2023年6月 1日 (木)

ダジャレで終わるの巻

「獏」というのは想像上の動物で、象の鼻、犀の目、虎の足、牛の尾を持つと言われます。神様が動物をつくるときに余ったパーツからできたのが獏だという説もあるとか。昔の中国では守護獣とされ、枕元などに漠の置物を置いて寝たそうです。一方で、寝ている間に魂が体から抜け出るという俗信もあったらしい。その魂が悪いものにとられないように獏が守ってくれる、というところから、悪夢を払う霊獣と見なされるようになったのでしょう。そして日本に伝わると、そのまま「夢を食べる」ということになりました。「夢枕獏」というペンネームは当然そこから来ています。

現実にも「バク」という動物がいます。アリクイみたいな感じの動物ですが、似ていると思われたのでしょうか。同じく想像上の霊獣「麒麟」も、「キリン」という実在の動物とはなんの関係もありません。大河ドラマでもやっていましたが、聖人が出て理想的な政治が行われるときに麒麟が現れることになっています。顔は竜みたいですが、角は一本ですね。体は鹿っぽくて、金色の毛が生えています。ビールのラベルに描かれているやつですね。とにかく、動物園にいる「キリン」とは似ても似つかない姿ですが、似ていると思ってだれかが名付けたのでしょう。

竜は、実在の動物には名付けられていません。西洋のドラゴンを「竜」と訳してしまったのは、ぴったりする言葉がなかったのかもしれませんが、ドラゴンと竜はかなり形がちがいます。映画の「ネバーエンディング・ストーリー」のファルコンは体は竜っぽいのに、顔はどう見ても犬でした。「恐竜」の「竜」も、実は「は虫類」と言うか「とかげ」のイメージですね。「恐竜」は英語で「ダイナソー」と言いますが、「ソー」は「サウルス」つまり「とかげ」です。「ティラノサウルス」は「暴君竜」と訳すと強そうですが、「暴君とかげ」と訳すと弱っちいくせにいばりちらすチンピラみたいです。「レックス」が付くと「王」になるので、ちょっとマシですが。

東の青竜に対して西の白虎も四神獣の一つです。四神の中で最も高齢という説と最も若いという説の両方があるようですが、会津藩の白虎隊は最も若い部隊の名前でした。白虎と言っても、実在のホワイトタイガーとは違って、かなり細長いイメージがあります。高松塚だかキトラ古墳だかの壁画に描かれていた白虎も細長くて弱っちい感じでした。現実のホワイトタイガーも縁起がいいとされていて、インドでは神の使いというレベルの扱いになるそうです。南をつかさどる朱雀は赤い鳳凰という感じで、北の玄武は脚の長い亀に蛇が巻き付いた形で描かれることが多いようですが、しっぽが蛇の形になっていることもあります。

いくつかの動物が合体した「キメラ」に対して、人は一種の畏れを感じることがあるのでしょう。ギリシア神話では、体はヤギで顔はライオン、しっぽは蛇になっています。ペガサスは羽のはえた馬ですが、キメラと見ることもできますし、ライオンの胴体にワシの頭と翼があるグリフォンというのもいます。フランケンシュタインのモンスターは何人かの死体の一部の合成ですから、一種のキメラでしょう。日本でも「鵺」というのがいます。「ぬえ」と読みますが、トラツグミという鳥の鳴き声が不気味なので、この鳥の声が妖怪の「鵺」の鳴き声だと思われていたそうです。「鵺の鳴く夜は恐ろしい」というキャッチコピーの映画がありました。横溝正史の『悪霊島』です。なぜか、ビートルズの「レット・イット・ビー」がパックに流れていました。

キメラとしての「鵺」は『平家物語』では、猿と狸と虎と蛇の合体動物として描かれています。堀河天皇がその鳴き声を耳にして病気になったとき、源義家が弓の音を鳴らして名乗りをあげると天皇の苦しみが和らいだと言います。矢をつがえずに弓の音を立てるのは「鳴弦の儀」とか「弦うちの儀」とか言って、魔除けの儀式です。後には高い音をたてる鏑矢を使って射る儀式も行われ、これは「蟇目の儀」と言います。要するに音を立てることによって邪を払うことができると考えたのですね。神社で鈴を鳴らしたり、柏手を打ったりするのも、本来はそういう意味かもしれません。火の用心の拍子木も同様でしょうし、西洋の結婚式のあとハネムーンに向かう車の後ろに空き缶をつけてガラガラ鳴らしながら走るのも根は同じかもしれません。洋の東西を問わず、音を立てることで悪霊が近づけないようにするという考えがあったのでしょう。

さて、近衛天皇のときにも堀河天皇のときと同じようなことが起こったので、先例にならって源頼政が呼ばれました。たずさえた弓は源頼光の持っていたもので、見事に鵺を矢で射て退治しました。そのときほととぎすの鳴き声が空から聞こえたので、藤原頼長が「ほととぎす名をも雲居にあぐるかな」と詠むと、頼政は「弓はり月のいるにまかせて」と下の句をつけた、という有名な話です。頼政は武勇だけでなく、歌の道にも優れていたという逸話ですね。鵺の死骸は丸木舟に入れて流されたそうですが、そんなものが流れてきたら下流では大騒ぎだったでしょう。都島には鵺塚の祠が今もあります。流れ着いた鵺の亡霊を主人公にした謡曲のタイトルはそのままズバリ『鵺』です。ちなみに、この「鵺事件」は何代か後の天皇のときにも起こり、頼政は再び手柄を立て、その恩賞として伊豆の国を賜りました。何度も起こるというのは、「鵺」って妖怪ではなく、朝廷に対する不平分子だったのかも? で、頼政失脚後、伊豆の国が平氏のものになって…という話は前に書いたような気がします。

化け物退治で有名な人としては、ほかに田原藤太秀郷がいます。「藤太」と言うぐらいですから藤原氏の長男です。「田原」はおそらく地名、「田原の住人である藤原氏の長男」ということです。平将門の乱を鎮圧したことで有名で、その子孫は栄え、特に佐藤姓の発祥とされています。この秀郷が退治したのは、なんとムカデ。たかがムカデぐらいでなぜ有名になるのだといぶかる向きもあるでしょうが、なみのムカデではなく、三上山を七巻き半する大ムカデなのです。これに対抗するために秀郷は「克己」と書かれた「鉢巻き」をしていきました。なぜなら「ハチマキ」は「七巻き半」より上だから。うーん、実にくだらん。

2023年5月14日 (日)

獏はすごい

『宇宙大作戦』の主人公はカーク船長で、ウィリアム・シャトナーが演じていました。この人は『スパイ大作戦』にもゲストとして出ています。ミスター・スポック役のレナード・ニモイも一時期『スパイ大作戦』のレギュラーでした。このころは「ナントカ大作戦」というタイトルがはやっていたのでしょうね。邦画のタイトルにもありましたし、洋画の邦題にもありました。ただ、なんとなくB級映画っぽい感じもします。「大作戦」という言葉が大げさすぎて、逆に滑稽な感じがするのでしょう。『プロポーズ大作戦』というバラエティ番組もありましたが、これは完全にお笑い系でした。

『スパイ大作戦』は映画『ミッション・インポッシブル』としてリメイクされました。テレビドラマは映画に比べるとさすがにスケールは小さいのですが、ウィリアム・シャトナーが出たときの話はなかなかストーリーや設定がおもしろいものでした。ウィリアム・シャトナーはある犯罪組織の幹部で、なかなか尻尾をつかませません。なんとか逮捕するために仕掛けた罠が戦争前の時代にタイムスリップしたと思わせるというトンデモ設定です。老幹部を睡眠薬かなんかで眠らせている間に若作りの特殊メイクをほどこし、歩けない脚を補強して走れるようにしたり、強引すぎる荒業が繰り広げられます。実際の撮影では、当時まだ若かったウィリアム・シャトナーに老人メイクをして登場させていたわけで、そのあたりのアイデアがなかなかの優れものです。全体的には、アラが目立つところもあったのですが、話としては十分楽しめました。

