2011年4月27日 (水)

伊丹十三は目玉焼きをどう食べたか

知らない間に名前が変わるというのは、実は意外によくあることかもしれません。明治になって生まれた「牛鍋」なるものは、いつのまにか「すき焼き」に変わりました。ただし、これは関西と関東での違いが関係するかもしれません。関西でははじめから「牛鍋」ではなく、「すき焼き」だったような気もします。「おでん」も関西で「田楽」と言われたものがルーツなのでしょうが、「味噌田楽」とは似ても似つかないものだから、関西人は「関東だき」と言っていたのではないでしょうか。でも、「関東だき」も死語になり、関西でも「おでん」になってしまいました。「関東炊き」は煮込んでいるので「炊く」ということばがあいますが、「すき焼き」は焼くのでしょうか。高い店では最初に肉だけを「焼く」(正確に言うと「焼いてくれる」)ので、なるほどなと思いますが。「すきなべ」ということばもありますな。これは牛肉ではなく、魚介類を使った物で、要するに「すき焼き」のパチモンということでしょうか。

だいたい、「焼く」とか「炊く」とか「煮る」とか、区別がつきにくいようです。「…焼き」の造語法からして無茶苦茶です。「玉子焼き」は玉子を焼いていますが、「たこ焼き」はタコそのものを焼いているわけではありません。「いか焼き」の場合は、「たこ焼き」の親戚みたいなやつをさす場合もあり、イカそのものを焼いた場合もあります。「たい焼き」は鯛の形をしているだけです。これは「人形焼き」も同じでしょう。「鉄板焼き」は「鉄板」で焼いたものです。「広島焼き」は、広島で生まれたものでしょう。「モダン焼き」は何なのでしょう。「目玉焼き」はもちろん「目玉」を焼いたものではありません。

また、「焼く」と「炒める」の違いは何でしょうか。イメージ的には鍋やフライパンを使えば「炒める」であり、「焼く」は直接火に接する感じがします。しかし、それならば「焼き飯」はまちがいで、「炒飯(チャーハン)」が正しいことになります。ピラフはスープで炊いたものであり、「炒飯」は油で炒めています。「焼き飯」も油で炒めているのですが、「炒飯」とはどこが違うのでしょうか。玉子をいつ入れるかで区別する、という説を聞いたこともあるのですが、なんかうさんくさいですね。

では、「炊く」と「煮る」のちがいは何でしょうか。関東では、ご飯だけが「炊く」でほかは「煮る」と言うようです。関西では「煮る」はあまり使わないような気がしますが、どうでしょう。「大根の炊いたん」という言い回しが関西では普通です。他にも「魚の焼いたん」「豆腐の腐ったん」というのもありますな。ただ、「煮るなり焼くなり好きにしろ」なんてことばもありますから、「焼く」に対応する調理法としては「煮る」が正しいかもしれません。でも、カレーは「煮る」ではなく、「炊く」で決まりのような感じがします。ということは、やはり「炊く」と「煮る」は違うのでしょうね。

カレーといえば、ふつうはビーフカレーですが、これも東京では豚肉を使うらしい。東京は牛肉が高いので、豚肉がメインになり、肉じゃがも豚肉だとか。関西では、「肉」=「牛肉」であり、豚肉はわざわざ「豚肉」と言います。551の「ぶたまん」も、東京では「肉まん」というのですね。とはいうものの、さすがに「焼き肉」は東京でも「牛肉」でしょう。「しゃぶしゃぶ」は牛肉があたりまえだと思っていたのが、最近では「ぶたしゃぶ」のほうがおいしいとさえ感じられるようになってきました。豚肉入りのカレーはまだ抵抗がありますが、食べてみたら意外においしいかもしれません。

そもそも、カレーは本来インドなのだから、牛肉というのは変だったのですね。ビーフカレーはインドの人にしてみたら、許せない料理なのでしょう。いや、インド人から見たら、日本の「カレーライス」は完全な日本の料理です(カレーライス」も昔は「ライスカレー」という言い方がありましたが、これも死語でしょうか)。ラーメンと同じく、もとは外来のものであったとしても日本にしかない料理になっているようです。トンカツやコロッケなども「和食化した洋食」なのですね。オムライスなんて、西洋にはなさそうです。いくら皿にのせたって、日本風の「ごはん」は本格的なフランス料理には出てくるはずがありません。「本格」ではない「洋食」には、皿にのせた、いわゆる「ライス」なるものが出てきます。ファミレスで「洋食」を注文したあと、「それにごはんつけて」と言うと「ライスでございますね」と言われるので、「いや、ごはんです」と言うと「ライスでございますね」「いや、ごはんです」「だからライスですね」と泣きそうな顔で言われます。そのくせ、最近はお箸を使って食べられるようになりました。昔はナイフとフォークしか出てこなかったのです。この凶器のような代物を使って、皿にのった「ライス」をどうやって食べればよいのでしょうか。昔の日本人は、なんと左手にもったフォークの背中に、ナイフを利用しながら「ライス」をのせて食べるのが「マナー」だと思っていたのです。そんな「器用」なことはなかなかできないですが、それができないと、「上品」な人たちから、「マナーを知らない」とバカにされたものでした。今から考えると、西洋コンプレックスのかなしい三流国民でしたな。どこのアホが考え出した「マナー」だったのでしょう。

