2021年7月 9日 (金)

夢オチ

元は歌手だった人が今は俳優になっていても別段意外ではありませんが、ジャイアント馬場のように、元は野球選手だった人がプロレスラーになったりすると、やや意外性があります。芸能人が政治家になるのはよくありますね。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で過去に飛んでいった主人公がドナルド・レーガンの映画看板を見て、この人がのちに大統領になることをおもわず言ってしまって、そんなばかなことがあるかと笑われるシーンがありましたが、たしかにそうでしょうね。さすがに大統領となると別格のようです。アメリカ大統領になれる条件として、アメリカ国籍があること、二十五歳以上であること以外に何があるか、というクイズがあります。答えは「選挙で選ばれること」という卑怯なものです。日本国籍とアメリカ国籍の両方を持っていても大統領になれるのでしょうか。たとえば菅さんがアメリカ国籍も取得して日本の首相とアメリカの大統領の両方に選ばれたりしたら大笑いですね。現実には、それなりの条件あるはずなので、ありえないでしょう。伊賀と甲賀の忍者の頭領が同一人物で、一人二役をして両方の忍者を競わせた、という話がおもしろくて好きなのですが、ちょっとそんな感じですなあ。

野球選手がトレードされると、去年までの自分のチームを敵として戦わなければなりませんが、どんな気持ちなんでしょうね。授業で「一期一会」の話をしていて、昨日の自分と今日の自分とでは一部の細胞が入れ替わっているから同じ人間ではないと言っているうちに、「テセウスの船」の話を思い出しました。ドラマのタイトルにもなっていましたね。そういう話をするとピンとこない生徒がいたので、阪神に巨人の選手が一人トレードでやってきたら、去年まではボロクソに野次をとばしていた相手でも阪神の選手として応援するか、と聞くと、それはそうやと言います。では、巨人と阪神の選手全員がお互いにトレードされるとどうなるか、つまり阪神の選手全員が去年までの巨人の選手で、巨人の全員が元阪神の選手、ということになった場合、阪神ファンとしてはどちらを応援するか、ということですね。高校野球の場合には、三年前の選手はいなくなるわけです。完全にちがうチームですよね。

「テセウスの船」とか「カルネアデスの船板」ということばは一種の故事成語でしょうが、「シュレディンガーの猫」なんてのもあります。量子力学では、すべての事象は観測された瞬間に確立するのであって、確立する寸前までは異なる複数の事象が重なりあった状態で存在する、ということになっているそうです。そこで、シュレディンガーは、「ランダムの確率で毒ガスの出る装置とともに猫を箱の中に閉じ込めたら、箱を開ける時までは一匹の猫が、生きている状態と死んでいる状態として、同時に存在している」ことになるのか、と指摘したという話です。なんだか、わかったようでよくわかりません。「シュレディンガー」という、わけのわからんカタカナがあるとよけいにわからなくなります。

むやみやたらに難解な表現を用いて、自分の学識をひけらかす態度を「ペダンチック」と言います。日本語で言えば「衒学的」とでも言うしかないことばですが、どちらかと言うと否定的な意味合いで使われることが多いようです。ところが、小栗虫太郎の『黒死館』なんか読んでいると、それが効果的に用いられており、「衒学趣味」とでも言ったほうがよさそうな感じです。なんだかわけのわからん「高尚」めいたことを次から次へと聞かされると、心地よく感じるから不思議です。もちろん、ペダンチックなものにひかれる人でも、うんちくを傾けられるのは好まない、ということはあります。

この差はなんでしょうか。やってることは同じでも、後者は、自分の知識をひけらかすという「上から目線」があるからかもしれません。そういう押しつけがましさがないような「ミニ知識」などはみんな好きなのですね。特に、今まで何か心にひっかかっていたことが解決されたり、バラバラだった知識が一つにまとまったりすると快感があります。算数や数学の問題が解けたときの快感と同じで、モヤモヤしていたものがスッキリするときの感じですね。名探偵によって犯人が指摘されて、めでたしめでたしと終わったりするのも同様です。

ところが、あえてモヤモヤ感を残す物語もあります。『くだんの母』や『オーメン』もそうだし、ドラマの『天国と地獄』の入れ替わりも…。「この終わり方は、続編がきっとあるよなー」と思わせることがよくあります。話を広げていって、どんどん面白い展開になっていくと、これはどうやってオチをつけるつもりだろうと思ってワクワクすることもありますね。予想の斜め上を行く驚天動地の作品もないわけではありませんが、作者自身も困ってしまってどうしようもなくなることがあるかもしれません。最後の手段が「夢オチ」というわけですね。

「夢」だったという設定から始まるのが落語の『芝浜』です。魚屋の勝五郎は、腕はよいけれど酒好きの怠け者。女房に時間をまちがえてたたき起こされ、魚河岸に行き、浜で財布を拾います。ずっしりと中身がつまった財布で、気をよくした勝五郎は、友達を呼んで飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをしたあげく、酔いつぶれて寝てしまいます。翌朝、女房に起こされて、河岸に行けと言われ、昨日の金はどうなったと聞くと、夢でも見たんじゃないかと言われます。財布を拾ったのが夢で、大酒を飲んだのが本当だと言われて、勝五郎は心を入れかえ、酒をやめて商売にはげみます。表通りに店を構えるようになって、大晦日の除夜の鐘が鳴るころに女房が汚い財布を勝五郎の前へ置きました。実は夢ではなかったんですね。夢にしてくれたおかげで、こうして正月を迎えることができると言って勝五郎は女房に感謝します。久しぶりに一杯飲んでもらおうと思って女房が用意した酒をうれしそうに飲みかけた勝五郎が一言、「よそう、また夢になるといけねえ」。

こういうのも「夢オチ」と言うのかなあ。このことばはどういう意味でしょう。財布を拾ったというのは夢ではなかったと知った上で、酒を飲むときに「また夢になるかもしれねえ」と言うのは理屈から見ると変です。でも、よくできた話である事には変わりありません。三遊亭円朝が作ったそうな。

2021年5月19日 (水)

元は歌手

前回のダイイング・メッセージですが、いろいろな探偵がてんでに推理をするという設定でした。鼻は英語でノーズ、N・O・S・Eと書くので、犯人は「能勢」という人物かと思わせておいて、小切手の「わい・ご・じゅう・まん」がさかさまになっていることから、さかさまに読むと「まん・じゅう・ご・わい」つまり、「まんじゅうこわい」となって犯人は落語家と思わせておいて、「ジ・エンド」は「終わり」ということから、「まんじゅうこわい」の終わり、つまり「オチ」は「今度はこーいお茶が一杯、こわい」ということで、犯人は「加藤茶」と思わせておいて、アンパンマンの歌詞の最後の「愛とゆうきだけが友達だ」から、はるな「愛」と斎藤「佑樹」だけが友達だという人物かと思わせておいて、「きょうはくじょうがきた」は「今日は苦情がきた」と読めるところから、真犯人は小言幸兵衛だった、という、書いていてもしんどくなるネタで、大失敗でした。コント系に理屈は似合いません。

