2011年8月13日 (土)

クリビツテンギョーイタオドロ

河童の好物といえばキュウリで、キュウリを巻いた寿司はカッパ巻きです。では、なぜ河童はキュウリを好むのか。河童は水神の落ちぶれた姿でした。ところで、祇園の八坂神社はスサノオノミコトをまつっていることになっていますが、実はインド起源の牛頭(ごず)天王だとも言われています。牛頭天王も水神なのですね。そして、八坂神社の紋章が「木瓜」です。織田信長のところと同じです。「もっこう」と読むのですが、訓読みすれば「きうり」であり、キュウリの切り口にも似た形の紋章です。祇園祭のときにはキュウリを食べないという風習も、紋章に似たキュウリを食べるのはおそれ多いということだったのでしょう。ということで、河童→水神→牛頭天王→祇園→木瓜→キュウリとなったのですな。祇園というのは不思議な神様で、古代イスラエルの宮殿のあったシオンの丘が名前の元になったという、トンデモ説もあります。たしかに、山鉾の絵模様を見ても、ラクダやライオンとかピラミッドなんかが描かれていたりして国際色豊かです。

狐の好物の油揚げも、こういう「こじつけ」があります。油揚げに包まれた寿司は「いなり寿司」です。単純に油揚げの色と狐の色が似ているからとも言われますが、それではおもしろくない。稲荷の神様は、御食津媛(みけつひめ)で、この「みけつ」に「三狐」の字をあてたところから稲荷の使いが狐になったそうな。ところが、祇園と同じように、稲荷神社の神はインドの荼枳尼(だきに)天だとも言われています。もともとジャッカルにまたがっていたのが、日本にはいってきたときにはジャッカルは日本にいないものだから、狐ということにしたとか。いずれにせよ、稲荷と狐が結びつきました。で、大昔は荼枳尼天を奉じる修行者はネズミのフライをお供え物にしていたそうですな。この荼枳尼天が、のちに殺生を禁じる仏教にとり入れられた際に油揚げで代用したとかいうことで、狐と油揚げがつながってくるわけです。

ここまでややこしくなくても、世の中には「つきもの」というのがあります。梅に鶯、鹿に紅葉、獅子に牡丹、猪に萩……。花札の絵柄です。竹に雀もそうですね。雀のお宿は竹藪の中にあります。ところで舌切り雀をもじって「着た切り雀」ということばが生まれました。一度着たら、なかなか着替えないのを「いっぺん着たら着たきりやな、着たきりスズメか、おまえは」という、いわばだじゃれです。本来「スズメ」の部分は余分ですが、これがあることでだじゃれであることがわかります。「感謝感激雨あられ」も「乱射乱撃雨あられ」のだじゃれです。これとちょっと似ているものに、あることばが終わったあと、なんとなくものたりないので、だじゃれでつないだことばを無理矢理くっつけるというパターンもありますね。「驚き桃の木山椒の木」とか「ああうまかった牛負けた」とか、古いところでは「その手は桑名の焼きはまぐり」というのもあります。「何か用か九日十日」や「そんなこと有馬温泉」なんてのも一昔前の漫才でよく使われていました。寅さんも「結構毛だらけネコ灰だらけ○○のまわりは○○だらけ」「たいしたもんだよ蛙の小便」と言っていました。蛙の小便は田んぼにするので「田へしたもんだよ」から「たいしたもんだよ」になっていくんですね。「あたり前田のクラッカー」というCMは知らない人が多くなっているのだろうなあ。

こういうことば遊びの中では「アナグラム」というのがあって、私は結構好きですネコ灰だらけ。アナグラムというのは、ことばの文字を入れ替えて別のことばにする遊びです。「田中角栄」の「たなかかくえい」を並べ替えて「ないかくかえた」「内閣変えた」にするというやつですな。最近見たものでは「鯛に琵琶湖を破壊させよ」というのがありました。あることわざのアナグラムです。「させよ」がそのまま残っているのが難ですが、出来としてはなかなかのものです。「せこいつまだ」「ごみ拾う」という歌手、になると、もはやどちらも古典的名作と言えます。「阿藤快」と「加藤あい」もアナグラムの関係ですね。「ともさかりえ」は歌手として出るときには「さかもとえり」と名乗っていたような気がします。福永武彦という作家がいました。怪獣映画『モスラ』の原作者でもあり、やはり作家の池澤夏樹のお父さんでもあります。この人がアナグラム好きで、探偵小説を書くときに「福永だ」をアナグラムにして「船田学」というペンネームにしようとして編集者に怒られたと言います。それでも性懲りもなく、「加田伶太郎」というペンネームにしました。「かだれたろう」は「たれだろうか」つまり「誰だろうか」のアナグラムです。主人公の探偵の名前は「伊丹英典」で「いたみえいてん」、これは「名探偵」をローマ字で書いたものをアナグラムにしています。こんなふうにアルファベットを並べ替えるのが本来のアナグラムでしょうが、複雑になると、元のことばがまったくわからなくなります。元のことばの感じがなんとなく残っているのがオシャレです。

森田さんが「タモリ」になったり、「小樽」のケーキ屋さんが「ルタオ」になるのは、アナグラムというより、さかさことばです。手塚治虫のジャングル大帝にも「ルネ」と「ルキオ」という双子のライオンが出てきましたが、「ねる」と「おきる」のさかさことばです。「いじめる」のを「かわいがる」と言うのも「さかさことば」ですが、それとはちがって、「たね」を「ねた」、「しろうと」を「とうしろう」、「やど」を「どや」、「ばしょ」を「しょば」というふうに、ことばの順をひっくり返すものです。芸能界や「やっちゃん」業界の人がよくやるやつですね。「うまい」が「まいうー」になるのは有名です。「ちゃんこなべ」が「べなちゃんこ」になるのは、西宮出身の芸人夙川アトムが「ねた」でやっていました。「ゲンをかつぐ」は「縁起→ぎえん→げん」だし、「ポシャる」は「かぶとをぬぐ→シャッポをぬぐ→シャッポる→ポシャる」です。「プテキャン」は焼き肉らしい。「焼き肉→朝鮮→船長→キャプテン→プテキャン」という流れで、こういうのは何を言っているのか一般人には知られたくないという、一種の暗号みたいなものなのでしょう。「クリビツテンギョーイタオドロ」はハリーポッターの呪文ではありません。

2011年8月 4日 (木)

鉢巻きの色は青

機械的に暗記しようとしてもなかなかうまくいかないので、語呂合わせにたよることになります。ただ、語呂合わせでも意味の上でもなるほどと思えるようなものは忘れにくいようです。「なくようぐいす平安京」「いいくにつくろう鎌倉幕府」、「いごはなみだの室町幕府」はなんとなく納得ですが、「奈良の納豆」はイマイチです。本能寺の変の「いちごパンツ」ぐらいになればインパクトがあるので悪くはありませんが。