でも西洋でも「目玉焼き」は食べるのですね。片面のみ焼いた「サニーサイドアップ」はナイフとフォークを使って、どのように食べるのが「マナー」なのでしょうか。だれも見ていなければ、黄身に直接口をつけて、チューチュー吸いたいのですが、さすがに人前ではそうもいきません。パンにつけて食べるのがよさそうな気もしますが、本当に「マナー」として正しいのでしょうか。なんか汚らしい感じがします。「スプーンをくれー」とさけぶのもどうかなあ。ひょっとして、気の利いたところなら、はじめからスプーンを出してくれるのかもしれません。伊丹十三は、「目玉焼きって食べ方に困るよね、ほら、こんな風にすると汚らしいし、こうしてチューチュー吸うと子供みたいだし……」と言いながら、結局全部食べてしまうという、達人らしい食べ方を紹介していました。この人は大江健三郎の義理の兄で、俳優や映画監督として有名でしたが、実はエッセイストとしての才能が最も優れていたように思います。「日本世間噺大系」というのがたいへんおもしろうございました。文庫でも出ているので一読をすすめます。ただし、あの味がわかる大人になってから。

2011年4月21日 (木)

バイトの日々③

さて、少し前に、仙台在住であった学生時代およびプータロー時代にさまざまなバイトをしたという話をしました。

その中でも比較的長くつづいたバイトについて紹介する第2回!

ジャカジャーン、第2位は、

放送局の夜勤!

です。

宿直の記者およびカメラマンのためにお茶を出したり、コンビニへ買い出しに行ったりします。

茶筒にお茶が少ししか残っておらず、ほぼ粉末と化した茶葉で渋そうなのを淹れて出したら「馬鹿野郎、こんなのが飲めるか」と怒鳴られたりしました。Kさんという切れキャラの記者で、みんなに恐れられていましたが、昼間のバイト君が、「Kさんておもしろくて良い人だよね~」などとのたまうのでびっくり。どうも宿直のときは異様に機嫌が悪くなるみたいでした。

そんなKさんも、Mさんという先輩のカメラマンと泊まりのときはご機嫌うるわしく、いつまでもふたりで酒を飲んで宴会状態。機嫌がいいのは結構なことですが、朝起こすのもバイトの仕事なんですよね。で、起きない。さんざん飲んで寝てるからまったく起きない。困り果てていると、若くて好感度№1だったアナウンサーのIさんが代わりに起こしてくださったのですが、気持ちよく寝ているところを起こされて怒り狂ったKさんにヘッドロックされてさわやかIさんもさすがに激怒、放送局内は一触即発のやばい空気に。そりゃ我々だっていつまでも寝ていてほしいけど(怖いから)、起こさないと朝のニュースの原稿ができないですからねぇ。

放送局というのもなかなか変な人が多かったです。

名前は忘れましたが、小太りのベテランの記者の方がいらっしゃって、ある日机に手をつきながら歩いているので、「どうしたんですか?」と訊ねると、「うん、昨日、酔っぱらってコサックダンスしたら腰をいためちゃってさ」

「あんたアホですか」とも言えず、それはそれは・・・・・・などと曖昧な返事をした覚えがあります。

また、カメラマンの、こちらも名前は失念しましたが、やはりベテランの方で独特な人がいました。事件や事故が起きると、カメラマンと記者が出動するわけですが、これにバイトも同行します。簡易照明セットを持ってカメラマンについて回り、カメラマンが照らせと言ったところを照らすのが仕事です。

ふつう、事件が発生すると、三人一組の我々はタクシーに乗って現場に急行するのですが、このカメラマンの方は運転が好きなので、必ず自分の車で現場に向かいます。そして、運転についてひとくさり講釈をぶってくれるのです。

「渋滞なんてのはさ、あれは、鈍くさいやつがいるから発生するのよ」

「そうなんすか?」

「なんで渋滞が起きるかっていうと、信号が青になってスタートするときにさ、はじめの車がスタートしてから、列の最後の車がスタートするまでに時間差があるでしょ。だから渋滞になんのよ」

「はあ」

「だからさ、信号が青に変わるでしょ、その瞬間に全員がアクセル踏めばいいのよ。でも鈍くさいやつがいるからそれができないわけ。わかった?」

「はあ」

「ところで、バイトくんさ、ビールにいちばん合うおつまみって何かわかる?」

「いや、何ですか」

「バナナ!」

「え~?」

みたいな感じで楽しかったですねえ。

東北自動車道で、サービスエリアへの側道と本道の分離帯に突っ込んでしまった車がひっくり返るという事故が起こったときですけれど、事故を起こした子かな、若い男の子が道路脇に座り込んで頭を抱えていたんですね。かわいそうだな~と思っていると、このカメラマンのおっちゃんが手真似で「あれを照らせ」と云うんです。いやさすがにそれはかわいそうじゃないかと思ったんですが、だめださっさと照らせと。だって撮ったって使えないでしょと思いつつ、仕方なく照らしました。じ~っと撮ってましたね。もちろんニュースで流せるはずもないんですけどね。

ここのバイトは一年間ぐらいやってました。結構気に入っていたんですが、一年以上は働けないという決まりだったのです。

今回の地震で、当時のことを頻繁に思い出します。

ご存じのように西日本とちがって東日本は地震が多いです。僕が夜勤に入っているときに地震が起こったこともあります。といってもせいぜい震度3くらいだったんですが。

で、あちらは、地震が起こるとまず「津波は?」となります。三陸での津波の苦い経験があるし、とにかくまずは「津波」なんですね。何はさておき、津波に関する情報をアナウンスしなきゃいけないっていう感覚です。大阪生まれの大阪育ちである僕にはそういう感覚がなかったから新鮮でした。そうか、そうだよなと思って。

あんなに気をつけてたのにな。

あんなに気にしてたのに。

なんともいえず悲しいです。

2011年4月15日 (金)

うっかりする日々

すでにお気づきの方もひょっとするといらっしゃるかもしれませんが、私は相当なうっかり者であります。

日々うっかりし続けてウン十年。さすがにちょっとまずいなあと思う今日この頃ですが、あえて断言します、今さらなおりません。気をつけようと思っていないわけではないような気もしないではないが、なおる気はまったくしな~い!

