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2011年3月の4件の記事

2011年3月25日 (金)

Y田M平氏に関する重大な疑惑その②

『バイトの日々③』を書こうと思っていたのですが、これは仙台の思い出でもありますから、ちょっと今は書く気になれません。

そこで、代わりといっては何ですが、私の師匠Y田M平氏(個人情報保護の観点から実名は伏せさせていただきます)について再び少しく述べさせていただきたい。

Y田M平氏といえば、かつて8000メートル峰に2度(3度?)も挑みかつ敗退したことがあるほどの本格的なアルピニストであります。8000メートル峰に「敗退した」と胸を張って言えるところまで登れる人なんてそうそういませんから、これはやはり凄いことです。

8000メートル峰の頂に立ったことがないという点で、私とY田氏は共通点を有しているわけですが、その内実には大きな差があるわけです。

私は素直な人間でありますから、その点、Y田氏に対して大きな敬意を持つものであります。

しかしながら。

ことここにいたって重大な疑惑が浮上してきたのであります。

みなさんはSpO2というものをご存じでしょうか。

「動脈血酸素飽和度」と呼ばれているものです。

下界にいる健常な人間であれば、この値は100%に近いものになります。下界で、仮にこの値が80%まで下がれば重大な呼吸障害が生じているのであって、いわゆる集中治療室行きのレベルであるとされているそうです。

高山に登ると、個人差はありますが、だいたい標高4000メートルでこの値が80%まで下がると言われています。すなわち、これが確実に高山病になる値ですね。

標高8000メートルともなると、SpO2は30%まで低下します。人間が生きてはいけない領域です。

そこで、ふつうの登山家はそういうところに登るときは酸素ボンベを背負って行くわけですが、それでも、高山病は避けられません。

中にはとんでもない人がいて、超人と呼ばれたラインホルト・メスナーは世界に14座ある8000メートル峰のすべてに、酸素ボンベなしで、単独で登っています。その話を聞いて、「そいつは人間じゃないな」と私は直感しましたが、後にメスナーの写真を見て、「やはりイエティだったか」と思ったものです。

ちなみに、私は山に登るときは、「カズンホルト・ニシナー」という名前を使用することにしているのですが、誰もそう呼んでくれないのが残念です。

さて、Y田氏の話では、そういう死の領域に踏み込むには二つの方法があって、ひとつは、メスナー氏のような無酸素登山家が登るやり方、簡単にいうと、「さっと行ってさっと帰る」というやり方です。要するに、そんなところには長くいられないので、ちゃっちゃと登ってちゃっちゃと下りるわけです。もちろん、ちょっとでも愚図ってしまえば、怖ろしい結末が待っています。

もうひとつの方法は、以前にY田氏が「週刊のぞみ(現・のぞみの広場)」で紹介されていましたが、ちょっと登ってはちょっと下り、またちょっと登ってはちょっと下りて、少しずつ体を高所に慣らしていくやり方です(とはいえ、最後の最後は長くいられないのでちゃっと登ってちゃっと下りるのですが)。

Y田氏はイエティではないので、この後者のやり方で8000メートル峰に挑まれたということですが、それにしてもなんせ8000メートルですから、通常の体力、通常のSpO2値であるはずがない。ご本人も、曰く「いや、僕は高地には強くてね。6000まで高度障害が出なくて、隊のみんなに驚かれたものですよ」とのことでしたが、それにしては不審な点が・・・・・・。

それも2度続けて・・・・・・。

最初は、涸沢ヒュッテという山小屋に泊まったときのこと。ここは標高が確か2000メートル前後だったと思うのですが、誰もが寝静まった深夜、私のとなりで「・・・プッ、・・・プッ」と不気味な鼾を立てていたY田氏が突然「うっ」と呻くのです。

何事かと見ると、Y田氏が鼻をおさえて起き上がり、

「うう、鼻血が・・・・・・」

夜中に突然鼻血を出すなんて、どうなんでしょう? 私は寡聞にしてそういった話はあまり聞いたことがないのですが・・・・・・。

次が、先日、希学園山岳部で北アルプスの「唐松岳」に行ったときのこと。テントを張ったのがやはり標高2000メートルほどのところ。Y田氏がハアハア荒い息をしているので、どうしたのかなと思っていると、

「うう、頭が痛い」

まさか標高2000そこそこで高度障害が出るはずないんで、風邪ですかね、なんて言ってたのですが、翌日スキー場まで下山し、かつリフトで山麓まで下りてくると、妙に元気になったY田氏が、

「さあ、風呂だ風呂だ、温泉だ」

とはしゃぎ出すのです。

ぼく「風邪は? 大丈夫?」

Y田「いやあ、下りてきたら治りましたね」

横川「ふつう逆じゃないんですか?」

Y田「ん?」

ぼく「山の方がウイルスはいないはずですよね」

Y田「ん?」

横川「もしかして、高度障害?」

Y田「?」

たかだか2000メートルで高度障害に陥る男が、ほんとうに標高8000メートルに登れるものなのでしょうか?