英単語でも、「集中する」という意味の「concentrate」が、「con」が「ともに」の意味であり「ate」が動詞化する働きをもち、まん中が「center」であることがわかれば、「センターに集める」つまり「集中する」であることが納得できます。こざとへんは「阜」がもとになっています。中国の周のホームグラウンドである「岐山」から借りてきて信長が「岐阜」と名付けたのですから、「阜」の意味は「山」です。そこで、こざとへんの字は土のもりあがったところを表し、一方おおざとは「邑」の変形で、これは「むら」ですから、人の集まるところを表します。さんずいは「水」ですが、にすいは「氷」で、「冬」や「寒」の下の部分はもともとにすいでした。そういったことをしっかり納得して覚えれば二度と忘れることはありません。

とはいうものの、世の中には物覚えの悪い人もいるようで、落語の「くっしゃみ講釈」は、胡椒を買いに行くのに「のぞきからくり」をやる話です。どこに何を買いに行けばよいか、どうしても覚えられないので、「のぞきからくり」の「八百屋お七」を思い出せ、と言われるのですが、さあ、いまどきの人は「のぞきからくり」も「八百屋お七」も知らんのでしょうなあ。こんなことを言うと、おまえは何時代の人間やと言われそうですが……。のぞきからくりというのは、レンズのついた穴があいている箱です。それをのぞくと中に錦絵を描いた板がつってあり、節をつけた語りにあわせて引き上げたり降ろしたりして場面をかえながら物語っていくという、古くさーい見世物です。八百屋お七は、江戸時代の大きな八百屋の箱入り娘で、江戸の町が大火事になったときに避難した駒込吉祥寺の小姓に一目惚れします。再会するためにはまた火事にならねばならないと思い込み、放火して捕らえられ火あぶりにされました。井原西鶴の「好色五人女」にも描かれています。……ということで、お七の相手は寺の小姓ですから、「胡椒」を思い出す手がかりになるのですが、結局思い出せず、八百屋の店先でのぞきからくりの語りをえんえん繰り広げることになります。「小伝馬町より引き出され、ホェー、先には制札紙のぼり、ホェー、同心与力を供に連れ……てなもん、おくれ」「そんなもん、おまへんわ。」「ホェー」「またかいな、この人」「はだか馬にと乗せられて、ホェー、白い襟にて顔隠す、ホェー、見る影姿が人形町の、きょうで命が尾張町……てなもん、ちょっとおくれんか」と、さんざんやって「売り切れ」と言われるんですね。八百屋のおっさんに「あんた今時のお方やおまへんな」と言われます。帰ると、「八百屋のおっさんわろてたやろ」と言われ、「ほめてたで、あんた今時のお方やおまへんやろ言うてた」という、ばかばかしい話で、このあたりは是非とも桂枝雀で聞いてください。

ところで、八百屋お七はそのあとの裁判で、奉行が命だけは助けてやろうと考えます。十五歳以下なら罪が減じられるので、「おまえは十五歳だな」と言い含めるように言うのですが、お七は「いいえ、私は丙午年生まれの十六歳」と言ってしまうのですね。では、なぜお七は丙午でなければならないのか、そしてなぜ丙午はよくないとされるのでしょうか。前にも書いたような気もしますが、十二支を右回りの円に配分してみるとわかります。子を上に午を下になるように書いて、これに東西南北をあてはめます。北を子、南を午とすれば、北と南をつないだ線を子午線と言う理由がわかります。さて、この東西南北にはさらにいろいろなものがあてはめられます。東には春・青・竜、南には夏・赤・おおとり(朱雀)……というように。まん中には無理矢理黄色をあてはめます。これに宇宙を構成する五つの要素、木・火・土・金・水を強引にあてはめると、まん中を土にして、北は水、南は火ということになりました。つまり、午は火なのですね。「丙」は「火の兄」つまり「火」のプラス(陽)ですから、丙午は火が重なることになります。そこで、この年生まれの人は激しい気性の持ち主ということになり、とくに女の人は男を食い殺すとまで言われたのでした。お七は放火犯でもあり、まさに丙午の代表とされたわけですが、そんなの迷信だろうと思いきや、昭和四十一年の出生率が低かったのは、その年が丙午だったからです。

ところで、南の午を頂点として、寅・戌を結ぶ三角形を火へ向かうグループと見ると、その逆は、北の子を頂点とした辰・申とのトライアングルになります。辰は水神ですから、水の神様でありながら、ねずみのような顔をして、猿のような姿をしたものがこのトライアングルから浮かび上がります。そう、河童です。なんと十二支に河童が隠れていたんですね。こいつは当然、水のグループということになります。川辺に水を飲みに来た馬が小さな河童が引きずり込まれるのはそのためです。なぜなら馬は火であり、河童は水でしょ。水は火に勝つじゃないですか。消すことができるんですから。同じように、水に勝つのが土で、土に勝つのが木で、木に勝つのが金で、金に勝つのが火ですね。また、木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生むとも言われます。たとえば、漢帝国をつくった劉邦は赤龍の子と呼ばれていたので、赤にあたる「火」から漢は「火の徳」の王朝とされました。やがて漢が衰えたころ、黄巾賊というのが出てきました。火は土を生むのですから、漢王朝の次の時代を支配する者は、土に相当する「黄」が目印になるはずです。だから黄色い布を頭に巻いたのだ、……という説があります。希の塾生が青い鉢巻きをするのにも、何か意味があるのかなあ。

2011年7月24日 (日)

パワースポットはもう古い、これからはパワーアニマルの時代!(光年のかなた⑤)

先日テレビを見ていたらイノシシにケガをさせられた方のことが報道されていました。また、その数日後には不運にもクマにおそわれた方の報道もありました。

いや、実は、私もクマに遭遇したことがありましてね(ちょっと自慢)。しかもあのヒグマ。ホッキョクグマ・グリズリーに続いて世界で3番めにでかいクマ、ヒグマです。

あらかじめお断りしておきますが、クマ牧場や動物園で遭遇したというようなはしたないオチではありませんよ。

20××年7月に北海道の大雪山を縦走したときの話です。

例によってといいますか、いろいろひどい目にあっているにもかかわらず、そのときも私はまたテントを担ぎひとりで山に入ったわけです。

北海道の山といえば、ヒグマとキタキツネが怖いですね。キタキツネが怖いというのは、あれです。エキノコックス。ご存じですか。潜伏期間10年、生存率30%ともいわれる悪魔のような寄生虫です。キタキツネちゃんのうんちを介してこの寄生虫の卵が水場を汚染している可能性があるので、テント場で汲んだ水は必ず煮沸して利用します。めんどくさがりで、山にいるとどんどん汚いのが平気になっていく私もさすがにこまめに煮沸しました。

ちなみにそのキタキツネちゃんにも会いました。山に入った初日に、登山道を普通にてくてく歩いておりてきたんです。ひどく目つきの悪いキタキツネで、僕の方がぎくっとしてしまい、立ち止まって息を殺していたら、じろりと僕を一瞥して足もとを通り過ぎていきました。怖かった~。あれは不良ですよ不良。キタキツネの好きな食べものを持っていたらカツアゲされたにちがいありません。