最近は動画配信サービスがいろいろあるせいなのか、テレビでの外国ドラマが少なくなっています。たまにNHKでやるぐらいですが、昔は面白いシリーズものも多くありました。『宇宙家族ロビンソン』というのも面白かったなあ。『原子力潜水艦シービュー号』や『タイムトンネル』も同じ人が作ったようで、面白いのも当然でしょう。人口問題で悩む人類が宇宙移住計画を立て、ロビンソン一家がある星を目指します。ところが、スパイが宇宙船に紛れ込んでいたために、目的の星にたどりつけなくなるという話です。ただし、そういう設定の割には話はハードなものではなく、どちらかというとおちゃらけで、お気楽に見られるドラマでした。

今年のNHK大河ドラマは一回目からの「おちゃらけ」が痛々しくて見ておられず、はやばやと脱落しました。去年の『鎌倉殿の13人』も、三谷幸喜脚本だけあって、初回から「おちゃらけ」要素があったものの、主人公が最終的に「ダーク義時」になっていく過程がなかなか楽しめました。毎回、だれかが命を落としていくという、NHKらしからぬ陰惨さは、朝ドラの「ちむどんどん」に対して「死ぬどんどん」と言われたぐらいです。『鎌倉殿の13人』では、鎌倉最大のミステリーと言われる実朝暗殺がどのように描かれるのかが注目されていました。三浦義村にたきつけられた公暁が、父頼家の仇として実朝・義時暗殺を計画することになっています。つまり公暁単独犯という立場ですが、義村のそそのかしもあり、御所を京に移そうと考えている実朝に愛想を尽かした義時もあえて黙認しています。わりと納得できるなかなかの解釈だったのではないかと思います。

永井路子は、実朝と義時を公暁に暗殺させて、自分が執権になろうとしたのではないかという、義村黒幕説を唱えました。それまでは義時黒幕説が有力だったのが、永井路子は『炎環』という小説で義村にスポットライトを当てたのでした。ただ、どちらも論証に弱いところがあるとされて、新しく主流になってきたのが、公暁単独犯説です。三谷脚本はそのあたりをうまくミックスさせて、なるほどと思わせる着地点を見つけています。

知名度は低いのですが、このドラマには平賀朝雅という人物が出てきました。畠山重忠の息子と口論したことがきっかけで、畠山重忠の乱が起こります。朝雅は北条時政の娘婿だったので、時政が畠山一族を滅ぼすのですね。ところが、これが原因となって、時政と義時の間にひびがはいり、時政の後妻が中心となって朝雅を将軍に擁立しようとするのですが、これが失敗、時政は伊豆に幽閉され、朝雅も討たれます。この朝雅という人は、平賀と名乗っていますが、れっきとした源氏の一門で、「朝」の字は頼朝からもらったものです。だからこそ、将軍にかつぎあげようとされたわけですし、御家人としては別格の存在だったようです。源義家の弟義光の系統の源氏で、平賀は信州の地名です。

平賀という姓はやや珍しい部類に属するのでしょうが、平賀と言えば源内を思いつきます。ただし、朝雅の子孫というわけではなさそうです。同じ名字でもちがう一族というのはよくあります。平賀という土地に住み着いた一族が平賀氏を名乗り、滅んだあと、別の一族がその地に住み着いて平賀氏を名乗る、というようなことはよくあったようです。源内は日本のダヴィンチとも言われます。今で言えば、マルチ・クリエイターでしょうか。エレキテルで有名なので発明家と思われがちですが、博物学者でもあります。当時の言葉で言えば本草学ですし、地質学者、蘭学者と言ってもよいかもしれません。さらには画家でもあり、作家でもあり、俳人でもあり、陶芸家でもあり、事業家でもあります。最後には二人の人を殺傷して獄死するという波瀾万丈の人生を送った人です。

夢枕獏に『大江戸恐龍伝』という大長編小説があります。これは平賀源内が主人公の小説です。源内は龍の骨が発見されたという噂を聞いて、確かめようとします。その後、円山応挙とともに、ある寺を訪ねた結果、一人の僧侶の名前を知ることになります。亡くなった僧侶の遺品には謎の絵があり、「ニルヤカナヤ」という土地の名を言い残したことがわかります。沖縄などで言い伝えられる、海の彼方にあるとされる異界は「ニライカナイ」と言いますね。だいたいこのへんでワクワクしてきます。さらに、上田秋成や長谷川平蔵といった有名人も登場します。しかも冒頭に二人の人物にささげるということが書かれているのですが、その二人とはゴジラとキングコングの生みの親なんですね。伝奇小説であり、秘境冒険小説であり、暗号解読まであるという奇想天外の作品です。こういうばかばかしくも面白い作品を書ける夢枕獏はすごい。文章がわざとらしく、鼻につくのが欠点ですが。

2023年4月30日 (日)

アメリカのオタク

辻まことという詩人の文章を授業で取り上げたことがあります。この人の母親の野枝さんは夫のもとを飛び出して、別の男のところに行ってしまいます。野枝さんはその男とともに甘粕正彦という人物に殺されてしまいます。その男とは、もちろん大杉栄ですね。これは親戚ではなく、何らかの関連で有名人と結び付いてしまうという形になります。よくある「知り合いの知り合いがあの○○だ」というやつですが、いくらなんでも甘粕正彦や大杉栄というのはインパクトがあります。甘粕正彦は上杉四天王の一人甘粕景持の子孫ですが、満州映画の社長でもありました。芸能界との縁もあったのですね。そのときに、「この女の子は将来性がある」と見込んだのが浅丘ルリ子です。この人はまだ現役で、たまにドラマにも出ていますね。

人と人とのつながりというのは意外なものもあっておもしろいものです。漱石と鴎外も時期はちがいますが、同じ家に住んでいたことがあり、この家は犬山市の「明治村」に残っています。最近鴎外宛に書かれた大量の手紙が見つかって話題になりましたが、漱石からの手紙もあったそうです。ライバルのようなイメージもある両者ですが、年賀状のやりとりぐらいはあったようです。

森鴎外は子供に西洋風の名前をつけています。女の子は茉莉と杏奴で、鴎外宛の手紙が見つかったのは茉莉の嫁ぎ先の家でした。杏奴は小堀四郎に嫁いで、小堀杏奴と名乗っていますが、亡くなったのは平成になってからだったと思います。男の子が於兎、不律、類で、最後の類は朝井まかてが最近小説の主人公にしています。タイトルもそのまま『類』でした。ルイはフランス系の名前で、ドイツ系ならルートヴィヒになります。オットーやフリッツはドイツ系の名前ですね。鴎外はドイツに留学しているので、身近に感じる名前だったのかもしれません。

外国の人が日本に帰化するとき、名前を自由に決められるそうです。日本風の名前を新たにつけてもかまわないし、もともとの名前をカタカナ表記にしてもよいことになっています。アルファベットが使えないのは当然ですが、日本にない「漢字」は使えません。ドナルド・キーンは姓と名の順を変えて「キーンドナルド」になりましたが、たまにおふざけで「鬼怒鳴門」と書くこともあったようです。ギタリストのクロード・チアリは「智有蔵上人」にしています。二人とも、漢字に心ひかれるものがあったのでしょうね。

暴走族のチーム名も万葉仮名風の漢字になっているものがあります。「論利衣宇流不」で「ロンリーウルフ」とか、「紅麗威甦」で「グリース」とか。「夜露死苦」とか「仏恥義理」とかも含めて、「ヤンキー漢字」と名付けられているそうな。特攻服に「魔苦怒奈流怒」のようなおどろおどろしい漢字が書かれていると、見た瞬間はちょっとビビります。よく読むと、「なんじゃこりゃ」になりますが。ヤンキーも意外に漢字が好きなんですね。「鏖」なんて、ちょっと読めない字を使ったりもします。「鏖殺」と書いて「おうさつ」と読みますが、「鏖」の訓読みは「みな○ろし」です。黒のスプレーで「鬼魔零天使参上」とか書いてあったりすると、「参上」という言葉になんとも言えないものを感じます。