ここにY田氏の輝かしい経歴に対する重大な疑惑が生じた所以であります。

この疑惑につきましては、私が責任をもって追跡調査し、必ずや近いうちに真実を究明するでありましょう。

続報を期待してお待ちください。

          ◇◆◇◆◇◆

ところで。

登山口がスキー場にあるのって何だか哀しいです。

ナウなヤングがたくさんいて、スキーやスノボで、シューッとかっこよく滑走しているところに、80リットルのザックをかついだ、汚くて臭いわしらがとぼとぼと歩いて下りていくのです。

ものすごく浮いています。

だいたい、スキー場で、下りのリフトに乗るやつなんていないじゃないですか。

下りのリフトに乗っているやつがいるってだけでとっても目立つんですよね。

すれ違うとき、カラフルなウェアーに身を包んだ若者たちに、すごく胡乱な目で見られました。

Y田氏の証言によると、次のような失礼な発言をするギャルまでいたらしいです。

「何、あの人たち、こわ~い」

「係の人じゃない?」

いったい何係なんだ!

2011年3月19日 (土)

あれあれ詐欺

発音が変化して生き残る外来語もあれば、死語になることばもあるようです。「レコード」そのものがなくなって、「レコード屋」という呼び名もなくなり、「CDショップ」に変わったようですが、CDも時代遅れになりつつあります。そのくせ「レコード大賞」ということばが残っているのは変だなあ。ひょっとして、江戸が東京になっても江戸川は名前が変わらないというのと同じ原理でしょうか。でも、時代が変われば、「なぜ『レコード大賞』と言うのだ、『レコード』ってどういう意味?」と思う人も出てくるでしょう。

ポストのマークの「〒」は郵政省(これさえ死語?)の前身だった「逓信省(ていしんしょう)」の頭文字の「て」をカタカナにして、それを図案化したものです。でも、そんな知識、クイズでしか役に立ちません。「髪結い」が「床屋」に変わり、「散髪屋」になり「理髪店」、さらには「理容室」に変わりました。次は何かなあ。カタカナの「バーバー」は定着しなかったのですが、やはりカタカナの「ヘアーサロン」というのも、なんだかなあ。「どこに行くの」おかあちゃんに言われて、「うん、ヘアーサロン」という会話は、大阪の下町には似合いまへん。

でも、呼び名が変わるとイメージも変わります。「暴走族」を迫力のない「珍走団」に変えたら、という意見は一理あります。「ウェイトレス」や「ウェイター」が「ホールスタッフ」になった瞬間、急にえらい役職についた感じがします。「出前」と「デリバリー」はちがうのでしょうか。ピザを注文するときに「出前、お願いしまっさ」と言うと電話の向こうで笑われます。「携帯電話」がいつのまにか「ケータイ」になりました。「携帯」つまりポータブルであることしか言っていないわけで、実体を表すことばがないのですが、じつはナイスネーミングかもしれません。ケータイは、電話だけではなく、まったく別の機能がいくつもついています。メール、インターネット、アラーム、電卓、カメラ、スケジュール帳、音楽、テレビ、サイフ……。アフリカなどでは懐中電灯として利用することも多いそうです。(私としては、あとはマッサージ器、ひげそり、扇風機、タケコプターとして使えればいいなと思いますし、欲を言えば冷房装置、風呂、寝袋、携帯燃料、トイレとして使えれば言うことなしですね。ここまで来れば、もう電話として使えなくてもいいです。)ということで、すべての機能がポータブルになったものとしてカタカナの「ケータイ」という呼び名がぴったりです。

もちろん、なじめないことばもあります。洋服関係のことばっていやですね。「ファッション」という言い方そのものがうさんくさいのに、「ズボン」のことをいつのまにかパンツに変えやがって、しかも「ふらっと系」。わしらにとって「パンツ」は平坦なものではなく、「パ」に力のはいる西洋猿股のことです。いつのまにか、「チョッキ」も「バンド」もなくなりました。「ジャンパー」は「革ジャン」の形では生き残っているのかな。これも古くは「パ」ではなくて「バ」、すなわち「ジャンバー」でしたな。「ズック」も「スニーカー」と言うそうな。「リュック」や「ナップザック」はなくなったのでしょうか。「チャック」も「ホッチキス」は商品名だったので言いかえになったのでしょう。

