2011年3月19日 (土)

あれあれ詐欺

発音が変化して生き残る外来語もあれば、死語になることばもあるようです。「レコード」そのものがなくなって、「レコード屋」という呼び名もなくなり、「CDショップ」に変わったようですが、CDも時代遅れになりつつあります。そのくせ「レコード大賞」ということばが残っているのは変だなあ。ひょっとして、江戸が東京になっても江戸川は名前が変わらないというのと同じ原理でしょうか。でも、時代が変われば、「なぜ『レコード大賞』と言うのだ、『レコード』ってどういう意味?」と思う人も出てくるでしょう。

ポストのマークの「〒」は郵政省(これさえ死語?)の前身だった「逓信省(ていしんしょう)」の頭文字の「て」をカタカナにして、それを図案化したものです。でも、そんな知識、クイズでしか役に立ちません。「髪結い」が「床屋」に変わり、「散髪屋」になり「理髪店」、さらには「理容室」に変わりました。次は何かなあ。カタカナの「バーバー」は定着しなかったのですが、やはりカタカナの「ヘアーサロン」というのも、なんだかなあ。「どこに行くの」おかあちゃんに言われて、「うん、ヘアーサロン」という会話は、大阪の下町には似合いまへん。

でも、呼び名が変わるとイメージも変わります。「暴走族」を迫力のない「珍走団」に変えたら、という意見は一理あります。「ウェイトレス」や「ウェイター」が「ホールスタッフ」になった瞬間、急にえらい役職についた感じがします。「出前」と「デリバリー」はちがうのでしょうか。ピザを注文するときに「出前、お願いしまっさ」と言うと電話の向こうで笑われます。「携帯電話」がいつのまにか「ケータイ」になりました。「携帯」つまりポータブルであることしか言っていないわけで、実体を表すことばがないのですが、じつはナイスネーミングかもしれません。ケータイは、電話だけではなく、まったく別の機能がいくつもついています。メール、インターネット、アラーム、電卓、カメラ、スケジュール帳、音楽、テレビ、サイフ……。アフリカなどでは懐中電灯として利用することも多いそうです。(私としては、あとはマッサージ器、ひげそり、扇風機、タケコプターとして使えればいいなと思いますし、欲を言えば冷房装置、風呂、寝袋、携帯燃料、トイレとして使えれば言うことなしですね。ここまで来れば、もう電話として使えなくてもいいです。)ということで、すべての機能がポータブルになったものとしてカタカナの「ケータイ」という呼び名がぴったりです。

もちろん、なじめないことばもあります。洋服関係のことばっていやですね。「ファッション」という言い方そのものがうさんくさいのに、「ズボン」のことをいつのまにかパンツに変えやがって、しかも「ふらっと系」。わしらにとって「パンツ」は平坦なものではなく、「パ」に力のはいる西洋猿股のことです。いつのまにか、「チョッキ」も「バンド」もなくなりました。「ジャンパー」は「革ジャン」の形では生き残っているのかな。これも古くは「パ」ではなくて「バ」、すなわち「ジャンバー」でしたな。「ズック」も「スニーカー」と言うそうな。「リュック」や「ナップザック」はなくなったのでしょうか。「チャック」も「ホッチキス」は商品名だったので言いかえになったのでしょう。

正当な理由があっての改名はやむをえないでしょうね。「ナショナル」が英語圏の国ではまずいので「パナソニック」に変えたり、「カルピス」が「牛のおしっこ」という意味にとられるので「カルピコ」に変えたりなどというのは、許せます。「英知大学」が名前を変えたのも、「なるほど」です。「近畿大学」も英語表記になると「スケベ大学」という意味になるので困っているという話も聞いたことがあります。国鉄が民営化にともなって名前を変えたのも当然ですが、「JR」というのは評判が悪かった。でも、それが名前なら、そう呼ぶしかありません。後期高齢者うんぬんというのは、その呼び名があまりにも不評だったので変わったようですが、JRはいちおう定着しました。いまだにJRを国鉄と言う人はいるのでしょうか。二十年以上たっても国鉄と言いつづけている人は何か信念のようなものを持っているのかもしれません。さすがに「省線」と言っている人は、最近ではいなくなったようですが。

落語家が襲名などで名前を変えても、しばらくは前の名前の印象が強くて、なかなか新しい名前になじめません。死んだ枝雀さんでも、思い出すときに小米という昔の名前のほうが先にくるときがあります。ざこばも朝丸だし、南光もべかこでインプットされてしまっています。「くりぃむしちゅー」の名前が思い出せずに「海砂利水魚」と言ってしまって通じなかったこともありました。たしか、「さまあ~ず」も「バカルディ」だったのが、二組ともウッチャンナンチャンの番組で強制的に変えさせられたのではなかったっけ。「おさる」が「モンキッキー」に変わったのは大笑いでした。なんとか数子という、占いをするらしいおばさんに変えさせられたのでした。変えなければ売れないと言われたのですが、変えても売れていません。

