2011年10月 9日 (日)

栄光の文化ゼミナール~光年のかなた⑦~

どうもこのところ更新が滞りがちですね。僕の書くペースが落ちているのが最大の原因です。
楽しみにしてくださっている方は、べつにいらっしゃらないかもしれませんが、なんとなく、誰にともなく申し訳ない気分です。

さて、最近僕はこのブログの記事を主として電車の中で書いています。実はそのために「ポメラ」を買ったんです。これは今年僕が購入した品物のうちで最大のヒットでした。ご存じですか、ポメラ。完全にワープロ機能だけに特化した、なんていうんですか、電子メモ帳とでもいうんでしょうか、そういうやつです。

開くとちゃんとした五十音のキーボードがスライドして出てくるんですが、コンパクトなので、立ったままでも片手で支えて片手で打ち込むことができます。なんといっても起動が速い。電源を入れたら即使用可能になります。阪急京都線で、サイゼリヤで、十三のあやしい中華料理屋『隆福』で、小さなキーボードに向かってちまちまカタカタと文章を打つ私です。

思えば、僕のワープロ歴は結構長く、大学2年のときに衝動的に買ったのが初めてでした。ディスプレイの幅が1行分のみでたった12文字しか表示されないというおそろしく使いづらいものでしたが、まわりにワープロ持っているやつなんてほとんどいませんでしたから、なんだか得意気に意味もなく日記を書いたりしていました。しかし、毎日これといって何もしていなかったので書くことがなくて困りました。せいぜい「今日も腹が減った」とか「腹が減ったのでデパ地下の試食コーナーを徘徊した」とかその程度しか特筆すべきことがない青春だったのだった・・・・・・。

ちょうどその頃サークルに入りました。「文化ゼミナール」というあやしげな名前の、まあ簡単にいうと読書をするサークルですね。本来であればいろいろな分科会があって、それぞれに興味深い書物を取り上げて・・・・・・という形態になるんでしょうが、人手不足のため、分科会はただ一つ経済学分科会だけ、それも時代遅れの『資本論』第1巻を1年かけて読むという、えもいわれず地味な活動をしていました。結局3年間参加したと思いますが、その間、メンバーは4名~6名、ひどいときにはたった2人でぶつぶつ議論しながら読んでいました。

読書会ってどんなふうにするかといいますと、担当者がレジメをきってくるんです。たとえば、来週は第三章の第一節だということになると、それを段落分けして、内容を簡潔にまとめたものを作ってくるんですね。で、それをもとに担当者が進行役を務め、一段落ずつじんわりと読んでいくわけです。

このレジメをきるのに、件のワープロが活躍しました。ワープロで打ってあると、内容がダメでもなんだか少しましに見えるんですよね。「これだ!」って感じでした。

それにしても『資本論』! あれは国語の勉強になりました。Yさんという経済学部の院生が中心になって、とにかく精確に内容を理解することに主眼を置いてやっていたので、派手な議論が飛び交うわけでもなく、若者らしい青臭い思想や世界観を開陳し合うでもなく、「読点の位置からみて、この主語はここにかかっていくんだから、こう読むのが正しいはずだ」「訳が悪いかもしれんから原典にあたってみよう」(もちろん原典にあたるのはYさん)などといいながら、ひたすらねちねち読んでいました。正直言って、あの3年間がなかったから、僕は国語の講師になっていなかったかもしれない、いやなっていたかもしれないけれど、だいぶちがう感じの講師になっていたんじゃないかなと思います。

1年目はちんぷんかんなので、先輩の説明をふむふむ聞いていることが多かったわけですが、2年目になって後輩が入ってくると、たまには僕が教えるなんて場面も出てきます。あやふやなことをいうとすぐに首をひねられてしまうので、冷や汗かきつつしどろもどろになりながらやっていました。あれが勉強になりました。とにかくできるだけすっきりと、筋道立てて説明をする訓練になったと思います。

読書会は週に1回、6時から9時過ぎまででした。9時になるとサークル室の照明が強制的に消されてしまうのですが、ろうそくに火をともして暗い中でいつまでも話をしていることもありました。

コーヒーを飲むようになったのも文ゼミにいたときです。Yさんがコーヒー好きだったので、一息入れようというときにはお湯を沸かしてコーヒーを飲んでいました。そのうち、よりおいしいコーヒーが飲みたいということで、ベートーベンという豆屋さんでその日飲む分の豆を買ってきて、淹れるときに必要な分だけガリガリとひいて飲むようになりました。

文ゼミに入ったころは、まだ寮生でした。9時過ぎてサークル室を出るといつのまにか雪が降り積もっているなんてこともあり、寮まで帰るのが大変でした。自転車で三十分ぐらいかかるんですが、寒さのせいで背筋がびんと張って、痛くなるんです。雪だと自転車もつるつる滑りますしね。仙台平野をふきすさぶ風に綿入れをなびかせて帰ったものです。綿入れは基本的に部屋着なので、外では寒いっす。

文ゼミはほんとうにとても勉強になる、いいサークルでした。当時のメンバーを思いうかべると、なんだかみんな頭良かった気がします。僕がいちばんぱっとしませんでした。ぱっとしない割に態度だけはでかくて申し訳なかったなあと思います。

しかしながら、そんないいサークルなのに、なぜか人が集まらない。新歓の時期にはなんとかして人を集めようとみんなで知恵を絞りました。

これは僕が入る前の話ですが、

「女の子を呼ぶにはテニスだ!」

と先輩のひとりが言い出し、「キャピタル・テニスクラブ」というニセのサークル名でビラを配布したこともありました。『資本論』の原題が「ダス・キャピタル」というのです。「テニスをするための基礎体力作りに『資本論』を読んでいます」という打ち出しだったのですが、残念ながら、あまりのインチキぶりに、当たり前ではありますが、だれも来ませんでした。その後懲りずに「キャピタル・サーファークラブ」というサークル名のビラも配布したということですが、もちろんどうにもなりませんでした。

大きな立て看板をつくったこともありました。認知度を高めるのがねらいです。なにかインパクトのあることを書こうということで、「少年老いやすく老人死に易し」という何が言いたいのかまったくわからない言葉を書いてみました(これはYさんがサークル室の黒板に書き付けていた警句です)が、やはりだれも来ませんでした。

僕の青春の日々はそうやって楽しいような空しいような感じで過ぎていくのでありました。

2011年9月28日 (水)

鯛獲るマッチ

デジャブと思えるものが多いと書きながら、これ前にも書いたぞと思うのはデジャブではないだろうか、と書きながら、このフレーズも前に書いたのでは……という、「雑誌の表紙がその雑誌を持っている人で、その人が持っている雑誌の表紙にもその雑誌がうつっていて」状態になってしまうのは頭が弱くなっているからでしょう。

死んだはずの人間が帰ってくる、というパターンも最近多いですね。たぶん私が最初に接したのは『天国から来たチャンピオン』という映画だったと思います。ウォーレン・ビューティー主演のやつですが、今は「ビーティ」だか「ベイティ」だかと書くようになっています。アメリカ大統領だったレーガンも映画俳優時代にはリーガンでした。最初この映画の主演に予定されていたボクサーのモハメド・アリはカシアス・クレイを改名したので、これは発音上の問題ではありません。アリに断られて制作のウォーレン・ビューティーが自ら主演したのですが、これもじつは相当古い作品のリメイクらしい。さらに、『天国から来たチャンピオン』をリメイクした作品もあったはずです。