時代劇やアニメなどで、自分のことを名乗って「○○参上!」という台詞とともに登場することもよくあり、「○○が現れた」という意味で使われるのですが、本来「参上」は謙譲語です。目上の人のところに来ることなので、暴走族は自分たちのことをへりくだって表現する謙虚な人たちなのかもしれません。「見参」という言葉も同様ですね。「けんざん」とも「げんざん」とも読みますが、「参上」と同じような使い方をします。いずれにせよ、「名乗り」をしたいのですね。武士が「やあやあ、遠からんものは音にも聞け、近くば寄って目にも見よ、我こそは…」と名乗るような気持ちなのでしょうか。武士の場合は「よい敵」に来てもらうという目的もあったようですが、名乗りをあげているときには一種の自己陶酔のような心情もあったのではないでしょうか。

や○ざの「口上」も同じ心理かもしれません。初対面のときの挨拶で、俗に「仁義を切る」と言われるやつですね。「お控えなすって。手前生国と発しますところ、関東にござんす。」というように、だいたいパターンが決まっています。『昭和残侠伝』という高倉健の代表作では池辺良と菅原謙次の仁義を切るシーンが結構長く続きます。本物を見たわけではないのですが、妙にリアルでした。当然、本職(?)の監修があったのでしょう。『男はつらいよ』のフーテンの寅さんもきちんと仁義を切るシーンがありました。あの人は「テキヤ」ですから「露天商」なのですが、自分のことを「渡世人」とも言っています。「や○ざ」の親戚みたいなものなので、やはり土地土地の「親分」のところで仁義を切るわけですね。

「無宿渡世人」という言葉もありました。江戸時代には、一般庶民は自分が住む村や町のお寺の「人別帳」に登録されていました。要するに戸籍です。村から出て行方知れずになると人別帳から外されて、これが「無宿」ということになります。笹沢佐保の『木枯し紋次郎』のイメージです。生まれ故郷の上州新田郡三日月村を捨てた旅人です。仁義を切るときに、やたら生国を強調するのは、渡世人ではあるが無宿人ではないということを言いたかったのかもしれません。『拳銃無宿』というテレビドラマがありました。賞金稼ぎの男が主人公になっているアメリカの西部劇で、旅から旅をしてお尋ね者を捜し回るところから邦題を『拳銃無宿』にしたのでしょう。この主人公を演じたのが若き日のスティーブ・マックィーンです。

昔のアメリカのテレビドラマは根強いファンを持つものが多く、映画化されることもよくありました。たとえば『スタートレック』も、もともとテレビドラマで、邦題は『宇宙大作戦』という、はなはだダサいものでした。最初は視聴率もたいしたことがなく、途中で打ち切られたりもしたのですが、熱烈なファンによって、人気が出たそうな。アメリカのオタクもおそるべし。

2023年4月 7日 (金)

親戚の親戚は親戚だ

日本の旗は日章旗、つまり日の丸ですが、白地に赤丸の旗を最初に使ったのは源氏だと言われます。紅白に分かれての合戦のきっかけになったのは、平家の赤旗と源氏の白旗だということになっていますが、その旗に平家は金色の日輪、源氏は赤色の日輪を描いていたらしい。結果的に源氏が勝ったので、その旗がめでたいとされたのでしょう。今は法律で国旗とさだめられていますが、「君が代」も国歌として法律で定められています。

「君が代」の作詞者はわかりませんが、古今集の詠み人知らずの歌が元になっています。世界一古い歌詞と言ってよいでしょう。メロディはじつは二通りあって、最初はあるイギリス人が作曲してくれたらしい。でも、あまり評判がよくなかったので、宮内省が作りなおしたそうな。他の国の国歌にはかなり闘争的なものもあるのに比べて、日本の国は歌詞も曲もおだやかです。だいたい、石が大きくなるという発想がなかなかのものです。さらに言えば、苔をよいものとしてとらえているのもおもしろいですね。「転石苔むさず」の解釈について、イギリスとアメリカのちがいがよく言われます。イギリスは、ゴロゴロ転がっていると苔がつかないから、一つのところに腰を落ち着けるべきだとします。転がる石はろくでなし、つまり「不良」なんですね。ローリングストーンズというバンドは、自らをそう意識していたからの命名でしょう。アメリカでは、新天地を求めていけば苔のようなものはつかなくてすむという発想です。

英語と米語は細かい部分での文法的ちがいもありますし、表現の仕方もちがっています。それはイギリスとアメリカのものの考え方のちがいの反映でしょう。そうなると、米語を「イングリッシュ」と言ってよいのかどうか。米語をアメリカン・イングリッシュとして、英語の方言の一種と見なす考え方もあるようです。その米語にしても、北部と南部ではかなりちがうようですし、東海岸と西海岸とでも多少のちがいがあると言います。

日本で英語を学んだ者にとってはイギリス人の発音は習った発音記号に沿っていて聞き取りやすいのに、アメリカの映画は何を言っているのか、よく聞き取れません。でも、なぜかトランプ元大統領の言葉はバイデンに比べると、非常に聞き取りやすいなあ。意外に几帳面で、ゆっくりしゃべるせいもあるかもしれません。一説には語彙が少なく小学生レベルの英語だから、と言う人もいるようですが。

日本の天皇も、非常にゆっくり、ていねいにしゃべります。「綸言汗のごとし」ということばがあって、出た汗が元にもどせないように、天皇のことばもいったん口に出したら取り消しがきかないから、ていねいにしゃべることになっているそうです。前の天皇が退位を考えた理由は、高齢による体力の低下だということですが、言いまちがいをする可能性のことを考えたのかもしれません。昭和天皇の玉音放送もゆっくりです。あれはレコードに録音したものですが、そのレコードをめぐって激しい争奪戦があったことも有名です。しかしながら、玉音放送をリアルに聞いた人はかなり少なくなってきています。

「明治・大正・昭和を生き抜いてきた」とよく言ます。三つの時代を生き抜いたというのはすごいなあと思いますが、今の時代「昭和・平成・令和を生き抜いてきた」人も、じつはたくさんいます。でも、「昭和」はすでに「レトロ」な時代として扱われることがあるのですね。戦前ならともかく、前の東京オリンピックの時代が「レトロ」なのかとびっくりしますが、半世紀をこえてしまえば、やはり「レトロ」でしょう。ところが一方では寿命がのびていますから、半世紀の50年というのはそれほど長い時間でもない。「人間五十年」の時代には25歳が折り返し地点なので、何事につけてもサイクルが早かったでしょう。そのころの40歳は初老だったわけです。今や平均寿命が80歳以上ですから、「古来稀なり」と言われた「古稀」も、七十七歳の「喜寿」も楽々こえて「米寿」もありふれ、九十の「傘寿」も目前です。「白寿」となると、さすがにちょっとむずかしい。これは「百歳マイナス一歳」ということで「百」から「一」をとって「白寿」だというのですね。百歳ごえは、それこそ「古希」と言ってもよいかもしれません。永遠の命を願うのは無理だし、年寄りのまま永遠に生きるというのも残酷な話で、だからこそ「不老長寿」を願うのでしょう。「フォーエバーヤング」ですね。