先だってもかなりうっかりしてしまいました。

ご存じのように、希学園では、授業を欠席された方用にWEB講義というものを配信しており、私は小4PコースのWEB講義を担当しています。

この撮影が。慣れないうちはなかなかやりにくくて。

ふだんは子どもたちとキャッキャッ楽しく漫才しながら授業を展開していくんですが、このWEB講義は、だれもいない教室でカメラに向かってしゃべっているので、当然のことながら何の反応もありません。NHK教育のなんとか講座みたいになってはいかーんと自分を戒めてはいますが、なんせ手応えがないので毎度毎度不得要領な気持ちで撮影を終えることになります。

さて、そんなある日。

切りのいいところまでしゃべり終えていったんカメラを止めようと、リモコンのスイッチを押してもカメラが止まらない。撮影が終了すると赤く光っているインジケーターが消えるはずなんですが、消えない。おっかしいなあ、と思ってリモコンをよくみると、スイッチをまちがえていたんですね。あ、なんだ、押すとこまちがえてたよ~と思ってスイッチを切ったんですが、まちがえて押したスイッチが何のスイッチで、それがどんな結果をもたらすかについてはまったく考えなかったんですね。ここらへんが私のだめなところです。

私が押していたのは、ズームボタンだったのです。

つづいて次のパートの撮影を開始したとき、ん? なんだかおかしいな・・・・・・という違和感を覚えたんですが、その違和感の正体が何かは考えませんでした。くり返しになりますが、このあたりが私のだめなところです。

で、いざ編集作業という段階になって、

「西川先生、板書の端が切れてますよ」

「え?」

「至急撮り直してください」

「ええ~っ?」

というわけで、急遽撮り直すことになったんですが、

服がちがう。

この№だけ途中で私の服が変わり、また元に戻ります。

もうこうなったらやけくそで、

「お色直ししてきました~」

とかなんとか言おうと思ったんですが、

「やめたほうがいいと思います」

と止められてしまいました。

そうそう、それで思い出しましたが、最近どうもかつてのようなアグレッシブさがなくなった気がするんですよね。

昔は後輩に、

「西川さんてさあ」

「なんだい」

「口では何かひどいことを人にしてやろうみたいなこと言うけどそれは口だけでふつう実際にはそんなことしないよねっていうようなことを、ほんとにするよねannoy

とよく言われたものですが、最近すっかり丸くなっちゃって。

先日の合格祝賀会でも、自分の勇気のなさにがっかりしました。

全講師が壇上から卒塾生にむかってひとことずつ言葉をおくったんですが、何をしゃべろうかなあと考えているときに、ふと、理科の江見先生がバク宙をやるという噂を耳にしたんです。

なに? バク宙?

これはまずいと思いましたね。(このままでは江見先生に主役の座を奪われる。さいわい、ボクの出番は江見先生の少しあとだ。江見先生のバク宙に対抗し、主役の座を一気に奪い取る妙案はないものか?)

そうだ! 

江見先生がバク宙をする。→会場が「おお~っ」という雰囲気に包まれる。→その直後、ボクが前に出て、

「江見先生のバク宙に対抗して、私は前転をします!」

と高らかに宣言しその場でぽてっとでんぐり返りしたらうけるんじゃないだろうか?

で、何人かの先生に、「というのはどうでしょう」と訊いてみたら、やはり「やめた方がいいんじゃない?」とたしなめられて。僕も昔とちがって弱気なもんですから、「そうか、やっぱりだめか、そうだよね、うけなかったらはずかしいよね」とつぶやきながら、すごすごと諦めてしまったのでした。

このままではいけませんね。なんとかアグレッシブな自分を取り戻したいものです。

ついでに、うっかりもなおるといいなあ。

2011年4月 9日 (土)

ショートショートの日々

小学校5年生のとき。

星 新一氏の小説をむさぼり読んでいました。

小学生である自分が文庫本を読むということ自体に「かっこよさ」を感じていたのもあるのですが、

星氏の持つ世界観に魅力を感じていたのも大きいようです。

「ショートショート」といえば星新一と、「代名詞」にもなっていますし、星新一に影響を受けた作家も少なからずいます。

私はというと、その「透明な」文体にひかれたという記憶があります。

学校の図書館にある、「推薦図書的」な本には、なんだか「友情」だの「努力」だのを植え付けようとするおしつけがましさがあって、どうにも鼻持ちならない感じがしていて、星作品のブラックな不健全なにおいのする作風が気に入ったものです。

なんとなく、読んでいることを母親に知られたくなく、こっそり読んでいました。中学生になってからは堂々とコレクションをしていましたが。

よくもまあ、こんなにたくさんのストーリーを思いつくことができるものだと感心しました。

無理にでも読者の予想を裏切ろうとしているようなどんでん返しに、子供心にも、作者がかわいく思えた、というのは事実なのですが、何とも生意気な感想でした。

私の好きな作品を一つ挙げるのは難しいのですが、「鍵」という題名の作品があります。

あまりSF的ではなく、宇宙人も悪魔も出てきません。

一人の男が、異国風の鍵を拾い、その鍵に合う鍵穴を探し求めて、人知れずその鍵を持ち歩いて鍵穴に差し込んでみる。旅先でもその鍵の合う扉や箱を探し続けていくが、まったく見つからない。もはや人生の目的が鍵穴探しのようになる。