それだけ魅力ある設定なのでしょう。幽霊大好き作家の浅田次郎なんか、このパターンは好きそうだなと思ったら、すでに「椿山課長」でやっていましたね。宮部みゆきでさえ『蒲生邸事件』でタイムスリップものをやっていますし、江戸時代の妖怪ものは『しゃばけ』以来大はやりで、ひどいものもたくさん出ています。どれもこれも設定が少しちがうだけで、あまり区別がつきません。いずれにせよ、いちばんはじめがあったはずで、最初に思いついたやつがえらかったのですね。とはいうものの、なにが元かは今となっては不明なのでしょう。聖書に出てくるノアの洪水の話でも、メソポタミアのギルガメシュ叙事詩に出ているとか…。

落語に「てれすこ」という話があります。妙な魚がとれたが名前がわからなかったので、奉行所が名前を知っている者にはほうびを与えると立て札を立てたところ、一人の男が「『てれすこ』という魚です」と言ってきた。ところが、その真偽を証明できる者はだれもいないので、ほうびを与えるしかありません。奉行はその魚を干しておいて、しばらくしてからまた同じような立て札を立てると、案の定その男が現れて、「『すてれんきょう』といいます」と言ったので、「同じ魚を干しただけなのに、ちがう名前を言うとは、お上をたばかる不届き者め」と処刑されることになりました。最後の望み、ということで家族を呼んでもらった男は家族に言います。「『てれすこ』を干したものを『すてれんきょう』と言ったばかりにわしは処刑されることになった。おまえたちに言っておく。今後、どんなことがあっても、『いか』の干したのを『するめ』と言うなよ」それを聞いて、奉行は男をおゆるしになりました……という話ですが、この話の原型は鎌倉時代の説話集『沙石集』に出ています。でも、さらにその元になった話があったかもしれません。

古代エジプトの象形文字や楔形文字を解読してみたら「近頃の若い者はなっとらん」と書かれていたという笑い話からもわかるように、しょせん人間の考えることは似たり寄ったりなのでしょう。テーマは安易でも、どう見せるかという切り口で傑作になるのです。死んじゃいましたが、小松左京の作品なんて、発想がそのまま作品のテーマで、「もし…」という設定だけで大長編にしていました。「日本列島が沈没したら」というテーマは、ほかにも考えつく人がいるかもしれませんが、そこからいろいろな方向に話を広げて、まとめあげる腕が必要なのでしょう。筒井康隆なんて、そのパロディで、『日本以外全部沈没』を書いています。これは筒井康隆のような天才レベルでないと思いつかないテーマです。

ただ、設定がいくらおもしろくても、どう結末をつけるかがポイントですね。「で、オチは」と聞かれるようではだめです。とくに、大阪人はどんなことにもその要求をします。気の毒な出来事を涙ながらに聞いていて「かわいそうになー」と言いながら、最後に「ほんで、オチは?」と聞くのが大阪人です。きれいに決まらないと怒られます。話を広げるだけ広げて、まとまりがつかなくなったときの逃げ方として「続きはWebで!」というのがありますが、一回は許されても二回目は許されません。ましてや、「がちょーん」とか「だっふんだ!」の擬声語オチは昭和で終わりました。夢オチは禁じ手ですし。『ドラえもん』が夢オチであったという都市伝説もありますが…。有名なところでは、「邯鄲の夢」がきれいに決まった夢オチですが、古典なので許されるでしょう。これが夢オチのいちばんはじめというわけではないでしょうが。『不思議の国のアリス』も夢オチですが、ファンタジーなのでOKのようです。せっかく話を積み上げ、大風呂敷を広げてきて、さあこの結末をどうつけてくれるんだろうと期待していたのに、じつは夢でした、と言われたら「金返せ-」となるに決まっています。だから安易な夢オチは禁じ手なのでしょうが、中にはわかっていないアホタンもいるようです。立川談志の「鼠穴」という落語に「まさかの夢オチ!」と言って、談志を批判している「落語を知らないバカ」もいました。たしかに、これは典型的な夢オチですが、古典落語です。夢オチが禁じ手だという人がいなかったころの作品なのでしょう。それを批判するのは、古典落語がどういうものかわかっていないのだろうし、語り手の談志を「才能なーい」とたわけたことをぬかすのは、談志の作ったネタだと思っているのでしょう。自分でネタを作る若手の漫才と区別が付いていないアホタンで、ところがこういう若い人たちが「夢オチ即ダメ」と「知ったかぶり」をするのですね。納得して笑えるなら、夢オチもありでしょう。

いずれにせよ、単純な笑いが楽しいようです。ことわざの授業で「海老で鯛を釣る」が出てきたときに、「ほんとは鯛を手に入れるためにはもっと安上がりなえさがあるけど、何かわかるか」「わかりません」「マッチや、マッチ」「えー、なんでですか」「タイトルマッチいうやろ」「……」最近の若いやつら、単純な笑いもわかりません。

2011年9月18日 (日)

ポイントは三つある(2)

今回のタイトル「ポイントは三つある」は、以前に山下先生が使ったものなのですが、

拝借しました。

国語の講師という仕事を長年していると、いろいろな習性が身につくものです。

①本屋に行くと、自分の読みたい本よりも先に、入試に狙われそうな本をつい探してしまう。

②文章を読むときに「ここを空らんにしたら面白い問題が……」と考えてしまう。

③一般化できないか、と知らず知らず考えている。

上の①や②は同業の方々にはうなずいてもらえそうです。③はというと、「ことわざ」などを教えていて、「とかくこの世はこういうものよ」という考え方に帰着させるというか、文章を読むときにも「結局この文章はこういうことを言いたいのだよね」などと「まとめる」くせがついていると言えばわかっていただけるでしょうか。

古今東西いろいろな人が残した名言や格言があります。できれば自分もこの世に一つくらいは名言を残して去りたいものよのうなどと思っていますが、そんな大それたことは無理として、

このブログを読んで下さっている方へ。

「ひとつ、ふたつ、いっぱいの法則」

これをいつ思いついたか思い出せず、それも自分のオリジナルではなく誰かの本で読んだのか、それすら曖昧なので汗顔赤面すいまめーんなのですが。

カラスはいくつまで数を認識できるか、ということを研究した文章がありましたが、われわれ人間はもちろん、非常に大きな数を扱うことができると思われています。

とはいうものの、普段われわれは結構きちんと数を認識していないと思うのです。

多くの人が多くの場面で、三つ以上になるともう「いっぱい」くらいの括りに入れてしまう。

例えば、悩みごとも、「仕事の〆切は迫っているし、友人の結婚式のスピーチを来週しなきゃなんないし、足の爪を切り過ぎちゃって痛いし、いま俺いけてない! 悩みだらけの大ピーンチ! 不幸のデパート!」なんてことに。三つも悩みがあれば、充分いっぱいいっぱいになる人が多いのではないでしょうか。私だけでしょうか。

その逆で、「あの新人はあいさつがさわやかだし、いつも早く出勤するし、机の上もよく整理されているなあ、うんうん、感心感心」などと、人の評価も、プラスポイントが三つくらいあれば、結構高評価にしてしまったり。