コントと言えば志村けんですが、早いもので、なくなってから一年以上たちました。なくなったときのニュースで、紹介のために「バカ殿」や「へんなおじさん」のキャラクターを例にあげていました。人の死という厳粛な事実にそぐわないので違和感がありますが、そういうキャラクターを演じていたのは事実なのだから仕方がありません。でも、ギャグとして「アイーン」というのがあることを紹介するとき、アナウンサーはどういう口調で読めばよいのか悩んだのではないでしょうか。本来笑いを呼ぶためのものなので、顔まで真似て、あまりリアルにやりすぎると、ニュースの内容とそぐわないものになってしまいます。結局、棒読みのような感じで読むしかなかったようですが、「へんなおじさん、へんなおじさん、そうです、私がへんなおじさんです」をメロディ付きでやるアナウンサーがいてもよかったのになあ。

同じように犯人のせりふをニュースでとりあげる場合、たとえば関西弁であるならアナウンサーはどういうイントネーションで読めばよいのでしょうか。関西ローカルのニュースで関西出身のアナウンサーならなんの抵抗もなく関西アクセントで読みます。ただし、どぎついことばの場合はややおさえ気味に。でも、東京の本局発信なら、あるいは東京出身のアナウンサーなら、あのヘンテコなアクセントで読むのでしょうか。前にも書きましたが、「河内」のアクセントは地元の人と共通語ではちがってきます。関西ローカルのニュースでは「現地音主義」を採用しているようですが…。インターネットの意味の「ネット」の発音は全国共通のようですが、網の意味のネットとはアクセントがちがうようです。「クラブ」も同様に意味によってアクセントが変わってきます。赤とんぼのアクセントが変わったように、時代によって変わっていくのも当然かもしれません。

信長、秀吉、家康などのアクセントは姓とともに読むときには二音目にあるようですが、姓を外すと平板になることがあります。これも時代による変化でしょうが、要は楽をしたいのでしょう。略語というのも、全部言うのはめんどくさい、楽をしたい、ということでしょう。ただ、志村けんはシムケンではなく名字のシムラのままだったのは、そういう時代だったからなのでしょうか。いかりやさんが名字で呼んだからか、子供たちがシムケン式の略し方を知らなかったのか。当時は「志+村」の形のものを「シム」と略すことはあまりなかったこともありそうです。せいぜい「カトちゃんケンちゃん」なのですね。「いかりや長介」も「イカチョー」とは言わない。でも、「ドリフターズ」はなぜか「ドリフ」でした。「全員集合」は「全集」とは言わないし、同じように「笑とも」「ひょ族」とは言わない。第一、「ひょ族」は言いにくい。

ところが最近はドラマのタイトルを強引に縮めることが当然のようになっています。発音のしやすさなどは関係なく、縮めるために縮めるのですね。「ロンバケ」とか「はな男」とか、結構昔からありますが、最近はほとんどがこのパターンです。「逃げ恥」とか「恋つづ」とか。こうなると隠語めいた要素もはいってきて仲間内のことばというニュアンスを帯びてきます。もっと言えば、縮めさせるために、わざと長いタイトルをつけているとしか考えられません。そういう「あざとさ臭」がぷんぷんします。中には、最初から「こんな風に縮めますよ」と、作り手側から発信している場合もあります。こういうのもギョーカイ語と言ってもよいかもしれません。あいかわらず私たちはもギョーカイ語に弱いのですね。

テレビの視聴率も昔は20パーセントを超える番組も多かったのに、最近では10パーセントを超えれば御の字のようです。この「パーセント」ということばを私たちはなんの気なしに使っていますが、たまに「パーミリオン」なんてことばに出くわすと、「パーセント」が「百分率」であることを意識させられます。「セント」が100であることに気づくと、ドルの100分の1が1セントであり、センチメートルがメートルの100分の1であり、センチュリーが100年であることに、あらためて納得させられます。「パー」はゴルフの「パー」と関係がありそうですし、「パリ」という地名も「パーリーズ」で「リーズ」という都市に対抗して名づけられたという説もあります。何で読んだか忘れましたが…。

ラテン語の本家ローマ帝国から見ればガリア、後のフランスなんて田舎でしょうし、ましてやイギリスなどは野蛮人「バルバロイ」の住むところだったのでしょう。「バルバロイ」は「バーバリアン」、「サベージ」となると、原始人ですね。これをグループ名にしていたバンドが昔ありましたね。「ザ・サベージ」と言いますが、そのボーカルが寺尾聰で宇野重吉の息子、これと仲がよかったのがブロードサイド・フォーの黒澤久雄で黒澤明の息子です。寺尾聰が「ルビーの指輪」で大ヒットしたことしか知らない人は、知ったかぶりして一発屋と言っていますが、同時に四曲メガヒットしていますし、活動歴から言えば非常に長い。舘ひろしだってクールズで永ちゃんのとりまきでした。吉川晃司だって下町ロケットの俳優と思われています。岸部一徳がGSのアイドルだったなんて信じられません。

2021年5月10日 (月)

北海道に移住したい

北海道に移住したいと思っています。いや、そういう予定があるわけではなく、移住するなら北海道がいいなあという、それだけの話です。(でもわたしのカンでは、近い将来、日本で快適に暮らせる土地は北海道だけになるはず。)

北海道出身の人ってすごく北海道のこと愛してるよなあと思います。他府県出身の人とは温度感がちがいます。誰しも郷土愛はあるんでしょうけど、北海道の人はおそらくそれが桁違いです。「今は大阪で暮らしてるけど、いつか北海道に帰りたいんだー」なんてことをいう道産子は何人も知っていますが、九州出身とか四国出身の人でそういうこという人少ない気がします(特に四国っすね。四国の人は四国愛が薄いような印象があります。とかいうと「四国に対して何かふくむところでもあるのか」なんて思われそうですが、そんなのあるわけがありません。私の父は愛媛の宇和島出身ですから四国のことはこよなく愛しております。でも、なんだか四国の人には四国アイデンティティのようなものが希薄です。北海道の人は「わたし道産子ですから」とかいいますし、九州出身の人は「おいどんは九州男児ですたい」とかいいますが(すいません、言いませんよね)、四国出身の人はそういうこと何もいいませんね。そもそも「道産子」とか「九州男児」「薩摩おごじょ」にあたるような表現もないんじゃないでしょうか)。