さて、ヒグマです。

キタキツネに脅された翌日はひどい雨と風で、寺山修司の『田園に死す』に出てくる恐山みたいな荒涼とした道を半泣きになりながらひたすら歩くはめになりました。よく見ると高山植物がたくさん咲いているんですが、山は何もかもお天気次第です。晴れていたら、この世のものとは思えないほど美しい、楽園のような世界になりますが、雨風が強いと、この世のものとも思えないほど陰鬱な、冥界のような場所になります。

で、その次の日です。その日はわりと長丁場といいますか、長時間歩く予定になっていましたが、前日とちがって天気がまずまずだったので、夜明け前にテント場を出て、目的地のトムラウシ山(えーと、一昨年でしたか、遭難で、確か8人?亡くなられたところ)をめざし、調子よくルンルン歩いていました。

僕は歩いていて人に抜かれるのがすごく嫌いです。後ろから人の気配が近づいてくると、むきになってスピードを上げてしまうタイプです。車を運転しているときはホイホイ道を譲るんですけど。

ところが、その日は、歩き始めてすぐに背の高い男性が近づいてきて、ちょっと対抗する気にならないぐらい速かったものであっさり道をあけました。ザックのふくらみ具合から判断して、テント泊ではなく小屋泊まりらしかったので、「しょうがないさ、荷物の重さがちがうんだ」と自分をなぐさめつつ。

その後数時間だれにも会わず、いかにもヒグマの出そうな風景のなかを、クマよけの鈴をちりんちりんと鳴らし、ときどき「ヒグマちゃん来ないでね~」と叫びながら、快調に歩き続けました。

いくつかピークを越えてその日の行程の半分を過ぎたあたりでしょうか、先ほど僕を追い抜かしやがりなさった男性が戻ってきたのです。ちょっと不思議でした。ピストンするようなピークはこの先にはないはずです。まさかトムラウシまで行って戻ってきたはずはないし・・・・・・と思いつつしばらく歩くと、

いたのです、奴が。

雪渓を100メートルほどトラバースした先の登山道付近でした。食べものをさがしているふうで、鈴をちりんちりん鳴らしてもまったく気づきません。

くそう、これか。こいつに気づいて引き返したんだなあの野郎、何で俺に教えてくれねえんだ!

そう、これは本来ならば大急ぎで引き返すべき場面です。100メートルの距離なんて、本気でヒグマさまが向かってきたら逃げ切れません。

しかし僕には予定があるのです。俺は今日中にトムラウシのテント場に行ってビールを飲みたいんだ!

そこでさらに激しく鈴を振るのですが、まったく無視。

で、私は勇敢にも雪渓を踏んで少し近づいてみることにしたわけです。鈴を鳴らしながら。

えーと、くり返しになりますが、これはほんとうは決してやってはいけないことです。Y田M平氏いわく、「ヒグマに遭遇した時点で遭難です」。

でもそのときの私はなんだか大丈夫な気がしたんですね。まあ、なんとかなるやろ、行ってまえ、てな感じです。

ところが奴は全然気づかないのです。そのうちガスが出て、まったく視界がきかなくなってしまいました。さすがに無謀な僕もこのまま前進する気にはなれません。登山道にたどり着いてガスが晴れたらそこに奴がいた、なんてことになったら一巻の終わりです。

いったん雪渓の手前まで戻り、ガスが晴れるのを待ちました。

ものの数分でガスが晴れてみると、奴の姿が見あたりません。さっきの動きからみて、ちょいとそのへんのブッシュの蔭に入っているだけだろうとは思ったんですが、姿が見えないとなんとなく気が大きくなってしまうものですね。

よし、行こう!

と僕はすばやく決心しました。

一応、小石を三つ拾って手に握りしめました。(万が一奴が襲いかかってきたら、わしの剛速球を鼻にぶつけてそのあいだに逃げよう)という綿密な計画を立てたのです。さらに、

鈴の音が小さくて役に立たんから歌をうたいながら行こう! 歌が聞こえたら奴の方が逃げてくれるにちがいない!

という緻密な計算をしました。もちろん歌は『森のクマさん』です。

ちょっと想像してみてください、大の大人が、「ある日森の中クマさんに出会った~!!」とわめきながら歩いているところを。しかし笑いごとではありません。僕としてはかなり命がけです。

しかし『森のくまさん』はいかにもまずかった! なんと一番が終わったところで歌詞がわからなくなり、パニックに。

うたっていないと奴が来る! うた、うた、何かないか、かんたんな歌詞の! なかなか終わらないやつ! そ、そうだ、あれがあった!

というわけで、次に選択したのが、『やぎさんゆうびん』です。これならエンドレスでうたえます。

もう間奏抜きで、必死のパッチでうたいまくりました。たぶん60番くらいまでうたったんじゃないかと思います。3番くらいですでにしろやぎさんの番だかくろやぎさんの番だかわかんなくなっていましたが、とにかく目論見どおり、休むことなくうたいつづけることだけはできました。

少し見晴らしのいいところまでたどり着いて、ふと振り返ると、登山道から少し離れた斜面に奴がいました。僕の方をじっと見ていましたが、僕と目が合うと、山襞の向こうにのっそりと消えていきました。

う~・・・・・・かっこいい!!

僕がそのとき感じたのは恐怖ではなく、感動です。なんて大きいんだ、ヒグマ。なんてかっこいいんだろう!

ヒグマが神の使いってのはほんとだな、と思います。

単に僕の出会ったヒグマがかっこよかったから言うのではありません。

奴に会ったあと、私はちょっとした神がかり状態になったんです。

ガスが濃くなってうっとうしいなあと思うでしょ、しばらく我慢しているんだけど、だんだんげんなりしてきて「晴れてくれよな」とつぶやくと、2秒で晴れるんです。そういうことが何と3回連続で起こったんですねえ。

これはもう神がかりだ、ヒグマさまのパワーにちがいない!

とうかれた私は、ここを先途と、次から次へとお願いごとをしてみました。

そういうことをするとだめですね。あっという間に神通力が薄れてしまいました。お調子者はだめです。

ま、なんにせよ、無事に下りてこられてよかった~と今は思います。

大雪山におけるヒグマの密度は、本州の山におけるツキノワグマの密度よりかなり高いと思います。下山中にも樹皮についた爪痕や糞を見ました。

というわけで、昨今はパワースポットブームとかいって、あっちこっちで宣伝しているみたいですが、ヒグマさまのパワーにはなかなか叶うまいと思っているのであります。

そういえば仙台にもパワースポットといいますか(当時はそんな言い方なかった)、心霊現象の起こる場所みたいなところがありました。

知る人ぞ知る自殺の名所、八木山橋です。

遊園地や動物園のある八木山と青葉城のある青葉山のあいだにかかっている高い橋で、橋の下は「竜の口渓谷」と呼ばれており、化石がとれるので有名な場所でした。

自殺の名所という不名誉な称号を冠せられていたため、金網の高さが3メートルぐらいありました。はじめて橋の上に来たとき、「この金網にわざわざのぼって、そして飛び降りる人がいるんだ」と考えて、なんだか悲しくなったことを覚えています。でもその後、金網が丸く切り取られているのを見て、ますます何とも言えない気持ちになりました。

わざわざペンチ持って来たんだ。夜中に。自分を投げ捨てるために。

そう思ったんです。

この橋の近くの道を夜遅く歩いていたとき、木の下にぶらさがっている人影らしきものを見て震え上がったことがあります。

バス停でした。

おどかすんじゃねえ、バス停!

