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2019年12月の3件の記事

2019年12月22日 (日)

冬眠します

このブログで告知し続けていた教育講演会がすべて終了しました。お越しくださったみなさまありがとうございました!

で、・・・・・・この「くださった」なんですが、ちょっと前にテレビを見ていたら、何かの番組でインタビューされた方が「××が・・・してくださった」と言っていたのに、字幕(?)が「××に・・・していただいた」となっていたことがありました。ぼんやり見ていた私ですが瞬間的に激怒し、家の者に「どう思う? あかんやろこれ!」と同意を求めて面倒がられました。でも、あかんと思います。だって、主語がかわってるじゃないですか。主語がかわっていても、そこで表現されている〝事態〟は同じなんだからいいでしょとおっしゃいますか? 何ということを。主語がかわってるということは、語り手がスポットライトを当てている人物が、別の人物にすり替わっているということなんです。素人劇団とはいえ舞台の演出をしていたこともある私としては看過できません。次のような文をヒグマが発言しているところを想像してください。

(1) N川和T先生が私に新巻鮭をくださった。

(2) 私はN川和T先生に新巻鮭をいただいた。

この二つの文は同じでしょうか? 確かに表している事態=事実は同じなのです。でも、これらの文にこめた語り手の気持ちはちがうのではないでしょうか。だって、(1)と(2)では、主役がかわっているのです! 舞台において主役が誰かは重要な問題です。いや、そこは重要な問題ではないのだという演劇があってもいいとは思いますが、一般的には、特に宝塚歌劇では、主役あるいは主人公がだれかは大きな問題です。(1)は、N川和T先生を立てる表現であり、(2)は、ヒグマである「私」の立場からいわば感謝を気持ちをにじませる表現です。どちらもまちがいじゃないし失礼でもありませんが、勝手に変えたらダメですよね?

すいません、何の話をしたかったのか思い出しました。教育講演会にお越しくださったみなさまにお礼を申し上げたかったのです。

敬語は難しいですね。私は仙台時代に(*西川の仙台時代については、「もりそばとざるそば」「バブル時代」などをご参照ください)官報販売所でアルバイトをしていたことがあるのですが、そこの所長さん(当時75歳)の敬語がきれいで憧れました。「荒城の月」で有名な土井晩翠の遠縁にあたる方で、あまりにも達筆すぎるため(?)領収書や請求書その他の文字が読めるのは奥さんだけだと言われていました。私も、配達先の人に「お宅の所長さんは達筆すぎて何書いてるのか読めないよ~」と言われたことがあり、若かったためそのまま所長さんに伝えて「何を無礼な!」と激怒させてしまいました。この「無礼な」にも痺れました。いまどき「無礼」なんて言う人いないよなかっこいい~、と思いました。そういうちょっと古風な言葉づかいが好きなんです。中学生の頃から(関西人にもかかわらず)「君たち」「・・・したまえ」なんて言って、気味悪がられていました。今でも宿題プリントのコメントにそういう言葉づかいで書いてるときありますね。気持ち悪がられていたらつらいなあ。

すいません、何の話をしたかったのか今一度思い出しました。教育講演会にお越しくださったみなさまにお礼を申し上げたかったのです。でもすぐに話がそれてしまいます。講演も終了したことですし、あとは入試に向けて邁進するだけです。小6の諸君、がんばりましょー。そしてもし今これを読んでくれている小6生がいるならば、伝えたい言葉がある! そう君だ、君。 

ブログ読んでないで勉強したまえ!

2019年12月15日 (日)

このアンケラソ!