 男は、人生の最後に、一つのアイディアを思いつく。

それは、その鍵に合う錠のついた扉を作らせることだった。その錠が完成し、死期に近づいた男は、その鍵を差し込み、扉を開ける。

ここまで書いてしまうと読む楽しみがなくなるので、結末は書かないことにします。

最後の「男」のセリフに、しびれてしまうわけです。なんて言うか、ハードボイルドな感じです。

こういう決めぜりふを残して死にたいよな、なんてことを中学生に思わせる作品でした。

星新一の作品には「ディテール」というものが清々しく排除されていて、その男がどのような鍵穴探しの人生を送ったかは事細かに書かれていません。だからこそ、自分の人生と重ね合わせたり(といっても中学生程度の人生ではなく、想像ですね)、空想を広げたりができる余地が残されるのですが、小学生の時の読後感と、中学生になってからの読後感が、違っていることにも安心感と寂しさの両方を味わいました。

2011年4月 3日 (日)

ディープな町、十三

歩くのが好きなので、足腰の鍛錬を兼ねてひたすら町を歩くときがあります。

谷町九丁目~梅田とか。(大阪城が美しいです)

梅田~天六~淡路とか。(淀川見ながら来し方行く末のことなど考えますね~)

四条烏丸~桂とか。(桂離宮に住みたいけど掃除が・・・・・・)

四条烏丸~丹波橋とか。(昔のことなので忘れました)

もちろん北アルプスの縦走というのがいちばん楽しいわけですが、町歩きもなかなか悪くありません。特にごちゃごちゃした町はいいですね。

十三なんて最高です。

十三近辺を歩いていて最大の衝撃だったのは、とある囲碁将棋道場の看板を見つけたときです。

「囲碁」

「将棋」

に続いて、なんと、

「弓道」!

それだけならまだしも、

「手裏剣」!!

おまけに、

「吹き矢」!!!

・・・・・・。

忍者養成所?

2011年3月25日 (金)

Y田M平氏に関する重大な疑惑その②

『バイトの日々③』を書こうと思っていたのですが、これは仙台の思い出でもありますから、ちょっと今は書く気になれません。

そこで、代わりといっては何ですが、私の師匠Y田M平氏(個人情報保護の観点から実名は伏せさせていただきます)について再び少しく述べさせていただきたい。

Y田M平氏といえば、かつて8000メートル峰に2度(3度?)も挑みかつ敗退したことがあるほどの本格的なアルピニストであります。8000メートル峰に「敗退した」と胸を張って言えるところまで登れる人なんてそうそういませんから、これはやはり凄いことです。

8000メートル峰の頂に立ったことがないという点で、私とY田氏は共通点を有しているわけですが、その内実には大きな差があるわけです。

私は素直な人間でありますから、その点、Y田氏に対して大きな敬意を持つものであります。

しかしながら。

ことここにいたって重大な疑惑が浮上してきたのであります。

みなさんはSpO2というものをご存じでしょうか。

「動脈血酸素飽和度」と呼ばれているものです。

下界にいる健常な人間であれば、この値は100%に近いものになります。下界で、仮にこの値が80%まで下がれば重大な呼吸障害が生じているのであって、いわゆる集中治療室行きのレベルであるとされているそうです。

高山に登ると、個人差はありますが、だいたい標高4000メートルでこの値が80%まで下がると言われています。すなわち、これが確実に高山病になる値ですね。

標高8000メートルともなると、SpO2は30%まで低下します。人間が生きてはいけない領域です。

そこで、ふつうの登山家はそういうところに登るときは酸素ボンベを背負って行くわけですが、それでも、高山病は避けられません。

中にはとんでもない人がいて、超人と呼ばれたラインホルト・メスナーは世界に14座ある8000メートル峰のすべてに、酸素ボンベなしで、単独で登っています。その話を聞いて、「そいつは人間じゃないな」と私は直感しましたが、後にメスナーの写真を見て、「やはりイエティだったか」と思ったものです。

ちなみに、私は山に登るときは、「カズンホルト・ニシナー」という名前を使用することにしているのですが、誰もそう呼んでくれないのが残念です。

さて、Y田氏の話では、そういう死の領域に踏み込むには二つの方法があって、ひとつは、メスナー氏のような無酸素登山家が登るやり方、簡単にいうと、「さっと行ってさっと帰る」というやり方です。要するに、そんなところには長くいられないので、ちゃっちゃと登ってちゃっちゃと下りるわけです。もちろん、ちょっとでも愚図ってしまえば、怖ろしい結末が待っています。

もうひとつの方法は、以前にY田氏が「週刊のぞみ(現・のぞみの広場)」で紹介されていましたが、ちょっと登ってはちょっと下り、またちょっと登ってはちょっと下りて、少しずつ体を高所に慣らしていくやり方です(とはいえ、最後の最後は長くいられないのでちゃっと登ってちゃっと下りるのですが)。

Y田氏はイエティではないので、この後者のやり方で8000メートル峰に挑まれたということですが、それにしてもなんせ8000メートルですから、通常の体力、通常のSpO2値であるはずがない。ご本人も、曰く「いや、僕は高地には強くてね。6000まで高度障害が出なくて、隊のみんなに驚かれたものですよ」とのことでしたが、それにしては不審な点が・・・・・・。

それも2度続けて・・・・・・。

最初は、涸沢ヒュッテという山小屋に泊まったときのこと。ここは標高が確か2000メートル前後だったと思うのですが、誰もが寝静まった深夜、私のとなりで「・・・プッ、・・・プッ」と不気味な鼾を立てていたY田氏が突然「うっ」と呻くのです。

