロンバケ」とか「はな男」とか、結構昔からありますが、最近はほとんどがこのパターンです。「逃げ恥」とか「恋つづ」とか。こうなると隠語めいた要素もはいってきて仲間内のことばというニュアンスを帯びてきます。もっと言えば、縮めさせるために、わざと長いタイトルをつけているとしか考えられません。そういう「あざとさ臭」がぷんぷんします。中には、最初から「こんな風に縮めますよ」と、作り手側から発信している場合もあります。こういうのもギョーカイ語と言ってもよいかもしれません。あいかわらず私たちはもギョーカイ語に弱いのですね。

テレビの視聴率も昔は20パーセントを超える番組も多かったのに、最近では10パーセントを超えれば御の字のようです。この「パーセント」ということばを私たちはなんの気なしに使っていますが、たまに「パーミリオン」なんてことばに出くわすと、「パーセント」が「百分率」であることを意識させられます。「セント」が100であることに気づくと、ドルの100分の1が1セントであり、センチメートルがメートルの100分の1であり、センチュリーが100年であることに、あらためて納得させられます。「パー」はゴルフの「パー」と関係がありそうですし、「パリ」という地名も「パーリーズ」で「リーズ」という都市に対抗して名づけられたという説もあります。何で読んだか忘れましたが…。

ラテン語の本家ローマ帝国から見ればガリア、後のフランスなんて田舎でしょうし、ましてやイギリスなどは野蛮人「バルバロイ」の住むところだったのでしょう。「バルバロイ」は「バーバリアン」、「サベージ」となると、原始人ですね。これをグループ名にしていたバンドが昔ありましたね。「ザ・サベージ」と言いますが、そのボーカルが寺尾聰で宇野重吉の息子、これと仲がよかったのがブロードサイド・フォーの黒澤久雄で黒澤明の息子です。寺尾聰が「ルビーの指輪」で大ヒットしたことしか知らない人は、知ったかぶりして一発屋と言っていますが、同時に四曲メガヒットしていますし、活動歴から言えば非常に長い。舘ひろしだってクールズで永ちゃんのとりまきでした。吉川晃司だって下町ロケットの俳優と思われています。岸部一徳がGSのアイドルだったなんて信じられません。

2021年5月10日 (月)

北海道に移住したい

北海道に移住したいと思っています。いや、そういう予定があるわけではなく、移住するなら北海道がいいなあという、それだけの話です。(でもわたしのカンでは、近い将来、日本で快適に暮らせる土地は北海道だけになるはず。)

北海道出身の人ってすごく北海道のこと愛してるよなあと思います。他府県出身の人とは温度感がちがいます。誰しも郷土愛はあるんでしょうけど、北海道の人はおそらくそれが桁違いです。「今は大阪で暮らしてるけど、いつか北海道に帰りたいんだー」なんてことをいう道産子は何人も知っていますが、九州出身とか四国出身の人でそういうこという人少ない気がします(特に四国っすね。四国の人は四国愛が薄いような印象があります。とかいうと「四国に対して何かふくむところでもあるのか」なんて思われそうですが、そんなのあるわけがありません。私の父は愛媛の宇和島出身ですから四国のことはこよなく愛しております。でも、なんだか四国の人には四国アイデンティティのようなものが希薄です。北海道の人は「わたし道産子ですから」とかいいますし、九州出身の人は「おいどんは九州男児ですたい」とかいいますが(すいません、言いませんよね)、四国出身の人はそういうこと何もいいませんね。そもそも「道産子」とか「九州男児」「薩摩おごじょ」にあたるような表現もないんじゃないでしょうか)。

今現在北海道に住んでいる人も北海道のことが大好きですね。僕は大阪に住んでいますがたいして大阪のこと好きじゃないですから(嫌いでもありませんが、特に好きになる理由がありませんよね? あります?)すごいなと思います。だいぶ前のことですが大雪山を縦走したあと、旭川におりてくバスの中で会ったおじさん(おじいさん)も北海道愛が深くて、ちょうど東北の震災があった後でしたが、「福島の人はみんな北海道に来ればいい」とくりかえし熱く語っていました。そして、気温二十八度で「あついなあ、あつい、死んじゃうよ、あついなあ」とうめき続けていました。

そうなんです、愛はともかく、道民のおじさんてなんか根性ない感じがするんです。去年も北海道に山登りに行ったんですが、後方羊蹄山というコニーデ式のきれいな山(シマリスだらけ)をおりてきたら、でっかいキャンピングカーで登山口まで来ていたおじさんが「上、どうだった?」とか訊いてきて、「雨風強くて」と答えると、「どうすっかなあ、登ろうかなあ、どうすっかなあ」とぶつぶつ呟いたあげく去っていきました。根性nothing at allです。すみません、もちろん偏見です。