それでも、こういうのは名前が変わったということを知っているだけマシで、中にはいつのまにか変わっていて、えっと思うこともあります。縄文式土器はいつから縄文土器に変わったのでしょうか。銀行も勝手に合併して勝手に名前を変えてしまいます。そんなまぬけな名前の銀行に金を預けた覚えはないのになあ。いちばんむかつくのは、好みの作家の初めて見る題名の文庫を買って読んでいて、「 あれあれっ」と思うときです。「これ読んだことがある」と思って解説を見ると、別の文庫で出ていた「××」を改題したものです、という断りが書いてある。思わず「金返せ」と叫びたくなります。これはれっきとした詐欺だと思うのですが、如何なものか。

2011年3月12日 (土)

バイトの日々②

こんにちは。相変わらず納豆とチーズ三昧の日々を送っている西川です。

来る日も来る日も納豆をねばねばとかきまぜているため、右手首が強靱になりつつあります。

ところがですね、最近鶏のレバ刺しにはまってしまいまして。なんだか24時間食べたくて食べたくて仕方がないんです。僕はいったいどうしてしまったんでしょうか。生肉にはまるってなんだか怖い気がします。

むかし、『スペクトルマン』という実写のヒーローもの番組がありました。宇宙怪人「ゴリ」と「ラー」とかいう志の低そうな名前の敵と戦っていた記憶がありますが、その中で子ども心に激しいショックを受けた話がありました。

あるところに、小さいころからちょっと愚図で「バカは死ななきゃなおらない」といじめられていた男の子がいたんですね(確かにむかしそういう罵り言葉がありましたな)。その子は長ずるにおよんでもやはりちょっと愚図なんですが、一応出前持ちかなんかの仕事をしているわけです(おお、どこかで聞いたような話だ・・・・・・)。

それが、いったいどういうきっかけか忘れてしまいましたが、ふと生肉に魅せられて、口にしてしまうわけです。なぜかひたすら生肉が食べたくてしかたがない。で、次から次へと生肉を食べてしまう。

で、これまた何でそうなるのか忘れてしまいましたが、生肉ばっかり食べていたら、怪獣に変身しちゃうわけです。で、これまでいじめられていたルサンチマンがあるから、暴れ狂うんですね。

そこで、スペクトルマン登場です。ひょっこりひょうたん島みたいな宇宙船が現れて、主人公に「ヘンシンセヨ」と命令一下、怪獣はあっさりとスペクトルマンにぼこられてしまいます。

しかし、この怪獣は、根はいい奴なんです。ちょっと愚図かもしれないが、お人好しで、自分がしてしまったことをとても悔いている。

で、最期に彼は、そばに寄ったスペクトルマンに言うんです。

「いいんだよ、バカは死ななきゃなおらないって言うからね・・・・・・」

こ、これは衝撃でした。ヒーローものの特撮番組にあるまじき後味の悪さ。

おそろしいやら哀しいやら、とにかく小学校低学年の僕は、「生肉を食べるのはやめよう」と心に誓ったのでありました。

むかしは、子ども相手に妙なところで本気な番組作りをしていたんだなあと感慨深いものがあります。これはもうテーマが完全に子供だましの域を脱していますよね。すごい。

閑話休題。

前回に引き続きバイト時代の話を書こうと思っていたのですが、鶏のレバ刺しの呪いで脱線してしまいました。

というか、そもそもバイト時代の話が始まっていませんな。

前回は単発バイトの話を書いたので、今回は比較的長くつづいたバイトの話を。

まずは『比較的長くつづいたアルバイトBest3』の第3位から。ジャカジャーン。

3位 仙台城三の丸の発掘

これはなかなかおもしろかったです。大学図書館の裏手がグラウンドになっていて、1年に1度文学部対抗野球大会が開催されていたのですが、図書館の拡張工事かなんかでグラウンドがつぶされることになったんですね。

ところが、大学のあった場所というのが仙台城址でありまして(かの有名な伊達政宗の青葉城です)、当該グラウンドは仙台城の三の丸のあったところだったので、工事をする前にちゃんと発掘を済ませないといけないわけです。で、たぶん、大学の掲示でアルバイトを募集していたんだと思うんですが、なんせ当時僕の住んでいた家が大学のすぐそばだったので、これはちょうどいいということで働き始めたんですね。

この、当時僕の住んでいた家というのがまた渋い家で・・・・・・とか言い出すとまた話が長くなるので、これはまたそのうちに。

発掘のバイトをされたことのある方はたぶん少ないと思いますが、結構重労働です。ずっとしゃがんでちまちま掘るか、鍬をふるってがつんがつん掘るか、いずれにせよしんどい。

鍬をふるう方がましかなあ。ずっとヤンキー座りしてるのはほんとうにしんどいですから。

しかし鍬をふるう場合の問題点は、貴重(かもしれない)遺物を壊してしまうということです。

このへんは瓦がいっぱい埋まってるから気をつけるように

とか云われても困るんですよね。見えないんですから。鍬を振り下ろせば

ガキッ

とやばい手応えが。はっと土をどけると瓦は粉々・・・・・・。といった失敗の連続でした。

ま、たいしたものは出ないんです。だから、鍬でがつんがつんやらされたんでしょうが、たまにお金なんかが出てくると大興奮。とはいえもちろん小判などではありません。

当時聞いた話ですが、とある発掘現場で、伏せた状態のお椀が見つかり、専門家が刷毛で慎重に慎重に土を払い、そっとお椀をあけてみたら・・・・・・なんと、そこに真っ青な蝶がいたというのです。あっと驚いたのもつかのま、蝶はすぐに変色し、どろっと溶けてしまったとか。