正当な理由があっての改名はやむをえないでしょうね。「ナショナル」が英語圏の国ではまずいので「パナソニック」に変えたり、「カルピス」が「牛のおしっこ」という意味にとられるので「カルピコ」に変えたりなどというのは、許せます。「英知大学」が名前を変えたのも、「なるほど」です。「近畿大学」も英語表記になると「スケベ大学」という意味になるので困っているという話も聞いたことがあります。国鉄が民営化にともなって名前を変えたのも当然ですが、「JR」というのは評判が悪かった。でも、それが名前なら、そう呼ぶしかありません。後期高齢者うんぬんというのは、その呼び名があまりにも不評だったので変わったようですが、JRはいちおう定着しました。いまだにJRを国鉄と言う人はいるのでしょうか。二十年以上たっても国鉄と言いつづけている人は何か信念のようなものを持っているのかもしれません。さすがに「省線」と言っている人は、最近ではいなくなったようですが。

落語家が襲名などで名前を変えても、しばらくは前の名前の印象が強くて、なかなか新しい名前になじめません。死んだ枝雀さんでも、思い出すときに小米という昔の名前のほうが先にくるときがあります。ざこばも朝丸だし、南光もべかこでインプットされてしまっています。「くりぃむしちゅー」の名前が思い出せずに「海砂利水魚」と言ってしまって通じなかったこともありました。たしか、「さまあ~ず」も「バカルディ」だったのが、二組ともウッチャンナンチャンの番組で強制的に変えさせられたのではなかったっけ。「おさる」が「モンキッキー」に変わったのは大笑いでした。なんとか数子という、占いをするらしいおばさんに変えさせられたのでした。変えなければ売れないと言われたのですが、変えても売れていません。

それでも、こういうのは名前が変わったということを知っているだけマシで、中にはいつのまにか変わっていて、えっと思うこともあります。縄文式土器はいつから縄文土器に変わったのでしょうか。銀行も勝手に合併して勝手に名前を変えてしまいます。そんなまぬけな名前の銀行に金を預けた覚えはないのになあ。いちばんむかつくのは、好みの作家の初めて見る題名の文庫を買って読んでいて、「 あれあれっ」と思うときです。「これ読んだことがある」と思って解説を見ると、別の文庫で出ていた「××」を改題したものです、という断りが書いてある。思わず「金返せ」と叫びたくなります。これはれっきとした詐欺だと思うのですが、如何なものか。

2011年3月12日 (土)

バイトの日々②

こんにちは。相変わらず納豆とチーズ三昧の日々を送っている西川です。

来る日も来る日も納豆をねばねばとかきまぜているため、右手首が強靱になりつつあります。

ところがですね、最近鶏のレバ刺しにはまってしまいまして。なんだか24時間食べたくて食べたくて仕方がないんです。僕はいったいどうしてしまったんでしょうか。生肉にはまるってなんだか怖い気がします。

むかし、『スペクトルマン』という実写のヒーローもの番組がありました。宇宙怪人「ゴリ」と「ラー」とかいう志の低そうな名前の敵と戦っていた記憶がありますが、その中で子ども心に激しいショックを受けた話がありました。

あるところに、小さいころからちょっと愚図で「バカは死ななきゃなおらない」といじめられていた男の子がいたんですね(確かにむかしそういう罵り言葉がありましたな)。その子は長ずるにおよんでもやはりちょっと愚図なんですが、一応出前持ちかなんかの仕事をしているわけです(おお、どこかで聞いたような話だ・・・・・・)。

それが、いったいどういうきっかけか忘れてしまいましたが、ふと生肉に魅せられて、口にしてしまうわけです。なぜかひたすら生肉が食べたくてしかたがない。で、次から次へと生肉を食べてしまう。

で、これまた何でそうなるのか忘れてしまいましたが、生肉ばっかり食べていたら、怪獣に変身しちゃうわけです。で、これまでいじめられていたルサンチマンがあるから、暴れ狂うんですね。

そこで、スペクトルマン登場です。ひょっこりひょうたん島みたいな宇宙船が現れて、主人公に「ヘンシンセヨ」と命令一下、怪獣はあっさりとスペクトルマンにぼこられてしまいます。