今現在北海道に住んでいる人も北海道のことが大好きですね。僕は大阪に住んでいますがたいして大阪のこと好きじゃないですから(嫌いでもありませんが、特に好きになる理由がありませんよね? あります?)すごいなと思います。だいぶ前のことですが大雪山を縦走したあと、旭川におりてくバスの中で会ったおじさん(おじいさん)も北海道愛が深くて、ちょうど東北の震災があった後でしたが、「福島の人はみんな北海道に来ればいい」とくりかえし熱く語っていました。そして、気温二十八度で「あついなあ、あつい、死んじゃうよ、あついなあ」とうめき続けていました。

そうなんです、愛はともかく、道民のおじさんてなんか根性ない感じがするんです。去年も北海道に山登りに行ったんですが、後方羊蹄山というコニーデ式のきれいな山(シマリスだらけ)をおりてきたら、でっかいキャンピングカーで登山口まで来ていたおじさんが「上、どうだった?」とか訊いてきて、「雨風強くて」と答えると、「どうすっかなあ、登ろうかなあ、どうすっかなあ」とぶつぶつ呟いたあげく去っていきました。根性nothing at allです。すみません、もちろん偏見です。

北海道は食べものがおいしいとよく言われますね。実際ほんとおいしいです。大阪よりおいしいとこなかなかないんですけど北海道はおいしい。大阪は素材がおいしいわけじゃないけれど北海道は素材がおいしい。ラーメンはどうでしょうか。これに関しては「いやたしかに北海道はいろいろおいしいけれど、ラーメンは博多に勝てないよね」などというと、北海道出身の国語科講師(神女コース)にむっとされること請け合いです。

しかし、私が北海道に移住したいと思う理由の第1位は、食べものではなく風景です。サロベツ原野なんて、あれ、日本じゃないですね。特急に乗ってぼんやり眺めているとうっとりします。うっとり→うとうとって感じですね。延々と同じ風景が続くので眠ってしまいます。

去年は後方羊蹄山に登り、礼文島を歩き、利尻山に登りました。ぜんぶテント泊でなかなかハードでした。今は、夜行の特急がなくなっていて移動がとても不便です。高校一年のときも北海道を一人で旅行したんですけど、その頃はどこに行くにもJRいや国鉄の特急に乗って夜眠っているあいだに目的地に着いたので便利でした。天北線なんてローカル線があった頃です。去年は感染症の流行で夜行バスも運休していたので、計画が立てづらかったです。羊蹄山に登ったあと電車で稚内まで移動しましたが、深夜の到着だったので、朝の船便までやむなく野宿しました。 野宿! (10m+n)歳にもなって、やることが若いです。

礼文島の風景がまた破格の美しさです。少なくとも夏は(冬は風景はともかく過ごすのがつらそう)。高校生のときもほんとうに美しいところだと思いましたが、再訪して、記憶に違わぬ美しさに感激しました。もう北海道に住むしかない!と思い詰めて帰ってきましたが、冷静になってみると、私は中学受験の国語講師しか出来る仕事がないので、移住は難しそうなのでした。

2021年5月 2日 (日)

かったるい劇

仕掛人のような、いわゆる正義のヒーローとは対極の位置にいる人物を主人公にしたものをピカレスク・ロマンと言います。たとえば勝新太郎という人がやっていたのはまさにそういう感じです。この人の場合、きっかけになったのは『不知火検校』という作品です。もともと宇野信夫が中村勘三郎のために書いた歌舞伎芝居ですが、「検校」というのは盲人の役職の最高位で、のちの「座頭市」シリーズの先駆けと言ってよい作品でした。

アウトローを主人公とした作品では浅田次郎が有名です。「天切り松 闇がたり」のシリーズなどは言うまでもなく、うまい。留置場の中で、六尺四方にしか聞こえないという声音「闇がたり」で物語る「義賊」の話です。江戸っ子の語り口もさることながら、さりげなく登場する有名人たちが華やかで面白い。永井荷風や竹久夢二などは時代背景からもなるほどとうなずけるのですが、清水の小政まで出てきます。単純な勧善懲悪ものよりも、もっと大きな悪を懲らしめる、こういった悪漢小説のほうがわくわくします。

芝居でもこのジャンルは「白波物」とわざわざ名付けて確立されています。鼠小僧もこういう話からヒーローになっていったわけですし、『三人吉三』や『切られお富』、河内山と直侍の『天衣紛上野初花』などが有名ですが、なんといっても『白浪五人男』でしょう。大阪でやったとき、弁天小僧役の勘三郎の体調が良くなく、橋之助が代役になったのは残念でしたが、もう仁左衛門になっていた孝夫が日本駄右衛門をやったのは満足でした。「稲瀬川勢揃いの場」は、番傘を持った五人の男が順に名乗りをあげ、七五調の台詞を連ねて見得を切る、まさに歌舞伎の様式美の代表と言えます。『秘密戦隊ゴレンジャー』はこのパクリだとか。

映画でも泥棒や詐欺師を主役にしたものがよくあります。『黄金の七人』は、スイスの銀行の金庫にある大量の金の延べ棒を盗み出す話です。「教授」と呼ばれる男の指揮のもと、七人の男女がすばらしい「チームワーク」で見事成功させるのですが、さらにそのあと、その黄金を巡って、騙し合いの連続になっていく、というなかなかスリリングな展開で、『ルパン三世』にも影響を与えているという説も…。ジェフリー・アーチャーの『百万ドルをとり返せ!』にも教授が出てきますね。 詐欺で大金をだまし取られた教授たち四人の男が、それぞれの専門や技術を使ってだまし返して、百万ドルをとり返すという話です。

だましだまされて二転三転するストーリーのものをコンゲームと言います。『ミッション:インポッシブル』などもコンゲームですが、この「コン」は「コンフィデンスマン」つまり詐欺師のことです。そういう意味で忘れてはならないのが、映画『スティング』ですね。若い詐欺師が師匠とともにチンピラから大金を巻き上げるのですが、その金はもともとギャングの親分のものだったので、師匠は殺されてしまいます。若い詐欺師は伝説の詐欺師と出会い、ともに復讐しようとしますが…。細かい部分は忘れましたが、最後のどんでん返しが鮮やかで、だまされる快感を味わえます。演じていたのは若き日のロバート・レッドフォード、伝説の詐欺師はポール・ニューマンでした。

戦後の混乱の時代に、光クラブ事件というのがありました。東大生社長による金融犯罪として有名で、同じ時期を東大で過ごした三島由紀夫も『青の時代』という小説にしています。同じ事件に基づいた高木彬光の『白昼の死角』は経済ミステリーのさきがけとも言えるでしょう。映画では夏木勲が主演でした。主題歌は宇崎竜童の『裏切りの街』で、これもよかった。テレビで渡瀬恒彦主演でやったときも同じ主題歌でした。高木彬光の生み出した名探偵、神津恭介はもはや忘れられているかもしれません。『刺青殺人事件』のトリックは魅力的でした。ただ高木彬光は文章がいまいち。とくに台詞回しが芝居じみていて、今読むとつらいかも。