始皇帝が不老長寿を手に入れるために、蓬莱島に遣わしたとされるのが「徐福」という人物です。蓬莱島は方角的に日本ということになってしまい、徐福が上陸したという場所が各地にあります。では、徐福の子孫はどうなったのでしょうか。表に出なくても、その血はなんらかの形で今に伝わっているのかもしれません。長宗我部氏が秦氏の子孫だと自ら言うように、誰かの血筋は意外に途絶えずにつながっていくようです。豊臣家の子孫だって、妻の系譜をたどれば木下家という大名になり、歌人の木下利玄はその子孫です。秀吉の姉の子孫も、藤原氏嫡流の九条家にとついで、その血筋の一人が大正天皇の皇后となっていますから、今の皇室も秀吉の親戚ということとなります。女系のつながりで見ると脈々とつながっている場合があるのですね。大塚ひかりという人の『女系図で見る驚きの日本史』『女系図でみる日本争乱史』などを読むと、ちがう視点での歴史のつながりが見えてきて、すごくおもしろい。

テレビで○○と××が実は遠い親戚だった、という番組があります。親戚の親戚をつないでいけば、思いがけない人とつながることもあるでしょう。遠い親戚にジョン・レノンがいる、なんてわかったらおもしろいでしょうね。授業でたまに高見順の詩を取り上げることがあります。この人の出生はちょっと複雑な事情があるのですが、阪本越郎という、やはり有名な詩人が母親ちがいの兄にあたります。高見順の娘が高見恭子といって、タレントとしてよくテレビに出ていました。阪本越郎の娘は狂言師の野村万作に嫁いでいて、生まれたのが野村萬斎です。高見順の父親の親戚に永井荷風という小説家がいますから、この人たちはみんな親戚です。

2023年3月26日 (日)

顔のある太陽

「阿」と「吽」は、万物の初めと終わりの象徴になりますが、これはギリシアのアルファベットのアルファとオメガを連想させます。「アルファ、ベータ…」で始まるから「アルファベット」ですね。聖書に出てくる神様は、自分のことを「アルファであり、オメガである」と言っています。アルファとオメガは、ギリシャ語のアルファベットの最初と最後に位置していますから、神様は自分が初めであり終わりである、と言っているわけですね。「阿」「吽」と意味だけでなく、音の感じもなんとなく似ています。サンスクリット語はヨーロッパの言語と類縁関係にあるらしいので、なんらかの一致があっても不思議はありません。五十音の「あいうえお」順でも「あ」で始まり「ん」で終わるのがおもしろい。「あー」というのは叫び声で、とりあえず最初に出てくる音のような気もしますし、口を閉じることで「ウン」と言って終わるのも納得できそうです。

「阿吽」は「吐く息と吸う息」つまり「呼吸」を表すこともあり、「阿吽の呼吸」というのは、そういう意味でしょう。二人あるいはそれ以上の人が一つのことをするときの微妙なタイミングや気持ちが一致することですね。また、仁王や狛犬などで見られる、口を開いた「阿形」と、口を閉じた「吽形」というのもあります。これは、どっちが左でどっちが右になるのでしょうか。「阿が左で吽が右」とよく言われるのですが、左大臣・右大臣では左のほうが上位なので、初めを表す「阿」が上位で左なのは納得です。では、その左右は「向かって」なのか、それとも「神の側」からなのか。左が上位というのは、天子・天皇から見た位置づけでしょう。ということは、向かって右側が口を開いていることになります。

「左近の桜、右近の橘」というのもあります。平安宮内裏の紫宸殿の前庭に植えられている桜と橘のことです。「左近・右近」は「左近衛府・右近衛府」のことで、六衛府と呼ばれる天皇の親衛軍の組織のうち、天皇のそば近くに仕える兵、要するに「近衛兵」です。ちなみに、その外に左右の衛門府、さらにその外に左右の兵衛府があり、これらの名称が後に武士の通称に使われるようになっていきます。さて、何かの儀式があるときに、左近は紫宸殿の東方、右近は西方に陣を敷きます。「天子は南面す」と言って、天から統治者として認められた天子や天皇は、北を背にして南を向くことになっています。南を向くと、太陽が昇る東が左に来るので、天皇から見て左が優位ということにしたのでしょう。で、東つまり天皇から見て左側に左近衛の陣を敷いたので、こちらに植えられている桜は「左近の桜」になるわけです。

ただし、この桜はもともと梅だったと言います。平安遷都のとき植えられた梅が、村上天皇の治世に内裏が火事になり、建て直すときに梅に代えて桜になったそうな。右近の橘は遷都以前にそこに住んでいた橘なにがしという人の家に生えていたものだという説もありますが、内裏の場所は秦河勝の屋敷跡を利用したので、その庭にあったものだという説もあります。橘が選ばれた理由としては、橘が古くから「ときじくのかくのこのみ」と言われていたことにも関係があるかもしれません。これは海の彼方にあると言われる理想郷「常世の国」にある木になると言われる不老不死の果実で、垂仁天皇のころ、田道間守という家臣がとってくるように命じられます。その木がじつは橘だったということですが、要は古くから野生していた日本固有のミカンで、長寿の象徴として珍重されたのでしょう。

橘は「古今和歌集」に詠み人知らずとして載っている「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」という有名な歌にもあるように香りのよい花として愛されたようです。また氏族の名前としても有名です。元明天皇のころ、宮中に仕える県犬養三千代に、杯に浮かべた右近の橘とともに橘宿禰の姓を与えたことから橘氏が生まれました。敏達天皇の後裔である美努王との間に生まれた葛城王は橘諸兄と改名します。諸兄は左大臣にまで昇りつめますが、藤原仲麻呂の台頭とともに、その権勢は陰りを見せます。諸兄亡きあと、その息子奈良麻呂は藤原仲麻呂との政権争いに敗れ、謀叛の疑いをかけられて非業の死を遂げます。源平藤橘といった四大姓の一つに数えられながら、橘氏を称する家が少ないのはそのせいです。有名どころとしては、南朝のために戦った楠木氏は橘姓を称していますがそれぐらいでしょう。

橘を家紋として使う家はけっこうあります。私の家は「丸に橘」で、井伊家と同じ家紋です。植物を図案化した家紋はよくありますが、大河ドラマで注目された北条家は抽象的な感じの「三つうろこ」です。二つの三角形を並べて上に一つの三角形を重ねたもので、その形が蛇や竜のうろこのように見えることから名付けられたのでしょう。古墳の壁画にもあるので、魔除けの力があると見なされて家紋になったと思われます。こういう家紋は簡単に描けますが、描きにくいものもあります。

志賀直哉との関連で前に触れた相馬という家があります。大河ドラマでも出てきた千葉氏の流れをくむ家ですが、平将門の子孫の相馬家を継ぐ形になっているので、中心になる丸のまわりに八つの円形に並べた九曜紋という千葉氏の家紋のほかに将門の家紋も受け継いでいます。これがなかなか簡単には描けない。荒馬を繋ぎとめた形の「繋ぎ馬」という紋で、暴れる馬が相当リアルです。「相馬野馬追」という行事があって、毎年夕方のニュースで流れます。何百騎もの騎馬武者が甲冑をまとい、旗指物をなびかせながら、旗を奪い合ったり、競べ馬をしたりするなかなか勇壮な行事ですが、まさに家紋そのものの光景です。

では国旗はどうでしょうか。簡単に描ける国旗と描くのは一苦労という国旗があるようです。日本の旗は楽なようですが、細かいことを言えば、縦横の比率や丸の大きさなどは正確に知らないまま適当に描いているのではないでしょうか。アメリカやイギリスの国旗だって、うろ覚えでは描けません。ブラジルも星の散らばり具合が難しいし、トルクメニスタンの旗は複雑すぎます。アルゼンチンやウルグアイも、ちょっとやそっとでは描けません。なにしろ顔のついた太陽がメインですから。

2023年3月 7日 (火)