そんな劇的な体験は残念ながらできず、ただひたすらうっかり瓦を壊す日々でした。

ふた月ぐらい働いたでしょうか? 親からの仕送りを使い込んでしまって払えずにいた半年分の学費を納入した瞬間に労働意欲が消え、無為の日々に戻ってしまいました。

2011年3月 6日 (日)

ギブミーチョコレート

自分の考えやことばに自信を持つのは大切なことですが、謙虚さのないのは「やな奴」と思ってしまいます。西欧の人は、神の前での謙虚さがあるはずなのに、他人に対する謙虚さが日本人に比べて希薄なのでしょうか。相手に対して弱みを見せると生きていけなかったような歴史的背景があるのかもしれません。いずれにしろ、傲慢になると、これはまずいでしょう。自分の意見が絶対だと思うことの危険を知らない人が多いようです。

日本人でも、というより日本人はとくに、と言うべきかもしれませんが、正論ゆえに許されると思うことの間違いに気づいていない人がよくあります。「くじらを殺すのはよくない、したがって日本の捕鯨は許されない、日本がくじらをとることを妨害してもそれは正しい行為である、正しい行為であるがゆえに、捕鯨船が損傷を受けたり、日本人乗組員が死亡したりしてもわれわれは許される」という考え方です。この人たちに理屈は通じません。自分たちの言っていることは正しいと思い込んでいますから、自分たちに反対する人はすべて悪なのです。これに類したことを、日本人もやってしまうことが意外に多いようです。たとえば「人権」を持ち出されたら、なにも反論できなくなります。それは、出発点が「正論」だからですね。「くじらを殺すのはよいことか悪いことか」と問われたら、だれも「よいことです」とは言えません。

一時期よく言われた「ことば狩り」など、まさにそれですね。「差別を助長するようなことばは使うべきではない」と言われたら反論できません。それがエスカレートすると、文脈に関係なく、使ってはいけない、とわめきたてる人が出てきます。テレビで「ピー」とはいるのは、使ってはいけないことばが使われたときです。「季ちがいじゃがしかたがない」は、謎解きのポイントなので、さすがにカットはされませんでしたが、使ってはいけないことばなのだそうです。「釣りキチ三平」が許されているのは不思議ですが。

「ことば狩り」を通りこして「漢字狩り」というのもありました。「子供」と書くのはだめだ、というやつです。「お供」を表すことばだから使ってはいけない、ということらしいのですが、どうなのでしょう。「婦」はおんなへんに「ほうき」だから、女性差別だと言い出した人もいたそうです。これには漢字の本場中国出身の作家陳舜臣氏が、この字は、ただのほうきではなく先祖をまつるところを清めるという意味があって、爵位を表すときにも使われたものだから、差別どころか、いい意味を表すんですよ、とやんわりと反論されていました。もちろん、陳舜臣氏はよい意味の字だったら使ってよろしい、と言っているのではありません。悪い意味を表す字だからよくない、というのは、よい意味ならいいんだ、ということでしょうが、それは悪いものを前提としているのだから、その字を使う時点で差別の意識がある、ということになります。要するに、「バカ」は差別だからよくない、と言っていたら、「かしこい」も逆差別で言えなくなる、ということです。こうなると、すべてのことばが使えなくなってしまいます。陳舜臣氏は漢字を愛するからこそ、それこそ漢字を「差別」しないでくれと言っているのでしょう。

あることばを使ってはいけない、と言って存在を否定しても差別はなくならないし、問題自体をないものとして、じつは逃げているだけなのですね。でも、「差別はよくない」という前提からのことばなので、本人は全面的に正しいと思いこんでいるのでしょう。ヒステリックに叫ぶ愚かしさには気づかないものです。そういう人にかぎって、「無洗米」ということばは変だ、米は研ぐものであって洗うものではない、とは言ってくれません。こういうところにこそ、つっこんでほしいのに。また、外来語についても鈍感です。「クレージー」「マッド」「ブラインド」は使ってもおこられないのでしょうか。

外来語で思い出しました。最近「ふらっと系」の発音はどうなったのでしょうか。相変わらずなのか、それとも消えたのか。「ふらっと系」というのは、私が勝手に作ったことばですが、「ドラマ」の「ド」を強く言わずに、全部同じような平坦さで発音するやつです。ジャイアンツの原とかいう人が自分のポジションを「ふらっと系」で「サード」と発音しているのを聞いたとき、ああこいつは長嶋さんとはちがうポジションを守っているのだな、と思って感心しました。「ザード」とか「ビーズ」とか、それまでのカタカナことばとはちがう「ふらっと系」が芸能界で使われだしたのと、「データ」「ディスク」「ファイル」などのコンピュータ関係のことばの平坦化はどちらが先だったのでしょうか。カタカナことばだけでなく、「彼氏」を「枯れ死」としか聞こえないような発音で言う人が出始めてから久しくなりました。さすがに、「スマップ」「嵐」を「ふらっと系」で言うと変なので、これは「伝統的」ですね。何が基準になっているか、聞きたいものです。