でも、この人はチャレンジ精神あふれる人で、『破戒裁判』は、ほぼ全部が法廷場面だけというものだし、『成吉思汗の秘密』や『邪馬台国の秘密』は安楽椅子探偵の日本での走りみたいなもので、「墨野隴人」のシリーズとなると完全に安楽椅子探偵です。これは「ホームズのライバルたち」の一人として登場した「隅の老人」のもじりで、この老人は本名も職業もわかりませんが、店の隅の席に座って、チーズケーキを食べながら迷宮入り事件の推理をするという「探偵」です。「墨野隴人」のシリーズの中でも『大東京四谷怪談』は怪談とミステリーの融合をねらったものでした。超自然的なオカルトと論理を重んじるミステリーは、本来相容れないはずですが、そこを強引に結びつけるという力技を見せる作品です。

同様にSFとミステリーも両立しにくいはずです。犯人が四次元空間を利用してしまうのでは、アリバイもなにもあったものではありません。でも、SF的状況のトリックをSF設定の中での論理によって謎解きすることにチャレンジしている作品は意外にたくさんあります。笑いとミステリーも、意外に相性がいいようです。三谷幸喜などはミステリーが大好きなようで、古畑任三郎のシリーズは言うまでもなく、クリスティの作品を日本に移して、野村萬斎主演のドラマも作っています。

同じ笑いでも、コントになるとミステリー仕立ては、理屈の部分をどう処理するかが問題になりそうです。合格祝賀会の劇で、推理ものをしたことがあります。謎はダイイング・メッセージにしました。被害者はうつぶせに倒れており、右手は不自然な形で自分の鼻のあたりに、左手には「きょうはくじょうがきた」と書かれた紙切れがにぎられていましたが、それらしき脅迫状は発見されませんでした。頭のあたりには「¥五十万 The End」と書かれた小切手が反対向きに落ちていました。さらに、アンパンマンの携帯のストラップがちぎれて転がっていた…というムチャクチャな設定ですが、やはりこのあたりは見ている子供たちには、かったるかったかもしれません

2021年4月24日 (土)

スマホ

耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、ついにスマホに切り替えました。

10円でした。レジで「消費税がついて11円になります」と言われました。「ポイントお使いになりますか」と訊かれて、「はい」と答えました。

ちょっと後悔しています。腹立ち紛れにスマホの悪口を書きたいと思います。

1 重い

 重いです。山登りの際の負担が増えました。少しでも身を軽くするためにTシャツの袖を切り落とす人さえいるのが登山の世界なのに! もちろん私はそこまでしませんが。何ならビールと、温泉に入ったあとの着替えまで持って登りますが。

2 でかい

 でかいです。かさばります。ポケットがはちきれそうです。かさばっているというより、のさばっていると言いたいくらいのぶしつけな存在感です。

3 電力を消費する

 激しく電力を消費します。しょっちゅう充電しなければなりません。だから、山登りのときはモバイルバッテリーとやらを携行する必要があります。ますます重い!

4 なんかいろいろついてる

 なんかいろいろついてます。下手にさわると「許可しろ」とか「ダウンロードしろ」とか面倒です。あの手この手で私から小銭をせびりとろうとしている、という強迫観念に襲われています。

5 べつに便利じゃない

 たいして便利じゃないと思います。みなさん便利だ便利だっておっしゃるんですけど、ほんとうですか? ないならないでも済むようなアプリを使わされて、便利な気分になっているだけじゃないですか? だいたい電車の中とか風呂の中とかそういうところでインターネットそんなに見たいですか? 僕は電車の中や風呂の中では本を読むので、そんなところでネット見たりしません。ていうか、下手にネットなんか見始めちゃったら、どうでもいい記事がなんだか気になってついつい見ちゃって本読む時間がなくなっちゃうじゃないですか。

 そんなにいやなら何でスマホにしたの? だれも頼んでないけど? とおっしゃるかもしれません。まことに痛いところです。返す言葉もありません。

 だって、スマホがないと不便なように少しずつ社会が変わってきたんです。今のところはまださほどでもありませんが、これからますますその傾向は加速していくでしょう。やむをえない判断でした。

 しかし、ここで私は声を高らかにして申し上げたいのですが、「スマホがあると便利」と「スマホがないと不便」は少し違うんじゃないでしょうか。社会全体がどんどん、「スマホがないと不便」なように作り替えられていきます。だから、べつに便利だとは思わないけど、ないと不便なのでスマホにしたということなのです。そうやって私のポケットから小銭が巻き上げられていくのです。

 しかし、ほんとうのところは他に理由がありまして。実は、登山用のGPSがほしいなあと何年ものあいだ悶々としていたのです。そんなあるとき「スマホでそういうアプリあるけど」という耳寄りな情報が。折しも、携帯の会社からしつこく「もうおまえのつこてるガラケーの修理せえへんからな」とか「もうすぐおまえのつこてるガラケーはつかえなくなるからな」とか脅しの手紙がくるし、谷六にある私の推しのパン屋さん『バネーナ』でもスマホがないせいでポイントためられないし、デジカメが壊れたため山に行ってもまともな写真撮れないし、といった事情もあったため、ついつい発作的にYバシカメラに行ってしまったのです。

 実際に登山でGPSアプリを使ってみて良い感じだったら切り替えた甲斐もあるというものですが、果たしてどうなることやら。

2021年4月17日 (土)

ベランダにスズメが来ます

ご無沙汰しております。西川です。正明先生に任せっぱなしにしてさぼっていました。

※ 山下先生のことを正明先生と呼ぶのは、国語科にもう1人山下という講師がいるからです。この人は最近座骨神経痛に見舞われてよれよれになっています。あまりにも辛そうで哀れなので、何人かの講師から、ペインクリニックに行ったらどうだとか、いやそれよりも終末期ケアで有名な淀川キリスト教病院はどうだとか、今病院に行っても「それどころじゃないんだ帰れ」と言われるんじゃないかとか、心のこもったアドバイスをもらっているようです。

さて、毎朝ベランダにスズメが来ます。朝の5時ぐらいから、おそらく2羽だと思うんですが、ずっとチュンチュン鳴いているので、家人が根負けしてコメを少しばらまいてやると、人の姿を見ていったん逃げ、いつのまにかもどってきてきれいにたいらげています。コメがあるときは黙って食べて黙って去っていくんですが、コメがないとチュンチュン鳴きまくる。ということは、あの「チュンチュン」は催促なんでしょうねえ。だんだん図々しくなってきて、1日に何度も来るようになりました。数時間おきにやってきて「おなかがチュいた」といっているのかどうはわかりませんが、とにかく鳴きまくっています。はじめのうちはフンもせず行儀よかったんですが、最近はフンもいっぱいするようになりました。近所の人から叱られるのではないかと少し心配です。