毎週の授業でたまたま同じ曜日に同じネクタイをしていくことが三週も続くと、

「先生いーっつも同じネクタイやね~」なんて目ざとく見つけて言う生徒がでてきたり。

「この服かわいいわ、あ、あのテレビドラマでヒロインが着てたのに似てるし、やだ、このショップ、今ならポイント二倍なんですって、え?限定品? 買わねばだわ!!」

どうも、われわれは「1、2、……いっぱい」という数認識が多いのではないか。

これを逆用する手もありまして、「他人を説得するとき」など、この理論?が応用できます。

理由や根拠を三つ用意しておくわけです。ゆめゆめ「二つどまり」にならぬこと。

自分を元気づけるときにも好材料を三つ挙げてみる。「俺って実はメタボだけど意外と頭髪はだいじょぶじゃん、それに最近何年間か免許証はゴールドキープだし、今年はヤクルト調子いいよな」なんて。

三つというのが意外にポイントで、四つ五つになると「くどーい、理屈っぽい、そんなに言われるとかえって冷めるわん」となりますので、三つぐらいがほどよい「いっぱい」なのかもしれませぬ。

2011年9月13日 (火)

コロンの卵

外国の小説の中でアルカード(Alucard)と名乗る人物が現れたら、その正体はまちがいなく吸血鬼です。ドラキュラのさかさことばですね。「吸血鬼文学」ということばがあるぐらい、吸血鬼というのは小説のテーマとしては魅力的なようで、多くの人が手がけています。スティーブン・キングの『呪われた町』なんて、そんな古典的なテーマを扱いながらも、古くささを感じさせない、いわゆるモダンホラーでした。まあ、「ホラー」と言っても、べつにこわくはないんですがね。だいたい、ホラーというのは何がこわいのでしょうか。

とくに外国物は、恐怖はほぼゼロですね。『エクソシスト』や『オーメン』なんて、むしろワクワクする楽しさでしょう。『オーメン』が文庫で復刊したときの値段がなんと666円でした。出版社のほうだって、そんなおちゃらけたことをやっているぐらいです。細かいストーリーは忘れましたが、たしかジャッカルが生んだ子とかいう設定ではなかったかなあ。荼枳尼天ですね。『リング』のテレビ化もひどかった。ビデオを見たら死ぬというのが、小説を読んでいない人たちの間で広まって都市伝説にもなったぐらいですが、文章の形ならまだしも映像になったらダメですね。テレビの画面から出てくるところは想像すればこわいだろうなとは思いますが、人間が演じて現実にやってしまえば滑稽ささえ出てきます。

やはり想像力、イメージの力というのはすごいものがあります。イメージで思い出しました。6年で「漢字の征服」というイベントをやっているのですが、ある生徒が質問しました。「合格点は96点? 前と同じですか」「なんや、君だけ98にしてほしいということか」「(あわてて)いえいえ、そういうわけでは」「じゃあ、君だけ特別に合格点を決めよう。君の合格点は、君のとった点数プラス2点、いうのはどうや」「えー、それ、にんじんを前にぶらさげた馬やんか」このやりとりで、この馬のイメージを瞬間的に思い浮かべられる人は国語力が相当あります。Nくん、君のことだよ、ハッハッハッ。

話をもどすと、三遊亭円朝が「天井から血がタラタラッ」と言った瞬間、話を聞いている人たちが一斉に寄席の天井を見上げたとか、畳の席に座っていた客が満杯だったのに、話が進むにつれて、四隅があきだしたとか。あとのほうはもちろん、こわさのあまりみんなが身を寄せ合いはじめたんですね。怪談は見るよりも聞く方が圧倒的にこわいようです。稲川淳二が人気のあるゆえんです。ミロのヴィーナスの美の理由も想像力だそうです。手が発見されていない形だからこそ見る人が想像で補い、そこに美が生まれるのだと。最初から手があれば100点なのかもしれないが、ないことによって120にも150にもなるということだそうです。このへんの考えは吉田兼好も言っています。教科書にもよくとられている部分です。「月はくまなきをのみ見るものかは」というやつです。満月でなくても心の中でえがく美しさがあるし、雨であっても雲の向こうの月を想像する美しさがあるというのです。花も同じで、咲く前、散ったあとにも見どころがあると言っています。

『徒然草』にはデジャブの記事もありますね。「今見ている情景、こんなん、たしかにあったよなー、と思うのは私だけでしょうか」と言っています。でもデジャブが起こるのは、脳の調子が悪いときらしい。脳は、今見ている情景を自動的にカードに記録して、とりあえず脳内のキャビネットや机の引き出しに入れるそうです。それを睡眠中に短期・中期・長期記憶のどれかに分類して必要に応じて取り出したり、「ごみ箱」に入れたりすることになっているようですね。ところが、たまにカードを入れた引き出しを思い切り強く閉めると勢いではね返って、引き出しがもう一度出てくるときがある。そうすると、脳が錯覚を起こして、「あれっ、今見ているこの情景、引き出しから取り出した過去の記憶カードに書いているぞ」ということになってしまいます。これがデジャブだとか。ということは、「おれはデジャブ、よくある」と自慢している人は頭が弱くなっているのを自慢しているということですね。

何度も書いているような気もしますが、最近のドラマや映画もデジャブかと思うぐらい同じようなものばかりですな。泣かせるために主人公を白血病にしてしまうのは、大昔の少女マンガでよく使われる手でした。もういいかげん飽きて、さすがにこんな安易な手を使う人がいなくなったころ、「セカチュー」というのが出ました。もうそのころには、これが安易な手であることを知らない人が増えてきていたのですね。入試でよく出題され、手アカがついたような文章があります。安岡章太郎の『宿題』とか、最近ではあさのあつこや重松清の作品とか。どの問題集にものっているので、またか、と思うのですが、さすがに何年かたって改訂されると、そういうものが消えていきます。みんなの見る機会が減ったころ、思い出したようにまた出題されるのですね。「セカチュー」はタイトルからして、「なにそれ」と思いました。『世界の中心で愛を叫んだけもの』という作品名をそのまま使っています。この作品名をパロディとして「エヴァンゲリオン」がパクったものをパクったのでしょうか。ひょっとして、そういう先行作品があることを知らなかった? あえて「デジャブ」をねらったのなら、それはそれで評価できます。

「タイムスリップもの」もそろそろいいかげんにしてほしいなあと思いますが、もはや「時代劇」「推理もの」「タイムスリップもの」というようなジャンルになってしまっているのかもしれません。『仁』にしたって、設定は安易でした。『戦国自衛隊』も安易でしたが、ばかばかしくておもしろかったなあ。自衛隊が戦国時代にタイムスリップして上杉謙信を助けるという発想が、そのころは魅力的でした。半村良はなかなかでしたね。この人が「タイムスリップもの」を始めたわけではないでしょうが、初期のころは新鮮でした。コロンブスの卵ですね。でも、卵は底を割らなくても、そっと立てると立ってしまうとか…。コロンブスはスペイン読みでは「コロン」という発音になるというのもおもしろい。

2011年9月 3日 (土)

台風襲来

暴風警報のため金曜日・土曜日と授業が中止になりました。これを書いている土曜日正午過ぎの時点ではたいした風は吹いていませんが、何が飛んでくるのかわからないのでやはり危険ですね。

山で強い風が吹くと、ほんとうに飛ばされそうです。数年前に、槍ヶ岳の頂上直下で強風にさらされたときは、岩につかまっていないと体がよろめいて滑落してしまいそうでした。「ひ~」と恥ずかしい声を出しながら岩にしがみついていると、頂上方面から、ポケットに手をつっこんで歩いてくるおっさんを発見しました。「穂先はもうちょい風が強かったよ」と言ってすたすた下りて行くおっさんを見送りながらへっぴり腰で岩に抱きついている自分が情けなかったです。