2011年7月14日 (木)

専門用語

ことばは日々新しいものが生まれて消えていきます。

特に、今のような高度情報化社会では、ことばの「新陳代謝」は目まぐるしいスピードとなるわけです。

なんだか国語の教材に出てくる論説的文章のような始まり方ですが、今回も私らしく、「ベタな」読み物となることを許してください。

「ナントヵちゃんねる」なる某有名ネット掲示板でも、「新語」が生まれては消えていくようです。

ことばを扱う仕事に携わる者としても、興味は尽きないので、

「◎◎しますた」「~ですが何か?」「◎◎乙」「orz」「㌧クス」など、新しい「表現」?を見つける度に、

これは流行りそうだな~とか、これはさぞ短命であろうことよ、それみろ云々などと一人で予想をしています。

その昔、私が中学生の頃、「初歩のラジオ」という雑誌があって(今は残念ながら休刊となって久しい)、田村正和や別所哲也が持ってくる食べるハムとは根本的に別の無線のハムや、電子工作など、硬派なお宅(あえて漢字で書きたい)の雑誌としてお宅界に君臨していたかと思います(あくまで私の見解です)。

近所の高専出のお兄さんにどさっと古い「初歩のラジオ」を何冊ももらい、活字に飢えていた私はすっかり「初ラ」読者に。最初のページから私の知らない理系用語?が続出で、あたかも高校の理科研究会に見学者として参加したような、うかつに変なことを聞けないような、それでいて自分も奥深い世界に入っていく予感のする「わくわく」を今でも思い出せます。

どうも理系の方々には「あ、それを聞く人なの」「その質問は愚問だな」「そこから説明させるわけね」的なふんいきがあり(あくまで私の見解です)、そこがなじめないという人もいるわけなんですが、私はそういうとこが結構好きです。入るときは敷居が高いけれども入っちゃうとぬくぬくな世界。これっておおむね日本人の傾向かも。

あ、話がベジエ曲線をいじっているときみたいにあらぬ方向に。

その「初ラ」という「誠文堂新光社」という出版社の雑誌によく出てきたのが「FB」「VYFB」という省略語。

そもそも意味がわからない言葉だらけの雑誌の中で「アッテネータの減衰量を……トランジスタ出力の……閾値の……するとFBです」などというに至っては、もはや文脈で推理することが困難でしたが、何度かまったく違う文脈で出てくることから「ナイス」「いい感じ」「スマート」くらいの意味で使用されとるのかしらん、とおぼろげながら理解しました。

理系の人々は本来国語が「相対的に」苦手であるはずなので、彼らなりにコミュニケーション能力を発達させるために「文脈から用語の意味考えろ」的な、「一見さんお断り」な、「上級者と初級者の違いは云々」「……坊やだからさ」という感じに世界を構築しているのだと勝手に想像が広がってしまいます。

そういう系の(というとこの「~系」も流行ったものですが)言葉としては、女性雑誌にとどめを刺すと思います。

そもそも女性は流行語・新語に敏感ですよね。かの紀貫之が女性の視点で「土佐日記」を書くことにしたのは、女性の言葉の方が自由闊達に思いを書けそうと考えたからとか。今のおネエブームの遠い先祖かもしれません。

女性誌の電車の中吊り広告を見ると、

「タンスのコヤシ的ボトムスがちょい姫着回しコーデに激カワマストアイテム」

とかなんとか。私の想像力や記憶力ではこの程度の再現性しかないのですが、とにかく、

女性の造語能力は素晴らしいと思います。平安時代の女房言葉しかり。

この辺りの事情は山下先生の授業で運が良ければ聞けるかもしれません。

話があちこちに飛びましたが、私の読解力は「初ラ」で鍛えられたのかもしれません。

懐かしき誠文堂新光社。その後も「天ガ(天文ガイドという雑誌)」が私を悩まし続け、

天文少年だった私は、図書館で何か月遅れかの天ガを読み、

「もうこの天体ショーとっくに終わっとるやんかいさ」とがっかりしつつ、

「やはり接眼レンズはオルソに決まっておるぞ」などとごく内輪で悦に入っていましたとさ。

2011年7月 7日 (木)

参ったなピコピコ

テレビから現物がコンコロリと出てくるためには、物質転送装置のようなものが必要になってきます。配送センターが商品を電線にぶらさげるという原始的な方法ではなく、物体を原子か分子かわかりませんが、そのレベルにまで分解したものを電送し、再び組み立てるとかいうようなシステムでしょうか。ただ、その際にハエがまぎれこんだりすると、「ハエ男の恐怖」というような大事件になってしまいます。人体実験で人間の体を送ろうとしたときに、装置内にハエがいたため、融合するときにハエと人間が合体してしまう、という映画がありました。リメイク版で主演したおっさんは「ジュラシックパーク」や「インデペンデンスデイ」でも変な科学者の役で出ていました。

超能力の「テレポート」というのも、原理的には同じなのでしょうか。テレポートするたんびにハエ男や蜂人間、モスキートマンになると困ります。スパイダーマンはどうして蜘蛛男になったのでしたっけ。ネズミ男ははじめからですかね。タイムスリップもののドラマ・小説が相変わらず安易につくられつづけていますが、別の時間で出現したところが海や壁の中ということにならないのが不思議です。たとえば十三教室でタイムマシンに乗って、二千年ぐらい昔に旅行したとしたら、そのころは十三のあたりは海だったでしょうから、そのままおぼれてしまうのでは? まあ、タイムマシンは親殺しのパラドックスが起こるぐらいで、過去にもどることは無理なのでしょう。透明人間なんてのも、「科学的」に考えると、透明になった瞬間、相手から見えなくなるだけでなく、自分も外部を見ることができなくなるとか。第一、透明になるのは体だけでしょ。たとえば胃にはいっているものは透明にはならないわけで、空中に消化中の食べ物が浮かんでいることになりますし、さらにそのあとのことを考えると、食べ物に下に浮かんでいるのは……。ということで、こういうのは「トンデモ科学」というやつですね。

超能力というのも、どうなれば「超」なのか、よくわかりません。さわってもいないのに物体を動かすとか、未来を予知するとか、一般に不可能とされることができるのが超能力なのでしょうが、エスパー伊東のレベルはどうなのでしょう。「高速1分間梅干し30個食い」は物理的には可能なのでしょう。「ジョッキのビール3杯一気飲み、そのあと30回転しても目が回らない」という技は体質でかたづきそうです。「小指1本突きダンボール穴あけ」は空手をやる人ならできそうだし、たこ焼きを指でひっくり返す「高熱たこ焼き、串いらず」はプロの職人ならできる人がいるかもしれません。ばかばかしいからやらないだけのものは「不可能」とは言えないのでしょう。ちなみに、「不可能を可能にする男」というのはよくいますが、国語科のKリハラ先生は、昔よく「可能を不可能にする男」と呼ばれていました。あれも一種の超能力なのかなあ。