阿と吽

「延陽伯」の女房言葉というのは、宮中に仕える女性(女房)が使った言葉で、典型的なものとしては語頭に「お」、語尾に「もじ」をつけて丁寧さを表すパターンがあります。今でも使う「おかず」「おでん」「おにぎり」「おひや」「おつくり」「おはぎ」「おから」などもそうですし、今ではちょっと聞く機会が減ってきていますが、「おこわ」とか「おじや」もそうですね。「おかか」とか「おかき」なども、前者は「鰹節」の「か」、後者は「欠き餅」から来ているのでしょう。食べ物関係でなくても、「おなか」「おなら」「おまる」「おでき」などもあてはまります。「おいしい」は「いしい」という形容詞を丁寧に言ったものだし、「おもちゃ」は「もてあそびもの」の後半が省略されたものです。「おつむ」も「つむり」の「り」が省かれたものです。語尾に「もじ」がつくものとしては「しゃもじ」「お目もじ」は今でも使います。「そなた」の「そ」に「もじ」をつけて「そもじ」としたものなどは、たまに時代劇で高貴な女性が使っていますね。意外なところでは「ひだるし」の「ひ」に「もじ」をつけた「ひもじい」などもあります。

ところで、この「延陽伯」さんが、お米のことを「しらげ」と言うところがあります。「白げる」は「精米する」という意味で、そこから精米された米のことを言うのですが、男は「しらみ」と勘違いします。そこで、この奥さんが「よね」と言い直しますが、たしかに「米」のことを「よね」と言います。この「よね」はおそらく「いね」の訛ったものでしょう。植物としては「いね」、その実は「こめ」または「よね」、食べられる状態になったら「ごはん」と言いますが、「ごはん」になると「米」には限定できないようです。英語の「ライス」なら「こめ、よね、いね、ごはん」のすべてにあてはまって便利ですね。「米田」という名字の人は「こめだ」と「よねだ」のどっちで読むのか迷います。

二通りの読み方がある名字というのは結構多くて、祝賀会の劇のネタにも使いました。もともと、あるコンビがコントでやっていたのをパクってきたのですが、名前の裏をかかれるネタです。「こめだ」と言うと「よねだ」と言われ、「はせ」と読むと「ながたに」と言われます。またまた落語ですが、「平林」というネタがあります。人の名前ですが、どう読むか。上方では「たいらばやし」と読みますが、東京では「ひらばやし」と言うようです。店の旦那が丁稚の定吉を使いにやります。本町の平林(ひらばやし)さんのところへ手紙を持って行くことになるのですが、どこへ行くのか忘れてしまいます。手紙の宛名を見せて、道行く人に聞いたところ、その人は「たいらばやし」だと言います。ところが、そういう名前の家が見当たらない。そこで、また道行く人に手紙を見せると「ひらりん」だと言われ、さがすのですが、やはり見つからない。また聞くと、今度は「平」と「林」を分解して、「いちはちじゅうのもくもく」だと言われ、見つからず、また聞くと、「ひとつとやっつでとっきっき」と言われます。それらをまとめて唱えれば、だれかが教えてくれるだろう、ということで、「た~いらばやしかひらりんか、いちはち~じゅ~のもぉくもく、ひとつとやっつでとっきっきぃ~」と歌いながら歩く、というばかばかしい話です。

いくらなんでも、人の名字で「いちはち~じゅ~のもぉくもく」「ひとつとやっつでとっきっきぃ~」はありえない。「ひらりん」は微妙ですが、「たいらばやし」はありえます。前にも書いた「加波さん」を「かなみ」ではなく「かば」と読んでしまったのは、「かなみ」だと重箱読みになって不自然だからです。ただ「かば」と読むと、どうしても「河馬」を連想してしまうのがまずいところです。でも、あれは「馬」の一種なのでしょうか。英語の「ヒポポタマス」も「河の馬」という意味なのだそうで、昔の人はそう考えたのでしょう。この「河」はもともとナイルのことなのかなあ。

「馬鹿」ということばも「ばろく」と音読みするのが自然です。もともと「ばか」ということばがあって、適当に字をあてたのかもしれません。「鹿をさして馬となす」という故事が語源だとよく言われます。秦の趙高が二世皇帝に、「鹿」を「馬」と言って献じたところ、群臣は趙高の権勢を恐れて肯定しましたが、否定した者は殺された、という話です。話の中身が「ばか」と結び付きそうなので、なんとなく納得してしまいますが、「鹿」を「か」と読むのは大和言葉です。サンスクリット語で「無知」を意味する言葉の音に合わせて「莫迦」と表記したものもあります。これも当て字でしょう。

「馬鹿」と並び称せられる(?)「阿呆」はどうでしょう。こちらも秦と結び付く語源説があります。始皇帝が建てた宮殿「阿房宮」が、あきれるほど馬鹿でかく、全焼するのに三ヶ月かかったということから、馬鹿げたことを「阿房」と言うようになったのだ、という説です。だから、古くは「阿房」と書いたようですが、この説が正しいかどうかははっきりしないらしい。「阿呆」という表記も当て字かもしれませんが、「呆」には「あきれる」という意味があるので、書き方としては納得です。では、「阿」の字の意味は何でしょう。「曲学阿世」という四字熟語では「おもねる」という意味で使われています。マイナスの要素とはいうものの「おろか」とは少しずれそうです。「山や川の曲がって入りくんだ所」とか「奥まって隠れた、暗くなっている所」とかいう意味もちょっとちがうようです。人を指し示す言葉の上につけて親しみを表すこともあって、「阿父」というように使います。魯迅の「阿Q正伝」の「阿」もそうです。つまり、この小説の主人公は「Qちゃん」ということです。「阿呆」の「阿」がもしこれであるなら、「おばかさん」という感じになりますが、これもどうでしょうか。やはり、「阿房宮」の「阿」にひきずられたのかもしれません。

「阿」の字は、古代インドの言語、サンスクリット語の文字である「梵字」のアルファベットの最初の字としても使われます。梵字の「ア」は、たとえば真言宗のお墓や位牌の戒名の上に書かれていることがあるので、目にすることもよくあります。この「ア」の音は口を開くと最初に出てくる音だと言われます。そこで、一切の字や音声は「ア」が根源になり、さらに言えばすべての本質を表すことになるそうです。厳密に言うと、「始まり」とは違うようですが、口を閉じて出す音声「吽」がアルファベットの最後に来ます。だから、「阿」と「吽」はセットになるんですね。

2023年2月21日 (火)

酔って件の如し

上田秋成の『雨月物語』や滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』なども伝奇物語の流れをくむものでしょうか。いわゆる「古志古伝」も実は「伝奇物語」なのかもしれません。とりわけ『竹内文書』などは、まさに「伝奇」で、腰を抜かすほどおもしろい。もとは、神代文字と呼ばれる古代の文字で書かれていた、なんて言われると、うさんくさいこと、この上ありません。「イスキリス・クリスマス」なる人物が登場します。この人は十字架上で死ぬはずだったのが、弟のイスキリが身代わりになって逃げ延び、なんと日本にやってきます。しかも、その墓が青森県に残っているらしいのですね。この人だけでなく、お釈迦様も日本にやってきて、天皇に仕えたことになっております。

もともと世界の人々は五色人と言って、日本人をふくむアジア系である黄人のほか、赤人、青人、黒人、白人がいたそうな。その五色人の祭典がオリンピックの元になった、というのはいくらなんでも…。そして、なんと日本が全世界の中心で、「天の浮舟」つまり空飛ぶ船に天皇が乗って世界中を巡行していたということですから、驚くのなんのって。その何代目かの天皇のときに、ミヨイとタミアラという大陸が陥没したと書かれているそうで、それってムー大陸とかアトランティス大陸のことじゃないの。