もうひとつ、風が強いとやっかいなのはテントの設営です。たとえば雪山で、山小屋なんかも閉じているときにうっかりテントを飛ばされてしまうと目もあてられません。

これも数年前の話ですが、八方尾根スキー場から唐松岳めざして登っていたときのこと、途中から吹雪になって視界がきかなくなり、平坦な稜線上にテントを張りました。しかし、テントを張るのに最も良さそうなポイントをさがすのがなかなか面倒です。一見平坦でも結構でこぼこしていたり傾いていたりしますし、できることなら多少の遮蔽物があって風をよけられれば理想的です。

このときは、うろうろしていると大きなケルンがあり、周りに木の杭なんかも打たれていたので助かりました。ただの石積みのケルンは危険ですが、きちんとした建造物になっていれば安心です。木の杭にテントを固定することができてラッキーでした。

なんとか設営を終え、缶ビール片手に(寒くて震えていてもビールは飲む)ケルンの正面にまわると、「長男◎◎ここに永眠す」というレリーフが。

げっ、と思いつつ、しかたなく手をあわせ、「◎◎さん、僕を守ってね」とお願いする私でありました。

◆◇◆

山といえば、怪談話がつきものです。

夜中に、だれもいないテント場で女の人たちの笑い声を聞いたことがあります。強い悪意は感じませんでしたが、ちょっといじわるな感じの声でした。あれは、木霊じゃないかなと思うんですが、どうでしょう。立ち枯れた木がたくさん残っている辺りでした。

大幅にタイムが狂って、夜に新雪が積もった奥穂高を歩くはめになったときは、ちりんちりんという鈴の音が聞こえてきました。きれいな音でした。よく考えるとそんな音が聞こえるなんておかしな話ですが、なんせ「遭難したくない~、生きて帰りたい~」と半泣きになって必死のぱっちで歩いていたときだったので、「へえ~、鈴ですか、はいはい」と思っただけでした。

しかしながら、はっきりと「霊」というものを見たことがあるわけではありません。そういう世界を信じているかと問われれば、「う~ん、どっちでもいい」って感じです。以前はよく「金縛り」にあいましたが、それが心霊現象だという実感もありません。ただ、「信じているかのように」話したほうが、楽しいしおもしろいなあとは思うようになりました。あくまでも楽しめる範囲でという限定つきです。「このツボを買わないと不幸になるぞよ」式の話は楽しめないので僕としてはNGです。

2011年8月23日 (火)

光年のかなた⑥

私が2年間暮らした、T北大・学生寮の話を続けます。

あの寮は、とにかくばっちかった!

僕はあの2年間の寮生活のせいでハウスダストアレルギーになったんだと思います。寮内で引っ越しをするたびに寮生たちがカーペットを隣の中学校の金網に干してばしばしと叩くんですが、掃除機を持っている寮生なんていなかったですから(もしかすると若干名いたかもしれませんが僕は見たことがない)、それはもうモウモウとおそろしいほどの埃が舞っていました。恐れおののいた僕は、「叩けば埃が出るとはこのことか」と思い、金輪際カーペットを干したりするのはやめようと心に誓ったのでした。

そのせいというわけではありませんが、そういえば僕は仙台で過ごした7年半のあいだ、一度もふとんを干したことがありません。

友だちがふとんを干しているのを見て、何であんなことするのかなあと思っていました。ふとんを干せばふかふかして気持ちがいいのは知っていましたが、それだけのことだと思っていたんです。つまり、ふとんを干さないでいるとダニがわいたりカビがはえたりするということを知らなかったんです。

で、これは一軒家に移ってからの話ですが、一夏押し入れに放りこんでおいた掛け布団を秋になって引っ張り出してみると、見事にカビが一面にはえていてビックリ仰天するはめになりました。なんでこんなことになっちゃったんだろう、運が悪いなあと思いながら、その冬は寝袋で過ごしました。

でもね、仙台の冬はすごく寒いんです。やがて、夏用の薄い寝袋では寒くて寒くて眠れないようになってきたんですね。イソップに出てくるキリギリスみたいな気持ちでした。

研究室で先輩に相談すると、

「西川くん、そういうときは新聞紙だ、寝袋にさ、新聞紙を入れるとあったかいよ」

「え? うそ?」

「公園で寝ているおじさんたちを見たまえ、みんな段ボールに入って新聞紙にくるまっているだろう? 新聞紙は空気をとおさないからあったかいのさ!」

「なるほど!」

というわけで、さっそく試してみると、ほんとにとても暖かいのです! 幸せな一夜でした。

しかし、朝起きると、インクでパジャマが真っ黒けになっていました。なはは。

いや、これはあくまで学生時代の話です。今はそんな不潔な暮らしはしていないので(山にいるとき以外は)、安心してお子さんを通わせていただいてもだいじょうぶかと・・・・・・。

◆◇◆

ばっちいといえば、築30有余年の寮は落書きだらけでした。部屋の壁から天井から、廊下にいたるまでとにかくひたすら文字が書きまくられ、なんだか「耳なし芳一」の体のようでした。

そういえばほんとうに顔にお経を書かれていたやつがいたなあ。

僕のいた「有朋寮」ではなく山の上にある「以文寮」に住んでいたHくんというのが、酔っぱらって寝ているあいだに顔に「般若心経」を書かれたのだけれどそのことに気づかないまま山をおりて有朋寮を訪ねてきたことがありました。

「おまえ、顔に何書いてるんだ」

「わしは何も書いとらん」

「書いてるよ。なになに、観自在菩薩・・・・・・」

「なんじゃそりゃ」

「おまえは琵琶法師か」

Hくんは僕の知り合いの中で最もインパクトのある変わり者で、留学したオランダで結婚して日本料理店を営んでいるという噂を聞いたきり消息不明になっていましたが、最近連絡がとれました。希学園のHPをみて塾宛にメールを送ってきてくれたんです。やはりまだオランダに住んでいるとのことでした。いやはや無事でよかった。

頭に「南無八幡大菩薩」と書かれたSくんというのもいました。後に応援団の団長になった男ですが、これが語るも涙聞くも涙のかわいそうな話でしてね。

七大戦?だったかな、とにかく旧帝国大学の7つの大学がいずれかの大学に一堂に会して運動会みたいなことやるんですね。僕はよく知らないんですが。「運動会」というと怒られるかもしれませんが、要するに体育会系の部が集まって競技会みたいなことをするわけですから、運動会ですよね。

で、当然それは応援団の晴れ舞台でもあるわけです。Sくんも団員として参加しなければなりません。

ところが、Sくんはその期間に追試を受けなければ留年してしまうという瀬戸際に追い込まれていたのです。

Sくんとしては、留年はしたくないが、応援団の鉄の掟というものがあり、七大戦に参加しないというのは考えられない。

そこで苦肉の策といいますか、「策」というほどではありませんが、とにかく教授に頼み込みに行こうと。ただ行って「なんとかしてくれ」では誠意が伝わらないので、頭を剃って恐縮の気持ちといいますか陳謝の意を示そうと考えたわけです。

そこで、頼み込みに行く前夜、寮の一室で厳かに剃髪の儀が執り行われたわけですが、酔った先輩寮生(留年して寮に残っていた)が、「頭を剃るぐらいではダメだ」と言い出し、眉毛を片方、剃り落としてしまったのです。