テレビでは、関東と関西のちがいもあるかもしれません。関西のニュースで、大阪弁のことばを引用するときに、アナウンサーはやはり「正しい」イントネーションで発音してくれることが多いのですが、このニュースを関東のアナウンサーはどう発音するのかなあ。秋になって「赤とんぼ」が飛び出すと、そんなこともニュースになりますが、正しい発音はもともと「あ」を強く言っていたそうです。その証拠に「夕焼け小焼けの赤とんぼ」はそのアクセントを意識して作曲しています。

「チーム」を「ティーム」と発音するアナウンサーも増えていますね。むかしは「ディスコ」が発音できずに「デスコ」と言っていた老人も多かったようです。「ジャスコ」は言えたのに変ですね。ただ、日本語なのに、外来語の部分だけをそれっぽい発音にしてしまうのは、なんか滑稽です。ひとむかし前のDJの突然英語ですね。日本語でおしゃべりしていたのが、曲名と歌手名だけが英語になってしまう気恥ずかしさ。最初はおおっと思ったものでしたが、いまどきやっているのを聞くと、ギブミーチョコレートを思い出します。といっても、そんな時代を直接知ってはおりまへん。

2011年2月28日 (月)

以前以後

引っ越しの多い生涯を送ってきました。

自分には、一つところに定住する生活というものが、見当つかないのです。

……などと太宰風に書き出してみましたがこれ以上真似する文才も度胸もないので措きます。

狭いところ広いところ、新築に築古年、1Rマンションに一軒家、高級住宅街に下町まで。

思えば、いろいろなところに住んだものです。

それだけに、「住むところ」が、「生き方を変える」というのは大げさでも、「ライフスタイルに影響を与える」というのはぬぐい去れない実感です。

坂道の多い街では体力がつく前に引きこもりがちになりました。

職住接近は便利かと思いきや、生活にメリハリというか、公私の区別がなくなり、のべつまくなしに仕事をしている気分でした。

広めの部屋からは、荷物の置き場にこまらない代償として、荷物がとめどなく増えることも教わりました。

だいたい、人が家から出て帰る行為を考えますと、出がけより帰宅時の方が、荷物が増えているのが常です。引っ越したばかりのときはがらんとしてすっきりした新居も、出かけては帰るをくり返すうちに、なんだかんだと持ち帰る品物が部屋の中を占めていくものです。抜き差しならぬしがらみが増えて、いつのまにか窮屈になっているところは、人間関係も似たような感じがします。巣にもどる鳥が必ず何かをくわえているように、家族で出かけた帰りには車の中の荷物が行きよりも増えていることに気づいて辟易します。

いっそのこと、玄関に重量計でもつけておいて、出ていくときより重量が増えて帰ってきたらアラームが鳴る! というようなシステムが発明されないかしらん。

そうそう、実は去年からよく録画しては見ている番組があります。住宅のリフォームをする、「劇的!◎フォー◎フター」という、ご存じの方も多い番組です。今頃か!というツッコミの声には耳を貸さずに続けます。

他人の家に上がり込むというのは、小学生以来あまりないことなので、テレビで赤の他人の住まいの中身まで見る機会というのが面白いというのもハマッている理由かもしれません。

出てくる家がとにかくひどい環境というか、「ていうか、引っ越せよ!」といつも言いたくなるほどのツワモノぞろい。それが、一時間後には楽しそうな家に変わるのですから、「モヤモヤ→スッキリ」という快感発生の基本に沿っていて、実にうまい番組を考えたもんだなあといつも感心します。

あのおなじみになった音楽や、「なんということでしょう!」「人は彼を、……の匠と呼びます」「一軒の問題を抱えた家が……」などの決まり文句をサザエさんの声優が言うところがかなりキています。

「またこのパターンか」とわかっているのに、一番スッキリさせられるのは、

古い壁を壊し、腐った土台を新しい木に替え、コンクリートのベタ基礎を敷いて……

というシーンです。なんだかわくわく、ぞくぞくすらします。新しい木の色って、何ともいえないいい色ですよね!

我々、塾の講師も、勉強に行き詰まる生徒のやる気を引き出し、生活リズムや勉強方法を一新させ、みちがえるように成績を向上……ということができるように日々精進しています。

無理矢理な終わり方ですが、ハッピーエンドが好きなんです。

2011年2月20日 (日)

バイトの日々①

前回、うどん屋で出前持ちをしていたという話を書きましたが、大学時代およびその後、二十種類におよぶアルバイトを体験しました。

二十種類というのは結構多いんじゃないかと思うんですが、これはひとえに僕がバイタリティーに満ちあふれた働き者だからではなく、やる気がなくてすぐにバイトをやめてしまうからですね。

だいたい働くのが大嫌いで、ほんとうに困り果てるまで働かないという方針を貫いていたので、選ぶバイトもその場しのぎの単発バイトがほとんどでした。

困り果てるまで働かない、というのは、文字通り困り果てるまでであって、困り果てるというのはどのくらい困り果てているのかというと、低血糖で動けなくなるレベルです。

低血糖で動けないなんてこの飽食の時代に・・・・・・と思われるかもしれませんが、たびたび経験しました。

いや~、ほんとうに動けないんです。朝、目が覚めたら体にまったく力が入らない。トイレに行くのに数分かかります。這って行きますからね。

だいたい前の日にほとんど何も食べていないんですね。前々日もろくすっぽ食べていなかったりします。

これは食べるまで復活しないので、近くの定食屋まで這うようにして行き、なけなしの金で定食を食べます。あれはなぜですかね? 空腹のはずなのに、全部は食べきれないんですよね。でも食べてしばらくしたら元気になります。