何事かと見ると、Y田氏が鼻をおさえて起き上がり、

「うう、鼻血が・・・・・・」

夜中に突然鼻血を出すなんて、どうなんでしょう? 私は寡聞にしてそういった話はあまり聞いたことがないのですが・・・・・・。

次が、先日、希学園山岳部で北アルプスの「唐松岳」に行ったときのこと。テントを張ったのがやはり標高2000メートルほどのところ。Y田氏がハアハア荒い息をしているので、どうしたのかなと思っていると、

「うう、頭が痛い」

まさか標高2000そこそこで高度障害が出るはずないんで、風邪ですかね、なんて言ってたのですが、翌日スキー場まで下山し、かつリフトで山麓まで下りてくると、妙に元気になったY田氏が、

「さあ、風呂だ風呂だ、温泉だ」

とはしゃぎ出すのです。

ぼく「風邪は? 大丈夫?」

Y田「いやあ、下りてきたら治りましたね」

横川「ふつう逆じゃないんですか?」

Y田「ん?」

ぼく「山の方がウイルスはいないはずですよね」

Y田「ん?」

横川「もしかして、高度障害?」

Y田「?」

たかだか2000メートルで高度障害に陥る男が、ほんとうに標高8000メートルに登れるものなのでしょうか?

ここにY田氏の輝かしい経歴に対する重大な疑惑が生じた所以であります。

この疑惑につきましては、私が責任をもって追跡調査し、必ずや近いうちに真実を究明するでありましょう。

続報を期待してお待ちください。

          ◇◆◇◆◇◆

ところで。

登山口がスキー場にあるのって何だか哀しいです。

ナウなヤングがたくさんいて、スキーやスノボで、シューッとかっこよく滑走しているところに、80リットルのザックをかついだ、汚くて臭いわしらがとぼとぼと歩いて下りていくのです。

ものすごく浮いています。

だいたい、スキー場で、下りのリフトに乗るやつなんていないじゃないですか。

下りのリフトに乗っているやつがいるってだけでとっても目立つんですよね。

すれ違うとき、カラフルなウェアーに身を包んだ若者たちに、すごく胡乱な目で見られました。

Y田氏の証言によると、次のような失礼な発言をするギャルまでいたらしいです。

「何、あの人たち、こわ~い」

「係の人じゃない?」

いったい何係なんだ!

2011年3月19日 (土)

あれあれ詐欺

発音が変化して生き残る外来語もあれば、死語になることばもあるようです。「レコード」そのものがなくなって、「レコード屋」という呼び名もなくなり、「CDショップ」に変わったようですが、CDも時代遅れになりつつあります。そのくせ「レコード大賞」ということばが残っているのは変だなあ。ひょっとして、江戸が東京になっても江戸川は名前が変わらないというのと同じ原理でしょうか。でも、時代が変われば、「なぜ『レコード大賞』と言うのだ、『レコード』ってどういう意味?」と思う人も出てくるでしょう。

ポストのマークの「〒」は郵政省(これさえ死語?)の前身だった「逓信省(ていしんしょう)」の頭文字の「て」をカタカナにして、それを図案化したものです。でも、そんな知識、クイズでしか役に立ちません。「髪結い」が「床屋」に変わり、「散髪屋」になり「理髪店」、さらには「理容室」に変わりました。次は何かなあ。カタカナの「バーバー」は定着しなかったのですが、やはりカタカナの「ヘアーサロン」というのも、なんだかなあ。「どこに行くの」おかあちゃんに言われて、「うん、ヘアーサロン」という会話は、大阪の下町には似合いまへん。

でも、呼び名が変わるとイメージも変わります。「暴走族」を迫力のない「珍走団」に変えたら、という意見は一理あります。「ウェイトレス」や「ウェイター」が「ホールスタッフ」になった瞬間、急にえらい役職についた感じがします。「出前」と「デリバリー」はちがうのでしょうか。ピザを注文するときに「出前、お願いしまっさ」と言うと電話の向こうで笑われます。「携帯電話」がいつのまにか「ケータイ」になりました。「携帯」つまりポータブルであることしか言っていないわけで、実体を表すことばがないのですが、じつはナイスネーミングかもしれません。ケータイは、電話だけではなく、まったく別の機能がいくつもついています。メール、インターネット、アラーム、電卓、カメラ、スケジュール帳、音楽、テレビ、サイフ……。アフリカなどでは懐中電灯として利用することも多いそうです。(私としては、あとはマッサージ器、ひげそり、扇風機、タケコプターとして使えればいいなと思いますし、欲を言えば冷房装置、風呂、寝袋、携帯燃料、トイレとして使えれば言うことなしですね。ここまで来れば、もう電話として使えなくてもいいです。)ということで、すべての機能がポータブルになったものとしてカタカナの「ケータイ」という呼び名がぴったりです。

もちろん、なじめないことばもあります。洋服関係のことばっていやですね。「ファッション」という言い方そのものがうさんくさいのに、「ズボン」のことをいつのまにかパンツに変えやがって、しかも「ふらっと系」。わしらにとって「パンツ」は平坦なものではなく、「パ」に力のはいる西洋猿股のことです。いつのまにか、「チョッキ」も「バンド」もなくなりました。「ジャンパー」は「革ジャン」の形では生き残っているのかな。これも古くは「パ」ではなくて「バ」、すなわち「ジャンバー」でしたな。「ズック」も「スニーカー」と言うそうな。「リュック」や「ナップザック」はなくなったのでしょうか。「チャック」も「ホッチキス」は商品名だったので言いかえになったのでしょう。