去年は小さなレモンの木にアゲハが卵をたくさん産み、青虫がいっぱい這い回っていました。あっというまに木が坊主になってしまって、食べもののなくなった青虫たちが集団脱走というか、ベランダを這い回りはじめたので家人があわててレモンの木を買いにいき、そのあいだに僕が青虫を捕捉したのですが、残念ながら新しい木には居着かず、全滅させてしまいました( 。-_-。)。今年こそは、無事羽化してくれるとうれしいのですが。

先日岡本教室に行くと、ツバメが飛び回っていました。もう春も終わりですね。いろいろなことが早く落ち着いて、平穏な毎日が戻ってきますように。座骨神経痛の山下の痛みもおさまりますように。

2021年4月 4日 (日)

梅安は緒形拳

弓の名手といえば那須与一。源氏と平家の「屋島の戦い」で、平家が立てた扇の的を見事射落としたことで有名ですが、それ以外のことについては詳しい記録がなく、ほとんど謎の人物です。さらに、このエピソードのあと、どういうことが起こったかもあまり知られていないのではないでしょうか。那須与一の腕前に感激したのでしょうか、舟の中から、50歳くらいの男が出てきて、扇の立ててあったところで踊りはじめます。伊勢三郎義盛に命ぜられた与一は男を射抜き、男はまっさかさまに落ちたとか。源氏方は、大いに盛り上がりますが、平家方は静まり返った、という、なんだか後味の悪い話です。

中国にも当然、弓の名人がいます。最も有名なのは李広でしょう。前漢の将軍で、三代の帝に仕えた名将です。匈奴と戦うこと、七十回以上と言います。匈奴からは漢の飛将軍と恐れられました。ただ出世にはめぐまれなかったようで、老骨にむち打って出陣しても後方に回され、道案内がいないせいで戦いに遅れて、大将軍に責められ自害してしまいます。この李広が若いとき、母を虎に食われ、必死になって虎を探し求め、弓で射たところ、実はそれは虎に似た石でした。「石に立つ矢」「一念岩をも通す」の語源ですね。三国志の名将、太史慈も弓の名人でした。孫策の配下として山賊の討伐をしていたとき、はるか遠くの砦で、山賊の一人が木を持って、孫策と太史慈を罵倒していました。太史慈は弓を引き絞って放つと、矢は賊の持っていた木に突き刺さり、さらに手の甲まで貫通していたそうですが、こちらの話はいかにもありそうです。

中島敦『名人伝』は、紀昌という男の話です。天下一の弓の名人になろうと志を立て、飛衛という人に弟子入りします。まず、瞬きをするなと教えられた紀昌は機織の台の下にもぐって、目の上すれすれのところで機が織られる様子を見つめつづけました。やがて、火の粉が入っても目をつぶらず、目を見開いたまま熟睡できるようになりました。ついには蜘蛛がまつ毛の間に巣を作ったとか。次に、視ることを学べと言われた紀昌はシラミを髪の毛でつなぎ、じっと睨みつづけます。シラミが馬のように見えるようになったとき、矢を放つと、シラミの心臓を貫きました。ほんまかいな。次は矢の速うちです。第一の矢が的にささると、続く矢が次々と前の矢の尻に命中し、百本の矢が一本に連なりました。しかし、紀昌は、飛衛がいるかぎり、天下第一の名手にはなれないと考えます。ついに飛衛を襲ってしまうのですが、飛衛も矢を放ちます。二人の矢は、お互いの真ん中で命中し合い、地に落ち、決着がつきません。マンガです。

飛衛は、紀昌の気持ちを新たな目標へ向けさせるため、ある老師を尋ねよと告げます。紀昌は、その老人に「不射之射」を教えられます。足元の石がぐらつく絶壁の上に立った老師は、見えない矢を、見えない弓につがえ、ひょうと放ちます。すると、トンビが一直線に落ちてきました。何年かのち、山からおりてきた紀昌の顔は無表情で、以前のような負けず嫌いの精悍な面構えはなくなっていました。天下一の弓の名人となって戻ってきた紀昌は「至射は射ることなし」と言って、弓を手にすることはありませんでした。死ぬ少し前のある日、紀昌が知人の家に行くと、ひとつの器具がありましたが、どうしても名前も用途も思い出せません。家の主人に尋ねると、主人は「古今無双の射術の名人が、弓を忘れ果てたのか」と驚きます。その後しばらく都では、画家は絵筆を隠し、楽人は弦を断ち、工匠は定規を手にすることを恥じたといいます。

弓矢にかかわる日本のエピソードとしては『大鏡』にある話が面白い。藤原道長が若い頃、めずらしく兄道隆の家に遊びに来ます。息子の伊周が弓の練習をしているところで、いっしょにやらないかと勧められた道長が応じたところ、伊周の射抜いた矢の数が道長に二本及びませんでした。道隆も周りの者も「あと二回、延長だ」と言うので、道長はこれにも応じるのですが、内心ムッとしたのでしょう、「道長の家から帝が生まれるものならこの矢当たれ」と言って射ると見事に命中します。そのあと伊周はびびってしまい、大きく的をはずしてしまいます。道隆家と道長家がどうなったか、その後の結果を知っているだけに、作り話だとしてもこのエピソードは興味深いものがあります。

道長には従兄弟にあたる公任は三船の才で知られる有名人です。いろいろな面で優れており、器用だったのでしょう。道長の父兼家が、おまえたち兄弟は公任の足下にも及ばないと嘆いたとき、みんなうなだれたのに、道長は「俺は公任の顔をふんでやる」と言いました。公任は中納言どまりでしたから、まさしく道長は公任の上に立ち、頭をふんだことになります。でも、兄貴たちだって同様に出世しているのですね。ただ道長のようなセリフが吐けなかっただけ。こういう有名人のエピソードはのちに大物になったからなるほどと思うのですが、出世しそこなった奴でも、同じセリフを吐いていたかもしれません。高校時代の同級生が、「芭蕉が見たのは美しい景色だけか。芭蕉だって旅の途中でドブ川を見たにちがいない。」と言いましたが、芥川の警句のようで、なかなか鋭い。彼が大物になっていたらこのことばも後世に残るのになあ。残念です。