生き物は食べものがないとだめなんだなあということが身にしみてわかる日々でした。それなのに、しばらくするとまたぞろ食費をけちって別のものを買ってしまうんですよね。本とかマンガとか蒸留酒とか。で、やはり低血糖でふらふらになっていました。愚かな日々でした。

貧乏ネタは結構あります。

電話はたいていの場合通じませんでした。使用料を払わないでいるとまっさきに止められるのは電話です。次がガス。その次が電気です。さすがに水道は止められたことがありません。水道止めると命にかかわるからですかね?

でも、電気が止まったときは参りました。僕はバカだから、電気がとまったら縁側で月を眺めながら音楽でも聴くさ、と思っていたんですが、電気がとまってるからステレオも当然動かないんですよね。

ガスが止まったときは夏だったので、水風呂を浴びてしのぎました。ガスコンロは使えませんでしたが電気がまだ通っていたので、炊飯器で炊いた熱々のご飯にみそをのせて水で溶いて食べました。

しかしねえ、電気が止まるとキツイですわ。真っ暗ですから何もできません。本も読めませんし、音楽も聴けませんから、やむなく友人宅へ避難しました。

さて、そういった悲惨な事態に至るとこれはもうやむなくバイトをしないといけないわけですが、なんせできるだけ働きたくない人間ですから、必要最低限だけ働こうと考えます。とりあえず一万円分だけ、とか。

そうするとやはり単発のバイトになります。

単発バイトにはいろいろなものがあります。定番は道路交通量調査ですね。何回かやりましたが、僕は眠気に弱く、バイクに2人乗りしているときでさえタンデムシートで眠ってしまうという冒険野郎ですから、交通量調査なんて眠らないはずがない。

はっと気づくとあきらかに何台も車が通りすぎたあと、ということがたびたびあり、しかたなく適当にカチカチカチとカウントしたりしていました。すみません。

眠ってしまうといえば、理容師のためのアイロンパーマ講習でモデルになるというバイトもありました。アイパーというやつですね。もちろん、仕上がりはパンチパーマです。これが眠い。頭があつくなるのでものすごく眠たくなるのです。つい我慢できずに、数十人の理容師に囲まれてよだれを垂れて眠ってしまうのでありました。せっかくパンチパーマ姿になったのに写真をとっておかなかったのが残念。ま、上記のような貧乏生活ですから、写真なんて。

それからだいぶ前に書いたことがありますが、日舞の発表会で照明のバイトをしました。演劇関係のつながりで人手が足りないとか何とかで呼ばれてホイホイ行ったんですね。しかし、ろくすっぽ指導もなく、「上手から出てくるやつに、このスポットを当てろ」とか云われても困るんですよ。とんでもないところを照らし出して、いったい何の演出だ?って感じでした。

いちばん楽だったのは人体実験。というと聞こえが悪いのですが、某製薬会社が開発した新薬のデータをとるというものでした。糖尿病の薬だったかな、とにかくその薬をのんで、15分おきに採血されるというバイトです。6時間ずっと針を刺しっぱなしでしたが、ずっと本読んでいられますから、楽ちんでした。今は注射が苦手ですが、その頃は注射なんかからだじゅうに打たれても平気でした。いやもちろんそんな経験はありませんが。微妙に気持ちがすさんでいたのかもしれません。おなかがすいたら献血に行って、チョコ食べさせてもらってました。

あの苦しい時代に戻りたいとはまったく思いませんが、それでもやはり黄金時代であったという気がします。こんなにだらしない自分はいつか路上生活者になってしまうかもしれないという不安を抱えつつ生きていましたし、将来の展望もまったくありませんでしたが、なんというか、思い返せば貴重な日々です。

                                        「バイトの日々②」へ続く。

2011年2月15日 (火)

納豆がとまらない

最近、納豆ばかり食べています。

なんだか妙に美味しく感じるようになったんですよね。それも、ある日突然。もともとパラノイアックな食欲傾向があり、何かがおいしいとそればかり食べてしまうんですが、それがついに納豆に及んだわけです。去年は、ひたすらチーズばかり食べていました。

チーズもそうですが、納豆はなおのこと栄養価の高さが魅力的です。

納豆の栄養価を説明した文章を読んでから納豆を食べると2割増しで美味しく感じられます。

『ああ、俺はいま良質なタンパク質を摂取しているのだ』

『おお、どんどん血がさらさらになっていく・・・・・・』

『それなのにカロリーが低いなんて~』

『・・・・・・もう1パック食べちゃおう』

『納豆だけに後を引くぜ』

と、うっとり。

先日、どこのクラスだったか忘れましたが、子どもたちに

「納豆が食べられない人」

と訊いたら、なんと手をあげる子どもが0!