正当な理由があっての改名はやむをえないでしょうね。「ナショナル」が英語圏の国ではまずいので「パナソニック」に変えたり、「カルピス」が「牛のおしっこ」という意味にとられるので「カルピコ」に変えたりなどというのは、許せます。「英知大学」が名前を変えたのも、「なるほど」です。「近畿大学」も英語表記になると「スケベ大学」という意味になるので困っているという話も聞いたことがあります。国鉄が民営化にともなって名前を変えたのも当然ですが、「JR」というのは評判が悪かった。でも、それが名前なら、そう呼ぶしかありません。後期高齢者うんぬんというのは、その呼び名があまりにも不評だったので変わったようですが、JRはいちおう定着しました。いまだにJRを国鉄と言う人はいるのでしょうか。二十年以上たっても国鉄と言いつづけている人は何か信念のようなものを持っているのかもしれません。さすがに「省線」と言っている人は、最近ではいなくなったようですが。

落語家が襲名などで名前を変えても、しばらくは前の名前の印象が強くて、なかなか新しい名前になじめません。死んだ枝雀さんでも、思い出すときに小米という昔の名前のほうが先にくるときがあります。ざこばも朝丸だし、南光もべかこでインプットされてしまっています。「くりぃむしちゅー」の名前が思い出せずに「海砂利水魚」と言ってしまって通じなかったこともありました。たしか、「さまあ~ず」も「バカルディ」だったのが、二組ともウッチャンナンチャンの番組で強制的に変えさせられたのではなかったっけ。「おさる」が「モンキッキー」に変わったのは大笑いでした。なんとか数子という、占いをするらしいおばさんに変えさせられたのでした。変えなければ売れないと言われたのですが、変えても売れていません。

それでも、こういうのは名前が変わったということを知っているだけマシで、中にはいつのまにか変わっていて、えっと思うこともあります。縄文式土器はいつから縄文土器に変わったのでしょうか。銀行も勝手に合併して勝手に名前を変えてしまいます。そんなまぬけな名前の銀行に金を預けた覚えはないのになあ。いちばんむかつくのは、好みの作家の初めて見る題名の文庫を買って読んでいて、「 あれあれっ」と思うときです。「これ読んだことがある」と思って解説を見ると、別の文庫で出ていた「××」を改題したものです、という断りが書いてある。思わず「金返せ」と叫びたくなります。これはれっきとした詐欺だと思うのですが、如何なものか。

2011年3月12日 (土)

バイトの日々②

こんにちは。相変わらず納豆とチーズ三昧の日々を送っている西川です。

来る日も来る日も納豆をねばねばとかきまぜているため、右手首が強靱になりつつあります。

ところがですね、最近鶏のレバ刺しにはまってしまいまして。なんだか24時間食べたくて食べたくて仕方がないんです。僕はいったいどうしてしまったんでしょうか。生肉にはまるってなんだか怖い気がします。

むかし、『スペクトルマン』という実写のヒーローもの番組がありました。宇宙怪人「ゴリ」と「ラー」とかいう志の低そうな名前の敵と戦っていた記憶がありますが、その中で子ども心に激しいショックを受けた話がありました。

あるところに、小さいころからちょっと愚図で「バカは死ななきゃなおらない」といじめられていた男の子がいたんですね(確かにむかしそういう罵り言葉がありましたな)。その子は長ずるにおよんでもやはりちょっと愚図なんですが、一応出前持ちかなんかの仕事をしているわけです(おお、どこかで聞いたような話だ・・・・・・)。

それが、いったいどういうきっかけか忘れてしまいましたが、ふと生肉に魅せられて、口にしてしまうわけです。なぜかひたすら生肉が食べたくてしかたがない。で、次から次へと生肉を食べてしまう。

で、これまた何でそうなるのか忘れてしまいましたが、生肉ばっかり食べていたら、怪獣に変身しちゃうわけです。で、これまでいじめられていたルサンチマンがあるから、暴れ狂うんですね。

そこで、スペクトルマン登場です。ひょっこりひょうたん島みたいな宇宙船が現れて、主人公に「ヘンシンセヨ」と命令一下、怪獣はあっさりとスペクトルマンにぼこられてしまいます。

しかし、この怪獣は、根はいい奴なんです。ちょっと愚図かもしれないが、お人好しで、自分がしてしまったことをとても悔いている。

で、最期に彼は、そばに寄ったスペクトルマンに言うんです。

「いいんだよ、バカは死ななきゃなおらないって言うからね・・・・・・」

こ、これは衝撃でした。ヒーローものの特撮番組にあるまじき後味の悪さ。

おそろしいやら哀しいやら、とにかく小学校低学年の僕は、「生肉を食べるのはやめよう」と心に誓ったのでありました。

むかしは、子ども相手に妙なところで本気な番組作りをしていたんだなあと感慨深いものがあります。これはもうテーマが完全に子供だましの域を脱していますよね。すごい。

閑話休題。

前回に引き続きバイト時代の話を書こうと思っていたのですが、鶏のレバ刺しの呪いで脱線してしまいました。

というか、そもそもバイト時代の話が始まっていませんな。

前回は単発バイトの話を書いたので、今回は比較的長くつづいたバイトの話を。

まずは『比較的長くつづいたアルバイトBest3』の第3位から。ジャカジャーン。

3位 仙台城三の丸の発掘

これはなかなかおもしろかったです。大学図書館の裏手がグラウンドになっていて、1年に1度文学部対抗野球大会が開催されていたのですが、図書館の拡張工事かなんかでグラウンドがつぶされることになったんですね。