父親が大事にしている桜の木を切って正直に謝ったワシントンのエピソードだって、よく考えればだれにでもありそうな、しょうもない話です。ワシントンが初代大統領になったから、このエピソードが有名になっただけでしょう。希学園でも数々の武勇伝を残している者がいますが、のちに有名人になったときにはエピソードとして語られるのかもしれません。こういうエピソードの使い方がうまかったのは司馬遼太郎です。本当かどうかわからない話でも、タイミングよく語られると、なるほどと思ってしまいます。秋山好古(テレビでは阿部寛)の「騎兵とは何か」を説明するときのエピソードを「余談ながら」とやられると、オオッと思います。語り口のうまさでしょうが、こういうのは池波正太郎もやはりうまい。真田太平記や中村半次郎のような歴史小説だけでなく、この人は仕掛人のシリーズや犯科帳などの時代物もうまかった。仕掛人の藤枝梅安が酒のあてにちょっとした料理をつくるのですが、これがまたおいしそうで食べたくなります。

2021年3月22日 (月)

日本の呂布

名前の印象と実態が乖離しているのはよくあることですが、改名するだけでイメージが変わることもあります。昔、「山岳部」というクラブの部長をしていたことがあったのですが、部長権限で名称変更を申請して見事に認められました。その名も「ハイキング部」。女子部員が全くいなかったのが、改名した途端、入部希望者が続出しました。それまではリュックサックに石をつめこんでガニ股で運動場を歩くような野暮の極致のようなトレーニングをしていたのですが、それもなしにして、パラダイスのようなクラブ活動でした。

「皿洗い」を「ディッシュ・ウォッシャー」と言うと高度な技術を要する仕事のように思えますが、これは名前を変えても実質いっしょ、というパターンですね。「オレオレ詐欺」が「振り込み詐欺」に変わり、さらに「振り込め詐欺」に変わりましたが、これも実質いっしょです。しかも「振り込め」は言いにくい。変える必要があったのかなあ。ことば狩りによって変えさせられるのはもっといやですね。一部の意見にすぎないのに、一見正論で反駁しにくいのがむかつきます。弱者の味方のようなふりをして、実は傲慢な押しつけをしているからむかつくのでしょう。

「~屋」というのも差別だと言って、ことば狩りされているようです。たしかに「床屋」とは最近言わなくなりましたが、こういうことばが消えると『浮世床』の意味もわかりにくくなります。落語のネタにもなっており、私は小学生のころ、「姉川の合戦」をこの話で知りました。浅井長政の裏切りにあった信長が家康とともに浅井・朝倉連合軍と戦う、という有名な合戦であるということも知らずに名前だけをおぼえたのですね。落語って偉大だなあ。真柄十郎左衛門直隆という武将が登場するのですが、昔はこういうマイナーな武将でも知名度は高かったのでしょうね。講談や軍記物にしばしば登場する朝倉家の家来ですが、映画の『クレヨンしんちゃん』にも、真柄直隆がモデルとなった人物が登場していました。

浅井家は大河ドラマでもいつのまにか「アザイ」と発音されるようになりました。「尼子」も昔は「アマコ十勇士」と言っていたのですが、今は「アマゴ」に統一されたようですね。十人とも名前が「~介」になります。最も有名なのが山中鹿之助、「我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った人です。その子が伊丹で商売を始めたのが鴻池家の始まりだとか。尼子氏が毛利に滅ぼされて落ち武者となってたどり着いた先の村がのちに「八つ墓村」と呼ばれるようになった、というのは横溝正史の小説です。

尼子氏に滅ぼされた塩冶という一族がいます。塩冶氏の家来赤穴宗右衛門という武士が旅先の加古川で病に倒れ、丈部左門という学者に看病してもらいます。病が治ったあと、主家が滅んだという噂を聞いて確かめに行きたい、と言われて左門はもしそうであるならそんなところに残ってもしょうがない、是非とも帰ってこいと言います。赤穴宗右衛門は九月九日、菊の節句に帰ってくると約束して旅立つのですが、尼子方にとらえられて牢獄へ。友との約束を果たすためには生身の体では無理なので、魂魄となって帰ってきた、という話が上田秋成『雨月物語』の中の「菊花の約」です。高校生のときにこれを読んだ私は古典の教師に、この二人は「そういう」仲かと尋ねたら「するどいな」と言われました。そういう視点でこの物語を読めば純愛小説ですね。

『雨月物語』の文章は平安時代の物語を模したもので擬古文と呼ばれるものですが、江戸時代のものであるせいか、それほど難解ではなく、非常に読みやすい名文です。同じ江戸時代のものでも、西鶴の文章はくせが強く、読みにくい。文語体をベースにしながらも口語体を取り入れた雅俗折衷文体と言われるものです。西欧風のものを目指した明治初期の文学界の風潮に対し、明治もなかごろになると国家意識の高まりとともに復古主義的な傾向が強くなり、西鶴が再評価されます。その代表が尾崎紅葉ですが、『火垂るの墓』で有名な野坂昭如の文章も西鶴に似ているような気がします。

馬琴の『八犬伝』はその点かなり読みやすいものの、いかんせん登場人物が多すぎます。源為朝が琉球へ逃れ、その子が初代琉球王舜天になったという『椿説弓張月』は原文を通して読んだことがないのですが、題名がいい。馬琴の題名センスはさすがです。弓の名人為朝が主人公なので,半月を表す「弓張月」にかけています。為朝は生まれつき乱暴者で、父為義に九州に追放されますが、なんと九州一円を制覇して鎮西八郎と名乗ります。「椿説」は「珍説」つまりめずらしい話というだけでなく「チンゼイ」と読めば「鎮西」に通じます。

為朝の弓は五人張りと言います。「五人がかりで張る弓」ということで、四人で弓を曲げ、残る一人が弦をかけて作るらしい。「三人張り」でも六十キロの腕力が必要だと言われるので、「五人張り」は百キロぐらいの腕力が必要になってくるのでしょうか。義経は小柄だったらしく、使っている弓もヘロヘロだったそうです。それが敵にバレると笑い者になるので、海に弓を落としたとき、泳いでわざわざ取りにいったそうな。それにひきかえ為朝は、4歳のときに牛車をひっくり返したというから、ただ者ではありません。保元の乱のときは17歳、もちろん数え年ですが、そのときすでに身長は2メートル超え、強弓を持ち続けたせいか、左腕が右腕よりも10センチ以上長かったといいます。持っている太刀は三尺五寸、ふつうの太刀より一尺長く、さらに例の五人張りの弓を持っていました。放った矢は敵の鎧を貫き通し、さらにもう一人をしとめ、矢1本で二人串刺しにしたといいます。武勇に優れていただけでなく、頭も悪くないようで、兄義朝に「兄に弓を引くか」と言われても、「おまえは父親に弓引いているではないか」と言い返したそうです。結局は戦いに敗れ、二度と弓が引けぬように腕の腱を切られて伊豆大島へと流罪となります。腕の傷が治ると、なんと三人張りの弓が引けるまでに回復して再び暴れ回り、この強弓を使って、300人が乗った軍船に射かけた矢は見事に命中、船はたちまち沈んでしまいましたとさ。まさに日本の呂布という感じですな。