時代は変わりましたね。僕が小学生のころは、おそらくクラスの大半は納豆嫌いだったと思うんだけど。

かく言う僕も「納豆なんて」と思ってました。食べられませんでしたね。

食べられるようになったのは、大学生のときです。

うどん屋の出前持ちをやっていたとき、賄いで「納豆うどん」が出てきたんですね。で、食べられないなんて言うのも申し訳ないし、だいたい腹はへってるしで、思いきって食べたらまあ食べられたんで、それから少しずつ食べるようになって、近ごろでは上記のような状態にまで立ち至ったわけです。

当時僕は仙台に住んでいたんですが、仙台で「うどん屋」というのは結構めずらしいです。やはり東日本はそばの方がメインになります。駅の立ち食いでも、関西は「うどん・そば」と書いてあるのが一般的ですが、あちらは「そば・うどん」です。

僕が出前持ちをした「恭菜」といううどん屋は、ちゃんと修業を積んだ主人が手打ちしたうどんを出すんです。こしがあって美味しかったんですが、奥さんが云うには、

「残念だけど、うどんはこっちじゃあんまり人気がないんだよね・・・・・・」

ということでした。すごく美味しいうどんだったんですが、なかなかわかってもらえなかったようです。

2年ほど前に恩師の古稀を祝う会があって、不良学生だった僕も、仙台に行きたいのが半分で顔を出しました。恩師が覚えていてくれたのでとても感激。ああ、もう少しまじめに卒論書いておけばよかったと後悔しました。それはともかく。

昼間少し時間があったので、ふと思い立って「恭菜」を訪ねてみました。移転したという噂を聞いていたので、電話帳でさがして行ってみたら、ちょうどお昼の時間が終わったところで客はだれもおらず、僕がふらりと入っていくと、懐かしい顔のご夫婦が「だれやこいつ」みたいな胡乱な表情で出迎えてくださいました。

でも、残念ながら、うどんは手打ちじゃなくなっていました。場所がせまくて、手打ちの台を置けないとのこと。

場所柄、客は安定して来るみたいで商売的にはまずまずのようでしたが、ちょっとさびしそうでした。僕が出前持ちしていたころすでに子どもさんが3人いましたが、その後また2、3人生まれたということなので、大変だったにちがいありません。

この世の中、食っていくのは厳しいぜとしみじみしながら、うどんをつるっと呑みこむ僕でした。

おお、納豆の話がいつのまにかうどんの話に!

では、脱線ついでに。

何年かに一度、といった割合で仙台に行きますが、駅を出てペデストリアンデッキの上から町を見わたした瞬間に、いつも頭がくらっときます。

懐かしい風景が、懐かしい風景なのに記憶と少しずれているというのが、眩暈感の原因みたいです。

青春時代の7年半を過ごした街なので、いつまでも僕にとって特別です。

・・・・・・しかしそれにしてもなぜ7年半もいたのか?

四年制大学なのになぜ?

その謎はまたいずれ。

2011年2月 8日 (火)

ポイントは三つある

かなりのブランクがありますが、何事もなかったかのように、前回のつづきです。プロの話でした。

話術のプロといえば、芸人ばかりではなく、塾の講師もそうです。というより、芸人みたいな講師も多い。中にはM-1グランプリに出てる講師もいるそうです、よく知りませんが。M-1が終わって、どうするんでしょうね。心なしか、頭のかがやきも寂しげです。頭のつながりで思い出しました。坊さんにも上手な人が多いようですね。一般庶民に仏の道を説くためにおもしろおかしく話をする必要があったのでしょう。「説経」が落語などの話芸のルーツだそうです。でも、落語家といっても上手下手があります。はっきり言って、下手なやつは下手。ネタは同じなのになぜあんなにちがってくるのでしょう。師匠の話すことばを完全にコピーしても、何かがちがうのですね。月亭八光が言っていました。笑福亭仁鶴のテープで話をおぼえたものの、テープの中で笑いがドッカンドッカン出ているのに、八光が同じところをやっても、客席はクスリともしないとか。

アナウンサーは原稿を読むことについては最高のプロです。だからといって文学作品を朗読しても魅力的とはかぎらない。俳優の朗読のほうがむしろ魅力的なことがあります。何がちがうのでしょうか。たとえば、稲川淳二というタレントがいます。夏になるとよく出てきて怪談を聞かせてくれる人です。あの人、はっきり言って滑舌はかなり悪い。それなのに「聞かせる」のですね。内容・間・リズムなど、独特の魅力があります。「やだな、やだな」なんて、物真似されています。笑福亭鶴瓶も声は悪いのですが、「聞かせ」ます。内容に意外な展開が多いのですが、じつは話の組み立て方がうまいのですね。武田鉄矢も上手です。この人の場合は声の質が心地よいのですが、若い頃はやや甲高い早口のトークでした。ところが、映画で共演した高倉健の影響を強く受けたらしく、意識して、ゆっくりめの低い声で話すようになってきました。聞いていて、安心感を与えるような話し方というのも魅力的なようです。でも、それはなかなか模倣できない。