「ああっ! 何するんですか!」

「すまん、しかし、片方の眉がすでになくなった今、もう一方も剃らないとかえっておかしいな」

「あ、ああっ、やめて~!」

両方の眉がなくなったSくんの顔はそれはそれはおそろしかったですねえ。もともといかつい風貌でしたから、凄まじい顔になっていました。鏡を見たSくん、

「こ、これは・・・・・・これでは教授に頼み込みに行けないじゃないですか!?」

「うむ。これでは頼み込みではなく脅迫になってしまうな。ひたすら謙虚な気持ちであるということをあらわすために、頭に恭順の意を示す文言を書き記そう」

「そんなことできません!」

しかし、次から次へと酒を飲まされなんだかんだと言いくるめられたSくん(ちなみにSくんは浪人しているのですでに成人でした)の頭には、いつのまにか「南無八幡大菩薩」の文字が油性マジックで大書されてしまうのであった・・・・・・。

留年確定です。

◇◆◇

さて、寮の落書きの話ですが、僕が寝ていた備え付けの寝台の天井には島崎藤村の「初恋」が書かれていました。古き良き青春ですねえ。

落書きをさらに増殖させている寮生もいました。

第99期山田内閣で一緒だった文学部のMくんは、部屋の壁から天井から机からイスからスタンドにいたるまでひたすら「ゆうゆ」と書きまくっていました。私と同世代の方なら覚えておいでかと思いますが、あのおにゃんこクラブに所属していたアイドルです。いまひとつあか抜けない感じでどこがそんなにいいのかよくわかりませんでしたが、Mくんはゆうゆ一直線なのでした。

あとは麻雀関連の落書きが多かったですねえ。何年何月何日の何時にナントカいう役を完成させたみたいな。僕は麻雀ができないのでよくわかりませんでしたが、「大三元」「小三元」という役の名前は覚えています。というのは、当時寮に「小三元」という名前のネコが棲みついていたからです。

白黒なんですが、鼻の下に昔の泥棒ひげみたいな黒い毛が生えており、なかなかの悪相でした。気まぐれな寮生たちにかわいがられたりいじめられたりしながら、ふてぶてしく寮内を徘徊していました。「ねこ~」と言いながら追いかけてくる変な寮生もいたりしてなかなか大変だったにちがいありません。

その小三元の子どもかどうかわからないんですが、とてもかわいい三毛の子ネコも一時棲息していました。名前はなんかみんな適当につけてそれぞれ好きなように呼んでいたみたいです。僕らはなんて呼んでたかなあ、ねこ丸とかなんとか呼んでいたような記憶があります。

この子ネコがよく僕の部屋に来ていました。眠った僕の枕元に上がり込んで突然にゃあと鳴き、飛び上がるほどびっくりさせてくれたこともあります。

あるときは僕の机の下に潜り込んでカーペットをがりがり引っかいているなあと思っていたら、あっという間にうんちしていたなんてこともありました。

かわいかったですけれど、なんせ僕は自分の食べるものにも事欠くありさまでしたから、にゃあとすり寄られてもあげるものがなくてかわいそうでした。

しかしもともと動物は好きなので、一軒家を借りて住むようになってからの話ですが、衝動的にゴールデンハムスターを飼いはじめてしまいました。薄い茶色のメスが「しまこ」で焦げ茶色のオスが「きょたろう」だったかな、これが油断していたらばらばらっと増えてしまって、最終的に10匹になりました。うっかりケージを開けっ放しにして出かけたときは、10匹のハムスターすべてが逃亡をはかり、僕が帰ってきたら家中のあちこちをハムスターたちがうろうろしていた、なんてこともありました。基本的にのろまなのですぐにつかまるのですが。

生き物を飼っているといろいろ制約や義務感が生じます。たとえ飼い主は低血糖でも、ハムスターのえさを欠かすことはできません。どんなに酔っぱらっていても、眠る前にはにんじんを輪切りにしてケージに放り込み、やつらがシャクシャクと食べる音を聞きながら眠りました。

酔っぱらってにんじんを切っているときに不必要に包丁をふりまわして(殺陣の練習をしてたんです)壁にぶつけ、先が折れてしまったこともありました。この包丁は、一緒に暮らしていたまじめでしっかり者のIくんが買ってきたものでしたが、Iくんはため息をついただけで許してくれました。優しかったです。というか、何を言っても仕方あるまいと思ったのかもしれません。

まったく、われながらしょうがないやつでした。

2011年8月13日 (土)

クリビツテンギョーイタオドロ

河童の好物といえばキュウリで、キュウリを巻いた寿司はカッパ巻きです。では、なぜ河童はキュウリを好むのか。河童は水神の落ちぶれた姿でした。ところで、祇園の八坂神社はスサノオノミコトをまつっていることになっていますが、実はインド起源の牛頭(ごず)天王だとも言われています。牛頭天王も水神なのですね。そして、八坂神社の紋章が「木瓜」です。織田信長のところと同じです。「もっこう」と読むのですが、訓読みすれば「きうり」であり、キュウリの切り口にも似た形の紋章です。祇園祭のときにはキュウリを食べないという風習も、紋章に似たキュウリを食べるのはおそれ多いということだったのでしょう。ということで、河童→水神→牛頭天王→祇園→木瓜→キュウリとなったのですな。祇園というのは不思議な神様で、古代イスラエルの宮殿のあったシオンの丘が名前の元になったという、トンデモ説もあります。たしかに、山鉾の絵模様を見ても、ラクダやライオンとかピラミッドなんかが描かれていたりして国際色豊かです。

狐の好物の油揚げも、こういう「こじつけ」があります。油揚げに包まれた寿司は「いなり寿司」です。単純に油揚げの色と狐の色が似ているからとも言われますが、それではおもしろくない。稲荷の神様は、御食津媛(みけつひめ)で、この「みけつ」に「三狐」の字をあてたところから稲荷の使いが狐になったそうな。ところが、祇園と同じように、稲荷神社の神はインドの荼枳尼(だきに)天だとも言われています。もともとジャッカルにまたがっていたのが、日本にはいってきたときにはジャッカルは日本にいないものだから、狐ということにしたとか。いずれにせよ、稲荷と狐が結びつきました。で、大昔は荼枳尼天を奉じる修行者はネズミのフライをお供え物にしていたそうですな。この荼枳尼天が、のちに殺生を禁じる仏教にとり入れられた際に油揚げで代用したとかいうことで、狐と油揚げがつながってくるわけです。

ここまでややこしくなくても、世の中には「つきもの」というのがあります。梅に鶯、鹿に紅葉、獅子に牡丹、猪に萩……。花札の絵柄です。竹に雀もそうですね。雀のお宿は竹藪の中にあります。ところで舌切り雀をもじって「着た切り雀」ということばが生まれました。一度着たら、なかなか着替えないのを「いっぺん着たら着たきりやな、着たきりスズメか、おまえは」という、いわばだじゃれです。本来「スズメ」の部分は余分ですが、これがあることでだじゃれであることがわかります。「感謝感激雨あられ」も「乱射乱撃雨あられ」のだじゃれです。これとちょっと似ているものに、あることばが終わったあと、なんとなくものたりないので、だじゃれでつないだことばを無理矢理くっつけるというパターンもありますね。「驚き桃の木山椒の木」とか「ああうまかった牛負けた」とか、古いところでは「その手は桑名の焼きはまぐり」というのもあります。「何か用か九日十日」や「そんなこと有馬温泉」なんてのも一昔前の漫才でよく使われていました。寅さんも「結構毛だらけネコ灰だらけ○○のまわりは○○だらけ」「たいしたもんだよ蛙の小便」と言っていました。蛙の小便は田んぼにするので「田へしたもんだよ」から「たいしたもんだよ」になっていくんですね。「あたり前田のクラッカー」というCMは知らない人が多くなっているのだろうなあ。