ところが、大学のあった場所というのが仙台城址でありまして(かの有名な伊達政宗の青葉城です)、当該グラウンドは仙台城の三の丸のあったところだったので、工事をする前にちゃんと発掘を済ませないといけないわけです。で、たぶん、大学の掲示でアルバイトを募集していたんだと思うんですが、なんせ当時僕の住んでいた家が大学のすぐそばだったので、これはちょうどいいということで働き始めたんですね。

この、当時僕の住んでいた家というのがまた渋い家で・・・・・・とか言い出すとまた話が長くなるので、これはまたそのうちに。

発掘のバイトをされたことのある方はたぶん少ないと思いますが、結構重労働です。ずっとしゃがんでちまちま掘るか、鍬をふるってがつんがつん掘るか、いずれにせよしんどい。

鍬をふるう方がましかなあ。ずっとヤンキー座りしてるのはほんとうにしんどいですから。

しかし鍬をふるう場合の問題点は、貴重(かもしれない)遺物を壊してしまうということです。

このへんは瓦がいっぱい埋まってるから気をつけるように

とか云われても困るんですよね。見えないんですから。鍬を振り下ろせば

ガキッ

とやばい手応えが。はっと土をどけると瓦は粉々・・・・・・。といった失敗の連続でした。

ま、たいしたものは出ないんです。だから、鍬でがつんがつんやらされたんでしょうが、たまにお金なんかが出てくると大興奮。とはいえもちろん小判などではありません。

当時聞いた話ですが、とある発掘現場で、伏せた状態のお椀が見つかり、専門家が刷毛で慎重に慎重に土を払い、そっとお椀をあけてみたら・・・・・・なんと、そこに真っ青な蝶がいたというのです。あっと驚いたのもつかのま、蝶はすぐに変色し、どろっと溶けてしまったとか。

そんな劇的な体験は残念ながらできず、ただひたすらうっかり瓦を壊す日々でした。

ふた月ぐらい働いたでしょうか? 親からの仕送りを使い込んでしまって払えずにいた半年分の学費を納入した瞬間に労働意欲が消え、無為の日々に戻ってしまいました。

2011年3月 6日 (日)

ギブミーチョコレート

自分の考えやことばに自信を持つのは大切なことですが、謙虚さのないのは「やな奴」と思ってしまいます。西欧の人は、神の前での謙虚さがあるはずなのに、他人に対する謙虚さが日本人に比べて希薄なのでしょうか。相手に対して弱みを見せると生きていけなかったような歴史的背景があるのかもしれません。いずれにしろ、傲慢になると、これはまずいでしょう。自分の意見が絶対だと思うことの危険を知らない人が多いようです。

日本人でも、というより日本人はとくに、と言うべきかもしれませんが、正論ゆえに許されると思うことの間違いに気づいていない人がよくあります。「くじらを殺すのはよくない、したがって日本の捕鯨は許されない、日本がくじらをとることを妨害してもそれは正しい行為である、正しい行為であるがゆえに、捕鯨船が損傷を受けたり、日本人乗組員が死亡したりしてもわれわれは許される」という考え方です。この人たちに理屈は通じません。自分たちの言っていることは正しいと思い込んでいますから、自分たちに反対する人はすべて悪なのです。これに類したことを、日本人もやってしまうことが意外に多いようです。たとえば「人権」を持ち出されたら、なにも反論できなくなります。それは、出発点が「正論」だからですね。「くじらを殺すのはよいことか悪いことか」と問われたら、だれも「よいことです」とは言えません。

一時期よく言われた「ことば狩り」など、まさにそれですね。「差別を助長するようなことばは使うべきではない」と言われたら反論できません。それがエスカレートすると、文脈に関係なく、使ってはいけない、とわめきたてる人が出てきます。テレビで「ピー」とはいるのは、使ってはいけないことばが使われたときです。「季ちがいじゃがしかたがない」は、謎解きのポイントなので、さすがにカットはされませんでしたが、使ってはいけないことばなのだそうです。「釣りキチ三平」が許されているのは不思議ですが。

「ことば狩り」を通りこして「漢字狩り」というのもありました。「子供」と書くのはだめだ、というやつです。「お供」を表すことばだから使ってはいけない、ということらしいのですが、どうなのでしょう。「婦」はおんなへんに「ほうき」だから、女性差別だと言い出した人もいたそうです。これには漢字の本場中国出身の作家陳舜臣氏が、この字は、ただのほうきではなく先祖をまつるところを清めるという意味があって、爵位を表すときにも使われたものだから、差別どころか、いい意味を表すんですよ、とやんわりと反論されていました。もちろん、陳舜臣氏はよい意味の字だったら使ってよろしい、と言っているのではありません。悪い意味を表す字だからよくない、というのは、よい意味ならいいんだ、ということでしょうが、それは悪いものを前提としているのだから、その字を使う時点で差別の意識がある、ということになります。要するに、「バカ」は差別だからよくない、と言っていたら、「かしこい」も逆差別で言えなくなる、ということです。こうなると、すべてのことばが使えなくなってしまいます。陳舜臣氏は漢字を愛するからこそ、それこそ漢字を「差別」しないでくれと言っているのでしょう。

あることばを使ってはいけない、と言って存在を否定しても差別はなくならないし、問題自体をないものとして、じつは逃げているだけなのですね。でも、「差別はよくない」という前提からのことばなので、本人は全面的に正しいと思いこんでいるのでしょう。ヒステリックに叫ぶ愚かしさには気づかないものです。そういう人にかぎって、「無洗米」ということばは変だ、米は研ぐものであって洗うものではない、とは言ってくれません。こういうところにこそ、つっこんでほしいのに。また、外来語についても鈍感です。「クレージー」「マッド」「ブラインド」は使ってもおこられないのでしょうか。