この文書を伝えていたのは竹内巨麿という人ですが、正統竹内文書というものもあって、それを伝えている人がいました。竹内睦泰さんという人で、第73世武内宿禰を名乗っていました。2、3年前に亡くなりましたが、まだ60歳にもなっておられなかったと思います。もともと予備校の講師をしていたこともあって話もうまく、なかなかおもしろい人でした。武内宿禰というのは、五代にわたる天皇に仕えたとされる人物で、今でいう官房長官みたいな存在でしょうか。昔はお札の肖像画としても有名でした。長きにわたって何代もの天皇に仕えることができたのは、300歳近くまで生きたから、ということだそうですが、いくら昔でもそんなことはない。竹内睦泰さんによると、「一人ではない」。つまり、襲名したのでしょう。南北朝時代の武内宿禰が南朝方についたために歴史の表舞台から姿を消しますが、実は一人だけ現れた有名な武内宿禰がいます。江戸時代の中ごろ、尊王論者が弾圧された最初の出来事として知られる宝暦事件が起こります。その事件の中心人物が竹内式部という人です。この人物が、「自分が死んでから数百年たった、時代の代わり目に生まれる武内宿禰が重要な役割を果たす」という予言を残したそうな。それが竹内睦泰さんだったわけです。

南朝そのものの子孫を名乗る人もいましたね。熊沢天皇とか。戦後の一時期、われこそが皇位継承者であると名乗りをあげた者たちが各地に出現しました。古くは「葦原将軍」という人気者もいましたが、この人は精神病をわずらっていたらしい。「誇大妄想」というのでしょうか、日露戦争のころに「将軍」を自称するようになり、昭和になって天皇を自称するようになったそうです。この人は別格として、自称天皇がいても、長い歴史を考えれば、ひょっとしてという可能性もありそうです。本当かどうかの判定はなかなかできないのですから。うちの母方でも、平家の落人で、もともと四国に住んでいたのが、熊野に渡ってきた、とそれらしいことを言っていますが、どうも嘘くさい。

そう言えば、和歌山に住んでいる親戚の中で雑賀姓の人がいます。しかも「孫○」という名前です。孫市の子孫なのかなあ。雑賀孫市は鈴木孫一、平井孫一とも名乗ったそうですが、いずれにせよ司馬遼太郎の小説で有名になっただけのような気もします。そもそも孫一は何人もいたようで、雑賀の一族のリーダーが代々名乗る名前だったようです。雑賀衆とも甲賀忍者とも言われる杉谷善住坊なんて人もいましたが、のこぎり引きになったことで有名です。織田信長を火縄銃で狙撃しようとして失敗、かすり傷を負わせるのですが、激怒した信長につかまって、首から下を土の中に埋められ、生きたまま、竹製のノコギリで首を切断するという刑に処されました。日本人も結構残酷なんですね。

平安時代は死刑がなかったと言いますが、これは残酷かどうかではなく、けがれの思想のせいだと井沢元彦は言っています。当時の貴族たちは「死」によってけがれることを怖れたというのですね。サッカーのあとのゴミ拾いが話題になりました。あれを「掃除」と考えるから、いろいろな議論を呼んだわけで、単に「けがれ」を嫌うという日本人独特の思想かもしれません。要するに、日本人は「はらいたまえきよめたまえ」というのが好きなのでしょう。「みそぎ」というのも「けがれ」を嫌う考えの表れです。「うがい手水に身を清め」というやつですね。

落語の「延陽伯」でも、「あーらわが君、うがい手水に身をきよめ」という台詞が出てきます。江戸落語にうつされて「たらちね」という題でも演じられますが、「延陽伯」というのは登場人物の女性の名前なんですね。独り者の男に、大家さんが縁談を持ってきます。素晴らしい女性ですが、一つ欠点があり、京の公家に奉公していたせいで、言葉が女房言葉、要するに丁寧すぎるというのですね。そんなことはかまわないと男が承知したので、その日のうちに祝言となります。男が名前を聞くと、「わらわ父は元京都の産にして、姓は安藤、名は慶三、あざ名を五光と申せしが、我が母三十三歳の折、ある夜丹頂を夢見てわらわを孕みしがゆえに、たらちねの体内をいでし頃は『鶴女、鶴女』と申せしがこれは幼名、成長ののちこれを改め『延陽伯』と申すなり」と答えます。これは「縁をよう掃く」のだじゃれではないかと思いますが、よくわかりません。翌朝、この奥さんに起こされます。「あーら我が君、もはや日も東天に輝きませば、お起きあって、うがい手水に身を清め、神前仏前に御あかしをあげられ、朝餉の膳につき給うべし。恐惶謹言(きょうこうきんげん)」と言われて男は「飯を食うことが恐惶謹言やったら、酒飲んだら酔って件(くだん)の如しやな」と言ってサゲになります。このオチがもはやわからない人が多いらしい。「恐惶謹言」というのは手紙などの末尾につける挨拶語で、意味はそのまま「恐れかしこみ、謹んで申し上げる」ということになります。「よって件の如し」も同じく証文などの末尾に書く言葉で、「以上、右に書いたとおりです」という意味です。ただし「酔って」は上方では「ようて」になるのがつらいところ。以上、よってくだんのごとし。

2023年1月22日 (日)

「きらず」は卯の花

前回のタイトルは「ディスる」の「ディス」はまさか「ディス・イズ・ア・ペン」の略ではないわな、という意味でしたが、調べてみるとどうやら「ディスリスペクト」らしい。そりゃそうでしょう。「ディスカバー」や「ディスカウント」では意味が通じない。いずれにせよ「ディス」には打ち消しのニュアンスがあります。「ディスカバー」は「カバーを外す」すなわち「発見」ということですね。

略語にしたときに元の言葉とは形が変わるものもあります。「スマートフォン」の略なら「スマフォ」です。いやいや「スマートホン」の略です、と言われれば「あ、そう」と答えるしかないのですが。「パニクる」も「パニックる」でしょ、と言いたいのですが、たしかにこれは発音しにくい。江戸時代にもなかなか大胆な略語がありました。「ちゃづる」なんて、いったい何のことだかわかりませんが、漢字で書くと、「茶漬る」となって、なるほどです。「茶漬けを食う」を「茶漬る」。

無意味に見える言葉にも、実は意味があるというものであるなら言霊が宿っても不思議はありません。では、本当に無意味な口癖のようなものはどうでしょう。たとえば「逆に」「て言うか」「要は」「早い話」なんて、よく使いますが、ほとんどの場合、無意味なことばになっています。「逆に」と言いながら何の逆にもなっていない。「早い話」と言いながら、かえって回りくどい言い方になっていたりします。「えーと」とか「まあ」とかもよく使う人がいます。この二つはどう違うのでしょうね。「えーと」はすぐにことばが出てこない感じがします。実際に出てこないこともあるのでしょうが、あえて使うことによって、実はちょっと言いにくいというような雰囲気をつくり、ストレートな物言いを避けていますよ、ということを伝えている場合もあります。そうなると「まあ」と同様に、ズバリ言わない「婉曲語法」の一種と見なしてもよいのかもしれません。そうなってくると、全く無意味な言葉というわけでもなさそうです。

世の中には「意味がありそうで実はない」、あるいは反対に「意味がなさそうで実はある」なんて言葉があるようです。さらに言えば「無意味な話」というのもあるかもしれません。天気についての話題なんて無意味なようですが、場つなぎの役割を持っていることもあります。では「笑い話」なんてのはどうでしょう。たわいない笑い話、「あなたはキリストですか」「イエス」のレベルの。こんなのはワハハと笑って終わりで、無意味といえば無意味です。でも、たわいないからこそ、瞬間ではあるものの楽しい気分になれます。たわいないからこそ私は好きです。