算数オリンピックでメダルをとれるような人は、ふつうの人にはない能力をもっているのですが、超能力とは言えないのですね。妙に記憶力がいい人もいます。アスペルガー症候群の人が抜群の記憶力を持っていることがあるそうですが、これは明らかに「能力」でしょう。ただ、これも「記憶術」というのがあるぐらいなので、訓練によって伸びるものでもあり、不可能なことをしているわけではありません。これもやはり超能力とは言えないのでしょう。1分間に2万字以上読める「速読術」なんて、もはや超能力と言いたいのですが、「術」つまりテクニックらしいのです。

たしかに記憶なんて、たとえば語呂合わせでたくさん覚えている人がいますが、そう考えると超能力でもなんでもないですね。「イイクニつくろう鎌倉幕府」で1192年、というのはだれでもやっていることです。ただ、中にはまぬけな人がいて、テストのときに「いいくにツクロウ鎌倉幕府」だと思い違いして2960年と答えたり、「ヨイクニつくろう」と思って4192年と答えたりして、頼朝をタイムスリップさせて未来人にしてしまう人もいます。こうなったら「超能力」と呼びたいものです。

高校の時の日本史の先生が妙な覚え方を教えてくれました。幕末の「池田屋事件」「寺田屋事件」で池田屋という旅館は京都の町中の三条にあり、寺田屋は伏見にあります。池田屋だから池のそばかなと思うと実は寺のあるような町中にあり、寺田屋は寺のある町中にあるのかと思うと、あにはからんや水のある伏見にある、と覚えろというのですが、ひねくれた覚え方もあったものです。六月の異名が「水無月」というのも、六月は梅雨だから水がありそうだけど水がないと思って「水無月」と覚えろ、という意味不明の覚え方と同じです。

意味不明といえば「キロキロとヘクト出かけたメートルが弟子に追われてせんちミリミリ」というのがありました。基本単位「メートル」の10倍がデカ、100倍がヘクト、1000倍がキロ、逆に10分の1がデシ、100分の1がセンチ、1000分の1がミリ、これらを無理矢理おしこんで、「きょろきょろしながら、ひょいと出かけたメートルさんがなぜか弟子に追いかけられて、せんち(「せっちん」つまりトイレ)にかけこんで、なぜか○○○をミリミリと出しました」という意味不明の覚え方です。これぐらいの単位なら、このことばを覚える前に覚えられるような気もしますが、最近はキロの上のメガやその上のギガもよく使われますし、1テラバイトのように「テラ」を見ることもあります。下のほうはマイクロは当然のこと、その下のナノやらピコやら、ふざけとんのかと言いたくなるような単位も出てきました。これらを込みにして新しい覚え方を作ってくれる人はいないものでしょうか。

……と思ってネットで調べてみたら、世の中にはひまな人がいます。作っているのですな。「てきめがけ、ヘクト出かけたメートルが弟子に追われてせんちミリミリ、参ったなピコピコ」……って、これ、うーん参ったなピコピコ……ふざけとんのか!

2011年6月30日 (木)

変なぜいたく(光年のかなた④)

この『国語マニアックス』というブログを始めて1年半ほどになります。

このブログの本来の趣旨といいますのが、塾生・保護者のみならず、一般の方にも希学園の講師の顔を見えるようにするというんでしょうか、講師の人柄にふれて親しみのひとつも持っていただきたいということでした。まさかブログを読んで入塾を決めるような人はいらっしゃいますまいが、塾選びをされる際にほんの少しでもプラスに働くとええのう、うっしっしっ、という不純な動機もありました。

そういった下心から学園長に「というわけでブログをやりたいでござる」と具申したところ「いいよ」という寛大な許可がおり、始まったのが1年半前です。

しかしそれにしても、はたしていったいどれくらいの人がこのブログを読んでくださっているのでしょうか。

新しく入塾された方が、「いやー、以前からブログを読んでいけてるなあと思ってました」なんておっしゃっていたというのは聞いたことがありません。

たまに保護者の方や卒塾生から「ブログ読んでいます~」と声をかけていただくことがあり、たいへん励みになっていますが、まあ、たまにです。

どちらかというと内輪受けというのでしょうか、社内の人間がうはうは笑いながら読んでいるというケースが目立つような気がします。

「おっ、ブログ読んでますよ、あの話ほんまでっか」

「Oui!」

「あほでんな」

などという会話が社内でかわされたりしています。しかし、よく考えてみると内輪受けのために始めたブログではないわけです。こんなことでは本来の趣旨にまったくそぐわないため学園長から打ち切りが宣告されてしまうのではないか・・・・・・といった危機感が若干生じ始めている今日この頃です。

そして実は、もうひとつ、懸念していることがあります。

ご存じのようにこのブログは国語科講師3人で書いているのですが、メンバーを選んだのは私です。私がオールジャパンの合宿に連れて行く選手を決めるような心境でメンバーを選定し、山下先生と栗原先生にお願いしたわけです。

一応の心づもりとしては、博覧強記の山下先生がいわば知性担当、真面目で善良な栗原先生が良心担当って感じでした。いや、なかなか悪くない人選だったと思いますね。

ところが、最近になってふと頭をもたげてきた疑問が、俺は何担当なんだ?ということです。よく考えたら最近の俺は、貧乏の話とか風呂に入っていなかった話しかしていないわけです。

前にも少し書きましたが、「このにしかわという人はいけてないんじゃないか」などという噂がたってしまうと、クラス替えで僕のクラスになった子どもが「びんぼうがうつる~」と言って泣きだしてしまうかもしれません。

というわけで、実はここまでが前置きだったのですが、今日は少し国語講師らしい話から始めてみたい!

◆◇

先日(結構前になりますが)授業で扱った問題の中に、

「変なぜいたく」とはどのようなことをさしていますか

という設問がありました。

希学園では、このような「意外性をふくんだ内容について説明する記述」は、

・・・・・・のに・・・・・・こと(から)。

というかたちで書くよう指導しています。

国語の得意な子は言われなくても自然にそういうかたちで答えをつくるのですが、苦手な子にはこの感覚がないので、なぜこのかたちがいいのかをきちんと説明したうえで「型」を覚えさせるのが有効です。

そこで「こういう設問にはこういう型」というように整理して教えているわけです。

さて、それはともかく。というわけで、ここからが本当の本題になるわけですが、「変なぜいたく」ということで思い出したことがあります。

寮で暮らしていた極貧時代、ついにパンの耳にマーガリンをつけて食べるようになっていた頃、にもかかわらず妙なぜいたくをしていたなあと。

変なぜいたくその1

紅茶です。きちんとしたティーメーカーとティーカップを買って、フォートナム・メーソンのアール・グレイを飲んでいました。ティーカップはフィンランドのアラビヤというメーカーが出していたルスカというシリーズのものです。今は亡き天才デザイナー、ウラ・プロコッペのデザインでした。う~ん、パンの耳と両立しない、意味不明のぜいたくぶり。