三国志演義の登場人物には架空のものも結構いるようですが、実在の人物とまぎれてしまって、てっきり実在したと思い込んでしまうこともあるようです。関羽の子とされる関索や関羽の子分の周倉なんて有名ですが実在の人物ではないらしい。光源氏はもちろん架空の人物ですが、モデルはいたようです。「源光」というのは単に名前が似ているだけで、この人の可能性はゼロ。有力なのは源融です。嵯峨天皇の子ですが、皇位継承権は与えられませんでした。その点でも光源氏と共通していますし、さらに融は美男子という評判も高かったようです。もう一人、醍醐天皇の子、源高明も有力視されています。母親が「更衣」という身分で、やはり皇位継承権がないという点では光源氏と同じです。ある人相見に、これほどの貴相は見たことがないと言われたとか。ただ、その男は高明の背中を見て、将来左遷されるだろうと言ったそうな。『今昔物語』に、高明が自宅にいたとき、柱の節穴から子供の手が出てきて、しきりに差し招くという怪異が起きたという話があります。なかなか怪異は止まず、矢で穴をふさぐとようやくおさまったのですが、まもなく起きた安和の変で高明は失脚します。地方へ左遷されたという点でも光源氏と重なります。

安倍晴明のライバルの蘆屋道満も芝居の敵役として脚色されて、おそらく実在の人物とは相当ちがうイメージのものになっているのでしょう。小説のイメージや史観の影響で、大物のイメージも相当変わります。足利尊氏や水戸光圀など、その典型です。NHKの『歴史秘話ヒストリア』で信長は超まじめだったというのをやっていました。資料をていねいに読むと、信長は足利義昭に忠義を尽くしたのですが、まじめすぎて融通がきかないために、義昭と対立することになったとか。坂本龍馬だって、みんなが知っている竜馬は司馬遼太郎によってつくられたもので、実際に会ったらいやなやつだったかもしれません。逆に土方は写真を見ても陰険な感じが全くなく、むしろプラスイメージを与えられます。イケメンは得ですよね。沖田総司は醜男だったらしいのに、人々のイメージでは完全に草刈正雄です。剣の腕前も実際はどうだったのでしょうね。居合いの達人は現代でもいて、テレビでやっていました。頭の上にのせたきゅうりを横に切る、なんて、ウィリアムテルかと突っ込みたくなります。時速160キロのボールを真っ二つに切っていました。動体視力がすごいのでしょうね。

宮本武蔵と塚原卜伝はどちらが強かったのか、いろいろな考え方がありそうですが、年齢なども考えて同一条件で戦わないと、なかなか一概には言えません。トラとライオンはどちらが強いか、というのも同じ条件で一対一なら体の大きいトラに歩がありそうです。マングースとハブでは「99対1」の勝率でマングースの圧勝。とはいうものの負けるやつもいるということです。個体差ですかね。へぼいマングースもいるのでしょう。外来生物と日本の在来種ではどうも日本固有のもののほうが弱いようです。外国のものに比べると、どうやら日本の生き物全部がひよわな感じですな。「和をもって貴しとなす」という聖徳太子の思想が動物にもおよんでいて、闘争することをきらうのでしょうか。

聖徳太子は教科書で厩戸皇子という名に統一するとかしないとかもめていましたが、「定説」というのは意外に変わりやすいものです。鎌倉時代は1192年で「いいくにつくろう鎌倉幕府」と覚えたのに、いつのまにやら1185年になっています。健康に関する話も昔と今ではかなり変わっています。運動中に水を飲んではいけなかったのに、今は飲まなくてはいけないと言われます。ウサギ跳びやスクワットもダメと言われるようになりました。コレステロールはダメ、と言っていたのが、悪玉だけでなく善玉もある、とか。何が体によいのか、でさえそうなのですから、時代による価値観の変化はやむをえないのでしょう。明治のころなら、立身出世が多くの人の夢であり、「末は博士か大臣か」という発想もありました。「博士」や「大臣」がえらい人の代名詞だったのですね。この「大臣」ということばも、いかにも古くさい。次官の上なのだから、すべて「長官」に変えてもよいでしょう。「総理」はそのまま残すにしても、「大臣」はつけなくてもよいかもしれません。「大蔵省」も「財務省」になって、由緒ある名前が消えました。これらのことばはなにしろ律令以来ですから。