怪談なんてのはどうでしょうか。聞いて何のメリットがないにもかかわらず心ひかれるものがあります。怪談がブームだと言われて久しく、YouTubeなどでも怪談ものが人気のようです。本の形でも地味に出続けています。『新耳袋』というシリーズものがありました。今風の怪談を百物語形式で集めた本なので、短い話ばかりですが、結構インパクトのあるものも多く、なかなか面白いシリーズでした。タイトルの元となったのは江戸時代の南町奉行、根岸鎮衛の書いた『耳袋』という本です。根岸鎮衛は臥煙出身だったという噂のある人物で、臥煙というのは文字通り「火消し人足」のことです。そういう人の中には乱暴な者も多かったようで、臥煙イコール無頼漢というイメージもあり、根岸鎮衛も全身に刺青を入れていたとか。そういう意味で、「遠山の金さん」に近いところがあって昔から小説やテレビの時代劇で題材とされてきました。落語の「鹿政談」にも登場します。

奈良三条横町で豆腐屋を営んでいた与兵衛さんが、売り物の「きらず」を食べていた犬を殺してしまいます。「きらず」というのは「おから」のことで、豆腐と違って切らずに食べるということから来たそうな。ところが犬だと思ったのは実は鹿、奈良で鹿を殺すと死罪になります。そのお裁きを担当した奉行が根岸鎮衛で、何とか助けてやろうと思い、鹿の遺骸を見て、「これは角がないから犬だ」と言います。ところが、鹿番の役人が「鹿は春になると角を落とします」と異議を唱えます。根岸鎮衛は、「幕府から下されている鹿の餌代を着服している役人がいるという噂がある。鹿の食べるものが少なくなって、空腹に耐えかねて盗み食いをしたのかもしれない。鹿の餌代を横領した者の裁きを始めよう」と言いだします。身に覚えがあった役人が、犬であることを認めて一件落着。根岸鎮衛が与兵衛に「斬らずにやるぞ」と言うと「マメで帰れます」と答える、今時通じにくいオチ。

ただ、奈良奉行を根岸鎮衛としたのは三遊亭圓生だったらしく、桂米朝は川路聖謨にしています。根岸は奈良奉行を務めたことがなく、川路は実際に務めたようで、講談でも川路になっています。いまの神田伯山が、この話は面白くないと言いながらやっていました。宮部みゆきの『霊験お初捕物控』のシリーズでも、主人公のお初の理解者として、川路が登場します。お初が解決した奇妙な出来事を川路が『耳袋』に記すという設定になっています。『耳袋』とはそういう本なので、さぞかしおもしろいだろうと期待して読んだのですが、怪談以外の豆知識みたいなものもいっぱい書かれており、ストーリー性のある怪談あるいは怪異談はそれほど多くはありませんでした。

中国には『捜神記』という本があります。4世紀ごろに書かれたもので、さすがに全文を読んだわけではありませんが、ジャンルとしては「志怪」と呼ばれるもので、この場合「志」は「誌」と同じなので「怪をしるす」という意味になります。ところが、これも必ずしも怪異談だけではないらしく、神話めいたものから、たたりとか予言に関する話以外にもとんち話やお裁きものも数多く載っているようです。「志怪」が進化すると「伝奇小説」と呼ばれるようになります。清代初期の『聊斎志異』となると、これは怪異談中心です。作者である蒲松齢は「聊斎」という号を名乗っているので、『聊斎志異』とは「聊斎が異をしるす」という意味になります。日本で「伝奇物語」と呼ばれるのも空想的、幻想的な傾向の強い物語ということで、平安時代の『竹取物語』『宇津保物語』『浜松中納言物語』などをさします。歌を中心とした『伊勢物語』『大和物語』などの「歌物語」との対比で使われることばです。でも、今なら「ファンタジー」と言うほうがぴったりかもしれないなあ。

2023年1月13日 (金)

「ディス(イズアペン)」?

前回の答えは「仏足石」です。お釈迦さまの足跡を石に刻み、それを前に置いてお釈迦様が立っている姿をイメージして祈ったそうな。こうすれば当然偶像をつくったことにはならないのでOKですね。お釈迦様は扁平足だったのか、平たい足跡の真ん中に円が描かれ、そこから放射状に線がのびています。足の指もなぜか長く、指の間に水かきのようなものがあったことを表すために魚の絵がかかれていたりします。インドだけでなく、日本にもあります。有名なのは薬師寺の国宝になっているもので、歌碑とともに安置されています。歌碑には五七五七七七の形式の歌が書かれており、これを仏足石歌と言います。

でも、いつのまにかイメージするのが面倒になったのでしょうか、仏像がつくられはじめます。立像だけでなく坐像もあり、涅槃像と呼ばれる、お釈迦様の寝姿をかたどったものもあります。寝姿というより、なくなったときの姿ですね。足の裏の模様を見ることもできるので、見る機会があれば是非どうぞ。大仏というと坐像を思い浮かべますが、大きな仏像であれば大仏なので、立像であってもかまいません。お釈迦様の身長が一丈六尺だったということになっているので、それに合わせた仏像を「丈六仏」と呼び、それより大きいものなら大仏です。坐像の場合はその半分の大きさですが、「一丈六尺」というのは約4.8メートルになり、いくらなんでもお釈迦様、そこまでデカいわけではないでしょう。ただし、時代によって「丈」「尺」の長さが変わるらしく、なんとも言えませんが。

有名な大仏といえば、なんといっても、奈良と鎌倉です。では、どちらが先にたったか、というしょうもないクイズがあります。答えはどちらもすわっているので「たって」いない、というもの。こういうばかばかしいクイズでもおもしろがる6年生は幼稚なのか純真なのか。では、今の奈良の大仏は何代目か、というとこれはきちんとした歴史クイズになりそうです。奈良時代に創建されたあと、源平合戦のころ平重衡によって南都が焼き払われ、後白河上皇の命令で重源により再建されます。ところが、室町時代にまたもや戦火に焼かれます。これは松永久秀ですね。『常山紀談』に、信長が久秀のことを「主家乗っ取り、将軍義輝暗殺、東大寺大仏殿焼失という三悪を犯した老人だ」と紹介したという話があります。そして綱吉のころに再建され現在にいたるので、三代目ということになります。ただし、江戸初期には木造銅板貼りで臨時にしのいだらしく、それを入れると顔は四代目だとか。

いずれにせよ創建当時のものではなく何度も修復されたものです。聖武天皇のころのものではなく、江戸時代のものだと言われても、ありがたく感じるのかと言われると困りますが、修復されたものであっても、人はみなありがたがって拝むのですね。いったい何が「ありがたい」のでしょうか。考えてみれば、銅か青銅かを素材にして、創建当初は金メッキをしていたようですが、要するに金属の塊にすぎません。それを素材にしてつくられた「形」を拝むわけですね。さらに言えば、その形にこもるであろう「魂」に祈るのでしょう。それは仏の魂であると同時に長い年月の間に積み重ねられた人々の思いがこめられたものです。いわば、形づくられた集合体の魂がありがたさの源なのかもしれません。

つまり、金属でできた像そのものがありがたいのではなく、人間の主観によってありがたさを感じているということですね。お経だって、ただの言葉です。それをありがたいと思うのは人の心です。逆に言えば、言葉で人をあやつることは意外に簡単だということでしょう。「呪」というのはそういうものです。この場合、「呪」は「のろい」ではなく「しゅ」と読みます。呪とは「ものの根本的なありようを決めることば」だそうです。最も短い呪は名前でしょう。固有名詞とはかぎりません。「先生」と呼ばれる人は、先生としてのふるまいを求められるし、自分でも無意識のうちに先生らしい行動をとろうと考えます。芸名もいかにも芸名らしい華やかな名前が多いのですが、その名に恥じないような行動をとろうとするでしょう。襲名という形で過去の立派な先輩の名前を譲り受けるのも、その人のようになりたいと考え、その人のようなふるまいをしていこうと思うのですね。「名は体をあらわす」と言いますが、体が名によって縛られるというほうがふさわしいかもしれません。古本屋兼拝み屋の京極堂が活躍する京極夏彦のシリーズにはいつも呪が登場します。というより、それがむしろ主題になっています。京極堂が憑き物落としをすることで、その呪は解かれ、結果的に妖かしも消えます。