こういうことば遊びの中では「アナグラム」というのがあって、私は結構好きですネコ灰だらけ。アナグラムというのは、ことばの文字を入れ替えて別のことばにする遊びです。「田中角栄」の「たなかかくえい」を並べ替えて「ないかくかえた」「内閣変えた」にするというやつですな。最近見たものでは「鯛に琵琶湖を破壊させよ」というのがありました。あることわざのアナグラムです。「させよ」がそのまま残っているのが難ですが、出来としてはなかなかのものです。「せこいつまだ」「ごみ拾う」という歌手、になると、もはやどちらも古典的名作と言えます。「阿藤快」と「加藤あい」もアナグラムの関係ですね。「ともさかりえ」は歌手として出るときには「さかもとえり」と名乗っていたような気がします。福永武彦という作家がいました。怪獣映画『モスラ』の原作者でもあり、やはり作家の池澤夏樹のお父さんでもあります。この人がアナグラム好きで、探偵小説を書くときに「福永だ」をアナグラムにして「船田学」というペンネームにしようとして編集者に怒られたと言います。それでも性懲りもなく、「加田伶太郎」というペンネームにしました。「かだれたろう」は「たれだろうか」つまり「誰だろうか」のアナグラムです。主人公の探偵の名前は「伊丹英典」で「いたみえいてん」、これは「名探偵」をローマ字で書いたものをアナグラムにしています。こんなふうにアルファベットを並べ替えるのが本来のアナグラムでしょうが、複雑になると、元のことばがまったくわからなくなります。元のことばの感じがなんとなく残っているのがオシャレです。

森田さんが「タモリ」になったり、「小樽」のケーキ屋さんが「ルタオ」になるのは、アナグラムというより、さかさことばです。手塚治虫のジャングル大帝にも「ルネ」と「ルキオ」という双子のライオンが出てきましたが、「ねる」と「おきる」のさかさことばです。「いじめる」のを「かわいがる」と言うのも「さかさことば」ですが、それとはちがって、「たね」を「ねた」、「しろうと」を「とうしろう」、「やど」を「どや」、「ばしょ」を「しょば」というふうに、ことばの順をひっくり返すものです。芸能界や「やっちゃん」業界の人がよくやるやつですね。「うまい」が「まいうー」になるのは有名です。「ちゃんこなべ」が「べなちゃんこ」になるのは、西宮出身の芸人夙川アトムが「ねた」でやっていました。「ゲンをかつぐ」は「縁起→ぎえん→げん」だし、「ポシャる」は「かぶとをぬぐ→シャッポをぬぐ→シャッポる→ポシャる」です。「プテキャン」は焼き肉らしい。「焼き肉→朝鮮→船長→キャプテン→プテキャン」という流れで、こういうのは何を言っているのか一般人には知られたくないという、一種の暗号みたいなものなのでしょう。「クリビツテンギョーイタオドロ」はハリーポッターの呪文ではありません。

2011年8月 4日 (木)

鉢巻きの色は青

機械的に暗記しようとしてもなかなかうまくいかないので、語呂合わせにたよることになります。ただ、語呂合わせでも意味の上でもなるほどと思えるようなものは忘れにくいようです。「なくようぐいす平安京」「いいくにつくろう鎌倉幕府」、「いごはなみだの室町幕府」はなんとなく納得ですが、「奈良の納豆」はイマイチです。本能寺の変の「いちごパンツ」ぐらいになればインパクトがあるので悪くはありませんが。

英単語でも、「集中する」という意味の「concentrate」が、「con」が「ともに」の意味であり「ate」が動詞化する働きをもち、まん中が「center」であることがわかれば、「センターに集める」つまり「集中する」であることが納得できます。こざとへんは「阜」がもとになっています。中国の周のホームグラウンドである「岐山」から借りてきて信長が「岐阜」と名付けたのですから、「阜」の意味は「山」です。そこで、こざとへんの字は土のもりあがったところを表し、一方おおざとは「邑」の変形で、これは「むら」ですから、人の集まるところを表します。さんずいは「水」ですが、にすいは「氷」で、「冬」や「寒」の下の部分はもともとにすいでした。そういったことをしっかり納得して覚えれば二度と忘れることはありません。

とはいうものの、世の中には物覚えの悪い人もいるようで、落語の「くっしゃみ講釈」は、胡椒を買いに行くのに「のぞきからくり」をやる話です。どこに何を買いに行けばよいか、どうしても覚えられないので、「のぞきからくり」の「八百屋お七」を思い出せ、と言われるのですが、さあ、いまどきの人は「のぞきからくり」も「八百屋お七」も知らんのでしょうなあ。こんなことを言うと、おまえは何時代の人間やと言われそうですが……。のぞきからくりというのは、レンズのついた穴があいている箱です。それをのぞくと中に錦絵を描いた板がつってあり、節をつけた語りにあわせて引き上げたり降ろしたりして場面をかえながら物語っていくという、古くさーい見世物です。八百屋お七は、江戸時代の大きな八百屋の箱入り娘で、江戸の町が大火事になったときに避難した駒込吉祥寺の小姓に一目惚れします。再会するためにはまた火事にならねばならないと思い込み、放火して捕らえられ火あぶりにされました。井原西鶴の「好色五人女」にも描かれています。……ということで、お七の相手は寺の小姓ですから、「胡椒」を思い出す手がかりになるのですが、結局思い出せず、八百屋の店先でのぞきからくりの語りをえんえん繰り広げることになります。「小伝馬町より引き出され、ホェー、先には制札紙のぼり、ホェー、同心与力を供に連れ……てなもん、おくれ」「そんなもん、おまへんわ。」「ホェー」「またかいな、この人」「はだか馬にと乗せられて、ホェー、白い襟にて顔隠す、ホェー、見る影姿が人形町の、きょうで命が尾張町……てなもん、ちょっとおくれんか」と、さんざんやって「売り切れ」と言われるんですね。八百屋のおっさんに「あんた今時のお方やおまへんな」と言われます。帰ると、「八百屋のおっさんわろてたやろ」と言われ、「ほめてたで、あんた今時のお方やおまへんやろ言うてた」という、ばかばかしい話で、このあたりは是非とも桂枝雀で聞いてください。

ところで、八百屋お七はそのあとの裁判で、奉行が命だけは助けてやろうと考えます。十五歳以下なら罪が減じられるので、「おまえは十五歳だな」と言い含めるように言うのですが、お七は「いいえ、私は丙午年生まれの十六歳」と言ってしまうのですね。では、なぜお七は丙午でなければならないのか、そしてなぜ丙午はよくないとされるのでしょうか。前にも書いたような気もしますが、十二支を右回りの円に配分してみるとわかります。子を上に午を下になるように書いて、これに東西南北をあてはめます。北を子、南を午とすれば、北と南をつないだ線を子午線と言う理由がわかります。さて、この東西南北にはさらにいろいろなものがあてはめられます。東には春・青・竜、南には夏・赤・おおとり(朱雀)……というように。まん中には無理矢理黄色をあてはめます。これに宇宙を構成する五つの要素、木・火・土・金・水を強引にあてはめると、まん中を土にして、北は水、南は火ということになりました。つまり、午は火なのですね。「丙」は「火の兄」つまり「火」のプラス(陽)ですから、丙午は火が重なることになります。そこで、この年生まれの人は激しい気性の持ち主ということになり、とくに女の人は男を食い殺すとまで言われたのでした。お七は放火犯でもあり、まさに丙午の代表とされたわけですが、そんなの迷信だろうと思いきや、昭和四十一年の出生率が低かったのは、その年が丙午だったからです。