北海道は食べものがおいしいとよく言われますね。実際ほんとおいしいです。大阪よりおいしいとこなかなかないんですけど北海道はおいしい。大阪は素材がおいしいわけじゃないけれど北海道は素材がおいしい。ラーメンはどうでしょうか。これに関しては「いやたしかに北海道はいろいろおいしいけれど、ラーメンは博多に勝てないよね」などというと、北海道出身の国語科講師(神女コース)にむっとされること請け合いです。

しかし、私が北海道に移住したいと思う理由の第1位は、食べものではなく風景です。サロベツ原野なんて、あれ、日本じゃないですね。特急に乗ってぼんやり眺めているとうっとりします。うっとり→うとうとって感じですね。延々と同じ風景が続くので眠ってしまいます。

去年は後方羊蹄山に登り、礼文島を歩き、利尻山に登りました。ぜんぶテント泊でなかなかハードでした。今は、夜行の特急がなくなっていて移動がとても不便です。高校一年のときも北海道を一人で旅行したんですけど、その頃はどこに行くにもJRいや国鉄の特急に乗って夜眠っているあいだに目的地に着いたので便利でした。天北線なんてローカル線があった頃です。去年は感染症の流行で夜行バスも運休していたので、計画が立てづらかったです。羊蹄山に登ったあと電車で稚内まで移動しましたが、深夜の到着だったので、朝の船便までやむなく野宿しました。 野宿! (10m+n)歳にもなって、やることが若いです。

礼文島の風景がまた破格の美しさです。少なくとも夏は(冬は風景はともかく過ごすのがつらそう)。高校生のときもほんとうに美しいところだと思いましたが、再訪して、記憶に違わぬ美しさに感激しました。もう北海道に住むしかない!と思い詰めて帰ってきましたが、冷静になってみると、私は中学受験の国語講師しか出来る仕事がないので、移住は難しそうなのでした。

2021年5月 2日 (日)

かったるい劇

仕掛人のような、いわゆる正義のヒーローとは対極の位置にいる人物を主人公にしたものをピカレスク・ロマンと言います。たとえば勝新太郎という人がやっていたのはまさにそういう感じです。この人の場合、きっかけになったのは『不知火検校』という作品です。もともと宇野信夫が中村勘三郎のために書いた歌舞伎芝居ですが、「検校」というのは盲人の役職の最高位で、のちの「座頭市」シリーズの先駆けと言ってよい作品でした。

アウトローを主人公とした作品では浅田次郎が有名です。「天切り松 闇がたり」のシリーズなどは言うまでもなく、うまい。留置場の中で、六尺四方にしか聞こえないという声音「闇がたり」で物語る「義賊」の話です。江戸っ子の語り口もさることながら、さりげなく登場する有名人たちが華やかで面白い。永井荷風や竹久夢二などは時代背景からもなるほどとうなずけるのですが、清水の小政まで出てきます。単純な勧善懲悪ものよりも、もっと大きな悪を懲らしめる、こういった悪漢小説のほうがわくわくします。

芝居でもこのジャンルは「白波物」とわざわざ名付けて確立されています。鼠小僧もこういう話からヒーローになっていったわけですし、『三人吉三』や『切られお富』、河内山と直侍の『天衣紛上野初花』などが有名ですが、なんといっても『白浪五人男』でしょう。大阪でやったとき、弁天小僧役の勘三郎の体調が良くなく、橋之助が代役になったのは残念でしたが、もう仁左衛門になっていた孝夫が日本駄右衛門をやったのは満足でした。「稲瀬川勢揃いの場」は、番傘を持った五人の男が順に名乗りをあげ、七五調の台詞を連ねて見得を切る、まさに歌舞伎の様式美の代表と言えます。『秘密戦隊ゴレンジャー』はこのパクリだとか。

映画でも泥棒や詐欺師を主役にしたものがよくあります。『黄金の七人』は、スイスの銀行の金庫にある大量の金の延べ棒を盗み出す話です。「教授」と呼ばれる男の指揮のもと、七人の男女がすばらしい「チームワーク」で見事成功させるのですが、さらにそのあと、その黄金を巡って、騙し合いの連続になっていく、というなかなかスリリングな展開で、『ルパン三世』にも影響を与えているという説も…。ジェフリー・アーチャーの『百万ドルをとり返せ!』にも教授が出てきますね。 詐欺で大金をだまし取られた教授たち四人の男が、それぞれの専門や技術を使ってだまし返して、百万ドルをとり返すという話です。