しかし、この怪獣は、根はいい奴なんです。ちょっと愚図かもしれないが、お人好しで、自分がしてしまったことをとても悔いている。

で、最期に彼は、そばに寄ったスペクトルマンに言うんです。

「いいんだよ、バカは死ななきゃなおらないって言うからね・・・・・・」

こ、これは衝撃でした。ヒーローものの特撮番組にあるまじき後味の悪さ。

おそろしいやら哀しいやら、とにかく小学校低学年の僕は、「生肉を食べるのはやめよう」と心に誓ったのでありました。

むかしは、子ども相手に妙なところで本気な番組作りをしていたんだなあと感慨深いものがあります。これはもうテーマが完全に子供だましの域を脱していますよね。すごい。

閑話休題。

前回に引き続きバイト時代の話を書こうと思っていたのですが、鶏のレバ刺しの呪いで脱線してしまいました。

というか、そもそもバイト時代の話が始まっていませんな。

前回は単発バイトの話を書いたので、今回は比較的長くつづいたバイトの話を。

まずは『比較的長くつづいたアルバイトBest3』の第3位から。ジャカジャーン。

3位 仙台城三の丸の発掘

これはなかなかおもしろかったです。大学図書館の裏手がグラウンドになっていて、1年に1度文学部対抗野球大会が開催されていたのですが、図書館の拡張工事かなんかでグラウンドがつぶされることになったんですね。

ところが、大学のあった場所というのが仙台城址でありまして(かの有名な伊達政宗の青葉城です)、当該グラウンドは仙台城の三の丸のあったところだったので、工事をする前にちゃんと発掘を済ませないといけないわけです。で、たぶん、大学の掲示でアルバイトを募集していたんだと思うんですが、なんせ当時僕の住んでいた家が大学のすぐそばだったので、これはちょうどいいということで働き始めたんですね。

この、当時僕の住んでいた家というのがまた渋い家で・・・・・・とか言い出すとまた話が長くなるので、これはまたそのうちに。

発掘のバイトをされたことのある方はたぶん少ないと思いますが、結構重労働です。ずっとしゃがんでちまちま掘るか、鍬をふるってがつんがつん掘るか、いずれにせよしんどい。

鍬をふるう方がましかなあ。ずっとヤンキー座りしてるのはほんとうにしんどいですから。

しかし鍬をふるう場合の問題点は、貴重(かもしれない)遺物を壊してしまうということです。

このへんは瓦がいっぱい埋まってるから気をつけるように

とか云われても困るんですよね。見えないんですから。鍬を振り下ろせば

ガキッ

とやばい手応えが。はっと土をどけると瓦は粉々・・・・・・。といった失敗の連続でした。

ま、たいしたものは出ないんです。だから、鍬でがつんがつんやらされたんでしょうが、たまにお金なんかが出てくると大興奮。とはいえもちろん小判などではありません。

当時聞いた話ですが、とある発掘現場で、伏せた状態のお椀が見つかり、専門家が刷毛で慎重に慎重に土を払い、そっとお椀をあけてみたら・・・・・・なんと、そこに真っ青な蝶がいたというのです。あっと驚いたのもつかのま、蝶はすぐに変色し、どろっと溶けてしまったとか。

そんな劇的な体験は残念ながらできず、ただひたすらうっかり瓦を壊す日々でした。

ふた月ぐらい働いたでしょうか? 親からの仕送りを使い込んでしまって払えずにいた半年分の学費を納入した瞬間に労働意欲が消え、無為の日々に戻ってしまいました。

2011年3月 6日 (日)

ギブミーチョコレート

自分の考えやことばに自信を持つのは大切なことですが、謙虚さのないのは「やな奴」と思ってしまいます。西欧の人は、神の前での謙虚さがあるはずなのに、他人に対する謙虚さが日本人に比べて希薄なのでしょうか。相手に対して弱みを見せると生きていけなかったような歴史的背景があるのかもしれません。いずれにしろ、傲慢になると、これはまずいでしょう。自分の意見が絶対だと思うことの危険を知らない人が多いようです。

日本人でも、というより日本人はとくに、と言うべきかもしれませんが、正論ゆえに許されると思うことの間違いに気づいていない人がよくあります。「くじらを殺すのはよくない、したがって日本の捕鯨は許されない、日本がくじらをとることを妨害してもそれは正しい行為である、正しい行為であるがゆえに、捕鯨船が損傷を受けたり、日本人乗組員が死亡したりしてもわれわれは許される」という考え方です。この人たちに理屈は通じません。自分たちの言っていることは正しいと思い込んでいますから、自分たちに反対する人はすべて悪なのです。これに類したことを、日本人もやってしまうことが意外に多いようです。たとえば「人権」を持ち出されたら、なにも反論できなくなります。それは、出発点が「正論」だからですね。「くじらを殺すのはよいことか悪いことか」と問われたら、だれも「よいことです」とは言えません。