2021年2月23日 (火)

田吾作おじさん

時代劇で刀をぬく仕草も、さまにならないことがよくありますが、繁昌亭で見た桂吉坊の仕草がオッと思わせるものでした。もちろん落語の中なので座ったままですが、武士の威厳を感じさせる仕草で、こういうのはやはり代々伝わっていくのでしょうか。歌舞伎の世界ではさすがと思わせるものがあります。なにかの番組で改名する前の市川春猿がおやまの肩をすぼめる仕草をして見せていましたが、一瞬で女性の雰囲気が出て、なるほどという感じでした。時代物はそれらしくないと、やはり違和感がありますが、見ているほうも知識がないので、本当は正しいかどうかわかりません。実際はナンバ歩きをしていたからといって、芝居やテレビでそこまでやる必要もないでしょう。

いまや昭和の風俗さえわからなくなりつつあるようで、「しもしもー」なんて、ほんとにやってたのかなーと思います。平野のらは結構忠実にネタを発掘しているらしいのですが。「平野のら」という名前はときどきでくわすパターンですね。サンケイ新聞に「阿比留瑠比」という人がいますが、これは本名かなあ。「三又又三」というのは、…ちょっとちがいますね。昔「木の葉のこ」という人もいました。上から読んでも下から読んでも、というやつですね。回文としては「宇津井健氏の神経痛」とか「お菓子が好き好きスガシカオ」とかいうのもありますな。「スガシカオ」というのもカタカナで書いているだけに、どこで切るのやら。五字で一つの名前なのか。「スガ」が名字で「シカオ」が名前なのか。読むときのアクセントの置き方にも困ります。「米津玄師」もどう読むのか、わかりませんでした。「コメツ」か「ヨネツ」か、「ツ」は濁るのか、「ゲンシ」でよいのか、まさか「ゲンスイ」? それなら「帥」で、字がちがうし…。「one OK rock」も「卑怯」な読み方です。

ちょっと話題になった「AAA」なんて、卑怯です。「トリプル・エー」とは思いませんでした。昔ならこれはタバコの名前で「スリー・エー」と読みました。昔のタバコは「キャメル」とか「ゴールデン・バット」とか、食指をそそらない名前のものがありました。「金鵄」は「ゴールデン・バット」という外国語が使えなくなったために変えられたものだとか。神武天皇が長髄彦との戦いで持っていた弓に止まったと言われる金色のトビですね。どちらの名前にしても「今どき」ではないようですが、場合によっては古くさいものがおしゃれになることもあります。

江戸川乱歩は古くさいのに古びないのが不思議です。永遠の乱歩です。「D坂」なんて、タイトルからしておしゃれです。実名の「団子坂」ではだめだったかもしれません。乱歩のシリーズは春陽堂のリニューアルする前の春陽文庫で読むのがおしゃれです。春陽文庫では山手樹一郎や江崎俊平などの時代小説だけでなく、源氏鶏太や獅子文六のサラリーマン小説も出ていましたが、この手のものは時代がたつと中途半端に古くさくて、違和感ありまくりでした。そしてさらに時がたつと資料的価値さえ生まれて面白く感じます。映画でも「社長漫遊記」とか植木等演じる「平均(たいらひとし)」と名乗るサラリーマンが出るようなものは「レトロ」そのものです。「オールウェイズ」と言うより「古くさいから面白い」のですね。著名人の葬式でいつも泣きながらコメントをする側だった森繁久弥も死んで久しくなりましたが、この人が社長で、三木のり平が専務とか、よくあるパターンでした。森繁はNHKのアナウンサーから満映のスターになったのですね。満映は満州映画の略で、理事長はなんと甘粕正彦です。川中島の合戦で活躍した甘粕景持の子孫で、憲兵時代にいわゆる「甘粕事件」を起こしたあと、満州で甘粕機関を設立して、なぜか満映の理事長になるのですね。口添えをしたのが岸信介だったと言われています。

五味川純平がみずからの満州時代の体験をもとにした『人間の条件』が書かれたころには、それほど古い時代のことを扱っている感じはしなかったでしょうし、仲代達矢主演で映画化されたころでも、そんなに昔という意識はなかったはずです。最近では柳広司がこの時代を扱っていますが、戦後70年以上たてばもはや歴史ものです。『永遠のゼロ』や『メトロに乗って』も広い意味で歴史ものと言ってよいでしょう。友人が帝銀事件を扱った芝居を書きましたが、下山事件とか帝銀事件とか、もはや遠い時代の彼方です。松本清張が「日本の黒い霧」を書いたころなら、まだ関係者が生きていたでしょうが。なにしろ東京オリンピックが大河ドラマの素材になったのですからね。大河の主人公としては知名度が低かったこともあって失敗作になってしまいました。やはり有名人でないとだめなんですね。日本人が歴史上最も好きな人物を問われれば、どうしても信長・秀吉・龍馬あたりになります。

「小説家では」と問われると現役の作家なら答えが分かれますが、明治~昭和と限定すると、やはり一位は漱石でしょうか。では、その次は? このあたりはアンケートの取り方で変わりそうです。一名のみ答える形式なのか、十名連記なのか。鴎外は漱石と並び称せられるのですが、一名のみのアンケートでは弱そうです。紅露時代と呼ばれたころもあったのですが、いまや尾崎紅葉・幸田露伴ともに忘れられています。金色夜叉なんて橋本治の現代バージョンもあったのですがね。川端康成と横光利一も新感覚派の双璧だったのに、横光はもはやだれも知らない? 昭和は遠くなりにけり、です。

このことばのもとになった「降る雪や明治は遠くなりにけり」は中村草田男の句ですが、「や」「けり」の二つの切れ字が使われています。切れ字のところが感動の中心になるので二つの切れ字を使うと焦点がぼやけて、よくないとされています。ただ、俳句って、一見かかわりのなさそうな二つの題材を結びつけることがよくあるので、二つの切れ字があっても不思議ではありません。俳句のあとにくっつけると、どんな俳句もたちまち短歌に早変わりという七七の有名なことばもあります。「それにつけても金のほしさよ」ですな。「古池やかわず飛び込む水の音それにつけても金のほしさよ」「しずかさや岩にしみいる蝉の声それにつけても金のほしさよ」…オールマイティです。かなり以前、「それにつけてもおやつはカール」というCMがありましたが、これでもよさそうです。CMに出てくるカールおじさんがどう見てもそんなおしゃれな名前ではなく「田吾作おじさん」にしか見えないのが残念でした。