ところで、南の午を頂点として、寅・戌を結ぶ三角形を火へ向かうグループと見ると、その逆は、北の子を頂点とした辰・申とのトライアングルになります。辰は水神ですから、水の神様でありながら、ねずみのような顔をして、猿のような姿をしたものがこのトライアングルから浮かび上がります。そう、河童です。なんと十二支に河童が隠れていたんですね。こいつは当然、水のグループということになります。川辺に水を飲みに来た馬が小さな河童が引きずり込まれるのはそのためです。なぜなら馬は火であり、河童は水でしょ。水は火に勝つじゃないですか。消すことができるんですから。同じように、水に勝つのが土で、土に勝つのが木で、木に勝つのが金で、金に勝つのが火ですね。また、木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生むとも言われます。たとえば、漢帝国をつくった劉邦は赤龍の子と呼ばれていたので、赤にあたる「火」から漢は「火の徳」の王朝とされました。やがて漢が衰えたころ、黄巾賊というのが出てきました。火は土を生むのですから、漢王朝の次の時代を支配する者は、土に相当する「黄」が目印になるはずです。だから黄色い布を頭に巻いたのだ、……という説があります。希の塾生が青い鉢巻きをするのにも、何か意味があるのかなあ。

2011年7月24日 (日)

パワースポットはもう古い、これからはパワーアニマルの時代!(光年のかなた⑤)

先日テレビを見ていたらイノシシにケガをさせられた方のことが報道されていました。また、その数日後には不運にもクマにおそわれた方の報道もありました。

いや、実は、私もクマに遭遇したことがありましてね(ちょっと自慢)。しかもあのヒグマ。ホッキョクグマ・グリズリーに続いて世界で3番めにでかいクマ、ヒグマです。

あらかじめお断りしておきますが、クマ牧場や動物園で遭遇したというようなはしたないオチではありませんよ。

20××年7月に北海道の大雪山を縦走したときの話です。

例によってといいますか、いろいろひどい目にあっているにもかかわらず、そのときも私はまたテントを担ぎひとりで山に入ったわけです。

北海道の山といえば、ヒグマとキタキツネが怖いですね。キタキツネが怖いというのは、あれです。エキノコックス。ご存じですか。潜伏期間10年、生存率30%ともいわれる悪魔のような寄生虫です。キタキツネちゃんのうんちを介してこの寄生虫の卵が水場を汚染している可能性があるので、テント場で汲んだ水は必ず煮沸して利用します。めんどくさがりで、山にいるとどんどん汚いのが平気になっていく私もさすがにこまめに煮沸しました。

ちなみにそのキタキツネちゃんにも会いました。山に入った初日に、登山道を普通にてくてく歩いておりてきたんです。ひどく目つきの悪いキタキツネで、僕の方がぎくっとしてしまい、立ち止まって息を殺していたら、じろりと僕を一瞥して足もとを通り過ぎていきました。怖かった~。あれは不良ですよ不良。キタキツネの好きな食べものを持っていたらカツアゲされたにちがいありません。

さて、ヒグマです。

キタキツネに脅された翌日はひどい雨と風で、寺山修司の『田園に死す』に出てくる恐山みたいな荒涼とした道を半泣きになりながらひたすら歩くはめになりました。よく見ると高山植物がたくさん咲いているんですが、山は何もかもお天気次第です。晴れていたら、この世のものとは思えないほど美しい、楽園のような世界になりますが、雨風が強いと、この世のものとも思えないほど陰鬱な、冥界のような場所になります。

で、その次の日です。その日はわりと長丁場といいますか、長時間歩く予定になっていましたが、前日とちがって天気がまずまずだったので、夜明け前にテント場を出て、目的地のトムラウシ山(えーと、一昨年でしたか、遭難で、確か8人?亡くなられたところ)をめざし、調子よくルンルン歩いていました。

僕は歩いていて人に抜かれるのがすごく嫌いです。後ろから人の気配が近づいてくると、むきになってスピードを上げてしまうタイプです。車を運転しているときはホイホイ道を譲るんですけど。

ところが、その日は、歩き始めてすぐに背の高い男性が近づいてきて、ちょっと対抗する気にならないぐらい速かったものであっさり道をあけました。ザックのふくらみ具合から判断して、テント泊ではなく小屋泊まりらしかったので、「しょうがないさ、荷物の重さがちがうんだ」と自分をなぐさめつつ。

その後数時間だれにも会わず、いかにもヒグマの出そうな風景のなかを、クマよけの鈴をちりんちりんと鳴らし、ときどき「ヒグマちゃん来ないでね~」と叫びながら、快調に歩き続けました。

いくつかピークを越えてその日の行程の半分を過ぎたあたりでしょうか、先ほど僕を追い抜かしやがりなさった男性が戻ってきたのです。ちょっと不思議でした。ピストンするようなピークはこの先にはないはずです。まさかトムラウシまで行って戻ってきたはずはないし・・・・・・と思いつつしばらく歩くと、

いたのです、奴が。

雪渓を100メートルほどトラバースした先の登山道付近でした。食べものをさがしているふうで、鈴をちりんちりん鳴らしてもまったく気づきません。

くそう、これか。こいつに気づいて引き返したんだなあの野郎、何で俺に教えてくれねえんだ!

そう、これは本来ならば大急ぎで引き返すべき場面です。100メートルの距離なんて、本気でヒグマさまが向かってきたら逃げ切れません。

しかし僕には予定があるのです。俺は今日中にトムラウシのテント場に行ってビールを飲みたいんだ!

そこでさらに激しく鈴を振るのですが、まったく無視。

で、私は勇敢にも雪渓を踏んで少し近づいてみることにしたわけです。鈴を鳴らしながら。

えーと、くり返しになりますが、これはほんとうは決してやってはいけないことです。Y田M平氏いわく、「ヒグマに遭遇した時点で遭難です」。

でもそのときの私はなんだか大丈夫な気がしたんですね。まあ、なんとかなるやろ、行ってまえ、てな感じです。

ところが奴は全然気づかないのです。そのうちガスが出て、まったく視界がきかなくなってしまいました。さすがに無謀な僕もこのまま前進する気にはなれません。登山道にたどり着いてガスが晴れたらそこに奴がいた、なんてことになったら一巻の終わりです。

いったん雪渓の手前まで戻り、ガスが晴れるのを待ちました。

ものの数分でガスが晴れてみると、奴の姿が見あたりません。さっきの動きからみて、ちょいとそのへんのブッシュの蔭に入っているだけだろうとは思ったんですが、姿が見えないとなんとなく気が大きくなってしまうものですね。

よし、行こう!

と僕はすばやく決心しました。

一応、小石を三つ拾って手に握りしめました。(万が一奴が襲いかかってきたら、わしの剛速球を鼻にぶつけてそのあいだに逃げよう)という綿密な計画を立てたのです。さらに、

鈴の音が小さくて役に立たんから歌をうたいながら行こう! 歌が聞こえたら奴の方が逃げてくれるにちがいない!