昔の日本では、だいたいの役所は四つの地位に分けられたようです。四等官が「さかん」で、その上が「じょう」、その上が「すけ」で、トップが「かみ」です。あてる漢字はさまざまで、同じ「かみ」でも「督」であったり「守」であったりします。名字で「目」と書いて「さっか」とよむ人がいます。これは「さかん」にあてられた字だからです。「左官」と書くと「補佐官」という意味になるので、ひょっとするとそこから来ているのかもしれません。木工寮の「さかん」は「属」と書きますが、壁塗りなどもしたはずですから、その仕事はまさに「左官」ということになります。「尉」を「じょう」と読みますが、これは音訓のどちらでしょう。「丞」の字をあてることもあるところから見ると、音読みのようですが…。他の「かみ」「すけ」が和語なのに、「さかん」は意味不明、「じょう」は音読みっぽいのが不思議です。ただ「丞」には助けるという意味があるので、「すけ」「じょう」「さかん」はすべて、「かみ」を助ける役職ということかもしれません。

「左衛門尉」と言えば、有名なのが遠山金四郎景元ですね。本当に名奉行だったわけではなく、「妖怪」こと鳥居耀蔵との対比でつくりあげられたイメージのようです。「検非違使尉」というのもありました。別名「判官」で源義経の役職です。九郎判官義経で、落語『青菜』の中にも出てきます。さるお屋敷の旦那が仕事をしている植木屋に酒をふるまい、青菜を食べさせようと、奥さんに声をかけると、「鞍馬から牛若丸がいでまして、名も九郎判官」と言われます。旦那は「義経」と答えるのですが、「菜は食べてなくなったので、『菜も食ろう』」「よしにしておけ」という隠しことばでした。感心した植木屋は長屋に帰って女房に話しているところに、友達の大工が風呂にさそいに来ます。旦那のまねをしようと、植木屋は酒をすすめ、「ときに植木屋さん、あなたは菜をおあがりか?」「植木屋はおまえや」「菜をおあがりか?」「嫌いや」それでも何とか説得して食べさせることになり、手を叩いて女房を呼ぶと、押入れから汗だくの女房が出てきます。「鞍馬から牛若丸がいでまして、名も九郎判官義経」全部言われてしまうんですね。困った植木屋は、うなった末に「うーん、弁慶」というオチ。義経と言えないから、代わりに「弁慶」と言ったのでしょうが、「立ち往生」というニュアンスもありますし、大阪ではひとにおごってもらうことも「弁慶」と言ったので、それもあるかも。

2019年12月 4日 (水)

バブル時代

最近めっきり音楽を聴かなくなりました。こんなことでは遺憾、「ノーミュージック、ノーライフ」だと思って、久しぶりにウォークマンに(バブル時代に大学生だった私はiPodとかではなく、ウォークマンに思い入れがあるのです)充電し、音楽を聴こうと思ったら、壊れてました。先日、大台ヶ原に登った話を書きましたが、そのときのことです。山小屋で雑魚寝するときにオヤジたちの(わたしもオヤジですが)いびきに苦しめられることがあるので、いびき対策にウォークマンを持っていこうと思ったら壊れてたんです。