「魅力」というのは「花」のことでしょうか。もって生まれた「花」もありますし、ふとしたきっかけで開花するものもあります。訓練したからといって、すぐに魅力的になるとはかぎらないのがつらいところです。テクニック的なものは訓練できるでしょう。「弁論術」みたいなものはとくに西欧では訓練するみたいです。彼らは相手を説得するということに大きな価値を見いだしてきました。場合によっては「詭弁」であっても、相手が反論できなければ評価されるのですね。「自分がされていやなことは、ひとにもするな」「ほなら自分がされていやでなければ、ひとにしてもええんやね」……、「××くんの秘密を知っているか」「秘密なら知ってるわけないやないか」……、「お金こそ最も価値あるものだ」「そしたら、なんでお金を物にかえてしまうねん」……、「チョコレートを毎回半分食べてれば一生なくならへん」……、アホです。

こんな話もあります。弁論術がうまくなったら礼金を払うという約束で弟子入りした男が、習い終わったあとも礼金を払わなかったので裁判になった。師匠が「おまえがこの裁判に負けたなら、判決どおり礼金を払え。裁判に勝ったなら、弁論術がうまくなった証拠だから、約束どおり礼金を払え」、そうすると男は、「おれが裁判に負けたなら、弁論術がうまくならなかったのだから、礼金を払う必要はない。裁判に勝ったなら、判決どおり礼金を払う必要はない」……、西洋の人はこんなのが好きなんですね。

ディベートというのも変なものです。「カレーとラーメンとどちらがおいしいか」というテーマで、自分はカレーだと思っていても、ラーメン派に入れられたら、無理矢理でも理屈をつけていくわけですね。こういうものが成立するということは、「どんな意見でも反論される。世の中に唯一絶対の理屈や意見はない」という前提に立っているということですよね。要するに「自分の意見は必ずしも正しくない」ということになります。なんだか論争すること自体、無意味になってしまいそうです。「理屈と膏薬はどこへでもつく」というすばらしいことわざを西洋の人におくってやりたいなあ。

詭弁ではないのですが、すごくいやみに感じるのが「ポイントは三つある」とか言って、「一つは……」とやり出す話し方です。アメリカの映画などで主人公がよくやります。自分はすでにそれだけの分析ができていると言わんばかりなのが、鼻につきますね、いかにも自信満々で、しかも説得力がありそうなのがむかつきます。ところが、「三つあるのだ」と言って、相手をびびらしておきながら、実は二つしか思いついていないらしい。そうやって、相手を恐れ入らせるのが目的なので、言いながら三つ目を考えていることが多いそうです。日本人には思いつかない発想ですね。

西洋の人がよくやる(本当にやるかどうかわからない、映画や小説でよく見るだけです。単なるアメリカンジョーク?)「グッドニュース、バッドニュース」というのもあざとくて、いやみです。医者と患者の会話。「いい知らせと悪い知らせがあります。悪い知らせですが、あなたの心臓とまちがえて、肺のほうを手術してしまいました」「なんですって。じゃあ、いい知らせというのは?」「あなたの心臓は正常で、手術の必要はありませんでした」みたいなやつです。これなんかも、日本的ではなさそうです。一つの物事には両面があるとか、見方によって真実はかわるなんて、むしろ、日本では当然すぎて「笑い」にならなかったのかもしれません。

では、なぜアメリカ人の「二分法」が日本で生まれなかったのでしょうか。私が思うに、そのポイントは三つあるのです。一つは……。

2011年2月 2日 (水)

首都圏の思い出

関西の入試は一段落しましたが、首都圏は今がたけなわです。

実はわたくし、かつて首都圏で授業をしていたことがあります(最近は行ってません)。

関西人が首都圏で授業をする場合、最大の障壁は「言葉」です。

吉本芸人のおかげで関西弁は全国区になっているというものの、やはり関西弁は嫌いという人も多いのです。べつに嫌わなくてもいいじゃん、と思いますが、まあ、標準語なんて気持ち悪いという関西人も結構いますから、どっちもどっちですね。

大学時代、関西を離れていたころは、僕も関西弁があまり好きではありませんでした。べつに標準語がかっこいいとは思いませんでしたが、関西人はどこに行っても声が大きいような気がして、なんとなく気がひけてしまうんですね。

で、首都圏に週1回出向いていたころは、極力標準語で授業するよう心がけていました。関西弁でしゃべったら生徒も怖がるんじゃないかなと慮ったわけですが、これが思っていたより難しい。

かつては「西川ほど大阪弁の痕跡を消せる人間は見たことがない」と言われるほど標準語になじんでいたのですが、こちらに戻って十数年たつと、もうだめですねぇ。

特に勢いよく叱るときなどは、つい関西弁が出てしまいます。

高野長英は、たしか「日本語でしゃべったら罰金」というゲームをしていた酒の席で階段から突き落とされたとき、オランダ語で「危ない!」と叫んだそうですが、とても真似できません。

さて。

首都圏の塾生で、何を話しかけてもとりあえず「ニャー」と返事する6年生の男の子がいました。

ぼく「では、◎◎くん」

◎◎「にゃー」

ぼく「きみは『ハイ』と言えないのかい?」

◎◎「にゃー」

ぼく(ちょっとムッとする)「ほんとに?」

◎◎「にゃー」

ぼく(あきらめる)「で、問3の答えは?」

◎◎「ウ」

ぼく「『にゃー』以外のことも言えるじゃないか」

◎◎(うなずいて)「にゃー」

といった調子です。

ある日のこと。授業中板書していると、落ち着きのない◎◎くんが背後で何か意味不明のことをつぶやいている。意味不明というのは文字通り意味不明なのであって、とりあえず日本語ではない。大声ではないけれど、とにかくずっとひとりごとのようにごにょごにょつぶやいている。

『うるせえなこのやろう泣かしてやる』と思って、振り向きざまガツンと叱りつけようとしたのですが、その瞬間『いや待てよ、このまま大阪弁で「おんどれ、ええかげんにせんかい!」などと叫んだらもしかして大変なことになるのでは・・・・・・』と考えてしまったわけです。

しかし、光速で振り返ったその勢いは止められないわけです。どうしたらいいんだ!