変なぜいたくその2

ヨーグルトです。ヨーグルトがあまりにも好きであるため、ヨーグルトメーカーを買って、つくって食べていました。一度ただのヨーグルトではなく、なんというのでしょうか、ヨーグルトケーキといいますかそういうものをつくろうと思い、みかんの缶詰だのゼラチンだの買い込んできたことがありました。しかし、ゼラチンをどのぐらい入れるのが妥当かよくわからず、おまけに物知らずの私は、ゼラチンを入れたあと冷やさないとかたまらないということも知らなかったため、おっかしいな固まらねえなと呟きながら大量にゼラチンを投入してしまい、かちかちのケーキが出来上がってしまいました。あまりの固さにスプーンが入らなかった・・・・・・! 泣けました。

それにしてもあのパンの耳・・・・・・。サンドイッチをつくったときに残った耳だったのか、ときどき萎れたレタスの切れ端が入っていたなあ。なんだか香りまでよみがえってくるようです。

つづく。

2011年6月23日 (木)

光年のかなた③

じめじめしとしと梅雨がつづいておりますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

僕が大学に入った4月も、穀雨というのでしょうか、ずっと雨が降っていました。日照時間が少なくて寒かった覚えがあります。

音楽なしでは生きていけないと信じていた僕が大学に入ってまず購入したのはミニコンポでした。押しの強い店員に勧められるのを断り切れずに選んだものなので、今思い出してもあまり良い買い物じゃなかったですね。音も良くなかった。在仙生活の終わり頃には、くり返しチョップしないと音が出ないようになっていました。そのときのくせで、今でも調子の悪い機械はチョップしたくなります。会社から貸与されているノートパソコンも、反応が鈍いとどつきたくなるんですが、今のところ理性が勝って何とか持ちこたえています。

寮から大学まで歩くと片道1時間前後かかるので自転車を買うつもりでいたのですが、ミニコンポを買った直後に、自転車購入資金だった3万円が消えました。どこに消えたかよくわかりません。落としたのか盗られたのか、とにかくなくなっちゃったんです。自転車はあきらめざるをえませんでした。

そうして僕の苦難のキャンパスライフを象徴するような、徒歩通学の日々が始まったのです。

いやあ! 1日1食で毎日2時間歩くと痩せますねえ! 1ヵ月で8キロ体重が減りました。

寮の風呂に入るたびに、体重計の目盛りが500グラムずつ減っていくのがおもしろくて、結局、夏休みまでに13キロぐらい痩せたと思います。

風呂といえば、寮の風呂があなた。もうたまりませんよ。入浴時間が6時~10時なんですが、8時を過ぎると浴槽のお湯が豚骨スープなんです。入浴剤のせいでなく白濁してます。寮生200人弱。みんな汚いですからね。それが次々にザブンドボンとつかる浴槽ですから、あっというまに良いダシが出ちゃってねえ。入った方が汚れるやんけ、と思いました。

そんなわけで当時風呂に入るのがいやになり、しばらく入らなかったことがあります。

何日間入らなかったか?

それは言えません。それを書くと、保護者の方が僕と懇談してくれなくなる可能性があるので。あの、今は入ってるのでだいじょうぶです。

えーと、それはともかく、とにかくすごく痩せたわけです。

夏休みに帰省したとき、父母に嫌そうな顔で「貧相になった、みっともない」と罵倒され、その夏はひたすら食わされました。

そもそも寮は2食付きだったんですが、大学に入ってまもないというのに、僕は、決まった時間に朝飯を食べることができない体になってしまっていました。目覚ましが鳴って、ああ、早くご飯を食べに行かなければと思うんですが、なかなか起きられないんです。そこをぐっとこらえて必死で寝床から身を引き剥がし、ふらふらしながらなんとか食堂にたどり着き、やっとの思いで朝ご飯を食べている・・・・・・ところで目が覚めちゃうんです。当然、そのときはすでに朝食タイムが過ぎ去っています。それですぐに朝食費を払うのはやめました。

夢は願望充足だ、というフロイトの理論は僕にとっては実にうなずけるものでした。

さて、そんなわけで、朝飯抜きで1時間歩いて学校に行きます。

午前の講義が終わったあたりがいちばんつらいです。みんな生協に昼ご飯を食べに行くんですが、僕は昼飯代をけちって、何も食べずベンチに転がっていました。

午後の講義のあと、用もないのに街中をうろつき、低血糖状態で寮に戻ってきてご飯を食べ風呂に入ると、もうすることがありません。いや、勉強すればいいんでしょうけれど、そこは何といいますか、大学生ですからね!

もちろんテレビもないので、ひたすら音楽を聴いてました。シベリウスの『悲しき円舞曲』とか『トゥオネラの白鳥』とか、そういう暗いやつです。

えもいわれず陰気なキャンパスライフの始まりでした。

青春が明るいものだなんてだれが言ったんでしょう。

青春とは憂鬱なものです。

僕だけっすか?

ちっ。

                                            つづく。ちっ。

2011年6月16日 (木)

現物がコンコロリ

「前回のつづきでとりとめもなく」というスタイルで書き続けているので、大岡越前のつづきです。子どもをめぐって、二人の女性が母親であると名乗り出て争うという有名な話があります。大岡越前は二人の女性に子供の手の引っ張り合いをさせるのですが、痛さのあまり泣き叫ぶ子どもの声を聞いて手をはなした方を本当の母親だと認定します。

……これも無茶苦茶な話ですよね。腕がちぎれそうになる子供をかわいそうに思って手をはなすのが本当の親だと決めつけてよいのか。本当に自分の子どもであるにもかかわらず、引っ張って自分のものにすることができなければ一生はなれて暮らさなければならない、それぐらいならたとえここで腕がちぎれようと、なんとしてでも自分のものにしなければならない、と思う母親はいないのでしょうか。どちらがよいか悪いか、ということではありません。ひとの心を決めつけられるか、ということです。大岡越前は、本当の愛情があれば、自分のエゴを優先させず、子どもの幸せを考えるはずだと思ったのかもしれません。ただ、ひとの心を一面だけでとらえて、こうであるはずだ、なんて決めつけるのは「おごり」以外のなにものでもないと思うのですが。

本来、日本の文化ではこういう決めつけはきらうようで、大岡越前の名裁判も中国の話を下敷きにして作られたものが多いようです。勝手に決めつけたりしない、世の中は○と×だけでなく△もある、人それぞれの考えがあるのだから相手の心を気づかうことを優先しよう、という日本文化は特異なものなのでしょう。