子どものときにきつく言われたことばがトラウマになることがあります。これも呪でしょう。逆に、いい方向に自己暗示をかけることによって、自分自身が変わっていくこともあります。イメージトレーニングというのも同様でしょう。特に、日本人の場合、言葉を使って呪をかけるのが有効なのは言霊信仰のせいかもしれせん。また、真言というものがあります。「真実の言葉」という意味で、サンスクリット語では「マントラ」と呼ばれます。マンは「心」を意味し、トラは「解放」という意味らしいですね。たとえば「ノウマク・サンマンダ・バサラダン・センダン・マカロシャダヤ・ソハタヤ・ウンタラタ・カンマン」と唱えるだけで心が解放され、それがきっかけとなって最終的に災難や苦難から逃れられることになります。

ただ、日本人には真言の言葉の意味はわかりません。それでも威力があるのですね。極端な場合、お経の中身を知らなくてもお経のタイトルを唱えるだけでも効果があるとされてきました。「南無」「妙法」「蓮華経」と言うだけでもよいというのはすごいことです。ということは略語でもOKということでしょう。「あけおめ、ことよろ」なんてひどいことばでしたが、実は新年を祝う気持ちは言霊として十分宿っていたのですね。単独で「ことよろ」なんて言われても何のことだかわかりませんが。「あけおめ」とセットなら「今年もよろしく」だなとわかります。略語の中には元の形がわかりにくいものがありますね。筋トレなどはよく使いますが、「筋力トレーニング」なのか「筋肉トレーニング」なのか。「ディスる」の「ディス」は何の略なのでしょう。

2022年12月18日 (日)

明日のこころパート2

前回のタイトル「明日のこころ」というのは、昔聞いていた『小沢昭一の小沢昭一的こころ』というラジオ番組の最後のフレーズが「この続きはまた明日のこころだぁ!!」をふと思いだしたのでつけてみました。そんな古いの、だれが知ってるねん!

で、「新本格」についてです。推理小説の原型と言われるのが、エドガー・アラン・ポオの『モルグ街の殺人』で、そのあと、コナン・ドイルやチェスタートンを経て、アガサ・クリスティ、エラリー・クイーン、ディクスン・カーなどの長編本格ミステリが生み出されます。日本の推理小説では、なんといっても江戸川乱歩の名前が大きいのですが、「本格」と呼ばれるものは戦後の横溝正史が中心になるでしょう。豪邸の密室や孤島で起きる不可能犯罪に名探偵が挑む、というタイプが「本格」と呼ばれるものです。いわゆる「探偵小説」ですね。ところが時代とともに陳腐化し、リアリティのなさからも衰退していきます。そして登場したのが松本清張でした。社会派推理小説の誕生です。これは確かにリアリティがありました。しかし、当然のごとく「ワクワク感」がありません。みんなが社会派に飽きたころに起こったのが横溝正史ブームでした。『八つ墓村』はそれ以前に「少年マガジン」に載った影丸譲也による漫画で知っていたので、その二、三年後に角川文庫で出たときに、「ああ、あれか」と思い、すぐに読んだのですが、世の中ではあっという間にブームになりました。

もちろん、本格ミステリが完全になくなっていたわけではなく、都筑道夫や土屋隆夫などは、魅力的な作品を書き続けていました。で、横溝ブームをきっかけとして、「幻影城」という雑誌が創刊されました。四、五年で廃刊になってしまいましたが、探偵小説専門という、なかなかのすぐれものでした。泡坂妻夫や連城三紀彦がデビューしたのは、この雑誌からだったと思います。その後、綾辻行人のデビュー作『十角館の殺人』が出ます。「孤島の屋敷で起こる連続殺人」という、本格ものの王道で、ここから「新本格」と呼ばれる波が起こったのでした。やっと元にもどった。あー、しんど。

ただ、「新本格」の人たちは、トリックや構成はなかなかおもしろいのに、文章がウーンという人が多く、かなり読んだのに作品名が思い出せないのは、単に年をとってボケてきたからではないでしょう。中井英夫の『虚無への供物』など、今でもところどころ覚えている部分もあるぐらいで、文章がうまかった。『幻想博物館』『人形たちの家』など、耽美的な作品を数多く残しています。そういう人に比べると、新本格派は言葉のチョイスが雑な感じがして残念でした。

最近読んだもので、それほど期待しなかったのに意外に面白かったのは深緑野分という人。外国を舞台にした戦争もの、『戦場のコックたち』『ベルリンは晴れているか』は翻訳を読むような感じで、なかなかの文章力、構成力を感じさせました。『戦場のコックたち』は、主人公がアメリカ陸軍のコック兵で、ヨーロッパ戦線で戦いながら、「日常の謎」を解き明かすミステリーなのですが、最終的にはなかなか重厚な作品になっています。『ベルリンは晴れているか』は、ナチス・ドイツの敗戦後、恩人が不審死を遂げ、その殺害の疑いをかけられたドイツ人の少女が無実を証明するために、米ソ英仏の統治下に置かれたベルリンに向かうという話です。タイトルは、ナチス・ドイツがパリから敗退するときにヒトラーが言ったとされる言葉「パリは燃えているか」が元で、こちらは映画の題名にもなりました。ジャン・ポール・ベルモンドやアラン・ドロン、シャルル・ボワイエ、イヴ・モンタン、カーク・ダグラス、グレン・フォードなどが出ている超大作でした。

この二作がすばらしかったので期待して読んだ『この本を読む者は』は、同じ作者のものとは思われない作品でちょっとがっかり。ジャンルがまったく違うので、逆にどう持って行くのだろうと思ったのですが…。外れが全くない人というのもまあいないわけで、キングなど比較的安定していますが、それでもたまにがっかりということもあります。北欧の小説は比較的よいものが多く、スティーグ・ラーソンの『ミレニアム』は言うまでもなく、警察小説がいいですね。「マルティン・ベック」や「特捜部Q」、「クルト・ヴァランダー」のシリーズは非常におもしろい。「刑事ヴァランダー」のドラマも見応えがありました。BBC放映で、なんと主演はケネス・ブラナー。ローレンス・オリヴィエの再来と言われるシェークスピア俳優で、「ハリーポッター」ではロックハート先生を演じていました。

いわゆる推理小説の中でも名探偵ではなく、刑事が主人公になるものを警察小説と言います。本来地道な捜査をするのが刑事ですから、小説もやや地味めのものになります。日本では、横山秀夫が今最も売れています。『半落ち』『クライマーズ・ハイ』『臨場』『64』などが有名で、映像化された作品も多数あります。木村拓哉が主役を演じたのは、長岡弘樹の『教場』で、これも渋くてなかなかのものです。『教場』はまた月9でドラマ化されるようです。サングラスというより色つき眼鏡をかけた白髪の警察学校教官役のキムタクへの評価もなかなか高かったそうです。「何をやってもキムタク」と言われていたのが、チャラい感じを一切出さずに新境地を開いたわけですが、いつまでも「アイドル」というわけにもいかないでしょう。

日本でアイドルと言えば「熱狂的ファンを持つ『若い』歌手やタレント」ということでした。昔は「若い」という条件が必要だったのですが、いつしかアイドルの「高齢化」が始まりました。とくにジャニーズは「おっさんアイドル」だらけです。いくつまでアイドルとして存在できるのでしょうか。もちろん、加山雄三なんかは若大将と呼ばれ続けて、いつのまにか80歳をとっくに越えていますが。もともとアイドルは「偶像」という意味でした。宗教の中には偶像崇拝を禁止するものが多く、イスラエルの神から生まれたユダヤ教、キリスト教、イスラム教もその例にもれません。仏教も実は禁止していました。お釈迦様は仏像をつくるなとおっしゃったらしい。でも、拝むときに何もない空中へ向かって、というのもつらいので、昔の人はある工夫をしました。その工夫とは? これもまた明日のこころだ!

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