一時期よく言われた「ことば狩り」など、まさにそれですね。「差別を助長するようなことばは使うべきではない」と言われたら反論できません。それがエスカレートすると、文脈に関係なく、使ってはいけない、とわめきたてる人が出てきます。テレビで「ピー」とはいるのは、使ってはいけないことばが使われたときです。「季ちがいじゃがしかたがない」は、謎解きのポイントなので、さすがにカットはされませんでしたが、使ってはいけないことばなのだそうです。「釣りキチ三平」が許されているのは不思議ですが。

「ことば狩り」を通りこして「漢字狩り」というのもありました。「子供」と書くのはだめだ、というやつです。「お供」を表すことばだから使ってはいけない、ということらしいのですが、どうなのでしょう。「婦」はおんなへんに「ほうき」だから、女性差別だと言い出した人もいたそうです。これには漢字の本場中国出身の作家陳舜臣氏が、この字は、ただのほうきではなく先祖をまつるところを清めるという意味があって、爵位を表すときにも使われたものだから、差別どころか、いい意味を表すんですよ、とやんわりと反論されていました。もちろん、陳舜臣氏はよい意味の字だったら使ってよろしい、と言っているのではありません。悪い意味を表す字だからよくない、というのは、よい意味ならいいんだ、ということでしょうが、それは悪いものを前提としているのだから、その字を使う時点で差別の意識がある、ということになります。要するに、「バカ」は差別だからよくない、と言っていたら、「かしこい」も逆差別で言えなくなる、ということです。こうなると、すべてのことばが使えなくなってしまいます。陳舜臣氏は漢字を愛するからこそ、それこそ漢字を「差別」しないでくれと言っているのでしょう。

あることばを使ってはいけない、と言って存在を否定しても差別はなくならないし、問題自体をないものとして、じつは逃げているだけなのですね。でも、「差別はよくない」という前提からのことばなので、本人は全面的に正しいと思いこんでいるのでしょう。ヒステリックに叫ぶ愚かしさには気づかないものです。そういう人にかぎって、「無洗米」ということばは変だ、米は研ぐものであって洗うものではない、とは言ってくれません。こういうところにこそ、つっこんでほしいのに。また、外来語についても鈍感です。「クレージー」「マッド」「ブラインド」は使ってもおこられないのでしょうか。

外来語で思い出しました。最近「ふらっと系」の発音はどうなったのでしょうか。相変わらずなのか、それとも消えたのか。「ふらっと系」というのは、私が勝手に作ったことばですが、「ドラマ」の「ド」を強く言わずに、全部同じような平坦さで発音するやつです。ジャイアンツの原とかいう人が自分のポジションを「ふらっと系」で「サード」と発音しているのを聞いたとき、ああこいつは長嶋さんとはちがうポジションを守っているのだな、と思って感心しました。「ザード」とか「ビーズ」とか、それまでのカタカナことばとはちがう「ふらっと系」が芸能界で使われだしたのと、「データ」「ディスク」「ファイル」などのコンピュータ関係のことばの平坦化はどちらが先だったのでしょうか。カタカナことばだけでなく、「彼氏」を「枯れ死」としか聞こえないような発音で言う人が出始めてから久しくなりました。さすがに、「スマップ」「嵐」を「ふらっと系」で言うと変なので、これは「伝統的」ですね。何が基準になっているか、聞きたいものです。

テレビでは、関東と関西のちがいもあるかもしれません。関西のニュースで、大阪弁のことばを引用するときに、アナウンサーはやはり「正しい」イントネーションで発音してくれることが多いのですが、このニュースを関東のアナウンサーはどう発音するのかなあ。秋になって「赤とんぼ」が飛び出すと、そんなこともニュースになりますが、正しい発音はもともと「あ」を強く言っていたそうです。その証拠に「夕焼け小焼けの赤とんぼ」はそのアクセントを意識して作曲しています。

「チーム」を「ティーム」と発音するアナウンサーも増えていますね。むかしは「ディスコ」が発音できずに「デスコ」と言っていた老人も多かったようです。「ジャスコ」は言えたのに変ですね。ただ、日本語なのに、外来語の部分だけをそれっぽい発音にしてしまうのは、なんか滑稽です。ひとむかし前のDJの突然英語ですね。日本語でおしゃべりしていたのが、曲名と歌手名だけが英語になってしまう気恥ずかしさ。最初はおおっと思ったものでしたが、いまどきやっているのを聞くと、ギブミーチョコレートを思い出します。といっても、そんな時代を直接知ってはおりまへん。

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