たとえば、パソコンのような「ろくでもないガラクタ」を売ってしまうのはアメリカならでは、という感じがします。本来なら売ろうとは思わない、というより売ってはいけないものですから、もしパソコンが日本で発明されていたなら、いまだに開発途中でしょうね。日本人なら、こんな欠陥商品に値段をつけて売るような「あこぎ」なことは絶対にしないでしょうな。作業中にフリーズすることがあるような段階で商品として売り出そうとする神経はどうなっているのでしょうか。フリーズなんて、原則的にはあってはならない状態です。自動車の運転中にフリーズするとしたら販売はありえないでしょう。バグりまくるテレビをだれが買いますか。にもかかわらず、パソコンだけが、そんな未完成の状態で売られています。さすがにこれにはクレームをつける人も多いようですが、売り手側としては「ユーザーとともに開発していく」という、ねぼけたことを言って正当化しているそうです。それなら、ユーザーにも利益を還元しろよ、と思います。ほんとかどうかは知りませんが、ビル・ゲイツの邸宅の敷地面積が大阪市ぐらいとかいうのを聞くと、そのうちの淀川区ぐらいはユーザーによこせ、と言いたくなります。USJがあるので此花区でもよしとします。

でも、いつかはパソコンもクレームをつける人がいなくなるときが来るのかもしれません。「毀誉褒貶世の習い」と言いますし。……ちょっとちがいますか。ただ、最近のマスコミの無責任さは目に余るものがありますね。もともとマスコミというものがそういう性質を持っているのでしょうが、持ち上げるときには思い切り持ち上げて、落ち目になった瞬間バッシングの嵐です。ホリエモンとか亀田兄弟とか、ひどかったですね。朝青竜なんて、意図的に悪役をつくりあげ、みんなで攻撃しようという、現代の悪しき風潮の象徴のようでした。開発された当初は夢の化学物質と言われたのに、今は完全に悪役に成り下がったフロンガスと同じです。

かと思うと、マイケルジャクソンは、逆に死んだとたん、ほめちぎっていましたな。生きてるときにほめたれや。マスコミ、てのひらを返しすぎです。政治家に対してもそうですね。最近の総理大臣すべて、なった瞬間マスコミは派手に盛り上げようとしたくせに、ちょっと失敗するとボロクソにこきおろして、それが国民の総意であるかのように言います。本当にそうなんですかねえ。テレビのワイドショーで取り上げている話題でも、「おまえたちだけが盛り上がってるのとちがうの?」とつっこみたくなることが多いような気がします。ひところ「盛り上がった」のりピー騒動なんて、ひどかったですね。どのチャンネルもそれのみでした。そんなに騒ぐほど、その「のりピー」って人は大スターだったのかなあ。その点、サンテレビは偉大でした。どんな大事件があっても野球中継をつづけ、昼間は古い時代劇の再放送、というスタンスをくずしません。ポリシーがあります。素敵やん。

要するに、日本全体の幼児化現象を批判すべきマスコミが最も幼児化してしまっているのですな。視聴者のほうがまだましです。マスコミが年少組なのに対して、一般人は年長さんです。だからテレビ離れが起こるのも必然でしょう。いまでも本当におもしろい番組なら視聴率はかせげます。「JIN-仁-」などはそのよい例でしょう。マンガが原作だし、設定も安易ですが、ツボを心得ています。それにひきかえ、紅白歌合戦の低視聴率などは、当然といえば当然でしょう。いまのようなパーソナル化の時代にターゲットを拡散しすぎているから、だれも見なくなるのだろうな。背の高い人も背の低い人もお客さんとして来るのだから、その中間の大きさのベッドを用意しました、というやり方ですね。

テレビが娯楽の王様だった時代は終わっているということに気づいていないのは、テレビの制作者だけなのかもしれません。ひょっとして気づいているのかな、やたら再放送ばかりしているのは、新しいものをつくる力がなくなってきたのか、お金がなくなってきたのか。元気なのは通販番組のみです。ただ、これもそのうち飽きられてくるかもしれません。あとは、画像が3Dになって、さらに「物質転送装置」が開発されることを期待しましょう。通販番組で立体的にうつしだされた商品をほしいなと思ったら、画面横のボタンを押すと、物質転送装置から現物がコンコロリと出てくるのです。はやくそうなってほしいな。ラーメンなんか、出てきた瞬間、汁がこぼれたりなんかして。

2011年6月 9日 (木)

光年のかなた②

みなさんは「学生寮」で暮らしたことがありますか。

僕は大学の初めの2年間を教養部生専用の学生寮で過ごしました。

T北大学には学生寮がいくつかありまして、僕としては、「比較的新しい鉄筋コンクリート建てで、しかも完全個室であるM寮」に入りたかったんですが、くじ引きか何かわかりませんが選考にもれて、「築三十有余年の木造2階建てで、しかも二人部屋であるところの有朋(ゆうほう)寮」に回されました。消防署の「早く建て替えろ」という再三の勧告を無視し、大学当局の「建て替えてあげようか、鉄筋コンクリートに、プライバシーが守られる一人部屋に」という誘惑も頑強に拒んで、草茫々の敷地内に泰然として屹立する古式ゆかしい質実剛健な自治寮でした。

つまり、汚い寮でした。

隣接する中学校の先生が授業中、窓から我が三神峯(みかみね)有朋寮を見下ろし、「見たまえ諸君、まるでゴキブリホイホイのようではないか」と言ったとか。

なにい。寮がゴキブリホイホイなら、わしらはゴキブリか? 

悔しいが言い得て妙だ。

そんな寮ですから、遠くから初めてこの木造の細長い建物を望んだとき、「あれは養鶏場かな? 寮の近くに養鶏場があるのかな?」と一瞬思ってしまったのも無理からぬことです。

近づくにつれて養鶏場ではないらしいとわかってきたものの、「倉庫かな? 倉庫だよね?」という希望的観測を捨てることがなかなかできませんでした。

やがてすべてが理解され、その養鶏場のような倉庫のような時代錯誤な建物のそばにたどり着いたときには、ものを考えるのもイヤになり、「ここに2年間住むのね」という情けない諦念だけが頭の中をぐるぐるしているのでした。

しかし、そんな僕がはるか後年、寮が取り潰されたあとの更地を見て茫然自失、寂しさのあまり不覚にも落涙することになろうとは。寮とは不思議なものです。

寮にはいくつかのサークルがあり、寮生は必ずいずれかのサークルに所属することになっていました。サークルといってもいわゆるテニスサークルなどのような活動をするわけではなく、言ってみれば「班」ですね。ただ、人数を均等に割って第何班というふうに分けられるのではなく、ちゃんとサークルの特徴やメンバーを紹介した冊子を渡され、自分で所属したいサークルを選べるのです。

僕は『砂時計』という名前のサークルに所属することになりました。なぜそこを選んだかというと、入寮が遅かったため、人気のあるサークルが埋まってしまい、人気のなかった砂時計を寮委員長に勧められたからですね。要するに、僕としてはどこでも良かったわけです。

委員長といえば、入寮する際には、ちゃんと委員長による面談がありました。「この寮は学生による自治寮です」と言われたことしか覚えていませんが。そして、自治寮というのはつまり何を意味するのかということもよくわかりませんでしたが。

自治寮とはいえ、大人(つまり学生でない人)がいなかったわけではありません。

まず、公務員炊夫さんが3人いて、当番で宿直を務めてくださっていました。この炊夫さんたちのことを考えると本当に今でも頭が下がります。仙台弁で「おじんちゃん」と呼ばれていましたね。