だましだまされて二転三転するストーリーのものをコンゲームと言います。『ミッション:インポッシブル』などもコンゲームですが、この「コン」は「コンフィデンスマン」つまり詐欺師のことです。そういう意味で忘れてはならないのが、映画『スティング』ですね。若い詐欺師が師匠とともにチンピラから大金を巻き上げるのですが、その金はもともとギャングの親分のものだったので、師匠は殺されてしまいます。若い詐欺師は伝説の詐欺師と出会い、ともに復讐しようとしますが…。細かい部分は忘れましたが、最後のどんでん返しが鮮やかで、だまされる快感を味わえます。演じていたのは若き日のロバート・レッドフォード、伝説の詐欺師はポール・ニューマンでした。

戦後の混乱の時代に、光クラブ事件というのがありました。東大生社長による金融犯罪として有名で、同じ時期を東大で過ごした三島由紀夫も『青の時代』という小説にしています。同じ事件に基づいた高木彬光の『白昼の死角』は経済ミステリーのさきがけとも言えるでしょう。映画では夏木勲が主演でした。主題歌は宇崎竜童の『裏切りの街』で、これもよかった。テレビで渡瀬恒彦主演でやったときも同じ主題歌でした。高木彬光の生み出した名探偵、神津恭介はもはや忘れられているかもしれません。『刺青殺人事件』のトリックは魅力的でした。ただ高木彬光は文章がいまいち。とくに台詞回しが芝居じみていて、今読むとつらいかも。

でも、この人はチャレンジ精神あふれる人で、『破戒裁判』は、ほぼ全部が法廷場面だけというものだし、『成吉思汗の秘密』や『邪馬台国の秘密』は安楽椅子探偵の日本での走りみたいなもので、「墨野隴人」のシリーズとなると完全に安楽椅子探偵です。これは「ホームズのライバルたち」の一人として登場した「隅の老人」のもじりで、この老人は本名も職業もわかりませんが、店の隅の席に座って、チーズケーキを食べながら迷宮入り事件の推理をするという「探偵」です。「墨野隴人」のシリーズの中でも『大東京四谷怪談』は怪談とミステリーの融合をねらったものでした。超自然的なオカルトと論理を重んじるミステリーは、本来相容れないはずですが、そこを強引に結びつけるという力技を見せる作品です。

同様にSFとミステリーも両立しにくいはずです。犯人が四次元空間を利用してしまうのでは、アリバイもなにもあったものではありません。でも、SF的状況のトリックをSF設定の中での論理によって謎解きすることにチャレンジしている作品は意外にたくさんあります。笑いとミステリーも、意外に相性がいいようです。三谷幸喜などはミステリーが大好きなようで、古畑任三郎のシリーズは言うまでもなく、クリスティの作品を日本に移して、野村萬斎主演のドラマも作っています。

同じ笑いでも、コントになるとミステリー仕立ては、理屈の部分をどう処理するかが問題になりそうです。合格祝賀会の劇で、推理ものをしたことがあります。謎はダイイング・メッセージにしました。被害者はうつぶせに倒れており、右手は不自然な形で自分の鼻のあたりに、左手には「きょうはくじょうがきた」と書かれた紙切れがにぎられていましたが、それらしき脅迫状は発見されませんでした。頭のあたりには「¥五十万 The End」と書かれた小切手が反対向きに落ちていました。さらに、アンパンマンの携帯のストラップがちぎれて転がっていた…というムチャクチャな設定ですが、やはりこのあたりは見ている子供たちには、かったるかったかもしれません

2021年4月24日 (土)

スマホ

耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、ついにスマホに切り替えました。

10円でした。レジで「消費税がついて11円になります」と言われました。「ポイントお使いになりますか」と訊かれて、「はい」と答えました。

ちょっと後悔しています。腹立ち紛れにスマホの悪口を書きたいと思います。

1 重い

 重いです。山登りの際の負担が増えました。少しでも身を軽くするためにTシャツの袖を切り落とす人さえいるのが登山の世界なのに! もちろん私はそこまでしませんが。何ならビールと、温泉に入ったあとの着替えまで持って登りますが。

2 でかい

 でかいです。かさばります。ポケットがはちきれそうです。かさばっているというより、のさばっていると言いたいくらいのぶしつけな存在感です。

3 電力を消費する

 激しく電力を消費します。しょっちゅう充電しなければなりません。だから、山登りのときはモバイルバッテリーとやらを携行する必要があります。ますます重い!