という緻密な計算をしました。もちろん歌は『森のクマさん』です。

ちょっと想像してみてください、大の大人が、「ある日森の中クマさんに出会った~!!」とわめきながら歩いているところを。しかし笑いごとではありません。僕としてはかなり命がけです。

しかし『森のくまさん』はいかにもまずかった! なんと一番が終わったところで歌詞がわからなくなり、パニックに。

うたっていないと奴が来る! うた、うた、何かないか、かんたんな歌詞の! なかなか終わらないやつ! そ、そうだ、あれがあった!

というわけで、次に選択したのが、『やぎさんゆうびん』です。これならエンドレスでうたえます。

もう間奏抜きで、必死のパッチでうたいまくりました。たぶん60番くらいまでうたったんじゃないかと思います。3番くらいですでにしろやぎさんの番だかくろやぎさんの番だかわかんなくなっていましたが、とにかく目論見どおり、休むことなくうたいつづけることだけはできました。

少し見晴らしのいいところまでたどり着いて、ふと振り返ると、登山道から少し離れた斜面に奴がいました。僕の方をじっと見ていましたが、僕と目が合うと、山襞の向こうにのっそりと消えていきました。

う~・・・・・・かっこいい!!

僕がそのとき感じたのは恐怖ではなく、感動です。なんて大きいんだ、ヒグマ。なんてかっこいいんだろう!

ヒグマが神の使いってのはほんとだな、と思います。

単に僕の出会ったヒグマがかっこよかったから言うのではありません。

奴に会ったあと、私はちょっとした神がかり状態になったんです。

ガスが濃くなってうっとうしいなあと思うでしょ、しばらく我慢しているんだけど、だんだんげんなりしてきて「晴れてくれよな」とつぶやくと、2秒で晴れるんです。そういうことが何と3回連続で起こったんですねえ。

これはもう神がかりだ、ヒグマさまのパワーにちがいない!

とうかれた私は、ここを先途と、次から次へとお願いごとをしてみました。

そういうことをするとだめですね。あっという間に神通力が薄れてしまいました。お調子者はだめです。

ま、なんにせよ、無事に下りてこられてよかった~と今は思います。

大雪山におけるヒグマの密度は、本州の山におけるツキノワグマの密度よりかなり高いと思います。下山中にも樹皮についた爪痕や糞を見ました。

というわけで、昨今はパワースポットブームとかいって、あっちこっちで宣伝しているみたいですが、ヒグマさまのパワーにはなかなか叶うまいと思っているのであります。

そういえば仙台にもパワースポットといいますか(当時はそんな言い方なかった)、心霊現象の起こる場所みたいなところがありました。

知る人ぞ知る自殺の名所、八木山橋です。

遊園地や動物園のある八木山と青葉城のある青葉山のあいだにかかっている高い橋で、橋の下は「竜の口渓谷」と呼ばれており、化石がとれるので有名な場所でした。

自殺の名所という不名誉な称号を冠せられていたため、金網の高さが3メートルぐらいありました。はじめて橋の上に来たとき、「この金網にわざわざのぼって、そして飛び降りる人がいるんだ」と考えて、なんだか悲しくなったことを覚えています。でもその後、金網が丸く切り取られているのを見て、ますます何とも言えない気持ちになりました。

わざわざペンチ持って来たんだ。夜中に。自分を投げ捨てるために。

そう思ったんです。

この橋の近くの道を夜遅く歩いていたとき、木の下にぶらさがっている人影らしきものを見て震え上がったことがあります。

バス停でした。

おどかすんじゃねえ、バス停!

2011年7月14日 (木)

専門用語

ことばは日々新しいものが生まれて消えていきます。

特に、今のような高度情報化社会では、ことばの「新陳代謝」は目まぐるしいスピードとなるわけです。

なんだか国語の教材に出てくる論説的文章のような始まり方ですが、今回も私らしく、「ベタな」読み物となることを許してください。

「ナントヵちゃんねる」なる某有名ネット掲示板でも、「新語」が生まれては消えていくようです。

ことばを扱う仕事に携わる者としても、興味は尽きないので、

「◎◎しますた」「~ですが何か?」「◎◎乙」「orz」「㌧クス」など、新しい「表現」?を見つける度に、

これは流行りそうだな~とか、これはさぞ短命であろうことよ、それみろ云々などと一人で予想をしています。

その昔、私が中学生の頃、「初歩のラジオ」という雑誌があって(今は残念ながら休刊となって久しい)、田村正和や別所哲也が持ってくる食べるハムとは根本的に別の無線のハムや、電子工作など、硬派なお宅(あえて漢字で書きたい)の雑誌としてお宅界に君臨していたかと思います(あくまで私の見解です)。

近所の高専出のお兄さんにどさっと古い「初歩のラジオ」を何冊ももらい、活字に飢えていた私はすっかり「初ラ」読者に。最初のページから私の知らない理系用語?が続出で、あたかも高校の理科研究会に見学者として参加したような、うかつに変なことを聞けないような、それでいて自分も奥深い世界に入っていく予感のする「わくわく」を今でも思い出せます。

どうも理系の方々には「あ、それを聞く人なの」「その質問は愚問だな」「そこから説明させるわけね」的なふんいきがあり(あくまで私の見解です)、そこがなじめないという人もいるわけなんですが、私はそういうとこが結構好きです。入るときは敷居が高いけれども入っちゃうとぬくぬくな世界。これっておおむね日本人の傾向かも。

あ、話がベジエ曲線をいじっているときみたいにあらぬ方向に。

その「初ラ」という「誠文堂新光社」という出版社の雑誌によく出てきたのが「FB」「VYFB」という省略語。

そもそも意味がわからない言葉だらけの雑誌の中で「アッテネータの減衰量を……トランジスタ出力の……閾値の……するとFBです」などというに至っては、もはや文脈で推理することが困難でしたが、何度かまったく違う文脈で出てくることから「ナイス」「いい感じ」「スマート」くらいの意味で使用されとるのかしらん、とおぼろげながら理解しました。

理系の人々は本来国語が「相対的に」苦手であるはずなので、彼らなりにコミュニケーション能力を発達させるために「文脈から用語の意味考えろ」的な、「一見さんお断り」な、「上級者と初級者の違いは云々」「……坊やだからさ」という感じに世界を構築しているのだと勝手に想像が広がってしまいます。

そういう系の(というとこの「~系」も流行ったものですが)言葉としては、女性雑誌にとどめを刺すと思います。

そもそも女性は流行語・新語に敏感ですよね。かの紀貫之が女性の視点で「土佐日記」を書くことにしたのは、女性の言葉の方が自由闊達に思いを書けそうと考えたからとか。今のおネエブームの遠い先祖かもしれません。

女性誌の電車の中吊り広告を見ると、

「タンスのコヤシ的ボトムスがちょい姫着回しコーデに激カワマストアイテム」

とかなんとか。私の想像力や記憶力ではこの程度の再現性しかないのですが、とにかく、

女性の造語能力は素晴らしいと思います。平安時代の女房言葉しかり。

この辺りの事情は山下先生の授業で運が良ければ聞けるかもしれません。

話があちこちに飛びましたが、私の読解力は「初ラ」で鍛えられたのかもしれません。

懐かしき誠文堂新光社。その後も「天ガ(天文ガイドという雑誌)」が私を悩まし続け、

天文少年だった私は、図書館で何か月遅れかの天ガを読み、

「もうこの天体ショーとっくに終わっとるやんかいさ」とがっかりしつつ、

「やはり接眼レンズはオルソに決まっておるぞ」などとごく内輪で悦に入っていましたとさ。

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