2021年2月 9日 (火)

時代劇のなんだかなあ

「天神山」という話は前半と後半で主人公が変わるという妙な話で、下げ(オチ)なしで終わることがよくあります。ヘンチキの源助という変人の男が、オマル弁当にしびん酒で花見に出かけようとして、「花見に行くのか」と言われます。変人ですから、そう言われると花見には行きたくない、「墓見」に行こうと一心寺に向かいます。「小糸」と書かれた石塔の前で、一人で酒盛りをした帰り際、土の中からしゃれこうべが出ているのを見つけ、根付けか置物にしようと持って帰ります。その夜、しゃれこうべの主である小糸の幽霊が現れ、昼間の手向けの酒が有難かった、ついては押しかけ女房に、と言われます。隣に住んでいるのが、どうらんの安兵衛。源助から幽霊の女房は金かからんぞと言われ、一心寺に出かけますが、そうそうしゃれこうべがあるわけもなく、向かいの天神山にある安居の天神さんへ行って、女房が来ますようにとお願いして帰ろうとします。たまたま狐を捕まえている男に出くわし、捕まった狐を買い取って逃がしてやります。その後、狐は若い女の姿になって、これも押しかけ女房になります。男の子が生まれ、三年たったころ、正体がばれてしまい、狐の女房は「恋しくばたずね来てみよ南なる天神山の森の奥まで」という歌を障子に書き残して去って行くという話です。

下げの部分は、狐の女房が「もうコンコン」と言って姿を消すパターンもありますが、書き残された歌を見て、狂乱して後を追うパターンもあります。これは、浄瑠璃や歌舞伎の「蘆屋道満大内鑑」のパロディ仕立てになります。歌を「曲書き」して障子抜けをして狐が去って行くという形をとることもあります。「曲書き」というのは、左右の手を使ったり、下から上へ逆書きしたり、裏文字にしたりして、最後は口にくわえた筆で文字を書くのですね。人間ではないということを強調しているのでしょう。「下げ」をつける場合は、「芦屋道満」「葛の葉」をもじって、「貸家道楽大裏長屋、ぐずの嬶(かか)の子ほったらかし」としたり、安兵衛の叔父さんが「安兵衛はここには来ん来ん」と言って「あ、おっさんも狐や」としたり、というパターンもあったようです。枝雀は前者の型でやったこともありますが、「お芝居にあります『芦屋道満大内鑑、葛の葉の子別れ』、ある春の日のお話です」と言って終わることが多かったようです。

安居の天神さんは、菅原道真が筑紫に左遷される道中、この神社の境内でしばし安居したところから名付けられたと言います。場所は天王寺で、大阪のど真ん中という感じがしますが、きつねがいたのですね。星光学院のちょっと南、谷九教室からも歩いて行ける距離なのに。たしかに今でも木が鬱蒼としています。ここは真田幸村が死んだところで、骨仏で有名な一心寺の向かいです。ここのシアターで友人が演出した芝居を見に行きましたが、アットホームでなかなかいい劇場です。島之内寄席というのがありますが、はじめは心斎橋の島之内教会の礼拝堂を借りたものでした。畳敷きで、好きなところに座れるようになっていました。交通事故で亡くなった林家小染がトリだったのでしょうか、演じているときに、一升瓶をかかえたおっさんがすぐ前で寝っ転がりながら、「小染ー、一人でしゃべってて、おもろいかー」と茶々を入れてたことを覚えています。やりにくかったやろなー。

尼崎市総合文化センターで米朝一門の勉強会をやっているのを見に行ったことがあります。といっても、アルカイックホールではなく、会議室で机を積んで高座にしていました。今考えるとなかなかのものです。昔、朝日放送のABCホールで公開録画があって、よく見に行きました。実際に放送するのは漫才二組ぐらいで、それだけではお客が来てくれないので、落語やら奇術やら、いろいろな芸人が演じていました。しかも無料。ゼンジー北京とかフラワーショー、横山ホットブラザースをただで見ていたわけですね。その前座みたいな感じで、やすしきよしという新人が一生懸命やっていて、こいつらちょっとオモロイなと小学生だった私は思いましたが、桂米朝というおっさんが一人でしゃべりはじめると「オモンナイ」ということで客席の間を友達と走り回って遊んでいましたなあ。のちに人間国宝になるなんて思いもしません。単なる地味な芸人さんと思っていました。

株主優待券というものをもらって(株主というわけではなく、父親の友人が株主だったのです)なんばの大劇名画座とかアシベ劇場という映画館によく行っていました。大劇はOSKの本拠地だったところです。千日デパートも同じ系列で、ちょうど私がよく行っていたころに例の大火災がありました。名画座は古い映画をやっていて、マカロニウェスタンはここでかなり見ました。クリント・イーストウッド、ジュリアーノ・ジェンマ、フランコ・ネロたちが主演の、全体に茶色っぽい色調の映画でした。映画だけでなく、なぜか実演もあって歌手がステージに立って歌うこともありました。無名の歌手でしたがね。

合格祝賀会は、アルカイックホールでやったこともありますが、新大阪のメルパルクホールがほとんどです。30本近くの台本を書いてきました。その年のはやりものをテーマにすることが多いので古い台本は時代を感じさせます。ナレーションでも、初めのころは題名を言わないことが多かったのですが、『ファイナル・クエストⅦ』というタイトルは口にした記憶があります。これなんか、まさにそのときでないとだめなタイトルです。なかには『原田のおじさん』という、わけのわからないものもあるのですが、これは中島らものパクリでした。時代ものも何回かやっています。でも、衣装やカツラに困ることもあり、最近はやっていません。時代劇はお金がかかる。

それでも最近テレビでは少しずつ時代劇が復活しています。NHKが土曜の6時半ぐらいにやっていたり、民放でも定番の山本周五郎の小説のドラマ化をやったり、水戸黄門が武田鉄矢で復活したのは笑いました。助さん格さんを「このバカチンがー」と叱ったのでしょうか。時代劇では、若い役者の演技、たたずまいで不自然に感じることがありますね。所作や歩き方が時代劇らしくない。若い女性が外股で歩いたりすると、なんだかなあと思います。もちろん実際の江戸時代の人々の様子などわかるはずもないので、あくまでも時代劇という「ワク」の中の話ですが…。

このブログについて

  • 希学園国語科講師によるブログです。
  • このブログの主な投稿者
    無題ドキュメント
    【名前】 西川 和人(国語科主管)
    【趣味】 なし

    【名前】 矢原 宏昭
    【趣味】 検討中

    【名前】 山下 正明
    【趣味】 読書

    【名前】 栗原 宣弘
    【趣味】 将棋

リンク