外来語で思い出しました。最近「ふらっと系」の発音はどうなったのでしょうか。相変わらずなのか、それとも消えたのか。「ふらっと系」というのは、私が勝手に作ったことばですが、「ドラマ」の「ド」を強く言わずに、全部同じような平坦さで発音するやつです。ジャイアンツの原とかいう人が自分のポジションを「ふらっと系」で「サード」と発音しているのを聞いたとき、ああこいつは長嶋さんとはちがうポジションを守っているのだな、と思って感心しました。「ザード」とか「ビーズ」とか、それまでのカタカナことばとはちがう「ふらっと系」が芸能界で使われだしたのと、「データ」「ディスク」「ファイル」などのコンピュータ関係のことばの平坦化はどちらが先だったのでしょうか。カタカナことばだけでなく、「彼氏」を「枯れ死」としか聞こえないような発音で言う人が出始めてから久しくなりました。さすがに、「スマップ」「嵐」を「ふらっと系」で言うと変なので、これは「伝統的」ですね。何が基準になっているか、聞きたいものです。

テレビでは、関東と関西のちがいもあるかもしれません。関西のニュースで、大阪弁のことばを引用するときに、アナウンサーはやはり「正しい」イントネーションで発音してくれることが多いのですが、このニュースを関東のアナウンサーはどう発音するのかなあ。秋になって「赤とんぼ」が飛び出すと、そんなこともニュースになりますが、正しい発音はもともと「あ」を強く言っていたそうです。その証拠に「夕焼け小焼けの赤とんぼ」はそのアクセントを意識して作曲しています。

「チーム」を「ティーム」と発音するアナウンサーも増えていますね。むかしは「ディスコ」が発音できずに「デスコ」と言っていた老人も多かったようです。「ジャスコ」は言えたのに変ですね。ただ、日本語なのに、外来語の部分だけをそれっぽい発音にしてしまうのは、なんか滑稽です。ひとむかし前のDJの突然英語ですね。日本語でおしゃべりしていたのが、曲名と歌手名だけが英語になってしまう気恥ずかしさ。最初はおおっと思ったものでしたが、いまどきやっているのを聞くと、ギブミーチョコレートを思い出します。といっても、そんな時代を直接知ってはおりまへん。

2011年2月28日 (月)

以前以後

引っ越しの多い生涯を送ってきました。

自分には、一つところに定住する生活というものが、見当つかないのです。

……などと太宰風に書き出してみましたがこれ以上真似する文才も度胸もないので措きます。

狭いところ広いところ、新築に築古年、1Rマンションに一軒家、高級住宅街に下町まで。

思えば、いろいろなところに住んだものです。

それだけに、「住むところ」が、「生き方を変える」というのは大げさでも、「ライフスタイルに影響を与える」というのはぬぐい去れない実感です。

坂道の多い街では体力がつく前に引きこもりがちになりました。

職住接近は便利かと思いきや、生活にメリハリというか、公私の区別がなくなり、のべつまくなしに仕事をしている気分でした。

広めの部屋からは、荷物の置き場にこまらない代償として、荷物がとめどなく増えることも教わりました。

だいたい、人が家から出て帰る行為を考えますと、出がけより帰宅時の方が、荷物が増えているのが常です。引っ越したばかりのときはがらんとしてすっきりした新居も、出かけては帰るをくり返すうちに、なんだかんだと持ち帰る品物が部屋の中を占めていくものです。抜き差しならぬしがらみが増えて、いつのまにか窮屈になっているところは、人間関係も似たような感じがします。巣にもどる鳥が必ず何かをくわえているように、家族で出かけた帰りには車の中の荷物が行きよりも増えていることに気づいて辟易します。

いっそのこと、玄関に重量計でもつけておいて、出ていくときより重量が増えて帰ってきたらアラームが鳴る! というようなシステムが発明されないかしらん。

そうそう、実は去年からよく録画しては見ている番組があります。住宅のリフォームをする、「劇的!◎フォー◎フター」という、ご存じの方も多い番組です。今頃か!というツッコミの声には耳を貸さずに続けます。

他人の家に上がり込むというのは、小学生以来あまりないことなので、テレビで赤の他人の住まいの中身まで見る機会というのが面白いというのもハマッている理由かもしれません。

出てくる家がとにかくひどい環境というか、「ていうか、引っ越せよ!」といつも言いたくなるほどのツワモノぞろい。それが、一時間後には楽しそうな家に変わるのですから、「モヤモヤ→スッキリ」という快感発生の基本に沿っていて、実にうまい番組を考えたもんだなあといつも感心します。

あのおなじみになった音楽や、「なんということでしょう!」「人は彼を、……の匠と呼びます」「一軒の問題を抱えた家が……」などの決まり文句をサザエさんの声優が言うところがかなりキています。

「またこのパターンか」とわかっているのに、一番スッキリさせられるのは、

古い壁を壊し、腐った土台を新しい木に替え、コンクリートのベタ基礎を敷いて……

というシーンです。なんだかわくわく、ぞくぞくすらします。新しい木の色って、何ともいえないいい色ですよね!

我々、塾の講師も、勉強に行き詰まる生徒のやる気を引き出し、生活リズムや勉強方法を一新させ、みちがえるように成績を向上……ということができるように日々精進しています。

無理矢理な終わり方ですが、ハッピーエンドが好きなんです。

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