で、どういうわけか、思わず、つい、うっかり、

「ニャー!」

と怒鳴りつけてしまう僕なのであった。

『しまった』と思ったときにはもう遅く、すっかり興奮した◎◎くん、『ここにもネコ語を解する人間がいた!』とばかりに、

「にゃにゃにゃ、にゃにゃにゃにゃにゃー!」

とすごい勢いで叫びはじめ、収拾のつかない事態に。

『やってしもうた~』と頭をかかえる僕なのであった。

なつかしい思い出です。

首都圏の塾生諸君、がんばれ~!

2011年1月24日 (月)

明けの星

入試の激励に毎朝でかけるわけですが、

駅までの道中、空を見上げると、否が応でも目に飛び込んでくる明るい星がありました。

明らかに恒星(自分で光を出す星。太陽系外にある、太陽と同じような星)ではないな、

「明けの明星」(金星)かな、と思ったのですが、金星は太陽の近くを回っている星なので、あんなに天高く昇っているのは妙では? と違和感を覚えました。高層マンションの上くらいに見えているのです。

小学生のころに読んだ天文雑誌の中の「西方最大離角」ということばが頭にひらめいて、調べてみると、やはり、今年の1月9日が「西方最大離角」にあたる日だったようです。

「西方最大離角」は、太陽と金星と地球で三角形を成し、地球から見た太陽と金星の間の角度が最も大きくなる位置関係のことです。

夕暮れ前・日没後に見えるのは「宵の明星」で、最も太陽から離れる宵の明星が「東方最大離角」の金星ということになります。

金星や水星は太陽に近い軌道を回るために、地平線すれすれに近いところでしか見えないと思い込んでいたので、冒頭のような「違和感」があったわけです。

水星の場合、「最大離角」は約28度しかなく、金星のそれが47度もあるのとは違って、空高く見えることはありません。本当にすれすれです。そのため、初めて望遠鏡で天体観測をしたと言われるガリレオ・ガリレイですら、生涯の間水星をみたことがなかった、という逸話があるそうです。

今の金星はとっても見やすく、冬の星空を彩る一等星たちが西の地平線に沈んで、その後に真打ち登場、といった趣もあります。

この冬は、早起きして南東の空を見上げてみてください。一月いっぱいくらいは、東天高く昇った金星を見ることができそうです。

思いの外お高くとまったヴィーナスに、「塾生たちの勝利の女神であってよね」となんとなく不遜に願いを込めつつ、駅への道を急ぐ私でした。

2011年1月 8日 (土)

よい国語の問題

いよいよ6年生は入試期間に入っています。

実力を遺憾なく発揮してくれることを切に切に望みつつ、私は小3~5生の授業をしています。

できる限り、受験生の皆さんには、適度な緊張と、そして今まで希学園で鍛えた日々への自信を持って、入試に臨んで頂きたいと思います。

国語の問題というと、「答えがいっぱいある」という人も多いです。

ですが、テスト問題である以上、どうしても模範解答、出題者が想定している解答、というのがあるわけですね。

「出題者のねらいを見抜くゲーム」だと思って、出題者との心の中での対話をしてほしいなあ、と私はよく言います。

出題の意図が見えれば、おのずと答えも見えてくるはずですから。

そうなると、出題者側には「意図のある出題」をしてくださいね、とお願いしたくなります。

よい国語の問題、(と僭越ながら私が考える)とは、

①ねらいがはっきりある問題

②文章に根拠があり、文章のここを見れば答えが決まる、という問題

③国語力のある人がきちんと答えを出せる問題

です。

国語の先生が何人も侃々諤々話し合っても答えが決まらない問題というのは、正直、悪問かなと思います。

クイズでも、「いい問題」は存在しますよね。

早押しクイズなどの場合は、問題を読み上げている途中で、答えが見えるようになっているものが多く、全部聞かずにわかる人が勝つようになっています。まるで百人一首の「むすめふさほせ」の一字決まりみたいに。出題者としては、問題の途中で、「ここまで読めば慣れた人なら答えが出るだろう、というようなポイントを作っているのでしょう。

「ベートーヴェンの『交響曲第五番』の……」で「運命!」と答えるのはさすがに早とちり。

「ベートーヴェンの『交響曲第五番』の第一楽章などでは、同じ旋律がくり返され……」で音楽に詳しいひとならば「ソナタ形式」という答えが見えるわけです。

何と言うんでしょうか。運の勝負、になるようなものは入試問題としてはやめてほしいなと。

もう入試問題の作成はすべて終了しているとは思いますが、受験生を送り出す我々講師の願いの一つでもあります。

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