それから、炊事の手伝いをしてくれるパートのおばんちゃんがいました。

最後に、寮内の清掃をしてくれる方がいました。雨の日なんか、何も考えていない寮生が自転車やバイクで帰ってきて、水をぽたぽた垂らしながら廊下を歩くので、この痛ましい木造建築を守るために、ひたすら油をひきまくってくださっていました。だから、寮の廊下はやけによく滑りました。

しかし、この人たち以外にいわゆる大学から派遣された寮長のような存在はおらず、寮費の管理から何からすべて寮生が運営していました。上述した寮委員長というのも寮生です。寮委員会には、委員長=BOSS、副委員長=SUB、会計幹事=GEL幹、厚生委員、あと何でしたかな、庶務みたいなのと印刷係みたいなのがいました。委員長と副委員長が同じ部屋で、あとは各委員が二人ずつ同じ部屋になります。委員会は、BOSSの名前を冠して「◎◎内閣」と呼ばれ、任期は4ヵ月でした。

僕は確か「第99期山田内閣」の厚生委員だったと思います。第98期だったかな? よく覚えていません。いずれにせよ、当時、寮は築32年だったということですね。

厚生委員の主たる仕事はトイレットペーパーの配備です。これを怠ると、深夜でも容赦なく「厚生! トレペねえぞ!」という怒声でたたき起こされます。敵は必死でお尻をおさえ便意をこらえながら厚生委員の部屋まで怒鳴り込みに来ている状態ですから、相当真剣に怒っています。したがって口ごたえは許されません。僕はうっかり者で忘れん坊なので、よく怒鳴られました。

寮生(尻をおさえながら)「ふざけんなよ、西川、てめえこの前も忘れてただろう!」

ぼく(目をこすりながら)「そういうきみはこの前も夜中にうんちに行ってたねえ」

などという牧歌的な場面がよく展開されていました。懐かしいなあ。

トイレットペーパーの備蓄がなくなると大学の本部にもらいに行きます。巨大な段ボール箱につまったトイレットペーパーを運ぶので、このときだけはタクシーに乗ってもよいということになっていました。もちろんトイレットペーパーをゲットした帰りだけです。領収書をもらって、ゲル幹のところに持っていくと、お金をわたしてくれるのです。

ゲル幹というのはかなりしっかりしていました。なんせ膨大な額の寮費の管理をしていましたから、有能でないと務まりません。任期の終わりにはちゃんと会計監査が入るのです。監査役ももちろん寮生です。1期前のゲル幹と2期前のゲル幹、合わせて4人が監査をするのですが、これが大仕事です。2晩ぐらいやってたんじゃないかな。へとへとになってました。

厚生委員時代、よく隣のゲル幹部屋に遊びに行きました。どの部屋も基本的に鍵らしい鍵はついていないのですが(下手につけようものなら破壊される)、ゲル幹の部屋だけ立派な鍵がついていました。

なぜなら大きな金庫があったからです。ゲル幹が金庫を開けるときは、必ず部屋から追い出されるので、中を見たことはありませんでしたが、どうも500万ぐらいはあったらしいです。

「万が一、寮が火事になったらどうするか?」

先輩が、ゲル幹の心得を教えてくれたことがあります。

「壁を破壊して金庫を外に放り出すんだ。こんな薄い壁すぐに壊れるからな。」

なんせ油をひきまくっている木造建築ですから、火がついたら、3分程度で燃えつきるだろうと言われていました。重たい金庫を持ち出す暇はない、ということですね。それにしても、そんなすぐに壊れる壁で大丈夫なのか? 鍵をつけても意味ないのでは?

「こんな汚い寮のこんな汚い部屋に500万あるなんて、誰も思わないだろ?」

まあ、そのとおりなんですが、さてそれでは、そんな汚い寮の汚い部屋にどうしてそれほどの大金がうなっていたのか?

実は、寮って、泊まれるんですよね。すごく安く。

もちろんふとんは煎餅だし、汚い大部屋ですが、一応泊まれるんです。で、相当昔に、がんがん他の大学生を泊まらせて儲けたらしいんです。当時の厚生委員で、後にT北大学の教授になった人が、そう自慢していたそうです。

が、僕が厚生委員になった頃には、そのようなことは全然ありませんでした。厚生委員の仕事はトレペの配備。あと、クリーニングの受付というのもありましたが、すでに有名無実化しつつありました。

それでも厚生委員になったときに業者の人から「これでジュースでも飲んでよ」と500円わたされ、激しく思い悩んだ記憶があります。

「これがあの有名なリベート・・・・・・」

こうして人は穢れていくのか、と本気で考えて悶々としました。

あの500円はどこにいったのかなあ? しばらく机の引き出しにしまっていたんだけど、たぶん極貧に陥ったときにつかっちゃったにちがいない。

そうやって僕は穢れてしまったんですね(>_<)

          つづく。

2011年6月 1日 (水)

ソコソコ

西川先生は「徹底」ということばが大好きであると以前のたまわっておりました。

その言動をつぶさに見ていて、うなずける面も多いわけです。

山登りにしても、映画にしても、音楽にしても、その徹底精神はいかんなく発揮されているようです。

その反面(対比の目印というやつですね。今ベーシックで教えているところ)、私は。

たとえば、映画が趣味とは言うものの、

アラン・タネールなんて通なカントクの名前など知りませぬし、

そもそも「ハリウッド」「ロードショー」「ハッピーエンド」の三つが基準ですから、

「映画通」だなんてとんでもなく、単にちょっと映画が好きなおっさんです。

他にも、将棋が趣味とこのブログの紹介にも書いているくせに、

せいぜい自称アマ初段の腕前。

ケータイのアプリの将棋ゲームを電車内でやっていたり、NHKの将棋トーナメントを毎週録画してほほーっとなっている程度。

「徹底」にはほど遠いわけです。

私は「美術の先生」になるべく、教員養成系の大学に進んだ訳ですが、

肝腎の作品制作はほとんどせず、大学に行ってはトランペットを吹いていて、

すっかり音楽科の学生だと思われていたようなのです。

しかも、学生時代から「塾の先生」でもあったので、スーツを着て大学に通い、

いつも「こいつは何者じゃ」のような顔で見られていました。

「大学に入ったら、古いジーパンとTシャツを着て油絵の具と木炭にまみれ、

食パンの耳をみちみちとかじっているかっこいい貧乏学生になるのじゃ」

という夢も、その夢にぴったりすぎる汚い大学の校舎をみてすっかり萎えてしまいました。

貧乏な暮らしも経験したのですが、西川先生のような「赤貧」を経験したでもなし。

バイトも結構いろいろやったんですが、人に聞かせるエピソードもなし。

幅広く器用だがそれまで。

「徹底」の二字は私にはないのであろうか。

……とここまで書いてみて、実はそんな生ぬるい自分が大好きであることに気づきました。

深淵を覗くのがこわいんですね。何かを究めようとすると、とてつもない苦労が待っているような気がして。

「徹底して」、幅広い「そこそこ」を目指すぞう!

オチもそこそこでした。

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