バブル時代に大学生だったと書きましたが(こんなこと書くと年齢がばれてしまいますね、全然かまいませんが)、私は当時仙台に在住していたこともあって、バブルというのがぴんときていませんでした。なんせ時給500円のうどん屋で出前持ちやってたぐらいです。いや、いくらなんでも、当時の仙台でも時給500円は安かったんですが、そこでずっと働いていた友だちが、確か舞台照明の手伝いか何かで何ヶ月かニューヨークに行ってるあいだ代わりにやってくれと頼まれたんじゃなかったかしら、あまりはっきり覚えていませんが、そんな感じでした。ちなみに、その友だちがニューヨークから帰ってきたとき、盛大に居酒屋で歓迎会的なことをやったのですが、おみやげがひよこまんじゅうだったことに驚愕した記憶があります。それはともかく、そのうどん屋でわたしは納豆が食べられるようになりました。賄いで納豆うどんが出るんです。で、こちらは常に欠食児童状態なので、いやでも食べる。すると結構うまい、というわけです。そのうどん屋は仙台にはめずらしい手打ちうどんの店で本当においしかったんです。そのおかげもあると思います、納豆が食べられるようになったのは。で、何年前でしたか、恩師の古稀のお祝いがあると聞いて仙台まで行ったときに、懐かしくてそのうどん屋を訪ねたら(店は移転していました)、もう手打ちはしてなくて冷凍うどんつかってるんだ、とおっしゃっていました。移転した先の客層に合わせて、ということらしいのですが、何だか少しさびしいような気がしました。この仙台行は震災前でした、とても良い思い出になっています。うどん屋のご夫婦が、わたしのことは覚えていなかったにもかかわらず、わたしの友だちのことは覚えていてくれたので(わたしよりはるかに長く働いていたので)、ああ〇〇ちゃんの友だちなの、ってうどんと親子丼をごちそうしてくださったのもしみじみしましたし、恩師が僕のことを覚えてくださっていたのにはまことに驚愕しました。「西川くんか、西川くんな、きみはとちゅうから演劇にはまってしまって学校にも来なくなってなあ」と言われたんです。学究肌の先生で学生のことなんかあまり眼中にないんだろうと勝手に思いこんでいたのですが、とんでもなく浅はかな見立てだったんだとわかり、自分はほんとうに人のことがわかっていないと恥じ入ると同時に感激しました。その後震災がありました。かつてわたしの女友だちだった人の実家があったあたり、たぶん津波で壊滅したと思います。わたしがよくぼんやりと焚火をしに行っていた海岸のある、閖上という港町も津波で根こそぎ更地のようになりました。その港町でよく行っていた中華料理屋も。

徒然なるままにそこはかとなく書いているとあやしうこそものぐるほしけれですね。

そうそう、バブルの話をしてたのでした。バブル時代に学生だったという話です。「トリップ・トゥー・ワンダーランド マハラジャ」なんてコマーシャルやってたころですが、わたしには関係のない話でした。いや、一度だけ、当時「ディスコ」と呼んでいましたが、行こうとしたことがあります。文ゼミのメンバーとです!(文ゼミについては「もりそばとかけそば」をご参照ください。) そのときわたしは下駄を履いていました。おまけにどてらを着ていました。そして、男ばっかり5、6人でした。そしたら入店拒否されました。当たり前ですね。というわけでバブルとは縁のない日々でしたが、たしかに、企業からの会社案内みたいなのは毎日毎日山盛り配達されていました。そんなものかと思ってましたが、就職活動するでもなく卒業するでもなく、なめくじのような毎日を送っていたら、ある日バブルがはじけ、それっきり企業からの郵便は一切来なくなりました。そして、それからしばらくして、そろそろ就職しようかなと考えるようになりました。もう最悪です。

待てよ、そもそもバブルの話ではなく、音楽の話でしたね。そうなんです、「ノーミュージック、ノーライフ」です。もうすぐ2019年も終わりますが、今年じぶんはどんな音楽を新しく知ったかなと思うとちょっとお寒くなります。中山ラビの「その気になってるわ」ぐらいですかね。うわあ、古い。中山ラビに反応できるのは、希学園国語科では山下正明先生ぐらいです。実はもう希学園国語科で僕より年上なのは、山下正明先生と矢原先生だけなんですね。見た目は若い(客観的に見てそうだと確信しています)僕ですが、実はオヤジだったのです。Y田M平先生より山下T充先生より年上なのです。矢原先生はわたしより年上ですが、中山ラビのことは知りますまい。わたしは自分よりひとまわり上の世代のものが好きなので、けっこういろいろ知っているのですが。

さて、先月末に始まった国語の教育講演会も残すところあと1回となりました。12日(木)の西宮北口プレラホールです(塾生の方用に翌日も西宮北口教室で実施させていただくことになりました)。上本町のたかつガーデン、四条烏丸教室は何とか無事に終えることができました。ありがとうございました。いつもどきどきしながらアンケートを読ませていただいていますが、あたたかいお言葉が多くてほんとに感激してます。そういえばお芝居をやってたころもアンケートをどきどきしながら読んでたなあと思い出します。

ん? 教育講演会? 申し込んだけど忘れてたわ、という方がいらっしゃいましたら、ぜひ申し込まれたときの熱い気持ちを思い出して、めんどうを厭わずお越しいただければ幸いです。

いつもいつもほんとうにありがとうございます。

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