4 なんかいろいろついてる

 なんかいろいろついてます。下手にさわると「許可しろ」とか「ダウンロードしろ」とか面倒です。あの手この手で私から小銭をせびりとろうとしている、という強迫観念に襲われています。

5 べつに便利じゃない

 たいして便利じゃないと思います。みなさん便利だ便利だっておっしゃるんですけど、ほんとうですか? ないならないでも済むようなアプリを使わされて、便利な気分になっているだけじゃないですか? だいたい電車の中とか風呂の中とかそういうところでインターネットそんなに見たいですか? 僕は電車の中や風呂の中では本を読むので、そんなところでネット見たりしません。ていうか、下手にネットなんか見始めちゃったら、どうでもいい記事がなんだか気になってついつい見ちゃって本読む時間がなくなっちゃうじゃないですか。

 そんなにいやなら何でスマホにしたの? だれも頼んでないけど? とおっしゃるかもしれません。まことに痛いところです。返す言葉もありません。

 だって、スマホがないと不便なように少しずつ社会が変わってきたんです。今のところはまださほどでもありませんが、これからますますその傾向は加速していくでしょう。やむをえない判断でした。

 しかし、ここで私は声を高らかにして申し上げたいのですが、「スマホがあると便利」と「スマホがないと不便」は少し違うんじゃないでしょうか。社会全体がどんどん、「スマホがないと不便」なように作り替えられていきます。だから、べつに便利だとは思わないけど、ないと不便なのでスマホにしたということなのです。そうやって私のポケットから小銭が巻き上げられていくのです。

 しかし、ほんとうのところは他に理由がありまして。実は、登山用のGPSがほしいなあと何年ものあいだ悶々としていたのです。そんなあるとき「スマホでそういうアプリあるけど」という耳寄りな情報が。折しも、携帯の会社からしつこく「もうおまえのつこてるガラケーの修理せえへんからな」とか「もうすぐおまえのつこてるガラケーはつかえなくなるからな」とか脅しの手紙がくるし、谷六にある私の推しのパン屋さん『バネーナ』でもスマホがないせいでポイントためられないし、デジカメが壊れたため山に行ってもまともな写真撮れないし、といった事情もあったため、ついつい発作的にYバシカメラに行ってしまったのです。

 実際に登山でGPSアプリを使ってみて良い感じだったら切り替えた甲斐もあるというものですが、果たしてどうなることやら。

2021年4月17日 (土)

ベランダにスズメが来ます

ご無沙汰しております。西川です。正明先生に任せっぱなしにしてさぼっていました。

※ 山下先生のことを正明先生と呼ぶのは、国語科にもう1人山下という講師がいるからです。この人は最近座骨神経痛に見舞われてよれよれになっています。あまりにも辛そうで哀れなので、何人かの講師から、ペインクリニックに行ったらどうだとか、いやそれよりも終末期ケアで有名な淀川キリスト教病院はどうだとか、今病院に行っても「それどころじゃないんだ帰れ」と言われるんじゃないかとか、心のこもったアドバイスをもらっているようです。

さて、毎朝ベランダにスズメが来ます。朝の5時ぐらいから、おそらく2羽だと思うんですが、ずっとチュンチュン鳴いているので、家人が根負けしてコメを少しばらまいてやると、人の姿を見ていったん逃げ、いつのまにかもどってきてきれいにたいらげています。コメがあるときは黙って食べて黙って去っていくんですが、コメがないとチュンチュン鳴きまくる。ということは、あの「チュンチュン」は催促なんでしょうねえ。だんだん図々しくなってきて、1日に何度も来るようになりました。数時間おきにやってきて「おなかがチュいた」といっているのかどうはわかりませんが、とにかく鳴きまくっています。はじめのうちはフンもせず行儀よかったんですが、最近はフンもいっぱいするようになりました。近所の人から叱られるのではないかと少し心配です。

去年は小さなレモンの木にアゲハが卵をたくさん産み、青虫がいっぱい這い回っていました。あっというまに木が坊主になってしまって、食べもののなくなった青虫たちが集団脱走というか、ベランダを這い回りはじめたので家人があわててレモンの木を買いにいき、そのあいだに僕が青虫を捕捉したのですが、残念ながら新しい木には居着かず、全滅させてしまいました( 。-_-。)。今年こそは、無事羽化してくれるとうれしいのですが。

先日岡本教室に行くと、ツバメが飛び回っていました。もう春も終わりですね。いろいろなことが早く落ち着いて、平穏な毎日が戻ってきますように。座骨神経痛の山下の痛みもおさまりますように。

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